カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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二十二話

 それは老朽化したビルを爆破解体したときの映像によく似ていた。

 ビルを発破するときは、精緻に計算された角度でビルを倒すようにダイナマイトを柱に仕掛けるもので、熟練した技師であれば破片が外に飛ばないよう、爆破された建物が内側へ崩壊していくように仕向けることも可能だ。

 ヴォバンが滞在し、それによって人気のなくなってしまったビルは、その威容が嘘であったかのようにあっさりと消滅した。六十階を数えたフロアが一挙に地面に吸い込まれる様は圧巻の一言であり、怪獣映画にでも出てきそうなこのシチュエーションは、今まさに現実のものとして起こった出来事だ。

「ビルが倒れるところなんか、生で始めて見たんじゃないか?」

 ホテルの駐車場に出現した護堂は、空に立ち上っていく粉塵を眺めて感慨深そうに呟いた。

 ホテルの敷地面積は大きく、この破壊の影響も周囲の人々には出ていないだろう。事前に避難勧告も出させたので人的被害は皆無のはずだ。

 残る問題は、やはりヴォバンの再生力。

 原作通りにいくのなら、彼には灰から蘇る不死性の権能があったはずだ。斬り裂かれ、倒壊したホテルの下敷きになろうとも、それで倒せる相手とも思えなかった。

「なるほど、大した知略だ。敵に勝つためにあらゆる物を利用する。貴様も王の端くれということか」

 予想の通り、砂塵が舞い、人の形を取った。

 品のいい老紳士の姿が護堂の前に現れた。

「なかなかよい暇つぶしになったぞ、小僧。そして誇るがいい。このヴォバンを追い詰めた者はそういないのだからな」

 上空では雷雲が渦を巻いている。東京中に広がった雲が、この一点に集中しつつあるのだろうか。

 雷を使ってくるのか、それとも原作でも登場していない未知の力か。

 護堂は身構えながら、自分の手札を確認する。

 ガブリエル、源頼光、火雷大神の八つの力の合計十の能力が護堂にはある。そのうち、未だに切っていないのは大雷神、鳴雷神、火雷神、土雷神、若雷神の五つのカード。神酒の権能は警戒されているだろうし、ガブリエルはいなされてしまっている。攻撃力の高い咲雷神はすでに使ってしまった。使えないわけではないが切断力はかなり衰えている。

 日の出まであと少し。ここで踏ん張らないでどうすると、護堂は自分を奮い立たせた。

「ずいぶんと疲れているみたいじゃないか。そんなことで第二ラウンドが戦えるのか?」

 神酒の影響からか、再生するのにそれなりの呪力を使ったようだ。それでも、ヴォバンは鼻を鳴らして言う。

「問題なかろう。この三百と余年の月日を生きてきたのだ。この程度どうということはない。貴様のほうこそ、息が上がっているようだぞ? そろそろ限界が近いのではないか?」

 ヴォバンが深呼吸でもするように両手を広げた。

 風が流れを変えてヴォバンに集い、次の瞬間には小規模な竜巻へと変じていた。

「細切れになってみるか?」

「誰が! 『逸れろ』!!」

 護堂を襲う竜巻は、ギリギリのところで進路を変えていった。

 そこに、空から雷が落ちてくる。

 直感を頼りに身体を投げ出した護堂の背中を掠めて地面に穴を穿つ。その威力たるやそれまでの雷撃とは比較にならない。

「くはッ! ぐ……神速をッ!」

 雷速に飛び込み、世界を遅延させる。速度と時間は互いに関係し合うものだ。神速の権能は移動時間を短縮することで相対的に移動速度を桁外れなまでに上昇させるが、その逆もまた成立する。光の速度に近づくほどに、時間の流れは遅くなるというのは相対性理論に予言されることである。

 神速に突入することで時間を操る護堂は雷を避けることもできた。そもそも、神速の最高速度は雷速だ。空から落ちてくる雷をかわすことは不可能なことではない。

 行く手を竜巻が阻むことで、それも難しくなってくるが。

「くそ、ここまで来て面倒な!」

「フハハハハ! 例の霧でも出してみるかね? もっとも、次は根こそぎ吹き飛ばして見せるがね!」

 雷使いという点でヴォバンは護堂の先達に当たる。それも、護堂のように制限つきながら多彩な能力を持つタイプとは違い、ヴォバンは完全なるパワーファイター。細かい操作も可能だが、その真価は破壊力に集約される。力技を苦手とする護堂にとって正面から戦うことは避けたいタイプなのだ。

