駆逐艦雪風の業務日誌   作:りふぃ

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呉の雪風

 

雪風達第二艦隊のうち、駆逐艦トリオは比較的鎮守府に近い遠征を繰り返す日々を過ごしていた。

地道な活動で資材を集め、第一艦隊が前線基地に持ち込む資材を確保するためである。

深海棲艦は鎮守府を陥落させても占拠する事は少ないため、周辺海域さえ押さえてしまえば再奪還は容易である。

今回は既に一度あちらの周辺で大暴れした後のため、現在は第一艦隊に加えて第二艦隊から羽黒が合流して海路の確保に努めている。

これは本来第三艦隊が行う任務であったが、編成したばかりの艦隊をそのまま戦闘任務に当てる事は出来ない。

矢矧だけは既に相当の実戦経験があるのだが、山城と時雨は新造艦である。

提督たる彼女は第三艦隊に多くの演習を組み込み、錬度向上を急ピッチで進めていた。

戦艦と軽巡洋艦と駆逐艦。

大和の時のような風評被害が無い編成であったため、相手をしてくれる鎮守府も多い。

最初こそ負けが先行した演習だったが、その中でも航空戦艦山城は目覚しい向上を見せていた。

多くの敗北も数少ない勝利も全てを糧とし、瑞雲と35.6㌢連装砲の扱いに慣れていった。

 

「第三艦隊の連中、今日も演習行ってるの?」

「そうみたいですよ。今度は軽空母持ちの鎮守府だそうです」

 

工廠で補給を受けながらそんな会話をしているのは、第二艦隊の雪島コンビである。

第三艦隊編成から一月。

中々に濃密な修行を行っているらしい時雨達だった。

 

「山城が頑張ってるんだって?」

「山城さんは部長がひたすらスペック強化してましたし、伸び代で言えばうちでも一番でしょうねぇ」

「矢矧は艦娘になってからが長いから安定してるみたいだけど……時雨が足引っ張ってるって?」

「あの時雨がねぇ……雪風としましては、婦女暴行未遂で営倉にぶち込まれた艦の事とかどうでも良いですけど。知っています? あの後ぽいぬちゃん、菓子折り持って山城さんに謝りに行ったそうですよ」

「マジか!」

「あれ、山城さんの方も無自覚で満更じゃなさそうだったって……夕立げんなりして帰ってきてましたよ……」

「ぽいぬが不憫すぎる……」

「全く、身内泣かせの艦にだけはなりたくないものですね」

「でも、あんたは殺艦未遂で営倉じゃない」

「不当逮捕ですっ。しれぇってば雪風が無実を主張していますのに、憲兵さんの言われるままに頭を下げて……雪風の減俸されたお給料があっちの福祉費になってるんですよ! 神も仏もありませんっ」

「いや、返り血浴びて荒い息吐いてスパナ握り締めてるあんたと、床で動かない大和見ればどっちをぶち込むかなんて議論の余地ないじゃん」

「……考えるより早く手が動いて、気がつくと全てが終わっていた。反省はしている」

「いや、まぁ分かるけどさ」

 

島風は自分の隣で艤装に弾薬を補充していく相棒を流し見る。

会話しながらも一切の遅滞無く補給作業と簡単な整備を進めていく雪風。

補給に限らず、雪風は見えにくい部分の動作がひたすら速い。

艤装の着脱と入水、上陸の手際は島風等からすれば手品にも等しい錬度である。

二隻の喧嘩は既に鎮守府の名物になるほど繰り返しているが、雪風に対して遅いと言ったことは無い島風だった。

 

「で、結局どうなったの大和と?」

「一週間ほど入院させてしまいましたからね。ちゃんとメロン持ってお見舞いに行きましたよ」

「何か言っていた?」

「いっぱいお話したんですが、先ず凄い勢いで謝られました。正気じゃなかった、捨てないでって。雪風は拾った覚えも無いんですけど」

「それで?」

「仲直りしましたよ? 一緒にメロン食べてきました」

「意外ね……っていうか、この際はっきり聞いておくと、あんた大和の事嫌いじゃないの?」

「特に嫌いという事はありませんよ。好きと言うこともありませんでしたけど」

 

何でもないことの様に言った雪風。

好きでも嫌いでもないとは無関心の事であり、ある意味で好意と対極にある意識だろう。

苦笑した島風だが、ふと雪風が過去形を用いたことに気がついた。

 

「ありませんでした……けど?」

「んむぅ……公正じゃないなって、思ったんですよね」

 

雪風はようやく手を止め、思案にふけるように黙考する。

しばらくそうしていた雪風は、自身の想いを慎重に言葉に乗せた。

あ号作戦終了後より、雪風は第二艦隊の仲間に対しては自分の内面を吐露する事がある。

 

