カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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中編 古の女神編 Ⅵ

 春のようなというよりも、むしろ蒸し暑い初夏の日差しを思わせる太陽が燦々と輝いている。

 恵那と一緒に異界に突入してみると、そこは予想したとおりの森の中だった。

 虫と鳥の声が四方から聞こえてくる。

 木々の背は高く見上げてみればどれも二十メートルから三十メートルくらいはありそうだ。広葉樹と針葉樹が入り乱れていて、倒木からも木が生える。人の手が入る前の原生林の姿がそこにはあった。

「なんかいろいろと混じってる感じがするね」

「そうか? 俺は詳しくないからよく分からないな」

「乾燥してる地域の木とか熱帯の木とか、本当にいろいろと混ざってるよ。この空気感は奥多摩の感じにも似てるなぁ……」

「雨が降りやすくなければそれでいいや」

 護堂と恵那の荷物は戦闘を想定して最小限だ。持ち込んだリュックサックには保存食や寝袋が入っていて、サバイバルを想定しているが、だからといって風雨の中を行軍したいわけではない。

「熱帯雨林って感じじゃないな」

 と、護堂は周りを見て思った。

 奥多摩の感じに近いという恵那の感想は納得だ。この森の雰囲気は、どうも日本にもある温帯雨林に近いものがある。

 熱帯雨林と聞いて思い浮かべる酷い湿気は感じない。とはいえ、温暖でそこそこの湿度があるという時点で、雪に覆われているべきアルプスの山腹の環境ではない。この影響が外にも出ている。エリカの安否確認が第一優先だが、この事象の解決もまた今後のヨーロッパの自然環境を考えると重要な課題であろう。

「王さま、知ってる? 熱帯雨林って、あんまり木の実とか採れないんだって」

「そうなのか? 意外だな」

「雨が多くて、受粉が上手くいかないかららしいよ。その点、この辺りは結構いろいろ採れそう。山菜もあるし、食べ物にはしばらく困らないね」

「その辺は清秋院に任せるよ。さすがに山菜は分からないからな」

 護堂はカンピオーネであることを除けば一般的な都会人の知識しかない。奥多摩で自然の中で修行を積んできた恵那に知識で勝つことはできない。

「でも、王さまって、なんだかんだで飢えて死ぬってことはなさそうだよね」

「まあ、やろうと思えば狩りができるからな。残念ながら、普通の熊くらいなら簡単にやれるからな」

 自分でも呆れた身体だと思う。

 普通の熊や虎、ライオンくらいなら対峙しても驚異にすら感じないし、無傷で圧勝できるだろう。それくらいの馬鹿げた力が護堂にはある。

「サバイバルで動物性蛋白質は貴重だってのは、知ってるけど山菜とか植物系も大事だよ」

「ドングリはそのままじゃ食えないんだろうなってことは知ってるし、山菜とかキノコとかも多分、やってみれば何とかなるんじゃないかなって思うけどね」

「知識ないのにキノコは不味くない?」

「知ってるよ。でも、多分、大丈夫。本当にダメなら、そう感じるだろうから」

 ガブリエルから簒奪した直感の権能もあるし、カンピオーネの体質なら毒キノコくらいでどうこうなることはないだろう。

 食あたりで体調を崩すということは考えられないので、必要なら何であれ栄養にすることができる。

 何度かサバイバルに近い環境に身を置いた護堂は、それを実感していた。

「人間って、厳しい環境に適応して生き抜くために知識を活用してきたけど、王さまってそういうとこ全部無視しちゃうよね。エドもベアもそこまで命知らずじゃないよ」

 恵那は楽しげにそんな失礼な感想を言う。

「まるで俺が人間を辞めてるみたいじゃないか。……いや、まあ、体質的にはそうなんだけど」

 普通の人間が勘で何とかなるといっても無謀を通り越してただの阿呆でしかない。実際にチャレンジして安定したサバイバルが勘頼みで繰り返せるわけがない。しかし、護堂は本当に勘だけでどんな厳しい自然環境でも生存できるだろう。おまけにこれはガブリエルの権能を得たからではなく、おそらくはすべてのカンピオーネが等しく持つ生存本能に裏打ちされた能力だ。権能だけではない。あらゆる面でカンピオーネは人間を超越している。