 飛びまわる護堂を狙い打つ雷撃が地面を蒸発させ、その熱気は繰り出される竜巻によって瞬時に吹き散らされる。護堂も負けじと倒壊したホテルの残骸を言霊で動かし、ヴォバンに叩きつける。

「この程度」 

 ヴォバンからすれば、権能はおろか呪力も纏わない攻撃など脅威でもなんでもない。

 風の一撫でで砕け散り、ついでにその他の建材もまとめて吹き飛ばす。

 その粉々になった建材の合間を縫って、護堂がヴォバンに踊りかかった。天から落ちる雷撃も全てを薙ぎ払う暴風も至近距離で使うには規模が大きい。そして神速であれば速度で勝る。晶から渡された小刀。ヴォバンのような怪物に挑むにはあまりに小さな刃物を握り、神速で迫る。

「斬り裂くものよ。我が刃を依り代とし、今再び現れよ!」

 連続では使えない咲雷神の雷刃の力を、今一度集中する。弱まってしまった権能の殺傷性を維持するために、小刀の刃に力を注ぐ。

 頭に響く鈍痛は二重の権能行使によるものか。それでも戦闘に差し支えるほどではない。

 加えて、雷は刃物と密接な関わりを持つ属性でもある。

 タケミカヅチのように、切り裂くという特性から、刀剣の神へと昇華される例もあるのだから、咲雷神の力を刃物に込められない道理はない。

 紫電を発する刀を勢いのままに突き出す。飛びのくヴォバンのコートを浅くかすめるが、今度は雷化して急転換する。実体がないからこそできる荒業にヴォバンも対応が遅れる。雷化を解き、再び肉薄する護堂。ヴォバンを庇うように護堂の進路に騎士が出現し、護堂の雷刀はこの騎士の胸を貫いた。放電が騎士の肉体を焼き、膨大なジュール熱がその身体を焼き尽くして灰にする。それでも、ヴォバンにはあと一歩届かない。

「退け、小僧!」

 暴風が鉄塊のような硬度となって護堂を叩き、身体を跳ね上げる。宙を泳ぐ足をばたつかせつつ体勢を整えた護堂は返す刀で雷刀を投げた。

『縮!』

 護堂が叫び、ヴォバンが目をむいた。

 投擲された小刀は、ヴォバンが何かしらの対応をするよりも早く彼の肩に突き立っていたのだ。ヴォバンの目には、刀が突然加速したように見えただろう。空間が圧縮されたのだ。激しい電流がヴォバンの身体を襲う。突き立つ痛みが麻痺するほどの電撃。にもかかわらず、ヴォバンは不敵に笑う。血肉湧き踊る戦闘狂の顔。あまりに強すぎるがゆえに敵手すらも見つけられなかった魔王が、心を躍らせている。

 

 刻限は近い。

 都が誇る巨大ホテルを破壊し、直下型大地震が襲い来たかのような惨状を創り上げた王と王の戦いも終末の時を迎えようとしている。

 東の空が燃え立つかのごとく光を放ち始めた。黒雲の果てに紫色に染まる空が見える。ヴォバンが指定した夜明けが訪れようとしている。

「しぶといな。小僧。そろそろ夜も明ける。ここまで私を楽しませてくれるとは思ってもいなかった。これが、最後だ。我が雷撃を集中し、渾身の一撃を持って引導を渡してくれる!」

 ヴォバンがありったけの呪力を一撃のために注ぎ込むのがわかる。これまで戦い続けたからか、そういうことにも感覚が働くようになっていた。収束した雷雲が、膨れ上がってヴォバンの指示を今か今かと待っている。

「しぶといのはどっちだよ。もう狼じゃなくてゴキブリの神様にでもなっちまえ」

 護堂もまた、呪力を練る。充電はもう十分だろう。

「今ここに顕現せよ。天を翔け、地へ降り下る者。蛇にして豊穣の主。地下深く眠る死者の総帥よ。大いなる雷の神威を我が前に顕し給え!」

 ヴォバンが雷雲を爆発させるのと、護堂の聖句が完成するのはほぼ同時であった。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 護堂の視界は真っ白に染まった。それだけでなく、音が消え、身体の感覚までがショートしたかのように失われた。自分が今立っているのか、倒れているのかそれすらもわからなかった。

