あなたがスターリンになったらどうしますか?   作:やがみ0821

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ネタ的な表現いっぱいです。
某大百科風。


おまけ スターリンについて

 ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(1878年12月6日~1970年12月8日 92歳没)

 本姓はジュガシヴィリであり、ソヴィエト連邦第二代最高指導者。

 そして、世界を色んな意味でひっくり返して、理想実現の為に頑張っちゃった人物である。

 

 

 

 大粛清

 

 反対派と犯罪組織が国内統治に邪魔だったので、犯罪組織と繋がっているという理由で反対派諸共犯罪組織を潰した。

 実行にあたったエジョフは内通者を炙り出す為にNKVD(KGBの前身)内でも二重三重の監視体制を構築している。

 

 70万程度の人々が犯罪者であることを自白して、銃殺もしくはシベリアへ送られた。

 大規模な粛清はこれで終わりだが、その後もスターリンはちょくちょく反対派と犯罪組織を結びつけて粛清しているので、最終的な人数はもっと多いとされている。

 とはいえ、冤罪もあったものの、犯罪組織と実際に繋がっていた者も多かったようだ。

 

 

 自称:共産主義者

 

 スターリンは共産主義者だと自称しているが、その内政方針は資本主義と社会主義をミックスしたようなものであった。

 といっても、それは現代から見た場合であり、当時としては共産主義者としても通用するかもしれない。

 なおレーニンが生きていたら激怒しただろうし、トロツキーには実際に激怒された。

 また反対派――思想的な意味で――も多く出たが、レーニンは既に死んでおり、トロツキーも反対派も纏めてスターリンは粛清したので問題なくなった。

 なお、トロツキーに関しては長年、事故死だとされていたが、近年の公開された資料でスターリンの指示によるものであったことが判明した。

 

 現在、彼の思想はスターリン主義という独自のものとなっている。

 

 

 五カ年計画

 

 国家計画委員会(ゴスプラン)が指定した産業分野の育成・発展を促す国家計画。

 民間では手が出しにくい分野にも予算と人員を突っ込めるのが最大の特徴。

 1940年代前半から、従来の農業・軽工業や重工業だけでなく電子産業も加わり、その後における電子産業分野でのソ連の躍進を決定づけた。

 

 

 社会福祉政策

 

 国民皆保険制度をはじめとして、ソ連は様々な制度が充実している。

 しかし、もっとも大きなものは労働法関連だ。

 悪質な資本家は労働者を奴隷のように扱う為、根絶せねばならないというスターリンの考えにより、ソ連は労働法に関して制定当時から今日まで厳格に運用されている。

 

 さすがにスターリン時代のように、労働法を大きく違反した悪質な経営者はシベリアで強制労働とまではいかないものの、それでも全体的に重い刑が科せられる。

 

 日本においても、労働法関連はソ連を手本として整備されており、偶に悪質な違反者が逮捕されては新聞やテレビを賑わせる。

 

 面白いことに、ソ連――それこそスターリン時代から――でも日本でもまたそれ以外の国でもこういった違反者の言い訳は同じである。

 

 

 労働法を守っていたら、会社が倒産する――

 

 そう言い訳した者達に対して、当時スターリンが送った言葉がある。

 

 労働法を守るという考えに変わるまで、自然豊かなシベリアで良き労働をしてくると良い。

 

 発言者がスターリンである為、どういう意味かは推して知るべし。

  

 

 

 

 

 植民地解放

 

 スターリンの最大の功績と言われることも多い。

 当時、世界中にイギリス・フランスをはじめとした欧米の植民地があったのだが、その植民地における独立派達に膨大な武器・物資・人員を支援した。

 多くの植民地で大反乱が起こったが、各国は阻止できず、多額の戦費と人員を消耗して終わるという最悪の結果となる。

 

 イギリス解体やフランスで親ソ政権樹立の引き金となり、アメリカは前者と比べるとマシであるが、それでも中南米で反米ゲリラに悩まされ続けた。

 

 

 

 モスクワ条約

 

