僕と君とのIN MY LIFE!   作:来真らむぷ

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#15-1 はじめての、ライブ。

 

 

 

 

 

 ――眠れぬ夜が明けた。

 

 羊を数えようと、深呼吸しようと、強く目をつぶろうと努力を重ねても目は冴えたままで、結局、目覚ましが普段鳴る一時間前までベッドでねばっていた。がとうとう観念したのかよろよろと起き上がり、窓を開け放つと、

「な、なんで俺が、寝れねぇんだよ……」

 自他共に認めるミスター心配症の日高行人は太陽を睨む。

 

 

 

 ――気づけば目覚ましが鳴っていた。

 

 昨日は帰ってきて、お風呂に入り、歯を磨いて、布団に倒れた後の記憶がない。

 凝った身体を伸ばす。――うん、筋肉痛なし! 喉の痛みもなし!

 部屋の窓を開けると、

「よく寝た――っ!」そして朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、

「いよいよ今日なんだ! よしっ、がんばろ!」

 高坂穂乃果は太陽に向かって笑みを浮かべる。

 

 

 

 ――朝には強い。

 

 幼少時から、毎日欠かさず早朝の鍛錬をしていれば、そうもなる。習慣とは毎日の積み重ねからなるものだと、父もよく言っていた。まったくもってその通りだと思う。だからこそ、普段通りの時刻に目覚め、しんと静まりかえった道場の中で深呼吸を繰り返している。心の高ぶりを抑えるように。

「……やり遂げます」

 だが、そのためにはあの、あの、非常に短いスカートで太ももを露わにする衣装を着なければならない。もう少し丈を長くしてほしいとことりに懇願したが、あの曖昧な笑みではきっと聞き届けてくれないだろう。そしたらば、やはりあの、破廉恥な衣装を、

「あぁっ、……だ、だめかもしれません……」

 園田海未は差し込む日の光に目を細めつつ、崩れる。

 

 

 

 ――気持ちのいい目覚めだった。

 

 いつもならば、起きたらまだ寝ぼけていて、誰もいない空間に、ふぁ~ぁ、おふぁようございまふと頭を下げたりするのだがそれがなかった。

 ちゃんと起床時刻にはパッチリお目々が開いたのだ。

 だから、不安はもちろんあったけど、きっと穂乃果ちゃんと海未ちゃんがいてくれたら大丈夫と思うことが出来た。寝起きの良さがもたらしてくれたポジティブさに、神様にありがとうございますとつぶやいてから、

 南ことりは朝日を背にいそいそと準備を始める。

 

 

 

 そんな、初めてのライブの朝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よろしくお願いしまーす!」

 穂乃果の快活な声が響く。

 

 それに続くように、海未もことりも数メートル離れて同様の声を発し、ビラを配りながら登校してくる生徒たちに最後の宣伝に励んでいる。

 前夜、本日の朝練はなしにしようと申し出たのは海未だが、それじゃ代わりにまたビラを配ろうと言い出したのは穂乃果だった。うっ、と半身になってしまった海未も過剰に体力を使うわけではないビラ配りに反対する根拠はなかった。

 ならば、当然やることになる。

 

 時折、足を止めてくれる三年生やクラスメイトからは応援の言葉をかけられ、その度三人は、ありがとうございますと頭を下げていた。

 それを繰り返すうち、海未はとある生徒の姿を発見し、思わず口を引きつらせる。

 

「あれは……」

 小柄な背、ピンクのリボンでまとめたツインテールが歩行に合わせてひょこひょこ揺れている。

 海未にとっての苦い思い出。勘違いにて醜態をさらしてしまった先輩だった。

 どうする。間もなくすれ違ってしまう。他の人に応対していてわからなかったという態度をとるならば、今が分水嶺。

 

「習慣は、……毎日の積み重ね」

 ――変わりたいと願うなら、踏み出さないと。

 

 幼なじみの二人にいつまでも迷惑をかけるのは、引け目を感じ続けるのは嫌だった。そして叶うならば、あの二人のように恥ずかしがらず踏み込んでいけるようになりたい。

 

 穂乃果の、口癖を思い出す。

「ファイト、です。海未」

 

 ほぞを固める。顔を上げた海未は正面から、その先輩へと歩み寄っていく。

 向こうも近づいてくる海未に気づいたのか眉をひそめ、

 

「……なに」

 海未が正面に立つと、憮然と言い放つ。

 しかし、怯むわけにはいかない。もう既に、一歩目は踏み出したのだ。

 

