僕と君とのIN MY LIFE!   作:来真らむぷ

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#35-2 明日のススメ→

 

 

 

 

 

 

 限定3000セット。

 

 現在でもたまにネットオークションで出品されるが、落札は販売価格の10倍以上になっている。

 

 そんな販売予約開始からものの五分と持たずに完売した伝説の逸品である、

 

 

『日高舞 伝説ライブDVDBOX(豪華愛蔵版)』

 

 

 それを最初からぶっ通しで流していた。

 

 絶対に後でしびれるとわかっていても、花陽はテレビの前に正座して、固唾を呑んで見入っている。

 

 

 

 ――初めて見たのはいつのことだったろう。

 

 

 

 それまでも色んなアイドルのビデオを見ていたのはぼんやり覚えている。

 

 だけど、一目見た時から、このライブを見た時から、この人は()()と思った。

 

 曲の良さもさることながら、難しいメロディも歌いこなす圧倒的な歌唱力。

 綺麗とかわいい、両方を兼ね備えた見た目。

 はっちゃけた一面も見せるMCと、その印象を一瞬で覆すようなダンス。

 それら全てをひっくるめて、天才、カリスマと称するなら、彼女は格が違った。

 

 もしも世界で一人だけ、自分にとっての理想は誰ですかと問われれば、きっと彼女を挙げる。

 

 

 

 ――彼女みたいになりたい。

 

 

 

 やっぱり、自分にとっての始まりはこの中にあって、何十回、何百回と見ても感動して泣いてしまう。

 

 

 

 これほどの感動を人に与えられる存在、

 

 ――アイドルに。

 

 

 

 輝く汗を隠さぬ顔のまま、ステージから色とりどりのサイリウムが輝くドームを見渡す彼女がいる。

 

「ありがとうっ、じゃあ、えっと、みんな聴いて」

 

 テレビのスピーカーから発せられる声に、目を閉じて耳を傾ける。

 まぶたの裏であっても映っている。

 

 ゆっくり花道を歩きながら、彼女は手をおでこに当てて大げさな身振りで見渡すのだ。

 

 そしたら、客席から彼女の名前を呼ぶ声がして、

 

「あはは見えてるよー。みんな見えてる。スッゴク綺麗。百万ドルの夜景なんて言うけど、それっぽっちじゃ足んないね」

 

 そんな嬉しい言葉を向けられたら、客席も否が応でも盛り上がる。

 にわかに湧いた歓声に礼を述べて、

 

「じゃあ次に歌う曲です。……の前に、少しだけ語ってもいいかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりだけの部屋で、PCの青白い液晶をヘッドホンをつけた真姫はずっと見つめている。

 

 再生プレイヤー上で表示された彼女は、

 

「――私にとって、とっても大切な曲です。何故ならほんとはこの曲を歌う前。実は私、もうアイドルを辞めようと思ってました」

 

 突然の告白に、会場に動揺の声が広がっていく。

 辞めないでーの声が悲鳴と共に飛び交い、彼女は苦笑しながら、

 

「あはは、大丈夫だって。心配しないで。続けるよ? うちね? 私の家って、お母さんもお姉ちゃんもみんな同じ学校なんだよね」

 

 その可能性を否定してから、やや自慢げに続きを語る。

 

「入学したはいいけど、お陰様でほとんど学校に行けなくて。そりゃもちろんアイドルも本当に楽しいし、だけど、あんなに憧れてたのにこれでいいのかなーって、ずっと思ってたんだ」

 

 あっけらかんと言い放つが、引退前のインタビューで彼女は人気の爆発と高校進学が重なり、ほとんど学校には行けなかったと語っている。

 

 当時、この国で最も忙しい女子高生と呼ばれ、後に振り返った時、1年365日を通して、まともな休みの日はたった2日だったという伝説を持つ。

 

 そんな彼女だからこその悩みは、到底想像できないし、簡単にわかると言ってはいけないと思う。

 

「プロデューサーもわかってたのかもね。あのドラマの監督さんたちとも打ち合わせを重ねて、この曲を作ってくれた……」

 

 両手を鳴らし、

 

「今からクッサイこと言うけど、どうか許して。今日は、そういうことを伝えたい日なの――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ◆#35-2 “明日のススメ→”◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「絢瀬っ!!」

 

 その声に講堂入り口付近で案内をしていた絵里が振り向けば、

 

「日高く――どうしたのその荷物!?」

 

 たすきがけにしたショルダーを見て、驚く。

 

「これでも軽くなってる。色々と入り用でさ」

 

 絵里の肩越しに講堂内を覗き込んだ行人は、

 

「……案の定、大入りだな」

 

 既に八割方が埋まっている座席を確認し、最前列とステージの間でいそいそとリュックを開いている百合彦の姿も発見する。

 

「……ええ、座席は満席。座らなくてもいいから見たいって子達も多くて、壁際の通路にそって立ち見も出してるわ」

 

 なるほど。

 

 たしかに、ここで折角見たいと希望してきた者を満員だからと区切るようでは、今回の趣旨を無視する形になる。あくまで音ノ木坂を知ってもらい、よい印象を持ってもらうためのものだ。限界ギリギリまで入れるようなら入れた方がいい。

 

「それはそうと……あの人、よね」

 

 視線で百合彦を示すと、行人は頷く。

 

「ああ、まぁ色々と難ありだけど……凄いヤツだよ。それは保証する」

 

 難あり、の部分だけ万感込めながら、最後は人差し指を立てて苦笑する。

 自然と、絵里も笑いながら、

 

「そう。日高くんが言うなら、そうなんでしょうね」

 

 目を細めていれば、行人はきょとんとしており、どうかした? と尋ねれば、

 

「いや、ちょっと意外だった。その、信じてくれて、さ」

 

 あ、と自分でも意識せず反応していたことにやっと気づき、

 白い頬に朱が差すと同時に亜里沙とその友達と思しき少女、雪穂が駆けてくる。

 

「お姉ちゃん!!」

「亜里沙!? えと、それと……」

「はじめまして!! 私、高坂穂乃果の妹の雪穂といいます」

 

 名を交わすだけの、簡素な自己紹介をすると、

 

「高坂さんの……、そうだったの」

 

 先日、雪穂が新しい友達が出来たとはしゃいでいたその友達とは、彼女のことだったのか。

 

 奇妙なものだ。

 

 世界は広いようで、狭いのかもしれない。それとも、日本で言うならば“縁”というやつなのだろうか。

 

「お兄ちゃん、私たちはどうしたら?」

 

 ――ん、お兄ちゃん?

