眩く輝く品の良いシャンデリア、細かく繊細な模様が織られたカーペット、艶やかに磨かれた木彫の手すりが階段を飾り、壁に掛けられた絵画や調度品の数々がとても華やかである。
そんな一般庶民な日本人がいるはずもない空間の中で、俺は腕を組んで冷ややかな目で見下ろしていた。
──何をか? もちろん、カーペットの上に強制的に正座をさせた馬鹿共もとい、ジョナサンとディオをだ。
「俺、言ったよな? お前達に一緒に行かないって言ったよなぁ? ちゃあんと賭けにも勝ったよなぁー?」
「ハイ」
「そうだよな、俺にも日常があるし、生活基盤はあの時代なんだから、百年前のましてや外国の生活習慣なんて一切知らないし、戸籍も無ければ仕事も無い。不法滞在で公的機関にしょっ引かれても、何も文句を言えない状態になるよなぁ」
「ハイ」
「な・の・にッ! 何してくれちゃってんだこのがきんちょ共ーッ!?」
「イタタタタッ!?」
二人の頬を思いっきり抓れば、神妙な顔とふて腐れた顔が涙目に早変わりした。はん、ざまぁ。
よりにもよって、百年前の産業革命後のイギリスにタイムトリップたぁ、ほんと何してくれちゃってんの。ふははは、どこまで伸びるかなぁ?
「さあて、言い訳あるかなぁー? 」
「だって、もっとヘーマと話していたかったんだッ!」
くしゃりとした泣きそうな顔を見せたジョナサンに、俺の指の力がやや緩む。ほーう、続けて。
「ひどいことをした、とは思ってる。わかっているよ。でも、でもッ! 僕は、貴方と会えなくなるのが嫌なんだ」
涙目で、必死な顔で、縋るように俺のズボンをつかむジョナサン。叫ぶようなストレートな言葉に、被害者のはずの俺が罪悪感を覚えるという。……ねぇ、これずるくない。
これは無理、これは怒れない。そうかー、お兄ちゃんと離れたくなかったかぁー、まったくもー。
ほっこりとした気持ちでジョナサンを見てると、頑なにこちらを見なかったディオが、ポツリとつぶやいた。
「……ヘーマがいれば、俺は……」
かすれるような声に、俺は息を飲んだ。ディオは、それはもう非常にプライドが高い。原作であるマンガでもそうであるし、数日間共に過ごして感じた。自分の弱さなど、他人の前で、しかもジョナサンの前で、見せるなんて耐えられるはずがない。
なのに、聞こえた言葉は、この俺より小さい少年からのSOSのような気がして。
深々と息を吐けば、ピクリと動く金色の頭。
「色々、常識とかマナーとか。教えてくれるか?」
和解の言葉を口にすれば、任せてくれと嬉しそうな声。仕方がないなー、と苦笑いを浮かべるしかなかった。
* * *
「どうすっかなー……」
与えられた一室の豪華なソファーに座り、でろりと身体の力を抜いて、深々とため息をつく。
この時代にやってきた直後、帰宅したジョナサン達の父親こと、ジョージ・ジョースター卿に正直に現状を話した結果、即座にジョナサンとディオが殴り飛ばされた横で、真摯に頭を下げられて謝罪された。あんまりにも見事に吹っ飛んだ二人に数秒間呆けた後、慌てて介抱しようと駆け寄ろうにも、目の前で深々と頭を下げ続けるジョースター卿をそのままにも出来ず。あのときの俺は、紳士の怒りを鎮めようと、必死に二人の弁護をするしかなかった。
