「それで、見逃したのですか」
「流石に結社の幹部相手に守りながら戦うなんて無理ですから……。もしも、あの場を破壊しつくしても構わなかったのでしたら、膝ぐらいは着かせられたでしょうが」
あの惨状だ。そこまで暴れた時点で施設が崩壊、逃げられるだろう。
つまり、こちらの手の内を明らかにしてしまう。なら、互いに不干渉という形であの場を流すのがベストと考えたのだが、いつばれたのだろう。
流石に移動に聖痕を使ったのがばれたか。
メルカパを利用するよりも早いだけにそっちを選択したのだが。
「まぁ、いいでしょう。貴女が補佐の正騎士を放置してどこかへ消えた事に関しても、結社と相対しながら、何もしなかった事も今更ですからね」
「よく分かってるじゃないですか。私は無益な戦いは嫌いなので」
無益な戦いは嫌い。
まるで聖女のように清らかな言葉にセレナード総長は頬をピクピクとさせる。
彼女が本気を出さないのは後始末が面倒だから。レイン=シャネルの聖痕は多大な被害を与える事が出来る厄介かつ危険な能力。
一度、結社の執行者と対立した時には山一つが消え去り、湖になっていた程である。
その原因が、ただムシャクシャしたからというものであり、相手の執行者は生死不明。
それだけに、その言葉には思わず呆れてしまう。
「不問であるのなら、もういいでしょうか?」
「いや、まだだ。あそこに保管されていた古代遺物はどうなったか分かるか? まさか、結社に回収されたのではあるまいな」
あれだけの被害を出した古代遺物であるならば、危険度は上位に食い込んでくる。
もしも、アレが町に現れたら被害は甚大なものになっていただろう。だが、事態は既に収束している。救出された子供の中にも確認されない。
ならば、アレは一体どこに消えたのか。
それが今の問題なのだ。
「総長はアレがどういうものかご存じで?」
「詳しくは知らないが、文献によればアレはただの妄執だ。破壊を撒き散らすだけの権化とでも言うのだろうな。だが、元が元だけにたちが悪い」
一瞬、レインの表情が変わった。
だが、すぐに元の落ち着いた表情へと戻すと目の前に置かれていた紅茶を啜った。
「お前らしくもないな。所持者を庇い立てするなど」
「なら、無理にでも聞き出してみますか? 聞き出せるものなら……ですけど」
レインと睨み合うがすぐにそれを止める。
ここでレインと戦った所で得な事は一つもない。本気で戦うと言うのならば、早期決着は難しい。勝ったところで、辺りに撒き散らされた破壊の残滓を片付けるのに骨を折る。
こちらがそれをやらないと分かっていて吹っ掛けて来ている所が面倒臭い。
しかし、ここでただはいそうですか。と受け入れるつもりもなかった。
「そうだな。なら、その代わりと言ってはお前には今後とも彼女に着いて貰おう。千の腕もあれば、お前を捕まえておくには十分だろう」
「ちょ……き、聞いていませんよ。私は一か所に留まる必要はないと!」
こうして、余裕ぶったレインが驚く顔は面白い。
確かに守護騎士になる際に彼女の性質を判断して、一か所に留まる必要はないと判断したのだが、だからと言っていい加減に部下を持っていい頃合いだろう。
私としてもその方が安心出来る。それに監視の意味でも。
「彼女は優秀だよ。お前の手を煩わせる事もないだろう。ただ、お前のその恰好に関しては色々と言われるだろうがな。それと、隠し事についてもな」
「まぁ、解りました。それで、追求しないと約束してくれるのであれば……。私が見た限りでは安定していました。眠っているのかは分かりませんが」
そう言い残すと逃げるように部屋を出ようとするのだが、部屋の前に待ち構えていた彼女に発見されたらしく、扉の向こうからは悲鳴が聞こえてきた。
事件終結から半年が経つ。
既に残された雑務は終了。帝国、共和国共に今回の働きを認め、こちらの要望を飲み既に椅子を用意されているのだが、肝心の椅子の主はいまだに眠り続けていた。
「しかし、罪作りな人ね。貴女みたいな人を待たせ続けているなんて」
看護婦長にもう何度目かと思う言葉をかけられる。
毎日のようにお見舞いに来ている私の事を心配してくれているのだろう。
ただでさえ、慣れない子供の相手がある。接し方が分からない。
そして、いつものように病室へと顔を出すと身体を起こすシャルがそこにはいた。
待ちに待った光景。だが、それでもいつものように事務的に彼にこう告げる。
「おはようございます。それで、良いニュースと悪いニュースどちらから聞きますか?」
「それより、どれくらい眠っていた?」
「七曜歴千百九十七年です。もう、季節が二つほど跨いだかと」
その言葉にシャルは右眼を押さえながら、こちらへと視線を動かした。
そして、おもむろにベッドから起き上がると用意されていた服へと着替え始める。
半年間ずっと眠り続けていたのだ。それを平然と立ち上がり、動いている。
様子がおかしい。その事にフェイは気が付くが、触れるような事はしなかった。
「なるほど。理解した。そろそろ、ここも潮時だな」