「加賀さんと、少しお話したんですよ」

「ほぅ?」

「加賀さんに言わせると、赤城さんって此処で丸くなったそうです。そして雪風が見た所、大和さんも随分丸くなっちゃったと思うんですよね」

「まぁ、そうね」

「雪風には、少し受け入れづらい部分だったんですけどね。でも加賀さんって赤城さんの変化に直ぐ気づいて、その事をしっかりと認めているんですよ」

 

第一航空戦隊旗艦として高過ぎる誇りを抱えて生きるより、今の赤城は幸せに近い位置にいると見取った加賀。

その生き方を認め、応援する心算だと語った加賀は、誰よりも今の赤城を理解して見守っていた。

雪風が自身を省みた時、自分はかつての連合艦隊旗艦という色眼鏡を外すことが出来なかったのではあるまいか。

今を確かに生きている艦娘大和をしっかりと見つめたことが、自分にあっただろうか。

雪風は大和の見舞いの際にその点を正直に打ち明け、今一度自分に問い直すまで待って欲しいと伝えたのだ。

 

「雪風は今まで大和さんの事、子供っぽいなと思っていたんです。ですが、艦娘になって成長していたのは、寧ろ未成熟な精神に振り回されていた大和さんの方でした。雪風は大和さんがとっくに走り出していた出発地点に、ようやくつけた所なんですよ」

「本気になったの?」

「真剣に考えてお断りする可能性も半分はありますけどね? でも大和さんがとっても貴重で大切なモノを、雪風に預けようとしてくれているのが分かりましたから。雪風も片手間に対応とかできません」

 

今この時において、雪風は大和の好意に対して同じものを返せない。

持っていないのだから、そんなもの出せようはずが無い。

しかし相手が本気であり、未熟な思考により暴走させたとはいえ、必死な事もよく分かった。

ならば雪風としても、せめて誠意と真摯だけは同じくらい本気にならなければ話し合う席にもつけない。

そんな相棒の考えを聞いた島風は、感心したように呟いた。

 

「真面目ちゃんねぇ」

「相手が真剣ですからね」

「ふむ……なんか、なんかそういうの……嫌かなぁ」

「お?」

 

長く連れ添った相棒どころか姉妹艦すらいない島風には、加賀と赤城の関係など想像がつかない。

自分が一隻である事には慣れていたし、そういうものだと受け入れている。

しかしこの鎮守府で雪風と言う旗艦を得て、夕立や羽黒といった同僚に出会えた。

島風は今、この時点での第二艦隊こそ自分の居場所として気に入っているのである。

そうやって考えたとき、雪風と大和の距離が近くなるという事は決して手放しで応援するのは難しかった。

 

「成程……雪風も此処の居心地良いですから気持ちは分かるんですが……でも雪風がこのままだと、第二艦隊としても不味いって思うんですよ」

「ん?」

「雪風は、その……個人に対して薄情みたいなんですよね。大和さんをお見舞いに行ったとき色々お話したんですが、執着が薄いって言われました。大和さんへってだけじゃなくて、第二艦隊の皆さんも雪風自身も一緒くただそうです」

「何よそれ。今更じゃない?」

「島風も同意見なんですか?」

「うん。あんたって好かれたら『ありがとうございます!』 嫌われたら『そうですか、残念です』……これで終わりでしょ。誰が相手でも」

「むぅ……」

「私からすれば、それくらいサバサバしててくれた方が付き合い易かったし、楽だったけどね」

「……」

「誰に好かれても、誰に嫌われても、上手に受けて流しちゃうのよ。だから大和みたいに、受けて止めてやらないといけない相手だと、どうして良いかわかんない」

「そうなんですよ……」

「まぁ、自分のダメな所を自覚出来たのは良かったんじゃない? で、その上で今の自分じゃ不味い……とも思ったわけでしょ?」

「です。なんと言いますか、今にして思うと、良く皆さん雪風に着いて来てくれたなぁって思いますよ」

「さっき私、楽だったって言ったけど、多分うちの艦隊全員がそうだったのよ。中まで踏み込んでこないけど、仲間意識はしっかり持てる環境作ってたって事でしょ? それはそれで凄い事だと思うけどさ。でも、それじゃ物足りないって思うようになったわけだ。うちの旗艦様は」

 

