「七之助が部活!?」
「うん。奉仕部ってとこに入った」
カウンターをバンバン叩きながらゲラゲラ笑うお姉さんを見ながら、そんなに変なことだろうかと自問し、変なことだなと自己解決する。
彼女は俺の人となりを知っているため、そりゃ笑うだろう。
「ゆか姉、笑い過ぎだから。お客さんめっちゃ見てんぞ」
「あーゴメンゴメン。でもあんたが部活とはおねーさんビックリ」
彼女は稲村ヶ崎紫。俺の小さい頃からの知り合いで、俗に言う幼馴染である。
ひとしきり笑って落ち着いたゆか姉は、ポケットからタバコを取り出して火を付けていた。
「また変えたの?」
ゆか姉が取り出したタバコは、見たことのない銘柄だった。外国のものだろうか。
「うん。だって続かないんだもん」
紫煙をくゆらしながら答えるゆか姉。
あまり共感は得られないだろうけど、こんな風に色っぽくタバコを吸う女の人は好きだ。
「続かないって……。ああ、また男振ったのか」
「そ。前の男もつまんなかったなぁ。一週間持たないって酷くない?」
「……ビッチめ」
「あ! ひっどー! 七之助が私のこと見てくれないのが悪いのにー」
ゆか姉がカラカラと笑う。
「はっきり言って、私より可愛い女の子なんてそうそういないよ?」
「俺の好みは、可愛い女の子じゃなくてカッコ良い女の子だ」
自分で言うだけあって、ゆか姉の容姿はとても整っている。
作りの整った顔、庇護欲をそそる小さな体躯、人好きのする笑顔。
彼女を目当てにこの店「バーむらさき」に訪れる客は多い。一応、ゆか姉は源氏名として『むらさき』と名乗っている。ほとんどの常連は本名知ってる為ほぼ無意味だけど。
開いてるか開いてないかがゆか姉の気分だなんてやる気のないふざけた店に常連がつくのも、彼女の容姿と人徳の成せる技なのだろう。
十九だか二十だかでバーなんて洒落たもの開いてんじゃねえよと思うが、親に頼んだら土地と店、ついでに営業許可書までもが一週間を待たずに揃ったらしい。流石稲村ヶ崎。金持ちは違うね。
「で、今日は何すりゃ良いの?」
「うーん……みんなは何が良いー?」
ゆか姉は、喋っている時より大きな声で、四人ほどで楽しそうに喋りながら飲んでる大人の人に尋ねた。
「俺ピアノが良い」
「俺もー」
「久々に二人で何かしてくれよー!」
「んー……じゃ、七之助はしばらくピアノ弾いててちょーだい。私はみんなと喋ってるから」
そう言ってゆか姉はピアノの鍵を俺に投げ渡した。
「リクエストは?」
一段高くなっているステージに上がりゆか姉に尋ねる。
「んー……そういえば前あんた来た時、マズルカとかノクターンとかずっとショパン弾いてたよね。次の日雨降ったの、アレ絶対あんたのせいだよ」
「マズルカ弾いたら雨が降るって……ロダーリかよ……」
「とにかく、今日は明るいやつ!」
「りょーかい」
無駄にデカくて値の張りそうなグランドピアノの鍵盤台を上げ、うろ覚えのハノンを軽く弾きながら何を弾くか思案する。
「んじゃ……うし、子供の領分通しで全部」
「おー! おねーさんたちに、子供の頃のキラキラした気持ちを取り戻させてくれるんだね!」
「うるせえ知るか。あとコーラ飲ませろ」
言い捨てて、深呼吸を一つ。
あ、全曲とか吹いたけど、四番とかどんなタイトルだったかすら思い出せねえ。飛ばすか。
「ほい、今日のお駄賃!」
「サンキュ」
店仕舞いをしたゆか姉から手渡された五千円札を財布に納める。
「それにしても今日は酷かったねぇ、演奏。や、演奏というか態度か」
「そりゃ悪うござんした」
