トリッシュに手を引かれながら通路をひた走る。スタンドが目覚めたことで気合でも入ったのか、先ほどまでの疲れた様子を見せず、彼女は真っ直ぐ前を見て走っていた。
そんな眩しい後姿を見ていたが、俺は少しだけ、視線を逸らす。
『嫌なのよ、もう失うのは……家族が居なくなるのは嫌ッ!』
先ほど、トリッシュが叫んだ言葉は、嬉しかった。
二月ほどしか付き合いのない俺を、身内として見てくれた。失いたくないと思ってくれたことは、俺の胸を温かくした。
けれど、どうやら俺は……フラれてしまったらしい。
保護者のように振る舞ったのがいけなかったのか、そもそも告白していないこと自体が拙いのか。
あの雨の日に傷ついた彼女を見て、口説くことができなかった――――傷心につけこむことができなかった、俺の良心を罵ればいいのか。
家族と言われて、もう失いたくないと泣かれて。
ここからでも手を出すことができるような、俺がそんな性格だったらよかったのに。
わずかに顔を俯かせた俺を、トリッシュが呼ぶ。
「どうした?」
「ひとつ、あのラジコンを撒く為にやってみたいことがあるの……いい?」
何故かおずおずとした様子を見せるトリッシュに、俺は首を傾げる。何を戸惑っているのかわからないが、やってみるといいと告げれば彼女は頷いた。
そして、おもむろに民家のドアノブを握り締める。
「――って、マジか!」
「邪魔するわよ」
幸運にも施錠されていなかったドアをくぐり玄関を抜け、お食事中のダイニングを通り過ぎて、その先の階段を最上階まで駆け上がる。ある部屋に押し入ったところで、ホルマジオがトリッシュの肩から飛び降りていた。
どうやらここで一旦別れるつもりらしい。素早く身を隠した彼に気づくのは難しいだろう。
トリッシュはといえば、ベッドの上で呆気にとられている二人の住人を無視したまま、ガタガタと窓を開けている。
「あの、もしかしてトリッシュさん?」
「飛ぶわ」
腰が引けている俺を抱き寄せ、彼女は躊躇なく窓枠を蹴って飛び出した。ちなみに、ここは四階である。
慌てる俺をしり目に、トリッシュは冷静にスタンドで地面を殴りつけ……柔らかいクッションとなったそれに俺達は着地した。なるほど、飛び出したのはこれがあったからか。いやいや、スタンド能力を目覚めたばかりで使いこなせていることが驚きだ。
寝込んだ俺とは大違いである……物凄くパワー型のスタンドのようだし。
建物を使えば追っ手を撒けるのでは、という期待は、残念ながら外れてしまったらしい。
少し先に、青いラジコンが浮いている。もしかして、身体のどこかに発信機とかつけられていないよな? 遠隔操作型と言えど、本体と感覚が繋がっているはずだから、何らかの方法で俺達を認識しているはずなのだが……建物の中に入ってもダメか。
俺はトリッシュの手を取って走り出す。これは早々に町を出たほうがよさそうだ、スタンドは本体から離れられる限度はある。こちらの逃げる速度が上がれば、撒くことも可能だろう。
次第に建物の高さが低くなり、家と家の間が広くなっていく。ホルマジオの話だと、この先に指定のナンバーの車が止めてあるとのことだ。
そこまで走り切ってしまおうと速度を速めたとき、前方に人影が見えた。
待ち伏せか、と人影を睨み付け――――俺は、既視感を覚えた。
目の前に立つのは、金髪碧眼の青年。
静かに佇み、こちらを見つめる彼は動こうとせず、スタンドの姿も見せない。
ただその顔立ちが、その目が、その色が……俺の記憶にひっかき傷を作っていく。
いつの間にか、俺は立ち止まっていた。
逃げなければいけない。トリッシュを連れて、この町を出て、ホルマジオ達と合流しなければいけない。
目の前の青年を、振り切ってしまえばいい。
なのに、俺の脚は動かない。
「ヘーマパパ」
俺を呼ぶ声は、記憶にあるものより低い。それでも、気づくのには十分だった。
「――ハルノ?」
間違っているのか、正しいのか。俺が完全に理解する前に、前後左右を植物の檻が地面から伸びて俺達を拘束した。ああ――この子は俺の足止めの為に、姿を現したのか。
どこかぼんやりとした思考で、姿を現す追手の男たちを見つめる。
どうして、ハルノがトリッシュの追手になっているのだろう。思考が空回りしていることを自覚するが、それを止めることが俺には出来なかった。
「ヘーマ・ナカノとトリッシュ・ウナで間違いないな?」
背後から、落ち着いた声音で問いかけられる。だが俺は彼を振り向かず、ただただハルノを見つめるだけ。
「ジョルノ」
「ええ、彼は間違いありません」
背後の男は、ハルノのことを『ジョルノ』と呼んだ。
ジョルノ。