この一月そこそこ悩んで得た答えを、島風は簡単に読み取っていた。

驚いたようにこちらを見ている雪風に苦笑した島風。

別に雪風が思っていること、やろうとしている事は難しくない。

いや、本当は難しい事だが、こういう話を誰かに出来るようになった時点で達成できていると思うのだ。

艦種の違う羽黒は兎も角、雪風はやっと島風や夕立を頼るようになった。

そして島風も夕立も、雪風に頼られたかった。

其処まで含めて島風にとり、此処は居心地がいいと思うのだ。

だからこそ、其処を簡単に大和に崩されたら堪らないとも思う。

誰かに対する愛情や好意のせいで、別方面の絆が絶たれてしまっては目も当てられない。

そうなると決まったわけでもないのだが、そうなる可能性があるというだけで避けたくなるのだ。

 

「そうなると、如何すると皆さん幸せになれるんでしょうね。もう雪風がハーレムとかいうものを作るしかないんでしょうか?」

「頭大丈夫かこのげっ歯類」

「今まで何も手に入らない代わりに、無くさない立ち回りが染み付いていましたので、其処に反抗するなら全てを我が手に! が来るのではないかと」

「あー……あー……分かる気がする。気がするけど、なんでそう極端から極端に走るかなぁ」

 

雪風に目をやると、どうも冗談で言っている風でもない。

中々難儀な相棒であるが、そもそも島風にしても相手の気持ちを思いやる事が苦手な性質である。

無理なアドバイスはさっさと切り上げ、最近やっと回してもらった念願の五連装酸素魚雷発射管三機に十五本の魚雷を装填する。

早く撃ちたい。

 

「あ、雪ちゃんと島ちゃん。ここにいたー」

「こんにちわぽいぬちゃん。艤装の整備終わりましたよ」

「ありがとー雪ちゃん」

「あ! それ夕立のだったの? ちゃんと自分でやりなさいよ」

「新装備の試験運転に駆り出されたんだから、仕方ないっぽい」

「まぁまぁ。それで、どうでした? 12.7㌢連装砲B型改二……舌噛みそうな新兵器は」

「重い、鈍い、使いづらい。10㌢連装高角砲の方が良いっぽい」

 

工廠自慢の新兵器に容赦なくダメ出しすると、夕立はさっさと艤装を降ろそうと四苦八苦する。

陸上では本来の重量が出ないとはいえ、それでも重いものは重いのだ。

 

「最近こっちばっかり撃ってたから、ちょっと10㌢砲の慣らし撃ちしたいっぽい」

「演習申請する? 私もこの五連装酸素魚雷使ってみたいのよ」

「本当に補給部隊って演習出来ませんよね。その癖結構遭遇戦で戦闘はあるんですから、過酷な労働現場です」

 

雪風は夕立がやっと降ろした艤装を拾い上げ、丁寧に磨いて整備していく。

新しいものが何時も良いとは限らない。

何事も試行錯誤が必要であり、結果として成果の上がらないものも出てくるのだ。

 

「あ、そうだ。第三艦隊ってもう直ぐ実戦配備でしょ?」

「そうっぽい」

「初陣といえば、駆逐イ級! だけどうちの近所にそんな可愛い深海棲艦いないじゃない」

「居ませんねぇ、第二艦隊の初陣は戦艦と重巡洋艦に追い回されましたし……」

「大和さんは潜水艦にぼてくりまわされてたっぽい」

「……なんでしょうね。これだけ聞くと大和さんも私達も可哀想なんじゃないかと思います」

「そんな可哀想な思いを、大切な仲間にさせたくないじゃない」

「良い台詞だけど、島ちゃんが言うと芝居臭い」

「お黙りぽいぬ。此処は同じ駆逐艦たる私達が、最終調整を手伝ってやろうじゃない」

「おお、面白そうですねぇ」

「……あぁ、それは良いっぽい」

「ふぁっ!?」

 

夕立の雰囲気が入れ替わり、翡翠の瞳が真紅に染まる。

島風も雪風も同僚の変化に気づき、思わず寄り添って抱き合った。

この状態の夕立と至近距離で向き合うのは、雪島コンビでも怖いのだ。

中身は夕立そのままだと分かっていても。

 

「雪ちゃん、提督さんに演習組んでもらって良い?」

「それは構いませんが……」

「何急にやる気だしてんのよっ。びっくりするじゃない」

「夕立は何時も通りっぽい。それに、大したことじゃないけれど……」

 

――時雨姉は一発ぶん殴らないと気がすまない

 

今までは攻撃色の見た目と中身がアンバランスだった夕立だが、この時は完全に一致した。

内から溢れる戦意が、陽炎となって立ち上るのが見えるような気さえする。

その目的が身内への制裁というのがなんとも残念だったが。

 

「ふふ、うふふ……女の子襲って営倉入りとか、白露型駆逐艦の名折れっぽい。白露姉が居ない以上、夕立がやらないとだめっぽい……うふふ」

 

肩にかかる長い金髪を払いつつ、不敵に笑う夕立。

雪風も島風も顔を見合わせ、異口同音に呟いた。

 

