みんなああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!すまん!!!こ!!!
「で、逃げてきたの?」
「人聞きの悪い言い方すんじゃねえ。戦略的撤退だ、撤退」
塩っぽい笑みを顔に張り付けたゆか姉に適当に返答しながら、俺は瓶コーラを呷る。何時飲んでもコーラは美味しい。素晴らしいな、ホント。
「ね? 気に食わない女でしょ? 雪ノ下って」
「ああ。ありゃ無理だ。あれ以上同じ空間に居たら突発的にブン殴ってたかも」
言いながら、雪ノ下陽乃の顔を思い返す。なるほど、相当なバイアスがかかっているらしく、物凄くムカつく顔しか思い浮かばない。俺らしくもないと一人自嘲しながら、ゆか姉を見やる。
「きっと七之助の方が私より合わないと思ってたけど、まさかそこまでとはね」
「まあな。ナナほどではないけど、嫌いだ」
まあ、俺がナナを嫌う理由は、見た目だの性格だのの話じゃなくて、もっとガキっぽい理由ではあるのだが。
「でもナナちゃんと違っておっぱいおっきかったでしょ?」
「……そうだな。確かに良い乳してた。ゆか姉の5倍くらい」
「あんたねぇ……」
額に青筋を浮かべるゆか姉を尻目に、ピアノの上で毛繕いをしてる猫二匹の首根っこを掴んで膝の上に置いてから、俺は鍵盤に向かい合う。さて、今日は何を弾こうか。
「そういえば猫ちゃんの名前考えた?」
「黒いスコティッシュの方は……オスだしトノマチとかどうだ?」
これは帰り道、脳裏にちらつく雪ノ下陽乃の顔を極力無視するために考えていた名前だ。自分で言うのもなんだが中々に良い名前だと思う。イケてるといってもいいだろう。
「殿って……可愛くない……」
「オスなんだから可愛くなくて良いだろ。かっけーじゃん、殿」
「あんたのセンスの悪さには相変わらずびっくりするわ、ホントに」
……センス悪いのか、俺。地味にイケてると思ってたのに……いやめちゃめちゃイケてるだろ……。
「じゃあブリティッシュの方はゆか姉が決めろよ。俺はトノマチって付けたし」
「……ショウナン?」
「…………ゆか姉、あんたの方がよっぽどだよ」
メスなのにショウナンって……。
俺はふうと一息ついて、不思議そうな顔でこちらを見上げる猫二匹改めトノマチとショウナンの頭を、適当に決めちまってごめんな、という意味を込めて乱暴にかき混ぜた。
月曜日。この世の憂鬱を一言で表すならば、それはきっとこの言葉だろう。で、この世の祝福は日曜日。救済を感じる。なるほどサンデーじゃねえの。あ、水曜のサンデーの話でもアイスのサンデーの話でもないです。ついでに言うとそろそろサンデーがゲシュタルト崩壊してきた。
まあ、そんな訳で月曜日だ。
別に学校が嫌いなわけでもないので、俺は何時も通りにバー紫の冷蔵庫から瓶コーラを一本くすねて学校へと向かう。
日曜日の晴天が嘘のように外は曇っていて、どうにも気分が乗らなかった。
「早く明けねえかな、梅雨」
「来週には明けるらしいぞ」
振り返ると、そこには自転車から降りる比企谷くんがいた。
珍しいことだ。比企谷くんは知り合いを見つけても、無視してさっさと学校へ向かうタイプだと思ってたけど、どんな心境の変化なのだろう。
「そうなんだ。夏になったら男二人で海でも行こうぜ。ナンパしに」
「一人で行けよ。夏休みは家で休むべきだ。休みなんだから」
「そんなこと言ってるといつまで経っても童貞だぞ、比企谷くん」
「てめえもだろうが」
「………………えっ?」
「…………えっ」
