あなたがスターリンになったらどうしますか? 作:やがみ0821
「もう少しでイギリスの警戒が緩む……そのときがチャンスだ」
「未だに信じられないのだが……」
キム・フィルビーの言葉にそう返したのはアイルランド人の男だった。
彼は仲間とともに取引場所である、この小さな港に赴いていたのだが――それでも未だに半信半疑だった。
しかし、フィルビーはその懸念を払拭するように、無数の木箱を指し示す。
男は仲間の1人に指示を出し、手近な木箱の一つを開けさせる。
そこにあったのはソ連製の突撃銃――AK47であった。
他の木箱を次々と開ければ、弾薬や手榴弾、対戦車擲弾発射器など様々な武器が入っていた。
これほどの量をイギリスやアイルランドの治安当局の目を掻い潜って、持ち込むのは容易ではない。
しかし、男達にとって重要なのは武器が手に入ったことだ。
これで独立を取り戻せる、という強い思いを彼らは抱く。
これまでの対英闘争の結果、自治領としてアイルランド自由国が成立したが、完全に独立した共和国の設立を望む者は少なくない。
彼らの仲間達の一部はアイルランド自由国の軍人となったが、不満の種はある。
どうしてイギリス国王を我々の元首にしなくてはならないんだ――!
その思いは消えること無く、アイルランド人ならば誰にでもあった。
フィルビーはMI6のセクションVに勤める傍ら、人脈の構築に努めていたのだが、そこから得た情報だ。
アイルランド人は独立を諦めていない、と。
ケンブリッジ・ファイブあるいは大物5人組とも呼ばれる、フィルビー達は慎重に裏取りを行った後、駐英ソ連大使館の職員に偽装したNKVD将校に次のように報告している。
IRAはスポンサーを探している――
その報告を元にソ連が動いた結果が今、フィルビーの前にある。
勿論、彼が今日ここでIRAのメンバーと会っていることは仲間達の工作によって隠されている。
武器を手に取り喜んでいるアイルランド人の男達――彼らは皆、IRAのメンバーだった。
だが、彼らの本格的な武装蜂起は少し後になる。
これまでの指令や集めた情報からフィルビー達はモスクワ――スターリンが何を狙っているか、予想がついていた。
それは心の中で思うだけであり口に出すことは決してない。
世界中の植民地で武装蜂起させ、イギリスを混乱させる。
本国軍が植民地における鎮圧に赴いている最中にアイルランドでIRAが行動を起こせば、イギリスに止める力はない。
何よりもイギリス本国軍の敵となるのはIRAや植民地における武装組織だけではない。
近年、ソ連軍が編成した撹乱や偵察、破壊工作などを目的とした任務を遂行する特殊部隊――スペツナズもまた加わると予想していた。
ロシア語で特殊部隊を略すとスペツナズとなり、これは特定の部隊を指す単語ではない。
該当する部隊はいくつかあるらしいが詳細は分からない。
ただ、フィルビーはソ連海軍の潜水艦が持ってきたのはIRA向けの荷物だけではないことを知っている。
潜水艦に乗ってアイルランドにやってきた彼らはNKVDの所属とフィルビーに名乗ったが、アイルランドに潜伏するスペツナズの隊員なのだろう、と彼は予想していた。
世界は大きく変わる――
フィルビーはそう確信していた。
ミハイル・コーシュキンはウクライナのハリコフにある工場にて仕事に励んでいた。
彼は次長であるアレクサンドル・モロゾフをはじめとした、優秀な技師達とともにT-44の拡大発展型の設計開発に取り組んでいる。
赤軍からは新型戦車開発にあたって、これまでにはない要求が出されていた。
ある程度の大型化・重量増加は許容するので、乗員の行動に支障をきたさない程度の広さを車内に確保するよう求めてきたのだ。コーシュキン達にとっては有り難かった。
被弾を避ける為に小型化をすると、どうしても無理が出てくる。
スペインでの戦闘でT-34の問題点が浮き彫りになり、それの改善を目指して開発されたT-44であったが、改善があまりできていない点もあった。
特に乗員の車内配置と動線については、性能を優先した結果とはいえ、あまり褒められたものではない。
赤軍はこの根本的な問題の解決を求める一方で、100mm砲よりも威力のある砲を搭載するよう要求している。
