ようやく二巻本編開始
「マイボーニライオーバジーオーシャー……」
昼休みに何となく来た屋上、一人ボーイソプラノでスコットランドの民謡を歌う。
ちなみに俺は歌を歌うのも好きだ。○ASRACに金を出したくはないのでこんな歌を歌う気しかないが。
「……飽きた」
ここにトランペットかハモニカでもあれば間奏部分を演奏するのもやぶさかではないのだが、残念ながら俺のポケットに入っているものなんて精々タバコとライターくらいだ。つくづくクソ野郎である。
急激に暇を持て余し始める。とりあえずタバコに火を付けてみるが、どうにも落ち着かない。何か面白いこと無いかなぁ。
その時不思議なこと……でもないが、屋上のドアがバンと音を立ててしまった。誰か来たのだろうか。
貯水タンクの上から入り口の方を見ると、そこにはマイエンジェル川崎さんが相変わらず不機嫌そうかつどこを見ているか分からないよう目をしながら、一直線にこちらへ歩いて来ているのが見えた。
「……いた」
そのまま貯水タンクへ上がってきた川崎さんは、俺を見ても表情を全く変えずにそう言った。
「何? 俺のこと探してた感じ? やーやー困っちゃうなぁ!」
「バカじゃないの?」
「そんなツンケンしたところも素敵! 抱いて!」
「はぁ……。七里ヶ浜だっけ。今日はライター持ってたんだ」
呆れたようにため息を付いて、俺の求愛を無視するように俺が咥えているタバコに視線を移す川崎さん。
「前はオイル切れてただけだからね。あと、呼び方は七之助で全然構わないよ。むしろそっちで呼んでくれたらもう川崎さんのストーカーになるくらい嬉しい」
ポケットからやたらといかついジッポーを取り出して笑う。こんないかついライターは俺の趣味ではないのだが、ゆか姉に貰った──というより首輪のつもりなのだろうが──ものなので、仕方なく使っている。ゆか姉はやたらと俺に物を持たせようとする奴なのだ。
「……教室いる時と全然違うし」
「キャラ作り必死だからな。これが素」
こんなんが素なわけがないだろう。これが素だったらとんだ狂人だぞ、俺。材木座くんも目じゃないレベルでアタマおかしい。や、別に材木座くんのアタマがおかしいって言いたいわけじゃないけどさ。
「嘘でしょ?」
「そうなんですよ川崎さん」
どこぞのワイドショーみたいなセリフだったが、川崎さんは全く気付かなかったようだ。そもそも世代じゃないし気付く筈がない。こんなんに気が付くのはゆか姉くらいだ。
「まあ何でも良いけど……」
そう言った川崎さんは、制服のポケットから百円ライターを取り出し、それを弄び始める。
特に話すこともない上、下手に話しかけると嫌われそうなので、俺も黙ってタバコを吸うことにした。
そうやって五分ほど無言の時を過ごした俺たちの耳に、またもや屋上の入り口が開閉する音が聞こえた。
今度は川崎さんと二人で入り口を注視──二人で注視って何かエロいな──すると、入ってきたのはなんと比企谷くんだった。
比企谷くんは、初めて川崎さんがここに来た時のようにキョロキョロ辺りを見渡している。
その時、一陣の風が屋上を吹き抜けた。
比企谷くんが持っていた紙がヒラヒラ飛ぶのが視界の端に映ったが、無視して俺は川崎さんのスカートを凝視した。凝視全一と呼ばれた俺の実力、見たけりゃ見せてやるよ。
「……バカじゃないの?」
しかし川崎さんはスカートをしっかり抑え、蔑み混じりの顔でこちらを睨んでいた。
残念ながら、川崎さんは全部読んでいたらしい。どこのカンフース○夫ファイターだ。
しかし、この程度でくじける俺ではない。俺は川口探検隊も真っ青な、往年の上○湯隆も思わず蘇ってもう一度サハラ横断に挑戦するほどのチャレンジ精神を以って、躊躇いなく三メートル程の高さがある貯水タンクから飛び降り、バキで学んだ五点着地を華麗に決める。
衝撃を分散するために回転する最中、俺は確かに川崎さんのパンツを見た。
──黒の……レース……!
