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「いやー、学食タダてめっちゃ太っ腹やんなぁ、辻垣内」
「そっちの移動する費用と時間の代わりにこっちが寝床と食事の提供なんだろうさ」
「ほー、ようそんなんパッと出てくるなぁ」
親子丼を乗せたお盆をテーブルに置きながら洋榎は智葉と軽口を叩きあう。ふたりは学年の数字がまだ若いころから全国に名を馳せた東西を代表するエースプレイヤーであり、そういうこともあってか知り合ってからそれなりに長い。もちろんお互いに麻雀という競技で譲るつもりはないが、だからといってそれ以外でも反目しあっているかと言われればそんなこともない。この場に揃っているのは全員が麻雀部員であるが、それ以前に女子高校生なのだ。確実に共通する話題がひとつあるのだから仲良くしたいと考えるのも当たり前の話だろう。さっそく他のテーブルでもそれぞれ新しい関係を構築しているようだ。
洋榎と智葉のテーブルに恭子が加わって談笑が続く。
「もうホンマ勘弁してくださいよ、大声でうちの名前呼ぶことないやないですか」
「ええやん別に。知らんもんがいるわけでもなし、勝手知ったるうちときょーこの仲やしな」
「アホ言わんとってくださいよ、迷子の呼び出しやあるまいし」
目の前の姫松のふたりのやり取りに智葉は口元に手をやってくつくつと笑っている。よく見れば目尻にはうっすらと涙まで溜まっている。口早に言葉を交換しているのにどうしてか音ははっきりと聞き取れて、騒いでいると形容してもいいくらいの応酬なのになぜか不快には感じなかった。食堂の雰囲気は実に暖かで、離れたところに席を取っている他の部に所属する生徒たちも、留学生の多い学校の特色なのか制服の違う姫松をとくに気にしている様子もなかった。
いつしか智葉の抑えた笑いも治まって、話題はおそらく今現在の日本でもっとも注目の集まっている男子高校生である播磨拳児のものとなっていた。意外なことにその話題を切り出したのは智葉であった。
「ほう、あれで面倒見がいいのか」
「たぶん信じられんと思いますけど人当たりも別に悪ないんですよ……」
「まだ来て一か月やけどもう部のまん真ん中におるしな」
「指導者としてはどうなんだ?」
「口出す頻度はそない多くないですけど、考えさせることを言いますね」
「寡言にして意図深し、か。優秀のようだな」
「かげ、え? なんて?」
「そういえば当の播磨見てませんね」
「ああ、すまない。あっちでウチの連中に捕まってる」
「無視は洋榎ちゃん拗ねるでー?」
―――――
いっしょに漫と智葉の対局を見てからそのままずるずるとネリーと行動を共にして、気が付けば拳児は昼食のテーブルにも引っ張られてきてしまっていた。少しの時間をネリーと行動して判明したことだが彼女はどうやら愛されるタイプの人であるらしく、見る卓を変えるたびに臨海の部員たちからちょっかいをかけられていた。そのたびに子供のようにじたばたとしていたが、むしろそれが原因なのではないかと拳児は思う。それとは別にネリーの麻雀に関する感覚はおそろしく鋭く、拳児はそれを聞いて感心しながら相槌を打っていた。麻雀の勉強を頑張っているとはいえまだまだ時間は足りず、それだけにネリーの解説は感覚混じりの部分もあるが拳児にとってはもってこいのものであった。
拳児が連れてこられたテーブルにはネリーが途中で声をかけた臨海女子の部員も同席していた。ひとりは校門で姫松を出迎えてくれた黒髪のメガン・ダヴァンに、もうひとりは室内だというのになぜか日傘を手放さないおそらく白人であろう雀明華である。拳児は人の名前と顔を一致させるのがそれほど得意ではないがメガンについては事前に読んだ麻雀雑誌で見たことがあったし、明華は日傘の印象が妙に濃かったので顔だけは覚えていた。
「おいチビ、俺は本当にここでメシ食っていいのか?」
「え? 別にテーブルにつくだけでお金は取らないよ?」
「そういうことを言ってんじゃねえ」
「まあまあ、イイじゃないでスカ」
なんだか噛み合わない会話をメガンが収める。おそらく拳児の言いたいことは、臨海の部員しかいないこのテーブルに自分がいてもいいのかというところだろう。そこに対して異議を唱える者は誰もいない。むしろ男子高校生監督などという世にも珍しい地位にいる人物と話をしてみたいと考えているくらいだ。だからこそネリーは拳児を引っ張ってきたのだし、メガンと明華はここで待ち構えていたのだ。
「あの、ところでなんとお呼びすれば?」
「別にナンでも構わねーよ」
