あなたがスターリンになったらどうしますか? 作:やがみ0821
ソ連には多数の合唱団・演奏団が存在する。
スターリンは彼らを赤軍合唱団と呼称し、特にアレクサンドロフが結成したアンサンブルと内務省の管轄にあるアンサンブルが大のお気に入りだ。
一方で、彼は自分のささやかな欲望に忠実だった。
ソ連の軍歌ではないのだが、あったほうがいいのではないか、というより絶対にあったほうが良い、何故ならば自分が聞きたいから――という雑な理由である。
赤軍行進曲――
そう名付けられたその曲は、スターリンが自らメロディを口ずさみ、それを作曲家達に聞かせ、楽譜を作成することから始められ、作詞家達がそれに相応しい歌詞をつけて完成したものだ。
スターリンが自らの地位と権力を最大限に活用したもので、出来栄えに大満足だった。
その曲は勇ましい曲調で、ソヴィエトと革命を讃えて人民の敵を打ち倒し、社会主義の勝利を目指すことが歌われている。
時折開かれる赤の広場における軍事パレードでも、スターリンの強い要望で演奏されている。
そして、この曲を大規模な軍事演習の映像に合わせて挿入すればプロパガンダとしては上等であった。
このとき選ばれた軍事演習の映像は1938年に行われた
Западは西を意味しており、ドイツ侵攻を見据えたものである。
その為、この演習には戦車師団や狙撃師団(=歩兵師団)だけでなく砲兵師団や空挺師団、さらには空軍の戦闘機や爆撃機も多数参加しており、その結果は満足のいくものだった。
演習のようにうまくいくかどうかは分からないが、少なくともスターリンは史実のように国土と人民、そして経済に多大な犠牲を強いるような独ソ戦は望んでいなかった。
戦争するなら他国の領土――それが彼の考えだ。
そして、1939年3月にチェコスロバキアがドイツによって解体されると、スターリンは戦時体制へ段階的な移行を決断した。
事前に戦時体制への移行に関して、全てマニュアル化されており、それに基づいてソヴィエト連邦はその巨大な生産力と2億に迫りつつある膨大な人口を戦争の準備に振り向け始める。
軍への志願が盛んに宣伝され、全ての新聞・雑誌は来たるべき戦争に対する備えと愛国心を煽る記事を載せ、ラジオでもそれはまた同じであった。
基本的にはイデオロギーではなく、生活や家族、故郷を前面に出している。
そちらのほうが良いだろう、というスターリンの指示によるものだ。
ウラル以東への工場移転は行われない。
なぜならば、総動員が完了した赤軍の弾薬消費量は生半可なものではないと試算されており、ウラル以東に工場を移転してしまうと深刻な弾薬不足に陥る可能性がトゥハチェフスキーより指摘された為だ。
基本的には防御ではなく、攻勢を主眼とした作戦計画であることも影響している。
兵力は狙撃師団400個、戦車師団50個であり、これらは完全に充足した状態で投入される。
師団編成は他の列強と比較すると小型であるものの、特徴的であるのは狙撃師団を構成する各狙撃兵連隊の中にも戦車大隊が1つ存在していることだ。
無論、砲兵に関しても抜かりなく力を入れており、戦車と砲兵に対する信仰はしっかりと赤軍には根付いていた。
最終的に動員される人数は、後方の部隊なども全て含めると1000万から1500万の間に収まるくらいである、と大雑把に予想されていたが、これでも根こそぎ動員ではなかった。
なお、史実では1500万から2000万人程度が根こそぎ動員され、そのうちの700万から1000万程度が犠牲となったとされている。
スターリンは順調に戦時体制へ移行しつつあるという報告を日々受けながら、ドイツのポーランド侵攻を手ぐすね引いて待っていたのだが――
「何だって? ポーランドがドイツの要求を呑んだ?」
スターリンは思わず問い返した。
モロトフは努めて冷静に報告する。
「はい、コーバ。情報によりますと、チェンバレンとハリファックスがポーランドを説得したようです。ダンツィヒとポーランド回廊をドイツへ割譲する代わりに、それ以外の領土を保全することをヒトラーに約束させたと……ミュンヘン協定と同じような形です」
スターリンは途方に暮れてしまった。
別荘に引きこもって考えたいが、時間は待ってくれない。
彼は問いかける。
「ドイツ軍に動きはあるか?」
「最後の領土問題を解決すべくデンマーク方面に集結しつつありますが……大部分はフランスに振り向けられています」
「シュレースヴィヒ北部か……」
スターリンの呟きに頷くモロトフ。
WW1の結果、シュレースヴィヒ北部はドイツの手を離れ、デンマークのものとなった。
