彩る世界に絵筆をのせて   作:保泉

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全ては巡る

 

 

 ――俺がパッショーネのボスに就任してから、もう十以上の年月が経過した。

 

 ディオやジョナサンはもちろん、パッショーネの構成員以外にシーザー達の手を借りて組織の再構成を無事に終え……その組織もハルノにボスの座を譲渡した後は元のエジプトに戻り、絵を描く生活を続けていた。

 

 横たえた身を起こせば、ぎしりとベッドのスプリングが擦れた音を立てる。動いた俺に気づいたジョナサンが読んでいた本を置いて立ち上がり、俺の背を支えてクッションを後ろに詰めてくれた。

 

 

『起きて大丈夫なのかい』

 

「ああ、少し動きたい気分なんだ」

 

 

 貧血で眩む視界に少年姿のジョナサンの微笑みが映り、俺も口元をゆるりと釣り上げた。

 

 

 一年ほど前、俺は突然倒れた。

 

 予兆など一切無く、いつも通りスケッチブックを手に出かけようとしたとき、全身から力が抜けた。崩れ落ちる身体をジョナサンが支えてくれたおかげで、床に打ちつけられることはなかったが、四肢が動かしにくいことに気がついた。

 

 それは次第に悪化してゆき、今では補助がなくては立つことも儘ならぬほど。歩くことは、非常に難しい。生命力を温存する為にジョナサンとディオは一日交替でしか外に出すこともできず、俺も肉体の年齢――いまは十四歳ほど――で日々過ごしている。

 

 

『何か口に入れられそうかな』

 

「少し欲しい、な」

 

『わかった、ちょっと待っててくれ』

 

 

 ジョナサンが隣の部屋に行く姿を目で見送り、俺は小さく息を吐いた。この部屋はとても広いが実は病院の一室で、パッショーネが経営に携わっていることもあって一年以上俺が占拠している。

 俺としてはもっと小さい部屋でいいのだが、見舞客が多いこととその大半が堅気ではないということもあり、かえって病院に迷惑になると理解してから何も言わないようにした。

 

 カーテンの閉められた窓に顔を向ける。倒れて以来俺の身体は光に弱くなったようで、直接浴びれば肌が赤く爛れてしまう。そのため昼間でも窓は閉められたままで、部屋の中は薄暗い状態だ。

 そんな窓辺に飾ってある写真立てには、以前ジョースター一家で見舞いに来た時に撮ったものが飾られてある。すっかり大人になった子供たちは、それぞれの道を選択し歩み始めている。

 

 ハルノはボスの貫録が付き、度々護衛を撒いて俺の見舞いに来ている。最近はハルノが見当たらないと、ブチャラティからこちらに来ていないか確認の連絡が来るようになった。大抵当たっている。

 

 ウンガロは美大を卒業した後、絵本の挿絵の仕事を始めた。二年前になんと結婚し、今では一児の父だ。相手はジュニアスクール時代から付き合っている女性で、生まれた子はなんとディオに似ている。お前の遺伝子は強いなと俺が呟いたら、その場にいたジョセフも承太郎も強く頷いていたのが印象深い。ジョナサンは苦笑いしていたが。

 

 リキエルは生物学者を目指して大学院で勉強しており、最近彼女ができたらしいとドナテロがこの前病室に来て愚痴っていた。おっとり系の彼女は料理上手らしく、お菓子好きなリキエルの胃袋をがっちりつかんでいるらしい。

 

 ドナテロは食いしん坊だった影響か料理人を目指して日々修行に励んでいる。徐倫の友達と付き合っていて、彼女の実家が飲食店を経営しているとのことで、そこで働かせてもらっているようだ。彼女とは喧嘩しては仲直りすることを繰り返していて、よく頬に手形がついている――ただし、拳の形の――とリキエルが報告してきた。

 