「ケンジでいいよね? ていうかさっきからそう呼んでるし」
「まァ俺も堅っ苦しいのは苦手だからよ、そーいう感じだとラクだわ」
からからと笑う。
「ところでよ、おめー、ダヴァンっつったっけ? 偽名とかじゃねえよな?」
「へ? 本名ですケド?」
「や、おめーに似たやつが前にいたガッコにいてよ」
「……あ、サトハに聞いたことありマス!日本式のナンパってやつでスネ!?」
「ケンジはナンパ目的でこちらにいらっしゃったのですか?」
「んなわきゃねーだろ!誓ってもいいが俺はナンパなんぞ一生しねえぞ!?」
本当に今日が初対面なのかと疑いたくなるほどにわあきゃあと騒いでいる。臨海の三人が持っている物怖じしない性質と拳児の持っている妙な親しみやすさが見事にハマったのだろう、しばらくそのテーブルからは明るい声が途絶えることはなかった。
昼食休憩は食休みも兼ねているためしっかりと取られている。あるいは東京に来たばかりの姫松への配慮もあるのかもしれないが、それは彼らの知るところではない。拳児たちも食事そのものはしばらく前に終えてしまって、今はお茶をすすりながら雑談に興じている時間である。
「はーん、外国でも麻雀って流行ってんだな。中国ならなんとなくわかるけどよ」
「ケンジ、それは冗談ですよね?」
「冗談じゃねえよ、俺は事情とかまったく詳しくねえの」
「どんな環境で過ごしてきたんでスカ……」
「うるせー。つーか聞きてーんだけどよ、日本って麻雀強えの?」
「どうしたの急に」
「や、だっておめーら留学してきてんだろ? 留学すんなら強いとこってのが相場じゃねえか」
「世界的に注目されてると言ってもいいのではないでしょうか」
「コカジとかミヒロギ? とかいう人の話ならこっちに来る前にもさんざん聞いたよ」
「どころか今年はインターハイが世界中で注目浴びてまスヨ」
日本にいるうちはどうやったって知ることのできない海外からの生きた評価を、しかも国籍さえまったく違う三人から聞けるという貴重な体験をしていることに拳児は気付いていなかった。態度から察するに本気でただの雑談だと捉えているのだろう。
「あ? インターハイは高校の大会だろうが。なんで世界が注目すんだよ」
「小鍛治健夜ですら成し遂げていナイ個人団体両方での三連覇の可能性があるからでスヨ」
「ま、私たちとサトハが両方持ってっちゃうんだけどね」
ふうん、と大して興味もなさそうに生返事を返す。その直後に拳児の動きがお茶の入ったコップを取ろうと腕を伸ばした途中でぴたりと止まった。それまで顔の向きを変えたり手の動きを交えて話をしていただけに、それはやけに際立って見えた。臨海女子の三人も急に固まった拳児に心配そうな視線を送っている。
「おーい、ケンジー? 大丈夫ー?」
「……おいダヴァン。そいつはアメリカでも注目されてるってえことだよな?」
「エ? あ、ハイ」
それを聞いた途端、拳児の身体を形容しがたい何かが包んだ。ほとんど肌を打つかのような錯覚さえ起こすほどの目に見えないエネルギー。闘気だとかそういった攻撃性のあるものではないが、それらと勘違いしてしまいそうになるほどに熱を帯びている。拳児の姿勢は先ほどと変わっていないのになぜか全身に力が充溢しているのが見ているだけで伝わってくる。播磨拳児という男の危険性を臨海女子が認識したのはこの瞬間だった。それと同時にこの男が監督を務めている姫松に対して警戒心を抱くようになったのも言わずもがな、である。
無論のこと拳児が何を考えているかなど初対面でなくともわからないだろう。彼のすべての行動原理はたったひとつだった。だがそれは一月半ほど前に消失した。そのはずだった。拳児のすべてである塚本天満はあの日アメリカへと発ったのだ。拳児の中であらゆる要素が組み上がっていく。なぜか自分が大阪の姫松高校にいることも、なぜかそこで詳しくもない麻雀部の監督なんてことをやっているのも、それどころか世界中で麻雀が流行していることも、およそ拳児を取り巻く状況のすべてが彼にひとつの答えを導かせた。
( なるほどな……、まぁ天満ちゃんを奪い去るにゃあそれくらいの箔は必要か )
「は、播磨クン?」
「……その宮永照ってのがいるトコを潰して優勝すりゃあ世界に名が轟くってわけだ」
「だからそれは私たちがやるんだってばー」
頬を膨らませて不満げにネリーが抗議を試みる。
「悪ぃな、チビ。俺様が本気になってしまったからにはウチの優勝以外はありえねえ」