「……先日はふがいない態度で失礼しました。もう一度だけ、言わせてください。私たちは今日の放課後四時から講堂でライブをします。よろしければ、ぜひ来て下さい」

 今度は目をそらさず言えた。だから、先輩と視線が交差する。

 火花が散ることこそなかったが、無言の圧力は強く、向こうが鼻を鳴らし顔を背ける頃には海未の手の平はじっとりと汗ばんでいた。

 

 肩に提げるバッグの位置を直すと彼女は、海未の横を抜けようとする。

「あ、あの……!」慌ててもう一度ビラを差し出そうとして、

「いらないわよ。この前もらったので充分」

 さすがにいらないと言われて、なおも食い下がることは不可能だった。海未は悔しさをにじませつつも、その手を引っ込める。力なく垂れたその手を一瞥し、

「……一つ言っといてあげる。身の程は、わきまえるべきよ。じゃないと、」

 途中まで言いかけて、唇を噛みしめると、会話を打ち切るように背を向けて足早に立ち去ってしまった。

 

 反論を投げかけるべきだったのかもしれない。しかし、その小さな背中には、どうしてか海未はそうすることが出来なかった。

 

 風が髪を吹きさらおうとするのを押さえながら、立ち尽くす海未のその耳元で、

「や」

「わひゃっ!?」

 吐息。背中から腰に抜けたこそばゆさに思わず飛び退いて、海未はその犯人、

「と、東條先輩!? いきなり何をするんですか!!」

「あはは、ごめんごめん。隙だらけだったから、つい」

 ――ウィンクする東條希に強く抗議した。その声を聞きつけて、穂乃果もことりもこちらへとやってくる。

 

「あれ、東條先輩。おはようございまーす」

「おはようございます。何かあったんですか?」

「おはよう、高坂さん、南さん。ううん、園田さんが珍しい人と話しとったなぁ思って近づいたら、ついイタズラしちゃったんよ」

「あ、ああいうのは困ります!」

 赤面する海未の隣についてことりは、珍しい人、ですか? と首を傾げる。

 

「うん、ウチらと同じ三年生の矢澤にこさん」

「お知り合いなんですか?」

「うん。話をしたことは……そんなには、ないんやけどね」

「へぇー、そうなんですか」

 にこが去った後を遠見をするように額に手を当てる穂乃果。それにつられるように海未もそちらを再度見て、

「矢澤先輩……ですか」

 あの言葉、対応――どうしてツラく当たってくるのか。自分たちとあの矢澤という先輩の間には面識はない。なのに知らぬ間に、何か恨みを買うような真似をしてしまったのだろうか。

 

 難しい顔で考え込む海未を横目で眺めていた希は、

「矢澤さんは、「――おはよう、希」

 

 飛び込んできた声に、中断される。

「あ、えりち、おはよう」

「うん、おはよう」

 そこに立っていた人物に、

「あ、生徒会ちょ」

 とまで穂乃果は言いかけて、相手が上級生だったことを思い出し適切な言葉遣いに正す。

「お、おはようございます生徒会長」

 海未もことりもすぐに穂乃果にならう。

 

「ええ、あなたたちも、おはよう」

 互いに挨拶を交わしはしたが、先日の部活動認可の件でのやりとりはまだ尾を引いているようで、さしもの穂乃果もちゃんと目を合わせられなかった。

 しかし、

「ここで、何をしていたのかしら?」

 生徒会長のこの質問に、穂乃果は、

「あ、はい! チラシを配ってたんです。今日のライブの」

 

「……ああ、あの」

 考え過ぎかもしれない。だけど、そこには今思い出したといったニュアンスを感じ取った。どうでもいいこと特有のそれ。

 だからつい――カチンときた。

 

「生徒会長も東條先輩もぜひ!」

 有無を問う前にチラシを突き出し受け取らせる。それから穂乃果は海未とことりに、私校門の外でも配ってくると言うや否や駆け出す。だが幼なじみたちも一度だけ先輩に頭を下げると、待ってと叫びながらその後を追いかけていった。

 

 

