調律者は八神家の父   作:鎌鼬

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Ⅴ 貴方を想う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーあ」

 

 

布を外した瞬間、私の視界は全てが黒に染め上げられる。

 

光源なんて欠片もない。

 

永遠に目の慣れることの無い漆黒の闇。

 

ここにあるのは否定する為だけに存在する闇だけ。

 

その世界においては私こそが異物。

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 

右足の感覚が消えた。

 

股の下からすっぽりと。

 

まるで元々無かったかのように。

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 

左腕の感覚が消えた。

 

肩から先がすっぽりと。

 

あの日失った右腕のように。

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 

やはり私にはこの【闇】を越えることなど出来なかった。

 

布を外したことで、こうなったのだとすれは、この【闇】こそが時雨の全て。

 

あの底辺の様な環境下で生き、彼が母と慕う人物によって育てられ、そして正義を謳う集団にその母を奪われたことで成長した時雨の心の【闇】。

 

 

だとすれば抗える道理はない。

 

 

この【闇】を否定することは時雨を否定することに繋がるのだから。

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 

首から下の、体が消えた。

 

残っているのは頭、それも右目だけ。

 

なぜそこだけを残したのかはわからない。

 

この【闇】を見続けていろという意思なのか。

 

見続けていることなど出来るわけがない。

 

私たちがいなければ、私がいなければ、時雨たちがこのような事態に巻き込まれることはなかったのだという罪悪感で押し潰されそうになる。

 

それはそうだろう。

 

闇の書がはやての元に現れなければ、はやては足を悪くせずに、健康でいられたのに。

 

私がいなければ、時雨は自分の腕を切り落とさず、あのように堕ちてしまうことなど無かったのに。

 

だから、私は目を閉じよう。

 

罪滅ぼしになるわけがない。

 

しかし私が消えることこそが今の私に残された唯一の償いなのだ。

 

だから、私は目を閉じてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?」

 

 

その時、残された右目が、有り得ない物を捉えた。

 

ここは【闇】、時雨が今の生き方を選ぶに至った根源とも言える存在。

 

時雨をあのような姿に落としてしまった私が裁かれるべき場所。

 

弱い私では、この【闇】を越えることなど出来なかったというのにーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー何してるのさシグナム、ボサッとしてると置いていくぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八神時雨(かれ)

 

 

その【闇】の中で

 

 

誰よりも私の到達を

 

 

心待ちにしていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 

体が無くなり、冷めていたはずの心臓が鼓動を打つ。

 

それと同時に体に熱が籠る。

 

【闇】に呑まれて消えていたはずの胴体の、腕の、足の感覚が熱と共に帰ってくる。

 

暑いなどという表現では生温い。

 

全身が燃えている様な熱さが【闇】に屈していた私を動かす。

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアァ」

 

 

体の細部、指の先等は当たり前、髪の毛はもちろんのこと産毛まで神経が張り巡らされたかのように知覚することが出来る。

 

あぁそうだ、この【闇】はあくまで時雨が抱えていた物に過ぎない。

 

この【闇】を抱えていながらも、彼の生き方は彼が選んだのだ。

 

家族と呼んだ者たちを守ると。

 

自分が守りたいと願っていた者たちを、命を賭けてたとしても守ると。

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー誰がボサッとしてるだと?」

 

 

ならばこの【闇】など気にすることなど無い。

 

全身に籠る熱に従い、ヘバり着く【闇】を引き剥がす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー時雨こそ!!置いていかれるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【闇】に浮かぶ、時雨の姿を踏破するーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーあぁ、安心したよ。やっちまえ、やっちまおうぜシグナム。お前なら、【アレ】()殺せる(すくえる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【闇】に浮かぶ時雨の姿を追い越した瞬間、優しい声が私の耳に届いた様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が現実に戻る。目の前に立つのは斬られた断面を手で押さえて塞ごうとしている時雨の残滓。無論、そのような雑な処置で傷が塞がるわけが無い。しかしそれも時間の問題。【アレ】ならば時間の経過と共に活動に支障の無い程度まで回復してしまうだろう。

 

 

故に、勝負は一瞬。刹那よりも早く決まる。

 