「そ、それは……。その……実は……救出した子供を一人預かっておりまして……」
「そうか。でも、どうするつもりだ?」
分かっている。最初から、面倒を見る事が出来るような場所に自分達はいない。
責任を取れるような――そんな人間では自分達はない。
今後、帝国の情報部。共和国内の機関に所属するならばそれは油断を招く。
だからこそ、解っている。彼女を引き離さなければならない事くらい。
「時間はある。それまでに決断すればいい。二年もあれば、道も見えるだろうし、食い扶持さえ稼げるようになればどうにでもなる」
動けるようになるにはそれだけ準備が必要になる。
それまでの間は両国を行き来し易いこの地を中心に動く事になる。
それが終わるまでの間に答えを出せばいい。
どういう形になろうとも……だ。
「それで、その子供はどこにいるんだ?」
「事務所で待っているようにと……ただ、どうやら普通の子供とは何か違う気が……」
他の施設でもそうだが、何らかの人体実験を行っていた節がある。
その被験者であるとするならば、彼女のあの他人と距離をとる態度もそれによるものなのだろう。触れられる事を恐れているのはそれによるものならば――。
「なるほどな。胸糞が悪いな。当たり前が当たり前でなくなっちまうのは」
「はい。だからこそ、我々が」
再び、そのような事が起こらないように。
早急に対処出来るように。こうして、準備を進めて来たのだ。
様子がおかしいと感じたが、気のせいだったらしい、変わらない。いつものシャルだ。
そう思いながら、退院の手続きをする為に一度、病室を後にするのだった。
そして、また季節が一つ過ぎる。
その頃には少しずつではあるが、あの少女も言葉を発するようになった。
それにより分かったのは彼女は触れた相手の心を読む事が出来ると言う事だ。
何より残酷なのは、薬によってそれを発言させられ研究者達。自分を犯した人間達の心の声すらも否応なく聞いてしまっていたという事だ。
だからこそ、他人に触れる。心を読むという事を酷く恐れていた。ソレが真相だった。
「脇が甘い。だから、こうして武器を飛ばされる」
少女の持っていた木刀が宙を舞う。
日課である訓練だ。剣を扱う技量があれば、軍に入るのにも遊撃士になるにも困らない。
そう判断してのものだった。何より、シャルが教えられる唯一の事でもあるからだ。
「もう一度、お願いします」
「次で最後だ」
その言葉が意味しているのはその言葉通りの意味だ。
既に用意は済んでいる。後は、帝国内部で活動する事になる。
だからこそ、既に彼女の行き先も用意した。あそこならば、カシウス=ブライトの下でならば、彼女も自分の道を見付けられる事だろう。
私は自分の道を進んで行ける。
そう思いながら、少女とシャルの訓練を眺めていた。
先に動いたのは少女。だが、当然シャルの動きに翻弄されるだけである。
経験の差。そこに存在する絶対的な壁に立ち向かう少女の姿がどこか微笑ましい。
そう思っていたのだが、どうやら彼女の成長に気付けていなかったようだ。
少しずつではあるが、シャルの剣速について行っている。
それに何か企んでいるのやらシャルの懐へ入り込もうとしている。
だが、そこは最も危険な位置である筈だ。それをわざわざ選ぶ理由……。
「終わりだ」
木刀が再び宙を舞う。
だが、少女の身体がそれに合わせて持っていかれる事はなかった。
木刀を棄てたのだ。唯一の武器を。
シャルの木刀は振り上げられている。つまり、阻むものは何もない。
『寸勁』
足を踏み込むと掌をシャルの腹へと突き出す。
完成度で言えば60%。自分へのダメージを逃がしきれてはいない。
けれども、十分な威力はある。
シャルは身体を任せる事で衝撃を逃がす事に徹したらしい。
木刀は握ったままだ。着地した時点で……。
それを少女も理解しているのか、腰を低くすると木刀を掴み走り出す。
「私だって、いつまでも負けてばかりじゃありません!」
木刀が薄緑に発光すると、その光は円を描き、回転しながら迫っていく。
シャルの使う断罪炎の派生技とでも言うのだろうか。断罪炎自体は技を当てる事により、衝撃波を武器を通じて流し込む技だ。
だからこそ、接近戦を挑まなければならない。
しかし、少女が用いた技は避けられる可能性は増えるものの、遠距離からにも対応している。寸勁にしてもそうだが、いつの間に覚えたのだろうか。
チャグラム――いや、円月輪とでも名付けるべきだろう技は正確にシャルの方向へと飛んでいく。しかし、届くよりも先にシャルが地面に足を着けた。
そして、木刀でそれを受け止めると弾き飛ばす。
「まだ、技の詰めが甘いな。だが、勝敗は決したか」
シャルが木刀を振るうと砕け散る。
先程の円月輪に耐えきれなかったのだろう。
ただ、本物の鋼であるならばどうなっていたか。何より、武器は砕けても身体の方まで衝撃波が通っていない。まだまだ、詰めが甘いとはその事がいいたのだろう。
だが、少なくとも勝敗が決したという事は少女を認めたという事だ。