 恵那が知識と経験で積み重ねてきたサバイバル術を、護堂は何となくでやってのける。この理不尽こそがカンピオーネの本質だ。

「それで、王さま。まず、どうする?」

「もちろんエリカの捜索。つっても、何も手がかりがないからな。この世界がどうなっているのかもよく分からないし」

 こう言いながらも恵那は式神を飛ばしているし、護堂も直感を研ぎ澄ませてエリカの呪力を探っている。

 濃密な神の気配を感じる世界だが、その中で人間はエリカくらいのはずだ。上手く気配で探り出せれば、手っ取り早いのだが。

「この世界、かなり広いよ。うーん、雰囲気は幽界に近いね。現実世界に重なっているってわけでもないのかな。どうかな」

 恵那はぶつぶつと言いながら偵察のために出した式神から情報を受け取っている。魔女の目ほど便利には使えないが、手足として、また時に目として動ける式神は使い勝手がいい、恵那は、こうした術は苦手な部類だが、媛巫女として必要な修練は積んでいる。

「王さまのほうは何か分かったことある?」

「特にないな。神獣の気配も感じないぞ。呪力ってヤツが滅茶苦茶濃いのは分かるけどな」

「現代とは全然違うよね。神話の世界とかだと、こうなのかもしれないけど」

 呪力は生命力であり、同時に物理現象では説明できない超常現象の源でもある。この世界はそれが極めて濃い。となれば、何が起こるか分からない怖さがある。

 護堂たちが異界に来てから、早くも一時間ばかりが経過している。

 人が暮らしているはずもなく、獣道を伝って森を彷徨っている。

「お、あったあった」

 と、恵那が嬉しそうに声を出す。地面に降り積もった落ち葉を踏みしめながら、駆けだした恵那の行き先は、河原だった。

 向こう岸までざっと二十メートルくらいの川幅だ。流れは速いが水深はそこまででもなさそうである。河原には角のない石が散らばっていて、そこかしこに身の丈ほどの大きさの岩が転がっている。

「生き物は水辺に集まるからね。エリカさんだって、水がなければ生きられないし」

 エリカと出会う可能性があるとすると水場だ。人間は絶食しても一週間ほどならば生きられるが、水がなければ三日と持たない。この温暖な気候ならば尚のことだ。そうではなくともエリカの知性があれば、自然と水場を探すことだろう。何せ高木ばかりの森の中だ。見晴らしのいい河原があれば、そこにいれば発見される可能性が高まる。救出を待つのなら、何らかの痕跡を残しておくのではないか。

「普通は下流に向かっていけば、集落があるもんだけど」

「ここじゃあ、期待できないね。神様が人を作ってなければだけど」

「怖いこと言うなよな」

 護堂は恵那の呟きに顔を歪めた。

 神が人類を創造したというのは、人類創世神話のよくあるパターンだ。人間がどこから発生したのかいまいちはっきりしない日本神話のようなものもあるが、人類を神の被造物とする神話は枚挙に暇がない。まして、今回の相手は生と死の神である可能性が高い。この異界での人類の創造主になっているかもしれない。

「それで、王さま。どっち行く? 上流か下流かって話なんだけど」

「うーん、王道で下流」

「おっけー」

 どっちに進んでも同じことだが、何となく下流を選んだ。空を飛んで偵察も考えたが、どこに『まつろわぬ神』が潜んでいるか分からないので除外したのだ。

 今はエリカの捜索が重要だ。

 今後の『まつろわぬ神』との戦いのためにも、彼女がどこにいるのかは大切な情報である。

 エリカがどこにいるのか分からなければ、護堂は全力で戦うことができない。戦いに巻き込むかもしれないからだ。大騎士というのは、人間ではかなりの位階であるが、護堂や『まつろわぬ神』が権能で撫でれば死ぬ程度でしかない。エリカが弱いというわけではなく、人間の大半がそうなのだ。ここにいる恵那ですら、本気で身を守っても権能を向けられればほぼ終わりだ。