 

思考は冴えている。

 

自分とこの腕から与えられている戦力は把握している。

 

創造理念、基本骨子、構成材質、制作技術、憑依経験、蓄積年月の再現による物質投影。

 

魔術理論・世界卵による心象世界の具現、魂に刻み込まれた『世界図』をめくり返す固有結界。

 

時雨が蓄えていた戦闘技能、経験、肉体強度の継承。

 

訂正、肉体強度の読み込みは失敗。

 

斬られれば殺されるのは以前のまま。

 

固有結界“Unlimitedbladeworks”(無限の剣製)使用不可。

 

時雨が引き継いだ世界と私の世界は異なっている、再現などすることはできない。

 

複製出来るものはシグナムが見たものか、彼が記録した宝具のみ。

 

右腕から宝具を引き出す場合、使用目的に最も適した宝具を“Unlimitedbladeworks”(無限の剣製)から検索し複製する。

 

だが注意せよ。

 

投影は諸刃の剣。

 

一度でも行使すれば、それは自らのーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーー」

 

 

呼吸を止めて、全魔力を布のはためく右腕に叩き込む。

 

把握するのは使える武装のみでいい。

 

注意事項など先刻承知。

 

もっと前へ。

 

あの【闇】を越えて、私は彼を打倒するーーーーーーー

 

 

「■■■■■■ーーーーーーーーーーーー」

 

 

私の魔力に反応したのか、【アレ】が私の方を向いてきた。

 

 

■■■■(吐■ー■・怨)ーーーーーー」

 

 

そして【ソレ】の手に現れるのは巨大な石造りの剣、いやあの形状であれば斧だと言い換えてもいいかもしれない。

 

ともかく人を殺すには有り余るほどの武装が【ソレ】の手に握られた。

 

黒い、呪詛を形にしたような姿。

 

【ソレ】は断末魔をあげながら、彼の姿で自らの敵を討ちにくる。

 

ーーーーーー八神時雨。

 

彼は堕ちていながら、その本質を変えていなかった。

彼は未だに、私たちを逃そうとする戦いの中にいるのだ。視界は私たちを認識することすら困難になるほどに機能せず、正気を失い、死を迎えながらも、なお私たちを守ろうと戦っている。

 

 

故に、私が彼を終わらさなければならない。

 

 

「ーーーーーー投影、開始(トレース・オン)

 

 

凝視する。

 

【アレ】の石斧をその細部に至るまで寸分違わず余すこと無く透視する。

 

右手を広げ、まだ現れぬ架空の柄を握り締める。

 

桁外れの重量。

 

シグナムではその石斧を扱えない。

 

だがーーーーーーこの右腕ならば、敵の怪力ごと確実に複製しよう。

 

そして投影される石斧を右腕一本で支えきる。

 

 

「ーーーーーーあ」

 

 

ヒビが入る。

 

所詮間に合わせに過ぎないシグナムという器の一部がバシッと音をたてて破裂する。

 

視界にノイズが走る。

 

骨格は腕から流出する魔力に耐えられず瓦解、リンゴの皮のようでみっともない。

 

心配など無用。

 

壊れた個所など、腕が補強する。

 

我が専心は【アレ】の絶殺にのみ向けられる。

 

「ーーーーーーーーーーーーまだだ」

 

 

それでも【アレ】には届かない。

 

現状では同じ武器ーーーーーーいや、投影によって劣化した武器を持つこちらが不利。

 

ならばどうするか?

 

知れたこと、武器を私の望む形にへと変貌させる。

 

 

「ーーーーーー改変開始(リライト・スタート)

 

 

握り締めた石斧が変貌する。

 

無骨な風貌などはどこへ消えたのか、手に握られた斧は機械仕掛けのデバイスへと変貌する。

 

柄がスライドされて巨大な薬莢が吐き出される。

 

 

「ーーーーーー行くぞ」

 

 

迫りくる堕人(おちびと)は一撃では止まらず、通常の投影など通じない。

 

投影魔術(トレース)では【アレ】の死には届かない。

 

限界を越えた投影でなければ、【アレ】を倒すことはできない。

 

故にーーーーーー

 

 