 

 ひっかかった違和感が顔に出たのか、

 

 行人は緩んだ表情筋を引き締めながら、ま、まぁ今度機会があれば説明すると絵里に前置き、腕時計へと目を落とし、

 

 開演まで――残り10分。

 

 頭の中で即座に何をすべきかの分担を組み立て、指示を出す。

 まずは、

 

「亜里沙ちゃんは、さっきの俺と一緒にいたヤツ、千堂って言うんだけど、そいつがステージ前にいるから、そいつの指示に従ってくれ」

 

 次、

 

「雪穂は、控え室の穂乃果らんとこ行って、言葉をかけてやってくれ」

 

 たぶん緊張してるだろうからな、と行人は一瞬トーンを落とす。

 

「わかった。お兄ちゃんは?」

「俺は俺で、やらないといけないことがある」

 

 ただ、と雪穂と亜里沙を寄せて耳打ちする。

 

「――はい、わかりました!! でも、それってどういう意味なんですか?」

「意味は――」

 

 言いよどみ、

 

「……昔あるやつに教わった、魔法なんだよ」

 

 頭を撫でると、くすぐったそうにする二人に、

 

「よし、じゃ2人とも。頼んだ、それは雪穂、亜里沙ちゃん、

 ――2人にしか出来ないことだ」

 

 行人は、何の気なしに口にしたのかもしれない。だが、その言葉が届いた瞬間、二人はハッと気づいたように、頷き、

 

 ――はい!!

 

 これ以上ない返事と共に、託された仕事を遂げに走っていった。

 そして、絵里に向き直り、

 

「絢瀬、例のPAをやってくれるっていうUTXの人はどこだ?」

 

 三人のやりとりを見守るだけだった絵里は話しかけられたのを、即座に反応できず、

 

「えっ、あ、うん、ごめんなさい、ちょっと待ってくれるかしら」

 

 慌ててこの場を少し離れるための交代要員を探そうとする絵里の背後より、

 

「私でよければ案内しますよ」

 

 千歳文乃だった。

 

 何故この場にA-RISE以外のUTXの生徒がいるのか。

 特徴的な白ブレザーに身を包んでいるため、そんな不躾な周囲の視線を集めている文乃に、

 

「お願いします」

 

 渡りに船とばかりに行人は飛び乗ることにする。

 絵里も申し訳ないと文乃に頭を下げようとするが、気になさらずと手で制される。

 

「私たちの仲じゃないですか」

 

 意味深に笑ってみせる文乃は、行きましょうと、絵里の反応を確かめようともせずに歩き出す。

 

 鳩が豆鉄砲を食らった顔をしている絵里を珍しい物を見たと思いながら、行人も、また後でなと別れを告げて後を追う。

 

「随分な荷物ですね?」

「はは……会う人会う人、そう言われます」

 

 頭をかきながら行人は、ショルダーのベルトの位置を直す。

 

「一体、何に使う気なのかと聞いてもいいですか?」

 

 至極まっとうな問いかけに、

「上からも撮りたいっていう指示がありましてね」

 

 言って、――後、少し確かめたいことがと、小さく付け加える。

 最後のも気になったが、聞き返すべきは最初の方かと文乃は判断し、

 

「撮るというのは――」

「そりゃあ、ご想像通りだよ」

 

 2階に上がる階段の途中で隣に並ぶ行人へ、文乃の目つきが険しくなる。

 

「……――あれを?」

 

 敬語を抜いた行人に合わせるように、口調が変わる。

 ナイフじみた横目に込められた意味はとどのつまり、

 

 

 ――()()()()をわざわざ?

 

 

 

 そうわかっていてなお、鷹揚(おうよう)に頷き返し、

 

「そ。だから――

 

 

 

 

 今回こっきりの奇跡を起こしにきたのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ×      ×      × 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しまった。

 

 駆けだしてから気づいたが、肝心要の控え室の場所がわからないことに雪穂は自分のでこを叩く。

 

「お兄ちゃんも肝心なところ伝え忘れてるよ……」

 

 仕方ない、絵里さんにもう一度聞きに戻ろうと踵を返そうとして、

 

「きゃっ」

 

 誰かとぶつかった。

 

「ご、ごめんなさい!! 大丈夫ですか?」

 

 尻餅をついたせいで、かけていた眼鏡を落としてしまったらしく、古典的な、めがねめがね……などとつぶやきながら明後日の方向を探しているその人に、雪穂は謝りつつ、そのアンダーリムの眼鏡を拾い上げて渡す。

 

 助かったと顔をほころばせる顔は、かわいらしく、彼女が眼鏡をかけ直す間、ついまじまじと見つめてしまった。

 

「あ、ありがとうございます。助かりました」

「とんでもないです。私がいきなり戻ろうとしたから。すみませんでした」

 

 感謝と謝罪で互いに頭を下げ合う中で、雪穂は目の前の1年生と思しき先輩のブレザーに『準備会スタッフ 小泉』というネームケースが付いているのを知る。

 

「あ、あの!!」

「は、はいっ!?」

 

 よかった。準備会の人ならわざわざ戻るなんてカッコ悪いことしなくても、μ’sの控え室ぐらいわかってるだろう。

 

「私、μ’sの高坂穂乃果の妹で雪穂って言います」

 

 ――ライブ前に姉に一言伝えたいので、控え室を教えて頂けませんか。

 

 すると、

 

「え、え!? わ、私ですか!?」

「はい……スタッフの方ならご存じかと思って……お願いします!!」

 

 もたもたしてたらライブが始まってしまう。ここでお願いするしかない。

 

「わ、わかりました……。えと、こっちです」

 

 その必死さが伝わったのか。

 迷う素振りをしていた先輩も控え室というよりかは、実際はごく普通の体育用の更衣室へと雪穂を案内することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、その頃その本人達は、

 

「だいぶお客さんが来ている……みたいですね」

 

 浮かない顔でそう述べる園田海未は、控え室で膝を抱えていた。

 