 ただただ浮遊感だけがあり、凪いだ大海原に一人浮かんでいるような気分だった。

 しかし、それもほんの一時のことに過ぎなかった。

 浮遊感は急速な浮上感へと変化する。意識の覚醒は実際の時間にして僅か一分と言ったところだ。あまりにも強い疲労からか眠りこけてしまいそうになったが、敵がまだそこにいるという一点が、護堂を半ば強制的に現実へ帰還させていた。戦うための肉体が、休むことを許さなかったのだ。

 世界が色を取り戻した。

 最初に飛び込んできたのは黒だった。

 鼻を突く刺激臭はアスファルトが焼け焦げ、蒸発したからだろう。護堂は駐車場だった場所にうつ伏せで倒れていたのだった。顔や腕に多大な火傷があるはずだが、痛覚が麻痺しているのか、このくらいの傷はカンピオーネにとっては痛みすら感じないのか、護堂はこのとき、火傷の痛みを一切感じていなかった。

(ヴォバンは……どこだ)

 両手に力を入れて身体を起こそうとする。極度の疲労によってガタガタと震えて上手くいかないが、なんとか上半身を起こし、僅かに開いたスペースに片膝を差し込んで支えとする。一見するとクラウチングスタートのようだ。

「まだ生きておるのか。悪運の強い男め……」

 しわがれた声が護堂に投げかけられた。

「爺さん……!」

 ヴォバンも生きていたらしい。護堂から離れて十メートルほどのところに立っていた。

「はは、それ、あんたに言われたくないな」

 護堂はこれまで以上に力を込めてゆっくりと立ち上がった。足も手と同様にガタガタとしている。長距離走を駆け抜けたかのように息も絶え絶えで、折れかけた小枝のように風にそよぐだけで吹き飛んでしまいそうなほどに弱弱しい。それでも、護堂は闘志を漲らせて二本の足でしっかりと地面を踏みつけた。なけなしの呪力で若雷神の力を使い傷を癒す。もはや虚勢とも取れる行為だが、ヴォバンに上から目線でいられるのは癪に障った。

「あんたもずいぶんと消耗してんじゃないか。もう再生系統は使えないのか?」

 立ち上がって、少し高い目線のヴォバンを正面からにらみつけた。先ほどから、奇妙な感覚を覚えていたのだが、今、その理由に思い至った。風がやんでいるのだ。雨も降っていない。精神的なプレッシャーも大きかった雷雲の塊も綺麗さっぱり東京の空から消え去っていた。ヴォバンに、風雨雷霆を操るだけの力が失われたのだろうか。

 それでも、ヴォバンは余裕の体を崩してはいない。消耗はしているのだろう。それはここ数十年なかったほどの消耗であるはずだ。それでも、それを感じさせないあたり、歴戦の兵の風格を持っていると言っていい。

「くだらぬ挑発だ。ならば、望みどおりに第三ラウンド……」

 と、ヴォバンが犬歯をむき出しにしたまさにその瞬間、太平洋の水平線から太陽が顔を覗かせた。紫だつ雲が長く尾を引いて、空が瞬く間に明るくなっていく。

 夜を払う曙光は、そのまま魔王たちの夜に終わりを告げる鐘となる。ヴォバンは一瞬だけその明るさに目を細め、つば吐くように舌打ちをした。

「……刻限か。忌々しいことだがな。この戦、貴様の勝利のようだ」

 ヴォバンは護堂をにらみ付ける。

「久方ぶりに面白い戦いだった。我が無聊の日々を多少なりとも癒す糧となったことは評価に値する。次に見えるときは、その首を確実に狩り取ってやろう。それまでに、私が死力を尽くして狩るにふさわしいひとかどの戦士となっておくのだな!」