「あはは、飽きないなぁあの子たちは」

 苦笑する希は、隣の親友が渡されたばかりのビラを折り目がつくほど強く握っていることにふと気づく。

「希、矢澤さんのことは……あの子たちに伝える必要はないわ」

 おや、と形の良い両眉を上げると、

「なんだ、聞いてたん?」

 無言で首肯された。

「それは……親切心? それとも、イジワル?」

 後者はわざとおどけてみせる希に、渇いた笑い声をこぼすと腕時計に目を落とす。

「ごめん。ちょっとHR(ホームルーム)前にしときたいことがあるから、先、行くわ」

「あ、うん。じゃまた後で」

 希に背を向けて、校舎の入り口に向かって吸い込まれていく一群に紛れ込む。周りの誰もが昨日のテレビの話題だとか、今日の小テストの話題だとか他愛もない話に興じている中で、一人、

 

「そんなんじゃないわ……」

 彼女のつぶやきを受け取る者はいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、行人大丈夫か~」

 目の前に叩きつけられた何かに、四限が終了してからというもの机に突っ伏していた行人は怨霊じみた顔を上げた。

「うぬ……これはなんだ……」

「リアルゴールデンだ」

 栄養ドリンクと端的に答える逸太にどういう風の吹き回しだと問う。

「今日のお前なんか顔色あんまよくないからな。優しいお友達からのプレゼントだ」

「そうか……じゃ、お礼に今度から俺の消しゴムの角勝手に使っても怒らないようにするわ……」

「……お礼は等価値が望ましいと考えていた俺がバカだったみたいだな」

 ホイホイされたゴキブリのような体勢から、どうにか身体を机から気合いを込めて引き剥がす。行人は軽く頭を振るいながらサンキュと缶に口をつけた。

 

「そんで、なんかあったのか? メシも食ってないだろ」

「いや、特になんかあったわけじゃない。単なる寝不足だ。ちょっと考え事しててさ」

「ほー、なんか知らんがお前も大変なんだな」

 同情を寄せる逸太に、珍しく行人は軽口を返さず、

「……別に。勝手にやってるだけだ」

 最後の一滴まで舌の上に垂らし、なおもまだ残っていないのか缶の底を望遠鏡のように覗き込む。そんな真似をする行人から視線を外し、逸太は窓の外を向く。

「なんか天気、曇ってきたな」

 いつの間にか灰色に染まっていた空。朝には燦々と輝いていた太陽も、厚い雲のカーテンに阻まれてその尊顔を拝することは出来ない。今にもぐずつきそうということは、よほど悲しいことでもあったのだろうか。今日は傘を持ってきてないからどうにか帰宅までは持ってもらわないと困る。思わずこぼれた逸太の、

「……勘弁してほしいな」

「まったくだ」

 吐き捨てるような声と、席を引く音に逸太が振り返ると行人が肩を回しながら教室を出て行こうとしていた。

「どこ行くんだ」

「便所。ついでに顔洗ってくる」

 納得し、再度逸太は顔を戻す。よそ見をしている間に、太陽があっかんべーをしてたんじゃないか。そんなくだらない想像にふけりながら、友人の帰りを待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 着席する新入生一同に対し、壇上の生徒会長は弁舌を振るっていた。

「――ですから、新入生の皆さんはぜひ先輩方の部活動紹介をご覧になって、色んな課外活動に挑戦して、ご自分の高校生活を充実させていってほしいなと思います。以上です」

 

 一礼する彼女に対し、最初はまばらな拍手が全体へと感染していく。ほっとしたような笑みを浮かべていると、司会が新入生歓迎会の開始をアナウンスし、この後この講堂では吹奏楽部の演奏が始まり、それに引き続き参加することも可能だし、退出し他の部活動を見に行くことも可能だと告げた。それを聞き届けて、大移動を開始する新入生を流し目に、彼女はようやく壇上を降りる。

 

「お疲れ様」

「希……うん、ありがと」

 

 ねぎらいの言葉を受け取り、彼女は今一度進行表を確認する。講堂を使うのはほぼ文化系の部活動であり、運動部はグラウンドや体育館の方を交代しながら使用する手はずになっている。

 だが、そこにも現状懸念すべき事項があり、

「天気はどう?」

「うん、さっきネットで調べたんやけど六限目くらいまではどうにか持ちそう」

「そう……」

 よかった。思わず、安堵の息が漏れる。

 もしも雨が降ってしまえば、校庭にいる部活動を体育館へと誘導してあげなければならない。そしたら、体育館組の配置を考え直さねばならないし、配置換えによる文句にも対応しなければならないと、問題はどんどん派生していってしまう。