 トリッシュは予想もしていなかった……歌手になった。家事をしながらよく歌っていたが、まさか本職になるとは思っていなかった。そんな彼女はブチャラティが好きらしく、ハルノ達に協力してもらい休みを被せてデートに連れ出しているようだ。親代わりとしては複雑な心境である。

 

 徐倫は以前からアプローチしてきていた少年と十年かけて交際に至った。懐いていたウェスと徐倫の友人の姉が結婚してからしばらく落ち込んでいたが、彼氏となった少年は一生懸命彼女を慰めたらしい。ぎりぎり合格だとウンガロが悔しそうに話していたが、まだ承太郎には内緒にしている。付き合っている事だけは早めに伝えていた方がいいと俺は思うぞ。

 

 

 ジョセフもシーザーも、承太郎も典明も元気だ。レオーネも結婚して子供も二人生まれている。

 

 

 写真をもっとよく見ようと枕元に置きっぱなしにしていたメガネをかける。最近は視力も落ちてきて、老眼かと言ってきたウンガロに拳骨を落としたばかりだ。

 

 ――このまま症状が進めばどうなるのかと頭によぎることはある。俺が完全に動けなくなったその時、ピクテルの封印は解けないままなのか、それとも外れてしまうのか。外れてしまったら、彼らはどうするのか――その時が訪れる前に俺は彼らの処分を決断しなければならない。

 

 それが、承太郎との約束であるから。

 

 

 隣の部屋に行ったジョナサンはまだ戻ってこない。もしかしたら丁度お湯がなかったのかもしれないな、と俺は身体をずってベッドの縁まで動いた。足をおろし、スリッパをひっかけて窓辺の写真立てまで手を伸ばす……が、届かない。ち、もうちょっと窓よりにしてもらえばよかったか、ベッドの位置。

 

 もうちょっと、もうちょっとと伸ばす指先に写真立てがかすめる。もう少しだと意気込んだのがいけなかったのか、写真立てはぐらついて窓辺から倒れ落ちるのを俺は目を丸くして見た。

 

 陶器製の写真立て、トリッシュがプレゼントしてくれた写真立てが!

 

 身体を前方に倒す。腰掛けたままでは間に合わない、ここは全身で飛びつくのみ――ッ!

 

 

 ゴツ、という音が部屋に響いた。

 

 

『どうしたんだいヘーマ、一体何の音……何をしていたんだい?』

 

「し、死守したぜ……」

 

 

 慌てて戻ってきたジョナサンが、胸に写真立てを抱きつつ後頭部を片手で抑えた床に転がる俺を見下ろした。良かった写真立てが無事で。

 

 

『無理して動こうとするからだよ、僕を呼べばいいのに』

 

「いや、呼ぶほどのことでなかったからつい」

 

 

 倒れた俺に向かって手を差し伸べた呆れ顔のジョナサンに、俺は眉尻を下げつつ起き上がろうとして。

 

 何の抵抗もなく、自力で、その場に立ち上がることができたことに驚愕することとなった。

 

 

「――は?」

 

『へ、ヘーマ……?』

 

 

 常にだるかった力の抜けた身体も、薄暗い靄がかかったような視界も、途切れ霞みがちだった意識も。どんな医者の診察を受けても回復の兆しさえもなかったそれらは、まるで夢か何かだったかのようにどこにも残っていなかった。

 

 拳を握ったり開いたりして感触を確かめる。握力がちゃんと戻っていることを確認していたら、横から衝撃がぶつかってきた。

 

 

『よかった……元気になったんだねヘーマッ!』

 

 

 俺に抱き着きながら、目に涙を浮かべるジョナサン。先ほどまでの俺であれば、その衝撃に耐えられず気を失っていただろう。安心した表情の彼の背中を叩いて宥め、俺は久しぶりに自分から出てきたピクテルが絵を取り出す姿を見る。

 

 

『――何がきっかけだ?』

 

「わからん。あえて挙げるなら頭をぶつけたくらいか」

 

