あなたがスターリンになったらどうしますか? 作:やがみ0821
短め。
時間は少し遡り、エジョフが元気に粛清に励んでいる最中に2つの大きな事件が発生する。
1つは中ソ紛争だ。
満州における東清鉄道。
この鉄道は中国がソ連と共同管理していたのだが、利益を独占しようと中国側が動き出したことにあった。
中国側にはこの鉄道に関して以前から不穏な動きがあった為、スターリンは警戒し、トゥハチェフスキーに軍事的な解決手段を取る可能性を伝え、極東軍団を大きく増強するよう命じ、できることならば彼自身が現地で指揮を執るよう要請した。
貴重な実戦の機会を逃す手はない、とスターリンは伝えていた。
その命令及び要請を受けたトゥハチェフスキーはただちに取り掛かり、極東軍団を大きく増強し、まだ発展途上であるものの機械化部隊を多数送り込んだ。
主力となる戦車が外国製戦車をライセンス生産したものか、あるいはそれに改造を施したものしかないが、無いよりはマシである。
スターリンの後ろ盾もあり、トゥハチェフスキーはヨーロッパ方面からも部隊を送り込み、極東軍団は兵力20万にまで増強された。
8月初旬には中ソ両軍が互いに攻撃を受けたと主張して攻撃を開始。
トゥハチェフスキー率いる赤軍と張学良率いる東北軍がぶつかったのだが――ほぼ一方的に赤軍によって彼らは撃破され、東北軍は短期間で壊滅してしまった。
史実よりも動員した兵力が多かったことや、在華ソヴィエト軍事顧問団の団長を務めた経験があるブリュヘルがスターリンの命令でトゥハチェフスキーに助言したこともあり、赤軍にとっては見事なまでに演習のような実戦となった。
多少の被害は出たものの、圧勝といっても過言ではない。
この結果を受け、ソ連は原状復帰を提案し、それを中国側は渋々受け入れたことで終結した。
そして、1929年10月24日。
アメリカのウォール街にて株価の暴落が発生する。
しかし、それを危機と感じたウォール街における銀行家達はすぐさま対策を講じて、優良株を市場価格よりもかなり高い価格で購入することを決定した。
1907年にアメリカで起きた金融恐慌を終わらせたやり方に似たものであったが、一時的なものに過ぎなかった。
もしもこれが週初めに起きていたら、まだマシであったかもしれない。
だが10月24日は木曜日であり、週末を挟んでしまったのだ。
市場が休みの間、ウォール街におけるパニックがアメリカ中の新聞にて報じられ、それにより危機だと判断したアメリカ中の投資家達が市場から引き上げてしまった。
これによって28日の大規模な株価の暴落に繋がり、その勢いは29日になって破滅的なものとなった。
GMの創業者であるデュラントはロックフェラーや金融界における巨人達と協力して膨大な株式の買い支えを行うも、その勢いは止まらない。
24日からわずか1週間でその損失額は300億ドルを超え、これはアメリカがWW1によって消費した金額よりも遥かに多いものだ。
といっても、これだけならばまだダメージはアメリカ国内に留まっていた。
ここから世界恐慌へ波及してしまったのは、アメリカにおける銀行の連鎖倒産により発生した金融システムそのものが停止してしまったことや連邦準備制度理事会――FRBの金融政策の誤りなど幾つもの要因が重なってしまったが故だ。
そんなこんなでアメリカ発の恐慌が発生し、世界各国が大混乱に陥る中、かつてない程上機嫌のスターリンがいた。
これは資本主義の敗北である――!