『お前のような駆逐艦がいるか』

 

 

§

 

 

駆逐艦トリオによる演習希望は、秘書艦の加賀に対して申請された。

司令官たる彼女は、現在時雨達と共に演習先に行っている為である。

加賀から提督宛に通信が入れられ、あちらの時雨達に伝えられる。

第三艦隊は軽空母と護衛の駆逐艦からなる部隊を相手に、被弾を許しつつも勝利したらしい。

 

「雨の中、正確に艦載機を叩き落す駆逐艦が見れたそうよ」

「その艦載機って山城さん狙った機体じゃないですか?」

「……其処までは載っていないけれど」

 

連絡ついでに上司と情報交換した加賀は、司令室で待っていた雪風にも成果を教えてくれた。

束になった書類に目を通しながらの会話である。

お互いに顔を見ては居ない。

こちらに来て直ぐ気づいた事だが、加賀は駆逐艦の顔を覚える事が出来なかった。

向かい合っていれば、口元の表情までは分かるという。

しかしひとたび別れてしまうと、印象と記憶に全く残っていないのだ。

工廠部部長の診断では、視覚系の異常は認められないらしい。

心因による認識障害。

多くの駆逐艦を身代わりにして生き残った事による、頭と心の障害だと診断された。

そう言われれば、加賀はかつての鎮守府で沈んだ駆逐艦達の顔を思い出せなかった。

これは加賀がこちらの鎮守府に来るまで、自分でも気付かなかった事である。

診断後、その場では何事も無くやり過ごした加賀は、自室に引き取って盛大に嘔吐した。

自分の身代わりに沈んだ艦娘の顔が思い出せない。

どうしても、どうしても口から上が見えないのだ。

加賀は生き物は死ぬ時が二回あると思っている。

一回は肉体が生命活動を止めた時。

もう一つは、相手の事を誰もが忘れてしまった時。

だとすれば身代わりとなったモノ達に止めを刺したのは、自分自身に他ならない。

罪悪感は無意識に包丁を握らせたが、寸での所で様子を見に来た赤城に殴り倒されている。

そのくだりは雪風達も聞いていたし、既に加賀の態度にも慣れた。

 

――救助の礼は貴女の目を見て言えるようになるまで待って欲しい……

 

口元に生々しい痣を作った加賀にそう言われた雪風は、引きつった顔で必死に首を縦に振ったものだった。

 

「第三艦隊はこの後、帰り次第補給して第二艦隊との演習に臨むらしいわ」

「第二艦隊じゃないですよ。今回の演習は『駆逐イ級』対策の名目ですから、お相手するのは雪風達三隻だけです」

「幾ら新設された艦隊でも、戦艦込みの編成よ……駆逐艦三隻で、相手になるかしら?」

「気が楽で良いじゃないですかー。誰も雪風達が勝つって思ってないでしょうし」

 

お互いに白々しい台詞を投げ合う二隻。

加賀は映像と書類上の雪風達の演習記録は確認している。

あの大和率いる第一艦隊すら苦戦した部隊。

特に加賀が興味を持ったのは、赤城が手を焼く島風の存在である。

一度その海戦を見てみたいと思っていただけに、今回の演習は楽しみだった。

 

「加賀さんも、ご一緒しません?」

「私の艤装は工廠で再現してくれているけれど、まだ完成していません」

「そうですか……島風の魚雷や夕立砲の開発に手が取られましたからね。申し訳ないです」

「現状で戦場に出ない私の装備は、優先順位が低いわ。気にしないで」

 

工廠部は加賀に残されていた僅かな艤装の残骸から、それを再現しようと取り組んでいる。

飛行甲板はあ号作戦時に赤城の予備として作ったモノがそのまま回され、搭載していた艦載機も再開発されていた。

しかしある一点において開発が遅れている部分がある。

15.5㌢三連装副砲。

それは大和が本来装備していた筈だった艤装の一つである。

加賀は艦載機の搭載数を十二機落としてこれを装備していたらしく、工廠部もその再現に尽力していた。

実際に工廠での兵器開発は科学的なものだけではなく、魔法的な部分もある。

資材というリソースを消費して、艤装を一回召喚する。

そして召喚しやすい資材の比重もそこそこ解明はされているが、最終的に何が出るかは妖精自身にも分かっていないのだ。

しかしこの鎮守府では大和でも副砲は15.2㌢単装砲である。

もしこの開発に成功すれば、戦艦より強力な副砲を正規空母が積むという不思議な状況が発生するのだが、加賀としてはどうでも良いことだった。

 

