音ノ木坂学園の生徒会長は、絢瀬絵里だった。知らなかった絵里の一面に戸惑いを覚えつつ、行人は絵里と共に綺羅ツバサと千歳文乃に音ノ木坂で、A-RISEにフリーライブを行ってもらうために会談に臨む。
しかし、ツバサの提示した条件は、メンバーも集まっていないμ’sをオープニングアクトとしてA-RISEの前に出演させることだった。
「――どうする?」
やりやがった。
同時に脳裏によみがえるのは、
――い~いこと、かぁ~んが~えたぁ~
今にして思えば、あの時、綺羅はこのことを考えついていたのかもしれない。μ’sを引きずり出すために、自らがSNSで煽り、自らがその存在を世の目にさらすために。
それは俺の考え過ぎなのだろうか。いや、むしろそれだったなら幸せだ。だが、この女は――
「どうかな? 絢瀬さん、だっけ」
硬直した絢瀬は綺羅に名を呼ばれ、ようやく動くことを許される。この場の空気を完全に支配した綺羅に飲まれかけていたようだったものの、どうにか口を開き、
「そ、それは……私の一存じゃ…………決められません。彼女たちの意志がないと、……」
いいのか。
思わず絢瀬の顔を窺う。唇を噛みながら、眉をひそめる絢瀬の心の内はどうなっているのだろう。
もちろん本来ならば、穂乃果たち本人のいないこの場で話を進めるのは筋が通らない話である。しかし、絢瀬の立場ならば、仮にも廃校を防ぐためにスクールアイドルになったと本人たちが言うのならば、
「そっか、じゃ、そこの幼なじみさん、聞いてみてくれないかな」
「なっ!?」
引きずり込まれた。関係ないような顔はさせないとばかりに、一瞬で。
「なんなら、この場で聞いてよ。あ、通話料がネック? 私の携帯貸そっか?」
まずい、どうする。余計な思考をさせぬよう畳みかけることで即断を求めてくる。チャンスではある、それも奇跡としか言いようがないチャンス。本来ならこちらからどれだけA-RISEさんと一緒にやりたいんですと、地面に頭をこすりつけた所で断られるのが当然なのに、向こうから一緒にやりましょうと手を伸ばしてきた。
間違いなく、Gステでの話題のタイミングと相まってA-RISEのオープニングアクトを務めれば、一気に波に乗れる。
そしてそれは、俺があいつらに対し言った、『スタートダッシュ』を切ることそのものだ。
ただ、人数も足りてない現状のあいつらで、ライブまで一週間ちょっとしかない状況で、はたして――出来るのか。
どうする。
どうするんだ。
「――ツバサ」
助けは、意外なところからもたらされた。
「そんなすぐに決断を急かさない」
綺羅をたしなめる千歳さんによって、
「返答は明日まで待ちます。ただ日取りが迫っている以上そこが限界です」
間一髪、助かった。いや、……これは助けられたんだ。
それを、はき違えては、きっとならない。
千歳さんを一瞥した綺羅。剣呑な空気が流れる中、逃げ場のない俺と絢瀬はただ時間が解決してくれることを願う。渇いた口内からつばが喉を降りた瞬間、綺羅は肩をすくめた。
「まぁ――それもそうか。じゃ、それでいこ」
頭の後ろで手を組むと、
「いずれにせよ、明日まででよろしく」
話は以上と言わんばかりに立ち上がると、「それじゃ今日は楽しかったよ」、俺に対し微笑を残し、あっさり退室していってしまった。
「それでは、私もこれで」
無言で机の上に広げられた書類の数々をまとめ上げると、千歳さんは、
「後悔のない選択を、期待しています」
そう言い残し、振り返ることなく去っていった。それを俺たちはなすすべもなく、見送る他ない。
渡された大きな課題を抱えたまま、虎穴に入った愚か者たちは途方に暮れるように。
× × × × × ×
廊下に出た文乃は速度を緩めることなく、まっすぐに進んでいく。左手で眼鏡の位置を直し、ブレザーのポケットに入れたスマホを取り出すと、今後のスケジュール調整をするべくクラウド上のスケジュール表へとアクセスする。よどみない動きで走り回る指が予定を組み替えていると、ちょうど曲がり角にさしかかるところで、壁に寄りかかり腕を組むツバサの姿があった。