「ーーーーーー投影、装填(トリガー・オフ)

 

 

脳裏に九つ。

 

体内に眠るリンカーコアを過剰駆動そのすべてを動員して、一撃の下に叩き伏せるーーーーーー

 

 

「■■■■■■■■■■ーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

 

 

目前に迫る、振り上げられる石斧。

 

激流と渦巻く気勢。

 

踏み込まれる一足を一足で迎え撃ち。

 

八点の急所に狙いを定め、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全行程投影完了(セット)ーーーーーー是、巨人斬り伏せる百撃(ギカントキルズブレイドワークス)

■■■■■(ナ■ン■イブズ■レイ■ワーク■)!!!!!!!!!」

 

 

振り下ろされる神速を、神速を持って迎撃するーーーーーーーーーーーーーー!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音さえも置き去りにして撃ち合わされる百撃と百撃、その全てが完遂されると思われていたが行われたのは九十一撃目までだった。九十二撃目にして【ソレ】の石斧が弾かれて開いた僅かな隙、その間を逃すわけも無く残された八撃を【ソレ】の急所に渾身の力で叩きつける。

 

 

「■■■■ーーーーーー、・・・・・・!!」

 

 

それでもなお、倒れない。改変された石斧に全身を撃ち抜かれても、【ソレ】は健在だった。

 

 

「はぁーーーーーー!!!!」

 

 

踏み込む。

 

右腕には改変された堕人(おちびと)の振るった石斧。

 

こちらが速い。

 

体の八割以上を失い、殺されかけた【ソレ】よりも私のトドメの方が速い。

 

石斧を胸元にまで持ち上げ、槍のように叩き込む。

 

 

「■■■■■■■■■■■ーーーーーー!!!!!!!!」

 

 

だが負ける。

 

先手をとっても、後手をとった【ソレ】には関係なく。

 

与えられた反則級の特権を臆面もなしに全開投入して、なお負けた。

 

【ソレ】の一撃が迫る。

 

旋風を伴って振り下ろされる。

 

 

「ーーーーーー」

 

 

だがそんなものは無意味だ。例え首を飛ばされたとしても、体を二つに別されようとも、私のトドメは止まることはない。回避などに費やそうとする体を強引に前に向ける。

 

 

そうして私のトドメが、【ソレ】の一撃が、互いに当たろうとしたときにーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「危ない!!」

「ーーーーーーーーーーーーーえ?」

 

 

入ってきたのは、横槍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現れたのは時雨の母が死ぬ原因となった正義の法(ジャスティス・ロウ)を名乗っていた黒髪の青年、【アレ】に集中していたからか現れたことはもちろんここまで接近されていることには気付かなかった。青年が私に飛び付き、私の体制が崩れる。するとどうなるか?私の心臓を狙っていた一撃は外れ、【アレ】の石斧は私を掠るギリギリを通りすぎていく。

 

 

「今だ!!衛宮さん!!」

「ぉーーーーーーー!!!!」

 

 

青年の声に気迫の声と共に【アレ】に迫っているのは赤毛の少年。短剣を手にして【アレ】を背後から狙っている。当然のことながら【アレ】も赤毛の少年の存在に気付き、振り返って石斧を振るおうとする。しかしその体は八割以上を失いどこからどう見ても死に体。先の一撃とこの反応が出来ただけでも僥倖だというのにそれ以上反応したところで体は着いてはいけない。赤毛の少年に向けられたのは【アレ】の視線だけ、石斧は動かない。

 

 

「ーーーーーーーーーーーーーーやめ、ろ」

「■■■■■■■■ーーーーーー!!!!」

 

 

短剣が【ソレ】の胸に突き刺さる。余程勢いをつけて突いたのか鍔の部分まで深々と。その程度では【アレ】は死ぬことはないが抗うことも出来ない。出来た抵抗は苛立たしげな咆哮をあげたことだけ。その間にも赤毛の少年は駆け抜け、反転する。

 

 

「ーーーーーー行くぞ相井」

「ーーーーーーはい!!」

 

 

赤毛の少年の隣に黒髪の青年が並び立ち、【アレ】に向かう。

 

 

「ーーーーーーやめろ」

 