どうにか宥めてジョースター卿が落ち着いた後に、やっと気絶していた二人の手当に取りかかれた。ううん、流石ジョナサンの父上だ。身体能力がべらぼうに高い上に、それはそれは頑固者だった。そして、ジョースター卿の善意で館に居候をしている俺。既にあれから一月の期間が経過している。そろそろ仕事と物件探しをしなくてはなるまい。
現在、どういうツテを使ったのか、ジョースター卿の多大なる好意の采配により、俺は市民権を手に入れており、堂々と働くことは可能だ。しかも、なんとディオの兄として登録されているので、ジョースター家の養子となっている。嘘だろ今だに信じられない。せめてこれくらいはさせてほしいって、最低限度のボーダー高すぎませんかジョースター卿。いや、確かに見た目はそっくりだけどいいんですかジョースター卿。一緒に話を聞いたディオがドヤ顔で、何故かジョナサンが羨ましそうだったけど。あのディオが実弟……アカン、なんか少し胃が痛くなってきた。
問題児との今後を思い、思わずため息が漏れる。衣食住が足り、元の時代へ戻ることも諦めた俺の悩みは、二人の少年の未来だった。
吸血鬼を巡る長い物語の始まりの二人。この世界としては古い過去から続く生存競争の一つで、後の英雄を生む因縁。ジョナサンとディオの確執があったからこそ、いくつもの出会いがあり、別れがあり、ジョセフ・ジョースターが生まれる切っ掛けとなった。
ジョセフの母、リサリサは新婚旅行中のジョナサンとエリナを襲撃したディオによって、両親を殺され、夫を失ったエリナに助けられたあと、妊娠中の彼女に代わって波紋戦士であるストレイツォに引き取られている。そして波紋を学び、ジョナサンの子、ジョージ2世と結ばれた結果が、【天才】ジョセフ・ジョースターに繋がる。
そのジョセフによって、世界が、人類が守られるのが、原作の二部だ。
つまり、あの水難事故がなくてはリサリサとジョージ二世の接点がなく、ジョセフが生まれず、柱の男たちを止める波紋戦士が減る、ということだ。
しかも、主力のリサリサとジョセフを。ついでにリサリサの弟子のシーザーも影響があるだろう。
「なにこのムリゲー。バグの改善を求めるぞコラ」
最終決戦メンバー全員離脱って、出版会社におびただしい量のクレーム確実だ。あれだろ、マンガのアニメが映画化して、IFの世界が出てくる感じだろ。大抵ヒャッハー世界になってるヤツだろ。んん、ある意味需要があるのか……?
血迷いかけた俺の思考は、さらに加速していく。
そもそも、俺の存在こそおかしい。何でこんなにディオに似ているのだろうか。2Pカラー並みにそっくりだぞ、ディオが成長したらわからんけども。
仮に俺が存在している時点で、この世界に乖離が始まっているのならば、たとえ原作の通りに進めようとしても、イレギュラーは出てくるだろう。その結果、ジョセフが生まれなかったとしたら。俺は、無駄に二人を見捨てたことに、なる。
──あの二人が、無駄死に?
『ねえ、ヘーマ。これ読めるかい?』
『一体何の本……まて、これ白文だろ。俺の国の近くではあるけど』
『ふん、やっぱり無駄だったろう』
『辛辣ぅ! なんで聞いたんだよ!? 読めますぅー! ちゃんと習ってますぅー!』
『やかましい』
──俺が、へたれていたせいで?
『さ、ジョナサン……食え』
『うー……』
『観念して口を開ける。ほんの一口だぞ? そこまで嫌がらなくても』
『ジョジョはお子ちゃまだから仕方ない』
『お子ちゃまじゃあなッ……ムグ!?』
『よーし、ナイスアシストだディオ』
──弟達が、死ぬ?
