「スタートダッシュ、切ってやろうじゃねぇか」
キメ顔でそう言った俺に対し、つかつかと穂乃果、海未、ことりの三人は歩み寄ってくると、まず穂乃果が俺の額に手を当て、横の海未が、
「どうです、穂乃果?」
「うん、大丈夫みたい」
次にことりが、俺の眼前に指を立て、
「ゆーくん、これ何本?」
「……三本だけど、って、いやいや何やってんのキミタチ」
穂乃果の手を引っぺがし、俺は真顔にならざるを得ない。うっと詰まりながら、海未は、
「……昨日穂乃果がメンバー募集をしようと言ったときには、そのようなことを言わなかったので、てっきり熱でもあるのかと……」
うわっ……私の信頼度、低すぎ……? あれ、なんか目から透明な汁でそう。強くなれ、負けないで俺。
「何かあったの? ゆーくん」
「い”?」
それ聞いちゃう。ことりさん。色々あったよ。お兄さん、ほんともう昨日は疲れた。握手会とかアンラッキー番号とか、関西弁娘とか、A-RISEとかとかとかが半日に凝縮されすぎていた。せめて一日一個にしてくれ、こっちの身が持た……やめやめ一日一個とかとんでもないです。後半全部いらないです。
無言で心配そうに見つめてくることりに観念し、俺は口を開く。
「ちょっと昨日、練習の後でアイドルショップに行ったんだよ。そこでちょうどA-RISEが握手会やっててさ。運良く参加出来て、初めて実際にあの三人を見て、思ったわけだ。――有名になるって大変なんだなって」
握手会と簡単に一言で言うことは可能だ。だけど、そこには様々な人間が関わっている。マネージャー、学校、事務所、レコード会社、会場のスタッフ、ファン。そして、その大勢の中心にいるのが、紛れもなくアイドルだ。彼女たちがいるからこそ、それだけの人間が動くのだから。ということは、
つまり、それだけの人間を動かせるようなアイドルにならなければならない。
まして、生徒数の減少による廃校の危機を救うために立ち上がるというなら、スクールアイドルが、μ’sがいるからこの学校に入りたいという希望者を集めないといけないのだ。
そのためには知名度が必要不可欠。実力も伴わなければならないのは当然だが、あのスクールアイドルいつも歌と踊り凄いけど、なんていう名前なの? では話にならない。どんなに実力があっても、皆に知られなければ評価はされないのだ。
それは昨日、あの関西弁娘、紅尾梓に教えてもらったことだ。
あいつの発言はたしかに、腹は立つし、言葉も悪かったが、スジは通っている。
「穂乃果、もう一度聞くぞ」表情を引き締めた俺に戸惑いつつ、穂乃果は、
「う、うん」
「お前が、やりたいことはなんだ」
これで言いよ――
「学校を、音ノ木坂学院を救いたい!!」
反射的とも言えるその速度に、逆に俺の方が反応に遅れた。両隣からは、
「穂乃果……」「穂乃果ちゃん……」
ニヤけそうになるのをこらえて、
「そのために?」
「スクールアイドルになって、色んな人に音ノ木の良さを知ってもらう!!」
「……わ、」
わ? と穂乃果がこちらに身体を傾けた隙に、
「わかってんじゃねぇか!!」
くしゃくしゃと昔みたいに頭を撫でてやった。わーやめてーとか言ってるが、知らん。前言撤回だ。こいつらには、伝えておかないといけない。
「あのな、」
三人が耳を傾け、
「実は、昨日さ。……ちょっと訳あって、有名じゃないスクールアイドルなんてカスばっかだって言ってきた奴がいたんだ」
脳裏で再生される、紅尾の声。
「ごめんな。そんとき、俺、言い返せなかった」
結論から言えば、そうなのだ。俺は最初ちょっと食ってかかっただけで、何も満足に反論など出来なかった。そのときはそれでも仕方ないと思った。でも、時間が経つにつれて、小さなモヤモヤは肥大していった。いつまでも消えずに残っているそれは苛立ちにいつしか代わり、唇を噛みしめた所で微量もマシにはならなかった。そう、いくら言葉を弄したところで、とどのつまり、
俺は、悔しかったのだ。
わからない。向こうが圧倒的に有名なのかもしれない、くぐり抜けてきた経験の数が違うのかもしれない、実力は測るまでもないのかもしれない。それでも、
――穂乃果の頭に乗せていた俺の手が、不意に掴まれた。
「謝らないでユキちゃん。……がんばるから、どんな人たちからだって、そんなこと言わせないように、してみせるから」
そして、
「今はだめでも、いつか正々堂々と、打ち勝って見せます」
掴まれた手が重なっていく。
