カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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八十話

 護堂にメールが届いてから数日の間は、特に波風が立つこともなく平穏な日々が続いていた。

 その間、正史編纂委員会が晶の暮らすマンションに職員を送り込んだり、結界を敷設したりと物々しく動いていたが、それも一般には認識されないものであり、護堂の目から見てもこれといった変化があるわけではなかった。

「何か、奇妙な胸騒ぎがするのです」

 あるとき、祐理がこのように呟いた。

 それは、晶の家に恵那が下宿することになったあの会議の帰りのことである。

 媛巫女史上最高峰の霊視能力を有する祐理の勘は、とにかく当たる。それは、元々霊視という能力が幽界から情報を齎す能力であることと不可分ではないだろう。

 無意識の領域で幽界と繋がりやすいのが媛巫女である。第六感という形で、幽界から情報を引き出すのであるから、理由のない不安が大事の前兆だという可能性は否定できないのだ。

 これまでにも、幾度かそういうことはあった。特に、『まつろわぬ神』や呪術が関わるものに於いて、祐理の霊視はほぼ的中する。外すということはまずありえない。

 何かが起こるかもしない。

 そんな漠然とした、予想とも予測でもない、単なる予感が、あらゆる確率論を無視して真実に到達するのが祐理の勘である。

 おまけに、彼女の勘ないし霊視は、その根拠となる情報に触れることで想起されるように降りてくる。

 例えば、『まつろわぬ神』の来歴や正体に関してはその神の神気を浴びることで、霊視を得る確率を上げることができるし、そこまでではなくとも、問題の根幹に関わる情報を得ることでそこから結び目を解くように脳裏に情報が浮かび上がってくるという。

 今回、祐理が不安を覚えたのは、晶が狙われているという情報からである。

 それが、どれほど曖昧模糊としたものであっても、晶が関わっていることには疑いを挟む余地はない。

 護堂も今まで以上に晶を気にかける必要がある。

 如何に恵那が傍にいて、その他の呪術師たちが張り込んでいるとはいえ、相手は伝説の陰陽師の名を冠した謎の『まつろわぬ神』もどき。その力が戻ってきているというのなら、当然に並の呪術師では相手にならない。その上、相手には牛頭人身の軍神が従属神として控えている。出会いさえすれば始末もできるだろう。しかし、いつ、どこから攻めてくるか分からない相手に注意し続けるのは、それだけで精神力を消耗するものだ。

 晶も、自分が狙われているかもしれないということで、顔には出さないものの、憔悴しているはずである。

「俺も、気を付けないといけないか」

 晶が暮らすマンションを見上げる。

 彼女が暮らしている部屋は、護堂の家がある方に面している。ここからならば、ベランダを見ることができる。

 呪術に慣れてきた護堂は、結界を視ることができるまでになっていた。それがどのような効果があるのかまでは、知識がないため分からないが、道満に対処するためのものだということは分かる。

 どことなく、肌がひりつくような感覚を、護堂は感じ続けている。

 それは、試合に臨む前の緊張感に酷似していた。

 大きな戦いが近づいている。

 そんな気がするのだ。

 

 

 地脈が大幅に乱れたのは、その数日後のことである。

 地脈というのは、要するにその土地の呪力の流れのことである。目に見えない呪力の川で、それは常に一定の流れを作って循環している。

 霊地は、その地脈が流れ込む土地のことである。地脈が川なら、霊地は湖ということになろうか。古来、そういった霊地は人々から信仰を集め、崇拝されてきた。縄文時代から続く自然信仰に根ざした宗教観の日本人には、とりわけ顕著な傾向であり、古い神社は概ね、この霊地の上に建てられている。

 その霊地の中で、突出して重要な地を挙げろと言われれば、大半の呪術師は以下の五つを挙げるだろう。

 

 外宮豊受大神社

 伊吹山

 伊弉諾神宮

 熊野本宮大社

 伊勢内宮

 

 

 これらを挙げる呪術師が多いのは、この霊地が一般に知られるパワースポットであったり、神話的歴史的に著名であったりするからということでなく、五つの霊地同士が結びつくことで、強大な護国の結界を構成するからである。