 ヴォバンは破壊されつくしたホテル跡を眺め、

「ふん。クラニチャールもそちらに付いたようだな。戦の最中に私の部下にまで手を出すとは抜け目のない男だ。まあいい、代わりはいくらでもいるからな」

 どのようにしてそれを知りえたのかは護堂にはわからなかった。もしかしたら部下の造反を察知するような力もあるのかもしれない。配下の魔女に探させていたのかもしれない。真相は闇の中だ。何れにせよ、護堂の企図したとおりに事が運び、最後はギリギリであったものの、概ね予定の範囲内で被害を抑えることには成功したようだ。

 リリアナにしても、ヴォバンにとっては生きた部下か死んだ部下かの違いでしかなく、その離反にもそれほど執着することではないようだ。大騎士が一人裏切ったからといってヴォバンに害をなすことができるはずも無く、そのような小さなことでいちいち腹を立てるのは王の嗜みではないという余裕が感じられた。

 そして、ヴォバンは去っていった。

 破壊するだけ破壊して、その後のことは一切関係なくあっさりと消える様は、彼の愛する嵐によく似ていた。

「ふう。なんとか生きて終われたかー。」

 護堂は足を引きずるようにして熱を持った駐車場を出た。

 あまり遠くには歩いていけそうも無かったので、ホテルの破片と思しきコンクリート塊に背中を預けるようにして倒れこんだ。

「先輩。先輩! こんなところに!」

 一息ついたところで晶がやってきた。怪我をしている様子はなく、見た感じ元気だったので安心した。そう告げると、

「何を馬鹿なこと言ってんですか!? ヴォバン侯爵のところに攻め込むなんて無茶をして……どれだけ心配したと思っているんですか!? 万里谷先輩なんか失神しそうになってたんですからね!」

 と、ものすごい剣幕で怒られてしまった。

「そうか。ごめん。心配かけたな」

「いえ。ほんとに、無事でよかったです。あの侯爵に勝ってしまうなんて……」

 晶は安堵して力が抜けたのか、その場にしゃがみこんだ。

「そうだ。万里谷はどうしている?」

「万里谷先輩もこっちに向かってきてます。お叱りは覚悟したほうがいいかもしれないですね」

「お叱りって……勘弁してくれ。結構怖いんだろ?」

「ええ。なかなかですよ」

 かつて晶も経験したことがあるのか、そこには自信を持って応えた。祐理が聞いたら、それはそれで怒り出しそうな会話である。

 ともあれ、自分を心配しての叱咤は甘んじて受けるべきだろう。祐理は自己を犠牲にしてでも他者に手を差し伸べることのできる娘だ。そして他者を犠牲にして自分が助かることを厭う性格でもある。今回の護堂の行動はおそらく祐理に琴線に触れることになる。

 願わくば、ほどほどにして欲しいものだ。

「リリアナさんは?」

 ヴォバンが離反したこと呟いていたが、念のために晶に確認する。

「先輩のおかげでこちらについてくれました。今は侯爵に離反した旨を告げに行きました」

「大丈夫なのか?」

「わかりませんが、一言あるのが最低限の礼儀だと」

「堅物め」

 それが原因で殺されるようなことにならなければいいが。最後の段階でリリアナへの興味は完全に失っていたらしいし、おそらくは大丈夫だとは思うが。

「まあ、いいか。当面は大丈夫そうだしな。疲れたから俺は休ませてもらうよ」

 朝日を拝んでから、護堂は眠りに落ちて行った。夜を通して戦い続けたことによる疲労はピークを迎えていたのだろう。すぐに静かな寝息を立て始めた。

「はい。お疲れ様でした、草薙先輩」

 その髪を晶はそっと撫でて呟いた。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

「予想外の展開になったのう」

 そこは薄暗い部屋の中だった。六畳ほどの広さで、壁際にベッドがあり、本棚には漫画が詰まっている。据え置かれたテレビにはコードが伸びてそれはテレビゲームの本体につながっていた。机の上や枕元には漫画や小説が積み上げられていて、壁には有名アーティストのポスターが張ってある。生活観の漂う極普通の部屋で、年齢層から十代から二十代の部屋と思われる。室内が暗いのは、明け方であるということと、カーテンが閉め切られているためである。