 人間を『まつろわぬ神』が本気で狙うことはあまりないのが救いだ。神々にとって人間は自らに信仰を捧げる存在だ。戯れに神罰を下すこともあるが、彼ら彼女らは基本的に人間を愛しているし、個人個人には無関心だ。それこそ、人間が蟻の個体差に関心がないようなものである。いちいち個人を探し出してどうこうするというのは、よほどの酔狂がなければしない。

 よって、この世界でエリカが『まつろわぬ神』に害されるという最悪の展開は、あまりないのではないかと護堂は考えていた。

 エリカが助からないとすれば、長期間のサバイバルに耐えきれず飢えてしまうか、あるいは護堂と『まつろわぬ神』の戦いに巻き込まれるかだろう。

 エリカは確かにいいところのお嬢様ではあるが、決して深窓の令嬢ではない。

 剣を握り、呪術を操る西洋騎士である。言わば白鳥のような優雅さと地道な努力を平行して行える胆力の持ち主だ。あっさりと餓死するようなことはないはずだ。加えて、無謀にも『まつろわぬ神』や神獣に挑むということもあり得ない。将来性のない無謀な計画は彼女の好むものではない。やけくそになって、命がけの行動をするようなタイプではないはずだ。

 エリカの気配はまだないが、彼女が生きていると確信しているのは、少なからずエリカの考え方と実力を知っているからだ。

「このまま川を下っていくと、どこに出るんだろうね?」

 と、恵那は言う。

「確かになあ。普通なら海とか湖とかに行き当たるんだろうけど、この世界だとどうなんだろうな」

 『まつろわぬ神』が作り出したこの異界がどこまでの広さを持っているのか検討もつかない。非常識な権能だが現実世界を直接書き換えないだけまだマシなのか、それともまだ別の要素を残しているのか。

「あ、おっきな岩みっけ」

 恵那が軽快に巨岩に飛び乗る。見上げんばかりの岩は、上流から流れてきたものだろう。角が取れて、丸みを帯びている。

「王さま、これ見て!」

「なんだ?」

 恵那が顔色を変えて呼びかけたので、護堂も岩の上に上った。

「ん? これって……」

 恵那が指さしたのは、岩の上に残された黒い跡だ。

「炭だよ、炭。誰かがここで焚き火をしてた跡で間違いないよ」

「エリカか。前にここに来てたんだな」

「炭の跡が雨で流れているから、さっきまでいたってわけじゃなさそうだけど、この辺に拠点があるかも。わざわざ、そんなに遠くに移動する理由もないはずだし」

「そうだな。じゃあ、この辺で探してみるか」

 火を使うのはおそらくはエリカだけだ。彼女がここで生活していた痕跡を見つけられたのは大きな収穫と言えるだろう。

「探すのもアリだけど、向こうから来てもらうのはどうかな?」

「どういうことだ?」

「つまり、ここで火を付けてさ」

「ああ、狼煙か」

 護堂はピンときた。どうしてその発想がなかったのか。狼煙を使うという選択肢が護堂にはなかった。

 あてどなくエリカを探して森に踏み込むより、護堂が来たことを彼女に知ってもらうほうが楽に事が運ぶ。

「でもなぁ、それ『まつろわぬ神』のほうを呼んじゃったりしないか?」

「かもしれないけど、多分向こうはもうこっちに気づいているよ。自分の領域に踏み込まれて、気づかれてないって思うほうが違うんじゃないかなって」

「ん、まあ、確かに」

 そもそも護堂がこの世界への道を開いたとき、ライオンの神獣が襲いかかってきた。この異界側から護堂たちの侵入を察して迎撃していたのだから、『まつろわぬ神』のほうが気づいているのは当然だろう。

 その上でまだ何も手を出してこないのは、こちらの様子を窺っているのか、あるいは関心を示していないか。後者ならありがたい。エリカと合流して、とりあえず外に出て最低限の用事は終了だ。

「じゃ、まあ、そうしようか」

 護堂は恵那の提案を承諾した。

 相手がこちらに気づいているのなら、こそこそ隠れて行動しても無駄だ。それなら、確実にエリカにこちらの存在を伝えておきたい。

 そこで、護堂と恵那は森から松葉や木の枝をかき集めて組み合わせ、簡単な狼煙台を作った。太い枝を三本立てかけて、その上に湿った松葉や乾いていない枝を乗せただけだ。水分を含んだ枝葉は燃えにくいが、火がつけば大量の煙を上げる。