『なんだ、さっさと殴っておけばよかったな』

 

「お前に殴られたら俺死ぬからな?」

 

 

 ジョナサンに抱き着かれている俺を見て少し表情を緩めたディオだったが、すぐに皮肉げな表情で拳を握りしめた。いや、今さら殴っても変わらないと思うぞ。

 

 

『ヘーマ、本当にどうもないのかい?』

 

「まったくなにもなくて元気です。いや、いきなりぱっと体調が良くなったから、それが違和感があると言えるが」

 

 

 首を傾げている俺とジョナサンに、なにやら考え込んでいたディオがまるでスタンドの暴走のようだなと呟いた。

 

 

『俺がスタンドに目覚めたことをきっかけにしたホリィのスタンドの暴走……あれもあの娘のスタンドを封印した途端に体調が劇的に回復したのだろう』

 

「確かに……まるで原因を取り除いたような」

 

 

 だが俺には原因に全く心当たりがないのだが。もしかしたら自覚がないだけで不調な部分が残っているかもしれないと、俺はナースコールを押した。

 

 

 看護師が慌てて医師と共に病室に駆け込んできた後。あれよあれよと精密検査巡りを行い、その結果どこにも異常がないことがわかった。原因も解決策もわからないまま迷宮入り、のようだ。

 

 検査に疲れた俺を労うディオから見舞いで貰ったリンゴを受け取り、しゃくりと音を立ててかじる。うん、普通に食べられる。体調の悪い時はあまり味がしなかったリンゴをしゃくしゃくと堪能していると、ジョナサンがジョセフ達にも連絡した方がいいのでないか、と提案してきた。

 それもそうだと一番連絡が取りやすい承太郎にかけることにし、携帯を手に取った。

 

 

『――もしもし』

 

「やあ、久しぶり承太郎」

 

『平馬か、体調は大丈夫なのか?』

 

「それがさ、どうも――」

 

『ヘーマパパぁぁッ!』

 

 

 承太郎の渋い声に現状を伝えようとしたところ、途中で割り込んできた声に思わず形態を耳から離した。ひ、響く……この声はウンガロか。どうやら承太郎の携帯を奪ったようだ。

 

 

『どうしようヘーマパパッ、ユーインが、ユーインがッ!』

 

「どうしたウンガロ。落ち着いて、ユーインがどうした」

 

 

 聞こえてくる焦燥した声をなだめ、ユーイン――ウンガロの息子の名前だ――に何があったのかと聞き出そうとする。しかし、電話はすぐに持ち主の手に渡ったらしい。

 

 

『聞こえるか平馬。ウンガロが興奮しているから手短に話すぞ』

 

「承太郎、ユーインに何かあったのか」

 

『ああ……いなくなった』

 

「いなくなったぁッ!?」

 

 

 驚きのあまり叫ぶ俺の声に、お茶の準備を進めていたディオとジョナサンが振り返る。俺は携帯をハンズフリーに変更すると机の上に置いた。

 

 

『目を離したのは数分も経っていない、だが家の中から忽然と姿が消えている。部屋は二階でドアや窓からの侵入の痕跡はない』

 

「家はウンガロの?」

 

『いや、虹村家だ。丁度子供の顔合わせで来ていたんだが……形兆の娘は無事だ』

 

 

 ああ、そういえば形兆君の子供も先日生まれたところだったと頭の隅で納得していた。

 

 

「――なあ、承太郎。ユーインがいなくなったのは何時ごろだ?」

 

『夕方の六時頃、五時間前だ』

 

 

 壁にかかった時計を見る。現在、針は夕方の四時を指している。日本とイタリアの時差は七時間、そして今から五時間前は朝の十一時。

 それは精密検査巡りを始めた時間帯で、俺の体調が回復したのもそのくらい。

 

 

 そうか、そういうことか。

 

 