「だから、ゆーくんは安心して?」
……ずっりぃ。
あー、なんか目にキそう、うーこの体質どうにかしたい。目にごみ目にごみ……、
「……期待してんよ」
それでも、俺の知ってる、応援しているアイドルは、今目の前にいるこいつらなのだ。
「よーし!! 海未ちゃん、ことりちゃん、がんばろっ!! ファイトだよ!!」
「はい!!」「うんっ!!」
転がってきたピンチという名のチャンス。
掴み取るしかない。どん底から這い上がってやろう。
穂乃果も、海未も、ことりも、目が合うと頷きを返してくる。
――馬鹿にされっぱなしは癪なのだから。
◆#22 ダイヤモンドプリンセス◆
「行人くん、メンバー募集といいますが、方針はどうするんですか」
その前に、と俺は時間を確認する。今日は朝練がミーティングみたいになってるからな、まだまだ余裕がある、か。よし、
「もちろん来る者は拒まずだ」
あのライブを見て、すぐさま参加希望とコンタクトを取ってくる人がいるなら、の話だが。可能性はなくはないだろうが、それのみに期待して何もしない訳にはいかないだろう。
それよりもまずは、
「西木野さんだな……、やっぱ」
「真姫ちゃん?」
再びスレッドの流れを三人に見せながら、
「ほれ、曲に言及してんのが滅茶苦茶多いだろ」
「ほんとだ……」
この反響の多さは、やはり彼女の本物の才能の証左に他ならない。その賞賛の言葉の数々を眺めていると、鎌首をもたげそうになる何かを恐れ、俺は三人がまだ見ているのにも関わらず、思わずタブレットを閉じてしまう。閉じてからしまったと気づき、
取り繕うように、
「と、とにかく、あんないい曲を書ける西木野さんが加われば、μ’sにとって絶対的な武器になる」
あれほどの才能がそこら辺に転がっていてたまるか。代替など存在しないに等しい。断言してもいい、彼女がいなければ、もし他に作曲の出来るメンバーが集まったとしても、ライバルとなるよそのアイドルたちから、頭一つ抜け出すことはまず不可能になるだろう。
「たしかにそれはそうですが……穂乃果、西木野さんの意向は」
「うん、一応、何回か誘ってはみたんだけど、『私はいいわ……、そういうの』って断られちゃって」
そりゃ入ってくれるなら、最初の時点で曲だけじゃなく西木野さん本人もμ’sに参加してくれていただろう。もっとも、短い付き合いではあるが、あの子が何かを二つ返事で引き受けてくれるイメージはまったく湧かない。
「だからって諦める訳にもいかないしな。んじゃま、」
「ユキちゃん?」
タイミングでも見計らってたかのごとく、こちらに近づいてくる見知った巫女さんに手を上げつつ、
「何でも知ってそうな、お姉さんに聞いてみようぜ」
「ほぇ?」
まさかいきなり自分に振られると思ってなかったのか、東條はそんな間抜けな声を上げる。
「――なるほどね。そっかぁ、西木野さんをメンバーにしたいと」
「そうなんですよぉ、そこで色々と彼女について教えて頂けると、それはとっても嬉しいなって」
揉み手で媚を売る俺に、ニヤリと笑うと、
「ウチの情報は高いよ?」
なんと、足元を見てくるレディだよまったく。かくなる上は、
「仕方あるまい。カラダで支払おう、いくらだ」
「残念や。日高くん」
「うそうそうそ、嘘デース!!」
踵を返そうとする東條の腕を掴み元の位置に戻す。
「の、望みはなんだ、言え、か、金か!?」
「そ~やなぁ」
人差し指を頬に当て五秒。
「それじゃあ、」
ゴクリとこちらがツバを飲み込むと同時に、
「ウチの言うこと一回だけ、何でも聞いてもらうってのはどうかな?」
「よし、わかった。穂乃果頼むぞ」
「えぇ~!! ユキちゃんじゃないの!?」
完全に気を抜いていた穂乃果に、すかさずパスしたのに、こいつ弾き返してきやがった。
「お前がμ’sのリーダーだろー、いいんじゃんかーおーまーえーが、やーれーよー」
「えぇユキちゃんが言い出したんだからユキちゃんがやってよ!!」
口答えしおって、と憤るより先に東條に苦笑される。
「ほんとに仲いいなぁ。とにかく日高くん、そういう時だけ高坂さんにパスなんて、男らしくないよ?」
「そうですよ行人くん。男子たる者、自分の発言には常に責任を持たないと」
「か、カラダで払うなんてダメぇ、ゆーくん!!」
ええ、お前らそっち付くんかい。いやたしかに話持ってったのは俺だが、当事者のお前らじゃなくて俺が体張るんかよ。ナニソレ、イミワカンナイ!!
