次の日の朝、家に泊まっていった美喜ちゃんたちを、俺は玄関の中から見送った。
俺が今日にも帰るだろうということは伝えてある。爺さんのスタンドを壊すまで、もう少しこの家に、この世界にいることはできた。だがそれでは、俺はこの世界に心を残してしまうだろう。
これ以上俺の欲が出る前に、この家から離れるつもりだった。
いいのかい、とジョナサンが俺に聞く。
結局、俺は美喜ちゃんに何も伝えなかった。彼はそのことを言いたいのだろう。
口元をゆがめて、いいんだと俺は返した。
彼女は人間で、俺は吸血鬼。もう、時間が流れる早さは異なっている。
何も伝えるつもりはない。何も聞くつもりもない。
俺と彼女の間にあるのは、家族愛だけでいい。
欲のないことだ、とディオが嗤う。聖人でも目指すつもりかと嫌そうにも言う。
そんなつもりはないと俺が言っても、信じていないようだった。本当に、そんなつもりはないのだが。俺はただ、そう……意地を張っているだけなのだから。
*
爺さんのスタンドを探すことになった俺達だが、俺にひとつ心当たりが合った為、まずはリビングから始めることにした。
『で、これが怪しいということか』
「そう、この壁掛け時計」
そろって見上げるのはリビングの壁に掛けられた、古めかしい振り子時計だった。この時計がいつも三時を示すと誰かが来訪し、また元の場所に帰っていった。
「実はこれ、電池を変えたことが一度もなくて。爺さんがソーラー時計だと言っていたから信じていたけれど、よく考えるとこの古さでそれはないよなぁ」
『ソーラー時計……ああ、太陽の光を燃料とする発電方法があったな』
『へぇ』
意外にもディオはソーラー発電を知っていた。流石にジョナサンは知らないようだったが、本当に勤勉な奴だな。
話がずれたが、俺がこの時計を怪しいと思った理由はもうひとつある。
俺がディオの屋敷に行った後、一度家に戻ってきたときのことだ。あの日、承太郎達は午後三時になって元の世界に帰っていった。そのときに俺も世界を移動したため、再び戻ってきたときは『来たときとまったく同じ時間』となっているはずだ。
つまり時刻は午後三時に既になっていた。
だが、その後……俺が再びあの世界に行ったとき、もう一度時計は三時を示している。
リビングに戻るときに、時間が遡ったということはない。そうすれば俺はリビングにまだ居たはずの承太郎達と、なにより俺自身に会っている筈だ。
それがなかったということは、つまり時計の針が戻っていたということ。
故障であるのなら、今も時計は止まったままか現在の時刻とずれているはずだ。しかしテレビの時間を見る限り、一分たりともずれはない。
爺さんの言うとおりソーラー時計だとしても、電波時計ではない。時刻を合わせる機能がないにもかかわらず、この時計は正確に時を刻んで示している。
怪しいことこの上ない。
ディオとジョナサンに俺の考えを伝えると、二人とも納得した。
『試しても一つ時計が壊れるだけだからな』
「なるべく壊したくないんだけどなぁ。爺さんとの思い出だしさ」
『ねえ、ヘーマ。ピクテルにそのスタンドを封じてもらったら、効果は消えるのかな』
「あ」
ジョナサンの提案に、ぽんと俺は手を叩く。そうか、本体の死後も継続するスタンドでも、封じられたら効力を無くすかもしれない。効果が消えなかったら消えなかったで、とくに問題もない。
俺は肩の上あたりに浮いているピクテルに目配せをする。彼女は頷き、真っ白なキャンバスを取り出して壁にかけた時計に近づける。
「あ、待った!」
もう少しで触るところで、俺はピクテルを制止する。慌ててキャンバスを時計から離したピクテルが、何故止めるのかと不満そうな顔をしている。
すまん、ちょっと準備が足らなかったので待ってほしい。
『どうした?』
「忘れ物があって。ほら、ジョナサンとディオを描いた絵。あれだけは持って行きたい」
『……ヘーマ、後ろ後ろ』
急いでアトリエに行こうとした俺にジョナサンが肩を叩いて指を差す。振り向いた先には自慢げな顔をしたピクテルと、その手に収まったスケッチブックの中に描かれている見たことのある絵。