……ま、だからどうしたって話だけど。俺は立ち上がり、未だにヒラヒラ飛んでる紙を人差し指と中指で挟んでキャッチして、ボーッと貯水タンクの方を見る比企谷くんを見る。
「さ、サンキュー……。……つかアレ、ちょっとやべーんじゃねえの?」
俺が急に飛び出てきた事にはさして驚かなかった様子の比企谷くんが、貯水タンクの上を指差す。そこには川崎さんが立っていた。当たり前だろ。何がヤバいんだよ。
「川崎さんがどうかしたのか?」
「川崎さんっていうのか……。や、すげえ顔真っ赤っかだぞあの人。確実にお前のせいでキレてるだろ」
「パンツ見られたくらいで怒るなよな。てか比企谷くんも見たんだろ?」
「み、見てねえよ……」
比企谷くんは白々しく目を逸らし、下手くそな口笛を吹き始めた。某ネズミ王国のマーチだった。逮捕されちゃうぞ。
「黒の?」
「レース……っ!」
見事に誘導尋問に引っ掛かった比企谷くんを尻目に、俺は手に持ったプリントを見た。
どうやら職場体験の希望書らしい。比企谷くんの希望欄には、大きく『自宅』と書かれていた。
「……平塚先生、三人一組って言ってたから、もしこれが通ったら、クラスメイトが比企谷くんの家に大挙して乗り込む事になりそうだけど、そこは大丈夫なのか?」
「……なんてこった。クラスの奴が俺んちに来るなんて絶対に嫌だ……」
気持ち悪いもんな。俺も自分の家に家族以外は出来れば入ってこられたくないし。ちゃんとスリッパ用意して置いてあるのに無視して履かずに上がってくる奴はキモイから死滅して欲しい。
ゆか姉とか楽太郎くらいに親しい人間なら大丈夫なんだけど、とかく他人というものは気持ち悪くてかなわない。
一人怨嗟を募らせていると、川崎さんが貯水塔の梯子を下りる音で現実に引き戻された。
「…………」
……も、ものすごい睨まれてる……。ていうか、そんなに見られたくないパンツならもっとスカートを長くしろ。そっちの方が俺の好みだし。
「何か言う事ないの?」
オーラが漂っている……。審問撃ったら相手がラスゴ握ってた時並みのプレッシャーを感じる……。
「アネキ、こいつも見てましたよ」
というわけで単体除去じゃなくて全体除去になるようにしてみました。比企谷くん、恨むなら自分の間の悪さを恨んでくれ。
「て、てめぇ……」
すまんな比企谷くん。しかし、科学の発展に犠牲は付き物なんだ。諦めてくれ。……科学も発展も全く何一つ関係ないけど。
「あんたが見た事実に変わりはないでしょ」
瞬間、川崎さんの拳が俺の腹部にめり込んだ。なるほど。空手をやっていただけあって、中々良い当身をする。この当身なら簡単に搦め手へも移行出来るだろう。
「ふぐっ!」
大してダメージが大きかった訳ではないが、大袈裟に声を上げながらとりあえず前へ倒れ込んだ。当然もう一度パンツを見るためである。
「っ、死ね!」
俺の意図に気付いた川崎さんが声を荒げる。
短いスカートと黒のレースが躍動するのと同時に、彼女の足が高速で振り抜かれんとする。どうやら次は踏みつけられるらしい。……あ、……これは流石に、ヤバ……。
「という夢を見たのさ!」
目覚めると同時に叫ぶ。
どうやら誰かが部室へと運んでくれたらしく、ギョッとした顔の雪ノ下さんがこちらを見ていた。
「……あれ、まだ昼休み?」
他の面子が見当たらなかったので、昼休みのようだと当たりを付ける。
「放課後よ。由比ヶ浜さんは中々来ない比企谷くんを探しに行っ」
「ゆきのーん! ヒッキー全然見つかんない! 人に聞いても誰それって言われるだけだし……って、しちりん起きたんだ」
「……何かさ、気絶した人の扱い方ってこんなんじゃなくない? 大体さ、普通運ぶんなら保健室じゃない?」
「なんならそのまま永眠してもらってもこちらは一向に構わないのだけれど」
軽口を叩く雪ノ下さんに、こちらも軽口で返そうかと思って開いた口を途中で閉じる。
このまま軽口を言い合うのも面白いかもしれないが、ここはもっとエキサイティングな軽口をチョイスしよう。
「出来れば雪ノ下さんに膝枕とかしてて欲しかったなぁ」
「……うざ」