というかことり氏、恥ずかしいならわざわざ口に出さなくていいです。
「ぐぬぬ……わぁーったよ、それでいいです。いいですから教えてくださいなっ」
ご満悦そうに東條は頷く。くそう。
「ふふ、それじゃ日高くんにお願いを聞いてもらう時を楽しみにしてるわぁ♪」
大丈夫かな……、ちょっと引っ越したいからこの棚、10階から1階に運んでよとかぞんざいに言われたら泣いちゃう。
取り返しのつかないことをしてしまったような気を引きずりつつ、俺は西木野さんに関する情報を催促する。
「じゃあウチが知ってる限りのことを教えるね。西木野真姫さんはウチの見立てじゃ、上から78、56、8――」
「ちょちょちょ、おかしいおかしい。その数字は後で俺に直接教えてちょうだい」
魅力的すぎて聞き逃しちゃった。メモメモ、スマホで……、
しかし、我が幼なじみ三人娘にブリザード級の冷たい視線を送られていることに気づき、泣く泣く諦める。
「あはは、ごめんね。ちょっとからかいすぎたかな」
今のからかいなら大歓迎なんだけど。と、口にしたら凍死しそうなので自重する。特に園田氏から漂ってきているのは殺気のような気がしてなりません。いのちをだいじに。
「西木野さんね、まずピアノがすごく上手なんよ」
「はい、ほんっとにプロみたいで、私、初めて音楽室で一人で弾いてるのを聞いた時、感動しました!!」
「うん、そうなんよ。聞いた話じゃ、コンクールとかでも何回も入賞してるみたいやね」
ほほう、で、プラスあの歌唱力、と。ふーむ、合唱コンやるとき、どのクラスからも引く手数多なのは確実だな。
「勉強の方も学年トップで、」
「……改めて、スペック高いなおい」
ルックスも美少女って神様、不公平にもほどがあるぞ。本当にな。
「でもね、」
一瞬、言うべきか迷うそぶりを見せて東條は、
「高坂さんも知ってるみたいやけど、音楽室で一人でピアノを弾き語っていたのはたぶん、教室よりも居心地がいいからやないかな……」
その言い方に引っかかりを覚えた俺は、
「どゆこと?」
東條は、遠くを見つめながら、
「日高くんは、顔がかっこよくて、全国模試の成績優秀者、趣味はバイオリンって人が同じクラスにいたらどう思う?」
……なるほど、そういうことね。
「……性格によるかもしれないが、近寄りがたいとか嫉妬したりするだろうな」
「行人くんっ!?」
海未が驚きの声を上げるが、しょうがないだろう。人間はそういう風に出来てるのだ。自分にないものを他人が持っているとき、人はどう行動するのか。簡単だ、妬み、
そういうものだ。
「別に、変なことは言ってない」
西木野さんは、クラスで避けられている。
要するにそういうことなのだろう。出る杭を打つのがこの国の文化だ。横並びを
加えて、あの愛想がいいとはいえない性格だ。無論、俺だって彼女が本当はいい子であることは認める。だが、それはある程度コミュニケーションを取った後での印象だ。
ああ、
俺程度の付き合いでも、彼女が周囲に媚びを売るタイプでないことはわかる。自分を偽らず、ありのままで生きる事の出来る。真の強者の生き方が出来る子だ。
しかし、その生き方は敵を作りやすい。生意気。ムカツク。気に入らない。そう思われてもおかしくない。
迎合を拒むのならば、孤独を選ぶしかないのだ。
「で、ですが、」
なおも反論しようとする海未をさえぎるように、
「うん……しかもね、御茶ノ水の駅の近くに西木野総合病院ってあるやん?」
ことりは、その先を察したのか、
「もしかして、西木野さんってそこの?」
「うん、院長先生の娘さんみたい」
「そう、ですか……」
さしもの海未も、ここまで要素が揃うと、悔しそうに口を閉じる。まったくこれで西木野さんが、男だったら少女漫画に出てくる、金持ちボンボン俺様男キャラそのものだ。だが、俺はそれよりも、
「日高くん? どうかした……?」
「あ、いや……そうだっのか。わりと珍しい名字だとは思ってたけど、あそこの病院の、ね」