「だから、最後に一つ技でも教えておいてやる。これをどうするかはお前次第だ」
そう告げると、少女の持っていた木刀を受け取った。
そして、それを振り上げる。
ただ、それだけ。その筈なのだが、その斬撃はまるで蛇のように捻じ曲がると近くにあった気の背後へと回り込み、何かが砕ける音がした。
「今見せた技をどうするかはお前次第だ」
「では、そろそろ夕食にしましょうか」
少女と共に過ごす最後の晩餐。
既に帝国行きのチケットと少女がリベールへ向かう為の費用は用意している。
「あの……今日は何かの記念日なのでしょうか? いつもより」
「たまにはこのような日々があってもいいでしょう」
半年間ではあるが、こうして自分が得られなかった時間を過ごせたのはいい経験になった。少しばかり、心残りではあるがそれも時期に気にならなくなる。
少しだけ豪勢な食事を終えると、家の明かりを消していく。
「準備は整いました。では、参りましょうか。マリア様」
「いいのですか? 貴女は彼女と共に残る道もあるのですが」
悩まなかった訳ではない。
だが、きっとそれは彼女の為にはならない。
有り触れた当たり前を彼女に与える為にはこれが唯一の選択肢なのだ。
「私に彼女を撫でる資格はありませんよ」
この両手は血で汚れている。
身体に流れている血は人殺しの一族の血だ。
そんな自分が彼女を選べば、きっとその過去が彼女を傷付ける。
それを理解しているだけに自分から手を引く事を選んだのだ。
「これから先、騙し騙されですよ。そのような甘さはここに捨てて行きます」
「そうですか。まぁ、あの鉄血宰相と騙し合うのですから。約束を破った事も許してくれるでしょう。最初で最後ですから」
「それはどうでしょうか? 意外と根にもたれるかも知れませんよ」
そんな他愛ない会話をしながら、帝国へと向かう。
クロスベルを出る駅で一度、背後を振り返る。だが、すぐに電車へ乗るのだった。
「……おはようございます」
いつもならば、起こしてくれるのだが早起きしたのだろうか。
今日はフェイの目覚ましがなかった。
家のどこもかしこもが静けさに包まれている。昨日まで遭った筈のシャルやフェイの生活雑貨が全てなくなっていた。
「まだ、夢でも見ているのでしょうか? 急に人が消えちゃうなんて……」
「夢じゃないわよ。はぁ、これ渡してくれってさ」
合鍵らしき鍵をくるくる回しながら、酒臭いイリアさんが玄関を開けて現れる。
手には一通の封筒。それを受け取るとそこには自分の新しい家族について書かれていた。
「なんですか……これ?」
「私がこういう事言うと、アイツの方もってるように聞こえるかもしれないけど、アイツなりに色々と考えた結果なんじゃない? アンタが当たり前の日常を生きられるようにって」
当たり前。それがなんなのか。
シャルがいて、フェイがいる。ソレが今の日常。当たり前になりつつあった。
だからなのだろうか。目の前から去ったのは。
「一応、見送る為に来たんだけど。もしも、ここに残りたいなら私の所にでも来る?」
「……いえ、結構です」
「即答なのね。まぁ、アンタまでいなくなるなんて淋しくなるわね」
どこか寂しげなイリアさんはそう呟くと大あくびをする。
その欠伸が良い事を言っていたのを台無しにしてしまうのだが、本人はまったく気にした様子を見せず、こう続けた。
「まぁ、たまには帰って来なさいよ。心配だからさ」
「あの……一つ、聞いてもいいですか?」
「ん?」
徹夜でお酒でも飲んでいたのか、酒臭い。
少しだけ怖いが、やはり聞いておかなければならない。
「シャルさんもフェイさんも何か言ってましたか?」
「……何も言わなかったけど、アイツはアイツなりに心配してたから色々、叩き込んでくれたんだと思うわよ。一人でも大丈夫なようにってさ」
「そうですか……」
どこにいるのか分からない。
だが、探し出して一発。ぶんなぐってやらなければならない。
「あと、これ渡しといてくれって頼まれたんだった。確か、シュルペントって言ったかしら? 門出の祝いだってさ」
そう言って渡されたのはレイピアだった。
装飾など一切ない。ただ、実用性のみ突き詰められた一品。
あの人達らしい贈り物だ。だが、これで決まった。自分が何になるか。
「イリアさんもあまり、お酒を飲みすぎずに生活も改善して下さいね」
「えっ? ど、努力はするわ」
「約束ですよ。私も遊撃士になる為に頑張りますから」
遊撃士になる。
部屋に書物から考えて、帝国か共和国のどちらかにいるのは明白。ならば、そこを活動範囲に出来る組織。遊撃士になるのが二人を探し出す上で一番早い道だろう。
支部を渡り歩けるようになるには時間がかかるだろうが。
「えっええ。約束ね」
苦笑いを浮かべながらイリアさんはそういうが、きっと三日も持たないだろう。
そう約束すると、私は入っていたチケットを手にリベール王国へと向かうのだった。
少し駆け足過ぎたかも知れないので、あとで修正するかも。
次から空の軌跡に入ります。