 しかし、そんな若々しい内装の部屋に響いた声はまったくその部屋の様子に似つかわしくない鈍くかすれた声だった。

「予想通りよ」

 その声に反駁する声があった。

 こちらは若い女の声だ。どちらかと言うなれば、こちらがこの部屋の主であろう。

「大陸のカンピオーネを見れて嬉しい? 用が終わったんだったら早くこの部屋から出てって」

 女の声は厳しい。好意的な思いなど欠片も感じさせない口調は、敵意の有無を隠そうともしていない。

 その敵意の矛先は、紛れも無くしわがれた声の主に向けられていた。声でわかる。それは老人だ。口ひげを蓄えた小柄な老人が部屋の隅に立っていたのだ。異常なまでに、存在感が薄い。それにも関わらず、一旦彼を認識してしまうと、底の見えない井戸を覗き込んだかのような根源的な恐怖を抱いてしまう。

「ほほ……これはこれは。怖いではないか。そうカリカリするでない。我が娘よ」

「------------だれがッ!」

 女は牙を剥かんばかりにいらだった表情を見せる。

 老人は堪える様子もない。

 暖簾に腕押しというかのように、女のいらだちに何も感じていないようだ。

「わしがここに来たのはの。主の意思を聞きに来たのじゃよ。魔王の戦いを観戦したのは余興じゃ余興」

「……」

 護堂とヴォバンの戦いを余興とするこの老人の底知れなさは異常だ。彼女も警戒感をあらわにしてにらみつけた。もっとも、それで相手をどうこう出来るわけではないのだが。

「主はいつまで経っても進歩がない。まるで普通人のようではないか」

「それの何が悪いってんのよ。普通にご飯を食べて、普通に学校に行って、普通に寝る。これのどこがおかしいの?」

 老人はそれを聞いて、カカカと笑う。

「可笑しいとも。せっかく繋ぎとめた命じゃぞ? やり直しの聞かぬ人生を、再度回すことができたのじゃぞ? それでなぜ普通人の生活を繰り返す? 主は特別なのに、なぜあえて普通を選ぶ?」

「なぜって。これが楽しいからに決まってるじゃないの。前世ではできなかったことよ」

「つまらんのぅ。己を型にはめた人生で満足とは。他の者は中々弾けているというのに」

 女は意に反さないとばかりにベッドに腰掛けて反論する。

「それで破滅した人間が何人いると思ってるの? ほぼ全部でしょうが! 大体、あんたが裏でそそのかしてたくせに」

「それは言いがかりじゃ。わしは観察していただけじゃぞ。あやつらが勝手に問題を起こして自滅したのよ。もちろん、それもまた面白いのじゃがの。いまや我が娘も主一人じゃ。それなりに期待しておるのじゃよ」

 笑いながら、老人は長い口ひげを梳いた。

「期待ですって。あんたは結局、護堂にしか興味がないでしょうが!」

 女は手近な文庫本を手に取ると、思い切り老人に向けて投げた。放物線を描いて老人の頭に吸い込まれた本は、あろうことか、その頭部をすり抜けて背後の壁に当たって床に落ちた。

 老人の姿はそこになく、代わりに白い紙切れだけが落ちていた。

「ホホホ……あやつの忘れ形見ゆえに注視しておったのよ。当然であろう。主もかの羅刹の君には感謝しておくべきじゃぞ。彼奴なしに主を形作る術はなかったゆえな」

「さっさと失せなさいよ」

 女は長い髪を振り乱して立ち上がると、床に落ちているヒトガタの紙をにらみ付けた。やおら青白い炎を発し、紙は一瞬にして燃え尽きてしまった。それと同時に、老人の声も聞こえなくなり、部屋には朝の清清しい静けさだけが残された。老人が発する不穏な気配ははじめから無かったかのようだ。しばらく緊張に身を硬くしていた彼女も、老人が去ったと判断して力を抜いた。

「はあ……学校休も」

 勝気な印象を受けるつり眼がちな瞳は憂いに曇っている。長い髪を止めるための髪留めを一端は手に取ったものの、夜通しカンピオーネの戦いを観戦したことと老人のプレッシャーとで疲労が溜まっていたために、机の上に戻してベッドに入ることを決めた。

 掛け布団をかける前、カーテンの隙間から入り込んだ朝日が、机の上に飾られた写真立てを照らした。

 まだ、彼女が幼いころの写真だ。

 写真には彼女と一緒に、同じ年頃の少年と、少し年下のつり眼が特徴的な女の子が一緒に写っていた。


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