播磨拳児が奈良に流れ着いた場合の第40話
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十一月にもなれば日が沈むのは早く、学生が部活を始めようとするころには空の端の色が入り混じっていることも当たり前になってくる。同時に気温が下がることもあって、とくに屋外で活動を行う運動部にとっては消化不良の季節と呼ぶこともできそうだ。
教室でも通学路でも楽しそうな話し声が飛び交う放課後は穏やかなもので、風景の一部として切り取ればポートレートとしての価値さえ持つかもしれない。どう考えたって平和が一番で、そんなことはいちいち誰も意識に持ってくることもない。これから始まるのもある意味ではそんな一幕ではあるのだろう。当人たちにとってどうであるかは知ったことではないが。
男女ふたりが連れ添って歩く様子など、文字の並びだけを見れば青春の一ページを想起させる。しかし事ここに至ってはそう簡単にはいかないらしい。まずはシルエットだけで整理すると、明らかに平均的な男子高校生の体格を飛び越えた筋骨隆々が先に立っている。眼鏡でもかけているらしい影がそこには浮かんでいる。後ろに続く少女は体格的には小さめと言えそうだが、特徴と呼べそうなのその部分ではない。頭の横に下向きの三角形が揺れている。こんな髪型など全世界を探したってそうはいないだろう。はっきり言ってしまえば彼ら二人は、少女に関してはグラサンヒゲメガネがやってきたことによる弊害と言えるかもしれないが、晩成高校の問題児といえば生徒の九割がピンとくる二人であった。
二人の歩くペースは遅く、拳児は死ぬほど面倒そうな表情を隠しもしない。ただ、やえのほうが頭をどこかにぶつけたらしく、後頭部に手をやって下を向いたまま歩いているせいで拳児のその表情には気付いていないようだった。状況から推測するに保健室に行くのか、あるいはその帰りかのどちらかなのだろう。
「くぅ、屈辱だ……。なんであんなところに教卓があるんだ……」
「いやトーゼンだろ、黒板の前なんだからよ」
やえは自分の頭をさすっている。かなり強くぶつけたのかもしれない。
「というか播磨、なんで付き添いがお前なんだ」
「保健委員とかいうのが俺様だからだそうだ、メンドクセーったらねーぜ」
「お前保健委員とかいうキャラじゃないだろうが……」
「うるせーな、ホームルームで寝てたら勝手に決められてたんだから仕方がねーだろ」
「なんでその辺真面目なんだ」
痛みのせいか力弱いツッコミは秋の廊下の空気に吸い込まれるだけだった。
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紀子は手元のスマホがある人物からの着信を告げているのに気づいてため息をついた。たとえば昼休みとか夜に来た連絡であればこんな反応はしない。唯一この放課後になった直後の時間に来る親友からの連絡だけは、さすがにもううんざりするのだった。しかしこの電話を紀子は取らなければならない。それは使命感とか、慈悲の心などといった崇高なものから生まれる行動では決してない。放っておくとスマホが鳴りっぱなしになるか鬼のように電話がかかってくるからだ。どう転んでもロクな方向には転がらない。だから彼女はため息をつかざるを得ないのだった。
振動パターンが二回繰り返されたのを確認して、紀子はゆっくりカバンに手を伸ばした。馴染んだスマホカバーの感触に知らず知らず安心して、そうして手慣れた様子でスマホを耳へとあてた。
「いちおう聞いてあげる。どうしたの、やえ」
向こうから流れてくるあまりにも予想通りの返答に脱力感を覚えて、紀子は廊下の壁に背中を預けた。向こうから聞こえてくる声が真剣そのもので、なんというか感情のうまい収めどころが見つからない。わかったわかったと適当にいなしながら居場所を聞いて、紀子は足の向きを変えるのだった。
空き教室のドアを開けると待っていたのは、どうだと言わんばかりに腕組みをして仁王立ちをした二人組だった。片方は少女らしい身長と顔の造作も相まってかわいらしいと表現できそうだったが、もう片方は学生服でなければ手下さえ従えていそうなスジモノのオーラを放っている。どちらも意味合いは異なるが、そのポーズが驚くほど似合っていた。しかし紀子を待っていただけのはずなのに、どうして拳児もやえも得意げな顔をしているのかがわからない。いや実は紀子はその理由に対するだいたいのところの結論を導いてはいるが、二人の名誉のために言葉にはしていないというのが本当のところだった。