「通しって言ってたのに何食わぬ顔でサラッと四番のトッカータ飛ばした時は、今日お金あげるのやめようかなと思ったわ、マジで」
「……ゆか姉の酔っ払ったみたいなギターの方が酷かったろ。無茶苦茶弾きやがって」
「七之助なら合わせてくれるっていう信頼だよ、信頼!」
バチコーン! と音がしたかと思うほど見事なウインクを見て、文句を言う気すら失せた。
「今日泊まってくの?」
「うん。泊めて欲しい」
「遂に私を抱いてくれるんだね!」
「……帰るか」
「もー素直じゃないんだからぁ!」
「マジで帰って良いっすか?」
素で帰りたくなってきた。頭が痛くなってきた。
「七之助がそんなにお家大好きだったなんて知らなかったなー」
「……あ、そういえば最近ギャザリング熱が再発してるんだよな」
「ふーん? で?」
「お金に物言わせて作ったデッキで圧殺させてもらうわ」
「ふっふっふ、おねーさんに勝てるなんて思ってるんなら、まずはその幻想をぶち壊す!」
「ゆか姉、そういうアニメ嫌いじゃなかったっけ?」
「おねーさんは何でも知ってるのよ」
ゆか姉がカラカラと笑いながら店の奥──彼女は普段そこに住んでいる──に入っていったので、俺もそれに続く。
「今日は長い夜になりそうだねぇ」
ゆか姉はそう言って、もう一度カラカラ笑った。
「部活の話?」
お風呂上がりから一時間ほどカードで負かされ続け、いい加減気が滅入ってきていた俺に、ゆか姉が尋ねてきた。
「そう。七之助が二週間も続けてるってことは、それなりに楽しいんでしょ?」
探るように俺の目を覗き込むゆか姉。
「あー……まぁな。少なくとも一ヶ月や二ヶ月ではやめないと思う」
「ほほぅ。その心は?」
「部員のラブコメ見るのが割と楽しいから」
実際のところあの二人……いや、三人か、がお互いのことをどう思っているのかは分からないが、個人的には比企谷くんはどっちかとくっつくんじゃないかなと思っている。
「自分のじゃねーのかよ!! 七之助あんた相当頭焼かれてるね!」
大笑いするゆか姉。
「ほっとけ、個人の嗜好だ」
「随分と趣味の悪い嗜好だこって」
「面白いんだから良いだろ」
「ま、そうだね」
ゆか姉がケラケラ笑い、タバコに火を付ける。
「そういや七之助タバコ吸ってないね、今日」
「明るい青春を送る為にやめた」
「本音は?」
「ゴールデンバット売ってるとこ少な過ぎ」
「そんなこったろうと思った……ほい」
ゴソゴソとポケットを漁ったゆか姉は、目当てのものを取り出したらしく、俺に向かって放り投げた。
お前のポケットはドラ○もんの四次元ポケットか。
「お、バット」
ありがたく頂戴して、ズボンのポケットにしまった。
「全く七之助ちゃんは……生意気にタバコなんて吸っちゃってぇ」
「自分が仕込んだんだろうが……大体、最近はちゃんと夜寝て学校で起きてるからあんま吸ってねえよ……」
いたいけな中学生に余計な事を教えこみまくったクソ女子高生への恨みは死んでも忘れないからな。
「そんな時は学校の非常用階段がオススメだぞ!」
「実体験か」
「実体験。あと、屋上は南京錠かけてるだけだから七之助なら勝手に入れるよ」
満足げな顔で紫煙を吐き出すゆか姉。……サラッと犯罪幇助するのやめてくれませんかねぇ……。今更だけどさ。
「とにかく、良い女には非常用階段とタバコと……あと瓶コーラって相場が決まってんのよ」
そんな相場はねーよ。……いや、どストライクだけれども。
「で、部員に可愛い女の子とかいんの?」
ズイッと、楽しげな顔を俺に近づけるゆか姉。
「んー……、あ、雪ノ下って子がいるんだけど、その子は学校でもトップレベルに可愛いと評判らしい」