 それぞれが、正五角形の頂点となり、五芒星(セーマン)を描き出す。その規模は、一辺が百七十キロにもなる広大なものだ。

 俗に、畿内の大魔法陣などとも呼ばれる、大結界。

 それは、出雲から畿内を守るために描かれた超古代の人工霊地を用いた大呪術なのだ。

 千五百年もの長きに渡り、京を守護していたその結界が、何者かによって打ち破られた。

 ――――結界に封じこめられていたモノたちが目を覚ます。

 ――――乱れた霊地は、それだけで悪しきモノを呼び寄せ、作り出す。

 護堂がナポリで体験したときは、それが竜の姿で現れた。

 今回は、ナポリの比ではない。

 大いに乱れた地脈は、さながら氾濫した河川のように無差別に大量の呪力を畿内一帯にばら撒いている。

 人工的に地脈の流れを変えて作られた霊地は、乱されたことで本来の役割を果たせなくなってしまった。護国の結界は崩壊した。

 代わりに産み落とされたのは、無数の『鬼』。

 かつて、京を闊歩したという伝説の魔物たちが、現代に蘇った。

 百鬼夜行。

 ただし、その規模は結界が働いていた平安時代とは桁違いだ。

 全国から吸い上げられた地脈の呪力を顕現に用いた結果が、まさに無数。膨れ上がった鬼の群れは、より高い格の霊地を目指して突き進む。

 呪力から生まれた彼らにとって、潤沢な呪力の塊である霊地はご馳走だから。

 そして、畿内の魔法陣に接続するとある地脈に彼らは目を付けた。

 出雲から呪力を吸い上げ、富士山で大地に還元する。

 その一本の地脈に、彼らは乗った。

 目指すは富士山。

 日本最大の霊峰は、無数の鬼たちにとって喰らい尽くすべき獲物であった。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

「何がどうなっている!?」

 叫んだのは正史編纂委員会滋賀分室に属する呪術師の男だ。

 応じる者はいない。

 その声はその場にいるすべての人間の言葉を代弁したものであり、答えを知る者など誰もいなかったからだ。

 琵琶湖に面した事務所は、主として出雲――富士山間を流れる人工地脈の管理と監視を任務とする。

 出雲――富士山間を流れる地脈は、日本を縦断する巨大地脈であり、同時に世界最大級の人工的に流れを固定化した地脈である。

 この国の呪術界の真に恐るべきところは、国家規模で地脈の流れを変えることで、都合のよい呪的環境を作り上げたことである。

 巨大地脈はその要であり、畿内の大結界がその一辺をこの地脈と接しているのも、呪力を循環させる必要があったからである。

 背後に背負う伊吹山が崩落した。

 滋賀県を担当区域とする滋賀分室の呪術師は、それがただの自然現象ではなく、畿内の大結界が崩されたことで生じた災害だと理解できていた。

 大きな地脈のうねりが、呪術師たちを襲う。

 自然界に溢れる呪力の量は、その土地の豊かさに直結するものだ。地脈が枯れれば、その土地は生命力を失ったも同然になる。そして、その逆に、あまりに呪力が多すぎる土地もまた生命に悪影響を及ぼす。

 過ぎたるは及ばざるが如し、ともいう。

 とりわけ、呪力に敏感な呪術師は受ける影響が大きい。

 まるで、海の底にいるかのような圧迫感があったかと思うと、次には空の上から落下しているのではないというような浮遊感に襲われる。

 そのため、呪力を正確にコントロールできない若手を中心にして、前後不覚に陥る者が大勢いた。

 この状態では、一般人にも多大な被害が出ているに違いない。

「これは、まずい」

 滋賀分室を預かる室長は、今年で三十五歳になる腕利きの呪術師である。西洋の基準に照らし合わせれば大騎士クラスにはなるだろう。

 その彼が、顔を青くしながら状況を把握したところによると、大量の怪物が出現し巨大地脈に沿って移動しているという。

 すでに、比叡山を通過。滋賀県内でも、発生した魔物たちが、続々と合流している。

 そもそも、京の鬼門を守るはずの比叡山が軽々と魔物を通している時点で異常事態だ。

 現在、滋賀分室で掻き集められる戦力では、到底無数の魔物に立ち向かうことはできない。

 地脈が乱れたままでは、さらなる百鬼夜行を誘発しかねないという状況。おそらくは、他の五芒星の頂点でも同じような被害が出ているはずだ。つまり、他の府県からの増援は見込めない。もちろん、可能であったとしても、到底間に合わないだろうが。

 今、彼に与えられた選択肢は四つ。

 一つ目は、魔物の群れに滋賀分室だけで立ち向かうこと。

 そのときは、この場にいる全員が敵の腹の中に収まることになるだろう。

 二つ目は、退避して敵の通過を確認した後、全力で霊地の修復に当たること。

 消極的な戦闘行為。ただし、伊吹山だけを修復したとしても、他の頂点が修復されなければ地脈は乱れたままである。

 三つ目は、退避した後、後方の『東』の各都道府県の勢力と協力して迎撃すること。

 これは、積極的な戦闘行為となる。ただし、後方の都道府県の協力がすばやく成立しなければ話にならない。戦力を一点に集中しなければ、とても敵わない物量なのだ。

 最後に、撤退も攻撃も行わないという選択肢。身を潜めつつ、一般人の安全を第一に監視を行うというもの。

 敵が襲来するまでの時間は、残り僅か。

 各市町村の呪術師たちからの報告では、魔物たちは一般人に危害を加えていないとのことで、ほっとする。ただし、それは彼らにとって一般人を襲ってもそれほど腹が膨れないからであり、最高のご馳走を食い散らかした後、魔物たちがどのように行動するかは、分かったものではない。