 今日は朝からここに詰めているが、一回外の様子を確認してみた所、想像を遙かに超える人数が開場を今か今かと待ち構えていた。

 

 以降、ずっとこの調子である。

 

 同じ光景を目の当たりにしたことりもまた、椅子に座り膝の上で軽く握った手はじっとりと汗ばんでいる。

 

「う〜ん」

 

 そんな中でただ一人、

 

「遅い〜!!」

 

 廊下に通ずる扉の前で先程からずっと待ち構えていた穂乃果が、あっち行ったりこっち行ったり落ち着きをなくし始める。

 

「どうしたの、穂乃果ちゃん?」

「むぅー、だって誰も来ないんだもん」

 

 よく中学の剣道部時代とかは、公式戦の前に行人も雪穂も応援に来た時は必ず声をかけに来てくれたものだ。

 

 そのお陰で勝てたと思う試合はいくつもある。

 今日だって一種の試合だ。

 

 しかも、大事な。

 

 だからこそ――

 

 

 

 ノックの音がした。

 

 

 

「っ!! はいはいはい!!」

 

 かぶりつくような勢いでドアを開ければ、

 

「やっ、お姉ちゃん」

 

 生まれた時から知ってる顔があった。

 

「雪穂!!」

 

 予想通りの客人に、海未もことりも寄ってくる。

 

「よかったぁ、遅かったからちゃんと来れるか心配しちゃったよぉ〜」

 

 うっと、苦い顔をした雪穂は、

 

「だから、ここまで案内してもらったんだよ」

 

 へ、と穂乃果が横へ視線をやれば、

 

「…………あ、」

 

 何故だか気配を殺そうとしていた、

 

「あなたは、たしか――小泉さん!!」

 

 穂乃果の口にした名前に、海未が、

 

「小泉さん? ……その、体調は大丈夫ですか?」

 

 昨日の今日だ。あの出来事はまだ驚きと共にある。

 

「え、なにかあったの?」

 

 ちょうどその時、パンを買いに出ており場に居合わせなかった穂乃果には、あの時の出来事は伝えなかった。

 

 個人間での不和を無闇に吹聴するものではないという海未の考えあってだが、それ以外にも時間が押してる中では、練習を止める訳にはいかないという現実的な事情もあった。

 

 あの後でフォローをしにいったらしい東條先輩は矢澤先輩と、名前の知らない女生徒をもう一人引き連れて戻ってくると、

 

 ――心配しないで。あの二人ならきっと、大丈夫だよ。

 とだけ言い残してきた。

 

 それならばいいがと食い下がることこそしなかったものの、心配はしていたのだ。

 

「少し……、昨日準備をしてた時に、小泉さんは気分が悪くなったみたいだったので……」

「うん。ほら、穂乃果ちゃんがご飯を買いに出て、いなかった時なんだけど」

 

 海未の意を汲み、補足することりに、

 

「あー、そうだったんだ。……もう大丈夫なの?」

「は、はい……昨日はご迷惑をおかけして、すみませんでした」

 

 消えてなくなってしまうのではないかという声量での答えに、逆に心配する穂乃果に、

 

「あ、あのさ、とにかく、小泉さんが助けてくれたの」

 

 同じく察しのいい雪穂は話題を元に戻そうとする。

 

「そうなんだ、ありがとね。小泉さん」

 

 ところでと、穂乃果は辺りをきょろきょろ見回すと、

 

「あれ? そういえばユキちゃんは?」

 

 元々お兄ちゃんと一緒に行く予定と伝えていたので、二人で来ると思っていたのだろう。

 

 雪穂しかいないことを不審に思ったのか、穂乃果は廊下の果てから果てまで行人の姿を探す。

 

 続く形でことりも、

 

「もしかして、何か、あったの……?」

 

 不安に駆られたのか、尋ねてくる。

 

 ついさっきまで一緒にいたのだ。これで無事じゃなかったら、日頃の行いを改めた方がいい。

 

 とんでもないと雪穂は両手を振るうと、

 

「へ、いやいや、お兄ちゃんピンピンしてたから大丈夫だよ」

 

 胸を撫で下ろすことりに続けて、

 

「ちょっとやることがあるんだって。で、伝えてほしいって言われたんだけど、

 

 

 

 ――明日に(ふた)をするな、だって」

 

 

 

 一体何だろうと期待していた三人は一斉に首を傾げる。

 そもそも、日本語的によくわからないし、どういう意味だろうと、

 更にもう五度首を傾げる三人とは違う方向から、

 

「それって……」

 

 声が上がる。

 

「舞ちゃんの?」

 

 反応するのが早かったのは穂乃果で、

 

「小泉さん、知ってるの?」

「え、あっ、はい!!」

 

 再び会話に加わってしまったのを申し訳なさそうに、

 

「日高舞ちゃん。あの有名な、アイドルの。言葉、です。それ」

 

 思わず手を叩き、

 

「あー、私もなんか引っかかってたんですけど、そっかそういえば。ライブかなんかのMCで言ってましたよね。この言葉」

 

 雪穂も今の花陽の指摘を聞いて、思い出したらしい。

 

「ええと……よくわからないのですが、どういう意味なのですか?」

 

 海未が、尋ねる相手が正解にも程があることを知らず、

 

「それだけ聞いたらへんてこかもしれないですけど。ちゃんとあの時、あの場所で発せられたというのが、本当によくて。舞ちゃんの思いとか。ええと、ああ、そのなんというか、とにかく、すごくいい言葉なんです!!」

 

 答えになってないままに、まくしたてる花陽は、言い切ってからまたやってしまったという顔のままうつむき、

 

 

 

「明日に蓋……そっか、たしかにそうだね!!」

 

 

 

 

 

 耳に届いたのは、予想とは違った。

 顔を上げたその先で、

 目の前の先輩は、きっとその瞬間、あの歌を作り上げた人たちの想いを、

 

 

 受け取った。

 

 

「――進まなきゃね」

 

 とっさに口が動く。

 

「なんで、ですか」

 

 

 私は思います。思ってしまうんです、いつも。

 

 

「怖くないんですか?」

 

 だとしたら、私とはやっぱり違――

 

 

 

「怖いよ。怖いけど」

 

 

 

 えっ、

 

 隣に並ぶ、海未、ことり、へと目をやって、

 

 

「やるって決めたから」

 

 こちらに手を差し出す。

 

「そしたら、きっと、

 

 ――可能性はゼロなんかじゃないよね?」

 

 

 

 

 

 

 

 まだ、間に合うだろうか。

 

 いや、違う、

 

 自分はどうしたかった?

