美波によって保健室送りにされた事で午後の授業をすべてキャンセルせざるを得なかった俺は痛む体に鞭を打ち、放課後、Fクラスの教室へと向かっていた。
その理由は、至って簡単。
姫路の料理によって俺と同じく保健室送りにされていたアキへの付き添いである。
「いやぁ、ごめんね小春。わざわざ付き合わせちゃって……」
「別にいいって、気にすんな。どうせ今日は俺の家に泊まるんだろ? だったら一緒に帰った方が効率もいいってもんだよ」
「本当にごめんね。姉さんがいなかったら小春に迷惑をかける事もないんだけど……」
「それについても大丈夫だ。姉への苦労は俺が一番分かってやれるかんな」
「……ああ、そういえば君の姉は清水さんだったね……あの清水さん」
嫌だなぁ、泣いてなんかいないですよ?
目尻に浮かんだ涙を手で拭い、廊下の窓から見える夕焼け色の空を見上げる。空はこんなに晴れ渡っているのに、俺のお先は真っ暗だなぁ……ッ!
「こ、小春? 何で空を見ながら泣いてるの!?」
「気にすんな、放っといてくれ……」
実は姉だけじゃなくて両親もおかしいんです、なんて言える訳がない。そんな事を言ったら絶対に同情されちまうし、そもそもの問題としてアキなんかに同情されるのは俺のプライド的に許せない。アキなんかに、アキなんかに!
保健室からの道のりで大切な何かが折れてしまいそうになるも、俺たちは予定通りにFクラスの教室へと到着した。
教室内にはまだ生徒が幾数人か残っているようで、立てつけの悪い窓(罅も入っている)の奥にちらほらと確認できる。まだそこまで遅い時間じゃねえし、人が残ってるのもそこまで不自然な事じゃあないからこれについては軽くスルーする事にしよう。
これまた立てつけの悪い扉を開き、アキと共に教室内へと足を踏み入れる。
と。
「あれ? 誰かと思ったら島田さんに姫路さんじゃないか。どうしたの、何か忘れ物?」
「その台詞をアンタの隣の脳内小春日和に返すわ」
「俺は単純にアキの付き添いだよ」
「吉井の付き添い、ですって……ッ!?」
「そ、それってまさか……」
何をそんなに驚いているんだろうか。ああ、もしかして、俺とアキが同時に教室に入って来るとは思ってなかった、とかいう感じのリアクションなのかな? それで驚いてしまった、と。成程成程。
「「保健室での秘密の逢瀬の後だから!?」」
どうしよう。彼女たちの言葉の意味が微塵も理解できない。
「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って? 何で俺とアキがそんな恋人みてえな真似をせにゃあならん訳? 俺たち男同士だぜ? 有り得ねえだろ普通に考えてよォ!」
「恋人!? そ、そんな……見損ないました、明久くん! よりにもよって清水くん……しかも男だなんて!」
「ジャスタモーメンッ姫路さん! 君は何か大きな勘違いをしている!」
「勘違いなんかじゃありません! だって……だって……一緒に保健室から帰ってきたじゃないですかぁっ!」
「それはお前の料理がアキの胃袋を陥落させたからじゃないですかねぇ!?」
「私が明久君を陥落させたからだなんて……きゃっ」
「どうしよう凄く頭痛が止まらない!」
話を聞かない姫路に脳を直接やられた直後、美波が俺の肩を両手で掴んで鬼気迫る表情で俺に詰め寄って来た。
「小春。保健室で吉井と何をしてきたか、ちゃんときっちり説明しなさい! できるだけリアルにお願いします!」
「お前は更に何を訳の分からん事を!? っつーか、何もしてねえよずっと寝てたわ! 安静に過ごして教室に帰って来たよ現在進行形で!」
「曖昧な言葉で誤魔化さないで! ちゃんとハッキリとアンタの気持ちを言ってよ!」
「何で俺、別れ際のカップルみてえな会話を強制されてんの!? 違うよそんなに重要な感じの話じゃないよ!? ただ単純に保健室から帰ってきてアキの荷物を一緒に取りに来た、ただそれだけの事だからねっ!? 何も疚しい事なんて無かったからね!?」
「ウチの目を見て、もう一度同じことが言える!?」
「お前はマジでどういう解答を御所望なんだよ! 何度でも同じ事言えるわ! 俺は無実だ! アキとは何もやってねえしこれからもそんな事は一切ないッッ!」
「駄目っ。ウチ、信じられない!」
「どういう事!? 何をどうしたらそんな事に!?」
俺の発言のどこに信じられない要素があったというんだろうか。普通に真実だけを述べたというのに……これで信じてもらえないとか、既に手詰まり過ぎて笑えねえわ。
そうだ、ここはアキが姫路を説得するのに期待する事にしよう。二人に攻められたらかなり劣勢だが、姫路を説得して相手を美波一人にしてしまえばまだこちらにも賞賛がある。言い訳と屁理屈を言わせれば右に出る者はいないアキと嘘八百の達人(自称)である俺が束になって掛かりゃあ、美波一人を陥落させる事ぐらい容易い!