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わあわあと子供たちが騒ぐテーブルからちょっとだけ離れたところで大人ふたりも昼食を楽しんでいた。国籍の豊かな学校だ、それに対応するように品揃えもバリエーションに富んでいる。これだけの留学生を集められるのもこういった細かい配慮がなされているからなのだろう。その辺りの尽力には臨海女子の麻雀部の監督であるアレクサンドラ・ヴィンドハイムも頭が下がる思いであった。
「そういえば、播磨少年。彼はどこから連れてきたのかな」
デザートに注文したあんみつを少しずつ楽しみながらアレクサンドラが尋ねる。余談だが、この食堂のデザートで不動の一番人気を誇る品である。
「え~? どこから言うてもホンマに拾ったって感じに近いんやけど~」
こちらはプリンをつつきながらいつものように返す。誰が相手でも変わらずこの調子なのだろうか。おそらくそうなのだろう。尊敬できるかと聞かれれば素直に頷くのは難しいところである。
「素性が何ひとつ割れていないのに?」
「あ、そういうこと~? 拳児くんのことは調べても無意味って言ったほうがええんかな」
いまひとつ要領を得ない郁乃の発言にアレクサンドラはすこし首を傾げる。というか言い方にも違和感が残る。調べても無意味、というのは妙な言い回しだ。無駄とか情報が出てこないとか言うのならばまだわかるのだがどういうことだろう、と彼女が考えていると郁乃が付け加えた。
「サンドラちゃんには別に言うてもええけど、触れ回るのは堪忍な~?」
本当にこれから秘密の話をするのか不安になるほど軽い調子でいやんいやんと体をくねらせる。表情も変わることなくにこやかだ。それでもあの名門姫松を善野一美から一時的とはいえ正式に引き継いだ智将であることを考慮に入れると油断はできない相手には違いない。正直なところ郁乃が何を言い出すのかアレクサンドラにはまったく予想がついていなかった。
「触れ回るようなことはしないけど、彼にはそんなにすごい秘密が?」
「どっちかいうたら逆かなぁ。あんな、拳児くん別に麻雀やってたワケちゃうねん」
アレクサンドラの片眉がぴくりと動く。
「……驚いた。本当に?」
「うん。ただの不良さんやってん」
「ああ、見た目は素なの」
嘆息まじりではあるが興味深そうに返す。いつの間にかあんみつのための匙を容器に立てかけて、話を優先する姿勢になっている。
「でもそれじゃあなんで監督に?」
それを聞くと郁乃は顎のあたりに人差し指をやってわざとらしく悩んでみせる。はたしてそれが本当にわざとらしくやっているのか自然とそうなるのかの区別はつかないが、何をするのにも演技性の抜けない人物である。たっぷり十秒ほど悩むように見える仕草をしたあとで、いつも通りのやわらかい表情のまま口を開いた。
「それはヒミツ、ってことで~」
「そこで止めちゃうのは逆に気になるね」
「でも一個くらいわからんことあった方がおもろいんちゃうかな~、て」
この流れではどうやっても聞きだすのは不可能だろう。アレクサンドラは内心で舌を巻く。どうあってもこれでは会話の主導権は握れそうにない。これまで祖国でもマイペースな人間とは数多く接してきたつもりだがこれほどの人物には会った記憶がない。しかたなく意識をあんみつのほうへと向けるが、それでもフツウの不良である播磨拳児が監督代行の椅子に座っていることへの疑問と興味は消し去れそうにはなかった。
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雨音のようにリズムもなく続く、牌のラシャを叩く音が部屋全体を包む。拳児は音の中を歩いては立ち止まり、また歩き出す。それぞれの卓についている少女たちは目の前の戦いに集中しているため誰一人として拳児に気を払うものはいない。対局の様子を眺める立場の者からすればそれはありがたい話で、思うさま見ることができるしいつでも離れられる。だがそれ以前の問題として、この場に揃っている全ての少女が麻雀の腕で言えば拳児の遥か上を行っていた。言い換えればじっと見たところで途中で何がなんだかわからなくなるのである。わからなくなったものをそのまま見続けるなどまさに退屈そのもので、拳児はひとりため息をつく。
彼にとっての女神に優勝を捧げるためにやる気を出したはいいものの、現時点で拳児にできることなどたかが知れている。練習指示やアドバイスなどは郁乃主導のもとで行われているし、牌譜の読み書きこそできるようになったがそれを使っての研究などまだまだ先の話になりそうだ。拳児はこれまで麻雀に深く関わってこなかったから知らなくても当然と言えるのだが、どうやら麻雀には異能と呼ばれる摩訶不思議な現象さえ存在するらしい。いわゆるイカサマとは違うのかと由子に聞いてみたところ、そういう発想になるのは仕方のないことなのよ、とひどく優しい眼差しをもらった。となれば拳児に足りていないのはあらゆる面での知識であって、できることと言えば勉強しかないのであった。