 世界の全ての国々と同盟を結んだら勝ち――という考えがスターリンにあったのかどうか分からないが、ともかく最終的にはそんな形になってしまった。

 ユーラシア大陸・アフリカ大陸及びその周辺の島々にある多くの国々がソ連と同盟を結び、それは今日までも続いている。

 特に植民地から独立した国々に関しては独立後の面倒も見てくれたことが大きい。

 

 ソ連の支援は教育関連に重点が置かれており、これは独立した国々が発展する大きな要因となった。

 

 

 親日家

 

 スターリンはいつからそうなったのかは不明だが、親日家であり、また日本語に堪能であった。

 基本的に彼は日本人とは日本語で会話しており、日本国民に向けた演説でも、彼は流暢な日本語で話している。

 また日本の国民性や軍事力だけでなく、文化や料理などをスターリンは称賛しており、日本料理がソ連で食べられるように尽力した。

 

 ソ連が最初に日本と同盟を結んだのも、軍事的な戦略もあるがスターリンの個人的な思いもあるのだろう。

 なお、お忍びで1950年代からちょくちょく来日していたらしい。

 

 各国との関係

 

 ドイツがポーランドに侵攻したならば、スターリンはドイツに対して宣戦布告するつもりであったことは以前より判明している。

 1939年時点で既にソ連は対独戦を決意しており、準備万端であった。

 ドイツ軍の総兵力を超える動員が――1000万から1500万の間くらい――されており、津波に呑み込まれるかのようにドイツ軍は崩壊する予定だった。

 

 しかし、現実にはポーランドがドイツの要求に屈し、振り上げた拳の下ろしどころに迷ったスターリンは前述した植民地解放へと走った。

 

 一番被害を被ったイギリス――現イングランドからすれば良い迷惑で、チャーチルは回想録でスターリンをこれでもかと罵っており、イングランド人からは悪魔のようにスターリンは嫌われている。

 といっても、チャーチルはスターリンの能力は認めているようだ。

 

 大英帝国最大の敵という表現はチャーチルなりの最大級の賛辞だろう、たぶん。

 

 そういう経緯もあってイングランドからは嫌われているが、殆どの国でスターリンに対しては概ね好意的だ。

 

 政治的混乱や経済的混乱によって苦境にあった国々に関しては、現地の共産党を動かして革命を起こしているものの、それ以外では思想の押しつけを行っていない。

 皇室がある日本をはじめ、王政の国々であってもソ連側からの政治体制への干渉は今に至るまで一切ないという。

 

 各国の政治・宗教・文化に対して、ソ連のものを押し付けることなく、それらを最大限に尊重した上で問題となっているところは協力して改善し、共存共栄していこうというのがスターリンの各国に対する方針であり、現代まで受け継がれている。

 

 共存共栄の方針により、アメリカとの平和的共存も成立しており、その後は米ソによるプロレスが中国を舞台に色々と繰り広げられたのはよく知られている。

 最近になって、ようやく中国も落ち着いており、複数の国に分かれているものの、大きな戦いは起きていない。

 そろそろ米ソで話をつけて、また戦国時代に突入させるのかもしれないが。

 

 

 ヒトラーとの関係

 

 ヒトラーに関して、スターリンは彼が勇退した後、少しの間を置いて手紙でやり取りをしており、また彼の絵画を多く購入している。

 自分の絵をまさかスターリンが評価してくれるとは思いもせず、またドイツの立て直しに尽力してくれていることから、ヒトラーのスターリンに対する態度は徐々に軟化していった。

 最終的に、ヒトラーがスターリンに依頼されて、モスクワのクレムリン宮殿でスターリンの肖像画を描くことになる。 

 人物画は不得意なヒトラーであったが、このとき彼が描いた肖像画は力作であり、スターリンは大満足して、自らの執務室に飾っている。

 そして、それは今でも飾られているという。

 

 

 ムッソリーニとの関係

 