超至近距離にある美波の顔から視線を外し、傍で姫路を相手にしているアキを横目で確認する。
「姫路さん。とりあえずは僕の話を聞いてくれ! 君は凄く大きな勘違いをしているんだ!」
「一体どこが勘違いだというんですか! 明久君が清水くんと一緒に保健室から帰ってきた――もうこれだけで十分すぎる証拠です!」
「姫路さぁん!? 流石の僕でも君の言い分に矛盾がある事ぐらい分かるよ!? 僕と小春が一緒に保健室から帰ってきた――この状況だけで『僕と小春が恋仲』という判断をするのは流石に早計過ぎると思うんだけど!」
「だって保健室ですよ!? 二人きりですよ!? こんなの……こんなの……あんまりですぅぅぅっ!」
「ひ、姫路さーん!?」
ドタタタタッ! と教室から勢いよく退場するFクラスの才女。最近確実に姫路の思考回路がFクラスレベルにまで落ちてきている気がするんだが、果たして気のせいなのかどうなのか……あの少女の脳に何かしらの異常が出ない事を祈るばかりである。
しかし、何はともあれ、これで相手は美波一人となった。ここは早急に美波を説得し、アキと共に俺の家へと帰還しよう。今日はさっさと食事と風呂を済ませてテスト勉強をしなければならんのだ。
ぽかーん、と間抜けに開口して教室の扉を眺めているアキから視線を外し、俺は目前のバーサーカーへと相対する。
「美波! 俺の話を聞いてくれ!」
「嫌! 吉井への愛の言葉なんて聞きたくない!」
「だから何でそんな突飛な想像に身を委ねるんだよ! 目の前の現実を直視しろ! 自分の世界に陶酔するな、ムードを感じ取れ!」
「こんな辛い現実、ウチは受け入れられない!」
「だから俺とアキは何もないんだって! ほら、アキからも何か言ってやれ!」
「うえぇっ?」
キッ! と俺から睨まれ、露骨に狼狽するアキ。
「き、聞いて、島田さん!」何故か涙目の美波から縋るような視線を浴びせられた事で焦るが、アキはなんとか自分を落ち着かせて最高の笑顔と共にこの状況を覆す発言を言い放――
「僕と小春は一緒の部屋で夜を過ごす仲でしかないんだ!」
――よし、殺そう。
「いっしゃぁあああああっ!」
「うおわぁっ!? い、いきなり何すんのさ、小春!?」
「うるせえこの脳内空白状態! この状況を違うベクトルで覆してどうするよ! ほら見ろよこの美波の顔を! あまりのショックに放心状態じゃねえかッ!?」
「小春が吉井とアイラブユー……夜はお楽しみでしたねアイラブユー……」
「そしてこのままじゃ俺もショック死しそうだよ! なんだよこれ、援護射撃がまさかのフレンドリィファイアだよ! 俺の精神ズッタズタだわ!」
「とりあえずこの隙に帰っちゃえばいいと思うんだけど……」
「こんな状態の美波を残して帰れるかボケ! ミハ姉にばれたら殺されるわ!」
美波の為なら死ぬことすら厭わなそうなミハ姉が、俺が放心状態の美波を置いて家に帰っただなんて聞いたらどうなるか……とりあえず腕の一本は諦めなくてはならなくなるだろう。それか関節を増やされるかのどちらかである。
しかしここで美波を元に戻したら、あの混沌としたホモ疑惑会議が再び幕を開けてしまう虞がある。それだけは何としてでも避けたい。俺がアキと恋仲だなんて、思われるだけでも悪寒が止まらねえしな。