「オウ、末原。ちょっといいか」
「ん、ええけど?」
休憩が終わって全員が三局ほどこなした頃、狙いすましたように拳児が声をかける。クラスでも部活でもそれなりに話す機会は多いため、恭子も慣れた対応だ。基本的に拳児の声のかけ方はワンパターンである。ふつう男子というのはもう少しそういうのを考えるのではないだろうか、と恭子は思う。それともそれは思い過ごしで、拳児のようなタイプが多数派だったりするのだろうか。少なくともこれまで恭子が接してきた男子はもうちょっと語彙があったように思う。
「オメーよ、メシの後ちょっと時間取れねえか」
「別に大丈夫やと思うけど、何なん?」
「話がしてえ」
「……は?」
恭子の目が点になる。よほど想定外の言葉が飛んできたのだろう。来た当初は慣れていなかったものの、今ではたしかに播磨拳児は姫松の麻雀部に馴染んでいる。その立場は監督であり、参謀の立場にいる自身と話すことは多い。だが話す内容と言えば練習に関する話だとか部員に関する話だとかで、この合宿ならばおそらく各人の傾向を考えての相談であるはずだった。もちろんこれまでに二人で話すことなどいくらでもあったし、あるいはコーチである郁乃や主将である洋榎、頼りになる由子がそこに加わることもあった。だから話すことそのものに特別な意味を見出すことなどない。しかし今のこの会話の流れをどう捉えるべきかで恭子は混乱し始めていた。普段通りならば、すぐに話題に入るはずなのに。
( えっ、ちょっ、いやこれ、え? い、いわゆる呼び出……、いやいやいやいや! )
途端に下を向いて恭子はわなわなと震えだす。呪詛のように小声でぶつぶつと何かをつぶやいている。恭子の頭が回ることは拳児もよく理解していたので、おそらくいろいろと予定を組み直しているのだろうと推察していた。
ふと恭子は顔を上げる。先ほどの呪詛はもうないようだ。瞳の大きさも元に戻っており、理知の光も宿っている。うすく頬が色づいているような気もするが、拳児はそんな微細な変化には気付く素振りさえ見せない。
「ちょぉ待ち。播磨、お前なんの話のつもりや」
「異能だかオカルトだかってのを知りてえ。知らなきゃハナシにもなんねえんだろ?」
拳児のその言葉を聞いてからの恭子のため息は、深い深いものだった。その表情は言い難いものがあって、正負のどちらともつかないように見える。手を額にやって、小さくゆっくりと頭を横に振る。それは拳児から見ればどうしてそんなことも知らないのか、と言われているようで居心地が悪い。実際の恭子の気持ちとはまるで違うのだが、それを察することができるようなら違う人生を送っていただろう。
恭子はやりきれない気持ちを落ち着かせるためにとりあえず拳児に蹴りを一発入れる。蹴るといえば後輩である絹恵の専売特許なのだがそんなことは関係がない。だいたい腹立ちまぎれに蹴りを入れるのに作法も何もないはずである。
( ってェなクソ……、フツーつま先で人のスネ蹴るかぁ!? )
さすがに弁慶の泣き所だけあって、拳児もスネをさするために屈まざるをえなかった。涙が滲むのは我慢どうこうの話ではなく生理現象の類だ。とはいっても拳児の場合はサングラスのおかげでそれが誰かに見られるということはないけれど。何の気なしに見上げた恭子の顔は、なぜかいつもよりも遥かに威圧感のあるものだった。
「まあええわ。それやったらついでやし食べるとこから一緒でええやろ」
「……おう」
「にしても不思議なもんやな、裏プロには異能持ちはいーひんとは」
「だからよ、俺は裏プロでもなんでもねーって何度も言ってんじゃねえか」
「……そうとも限らんか、主将みたいに地力でねじ伏せるんやったら考える必要もないし」
「俺を無視して楽しいかコラ」
結局このあと夕食の卓につくまで拳児は恭子に無視され続けた。なにひとつ身に覚えのない拳児は由子に聞いてみたりもしたのだが、彼女は笑みを深くしただけでなにも答えてはくれなかった。いつも通りの笑顔とはまたすこし違った由子のその表情を、拳児はどこかで見たことがあるような気がした。見守るようでいて楽しむようでもあって、単純な拳児にはできない表情だ。欲しかった答えがもらえず、拳児はがしがしと頭を掻いてそれについては放っておくことに決めた。