雪ノ下さんは、まるで動じずいつものようにそう言った。どうも俺の言う事は全て、立て板に水とばかりに流す気らしい。酷い話だ。
「……確かにあなたは嘘を付くのが上手だから、あなたの嘘を見抜くのは少々骨だけど、それならもっと簡単に、あなたの言う事は全て嘘だと考えるのが合理的な方法でしょう?」
「全ての七里ヶ浜七之助は嘘つきですってか?」
「あなたはいつからクレタ人になったのかしら」
クスりと笑う雪ノ下さん。
「く、くれたじん……?」
キョトンとしながら俺たちを見る由比ヶ浜さんに、心の中で少しだけ苦笑する。ホント、何の話してるんだよ。
「……比企谷くん探すんだろ? 手伝うから、はやく行こうぜ。ほっといたらすぐ帰りそうだし、比企谷くん」
「そ、そうだね……あ、ゆきのんも一緒に行こうよ!」
「いえ……私は……」
「何だよノリ悪いなゆきのん」
「どうやら死にたいようね……」
「もー! 二人とも早く行こうよ!」
由比ヶ浜さんが廊下から俺たちへと手招きする。
「……ほら、行こうぜ。由比ヶ浜さんの頼みなんだ。どうせ断れないんだろ?」
雪ノ下さんへ問いかける俺の声は、どこか笑いを含んでいた。なんとなく、この二人のこの、奉仕部という隔離病棟に相応しくない関係がおかしかったのだ。
ホント、二人で仲良く何処へなりと行けばいいのにな。
「……あなたの言葉の意味はわからないのだけれど、あまり無下にするのも悪いし早く行きましょうか。別に私が由比ヶ浜さんの頼みを断れないというわけではないけれど、一般論として部内での人間関係は大切にするべきよね、ええ」
高速で捲し立てる雪ノ下さんが余りにおかしかったので、彼女に気づかれないようにこっそりと笑う。気付かれるとまた雪ノ下さんに噛み付かれて由比ヶ浜さんにどやされる。
「じゃ、行きますかね」
俺はそう呟き、立ち上がりながらさっさと出ていった雪ノ下さんを見送るのであった。
部室をあとにし、三人で廊下を歩き始める。
「ところで目星は付いているのかしら」
「多分職員室だろ」
「え、なんで? ヒッキーまた平塚先生に怒られてるの?」
「比企谷くん、昼休みに職場体験の希望所持ってたんだけど、それに書いてあるのが中々ひでー内容だったから」
屋上でのことを思い出しながら由比ヶ浜さんに答える。黒いレースが脳裏を横切るどころか反復横跳びを始めていたが全て無視した。
川崎さんがここにいればからかっていただろうが、残念ながら彼女はここにいない。あんなのからかうネタくらいにしかならないのだから、相手がいなければ無駄なものである。今度から川崎さんのことは黒レースちゃんと呼ぼう。
「なんて書いてあったの?」
「希望場所『自宅』と、いつも通りの小理屈。働くのはリスクを払いリターンを得る事だとかなんとか」
彼はリスクを払うのを厭っているようだが、俺はむしろリスクとスリルを愛する男なのでその点では彼より社会人に向いているかもしれない。人生常にプリフロップオールインだ。俺の方がよっぽど社会人に向いていない。ジャンキー一歩手前だ。むしろ両足突っ込んでるまである。
「彼は相変わらずなのね……」
雪ノ下がこめかみを軽く押さえながら零す。彼女からすれば、比企谷くんの更生が上手くいっていないというのは業腹な事なのかもしれないな。
「いやそれにしても、比企谷くんと結婚する人は稼ぎ頭になるわけだから、頑張って勉強とかしないといけないんだろうなー」
話題を転換させようとして俺が白々しくそう言うと、由比ヶ浜さんは何やらブツブツ一人で呟き、大きな胸の前で小さく拳を握っていた。うむ、学生が勉学に励むのは良い事である。
「……そのような優秀な女性が彼を選ぶ事はなさそうなものだけれど……」
雪ノ下さんがボソリと呟いた言葉は聞かなかった事にして、俺たちは更に歩を進める。
そんなこんなで七之助と奉仕部の愉快な仲間たちは、無事に職員室前まで辿り着いたのである。
ちなみに俺が職員室への行き方を知らなかった事で、愉快な仲間たちがパーティーを解散しようとしたことは秘密である。
川なんとかさんが暴力系ヒロインじみてましたが、やられても仕方ないということで一つ。
あと今回はやたら主人公がチャラいです。誰一人として相手にしてないですが。