 

やめろやめろやめろやめろやめろやめろ。やめてくれ、それをお前たちがしてはいけない。私がしなければならないんだ。堕ちてなお、私たちを守ろうと戦っている彼を終わらせるのは私でなければならないんだ。

 

 

「「おぉぉぉぉぉぉ!!!!!」」

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!」

 

 

私の静止など、届かなかったかのように二人は【アレ】の胸に突き刺さった短剣の柄を殴り抜き、

 

 

「「Last (レスト)ーーーーーー!!」」

 

 

短剣に魔力が流し込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洞窟内に響き渡るのは爆音。短剣に込められた魔力が火元となって【アレ】その物が起爆剤になった。爆発から身を守るように顔を腕で庇い、腕を退かしたときにシグナムの視界にあったのは、

 

 

「ぁーーーーーーぁぁぁぁ!!!」

 

 

胸から下が無くなって地面に転がっている時雨の姿だった。邪魔をした二人は爆風にでも巻き込まれたのか、離れた場所で倒れていて動く気配がない。そんな時雨の姿を見たシグナムは周囲を警戒することなど忘れて時雨の元へと駆け寄った。先程まで堕ちていた時雨と戦っていた英雄のごとき姿は何処へ行ったのか、今のシグナムは普通の女性と変わりなかった。

 

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」

 

 

転がっている時雨を抱き抱えて、シグナムは泣いた。自分が彼を殺す(すくう)と決めたのに、それが果たせなかった。そんな無念と後悔を抑えること無く悲しみに変えて、シグナムは洞窟内を悲しみの慟哭で満たしていく。

 

 

「ーーーーーーうっ、せぇな・・・・・・」

 

 

そんな時、シグナムの物とは明らかに異なる男の声が聞こえた。邪魔をしてきた二人の物とも違う。その声はシグナムの腕の中から聞こえた。

 

 

「し・・・ぐれ・・・・・・?」

「あぁ・・・シグ、ナムか・・・・・・勘弁して、くれ・・・起き抜けに・・・聞くお前の鳴き声は耳障りだ・・・・・・」

「時雨・・・・・・時雨!!」

 

 

絶え絶えになりながらも時雨の言葉は堕ちていた時とは違いハッキリとしていた。時雨が言葉を発していることが信じられないのか腑抜けたような顔になるシグナムだったがそれが幻聴などではないと分かると今度は喜びに顔を変えた。そして強く、時雨を抱き締める。力加減など一切考えずに、時雨が生きていることを確かめるかのように。そして、時雨から徐々に温もりが引いていくことに気づいてしまった。

 

 

「え・・・・・・」

「聞けやシグナム。()()()()()()()()。なんの悪戯か知らんがこうして話すことは出来るが直ぐに冷たい死体に戻る」

「そんな・・・!!だってこうして!!」

「だからなんの悪戯か知らんがって言ってるだろうが。だから行け。こんな所で立ち止まるな。俺の事を思っているのなら、俺の遺志を継げ。それが俺の願いだ」

「そんな・・・・・・そんな・・・!!」

 

 

堕ちた時雨のことを殺す(すくう)と決めたがその意思はこうして生きている時雨を前にしては消えてしまう。その時雨から告げられるのは非情な別れ。自分など捨てろと言っているのだ。それは時雨のことを想う者からすれば心を引き裂かれるような言葉に違いない。

 

 

「行けやシグナム、そして生きてくれ。はやてと一緒に、ザフィーラと一緒に、シャマルと一緒に、ヴィータと一緒に、ギルと一緒に、御門君と一緒に、シュテルと一緒に、レヴィと一緒に、ディアーチェと一緒に、ユーリと一緒に、お前なら、俺の遺志を託せる。俺の家族を守って、家族と一緒に生きてくれ。それが俺からシグナムに送る呪縛(ゆいごん)だ」

「・・・貴方は酷い人だ・・・・・・貴方が死んだ後、私が何をするか理解しているのでしょう?」

「真面目なシグナムのことだからな、俺を殺した責任とか言って死ぬつもりだったんだろ?そんなことさせねぇよ。シグナムだって俺の守りたい者の一つなんだ、死なれでもしたらゆっくりと死んでいられねぇよ」