「ほぉう……?」
みしり、と軋むような音がする。
「──ああ、馬鹿な考えだった。無駄な思考だった。原作通りだと? 平和ボケというのはこういうことか、随分と呑気な頭になっていた」
ク、と自分に対する嘲りで喉が鳴る。そうだとも、俺は知っていたはずだ。子どもの頃、俺を虐めた同級生が、その日に描いた絵を──大切な人をモデルにした絵を破ったときに。無抵抗でいれば、か弱い羊だとなめられていれば、大事なものは簡単に壊されるということを。
今度の相手は同じ小学生じゃあない。少し威圧したくらいで、手を出せば危ないと思い知らせられる程度の相手ではない。
こちらの死力を尽くして、ようやく勝ち目がぼんやり見えるかどうかすら危うい程の、圧倒的格上の種族。
──だが、今は動けないただの石像だ。
腹筋に力を込めて起き上がる。立ち上がる際に、手を置いた肘掛けが何やら波打つように凹んでいた。あれ、こんなデザインだったろうか? 首を傾げながらドアまで進み、ドアノブをゆっくり握りしめた。
ドアの隣、壁掛けの『絵』に視線を向ける。つり上げられた口角、嬉々として細められた目元。其処に映った男は、万人が見ても心底嬉しそうだと表現するだろう。
ただし、背後に浮かぶ仮面と無数の額縁が、男に異様な印象を加える。
そう、きっとこう思うはずだ──なんて禍々しい笑みだ、と。
* * *
「あれ、ヘーマ。出かけるのかい?」
「ジョナサンか、おかえり。ちょっとな」
「ただいま。珍しいね、ずっと引きこもっていたのに」
「誰が引きこもりだコラ」
屋敷の玄関までの道のりをジョナサンが歩いていると、向かい側から平馬がゆったりと近づいてくる姿が見えて、少年は小走りで駆け寄った。久しぶりに太陽の下で見る兄貴分は、少しやせたように思える。大雑把に見えて以外と気を遣う彼は、あまり屋敷から出てこようとしなかったが、ようやく外に出る気になったのかとジョナサンは嬉しく思った。
それと同時に、屋敷に閉じこもっていた彼が一人で外に出て、無事に戻ってこれるのか心配になった。このロンドンという街は発展しているものの、非常に治安が悪い地域がある。いくらヘーマがある程度の護身ができるとはいえ、多勢に無勢となれば危うい。
「大丈夫? 僕が案内しようか?」
「へーきへーき」
「でも、危ない場所もあるんだよ」
危ない場所ねぇ、と兄貴分は目を細める。その目を見て、ジョナサンの心臓がはねた。──いま、一瞬ヘーマの目が赤い色に見えたような。
「それは怖いな、どの辺にあるんだ?」
パチパチと瞬きをして再び彼の目を見れば、キョトンとこちらを見つめる黒い目と視線がぶつかった。うん、やっぱり黒い目だ。さっきのは光の加減でそう見えたのだろう、と納得した。ジョナサンはヘーマに近づいてはいけない方向を指さしながら、どんな場所なのか身振り手振りで説明する。
「へえ、そんなところに。わかった、気をつけるよ」
「絶対近づいちゃダメだよ! ヘーマなんかすぐに誘拐されるからね? お菓子をくれるからって信用したらいけないよ!」
「子供か!? 俺ジョナサンより年上なんだけど!?」
苦笑いをしながら、ジョナサンの頭にチョップを入れたヘーマは、ひらひらと手を振ってジョナサンが歩いてきた方向に進んでいった。
「夕飯までには帰ってくるから」
* * *
ジョナサンが自室で本を読んでいると、扉をノックする音の後、ディオが姿を見せた。何か探しているのか、ジョナサンの部屋を一瞥している。
「ヘーマは?」
「さっき出かけたよ、すれ違わなかったのかい?」
「いや、俺は見てないな。何処に行ったんだ?」
「あ、聞きそびれちゃったよ」
あまりにも気軽に出ていくものだから、ジョナサンは行き先を尋ねるのをすっかり忘れていた。
「大方、絵の題材探しだろう。スケッチブックは持っていたか?」
「手ぶらだった」
「なら、すぐに帰ってくるさ」
腹でも減らせばな、と言い切りながらソファーに座るディオに、ジョナサンは笑い声で同意する。確かに、未来の食事に慣れたヘーマに、このロンドンの食事はさぞ口に合わないことだろう。ジョースター家においてはヘーマの指導により、コックの味付けの腕が向上しているため、問題なく美味しい食事がとれるのだが。
一通り静かに二人で読書をする時間が流れ、ふとジョナサンは先ほど浮かんだ疑問を口にした。
「そういえばディオ」
「なんだ?」
「ヘーマって──八重歯だったかな?」
* * *
「やあ、貴方がワンチェン氏だね」
ロンドン内の闇黒街『食屍鬼街』にある店で、平馬は店主に笑いかけた。
「そんなに警戒しないでほしい。今日はただ、貴方にお願いがあって訪ねたんだ」
警戒する──いいや、怯える店主の男に向けて、ゆったりとした口調で、心を絡めとられるような声音で謳うように言葉を綴る。
「なぁに簡単なことだよ──俺、いいや私と」
暗い昏い店の中、楽し気に嗤うその表情は。
「友人になってくれないかな」
“未来の弟分”に、とてもよく似ていた。
Q.もし一部の世界に行っていたらどうなった
A.闇落ちする