「うん、いい感じ」

 呪術で狼煙に火を付ける。

 恵那は改心の笑みを浮かべて、煙を上げる狼煙台を見た。

 バチバチを火が爆ぜて、濛々とした煙が空に上がっていく。無風状態なので、煙はまっすぐに上昇していく。

「さて、と。これで、俺たちがいることに気づいてくれるといいけどな」

「案外、近くにいるかもよ。『まつろわぬ神』だけじゃなくて、エリカさんもこっちの様子を窺っているのかも」

「俺はとりあえずここから出たいんだから、もしも近くにいるなら、早く出てきて欲しいもんだ」

 できるだけ過酷な自然環境で過ごしたくないというのは、現代の日本を知る護堂ならば自然な気持ちだ。 

 それにここは敵のホームグラウンドだ。あまり長居したい環境ではない。

 それからしばらく何も動きがなかった。一時間もすると狼煙台が燃え落ちて、ただの焚き火になってしまう。

「エリカさん、出ないねえ」

「そんなモンスターみたいに言うなよ」

 岩の上で待ちぼうけを食う護堂と恵那。

 日が傾きかけている。この世界にも昼夜の概念があるようだ。

「王さま、ご飯にする?」

「もう少ししたら、そうしようか。今日はこの辺でキャンプすることになりそうだな」

 結局、『まつろわぬ神』もエリカも出会うことなく、一日目が終わってしまいそうだ。

 どこかに敵が潜んでいるという危機感が常に存在する世界でなければ、恵那という美少女と二人きりのキャンプを楽しめたのだが、それだけが残念だ。

「清秋院」

「うん」

 護堂と恵那は同時に立ち上がった。

 背後の森の中から木々を踏み折る音がする。強い呪力と獰猛な獣の唸り声。森の暗闇の向こうから、何かがやってくる気配がする。

 しばしの静寂、直後に、傲然と真っ黒な鞭が襲いかかってきた。

 

 

 護堂の体内時間が加速する。ガブリエルの言霊を使い、瞬時に川の対岸との距離を縮める。恵那を抱きかかえた護堂は、軽く後ろにジャンプするだけで、一瞬にして対岸の河原に移動した。

 護堂と恵那を仕留め損なった黒い鞭は、巨岩を粉砕し、さらにのたうち回る。そして、土煙から顔を出したのは、見上げんばかりの巨大な蛇だった。

 シュー、と蛇独特の音がする。身体が大きい分、この音もなかなかの大きさだ。

「清秋院、無事だな?」

「うん、ありがと、王さま」

 恵那を下ろした護堂は蛇を見上げる。鎌首を擡げた蛇の頭は護堂よりも五メートルばかり上にある。胴体は森の中に隠れたままだ。全長は何メートルになるのだろうか。ティタノボアよりも身体はでかいだろう。