本当に、お前は気が利くスタンドだなぁ。手回しが早いといえばいいのか、俺の絵だから良いが下手すると持ち逃げもしそうなピクテルに俺は頭がとても痛い。なぜなら奴はジョナサン誘拐という前科がある。
窃盗という犯罪だけはしないでくれな。
さっきはそのままだったが、安全のためにディオ達には絵に戻っていてもらう。どうなるか分からないから、念のためだ。
意気揚々とキャンバスを時計に近づけるピクテル。ゆっくりと時計が飲み込まれていき、姿が完全に消えたとき俺の視界はぐにゃりと歪んだ。
これはいけたか、と内心で拳を握り締めていると、不意に俺を襲う浮遊感。
驚いた俺が口から言葉を漏らす前に、なにか柔らかいものに当たって、すぐに床に身体をしたたかに打ちつけた。
なんなんだ、今回は地面からの高さがずれていたのだろうか。痛みにもだえながら周囲の状況を把握しようとするが、真っ暗で何も見えない。いまは夜なのだろうか。
「なんだあ~!?おやじの上に黒い布が落ちてきやがったぜー!?」
「布ってゆーよりはよお~、あれは服っぽくねーか?」
どうやら近くに人がいるらしく、突然現れた俺に驚いているようだ。だけど布が落ちてきたって……まあ、マントというか外套というか着たままだからな、布が落ちてきたように見えるだろう。
しかし最初の柔らかいものとは人だったのか。とても驚いただろうから大変申し訳ない、怪我をしていないといいんだが。
「じょ、仗助くんッ……あれ、布の端から見えているの、手じゃあないかなーッ」
「あ~? ありゃあ……手だよなあ~」
ギシギシと木を踏みしめる音がする。板張りの床を歩いて俺に近づいているのだろう。先に起き上がろうにもまだ痛みが続いているせいで、どうも動けない。
変だな、俺はこんなに痛みに弱かっただろうか。
俺の傍に来た人物はひょいと布をめくりあげる。突然視界が明るくなった俺は、目を細めて光の量を調節する。
……ちょっと待て、これ太陽の光じゃあないか?
慌てて布を被ろうと手を伸ばすが、布を持っている人物の力が強いのか、俺の力ではびくとしない。
戻って早々死ぬって嫌だなあ、と諦めはじめた俺の前に、ぬっと人の顔が現れた。
それはどこか見覚えのある、宝石のような緑の目。
「あ、赤ん坊だッ! 康一ッ、この黒い服の中によー、赤ん坊がいるぜッ!?」
「え、ええ~ッ!?」
赤ん坊?
俺の身体は目の前の人物にたやすく抱きかかえられ、いま自分が太陽の光が差す部屋にいることに気づく。しかし身体を焼くはずの光を浴びても、俺の身体は崩れ去ることはない。
もしかして、と恐る恐る手を目の前に持っていく。
視界に入るのは何時も見慣れた骨ばった大人の男の手ではなく、小さく柔らかそうな子ども――いや、正直に言おう――赤ん坊の手だった。
俺の脳裏に、エンヤ婆の言葉がよみがえる。
『すべては始まりに戻り、ゼロからの出発と示されておりまする』
俺はこの予言をどんな経緯を辿ろうが、いずれ元の世界に戻ることを示していると思っていた。
だが違う、始まりに戻るものは他にもあったらしい。
今の俺は、恐らく爺さんの家に来た当初の年齢の身体だろう。施設の先生に聞いた話によると、恐らく生後六ヶ月程度のはず。
「おめーらの弟かよ?」
「違う……俺たちは二人兄弟だぜッ! 俺と億泰だけだッ!」
「そうだぜ~、おふくろも俺がすげーガキのときに死んじまってるしよーッ!」
「なら……この赤ん坊、一体どこから来たんだろう?」
とりあえず身体が小さくなっているのは、もうしょうがない。どうにもできない部分だと諦めよう。
それよりも俺は先ほどから……とても気になっていることがある。
出てきた名前……『仗助』『康一』『億泰』という読んだ覚えのあるこれらの名前。
俺を抱き上げている人物を見上げる。リーゼントというインパクトのある髪形をしているが、誰かに似ている顔立ちに特徴的な緑の目。
多分――いや絶対、彼の名前が『仗助』ではないだろうか。
つまり……ここって、四部?
どうやら再会の約束を果たすことはできそうだ、と俺は少しほっとした。身体が小さくなったのは予定外だが。