 

 どうしたい?

 

 

 

 ――……ええ、私も……アイドルは好きよ。花陽、ちゃん

 

 ――……自分からはいかないの?

 

 ――そんなことないわよ。私よりきっとあなたの方が、

 

 

 

 大切な物を失っても、本当にいいの?

 

 

 

 

 伸ばしかけた手は、

 

「穂乃果、そろそろ時間が……」

 

 時計を確認した海未がステージに向かうことを促す。

 針は開始3分前を示しており、そろそろ舞台袖で待っていなければいけない時間だ。引き留めるわけにはいかない。

 

「トゥモロウ、明日に蓋かぁ。たしかに、見てみなきゃわからないもんね」

 

 

 

 ――ああ、この人は一緒なんだと思った。

 

 

 舞ちゃん。いや、舞ちゃんに限らず、アイドルとして、

 

 きっと、光を受けて、輝いて、

 

 みんなに夢を振りまける存在。

 

 そんな存在に、

 

 私は、

 

 

 

 

 

「あ、あのっ、」

 

 控室を出て、ステージに向かおうとするその背中に、

 

「――ライブが終わったら、私、お伝えしたいことがありますっ!! だ、だからという訳じゃないですけど、が、頑張ってください!!」

 

 にぃっ、と笑ってみせて、ピースをする穂乃果。

 

「ありがと、楽しみにしてる!! 行こう。海未ちゃん、ことりちゃんっ」

「はい!」「うん!」

 

 三人を見送ると、雪穂も案内の感謝を告げて、客席へと走って戻っていった。

 

 残された花陽は、

 

 

 

 

 

 

 ――決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 探そう。

 

 

 

 

 そのために振り返ろうとして、

 

「この辺が控え室とか言ってたわね……ツバサに会ったら、この前もらいそこねたサインと握手とそれから写――ちょっ!?」

 

 先ほど自分がやられたように、背後にいた人とぶつかった。

 

「ご、ごご、ごめんなさい!!」

「何すんのよ!!」

 

 声を荒げたその人に花陽は水飲み鳥よろしく謝罪をしていると、文句がぴたりと止んだ。

 

「……あんた、たしか昨日の……」

 

 昨日の、とくれば、察する他ない。

 みなが準備しているど真ん中であんなことをやらかしたのだ。

 この人は、たしか同じく準備をしていた先輩だ。知っていても、おかしくはない。たとえそうだとして、その認識を覆してはいけない。

 

 あれは紛れもなく、自分の弱さがやったことだ。

 だけど、今は行かせてほしい。

 

「本当にすみませんでしたっ、え――」

 

 横を抜けようとして掴まれた。腕を。

 

「待って、あんた、何しに行く気よ」

 

 やはり癪に障ったのか。

 返答次第で許さないと言わんばかりの態度で、目の前の3年生の先輩は花陽の目的を問う。

 

 

「余計なこ――「謝りにいきます」

 

 昨日のことを。

 

 決して許してもらえることじゃないけど、

 

 また怒らせて、悲しませてしまうかもしれないけど。

 

 睨まれた。けど、ゆずれない。

 ただひたすら、目を逸らすことだけはしない。

 

 まばたきすら我慢して、とうとう瞳が渇きの限界を訴えた時、

 

「引き留めて……悪かったわ」

 

 鼻を鳴らしつつ、とうとうその手を解放する。

 

 深々と頭を下げた花陽に、渋い顔をしつつも、その先輩はブレザーのポケットの膨らみを取り出すと、

 

「持ってきなさいよ。……これ、どうしてこんなレアな物持ってたのか知らないけど」

 

 押しつけるように渡してくる。

 

「大事なもんなんでしょ。完全に元に戻すって訳には、流石にいかなかったけど」

 

 それを見つめる花陽は、信じられない様子で、

 

「ど、どうしてこれ……っ」

 

 腕を組みそっぽを向くと、

「たまたま。たまたま、アクセサリー作りかじってただけよ。この時代、アイドルは珍しい特技の1つや2つ持ってて当然でしょ」

 

 声が出なかった。ただ、ただ、抱きしめるようにそれを胸に抱いて、何度も頭を下げる。

 

「あーもういいから早く行きなさいよ!!」

 

 追い払うように手でシッシッとやると、花陽は鼻をすすりながら一歩踏み出し、二歩目をかすかに前に、

 

「それと、あのかわいくない後輩なら、……舞台裏の方にでもいるんじゃない」

 

 ようやくエンジンがかかったように、

 駆け出していく。

 

 遠ざかっていく足音に振り返らず、頭の後ろで手を組んで、

 

「ったく世話が焼けるわねぇ」

 

 矢澤にこは、物陰に向かって言葉を投げかける。

 

「あんたもそう思うでしょ? 希」

 

 物陰はくすくすと笑いをこらえながらこう答えるのだ。

 

「だから言ったやん? みんな、――不器用なんだって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ×      ×      × 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 舞台袖まで来たとき、ステージに誰かが立っていた。

 

 幕が下りているため、客席側からはもちろんわからないが、いったい誰だろうと、こちらが近づくより先に、

 

「どうもー、高坂穂乃果さん」

 

 ひらひらと手を振っていた。

 

「へ……あなた、は。――え、えぇっ!?」

 

 見間違えようがない。実物こそあの時UTX学園でのライブでしか見たことがないが、写真などでならいくらでも目にしている。

 

「き、綺羅、ツバサ、さん?」

「ぴんぽーん」

 

 たしかに穂乃果らが控え室で待機している際に、A-RISEも到着して準備しているとは教えてもらった。

 

 しかし、こうして本当に肉眼で捉えると、

 

 海未はにわかには信じられず、

 

「ほ、本物、なのですか?」

「それもぴんぽんぴんぽん。正真正銘、本物。園田海未さん」

 

 また、ことりは単純な感想を抱き、

 

「か、かわいい……」

「あはは、ありがとー。じゃそれも大正解にしちゃおう。南ことりさん」

 

 ゆったりとした足取りで目の前までやってくると、

 

「私、この空気が世界で一番好きなの」

 