「この辺の主かな」

「かもね。恵那たちが歩いてきた範囲だと、あんなでかい蛇が動いた跡はなかったんだけどねえ」

 必要なとき以外は動かないのは、蛇としては間違ってはいない。

 この蛇が動けば、当たり前のように木々が折れる。しかし、そんな気配は直前までなかった。この世界特有の現象なのだろうか。

「来るぞ」

 鎌首を擡げた巨大蛇が、隕石のように護堂に襲いかかる。それを護堂は転がるように避ける。

「人間一人食っても、たいした栄養にならんだろうに」

 あの蛇の身体を維持するのなら、人間程度では足りない。もっと大きな生き物を狩るべきだろうが、そこは神獣クラスの怪物だ。何とでもなるのだろう。

『拉げッ』

 めきり、という音がして、巨大蛇の鱗が爆ぜる。空間が捻れて、潰れ、蛇の頭から血が噴き出す。言霊による圧縮攻撃で、頭蓋骨が砕けたのだ。

 それでも蛇は護堂に狙いを定めて躍りかかる。生命力の強さはさすがだ。

「いやああッ」

 裂帛の気合いとともに、恵那が天叢雲剣を振るった。斬り付けたのは蛇の首の付け根辺りだ。護堂を仕留め損ない、地面に顔を突っ込ませた隙を素早く突いた。

 血だらけになり、暴れる蛇に護堂は留めとばかりに神槍を撃ち込んだ。串刺しになり、倒れる蛇は、息絶えて塵になって消えていく。

「たいしたことなかったな」

 と、護堂は素直な感想を口にする。

 神獣といっても、カンピオーネからすれば片手間で済む相手なのだ。

「外に出てきたライオンとかよりは、ずっと強そうだったよね」

「神様の影響が強いんだろうなぁ」

 ヒリヒリした感覚がする。

 身体の内側から力が湧き上がってくる。

 神獣を倒したことがきっかけだったのか、川の上流のほうから『まつろわぬ神』の気配が高速で近づいてくる。

 不自然なくらいに音もなく、絹の一枚布が舞い降りてくるかのような優美さで二頭立ての戦車(チャリオット)が川面に着地した。戦車を引くのは二頭のライオンで、車輪もライオンの脚も水に浸かっていない。御者はおらず、一柱の神が悠然と笑みを浮かべて乗っている。

 美しい神だった。神々しく美々しく「大きい」。何もかもを包み込むような、大きな気配を湛えている。

「あんたが、ここの『まつろわぬ神』か」

 護堂が現れた神に問いかける。

「言われるまでもなく、分かっていることだろう。我が領域に入り込んだ神殺し……サルバトーレ・ドニに続いて二人目だ」

 透き通る声で女神は口を開いた。

「ふむ、まだ若いな」

 女神は戦車の上から護堂を睥睨する。

「サルバトーレ・ドニも若かったが、お前はさらに若い。一廉の戦士ではあるのだろう。すでに幾柱か打ち倒していると見える。なかなかに罪深きことだ。子が若くして道を誤るのは、母として悲しく思うものだ」

「子って何だよ」

「生きとし生けるものは等しく我が子も同然。そこから神殺しの大罪人が生まれ出るのは、わたしの不徳のいたす限りだ」

 チリチリとした危機感が護堂を炙っている。

 目の前の『まつろわぬ神』は戦車に乗っているとはいえ、見るからに戦士系ではない。こうしている間にも何かを仕込まれているのでは?

「神殺しを相手に我が子一匹では足りなかったか。さすがに無理を強いたな」

「あの蛇も子どもか」

「無論。むしろ蛇は我らと特に縁深い神獣だ。万物の母たるわたしも思い入れはある」

 目の前にライオンの牙が迫っていた。

「ッ……!」

 咄嗟に護堂は土雷神の化身で土中に逃れた。強力な戦車の突進で地面が抉れて、木々がなぎ倒された。神速の突進。それも、一瞬でトップスピードに入るものだ。

「清秋院、離れてろ」

「分かったッ」

 神速の戦車が相手だと恵那では厳しい。

 まずは機動力を削ぐ。そのためには、あの戦車をどうにかしないといけない。

「ほう、よく避けた」

「不意打ちは卑怯じゃないのか?」

「何を言う。手練手管を駆使して戦うのは戦の倣い。むしろ、お前たち神殺しの共感を得るところではないか?」

 悠々と空を舞う戦車の上で女神は悪びれずに語る。

「まあ、確かに」

 女神の言わんとすることは分かる。

 あらゆる手を駆使して戦うのはカンピオーネの特徴ではあるのだ。戦いで形振り構わず勝利を求める姿は、神々からも呆れられるほどである。

「母として、不肖の子に報いを与えるのがせめてもの責務というものだ。そうでなければ、天と地の神々に合わせる顔がないというもの!」

 そして、戦車がかき消える。

 護堂は地面を転がって戦車の突進を躱した。車輪に切り刻まれた河原が引き裂かれ、轍というには大きな溝が刻まれる。

「ここが熱帯雨林ならなぁ」

 伏雷神の化身で空中戦という手も使えた。ガブリエルの言霊で空中戦を挑むかとも考えたが、三次元的に神速を使える戦車が相手だと空での戦いは不利だ。上手い手とは思えなかった。