「ほんとう・・・・・・ひどいひとだ・・・・・・」

 

 

シグナムの目からはボロボロと涙が流れ、重力に従って落ちるそれは時雨の顔を濡らす。しかし時雨はそれを拭うことが出来ないのか、それとも拭うつもりはないのか、顔に落ちてくる涙をそのままにしてシグナムのことを真っ直ぐに見つめていた。

 

 

「・・・・・・私は、所詮はプログラムで出来た人工生命だ。だからこの気持ちが何なのかは理解することが難しい・・・・・・でも、この気持ちに名前を着けるなら、こうであって欲しい」

 

 

そう言って、シグナムは自分の腕の中で冷たくなりつつある時雨の唇に、自分の唇を押し当てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーー好きです、時雨。貴方のことが、私は誰よりも愛おしかった」

 

 

返事は返ってこないし、シグナムも期待はしていなかった。そして時雨を冷たい地面に丁寧に横たえさせてシグナムは立ち上がり、背を向いてその場から駆け出した。

 

 

後ろ髪引かれる思いだろうと振り替えることはしない。それは彼の遺志を侮辱する行為に他ならないから。

 

 

目から流れる涙を拭うこと無く、シグナムは愛した主と別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ・・・・・・やっと行ってくれたか」

 

 

シグナムが去った後の洞窟で、時雨は溜め息混じりにそう言った。自らの熱が引いていく感覚はそう遠くない内に避けようのない死が訪れることを報せている。長くて後数分か、それが時雨に残された余命だった。

 

 

「くそっ、タバコはあったのに火がねぇな・・・・・・まぁ、こんな生き方なら、しょうがない終わり方かもな」

 

 

奇跡的に残っていた胸ポケットにあったタバコを加えながら火がないことに悪態をつき、時雨は自分の一生を振り返っていた。

 

 

地の底を具現化したような場所で泥水を啜りながら生き、

 

そこで母と呼べるような人物に拾われ、

 

惜しむことのない愛情を与えられながら育てられ、

 

感情の欠落した人形のような生き様に苦悩し、

 

それを補うために他人の真似をして生き、

 

母の助けになればと思い何でも屋を始め、

 

そこで偶然に自分の出生を知ることができ、

 

身勝手な正義の集団が始めた魔女狩りが原因で母を殺し、

 

そしてその世界から正義を名乗る連中を皆殺しにし、

 

最後には呆気ない死に方をして、

 

なんの偶然か新たな生を受けて、

 

そこで新しい家族を得た。

 

 

振り返ってみれば最後はともかく、まるでバッドエンドが当たり前の作家の書いた小説のような悪い人生を送ってきた物だと自虐的な笑みを思わず浮かべる。

 

 

そして気がついてしまった、時雨が自分は今一人であると。

 

 

時雨は孤独を嫌う人間である。無論誰彼構わず近くにいて欲しいと言うわけではない。彼と縁のある人物が近くにいる、それだけで時雨は酷く安心できるのだ。

 

 

それなのに、近くには誰もいない。その事を分かってしまった瞬間、時雨の自虐的な笑みは崩れ落ちた 。

 

 

「あーーーーーー」

 

 

それはまるで人混みの中で親とはぐれてしまった子供のよう。いつものような態度は消え去り、時雨は今にも泣き出しそうな表情になる。

 

 

一人は嫌だ

 

誰かいてくれ

 

一人は嫌だ

 

 

目から涙を溢しながら、時雨は残されていた右腕を虚空に伸ばす。しかしこの場にいるのは気絶した二人だけ、例え起きていたとしても時雨の手を取ることはないだろう。

 

 

時雨の手を取る者は誰もいないーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「泣かないでください時雨。私がここにいますよ」

 

 

いや、いた。誰も掴まないと思われた伸ばされた手を優しく包む誰かの手のひら。体のほとんどを失い、抗いようのないはずの運命(フェイト)に抗い、時雨の手を取ったのは聖剣の闇に呑まれて消え去ったはずの時雨の使い魔、リニスだった。

 

 