「あ、ああうん、そうだそうだ、童貞だったわ。前世の記憶が蘇ってきて童貞じゃないみたいな錯覚しただけだわ」
「なんで朝から妙なダメージ受けなきゃいけねえんだよ……クソ、話しかけるんじゃなかった……」
気分を害したのか、そう言って比企谷くんは自転車のサドルへ腰を下ろした。
「冗談だよ冗談! 折角なんだし、雑な談に花咲かせようぜ」
比企谷くんの方を見やると、彼は胡乱げな顔をしながらも自転車をもう一度押し始めた。
「そういえばさ」
「なんだよ」
「由比ヶ浜さんとなんかあったのか?」
言って、比企谷くんを見ると、比企谷くんは出し抜けに撃たれたような顔でこちらを見ていた。
「そんな驚くことじゃあないだろ。見てりゃ分かる」
「……ちょっと、色々あってな」
それっきり比企谷くんは口を噤んだ。
「なんでもいいからとっとと終わらせてくれよな。これ以上ギスギスしはじめるんなら、俺はここで抜けさせてもらうぞ」
「……平塚先生はどうするんだ?」
「脅し? 先生は関係ないだろ。俺は楽しくないことに時間を費やすほど暇でもマゾでもないからな」
そうだ。俺はこういう人間なんだ。
薄情だと思われたかもしれない。でも、これが生まれもっての性分というやつなのだから仕方ない。
「だから、これ以上あの箱の居心地、悪くしないでくれ」
そう言って比企谷くんの目を覗き込むと、彼の目は相変わらず腐っていて少し笑えた。
「まあ、善処はするが。ていうかお前昨日すぐ逃げやがって。あの後大変だったんだぞ」
「あー、それに関してはもう全面的に俺が悪いわ。ごめんち」
「いや良いけどよ……。何で急に逃げたんだ?」
「あの人嫌い。超嫌い。どれくらい嫌いかっていうとゼロカロリーのコーラくらい嫌い」
「……まあ、分からんでもないが。あと喩え下手すぎな」
比企谷くんはそう言って俺の最上級の貶し言葉をバッサリと切って捨てた。そんなにダメか、この喩え。絶妙だと思うんだけど。
「まあ、俺もあの人は苦手だけどな。誰だってあんな底の見えない人とは、そうそう付き合いたくないだろ」
「……底が見えない、ねぇ」
「なんだよ」
「底が見えないってだけで、浅いか深いかは別問題だろ?」
「へぇ、珍しくやけに辛辣じゃねーか。なんか思う所でもあるのか?」
言って、こちらを覗き込む比企谷くんの視線を嫌って、俺は脇道のゴミ箱に焦点を合わせる。
「別に。ああいう訳知り顔が苦手ってだけだ」
これは嘘じゃなかった。俺はああいう、つまらない顔をしていた人間を、少なくとも一人知っている。
「訳知り顔ねぇ。あの雪ノ下雪乃に『あらゆる面で自分を凌ぐ』なんて言わしめる人なんだ。そうなっても仕方ないんじゃねえの?」
比企谷くんの言葉に、自分でも分かるほどに表情が酷く歪んだ。
「つまり、何でも出来ると?」
「まあ、有り体に言えばそうだな」
「くっだらねぇ」
吐き捨てて、俺は水色のゴミ箱を睨みつける。
「なんでも出来る、なんて思い上がりだ。増上慢も甚だしい」
そう言って俺は、たまたま足元にあった石を思いっきり蹴り付けた。
そんな奴、居て良い訳がない。この世界は、一人で成り立つものではないのだから。
確かに、才能というのは全ての人に平等に与えられている訳じゃない。それでも、人が人であるためには、その人にしか出来ない事が存在しなければならない筈だ。
もし本当に、『何でも出来る』奴がいるとするならば、そいつはきっと、永遠に何者にもなれないだろう。
そんな奴を規定出来る『型』を、俺たちは持っていないのだから。