俺はあんまりタイプじゃないけど、と心の中で付け加える。
「雪ノ下!?」
心底ビックリしたらしく、おうむ返すゆか姉。
「知ってんの?」
「や、高校の時の同級生に雪ノ下陽乃っていうクソアマがいたなぁって思って」
「クソアマって……。……珍しい苗字だし、姉妹なのかな」
「かもねー。どーでもいいけど」
ゆか姉は興味なさげに呟く。
「ま、雪ノ下陽乃には気を付けな」
「何で?」
ゆか姉が他人に敵意を剥き出しにするのが珍しかったので、思わず聞き返す。彼女は基本的にこういった事を言わない人間だ。気に入らなければ無視するし、余程気に入らない奴は四の五の言う前に潰しているような奴なのである。気に入られない方が、その後の社会生活においては有利なのだが。めんどくさいし、こいつ。
「なんていうかー……見てて面白くないんだよね。気に食わないというか」
これまた珍しく、こいつにしてはえらくフワッとした物言いである。
「私が気に食わないんだから、七之助も気に食わないと思うよ。……何でって聞かれても、私は上手く答えられないけど……」
ゆか姉は「タバコが不味くなっちった」と言いつつ、心底嫌そうな表情でタバコをもみ消した。
「ま、七之助なら、会って話せば一発で分かると思うよ。あんた好みの女って訳でもないし」
「ふーん……。ま、会うことがあったら出来る限り仲良くしてみるわ」
「絶対無理だと思うけどねー」
そう言って、ゆか姉はケラケラ笑った。
「……そろそろ寝たい」
「おりょ? 七之助が寝たいなんて言うの、ここ来るようになってから初めてだなぁ」
「俺は真人間に生まれ変わったんだよ」
「へいへい。そんじゃ電気消すよー」
そう言って電気を消した彼女は、横になったと思うや否や寝息を立て始めた。の○太くんかよ。
俺も横になり、寝相が悪いせいかやたらとくっつこうとしてくるゆか姉を振り払いながら眠りに落ちていった。
バーむらさきをあとにして学校へ向かった俺は、珍しくちゃんと授業を受けていた。
果てしなく面白くなかったが、まあ、面白くないのも青春って奴の一部なのかもしれない。
そして迎えたお昼休み。やる事ないなぁと思いつつも購買でマズそうなパンを買い、ゆか姉が言ってた非常用階段へ向かう。
非常用階段を上り切ると、なるほど、屋上よりもこっちの方がプライベートスペースにはうってつけかと思った。手頃な狭さだし、日向と日陰、どちらもある。
こりゃ良いなと思い、日向に腰を下ろす。
案の定マズかったパンを食べながら周りを見回すと、下で比企谷くんが俺と同じように一人でパンを食べていた。
……あぁ、ぼっちだもんな……俺ら……。
俺は教室で食っても何ら気まずくないけど、比企谷くんのように他人の視線に敏感なタイプには辛いものがあるのだろう。
ぼっちはぼっちでも色々あるよなぁと思いつつ、ゆか姉から貰ったバットに火を付けた。
わたくしこと七里ヶ浜七之助は、禁煙ファシズムに断固抵抗します! とっとと肺がんになってくたばる事をここに宣言します! ……アホか。
両切り特有のストロングな紫煙を肺に入れた。
……ハズレだ。妙な味がする。
こういう味のバラツキもゴールデンバットの魅力の一つである。飽きずに済むから。
何か理由があってこんな味になってたはずだが、すっかり忘れてしまった。
プカプカとタバコをふかしながらぼーっと比企谷くんを見ていると、風向きが変わって、今までとは違う流れに煙が乗った。
「……流れ流され生きるじゃんよってか……。まさしく俺だ……」
思わず零れた独り言に、一人苦笑いした。