これを受けていくつかの案が並行して進められていた。
「いくつかの問題点はあるが、それも乗り越えられる」
何しろ時間的な余裕がある。
ドイツとの戦争に発展していたならば、こうはいかないだろう。
そして、最大の好敵手となるだろうドイツが開発しているⅥ号戦車の情報やイギリス・フランス・アメリカといった国々の戦車に関する情報もコーシュキン達には届いていた。
スペインでのドイツとソ連の殴り合いは、イギリスなどにも観戦武官を通じて影響を与えていることが窺われる。
実際に戦ってみないことには分からないが、カタログ上のデータを見る限りではT-44にかろうじて対抗できるかもしれない。
次の戦車は対抗すらできないようにしてやろう――
コーシュキンはそう思い、不敵な笑みを浮かべるのだった。
「問題は、いつにするかだ」
スターリンは悩んでいた。
それは日本との同盟締結の時期に関してだ。
同盟締結に関する交渉は既に大詰めを迎えており、順調に進んでいる。
日本はスターリンの知る史実とは大きく離れていた。
満州事変や支那事変が起こっておらず、ソ連との関係が極めて良好――それが大きく日本の運命を変えている。
国内開発に積極的に予算が回されたことで、史実よりも日本は国力を大きく増大させていた。
さて、日本が推し進めていたソ連に範をとった国内開発で、もっとも大きな抵抗があったのは農地改革だ。
大正時代から産業発展の為には地主制度の克服が避けては通れないものとなりつつあった。
以前から地主層が農地改革に関して猛反発をしていたのだが、政府は国民と軍を味方につけることで強引に押し切った。
国民は勿論のこと陸海を問わず、軍には農村出身者が多いことから彼らは積極的に政府を擁護・支援したことが功を奏している。
農地改革は徹底したもので、畑作地・水田に加えて林野にまで及んだ。
しかし、改革で自作農は大きく増加したが、土地所有者の細分化や農家の小規模化を招き、結果として非効率になってしまうという弊害が程なく現れ始めた。
日本政府はこの対応に奔走し、自作農の数的な削減と質的向上に取り組む一方で、これによって余った労働力を吸収させる為に、企業への支援も欠かしていない。
これらが一段落したのはつい最近の話であった。
他にも大きな目玉としては、いわゆる弾丸列車計画が承認され、始動していることだろう。
これには高橋是清が存命であることが大きい。
さすがに高齢であることから政治の第一線からは退いているものの、彼が裏で動くことでどうにか日本は必要な予算を確保していた。
しかし、スターリンが悩んでいるのは、そういった日本国内の事情ではない。
イギリスとアメリカの反応だ。
ソ連と日本が同盟を結んだ、と聞いて警戒するのはこの2カ国だろう。
「やはり、全ての引き金となっているのは植民地の独立だ」
植民地における武装蜂起のどさくさに紛れて、日本と同盟を結んで、ヒトラーを排除して黒いオーケストラに政権を樹立してもらおう。
なお、スターリンの一番の懸念は黒いオーケストラのカール・ゲルデラーだった。
彼は反ナチスであり、なおかつ反共主義者だという情報であり、それは史実と同じであった。
だが、彼はドイツの国益を優先するという冷静な判断をしてくれた。
「取れる手段が多いというのは……本当に楽なものだ」
スターリンは改めて、そのように思う。
アメリカは世論に縛られることから、ソ連のようには自由に動けない。
また反対派を命令書にサインをするだけで、始末することもできない。
何より驚くことは、スターリンはこれまで反対派を相当な人数、粛清してきたが、それでもなお史実のスターリンには及ばないことだ。
「新型戦車の開発をはじめ、軍に関しては陸海空を問わず順調だと聞いている……」
そう呟きながら、スターリンは日本との同盟が締結されたならば迅速に色んな支援をしようと思っている。
特に航空機のレシプロエンジンは、ジェットエンジンの量産によって数年以内に大量に余ることが確定している。
2000馬力クラスの空冷もしくは液冷エンジンは日本にとっては欲しいものだろう。
同盟国の強化は大事だとスターリンは何度も頷く。
烈風や疾風といった航空機が早期に実戦配備されるところが見たい――そんなささやかな欲望が彼にはあった。