 スターリンは彼に関しても評価しており、特にマフィアに対する取り締まりを絶賛している。

 一方、ムッソリーニの方はスターリンによってイタリアが植民地を全て失う事態となった為、当初は好意的ではなかったという。

 しかし、ソ連の支援を受けてイタリアが経済の立て直しに成功したことや、スターリンからモータースポーツやサッカーに関して、真摯に教えを乞われたことなどがあって、最終的には態度が軟化したらしい。 

 

 なお、パスタにケチャップを掛けて食べるという料理をスターリンが提案し、ムッソリーニが怒ったが、物は試しと実際に作って食べてみたら美味しかったので良しとした――という嘘か本当かわからない話がある。

 

 

 

 

 スターリンの回想録

 

 思想や技術開発、ソ連邦の将来、教育の重要性など様々なことが書かれているが、1冊に纏めるのは無理だとスターリン自身が早々に諦めた為、巻数が大変なことになっている。

 なお回想録とは名ばかりで、ソ連指導部や人民に対するメッセージとも思えるものであり、更には技術開発に関して書かれた巻は預言書ではないかと思える部分が多い。

 膨大な数の高性能電子計算機が通信によって繋がり、電子空間上で膨大な情報のやり取りをする、電子空間上で仮想的な肉体を得て、歌ったり踊ったり討論したり冒険したりできるようになるなどなど。

 

 スターリンは自分が生きているうちに実現したかった、と書いており、後継者達がその遺志を継いでしまった為、現代では彼の望みが実現している。

 

 

 しかし、不思議であるのはスターリンはインターネットやパソコンといった具合に英語でこれらを表現していることだ。

 当時の時点でも、ロシア語が世界においてもっとも広く使われている言語であったので、ロシア語で表現するのが妥当である。

 

 もっとも、ロシア語よりも英語のほうが普及させるのが容易ではないか、とスターリンが考えたという説もある。

 

 

 スターリンの遺書

 

 ソ連の未来に関してや、万人が平等に豊かになる社会について、宇宙進出の実現、遺体保存はやめて欲しいなど色々と書かれていたが、もっとも大きいことは彼が自分に関して、色んな創作活動を許したことにあるだろう。

 よりによって遺書であった為に、ソ連指導部は困惑したが、スターリンの遺志を尊重し、スターリンに関する創作は、よほどに酷いものでない限りは黙認している。

 ソ連国内では、これによってスターリンを題材にした創作物が急激に増加し、そこから輸出されて世界に広まることとなった。

 

 その為、日本において彼は偉大な指導者でありながら、その万能性を活かしてギャグ漫画のオチに使われたり、異世界に召喚されたり、ゲームのラスボスやお助けキャラとして出てきたり、挙句の果てにはもしも女性であったなら、と性転換させられたり色々な創作活動に使われている。

 

 ソ連から抗議がこないどころか、そういうスターリンもあるのか、と日本から輸入してくれるのもスターリンが遺書で創作活動の許可をしてくれたからである。

 

 

 晩年

 

 1961年に全ての役職から退いて、年金生活に入った。

 ソ連領内の視察と称して度々各地を回り、未来を担う子供達と対話している。

 このときの子供の中には現最高指導者もいたという。

 回想録の執筆や遺書の作成を始めたのもこの時期であり、引退したのに仕事をしていると間違われたこともしばしばだった。

 悠々自適な生活を送っていたが、さすがの鋼鉄の男も年齢には勝てなかった。

 

 1970年12月8日、子供達――息子2人と娘1人がいた――に見守られて死亡。

 死因は老衰であった。

 

 

 

 

 総評

 

 スターリンは自らの理想実現の為に邪魔をする者に対しては、一切容赦をしない。

 彼のやった大粛清に関しては意見が分かれるところだが、その一方で大きな功績を数多く残している。

 これは彼がソ連邦最高指導者として独裁体制を築いていたからこそ、できたのだというのが一般的な見方である。

 

 スターリンは独裁者であり、またヒトラーやムッソリーニもそうであることは否定できない。

 しかし、祖国の利益・発展を第一に考えて行動し、そして結果を残した独裁者達が同じ時代に存在したというのは、まさしく歴史上の特異点とでも称すべきことだろう。

 

 

 

 




これにて完全に終わり。
お疲れ様でした。

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