「加賀さんは、結構副砲も使い込んでいたって聞いてますよぉ」

「えぇ。乱戦になろうと前衛で撃ち合いながら艦載機の発着も出来なければ生き残れなかったの」

「空母さんが前衛で砲撃するってどんな状況ですか……」

「対空に牽制に自衛に……兎に角、空母だから砲撃出来ませんなんて言っていられなかったわ」

「言っていられなくても、普通は出来ないと思います」

「出来るとか、出来ないではないの。やるのよ」

「だから、それが出来ちゃったらもう空母じゃなくて航空戦艦ですってばぁ」

 

上司の代わりに書類に目を通し、後はサインだけ貰えば済むようにまとめていく秘書艦。

この鎮守府で加賀の唯一の上司は、提督である彼女である。

彼女は加賀に一通りの仕事を教えると、徐々に任せる仕事を増やしていった。

そして加賀も彼女の要求にほぼ完璧に応えきる。

そうした事が何度かあって、今ではあ号作戦時など比べ物にならないほどスムーズに鎮守府が回っている。

かつては彼女にしか処理できない仕事が多すぎ、その体調がそのまま鎮守府の体調に直結してしまう傾向にあったのだ。

彼女は基本艦娘の勤務体系を人間と同様に扱っているが、基本艦娘は補給さえ切らさなければ夜通し動き続けることも苦ではない。

長距離航海や夜戦など、睡眠に関わって集中力を落とすような事があれば生き残れないのだ。

しかし活動しっぱなし……特に海上で動きっぱなしになれば艤装の消耗も大きくなるし、燃費だって悪くなる。

基本海上ではスペック上の巡航速度、陸上では人と同じサイクルを取る事が最も艦娘の身体には良いとされていた。

 

「それじゃ、雪風はもう一回艤装の点検してきますね」

 

そう言った雪風は来客用のソファから立ち上がると、加賀に断って退出しようとする。

書類から顔を上げた加賀は、何とはなしに雪風の背中に声を掛けた。

 

「勝算は?」

「相手が時雨ですからねぇ……」

「演習の成績を聞く限りだと、調子は良くなさそうだけれど」

「……第三艦隊って、演習の夜戦を全部素通りして砲雷撃戦で切り上げていませんか?」

「え? ん……あ、その通りね。どうして、そう分かったの?」

「相手が時雨ですからねぇ……」

 

苦笑した雪風は肩越しに振り向いて解説する。

深海棲艦は多くの場合、夜戦を積極的に仕掛けてこない。

性能的にそれが得意なはずの艦種でもその傾向が強い。

その為、主に夜戦の選択肢はこちらに与えられることが多いのだ。

だから演習で夜戦まで戦わなくても致命的な事にはなり難い。

しかしそうは行かないのは日中の砲雷撃戦であり、深海棲艦と戦う上で不可避の過程である。

だからこそ、時雨は演習時間の後ろ半分を占める夜戦を徹底的に避け、代わりに演習自体の数を増やしている。

それは敵の特性を知った上で効率的なスケジュールを組んでいるとも言えた。

だが同時に時雨は自分の得意な夜を、全て昼の山城に捧げている。

 

「矢矧さんは艦娘の実戦経験。時雨はかつての戦闘経験がありますからね……何も無いのは山城さんだけですが、今演習で活躍出来ている経験は大きな糧になっているはずですよ」

「そのために、自身の評価は芳しくなくても?」

「あいつに自分の面子なんて気にするような可愛げがあれば、あんなに歪んだりしませんよ」

「本当ね……本当に、その通りだわ」

 

雪風も加賀も誰かを大切にすることを否定する心算はない。

ただ、一方が一方の為に犠牲になる時雨の愛し方は相当に重い。

山城にしても、時雨が自分の為に犠牲になっていると知れば決して愉快には思うまい。

時雨が山城に対して別人の様に過激な求愛をする事があるのは、そんな普段の反動として表に出てきているのではないか。

さらに一方の山城が時雨をどう思っているかは、雪風にも分からない。

もし山城が時雨に与えられるものを当然と受け止めてしまった時、あの二隻はどうなってしまうのだろう。

いずれにしても、あまり健全な関係ではないと思う。

 

「あぁ、だから夕立は怒ってるんですか……」

 

口に出しては時雨を非難していた夕立。

しかしあの子は優しいから、そんな時雨に対してどっちつかずな対応をしている山城にも言いたい事があるのかもしれない。

そう思ったとき、雪風は相棒の言葉を思い出した。

雪風が大和の事を真剣に考えるのが嫌だと言っていたのは、この様な泥沼になるのが嫌だったに違いない。

他人に淡白なのは雪風とあまり変わらない癖に、妙なところで勘と感が良い奴である。

 