これまでさんざんこの晩成高校においてぶつかり合うことで事件を起こしてきたこの二人だが、その解決方法を知るものは驚くほど少ない。四月のクラス替え直後の事件もそうだし、大きいもので言えば体育祭が記憶に新しい。どうにせよ放課後になってすぐ呼び出されたということはそれに連なるものに間違いはないし、紀子はあえて原因が何かを聞くつもりはもうなかった。原因を知ったところで事態が好転するとは到底思えなかったからだ。
「よう、待ってたぜ。あー、えーっと、中林」
「だから丸瀬だっての、そろそろ名前くらいは覚えてよね」
「おい播磨、それは失礼だろう」
「わーったよ、悪かった。これが終わったら覚える」
その場で覚えるのが普通だろう、というか覚えてないっておかしくないかと拳児を除くふたりは思ったが、彼がそんな通常の物差しで測れるはずもない。そして拳児は嘘をつかないから、本当に丸瀬紀子の名前を覚えていなかったし、これから始まる用事が終わらない限り覚えないのだろう。拳児に関してはいろんな方面から諦めの声が挙がっており、言うまでもないことだが紀子もそれに従っていた。
ちょうど拳児とやえのあいだの奥に机がひとつぽつんとあって、その上に絵本のような厚さのものが置いてある。二人の立ち位置のせいでそれが強調されたように見えた紀子からすると、それがいやに気にかかる。それに目を奪われていると、明るい声が飛んできた。
「うむ! さすがは紀子だな、今日はそれが種目だ!」
「え、ああ、あれ何?」
「ヲーリーを探せ、だ」
額に手をやって深いため息をつく紀子の姿は、なにか思い病状を宣告されたかのようにさえ見えた。こんなことに四十回以上も付き合わされているのだから彼女のリアクションも頷けるだろう。平等なかたちで決着をつけるならジャンケンでいいじゃないかと思っているのだが、目の前の真剣な様子の二人には言い出せないのであった。
「私がこの勝負で勝てば、小走やえは抜けている、というのは撤回だ。いいな?」
「逆に俺様が勝ったときの意味は理解してんだろーな」
「はン! 始める前に負けることを考えるのは二流三流のやることだ、ってね」
聞いてもいないのに賭けているものを説明されて、死ぬほど気のない感じでなるほどねーと紀子は呟いた。それとは別に彼女には気になることがあったので、せっかくということで聞いてみることにした。
「つか、どっから持ってきたのこれ。うちの図書室にはないでしょ、小学校じゃあるまいし」
「このあいだ本屋に寄ったらたまたま見つけてね、買った」
「三冊も!?」
「ま、いずれこんな日が来るだろうとは思っていたからね」
( 駄目だ、やっぱりやえはバカだったんだ…… )
まだビニールに包まれているところを見ると本当に開けてさえいないのだろう。この勝負シリーズは常に平等な戦いを標榜しており、どちらかが事前にわかる有利を持ってはいけないというルールが定められている。たとえばやえは麻雀を種目に選んではいけないし、拳児は運動系の種目を選んではいけない。変なところで律儀なところのある二人はいちいち言葉にせずにこのルールを守っている。どう見ても仲がいいとしか思えない。この前はビンゴゲームでどちらが先に上がれるか、その前はスーパーマリ○を互いに三十分ずつプレイしどちらがよりステージをクリアできるか、さらにその前は人生○ームとおそろしく平和な対決を続けてきている。もちろんすべての審判を務めているのは丸瀬紀子であり、途中でキレて帰らないことはもっと評価されて然るべきだろう。
バカとバカが机を並べて座り、紀子が二人の前の机に向かい合って座る。彼らが各ページのヲーリーを見つけたら紀子に報告して答え合わせをしてもらい、正解なら次のページへ進む。もしもハイレベルな試合になった場合にはヲーリーではなく、冊子の後ろのほうのページに書いてある特定の人物を探すことも今回のルールに加えられた。
「はい、はじめー」
絶対に効果がないどころか作業能率が落ちそうなのに、うおお、だの、わああ、だの声を出しながらヲーリーを探す姿はどう見ても高校三年生には見えなかった。実際、紀子はテキトーにページを眺めていたが二人よりも先に目的の人物を見つけることができた。
「っああ! なんでお前ちょっと違うんだ!? どこだ!?」
「クソ、どいつもこいつも邪魔しやがる! 浮き輪の模様じゃねーか!」
一生懸命になれるのはいいことだよね、と西日の差す教室で紀子はそんなことを思う。もう十一月で、高校三年生は大学受験の追い込みの時期である。この、ほほえましいとしか言いようのない対決に彼女が立ち会っているのは、実は息抜きの側面もあった。その辺りのことを考えると丸瀬紀子も意外と大物なのかもしれない。