「やっぱり速いヤツとか飛べるヤツは、面倒くさいなッ」

 三度目の突撃を避けた護堂は、舌打ちをした。

 神速の権能との対峙も何度か経験している。そのおかげで、この戦車の特性も見えてきた。 

 瓦礫が舞い上がり水しぶきが舞う。

 戦車の突進の前には、木も岩も障害物としての役割を果たさない。戦場は瞬く間に超高速の戦車に蹂躙され、耕されていく。

「すばしこいな、神殺し」

「それが取り柄なもんで」

 皮肉を返すように護堂は言う。

 速さというのは、それだけで驚異だ。戦車ほどの質量が雷も同然の速度で突っ込んでくれば、耐えられる物はそうはないだろう。鉄をも斬り裂く爪と牙を持つライオンが先頭にいるのならばなおさらである。

 しかし、女神の猛攻を受けて護堂は掠り傷で済んでいる。戦車の突進を、すれすれで躱し続けているのだ。

『拉げ』

 空中の戦車に向けて言霊を投げかける。

 それをライオンが爪で引き裂き、宙を蹴る。再び消えた。神速に突入したのだ。

「我が言は衆生を導く教えなり。我が呪言は、万象貫く法にして罪人を討つ裁きの剣なり」

 ガブリエルの聖句を唱えて心身に直感の権能を行き渡らせる。

「視えたぞ」

 護堂の動体視力をして影しか掴ませなかった戦車の姿を、護堂は第六感で捉えた。勘任せの回避ではなく、完全にその進路を見切った。

「何ッ……!」

「ワンパターンなんだよ、あんた!」

 神速にもいくつかの弱点はある。

 その一つが「速すぎて細かい制御ができない」ということだ。

 一口に神速といってもいろいろと種類がある。徐々に加速するタイプと一瞬で最高速度に達するタイプ。身体をそのままに移動するタイプと、神速に適した形態に顕身するタイプ。それぞれに得意不得意があるが、共通するのが自由度の低さだ。

 護堂を襲う女神の戦車は、護堂を仕留め損なうと余計な破壊をまき散らして地面を抉り、木々をなぎ倒して空中に上っていく。そして、神速を解除して地上の護堂に狙いを定めて加速する。それを繰り返していた。

 戦闘機と同じだ。

 速すぎる戦闘機は旋回するのに長距離を必要とする。伝説の名機ブラックバードは、マッハ3で飛行するが、その最小旋回半径は100km以上になるという。

 女神の戦車にそこまでの物理法則の縛りはないだろうが、不必要な破壊は障害物に戦車をぶつけることで自分の速度を強引に下げる意味もあるに違いない。

 となれば、どれだけ速く駆け回ったとしても連続で追い立ててくることがない分だけ、対処しやすい。

『起きろ』

 戦車の進路上の土中に仕掛けていた神槍を言霊で跳ね上げる。

「何とッ!」

 驚愕に目を剥く女神は、手綱を手繰り、罠の回避に全力を尽くす。

 しかし、遅い。

 彼女が戦士の神格であったのなら、こうも容易く罠にかかることもなかっただろう。

 護堂の仕掛けた鋼鉄の馬防柵が、女神の戦車に刃を剥く。鋭く研がれた穂先がライオンの喉笛に突き立つその寸前に、女神が吼える。

「わたしに仇為すこと、罷りならぬッ」

 今度は護堂が驚愕することになる。

 ライオンを串刺しにし、あわよくば女神にも傷を付けようという狙いが大きく外れた。女神はこともあろうに、馬防柵を粉砕して突破したのだ。

「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 ライオンが雄叫びを上げる。

 粉々になった神槍は、それでもライオンを傷つけていた。破片がライオンの身体に刺さって血を流させている。だが、絶命させることはできなかった。

「くッ……!」

 直感に従って護堂は飛び退いた。ライオンの爪が掠めたのか、右の二の腕から鮮血が吹き出す。

「王さまッ」

「掠り傷だッ」

 心配する恵那に声をかけ、護堂は空をかける戦車を睨み付ける。

「ふははは、驚いたぞ。どうも、お前はサルバトーレの如き猪頭ではなかったようだな」

「あれと一緒にするなよ」

 独りごちた護堂だったが、完全に決まったと思った罠を力尽くで突破されたのは想定外だった。『まつろわぬ神』を相手に作戦通りに事が運ぶはずもないが、今のは不可解だった。