「あのままやってれば、頷いてたよ」
文乃がスマホをスリープ状態にするのと同時だった。
「それがお望みだったの?」
再びスマホをしまい、文乃は表情を変えずに問う。
壁から離れ、ツバサは一歩一歩、たとえば降り積もった新雪に足跡を刻むような足取りで、文乃に向かい合う。そして、両手を広げ、
「いやいやまさか、信じてたよ文ぽん」
「でしょうね」
鼻で笑い、文乃は肩をすくめる。煽るだけ煽り、落とし所だけ任せられてはたまったものではない。
「どうするつもり、あんな態度を取って」
「なぁに、どうするのは私じゃなくてあっちだよ」
ごく軽い口調でそんなことを言ってのけるツバサに、文乃は、
――まったく、どういう気なのかこの子は。
何も考えていないようでいて、何もかもを考え尽くしているかのような、捉えどころのない存在。
いや、凡人の身では理解できないからこそ、圧倒的な天才に憧れるのかもしれない。
それが綺羅ツバサであり、だからこそ文乃は魅せられた。
そんな天才がアイドルという道を選ぶのならば、――全力を持って支えよう。それが自らの役目、光のステージの向こうにある影の役割なのだから。
「ミューズというスクールアイドルは
「……ええ、少なくとも、Gステに登録されてはいないわ」
それは何度も調べたうえで、報告したことだから疑いようはない。
「でも、彼女たちは現に存在してるんだよねぇ」
文乃が偶然掲示板にて見つけたという動画に出ていた少女たち。最初は誰かと思ったが、映像に映った顔は間違いなくあの時、ライブに現れた高坂穂乃果だった。彼女を含む、三人が国立音ノ木坂学院スクールアイドル、ミューズ。
――まさか、メンバー足りないとはね。
くつくつとツバサは笑いを隠さない。いやぁとても愉快だ。動画のURLが張られた時点で若干バズり始めてはいたが、クリップしてコメントし周知させた甲斐があったというもの。
「まぁ何にせよさ。結局、やることは変わらないんだなぁ」
あのねぇと文乃が、
「勝手に自己完結しないでくれる?」
こいつは失敬とツバサはこめかみを叩き、
「スクールアイドルを廃校を防ぐっていうなら、――しかも私たちに泣きついてくる辺り、相当な窮状。のんきにやってるヒマはない、と。なら、どっちみち知名度を稼ぐしかないし」
「だから、あんなことをしたの?」
文乃が胸元に抱いた書類には、音ノ木坂学園の現状についてのレポートがある。一読した限り、現状のままでは廃校はほぼ覆らない。それは、生徒たちにも通達されているらしい。
だが、それでもやるのだと、いうことか。
無謀も無謀、大博打にも程がある。たとえば5ないし3カ年計画で学校を挙げて、スクールアイドルで町おこしならぬ学校おこしをするというのならば理解できなくもない。
それを1年以内にとは。
「……狂気の沙汰ね」
野球部のない高校で、野球部を創設し、そこから1年で甲子園に出場すると言っているようなものだ。
「だから面白いんじゃない。正気の沙汰なんて犬も食べないわん♪」
手を丸め、わんこのポーズを取るツバサに、これが自然と出せる辺り、恐ろしい娘と思わざるを得ない。
「現状、誰かさんのせいであのスクールアイドルは何者だってネット上で騒がれているようだけど」
知名度を稼ぐとツバサは言ったが、それこそが一番難しいのだ。数の少なかった黎明期ならいざ知らず、残念ながら掃いて捨てるほどスクールアイドルがいる現在、「スクールアイドル始めました、よろしくお願いします!」と叫んだところで確実に埋もれる。
……とはいえ、地道に活動しつつ、ある程度の実力があれば徐々に名も知られていくだろう。
だが、それではあまりにも時間がかかる。
本来ならば必要なその時間をすっ飛ばすには、運による奇跡を引き起こさなくてならない。