ジョルノ・ジョバーナ……あの漫画の、主人公の一人の名前だ。
久しぶりに――酷く久しぶりに思い出した。あの漫画でジョルノが主人公の舞台は、たしかイタリア。どうして思いつかなかったのだろう、ジョースターの血を引く彼が、巻き込まれないはずがなかったというのに。
見る限り、ハルノはパッショーネに所属している。そうでなければ、俺達を追ってくるはずがない。どうしてギャングに入ろうとしたか、今までの彼を知らない俺はわからない。
頭が働かない。こんなサプライズは本当に勘弁してもらいたい。
それでも、俺は――――。
ドン、と背中を突き飛ばされるような感覚が最初だった。
次に胸を貫くような痛みと、口の中にこみ上げる生温い液体。
目を見開き青ざめるトリッシュと――――そっくりな表情のハルノの顔。
力が抜け崩れる身体を、後ろから伸びてきた腕が支え、俺は地面に倒れることを免れる。白いスーツを辿れば、後方を睨みつけている青年の顔。襲撃の最初に目が合った青年だった。
「ナランチャ」
「おうッ! ……くそ、呼吸の反応が多いッ」
「狙撃手が複数いるはず。ミスタ、わかるか」
「あの丸い窓の屋上だな」
撃たれたのだと、胸元から溢れる赤い血でようやく気付いた。
見回す為に顔をあげると、引き攣った顔のトリッシュが目に入る。ああ、また泣きそうになって。視界の端で、周りの植物の檻が枯れていくのが見えた。
彼らが周囲の確認をしているということは、俺を撃った犯人は追手の彼らとは別口らしい。ホルマジオ達以外にも、追手がいたのだろうか。
それならば、俺達が捕まる前の逃げている最中の方が、より捕まえやすかったはず。いいや、トリッシュが目的なら、拘束された俺をわざわざ撃つ必要があるのだろうか。
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
狙撃者の狙いが、元々俺だとしたら。
俺を狙うような犯人に、心当たりはなかったか?
歯を食いしばって手足に力を入れる。胸から血が噴き出す事など、今は意識の外に置いておけ。起き上がった俺を押しとどめようと、細い腕が触れた感触を振り払い、前へと足を踏み出す。
標的が俺なら。次に狙われるのは――――。
目を丸くする息子に笑みを向け、まだ細身のその身体を覆うように抱きしめた。
二つ、響く銃声の音。
「……ヘーマ、パパ?」
呆けた様子で呟くハルノの声に、俺は腕の力を少し緩めた。
怪我はないか、と尋ねると、ありませんと返ってくることに安堵する。背中の熱さなど吹っ飛びそうなほど、ハルノに何もなかった事に深く息を吐いた。
「元気そうで、安心した」
「――ッ」
「見つけるのが遅くて、ごめん……な……」
襲ってきた眠気に目を閉じ始めた俺に、叫ぶような声がかけられるのを遠くで聞く。
悪い、大丈夫だと伝えたいが眠すぎる。後で説明するからと内心で詫びながら、俺の意識は深く沈んでいった。
*
「やだ、起きて! 目を覚ましてよヘーマさんッ!」
「揺するんじゃあない! 手当てをしなければ彼は本当に死ぬぞ!」
動揺してヘーマの身体を揺するトリッシュを、黒髪の青年――ブチャラティが制止する。三発の銃弾が撃ち込まれたにしては、出血の量が少ないことに彼は気づいていたが、余計な負担は減らした方が良い。
「僕がみます」
ゴールド・エクスペリエンスを出現させたジョルノに任せ、ブチャラティはトリッシュの手を取って近くのブロックに座らせた。
今回の任務を受けた後、移動中の休憩時間にジョルノは追う対象が自分の父親同然の相手だとメンバーに話した。勿論ジョルノが組織と敵対している者と通じているのではないか、そう疑心を大半のメンバーが持つのは当然だった。
しかし、それでもブチャラティはジョルノを信じた。
それは他より彼の覚悟を知っていたためでもあるが、それよりも『ボスの秘密』を知っているかもしれないヘーマから、何か情報が得られないかと考えたためでもあった。
ヘーマとボスの娘であるトリッシュを追って分かったことは、彼が外見年齢を変えられるということと、何者かに狙われているということ。
狙われる対象には、ジョルノも含まれているということだった。
「これからどうするんだ、ブチャラティ」
集まってきたメンバーの一人、アバッキオがしゃがみ込んでいるジョルノを一瞥する。まずはボスの娘の奪還を優先していたため、その後どうすればいいかの指示はなかった。
数日後にはボスからの指令が届くだろうが、それまでは姿を隠さなくてはいけない。
「まずはこの町を離れる。彼の治療が完了次第、出るぞ」
意識のない彼が何を知っているのか、それを聞きださなければならない。