「承太郎、ウンガロにユーインは心配いらないと伝えてくれ」

 

『……なにか心当たりが?』

 

「ああ……なにしろ俺だからな、いなくなったのは」

 

 

 じゃあそういうことだから、と承太郎の返答を待たずに通話を切る。向こうはきっと混乱しているだろうが、しばらく放置しておけば落ち着くだろう。電源まで切った携帯を手に持ってくるりと振り返れば、それぞれ笑った二人の姿があった。

 

 

「どうやら、俺は孫らしい」

 

『だからディオにそっくりだったんだね、まったく……あまり承太郎をからかってはいけないよ』

 

『ジョセフとは従弟か……また奴が叫ぶだろうな』

 

 

 マジか、と叫ぶジョセフの姿が容易く想像できた。アイツも年だから驚き過ぎて心臓が止ま……らないな。そんな柔な心臓の持ち主じゃあなかったな。

 

 長年の疑問が解消されてスッキリしたところで、しばらくご無沙汰だった日光浴にでも出かけるとしよう。数十分もすれば日も暮れてしまう、できるなら今日のうちに光に当たりたい。

 

 さらさらと卓上メモに散歩へ繰り出す旨を綴り、部屋着から外出できる格好へ着替える。

 承太郎からハルノに連絡が行く前に、知らせを受けた彼がこの病室にたどり着く前に。

 

 

「さあて、逃げるぞッ!」

 

『ひどいなぁ』

 

『なに、止めないのならば同罪さ』

 

 

 俺達三人は顔を見合わせて笑い、見回りの看護士が近くにいないことを確認して病室から出た。

 上手いこと抜け出し外の公園を伸びをしつつ歩む。

 

 

「んーッ! この開放感、人間やっぱり日光にあたらないとダメだよなー、健康のためにも」

 

『ハァ……おっさんくさくなったな、ヘーマも』

 

「ジジイには言われたくねぇ」

 

『誰かジジイだと?』

 

「ぐああああッ! あ、足浮いてる……ッ」

 

 

 無表情でアイアンクローをかけられ、宙吊りにされる俺……しまった、少年サイズだから足が届かなくて逃げられん!

 

 

『ディオ、ヘーマが元気になって嬉しいのはわかるけれど……それくらいにしておかないと、いくらヘーマでもまた寝込んでしまうよ』

 

『それはつまらんな』

 

「オーケー、二人とも俺の扱いについて後で深く話し合おうか」

 

 

 止めているのか俺を貶しているのか、判断に難がある言葉に昔日の純粋だった彼の変革に涙が出そう。性格が悪くなっているとかではないんだ……そう、人が悪くなっているだけで。

 

 じと目で見れば、爽やかに笑って流される。これが成長というものか……。

 

 嘆きのあまり天を仰いでいる横で、ディオは何故かある方向を見つめていた。

 そしてふと口の端を吊り上げて、俺と視線を合わせれば、先程向いていた方を腕を組んだまま指差した。

 先を辿れば、示された方向に立っているのは二十代の若い日系の女性。かなり美人だ。見舞い客なのか花束を抱えたその人は、長い髪を風に揺らして俺達を静かな目で見つめていた。

 

 ……あの、なんか、俺凝視されてないか。

 

 美人にガン見されて居心地が悪くなってきた俺は、目線を横へと泳がす。そんな俺をジョナサンが困った顔で鈍感だね、とため息をついた。

 

 なんなんだ、と俺が困惑したとき。

 

 

「思ったより元気そうね。……少しは気付きなさいよ、このヘタレ男」

 

 

 そんな、鈴の鳴るような声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 -完-




ようやく完結へとこぎつけました。途中かなりのスピードダウンしましたが。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

追記
そういやわからないよな、と。

彼女の能力は時間の巻き戻しです。
効果範囲は自身か自分を除いた周りのどちらか。
今までは無意識下で自分に使用していましたが、制御できるようになりました。

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