「くそ。このままでは、押し潰されるか。地脈沿いの全支部に通達しろ! 一般人の安全確保を最優先とし、こちら側から手出しすることは禁止する! 魔物の行動を逐一チェックし、すばやく情報を上げるように!」

 結局のところは、神頼みでしかないが、まともに戦える戦力を持っていないのだからしかたがない。

 これは、滋賀分室が弱いということではなく、全国各地の分室に言えることである。東京のように、面積が小さい上に、人口密度が高い都市では、必然的に呪術師の人口密度も高くなる。こういった災害にも対処しやすくなるが、そうではない地域では、呪術師の配置も要所に集中して他が手薄になるなど、人手不足が顕著になっている。

 今回、迅速な対応ができないのも、慢性的な人手不足に加えて、広範囲に渡る被害と敵側の圧倒的な物量が重なったために、滋賀分室の許容量を容易く上回ってしまったからである。

 他支部からの応援は期待できない。

 自分たちの現有戦力で被害を最小限にするよう努力しければならなかった。

 窓から見える西の空。夜闇が刻々と色濃くなっていく。澱んだ瘴気を撒き散らして、それは暗雲を纏って吹き渡った。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 護国の結界が崩壊し、乱れた地脈の影響で大量の魔物が出現したという報は、時を置かずして全国に伝えられた。

 現場は混乱の極みにあり、正確な情報は中々齎されなかったが、それでも魔物の軍勢が一路富士山に向かっていることは続報からすぐに読み取れた。

 刻々と変化する情勢に、真っ先に対応したのは、正史編纂委員会の中でも腕利きが揃い、『まつろわぬ神』出現に対しても対応を取り続けた東京分室であり、それに続いてかつて『まつろわぬ神』の襲来を受けた京都分室と茨城分室が続いた。

 京都分室は出雲地方と並び『西』の重要地点であり、それだけ多くの腕利きが配属されていた。そういった事情と千年以上に渡って京を守護してきた歴史を有するが故に、他の分室以上に魔物への対応が迅速であった。また、京都分室は、非常時に於いて、『西』の盟主として周囲の分室に命令を下す権限を有し、彼らは、即座に被害を確認した後、各『西』所属の分室へ援軍の要請を行った。魔物を駆逐する役目は『東』に任せ、『西』は早急に結界の復旧と地脈の安定化を図る。

 自らの不始末を押し付けるようで悪いが、現状ではこれ以外に術はない。

 五箇所の基点に呪術師を派遣。さらに、比叡山や高野山といった強力な霊地の守護を強めることで、一時的にせよ荒れる地脈への楔とする。

「頼むぞ、沙耶宮」

 京都分室長は、少なからず面識のある有能な同僚に向け、半ば縋る思いで呟いた。

 

 蘆屋道満の動向を注視していた東京分室は、それでも想像を絶する攻撃に対しても、落ち着いて対応していた。

 火雷大神の襲来に始まり、ヴォバン侯爵、一目連、アテナ、ランスロットと洋の東西を問わず様々な『まつろわぬ神』とカンピオーネの襲来を受けてきた都市である。世界最大規模の人口密集地でもあり、人々の呪術に対する理解――――信仰とも言い換えられるが――――が薄いために、情報統制や隠蔽の困難さは他の都市を大きく上回る。

 そのような中で築き上げたシステムは、全国的な大混乱に際しても遺憾なく発揮された。

「魔物の群れが巨大地脈に乗って移動か。間違いなく、狙いは富士山だろうね」

 各地から寄せられる情報から馨は即座にそう断じた。その上で、

「狙いが分かっているのなら、話は早い。早急に迎え撃つ準備だ。東富士演習場があったね。あそこなら一般人に被害は出ない。山梨分室と静岡分室に繋いでくれ。敵を東富士演習場に追い込む」