 最後の一瞬、護堂が作った神槍の力が大きく弱体化したような気がしたのだ。

「忌々しきは《鋼》の武具か。ヘファイストスの類だな。数多の武具を生み出す権能。神話の時代、かの製鉄神は多くの英雄豪傑に蛇殺しの武具を与えたものだ」

 ヘファイストスはギリシャ神話の製鉄神だ。サルバトーレが倒したウルカヌスは、ヘファイストスがローマ神話に取り込まれた名前だとか聞いたことがある。

「ギリシャ系の神様か。でも、確か中東由来だってリリアナが言ってたような……」

 胸中の疑問だが、ギリシャ系の神との戦いは初めてではない。特に多くの地域の伝承を取り入れて発展してきた有名どころだ。

 リリアナは中東に縁があり、祐理は島国に関わると見立てた。ギリシャ神話系の神格なら、十分にあり得る。

「我が自慢の戦車も、お前には見切られているようだ。口惜しいが、別の手を使うとしよう」

 悠々と空を駆けながら、女神は神力を放つ。

 煌めく弓矢だ。戦車に乗りながら、女神は地上に向けて矢を放ってきた。

『縮』

 空間を縮めての高速移動で矢を回避する。光の矢は河原に落ちると、猛烈な光と熱で半径五メートルばかりを沸騰させた。

「熱ッ、なんだ火か……うわッ」

 二の矢、三の矢が護堂を襲う。光の矢が立て続けに放たれて、地上を灼熱が包み込んだ。矢が当たった岩は融解し、木々は破裂し、燃え上がった。水分が一瞬で気化したに違いない。

「殺意が高すぎるッ。食らったら一溜まりもないぞッ」

 とんでもない超高温の矢である。カンピオーネの呪力耐性ですら、どこまで持つか分からない。

「我は鉄を打つ者。我が武具を以て万の軍をまつろわせよ」

 一目連の聖句で神力を高め、護堂は盾を並べる。

「ほう、そんな芸もあるのか!」

 矢継ぎ早に放たれる光を護堂の神盾はよく受け止めた。幾重にも重なる光と熱で、盾の表面が赤熱し融解していく。

 《鋼》の弱点は、《鋼》をも融かす超高温。あの女神の火矢は、それほどの力を有しているのか。

「なかなか硬い。よい武具だ。だが、わたしの邪魔立ては許さぬ。道を空けよ!」

 これが、言霊だったのか。

 強く引き絞った光の弓から放たれた一条の矢が護堂の盾を貫通する。五層に重ねていた盾の三層までがあっさりと貫かれ、四層目で勢いを削ぐことができた。危険を察知して避けるには十分な時間だ。土雷神の化身を使った護堂は辛くも難を逃れた。

「そういうことか」

 頤に手を当てた女神はにやりをと笑う。

「闇深き冥府の風よ、土の精に力を与えよ」

 弓に矢を番えて女神は聖句を唱える。

 変化があったのは護堂の足下だった。

「な……うわッ」

 護堂の周辺の地面が黒ずみ、歪み、大きなとぐろを巻いた蛇になったのだ。それもただの蛇ではない。尾も頭になっていて、背後からも護堂に襲いかかろうとしている。

「土ならぬものは潜れまい。どうだ?」

 女神が矢を放った。

 護堂にではなく空にだ。打ち上げられた光の矢が天高くで炸裂し、大量の火矢を生み出した。

「我が背の君を守り給え。天叢雲剣、行くよッ!」

 颶風を纏った恵那が死を厭わず突貫する。護堂に牙を剥いた蛇の喉笛をこれでもかと深く斬り裂いた。荒ぶるスサノオの神力を降ろした恵那の一撃は、蛇には痛打となる。

「王さま、あれ、太陽だッ!」

「なるほどッ」

 ハッとした護堂の頭上から、「太陽」の豪雨が降り注ぐ。

 超高温の絨毯爆撃で地表が焼き払われる。

 それは神話に伝わる神の裁きのような大災厄。

 森は燃え、大地は砕けて蒸発する。女神が呼び出した神獣も一時の命を終えて冥府に帰った。そして、神罰の直撃を受けた神殺しとその巫女の姿は焼け跡から姿を消していた。


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