 胸一杯に吸い込み、

 

 

「この張り詰めたような緊張感。

 静かに自分たちを待っている期待感。

 それに応えたいという高揚感」

 

 

 両手を広げ、

 

「この瞬間でしか味わえないからね」

 

 ごめんなさい、お邪魔しちゃってと言うだけ言うと、ろくに反応も出来ない三人に対し、

 

「それじゃ、――飲み込まれないように」

 

 去って行ってしまった。

 

 貴重な邂逅のはずなのに実感もわかぬまま、いったいなんだったのだろうと海未もことりも顔を見合わせる。

 

 一方で、穂乃果は肩を震わせており、

 大丈夫? とうろたえ気味にことりが表情を窺うと、

 

「な、名前、呼ばれちゃった……」

 

 まさかの展開にどうやら興奮しているようだった。完全に憧れの有名人に街中で偶然会って、握手してもらった時の反応と同じである。

 

 これから本番だというのに、何をしているのやら。呆れ顔で海未はたしなめるものの、そんないつも通りの穂乃果に、少し、肩の力が抜けたのも事実。

 

 ことりと二人で、思わず笑ってしまう。

 

 何故笑われているのかわからない穂乃果としては、はなはだ不本意で、風船のように頬が膨れる。

 

 

 

 そこに、アナウンス、

 

 

 

 ――お待たせ致しました。間もなく開演です。

 

 

 時間だった。

 

 

 三人でささやかな円を作り、穂乃果が、

 

 

「……がんばろうね」

 

 

 前回は、雨が降らなければ、あのアナウンスがなければ、きっと完全な失敗だった。

 

 

 本当は二人も、わかっている。

 

 

「でも……、」

 

 今までずっと、穂乃果の脚が震えていたことに。

 

「やるって決めたんだよね、穂乃果ちゃん」

「そうです。そして、私達も、――それに付き合うと決めたんです」

 

 だから、

 

 二人は無言でピースサインを前に出す。

 

「二人とも……」

 

 震えを払うように、膝を叩いて、

 

「うん、進もう!! 明日に向かって!!」

 

 叫ぶ。

 

 

 穂乃果が、「1!」

 

 ことりが、「2!」

 

 海未が、「3!」

 

 三人が、

 

 

『μ’s ミュージック――スタート!!』

 

 

 今度こそ、

 

 

 

 ステージの前に立ち、

 

 

 

 

 

 

 幕が上がる。最前列中央から皆の顔があらわになっていく。

 

 

 徐々に、全てが明らかになった。

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ白に、なった。

 

 

 

 

 ――あれ?

 

 

 それは一人の声だったのかもしれないし、三人の声だったのかもしれない。

 

 

 ただ結論から言えば、数千の瞳がまずあった。講堂を埋め尽くしていた。

 

 

 加えて、それが一斉にこちらを向いていた訳で、

 

 

 気づいてしまった瞬間、

 

 

 意識してしまった瞬間、

 

 

 

 

 

 頭の中に何もなくなった。

 

 

 

 

 

 ――あれ、あれあれあれ?

 

 

 まずいまずい、もう始まってる。ほらみんなこっちを向いて私達が何をするのか待ってる。早くしなきゃ、えと、何を、すればいいんだっけ。あれ、あれあれ?

 

 

 頭だけは目まぐるしく働いているのに、一向にその場から動けない。

 

 

 ステージ上で固まる彼女らに、観客も戸惑いが生まれる。

 

 

 

 ――え、誰あれ? 

 ――A-RISEじゃないの?

 ――何やってんのかなあれ?

 

 

 

 交わされる会話は波紋の様に広がっていく。

 

 

 

 だめ、えっとあれ、か、かし、歌詞、最初、えっと、う、上向く? 違う、そうじゃなくて……え、……へ、……あれ?

 

 

 

 

 

 

 

 なん、

 

 

 

 

 だっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん!! 魔法の言葉!!」

 

 

 

 

 

 

 ハッと、それだけは耳にまっすぐ飛び込んできた。

 そして、それだけはあの幼なじみの横顔と一緒にそこにあった。

 

「魔法、の、言葉」

 

 左隣からいつも冷静に、おっちょこちょいな自分を支えてくれる声がする。

 

「深呼吸して――」

 

 右隣からいつだって側にいて、笑いかけてくれる声がする。

 

最初(ハジメ)から」

 

 

 そうだ。

 

 自分たちは一人じゃない。

 

 隣に立ってくれる――陰から支えてくれる人たちが、いる。

 

 思いきり、息を吐き出す。

 

 

 大げさでも構わない。

 場所をあけた分、全力で吸い込む。

 

 あんなに練習したのだ。

 

 

 何百、何千回って、歌ってきた曲なのだ。

 

 たとえ、忘れても、

 

 最初さえわかれば、

 

 後はきっと――

 

 

 

 

 胸に手を当て、すぅともう一度吸い込んで、

 

 

 ――きっと、身体が思い出してくれる。

 

 

 

 その時、放送室からステージの見える窓に身を乗り出していた影が叫ぶ。

 

「今だ、お願いしますっ!!」

 

 

 

 

 

 ♪MUSIC:ススメ→トゥモロウ

  by 高坂穂乃果(CV.新田恵海)/南ことり(CV.内田彩)/園田海未(CV.三森すずこ) ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ありえないことが起きる。

 

 

 最初は勘違いかと思った。

 

 

 ――何かが聞こえる。

 

 

 アカペラなのだ。

 マイクこそあれど、伴奏も何もない。ただ歌声だけが響くはずなのに。

 

 

 それなのに、

 

 なのに、

 

 まるで、ステージ上から光が浮かび上がっていくように、音が流れ始めた。

 

 静かに、穂乃果の歌い出しを導くように。

 

 

 

 

「――だって、可能性感じたんだ」

 

 

 やると決めた日から、

 

 可能性はゼロなんかじゃなくなった。

 そうだ、

 

「――――ススメ――!!」

 

 

 

 後悔したくなんかないから、

 決めたこの道をどこまでも行こう。

 

 

 スタートダッシュは、もう、したのだから。

 

 

 

 

 

「――Let's Go!! 」

 

 

 

 穂乃果がこぶしを突き出すと同時に

 音が弾けた。

 

 