「ここら辺が地元の人なら、やっぱりお世話になってるんやない?」
穂乃果も病院の存在する方へ顔を向けながら、
「はい、ちっちゃい頃から風邪とかケガとかしたら、あそこの病院に行ってましたっ。ね、ユキちゃん?」
「ああ、お世話になったよ。何度も」
暗くなりかけた話題がそれで少しずれた。後はね、と東條は流れを一新させるように手を叩くと、
「西木野さんがアイドルショップに入っていく所を何度も見たことあるから、やっぱりアイドルが好きなんだと思うよ」
まぁそれはよく知ってる。だいたい初対面があそこだしな、
――と、西木野さんから連想する形で、昨日会ったばかりの二人の少女、小泉さんと星空さんのことを思い出した。星空さんはともかく、小泉さんはかなり西木野さんに対して友好的だったように思う。昨日の握手会では俺が店を出た時にはもうとっくに三人の姿はなかったが、あの後、共通の趣味、同じ経験を通して多少は友好関係を形作れたのではないのだろうか。
もしそうなら。
居心地の悪いクラスでも、小泉さんたちが周りの空気に流されず、西木野さんの味方となってくれるのならば、
「それが取っかかりになるかも、な」
横目で穂乃果を窺うと、
「真姫ちゃん……」
珍しく難しい顔して考え込んでいる。一体何を考えているのやら。四の五の言わずに行動。難しいことは潔く考えないのが、
「うん、よしっ。やっぱり真姫ちゃんを誘おうよ!! 海未ちゃん、ことりちゃん!!」
お前だろう。
「どうしたんですか穂乃果……?」
「ダメだよ、一人って。やっぱ、そんなのさみしいもん!! 私だって……」
海未、ことりの手を握り、
「スクールアイドルをするってなって、海未ちゃんとことりちゃんがいなかったら、絶対にさみしかったはずだから」
「穂乃果ちゃん……」「穂乃果……」
「だから、私、真姫ちゃんの力になってあげたい!!」
「ええ……っ、そうですね!!」「うん!!」
穂乃果の発言により、やにわに盛り上がる三人の輪から俺は一歩下がると、すぐに隣に来た東條が耳打ちしてくる。
「加わらないでええの?」
「野暮な真似はしなーい」
などと言うとくすくす笑われた。なしてだ。
肩をすくめ、
「あいつらはあいつらでやるさ。ちゃんと正面から向かってく」
「日高くんは?」
さっきの西木野さんに対する情報、さらっと言ってたが、余程よく見ていないとああは述べられない。その観察眼に敬意と共に恐れも抱く。エセ関西弁を使いながらひょうひょうとしているが、その奥底ではどんなことを思っているのだろうか。
「…………どしたん?」
いや、それはお互い様か。
東條の質問に答える前に、
「すまん、穂乃果そろそろ学校行くわ。とりあえず、今日西木野さんのクラスを訪ねて後で様子を教えてくれよ」
「うん、わかった!! 行ってらっしゃい~」
なんだそりゃと笑いつつ、同様に続いた海未とことりに行ってきますと投げかけて、東條に振り返る。
「俺はあいにくと後ろから小細工する方が得意なんだ」
「へぇ、そうなん」
胸の前で両手を広げ、
「そ。そうなんですよーう。ま、俺は基本的に何もかも上手くいくとは思わないひねくれ者ですしぃ」
そんじゃと東條の隣を抜けてから数歩、脳裏を過ぎった問いを、最後に一つだけ聞いてみるかと、
「あのさ……Gステってサイト知ってる?」
「じぃすて? ごめん、ウチでじたるは弱くて」
そのあからさまな口ぶりは逆に判断に困る具合で、俺を迷わせる。実際に、腕時計はそれなりに急がないとまずい時刻を示しており、結局、
「そっか、いきなり変なこと言って悪かった」
ぼりぼりと頭を掻き、空振った勘に首を傾げつつ、俺は気乗りのしない登校を始める。
出会いの季節を彩った桃色の花弁は儚く消え、若葉が木々に芽吹きつつある。すぐに青々しく頭上を新緑が揺れることになるだろう。
吹き抜けた風が薫っているとは思えないが、
そう、五月が目の前へと迫ってきていた。
【あとがき】
悔しさって、時間が経つほどわいてくるものだと思うのです。
何くそ魂見せにいきましょう。