だとするなら、その奇跡へ繋がるかもしれない糸を、あの時――非常識極まりなかったが、ライブでのツバサのMCにあの少女、高坂穂乃果が口を挟んだ時に、手繰り寄せたのかもしれない。
しかし、まだ手繰り寄せただけだ。その糸はか細く蜘蛛の糸と呼べるもの。途中で千切れ真っ逆さまに落ちるのか、それとも雲の上まで登りきることができるかは、
「チャンスはあげよーう。はてさて、それをどう活用するのかは、――お手並み拝見だわん♪」
× × × × × ×
甘かったのは否めない。
生徒会長に指摘されたのは、その物ズバリなアドバイスであり、どこか気が緩んでいた心にはいとも容易く突き刺さった。
「誰かに見てもらう、か」
正直、まだ意識出来てない。たぶん生徒会長に言われたことをちゃんと理解すらも出来てないからかもしれない。でも、なんとかしない限り、きっと前には進めないのだ。
そして、その気持ちは隣で汗を流す、海未もことりも一緒だった。
運動部に頼み込んで、ランニングに交ぜてもらった。日常的に音ノ木坂の校舎の外周を回っている彼女たちにとっては慣れていることでも、まだまだ運動に身体が適応し切れていない穂乃果やことりは運動部の集団についていくことすら困難という体たらくである。ペースを合わせてくれる海未はもちろん二人の体調を気遣い、事あるごとに振り返っているものの、遙か先を行っていた運動部の先頭集団が二人の後方から見えてきたことにストライドを狭めていく。
「――そろそろ、いったん休憩しましょう」
「海未ちゃん……ッ、私まだ出来るよ!!」
「わ、私も!!」
気持ちはわかっていても、二人ともかなりキツそうなのは一目でわかる。
無理はさせられないと判断した海未は首を横に振り、コース脇へと寄った。事実として、その判断は間違っていなかったのだろう。二人とも荒い息を吐き出しつつ、崩れるように座り込んでしまう。
その様子を見ていると、どうしても胸をかすめてしまう。
――この調子で……大丈夫、なのでしょうか……。
メンバーは未だ集まっておらず、基礎練習を繰り返すのみの日々で、身体も出来上がっていない。
無理からぬ不安を振り払うように、海未は顔を揺らす。雑念だ、これは。余計なことを考えている暇がないのもまた事実なのだから――と、
自分たちを追い越していく運動部の「音ノ木坂ァ――、ファイ、オー!!」のかけ声を背中で聞きつつ、たたんで置いておいたジャージの上を羽織ろうとして、ポケットに入れておいたスマホのLEDが点滅していることに気づいた。
何かと電源ボタンを押してみると、
『着信2件』
と表示されている。
急ぎ詳細を確認すると、今から5分ほど前に行人から立て続けにかかってきていたようだった。すぐにこちらから折り返し、スマホを耳に当てる。
呼び出し音がしたと思った瞬間、
「海未か。――今、穂乃果もことりも一緒か?」
心なしか、固い行人の口調に、
「はい。すみません、今まで走り込みをしていて、気づけなくて」
謝罪する海未に、返ってきたのは、
「今すぐ神田明神に来てくれ、緊急事態だ」
「え、行――」
ブツッと気づけば、通話は切られていた。
あまりにも突然すぎて、理解が追いつかない。
緊急事態なんて、いったい何が起きたのか。
不安げにスマホを見つめる海未の顔を覗き込もうとする穂乃果とことりに、少なくとも言えることは、
「どうやら、……まだ走ることになりそうです」
◆#28 “OUTRUN”◆
もう一度確認の意味も込めて行人は彼女らを見下ろす。
「……本当にそれでいいのか?」
「……ええ、大丈夫」
ただ、と絵里は横の親友を伏し目がちに見て、
「ウチも構わへんよ」
笑顔で頷きを返してくる希に、スカートの端を握る絵里のこぶしが震えた。
「……ごめん、希」
「えりちが気にする必要なんかないよ。なんてったって、これでもウチだって副会長なんやからね?」