「あぁ、色恋沙汰っておっかないですね……」

「だけど其処に踏み込んで行かない限り、その経験を糧にすることは出来ないわ」

「おおぅ……まさか加賀さんからその様なお言葉をいただけるとは。意外と恋愛に造詣を……お持ちの経歴とは思えませんが……」

「ええ。赤城さんの愛読書の、少しばかり性描写が過激な小説に乗っていました」

「ちょ!? そんな話を雪風にしないでくださいよっ。赤城さんと顔合わせた時噴出したらどうしますか!」

「共犯ね。お互い頑張って、素知らぬ振りを通しましょう」

「巻き込まないで下さいよぅ」

「因みに内容は……」

「アーアー! 聞こえませんっ」

 

鎮守府内の序列においては一応の上官になる加賀に対して敬礼もせず、逃げるように退出した雪風。

加賀はそんな駆逐艦の背中をしばらくの間、無表情に見つめていた。

一つ瞳を閉じ、先ほどの会話を思い出す。

仕事の合間とは言え、雪風と話した時間は加賀にとっても不愉快なものではなかった。

だからこそ、最後にちょっとしたお茶目を聞かせたりもしたわけだ。

この鎮守府においては、実は赤城の次に親しい相手でもある。

にも関わらず、加賀は雪風が肩越しに振り向いたとき、どんな表情だったかもう思い出せなかった。

 

 

§

 

 

演習に勝利した第三艦隊は、海路から自軍鎮守府に向かっていた。

雪風達の演習希望は即座に受理され、時雨達にとっては連戦になる。

最も帰港出来るのは夜になるし、補給や陸路の司令官が合流するのを待つために開始は明日の午後になる。

時雨達は海上を滑るように移動する巡航速度で航行しつつ、今後の予定を話し合った。

 

「ねぇ時雨」

「なんだい山城」

「駆逐艦トリオの演習、どうなると思う?」

「少なくとも、雪風はもう駆逐艦だと思わない方が良いだろうね。あれはそれを超えたナニかだから」

「雪風か……うん、軍歴とか武勲は雲の上の相手なのよね」

 

山城の言葉の最後の方は、自身に聞かせるような独語になっていた。

時雨はああ言ったものの、駆逐艦相手に戦艦の山城が気後れしているのも不思議なものだ。

生来から自身の劣等感が強い山城は、相手の力を過大に見積もって自身と比較し、陰に篭る部分がある。

時雨としてはそんな山城に戦艦相応の自信を持って欲しいのだが、反面では艦種によって相手を侮る事へのブレーキになっている部分もあった。

今回の相手は油断や驕りを正確に看破して徹底的につついてくる相手だけに、山城の慎重な卑屈さは不利にならない要素である。

 

「それはね……実在した幻想みたいな駆逐艦さ。矢矧は、直接見知っているよね」

「えぇ……特に坊ノ岬だと初期に艦隊から遅れたから、後ろから全体が見れたのよ。雪風は勿論だけれど……あそこにいた駆逐艦は全員、例外無く強かったわよ」

 

矢矧は胸に手を置いて、自身の前世の最後の記憶を引きずり出す。

敵機の空襲に晒される大和。

その周囲を慌しく駆け回る駆逐艦達。

あの場に居た駆逐艦は皆、独自の攻撃回避ノウハウを持っていた。

その中でも、特に雪風と初霜の動きは目に焼きついている。

まだ人型の艦娘ではなく大きな艦だったというのに、どうしてあんな動きが出来たのか……

 

「まぁ、区々の戦術は帰ってから煮詰めようか。今は演習の概要を確認しよう」

「と、仰ると?」

「先ず今回の相手は身内であり、遠征任務の第二艦隊とはいえ、この鎮守府の最古参だ。これは第三艦隊の立ち位置を左右する演習になるよ」

「負けられない戦いって事?」

「必ずしも勝ち負けに結びつける事は無いけれどね。不甲斐ない所を見せる訳には行かないって事だよ」

「艦隊行動の錬度ではあちらに一日の長がありますが、編成の戦力的には此方が上。此処は落としたくない所です」

「戦力的……と言ったら相手は駆逐艦三隻扱いなのよね。周りは勝って当然だと思うだろうし、負けでもしたら……あぁ、不幸だわ……」

 

陰鬱にため息を吐く山城。

何時もはやや行き過ぎたネガティブ思考が面倒だと思う矢矧だが、今回は全く同感な為に同じように息をついた。

ふと時雨を見れば、肩を竦めて苦笑している。

大よそ考えていることは皆同じと言うことらしい。

 

「そういう意味では、本当に厄介な相手と言えるね。勝って得られるのは駆逐艦三隻撃破。負ければ駆逐艦に負けたって言われるわけだから」

「だけど実態は、大和が駆逐艦詐欺って言うくらいの化け物なんでしょう?」

「なんでも今回の演習、深海棲艦の駆逐イ級対策とか言っているらしいわよ」

「私見たことないんだけど……駆逐イ級ってそんなに強いの?」

「あっはっは。まさかぁ」

 