 ブラスが高らかに始まりを告げる。

 

 

 予感が確信に変わる。

 

 

 もう“もしかして”、なんかじゃない、絶対に聞こえてる。

 

 

 穂乃果、海未、ことりは、視線を交わさない。

 前を向いたままだ。

 

 

 でも、わかってる。きっと三人とも顔がほころんでる。

 

 

 聴いたことのないアレンジ、少なくとも日高舞の原曲じゃない。

 

 

 こんなことをするような誰かさん。

 どうやったのかはわからない。

 

 でも、

 

 考えられるのはたった一人だけだ。

 

 

 いつも、こそこそと裏で駆けずり回ってくれていることを知っているから。

 

 自分たちだけでも出来ると、行人には自分のことを頑張れと伝えたつもりだったのに。

 

 ――本当にありがとう。

 

 さっきまでの動揺が嘘のように、心は落ち着き、身体が軽い。

 

 それどころか、もう、なんだろうか。元気が体中から湧いてくるようで、

 

 今ならなんだって出来る気がする。

 

 

 空だって飛べる。

 

 壁なんて壊してやる。

 

 自分たちに目が向いていないというなら、無理やりにでも向かせてみせる。

 

 

 ――ススメ、トゥモロウ。

 

 曲名でもあるフレーズ。

 

 

 穂乃果が主体のAメロが、終わり本格的に海未とことりが加わる。

 

 

「――熱いこころ」

 

 合いの手を入れるように、

 

「――抱いて走った」

 

 それぞれが歌い継いでいく。

 

 熱い志だけが足を突き動かしている。

 いくらだって一番前を走ってみせるから、

 どうか皆にはついてきてほしい。

 

 

 そんな思いを乗せて、

 ここにいる全ての人に届ける気で穂乃果は。

 

「みんなおいで――」

 

 

 

 呆気に取られていた観客の少女たちも、慌てて手にしたままのサイリウムを振り始める。

 

 今だに街中で耳にするようなヒットソング、聴いたことがあるはずなのに、まるで違う曲のようでわからない。

 

 制服のブレザーを脱ぎ捨て、ワイシャツ姿で腕まくりをし、踊る少女たちにわからないけど目が離せない。

 

 何だかわからない、わからないけど、

 何だかスゴい。

 

 気づけばライブ慣れしたコールを叫び始めている子さえいる。

 

「お姉ちゃーーん、頑張れーー!!」

「μ's頑張ってくださーーーい!! ジェラーユ、ウダーチ!!」

 

 そんな声も。

 

 

 

 

 ついにサビに突入する。

 

「いっくよぉ―――――ッ!!」

 

 Hi!!

 

 穂乃果があげた声と共に、海未とことりも両腕を頭上に掲げる。

 

 ――ススメ!!

 

「――Let's go 変わんない世界じゃない。Do! I do! I live! (Hi hi hi!)」

 

 ――世界はいつだって変えられる!!

 

「Let's go 可能性あるかぎり、」

 

 そう信じた時から可能性はゼロなんかじゃない。

 

 なら、

 

 どんなに辛くたって、見苦しくたって、

 

「――まだまだ諦めない!!」

 

 それだけで勝手に笑顔が弾けた。

 

「――Let's go 自然な笑顔ならDo! I do! I live! (Hi hi hi!)」

 

 進むんだ。

 笑ってさえいれば、道は拓ける。

 

「――Let's go 可能性みえてきた」

 

 進むんだ!!

 掴み取る可能性は、

 

「元気に耀ける 僕らの場所がある」

 

 きっと、今、そこにあるんだから。

 

 

 思いの丈をぶつけた1番が終わると同時に、

 

 

 ――歓声が爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ、時間を戻そう。

 

 

 

「真姫ちゃん!!」

 

 その後ろ姿が見えた瞬間、叫んでいた。

 

「あなた……どうして……」

「先、輩に、こ、こ、にいるって、聞いて……」

 

 元より体力のある方じゃない。

 なのに全力疾走で来たせいで、貧血になりそうだ。

 

 今にも倒れそうな様子の花陽に、つい真姫の足は駆け寄ろうとする。

 が、

 

「い、今更、何しに来たのよ……」

 

 踏みとどまり、辛そうに自分の腕を抱く。

 

「――真姫ちゃん、ごめんなさい!!」

 

 だけど、そこにいたのは、土下座でもしそうな勢いで、謝っている友達だ。

 

「とんでもないことをしてしまったのは、わかってる。ひどいことを言ったのも。せっかく仲良くなれたのに最低なことをしちゃった……」

 

 恐れちゃダメだ。

 

「……私、真姫ちゃんがうらやましかったの」

 

 進まなきゃ、ダメだ。

 

「真姫ちゃんが先輩たちから熱心にスクールアイドルに勧誘されてるのが凄くうらやましかった」

 

 ――自分から動かなくても、勝手に向こうからチャンスが巡ってくる。

 そんな甘い考えに、私、憧れてた。

 

「私が持てない物を、真姫ちゃんはみんな持っているような気がして……ずるいって……勝手に、八つ当たりをして、……せっかく真姫ちゃんのくれたあれを……」

 

 ――本当に、本当に、ごめんなさいっ。

 

 胸に秘めて、我慢していたことをさらけ出した。

 この思いを抱えたままでは、きっと正しく向き合うことなんて出来ないから。

 覚悟もなく、いびつな付き合い方で首を絞めてきたのは自分なのだから。

 

 当然のような顔して返ってきたのは、沈黙だった。

 

 無言の間は、静かに余韻を生み出す。

 

 とうとう、伝えてしまった。

 

 なのに、どうしてだろう。

 

 ずっとヘドロが足にまとわりついたような不快感に苛まれていたというのに、

ようやくそこから解き放たれたような、そんなすっきりとした気分になっていた。

 

 

 

 舞台の方から、アナウンスが、響く。

 

 開演の時間が訪れたらしい。そちらに気を取られた時、

 

「あなたは――違うって言ったわよね」

 

 とうとう、来た。

 

 何を言われても受け入れる。

 

 それぐらいでしか謝意を示せないと、

 花陽は思い――、

 

 

 そこからの光景をきっと花陽は一生忘れない。

 

 

 薄暗がり、準備で使ったガムテープの芯が転がっている。

 