こぶしの上に重ねられた手の平に、ただただ絵里は感謝することしか出来ない。
座している二人のそんなやりとりに、行人は立ったまま髪をかくことで間を持たせながら、
「お前達にも事情があるのはわかってる。でも現状、こうするしか思いつかなかった。悪い」
「もう、日高くんまで謝り始めちゃ、終わらなくなるやん」
……ごもっとも。
苦笑する希に、肩をすくめる。
「まぁとりあえず、じきにあいつらがここに来る。そしたら事情を話そう」
間には俺が入るよと付け加える行人に、
「ごめんなさい、こんな役目を……押しつけてしまって」
A-RISE側との交渉の後、UTX学園を辞した行人と絵里は重い足取りのまま、ひとまずどこか腰を落ち着ける場所を探そうとしていた矢先、バイト先に向かう希と偶然出会った。浮かない様子の二人に何かあったのかと尋ねた希はそれまでの事情を聞くと、ならば自分にも関係あることだと行人に告げる。生徒会副会長である自分にも――と、その理由を耳にした行人は思わず世間の狭さに渇いた笑いをこぼした。
そのまま場所を希の進行方向であった神田明神へと移し、行人は穂乃果たちに対する生徒会側の対応についての話を聞いた。
「廃校を目の前にしても、彼女たちの活動を…………簡単に認めるわけにはいかなかったわ」
――たしかに、そりゃそうなる。
俺が絢瀬の立場でも、そうせざるを得なかったと行人は思う。なんにでも挑戦するという心意気は世間で評価されても、いざ実行するとなると現実問題が立ちはだかるのだ。世の中は自由を謳うくせに、とかく窮屈に出来ているのは行人も重々承知している。だから、確執が出来ても仕方ない、
だが、
「それだけじゃないの……」
「どういうこと?」
予想に反し、続いた言葉に行人は問う。瞑目した絵里は、絞り出すような声で、
「今日、私はA-RISEに会う前に……高坂さんたちのダンスや歌にかなりキツい言葉を向けてしまった……」
まともに行人に目を合わせられない。後ろめたい気持ちは視線をさまよわせる。こうなる事態を予測していなかったとはいえ、自分でまいた種なのだ。どの面をさげて頼めるだろうか。頭を下げれば済むのならば、いくらも下げよう。土に額をつけろというのなら、すぐにこの場でしてみせる。全ては、自分の力不足が招いた結果。自分の、責任なのだ。
「――なんだ、そんな事か」
大したことじゃないと言わんばかりの行人に、
「だ、だって、あの子たちは、私は……」
「おいおい、あいつらがその程度で諦めるようなタマかよ」
大げさに首を横に振ると、
「厳しいこと言われて、わーもーやだー私やめるとか、ひどい、許せないとか、ふてくされるような奴らだと思ってんなら――、そいつは間違いだ」
不意に浮かんだのは、学園長の言葉、
――あの子たち四人はすごく、お人好しだから。
そんなお人好しの一人は、階段を駆け上ってくる足音に、
「そら――来たぞ」
疲労困憊なのだろう、よろめきながら、最後の一段をのぼった。倒れそうになりながら、更にもう一歩踏み出し、身体を支える。汗だくの顔に、髪の毛が張り付いてしまっている。真っ赤に上気した肌は、死にものぐるいで酸素を届けて回る血液の仕事ぶりを表している。
そして、その横に二つの影が並ぶ。
見ているこちらが辛くなるほどに、その二人もまた荒い息を吐いては吸う。
途切れることのない呼気の中で、膝の上に載せていた手を前に掲げ、人差し指と中指を突き出し、
高坂穂乃果は――――、
「ハァ……ハァ……っ……、へへ……、来たよ……っ」
心配事を吹き飛ばすように、笑う。
【あとがき】
いやもう、前回の引きからお待たせ致しました。
へ? あの二人はどうしたって? 彼女たちは一回お休み、次回は彼女たちからスタートですぜ。
本年はここまでお付き合い頂き、まことにありがとうございました。もうちっとだけ(お約束)続く予定なので、来年もよろしくお願い致しまする。
それでは、皆様、よいお年をお過ごし下さい。