——国立音ノ木坂学院、廃校撤回。
理事長の南ひな子によって伝えられたその朗報に、一番の目的を予期せず達成してしまったμ's一同はわく。諦めずにあがいてみて本当によかった。感情はそれぞれとはいえ涙も浮かべる者がいるなかで、休日のため同席していた行人は口を開く。
「……もう、いいんじゃないか?」
廃校がなくなったのなら。もうこれ以上頑張る必要はないんじゃないのか。
「え、でも、ユキちゃん、せっかくμ’sのみんなと出会えたし、応援してくれる人もいるし、ラブライブを目指そうよ!」
穂乃果の言葉は何も間違ってはいない。
現在のμ’sのスコアランキングはとうとう74位まで上昇していた。この速度を維持すれば、今年のラブライブ出場は間違いなく見えてくる。
当初の目的は達成したとはいえ、ここまで怖いくらい順調に来れたのなら、行けるとこまで行こう。そう思ってしまうのが人間だ。
だが、
「——そっか。そうだよな」
目をつぶり、当然そうなるだろうと思ってたという表情で、口を開く。
「なら、俺が手伝うのはここまでだ」
「――え?」
誰が発した言葉だったのかわからない。一人か、三人か、あるいは全員だったのか。
さわやかさすら感じさせる笑みを浮かべて行人は、
「じゃあな、あとは自分たちで頑張れよ。応援してる」
背を向ける。一歩を踏み出す。よどみのない足取り。だめだ、と思う。なぜだかはわからない。わからないけど。本能的に、今引き留めなければもう――
「待ってよユキちゃん! なんで、なんでそんないきなり悲しいこというの!? わかんないよ!」
穗乃果がその腕を掴めば、きっと、きっとこの幼なじみはいつも通り、しょうがねぇなぁって言葉と共に振り返ってくれる。そうに違いないんだ、そういう人なんだ、だから、だから、
そっと振りほどかれ、
「離してくれよ。今の俺には、――もうお前たちがまぶしくて仕方ないんだ」
優しげな言い方でありながら、同時に突き放すように別れを告げた彼にショックを受ける一同。背中を向けたまま、振り返らず理事長室から去っていく行人をもう誰も引き留めることができなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その後、ラブライブを目指して練習を再開するも、何かがぽっかり抜けてしまったかのように覇気のないμ’sの空気を見かねたにこは鼓舞する。
「たかがアイツが抜けたからって何よ!! そもそもアイドルは恋愛禁止なんだから! オタクたちに余計な心配を与える要素が減ったって思えばいいじゃない! それよりラブライブよ! 切り替えなさい!」
その
だが、そのはじまりもにこからだった。
ある日の練習中にこは、母が倒れたという連絡を受ける。母子家庭である矢澤家はにこ以外の弟と妹たちがまだ幼く、倒れた母親の代わりをせねばならなくしばらくスクールアイドル活動を休むと伝えてくる。
真姫も急激に知名度が上がった結果スクールアイドル活動が両親にバレてしまい、将来の医学部進学に向けた学業へ影響があると活動に参加できなくなってしまう。
三年生が一人、一年生が一人。歯抜けのようになってしまったμ's。さらに希と絵里は生徒会業務のため留守という気まずさ漂う部室で、些細なこと(花陽の真姫に対する凜の嫉妬)から凛と花陽も喧嘩になってしまい、「もうかよちんなんて知らない!」と凜まで飛び出し、同様に花陽までも出ていってしまう始末。
悪化が止まらない状況に、ことりも、大好きなファッションについて勉強するために海外留学への誘いが届いたことについて、穂乃果たちに打ち明けることができずにいた。
様子のおかしいことりに気づき、海未は原因を尋ねる。いったん二人きりになれる場所まで移動すると「実はね……」とずっと悩んでいた事情を涙ながらに打ち明けることり。それを聞いて海未も、
「ことりの昔からの夢じゃないですか。それは行くべきです。今というタイミングですけど……穂乃果もきっとわかってくれますよ」
海未の励ましを受けて、勇気を出したことりは部室に戻って穂乃果に打ち明ける。
いつもなら。
いつもならきっと、穂乃果もその思いを汲んで、幼馴染の夢を叶える挑戦を応援してくれたのだろう。だが、そういう意味では、海未も今のこの状況を読み違えていたのだと思う。
スクールアイドル。ライブ。ステージ上の光を受けて自分を表現する楽しさ。人気という形で『自分』が認められていくという人の本質的な欲求が満たされる快感。廃校という一番の悩みが消え、もっとこの楽しさ、気持ちよさを追求できる存在、ラブライブ。それに手が届く。届くのだ。
なのに。
頼りにしていた幼馴染が去り、せっかく集まった仲間たちがこのスクールアイドル活動から抜けざるを得ないような状況になっていく。せっかく積み上がってきていた何かが一気に崩れてしまうような喪失感。
だからこそ、穂乃果はこう思ってしまった。
——ずっと一緒に頑張ってきたんだから、ずっと一緒にいたんだから、同じ気持ちのはずなのに、なんで、なんでわかってくれないの。
それが、
「ことりちゃんも行っちゃうんだ……」
「——えっ?」
「いいよ、ことりちゃん」
言葉として、カタチになってしまえば。
「——好きにすればいいじゃん。勝手に行きなよ」
終わりだった。そこに、動く影がある。
一瞬の出来事。パシンッという乾いた音。
呆気に取られた穂乃果の顔、その瞳が揺れる。その頬が遅れて赤くなっていく。
「……どれだけ、どれだけことりが悩んで勇気を出したと思ってるんですか!?」
振り抜いた右手を掲げたまま、海未は穂乃果に、
「あなたは……最低ですっ!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ことりのために怒ったことは間違っていない。ただ、怒りのあまり、穂乃果に手を出してしまったことを海未は後悔していた。
これまでほとんど喧嘩のようなことをしてこなかった、幼馴染たちとの関係のこじれ。道に迷ったとき、どうすればいいのか。これまでも相談に乗ってくれたのは、と脳裏をよぎるのはもう一人の幼馴染だった。
だが、同時によぎるのはあの時自分たちに背を向けた直前の彼の顔。
『離してくれよ。今の俺には、――もうお前たちがまぶしくて仕方ないんだ』
あの顔を思い出すと、スマホに表示される電話番号をタップできず、指がさまよってしまう。
だけど、それでも、今の自分では、もう何をどうすればいいのかわからなかった。だから、これで、これで頼るのは最後にしようと自分に言い聞かせ、海未の指はようやく目指すべき場所へとたどりつく。
コールがしばらく続いた後でようやく、あの声が聞こえた。
どうしても相談したいことがあると渋る行人を最後だからと説き伏せ、海未は約束を取り付ける。指定された待ち合わせの場所へ単身向かったとき、
その場には行人ともう一人の先客がいた。
「——
「——やあ、園田。元気そうで何よりだね」
微笑む深原と名乗ったその人物が肩に手を置く、顔面蒼白で怯えたような顔をした行人に海未の記憶は昔にさかのぼる。