さて、本当にどうしよう。この状況をどうやって打破しよう。
そんな事を考えていた、まさにその時。
「ん? お主ら、まだ教室に残っておったのか……」
その存在感は、まさに女神。
そのタイミングは、まさに天使。
文月学園を代表する男の娘・木下秀吉さまのご登場だった。
おそらくは部活帰りなのだろう。少し疲れた様子が見て取れて思わず躊躇ってしまうが、このチャンスを逃す訳にはいかないと俺とアキはここぞとばかりに秀吉に詰め寄る。
「よっしゃ、よく来た秀吉!」
「帰ってきて早々に悪いんだけど、僕達から頼まれてくれないかな!?」
「う、うむ。事と次第にもよるが、別に構わんぞ」
俺とアキに詰め寄られて狼狽する秀吉に、俺たちは今までの経緯を懇切丁寧に説明する。
かくかくしかじかとマシンガンのように説明をされた秀吉は頬を引き攣らせながら「はぁぁ」と溜め息を吐き、
「お主らは本当、意味の分からぬ揉め事を起こす天才じゃな……何をどうしたらそのような事態に陥るのじゃ?」
「それがこっちが聞きてえよ。こっちはちゃんと説明したってのに……」
「まったくだよね。一体何がいけなかったんだろう?」
「……明久よ。そこに気付いてやれぬのは流石に小春が可哀想じゃぞ……」
呆れ顔の秀吉の言葉に、アキは「???」と首を傾げる。コイツは本当……一回死んでも治りそうにねえくらいのバカだなぁ。
「それで? お主らはワシに何を頼みたいのじゃ?」
「そうだよ、結局はその話なんだよ」
「部活帰りのところ悪いんだけど、島田さんを家まで送ってあげてくれないかな? 本当は小春の仕事なんだけど……ほら、今の状況じゃ事態をややこしくしちゃうし」
「成程……確かに、島田がショック状態から我を取り戻したらかなり面倒臭い事になりそうじゃのう」
「吉井と小春が熱い抱擁を……」未だに訳の分からない事を呟いている美波に秀吉はヒクヒクと頬を引き攣らせる。口から魂のようなものが出てきているし、コイツが受けたショックは本当に相当なものだったんだろう。……何で俺とアキが恋仲だったらショックを受けるのかは甚だ疑問ではあるが。
「お主……相も変わらず鈍感じゃなぁ」
「は? 俺が鈍感? 何でだよ」
俺は比較的人の気持ちの機微には聡い方だぞ? アキが姫路の事を好きな事ぐれえ知ってるし、雄二が霧島の事をちゃんと好いている事にだって気づいている。そんな俺が鈍感? 言い掛かりにも程があるだろ。
「まぁ、良いか」そう言って、秀吉は美波の手首を掴む。
「それではワシは先に帰らせてもらうぞ。安心せい、島田はワシが責任を持ってしっかり家まで送り届ける」
「すまねえな、秀吉。今度パフェでも奢ってやるよ」
「その時は僕も一緒に行くからね」
「お前も秀吉に奢る側だろうがふざけんな」
「小春。それは本気で言っているのかい?」
「お前のその『え、何言ってんのアンタ?』みてえな表情がこの上なくムカつくんだが殴ってもいいな?」
「了承を得る前に既に殴ってかぼしゅっ!?」
俺の右ストレートがアキの顔面に直撃する様に、秀吉はただただ苦笑を浮かべていた。
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