 馨が出す矢継ぎ早な指示に、職員は素早く対応した。

 また、同時に『東』に属する呪術師たちに援軍の要請をする。

 移動時間を加味して関東圏を中心に、実力のある呪術師たちを動員する。

「甘粕さん」

「はい」

「自衛隊にも要請を。魔獣程度なら実弾でも効果があるはず」

「了解しました。富士駐屯地の方々はまず前線ですかねえ」

「国家の危機だからね。まあ、仕方ない」

 実際に、最前線に立って戦うのは呪術師である。自衛隊には、遠距離からの援護射撃を重点的にしてもらうつもりでいる。

 長距離攻撃は、呪術よりも火器の方が優れている場合が多い。

「問題は、これが蘆屋道満によるものかどうか、だけど」

「間違いはないのでは?」

「十中八九ね。だとすると、狙いは晶さんの可能性が高い……草薙さんにどのように連絡するか」

 今の段階で、魔物の群れに最も効果的に対処するには、護堂の協力を仰ぐしかない。

 しかし、それでは東京が手薄になる。

 道満の狙いが晶であれば、護堂が東京を離れるのはまずい。しかし、その一方であのメール自体が贋物である場合、護堂を戦わずして戦場から遠ざける効果を発揮する。

 道満の真意が分からないため、どちらの可能性にも考慮する価値が生まれてしまう。

「とにかく、晶さんは外出しないようにしてもらおう。恵那には最大限の注意を払うよう僕から連絡を入れる」

「それでは、私は早速、防衛省に問い合わせます」

 冬馬は慌しい足取りで部屋を後にする。

 電話の音が絶えず鳴り響く中、馨もまた戦いの準備を進めていた。

 

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

 深夜、護堂は跳ね起きた。

 寝汗が酷く、動悸が激しい。

 それは、彼もまた遠くはなれた地で生じた大規模な地脈の乱れを感じ取っているからであるが、このときの護堂にはそれが何なのか分からなかった。

 ただ、何かよからぬことがどこかで発生しているような気がしてならない。

「何だ、これは」

 それは、漠然とした確信。

 矛盾を内包した感覚は、かつてないほどに護堂の心に不安を広げている。

 スマートフォンに着信が入ったのは、そのときだ。

「もしもし」

『僕です。草薙さん。申し訳ありません、このような深夜に』

 電話の相手は馨だった。

「何かありましたね?」

 この動悸に馨の電話。非常識な時間帯に連絡を入れたということは、そうせざるを得ないと判断したからだろう。

『はい。簡潔に説明しますと、近畿で発生した大規模な地脈変動によって無数の魔物が出現しました。現在その魔物たちは、日本最大の霊地である富士山を目指して侵攻中です』

「な……ッ!」

 あまりのことに絶句する。

『地脈の乱れから、大量の魔物が現れる。俗に言う百鬼夜行という状態です。ただし、その規模は史上最大級。とても、一分室で対処できるものではないので、連合という形で東富士演習場に引きずり込み、迎撃します』

「できるんですか、そんなことが?」

『かなり苦しい戦いになることは間違いありません。神獣が一体でも紛れていれば、さらにまずいでしょう』

「じゃあ、俺も」

『はい、お願いできますか? 正直、神獣が紛れているとなると、僕たちには抑えるくらいしかできないのです。二体以上いれば、間違いなく前線は崩壊してしまう』

 神獣に対抗するには、カンピオーネか最高位の呪術師が然るべき武装を整え、チームで対応する必要がある。しかし、今の正史編纂委員会には、そのようなチームを編成する余裕はないのである。

『晶さんには、外出を控えてもらうよう通達を出しました。恵那も警戒に当たらせていますし、その他、媛巫女や呪術師をマンション内に配置しました。守りは万全です』

「分かりました。東富士演習場ですね。すぐに行って、すぐに帰ってきます」

 この事件が道満のものである以上は、その先に狙いがあるのは明白。しかし、今護堂が動かなければ、多くの人命が危険に晒される。

『本当にありがとうございます。お迎えは?』

「土雷神で行きますから、大丈夫です。場所も、たぶん大丈夫です。東富士演習場は、以前行ったことがありますから」

 幼い頃の記憶を手繰り寄せる。大まかには富士山の静岡側だ。

『演習場では、すでに静岡分室の室長が指揮を執っておられます。詳しい場所に関しては、じきに魔物との交戦が始まりますので分かるかと思います』

「分かりました。それでは失礼します」

 そう言って、護堂は電話を切る。

 すぐに布団を払い除け、手早く着替える。

 そして、土雷神の化身を発動した。

 

 

 護堂が東富士演習場に向かってから数分後。

 東京分室を指揮する沙耶宮馨が、自分の執務室でスマートフォンを持ったまま倒れているのが発見された。

 命に別状はないものの、呪術がかけられていた痕跡があり、正史編纂委員会直属の病院に運び込まれることとなった。

 

 

 


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