 建物自体は割りかし新しいというのに、どこかカビくさいのはここが日光の届かない場所だからか。

 

 それとも、息をひそめて、舞台へと上るその一瞬を待つ場所だからだろうか。

 

 突如ついた、ステージの上の照明が漏れてくる。

 

 

 

「――それこそ違うわ。一緒よ」

 

 

 

 まぶしさに目を細めながら、その言葉が耳に届く。

 だって、と、

 

「私だって、あなたがうらやましかった」

 

 わずかでも、確かな光が二人を包み、

 

「青春が終わってる私にとって、……あなたは自信がないだけで、可能性に満ちあふれてるように見えたの」

 

 始まったはずのライブはまだ響いてこず、

 

「だから、勝手にあなたにあれを――私の願いを押しつけた」

 

 まだ――

 

 

「――ごめんなさい。花陽ちゃん」

 

 

 その瞬間、トラブルでもあったのかというぐらい静まり返っていたステージから、

 

 

 音が生まれる。

 

 

 弾かれたように二人は耳を澄ませ、最初のフレーズで悟る。

 

「この曲は……!?」

「舞ちゃんの、ススメ→トゥモロウ……!?」

 

 それなら何千回と聴いたはず、

 しかし、真姫は首を傾げる。

 

「ブラスが入ってる……? 原曲にはなかった、どういうこと……」

 

 こんな編曲(アレンジ)は知らない。

 

「わからないけど、こんなの聴いたことない!!」

 

 慌てて、花陽はステージ脇に備え付けられたちょっとした階段を上り、

 

 そこから見えたステージには、

 

 

 

 

 アイドルが、いた。

 

 

 ああ、なんて、

 

 

 

 なんて、

 

 輝いているのだろうと思った。

 

 

 だからこそ、

 

 

「真姫ちゃん。……私、決めた」

 

 隣で、続く言葉を待っている様子が伝わってくる。

 

「出来るのかわからないけど、やってみる」

 

 返事は、今度は、すぐにきた。

 

「――最低かもしれない、最高かもしれない」

 

 驚いたのはコンマ数秒だけ。

 互いに舞ちゃんが大好きだと語り合ったのだから当然だ。

 すらすらと、英単語よりよっぽど、いくらでも出てくる。

 

 続ける。

 

「――そんなのわからないよ。見てみなきゃ。やってみなきゃ。味わってみなきゃ」

 

 乗ってきたわねと真姫が瞳で伝えてくる。

 次は向こうの番だ。

 

「――ありもしない妄想を膨らませて、頭でっかちになってるんじゃない? 可能性捨てちゃってるんじゃない?」

 

 今度はこっち、

 

『そんなのやめよ』

 

 

 声が、重なり始める。

 

 

『みんなの明日は、無限大に決まってるよ』

 

 

 だから、

 

 

『だから、勝手に、自分で勝手に、明日に蓋をするな!!』

 

 

 互いに、ステージ上の三人を指差し、

 

 

『きっと明日は素敵な明日。だから進もう!! 

 

 きらめく可能性を信じて、トゥモロウを!!』

 

 

 

 

 

 

 いよいよ二番のサビだ。

 

 既に額には汗が浮かび上がっている。

 

 膝上げダンスなど遠慮なく残りの体力を削ってくる。

 

 

 でも、楽しい、

 

 楽しすぎて、止められない。

 

 

 キツいと思う度、歓声が上がって、

 その度、心にガソリンが注ぎ込まれる。

 

 その繰り返しだ。

 自然と笑ってしまう。

 

 ここにいるだけで、分かち合える。

 

 自分たちが与えているのと同時に、

 自分たちも与えられている。

 

 なんて素敵な場所なのだろう。

 

 ――ここは。

 

 

 

 

 

 

 ツバサの様子を確かめようと思い、殴り込むように楽屋へ入ると、デコ娘の姿はなかった。

 

 文乃のただならぬ様子に英玲奈は驚きつつも、

 μ’sのライブを脇で見ているはずだと言う。

 

 しかし、脇の、「わ」と「き」の間の時点で、文乃は楽屋を飛び出していた。

 いつもの冷静な参謀役としての皮を脱ぎ捨て、苦々しげに顔をゆがめて、

 

 そいつのいるところまでたどり着く。

 

「――ツバ「しっ、今いいとこ」

 

 間奏からCメロに入り、代わる代わる合いの手を煽る高坂穂乃果らが見える。

 観客に向かって手を突き出すと同時に、

 

 待ち構えていたようにギターソロが始まった。

 

 アップテンポなロックサウンドに合うように、ベースとドラムのリズム隊がテンションを上げていくのを導くように、

 

 流れるように響くギターの音色(トーン)に、また観客が盛り上がり出す。大多数の黄色い歓声が高波のように押し寄せてくる。

 

 岸辺であるこちらにたどりつく刹那に、

 

「これはさ、――行人くんの仕業?」

 

 差し込まれた言葉と振り返ったその顔の真ん中で、

 炯々(けいけい)と瞳が光っていた。

 

 首を縦に振るか迷うが、

 

「でしょうね……、そうとしか考えられない」

 

 いったい、何者なのだ。あの男は。この曲はなんなんだ。

 

 爪を噛む。

 

 

 ふいに、笑い声。

 

 発しているのはツバサから。

 

 忍び笑いから、次第に肩が揺れ、喉の奥が開いて、身を折るほど笑っている。おかしくて仕方ないと言った様子で、

 

「いやいや最高だよ。本当に最高」

 

 ――私は、こういうのを求めてたんだ。

 

 

 

 

 

 

 ギターソロも終わり、ラスサビ直前のパートがすでに始まっている。それを、講堂の放送室の中から行人は壁に背中を預けながら眺めている。

 

 

 思い出されるのは、紺さんとのやりとり。

 

 今までのいきさつと今回のライブの件について話さざる得なかった時のことだ。

 

 『論外だな』

 『満員に近い環境下で素人がアカペラ』

 『一生物のトラウマになる』

 『それでお前は、その幼なじみたちを、――見殺しにするのか』

 

 

 逃げ道はなかった。

 だから、仕方なくて。

 

 今回だけは、やると決めた。

 

 

「俺は――バカだ」

 

 噛み締めた唇が切れ、鉄の味が口内に広がる。

 じくじくとした気がして、左手首をさする。

 どんなひどい目つきになっているか想像もつかない。

 

「……こんな気持ちになるってわかってたのに」

 

 まぶしい何かに彼はうつむき、やがて背を向けて、放送室から出て行った。

 逃げる、ように。

 

 

 

 ――Let's Go!!