もともとデンマーク系住民が多かったこともあり、デンマークに帰属するのは妥当なものだが、ヒトラーには我慢ならないようだ。
デンマークは抗しきれず、手放すだろうことは想像に難くない。
スターリンはおもむろに書類棚へと向かい、そこからポーランド軍とドイツ軍、それぞれに関する報告書を取り出した。
それらを彼は執務机の上に持ってきて、互いに見比べる。
「……仕方がない判断だな」
彼はポーランドの判断に納得してしまった。
「コーバ……?」
「モロトシヴィリ、これを読み給え。ポーランドがもし拒絶していたら、彼らは大して抵抗もできず数日でドイツに呑み込まれていただろう」
スターリンの言葉を聞き、モロトフもまた執務机に広げられた報告書を読む。
そして、彼も納得できてしまった。
もともとポーランドは農業国であり、また工業化が遅れていたこともあってドイツ軍に対抗できる兵器を実用化できなかったのだ。
それでも史実では試作止まりであった14TPを量産・配備しているあたり、懸命な努力をしたのだろう。
しかし、相手となるドイツ軍は既にV号パンターを主力とし、四号戦車が補助戦力となりつつあった。
パンターが出てきたのはスペイン内戦におけるT-34の衝撃があったのだろうが、向こうが長砲身砲搭載の四号戦車なんぞ出してくる方が悪いとスターリンとしては声を大にして言いたかった。
ヒトラーが横槍を入れた為に四号戦車には長砲身砲が搭載されたらしいという情報もあるが、真偽はわからなかった。
ともあれ、今のドイツ軍はポーランド軍が敵う相手ではない。
そのことをポーランド側もよく分かっていた為に苦渋の決断を下したのだろう。
「戦時体制への移行はほとんど済んでしまっているぞ……」
そのように言葉を紡ぎつつも、スターリンは考える。
こっちから手を出せばヒトラーは声高に被害者であると主張して、各国に対して支援を図々しく求めることは想像に容易い。
正直、ドイツを潰すことに関してはイギリスもフランスも文句は言わないだろうが、それをする為にはドイツと国境を接している必要がある。
現状、ソ連はバルト三国・ポーランドに阻まれており、ドイツ侵攻をするにはバルト海からの上陸しかルートがない。
ポーランドという障害を取り除ければ直接侵攻ができるのだが――今、手を出すとイギリスやフランスとの関係が拗れる。
彼らとの関係が悪化すると、アメリカがしゃしゃり出てくるだろう。
ルーズベルトが大統領であるうちは大丈夫だが、問題はその後だ。
アメリカと張り合うのは避けたい。
本当にあのチョビ髭伍長は碌なことをしない、とスターリンは内心毒づきながらもモロトフに問いかける。
「ポーランドが邪魔だ。ドイツの攻撃は期待できないか?」
「ドイツは東欧に関しては現状維持でしょう。ソヴィエトはそれだけ発展し、強大化しましたので……やるとしてもフランス・イギリスを落としてからになるかと思われます」
「それでは何年先になるか分からん。最悪フランスとドイツで延々と殴り合いをし続けて、先の世界大戦と同じ展開になる……アメリカにとっては嬉しいことだろうがな」
スターリンは吐き捨てるように告げて、問いかける。
「どの段階になれば、イギリスとフランスは我々のポーランド侵攻を許すだろうか?」
「フランスが脱落し、イギリス本土が危なくなったときでしょう。ですが、その段階に至るとアメリカが直接介入をしてくる可能性が高くなります」
「そうだろうな……」
難しいことになってきた、とスターリンは腕を組む。
そこへモロトフが提案する。
「コーバ、ポーランドには同志達が多く存在します。彼らはソヴィエトに対して非常に友好的であり、現在の政府に不満を抱いています……ドイツに屈したことから、賛同者は更に増えるでしょう」
モロトフの言葉は事実であった。
ポーランド国民からすると、イギリス・フランスは軍事的な援助をすると今年の春に約束しておきながら、実際にはドイツに飴を与えるように見えた為だ。
またソヴィエトと直接国境を接していることから、その発展や手厚い社会保障などを間近で見てきた。
ポーランドにはソヴィエトのような経済発展も手厚い社会保障もない。
ポーランドを123年ぶりに独立へ導いたユゼフ・ピウスツキが生きていた時はまだ国民の不満も抑えられていたが、彼は1935年に肝臓癌で亡くなっている。
不満は増大する一方であり、今回ドイツに対して屈服したことでそれは頂点に達しつつあった。
「その提案について検討したい。関係者をすぐに集めてくれ」
スターリンはモロトフに対して、そう告げたのだった。
赤軍行進曲は某ゲームのあの曲が元ネタです。