矢矧にとっては正にカモとしか思えない深海棲艦最弱のイ級である。

奇跡の駆逐艦が率い、ソロモンの悪夢と最速の風が両翼を勤める艦隊と比べるのもおかしい。

おかしいのだが、実際に駆逐イ級を見たことがあるのは矢矧だけである。

 

「うーん……」

「如何なさいました? 旗艦殿」

「ん? ほら、今回演習先に連絡が入って、僕達はとんぼ返りになったよね」

「そうですね」

「その時、丁度僕はあっちにいた白露姉さんと話していたんだよ。トンボ帰りの理由も、其処で一緒に聞いたんだけど……」

「何か、気になることでも?」

「うん、白露姉さんが言うには、駆逐イ級って単艦で鎮守府の喉元まで食いついてくる恐るべき敵だって……」

「は……? あ、でも確かにうちでもそうだったような……あれ?」

 

矢矧とて以前の鎮守府で新人だった時がある。

初陣は自軍鎮守府近海で駆逐イ級と戦った。

鎮守府正面の、正に近海である。

いったい何故、そんな所に最弱の深海棲艦がいたのだろう。

 

「養殖でもしてるんじゃない? 訓練相手に」

「さ、魚じゃないんだよ山城……駆逐艦が潜ったりしないから囲いは楽だろうけど、通常兵器は効かないし防壁くらい撃ち抜いて来る」

「あれ……人口的に生け簀作るなら艦娘が常駐しなきゃよね? そんな事やってなかった筈だし」

「燃料のコストも割に合わないしね。七不思議ってやつなのかなぁ」

 

深海棲艦の生態については不明な部分が多い。

そして正確に判明していない事が多すぎて、経験則によって対応しなければならないために細かい部分を気にしなくなってきているのだ。

よくわからないが、そういうものである。

これで本当に何とかなってしまう事が、対深海棲艦では良くある。

勿論そんなセオリーからかけ離れた性能や部隊展開をしてくる奇種も稀にいるが。

 

「駆逐艦なら良いけれど、これが戦艦だったら怖いね」

「一度情報も精査したほうがよさそうね」

「思い込みは危険だものね……いや、前あったのよ。サーモン海域で戦艦の姫種が雑魚駆逐と一緒にふらふらしてたから交戦したら、くっそ硬くて沈め損ねてさ……双方被害大きくて夜戦しないで切り上げようかって所で、その姫単艦で追撃してきやがったの」

「それは……不幸だわ……」

「結局連戦よ連戦。こっちの支援艦隊が後着して、相手も増援来て大乱戦。金剛さんと比叡さんが揃って大破するしあれは死んだと思ったわ……」

「そっちの鎮守府には長門さん達がいたよね? 第一艦隊に居なかったのかい?」

「あそこ海流がおかしくてさ……長門さんと陸奥さん支援艦隊に居たのよ。合流してから金剛姉妹と長門姉妹がスイッチして艦列組みなおして……とかやってる間に相手も増援がきた訳よ。深海棲艦装甲空母……鬼と姫」

「……良く生きて帰って来れたわね」

「長門さん達三式弾積んでたのよね。なかったら犠牲艦出てたわねアレは」

 

当時を思い出して深い息をつく矢矧。

本当に生きた心地がしなかった。               

現世の矢矧の戦歴の中でも、最大の海戦である。

しかも恐るべきことにその戦艦棲姫は、最後まで撃沈させることが出来なかった。

驚異的なダメージコントロールと補給艦ワ級の回転運用で補給と修復を繰り返し、最終的にはその海域の深海棲艦を全て撤収させるまで持ちこたえて見せた。

その結果、資材不足から撤収していく敵を見送る事しか出来なかった司令官の苦い顔は、今も矢矧の目に焼きついている。

そして敵ながらそのありようを戦艦の理想と感嘆していた長門の顔も。

 

「あれ、今にして思えば最初の随伴だった駆逐艦逃がす為に突っ込んできたんだろうなぁ」

「敵には敵の仁義があるのかしらね」

「深海棲艦の思考力についても不透明なんだよね。人型になるほど高くなってくる例が多いけど、例外もあるみたいだし」

「そうね。少なくともあの戦艦棲姫は人語を喋っていた……らしいわよ?」

「記録によるとヲ級の中にも喋る固体例があったみたいだね。その中でも個人差があるようだけれど」

 

其処で時雨は一旦会話を区切り、脱線しかけた話題を戻す。

 