 

 ――熱さで頭が吹っ飛びそうだ。

 

 ――次の振り、次の振り、と考える間もなく、曲に合わせ身体が動く。

 

 ――あと、少し、

 

 

 

 四分半にわたる曲の最後。

 

 練習した様子の窺える、振り返りのポーズからの決めに、

 三人は至った。

 

 ここでばっちり動きを止めたら、なおカッコいいと思っても、やはり激しい運動の後だ。

 

 どうしても、呼吸の度、身体は揺れ動く。

 

 荒い息を整えつつ、三人は横に整列し、拍手の嵐の中、客席を右から左へと一覧する。

 

 何かを話すみたいと、徐々に拍手が止んでいき、

 

 

「――皆さんこんにちは!! 私たち、この国立音ノ木坂学院スクールアイドルμ’sです!!」

 

 

 今日というこの一瞬を刻み込んでもらうため、

 名乗った。

 

 

「まだ始めたばかりの私たちですが、一生懸命頑張りますので、

 これからも応援よろしくお願いします!!」

 

 そして、

 

「今日は、本当にありがとうございました!!」

 

 揃って、深々と一礼した。

 

 再び、先ほどよりも盛大な拍手がわき上がる。

 

 

 ――やったね。穂乃果ちゃん!!

 

 

 ついつい安堵と一緒にことりの表情が緩む。

 

 

 ――最初はどうなるかと思いました……、

 ――まったく、

 ――穂乃果、歌い出しを忘れるなんて!!

 ――あれだけ歌ったでしょうに!!

 

 すぐさま、あやうく始まることもなく終了するところだったのを海未は叱る。

 

 だが、

 

 ――あはは、ご、ごめぇん。

 

 終わってしまえば、笑い事にも出来る。

 

 そう、終わった。

 

 この拍手を聞けばわかる。

 

 大成功だ。

 

 何度も頭を下げ、

 

 さて、ステージをゆずろうと思った矢先、

 

 

 

「ちょ、ツバサ、あんたまさか!?」

 

 

 

 そんな悲鳴のような声が穂乃果らの耳にも届き、

 

「もち、もうとっくのとうにトップギア!!」

 

 A-RISEの黒いコスチュームを着たツバサが、ステージ上に飛び込んでくる。

 

「あやぽん、曲はちょっと刺激強めで!!」

 

 言い終わる前に自分の前から消えたツバサの背中に、文乃は叫ぶ。

 

「ちょっと、それだけでわかるはずないでしょ!?」

 

 すると一瞬だけ振り返り、

「これ、これこれぇ♪」

 

 両手の人差し指をクロスさせ、とんとんと叩き合わせる。

 

「あ~~~~~ぁ、もうッ!!」

 

 髪を掻きむしりながら放送室へと駆けていくのに穂乃果らは唖然としていると、ぽんと肩を叩かれ、

 

 

 ――お疲れ様。そんじゃ、こっちの番♪

 

 

 突然の登場に、会場内が絶叫する中でツバサはいたずらっ子のようないい顔で、言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 火事でも起こったのかという勢いで、放送室の扉をブチ開けた文乃は、

 

 機材を前に驚きおののいている、コロポックルのような印象を与える小さな少女。

 

 ――淡井(あわい)水都(みと)に、

 

 命じる。

 

「水都、XXX(キス)流して!!」

 

「え、……えぇっ!? あ、あれを流すんですか!?」

 

 とち狂ったことを言っているという驚愕の表情のまま水都に、

 

「ウチのワガママデコ娘が言うんだから仕方ないでしょ!!」

「は、わ、わわっ、は、はひっ!!」

 

 もうすでにステージに立っている上に、腹の立つことに、こちらに向かってしてるのを巧妙にごまかしつつ親指と人差し指で丸を作っているのである。

 

 上等だ。

 

 

 奇跡だろうがなんだろうが、

 

 

 教えてやれ、

 

 

「まったく、アンタが1番ってこと。

 ――ねじ伏せてやりなさい!!」

 

 

 

 

 

 

 そうしてたった一人で、ステージに立った存在に空気が変わる。

 

「みんな、お待たせ。いっやぁ最高だったねμ's!!」

 

 まずはと拍手を送る。場を扇動する指導者のごとく、拍手は伝播をしていき、

 

 

 そして、

 

 

 

「さすが、私たちA-RISEの()()()()

 

 

 

 超ド級の爆弾を投じた。

 あのラブライブ王者A-RISEの綺羅ツバサがたった一人で現れたことに加え、新人スクールアイドルに対して、異例すぎるライバル認定発言。

 

 どよめかない訳がない。

 

 おまけに、

 

「あ、これ後でどんどんSNSとかで拡散しちゃってね」

 

 自らネット上で広めることを推奨までする。

 

 ここに至り、会場の心はツバサの手の平で転がされるままだった。

 

 一身で、会場の空気を塗り替えていく感触を味わいながら、

 

 

 とうとう、宣言する。

 

 

「さて、――こっからは私たちの時間だ」

 

 

 

 一旦、照明が落とされ、

 

 マイクの音声だけが、

 

 

 

「全員まとめて、天国へ連れてってあげる」

 

 ツバサが指を鳴らすと同時に、

 

 

 

 

 ♪MUSIC:Reason why XXX /佐咲紗花♪

 

 

 

 

 

 

 

 赤いスポットライトに浮かび上がった

 妖艶な笑みと共に、

 

 

 ――1つになろうよ。

 

 

 

 それからはもう圧倒的だった。

 

 流し目をしようものなら、集まった女生徒たちは顔を赤らめうつむく。

 

 蹂躙した。

 

 金輪際を焼き払った。

 

 統堂英玲奈、優木あんじゅが加わればなおのこと、

 絨毯爆撃さながらである。

 

 終わってみれば、

 

 前座がいたことの印象などとっくに忘れさせるほどの、

 

 

 

 

 

 

 圧巻の、A-RISEのライブとなっていた。

 

 

 

 

 




【あとがき】
次話は今回のエピローグ+αを予定

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