そのような切り出しでもって、スターリンは改めて資本主義を批判し、社会主義の優越性を説きつつ、内需主導型経済こそ社会主義の勝利に繋がると断言する。
ソヴィエトは世界経済とほとんど繋がっておらず、自国内でほぼ完結した形である為、史実と同じように世界恐慌の影響を受けていない。
将来的に繋がることは避けられないにしても、それまでの間に内需を育成しておくことをスターリンは目標にしている。
ソヴィエトの広大な国土と膨大な人口ならば、それが可能であると確信していた。
そして、スターリンは頬が緩むのを止められないでいた。
執務室で彼は1人、報告書を読みながらも思わず呟いてしまう。
「これによってソヴィエトは大きく飛躍する……! 第二次五カ年計画も、極めて順調に進むに違いない」
彼が大満足しているのには理由があった。
アメリカにおいて不況によって値下がっている多種多様な工作機械をはじめとした様々な製品を幾つものダミー企業を通じて買い漁り、それらを全てソヴィエトへ運ばせた。
輸出にあたってはアムトルグ貿易会社が大活躍したのだが、アメリカ政府はこれを知りながらも阻止できなかった。
第三国を経由するという、迂回輸出を行っていたからだ。
また現実的な問題として物が売れず、失業者は増大し、企業が次々と倒産する――
そんな最悪の状態で、大量購入してくれる救世主であることは確かだ。
おまけにアメリカにて幾つもの工場をまるごと買い取って、失業者達を雇い、ソ連から派遣された人員に技術的指導をしてもらう、ということまでやり出した。
幾つもの企業や失業者達はこれによって救われていた為、アメリカ政府としては下手に手出しをすれば、民衆からどのような反発が出るか分かったものではない。
更に失業した技術者などの専門的人材をソ連によって設立されたダミー企業が大量に雇い、第三国経由で海外出張という手段にてソ連へ派遣したが、それも手出しできなかった。
勿論、アメリカだけでなくイギリスやドイツにおいてもソ連は工作機械をはじめとした製品や人材の確保に動いたのは言うまでもない。
どこの国も不況に喘いでおり、大量に買ってくれて、失業者をたくさん雇ってくれるソ連は有り難かった。
この一件で、ソ連を危険視していた者達も幾分、その警戒心を緩めることに繋がってしまう。
スターリンの思惑を知らなければ、苦境に手を差し伸べてくれたように思えるからだ。
アメリカだけでなくイギリスやドイツの工作機械まで持ってきたのは、ソヴィエトにてそれらを全て比較して、良いものを導入しようという考えによる。
全ての分野において万能な工作機械というのが理想であるが、現実的にそんなものは存在しない。
とはいえ、まず最初にやった大きな仕事はヤード・ポンド法からメートル法への変換だった。
ドイツはソ連と同じくメートル法だが、アメリカとイギリスの製品はヤード・ポンド法を使っていた為に。
なお、この一方でスターリンは日本に担当者を派遣し、八木・宇田アンテナやマグネトロンに関するライセンス契約を結び、科学アカデミーの専門家達にレーダーの研究を命じていた。
日本におけるこの大発明の扱いは史実通りに粗雑なものだ。
さすがに八木博士をはじめとした面々をソ連に招聘するのは無理であったが、この2つに関してライセンスを結べたのは得難い利益であったのは言うまでもない。
一方で次なる問題がある。
満州事変やその後における日本の中国進出だ。
不凍港や資源の為にも満州は欲しいというのがスターリンの本音であるが、日本とは対立したくないという思いもある。
とはいえ、満州事変を利用しないという手もない。
何とかうまい方法は無いものか、と考えて――
「……我々も中国軍から攻撃を受けたということにして、攻めればいいんじゃないか?」
関東軍が中国軍の仕業だとして攻撃するなら、赤軍が同じことをしたって問題はない筈だ。
それに赤軍が満州北部を抑えることで、関東軍の動きを抑止することができる。
支那事変を起こせば、ソ連が襲いかかってくるという恐怖を与えることができるだろうし、そもそも国際社会は満州事変に対して否定的で、日本もそうであった。
日本は関東軍の独断専行する連中に引きずられた形になってしまうのだが――
「ソヴィエトが進出することで、関東軍に責任を取らせることができる筈だ。さすがに我々が動いたら、関東軍は独断専行などできない」
国民党に対してはこの一件に対する手打ちとして毛沢東へ今後一切支援をしないことを示しつつ、日本側は関東軍に対して責任を取らせることができる。
先の東清鉄道の一件は原状復帰ということで解決していたのだが、中国側は早くも再交渉を水面下で要求している。
この事実も利用できるだろう。
原状復帰に対して異論を唱え、不満を表しているのは中国側だとソヴィエトが事前に喧伝しておく必要がある。
「この案が可能であるか、皆で検討しよう」
遼河油田は無理だとしても、大慶油田はどうにかして抑えておきたいスターリンであった。