「まぁ、其処も帰ったら資料を漁って見ようか。駆逐イ級がどんな相手かは、僕も山城も実際に見てみなければなんとも言えないね」

「そうね。兎に角今は自分の錬度を上げる機会は大事にしたいわ」

「錬度という視点からですと……旗艦殿はその……」

「君の心配は尤もだ。だから最初に言ったように、この演習は僕達の立ち位置を左右する戦いになるんだよ。鎮守府内での評価もそうだし、第三艦隊の中でもそうさ。僕の手腕ではまとまらない……と判断されれば、役職の交代もあるだろうね」

「ちょっと時雨、それでいいの?」

「僕としては艦隊旗艦に執着はないよ? もとより君達を差し置いて自分が……という発想も持っていなかった。ただ、それとは別にしてもね……ん?」

 

風が少し強くなった。

時雨は緩んだ三つ編みを解く。

束縛を失い、風を孕んだ髪を一度手の中で纏めると、肩口から無造作に編み直す。

編んだ髪を無骨な紐で括る時雨をみた山城は、改めて時雨の容姿を観察して息をつく。

幾らなんでも飾り気が無さ過ぎるだろう。

素は悪くないのだから、今少し自身の見栄えを意識したらどうだろうか。

 

「ほら、コレでも付けてなさい」

「ん? かんざしかい」

「あんた色気が無さ過ぎるのよ」

「成程、虜囚とならば辱めを受ける前にコレで喉を刺して自害しろ……という事だね」

「誰もそんな心算で渡してないわ!」

「大丈夫だよ山城。もとより僕は爪の先から髪の毛一本まで君のものだから」

「私のものだっていうなら会話をしてよ……お願いだから」

「もう、あんたら早くくっついちゃいなさいよ」

「それはダメだよ? 山城には扶桑がいるんだから。でも心が手に入らないなら、せめて早く身体だけでも頂いて置かないと……」

「あぁ、何時もの時雨じゃない……」

 

げんなりと肩を落とす山城に苦笑した矢矧。

その肩をぽんぽんと叩いて矢矧は話題を切り替えた。

 

「そういえば旗艦殿、先ほど何か言いかけたようでしたが?」

「なに、大した事ではないんだ。ただ、僕だって負けたくない相手は居るんだよ……ってね。だから、心配しないで矢矧。この演習ではちゃんと、本気のもう一つ先で戦うつもりだから」

 

受け取ったかんざしは髪に挿さずに懐にしまい、それだけ言った時雨。

同じ鎮守府内での演習機会は多くない。

その場合消費する燃料と弾薬は全て中で賄わなければならないし、それぞれ別の任務についていれば予定が合う事も稀になる。

今後この様な機会があるか分からないというのなら、時雨としてもつけておきたい決着がある。

かつて自分と並び賞された幸運艦雪風。

自分は本当に雪風と並べられるほどの力があったろうか。

また逆に、雪風は自分と並べる程の力があるのだろうか。

 

「ねぇ、雪風。失望は、させないでおくれよ?」

 

口の中で呟いた言葉は、僚艦の耳には届かなかった。

時雨の口元には小さな微笑が浮かんでいる。

瞳の色こそ違えど、それは妹のソレと良く似た種類の笑みであった。

 

 

§

 

 

――雪風の業務日誌

 

だいいちかんたいのもちこみぶっしもひとまずあつめおわりました。。

あとはだいさんかんたいのじゅんびしだいでさくせんにはいれるとおもわれます。

さいしゅうちょうせいに、ゆきかぜたちがおあいてしたいとおもいます。

こっちはゆうだちのかりょくもあんていしてきましたし、しまかぜもあいかわらずかいひおばけです。

ゆきかぜもがんばって、しれぇにかっこういいところをおみせしたいです。

 

 

――提督評価

 

資材集めお疲れ様でした。

第一艦隊の報告によれば、現在例の海域の深海棲艦は全くと言っていいほど見当たらないそうです。

定期巡廻と掃討の成果がでているようですので、このままならスムーズに第三艦隊と交代出来るでしょう。

最終調整は大和さんか赤城さんを抜いた第一艦隊で行く心算でしたが、そちらから希望いただいたのでお任せしたいと思います。

立場上どちらの味方にもなれませんが、皆さんの演習は楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




春イベお疲れ様でしたー。
何とかぎりっぎりでE-5は突破出来ました。
これも多くの先輩方のアドバイスと情報あってのこと。
ありがとうございました。

その間、SSのほうは完全にストップしていましたw
なんか前の投稿から一ヶ月とか経ってますね……びっくりですね……

此処だと生存報告も出来るんですが、出来ない所もあるので一応ツイッターとか始めました。
https://twitter.com/akula137
です。よろしければ遊びにいらしてください。
いえ、大したこと呟いていませんが^^;

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