リニスは使い魔のラインによって闇の書の騎士たちであるシグナムやザフィーラよりも、誰よりも時雨と深く繋がっていた。だから彼女は自分の死に抗いながら時雨の手を取っている。

 

 

時雨を独りで逝かせたくない。

 

 

そんな大衆からすれば鼻で笑われるような、ちっぽけな願いから、リニスは時雨の死を見届けるためにまだ生きていた。

 

 

「・・・・・・何してるのさ、その死に一歩どころか半身浸かってるような状態で」

「時雨には言われたくないですよ、喩えじゃなくてリアルに体半分無くしてるじゃないですか。私がここにいるのは貴方を看取る為ですよ」

「あぁ・・・・・・馬鹿だなぁ、本当にお前は大馬鹿だよ。こんな人の底辺を煮詰めたような屑のために」

「確かに時雨は人の底辺を煮詰めた上に天日干しまでしてこれでもかって言うくらいに濃縮されたような人類の屑の中の屑です」

「おい言葉が辛辣すぎるだろ。なんで俺が自虐ネタで言ったのに上乗せして返してくれてんだよ」

「だけどーーーーーーーーーーーーそれでも、私が惚れた人なんです。そんな人の最後を見届けたいと思うのは当然でしょう?」

「・・・・・・上げて落とすじゃなくて下げて持ち上げるかよ。この俺も驚きだわ」

「貴方の使い魔ですからね、このくらいは当然の嗜みです。それにしても、シグナムから告白されましたね、この色男」

「まぁね、どこぞのラノベの鈍感主人公じゃないんだから人から向けられる感情は分かってるつもりだよ。リニスとシグナムを除いたら・・・・・・ザフィーラとアルフからも同じ様な感情を向けられてるのは分かってる。スノウは微妙だな、こんな感情を持ってはいけないとか否定されてそうだ」

「あら?シュテルが抜けてますよ」

「わざとだよ、流石にあいつにまでそういう目で見ていたら俺の性癖が疑われることになる」

「そうですか」

 

 

交わされる会話は、互いに死ぬ手前とは思えないような極有り触れた内容だった。しかし、この二人からすればこんな会話だからこそ良いのだ。

 

 

死に怯えながらガタガタと震えているのではなく、

 

笑いながら“そういえば死ぬんだっけな?”と頭の片隅で考える。

 

 

そんな寂しくない終わりこそが時雨の求める終わりであり、リニスも時雨の望んだ終わりを迎えるために死にかけている体を意思の力で否定しながら生き長らえていた。

 

 

「あぁ・・・・・・寝みぃな」

 

 

時雨のまぶたが重たくなる。シバシバと目を閉じ開きさせている様子は徹夜明けを思わせるかのよう。しかしこの睡魔はそんな優しい物ではない。目を閉じれば先にあるのは死のみ。本来なら否定しなければならないそれをーーーーーーーーーーーー

 

 

「ここ最近は色々とありましたからね。御休みなさい時雨、何も考えずにゆっくりと休みましょう」

 

 

 

リニスは肯定した。時雨が死ぬことは時間を遡ることでもしない限りは否定することは出来ない。出来ることは精々僅かな間を伸ばすことぐらい。しかしリニスはそれを否定した。ここまで彼は文字通り身を削りながら走ってきたのだ、だから受け入れる、死と言う終わりの中で、時雨がもう傷つくことが無いことを祈りながら。

 

 

「あ・・・ぁ・・・・・・おやす・・・み・・・・・・リ・・・ニス・・・・・・」

 

 

時雨の目が閉ざされる、か細かった呼吸が止まる、弱々しかった心臓の鼓動が止まる、手のひらから僅かに感じられていた温もりが消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして時雨は、リニスに見届けられながら、独りではない終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えぇ・・・御休みなさい、時雨。急がないでゆっくりと。貴方が守りたかった者は、きっと残った彼らが守ってくれますから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時雨の終わりを見届けたリニスは安らかな顔で眠った時雨の遺体にそう言って、抗い続けた死を受け入れてこの世から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして闇の書の主であり

 

 

とある世界で死神と呼ばれ恐れられた八神時雨は

 

 

使い魔であるリニスと共に

 

 

この世を去った

 

 

 


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