 そして、その解決に当たらねばならないのは新入生歓迎会の運営、すなわち彼女ら生徒会に他ならない。いざとなれば当然ことに当たるが、晴天、悪くても曇天止まりを望むのは無理からぬことだった。

 

 それはよしとして、

「あの子たちは?」

「今講堂から出てくる新入生たちに最後のビラ配りをしてるみたい」

 あの子たち――スクールアイドルをやりたいと直訴してきた二年生の高坂さん、園田さん、南さんと言っただろうか。

「……ツイてないわね。彼女たちも」

「ん――――そうかな?」

 

 希なら肯定してくれると思っていたのに。その返答は意外で、少し意地になって、

「それは……そう思うんじゃないかしら、普通は」

「ウチはそうは思わんけどなぁ」

 茶化すように

「いつものカードがそう告げてるってやつかしら?」

 希は笑みを深くし、どこからともなく取り出したタロットを切る。手慣れた様子で手元をまったく見ずに、一番上のカードをめくる。

「うん。もちのロンやん?」

 そこに印刷されていたアルカナに、彼女は、

「愚者……の逆さま」

 タロットの逆位置はにわか知識しか持ち合わせていないが、たしか軒並みあまりよからぬ意味合いが揃っていたはずだ。だったら、希の言っている根拠にはならないはずだ。

 

「それはえりちから見れば、ね」

「え?」

「ウチから見たら正しいんよ、この位置は」 

 なんだそれは。たしかにこちらに向けて差し出されたカードが逆向きならば、差し出す本人から見れば正しい向きだろう。

「詭弁だわ」

「かもね。でも常に愚かであれって、どっかの偉い人が言ったらしいよ」

 

 もう一度、なんだそれは。

 まったく、からかわれたのだろうか。真面目に付き合ったのが馬鹿みたいで、呆れ顔でため息をつく。

 気を取り直し、彼女は見回りに行かないといけないから、ここはお願いと希に言い置くと茶道部の方へと向かった。

 

「…………、今の言葉の意味。えりちはちゃんとわかってるかな」

 山札へと愚者のカードを戻して、希は奏で始めたブラスバンドの音に耳を傾ける。

 

 

 

 

 

 やけに長く感じた帰りのHRを終え、鞄を引っつかんだ行人に担任の藤嶋の声がかかった。この忙しいときに何だという顔を行人はし、藤嶋はそれだけの理由があるから呼び止めたんだという顔をし返す。

 

「なんすか、先生」

「日高、お前、進路調査表。今日までって知ってたか?」

 その問いかけはつまりそういうことで、実際心当たりはあった。

 自分自身に舌打ちしたいのをこらえて、

「それって明日じゃダメ――」

「なんで呼び止めたと思う?」

「ですよね……」

 

 まずった。完璧に後回しにしていたら忘れたパターンだった。

 穂乃果らのライブがあるのは四時から、そして現時刻は三時二十分。残すところ四十分。

 そして、行人の通う奏光学園から音ノ木坂学院まではだいたい三十分はかかる。しかも全力で走っての計算だ。

 今、こうしているやり取りすら惜しい。

 だが、藤嶋康哲(ふじしまやすあき)は学生時代バスケットでインハイ行ったと常日頃豪語するだけあり、ガタイの良さとそれに見合わぬ小回りの良さも持ち合わせていた。早い話が、強行突破は不可能である。

 逡巡している時間はない。

 行人は鞄からファイルを取り出すと入れっぱなしでシワもないプリントを自席に広げる。

 そして、ボールペンを構え――固まった。

 

「先生は職員室にいるからな。書き終わったら持ってきてくれ」

「え、ちょ先生。ここにいてくんないんすか!?」

「そうしてやりたいが、許せ。恨むなら教頭を恨め」

 痰でも吐きかけそうな聖職者にあるまじき表情を浮かべる担任は、片手を上げると薄情にも退散してしまった。

 

 残された行人は唖然としており、十秒ほどロスする。それに気づき大慌てで必要事項に目を走らせる。とにかくわかったことは、一つだけ。

 適当に書くことは、許されないということだけだった。

 

 

 

 

 

 

 スマートフォンは震えない。

 別に電波が入らないとか、電池がないというわけでもないのに、メッセージを受信したと液晶に表示されないのだ。

 もう何度繰り返したのか、スマホをスリープ状態に戻したことりはため息をつく。

 

 あの行人が着いたのに連絡をよこさないなんてありえない。ということは、まだこっちに来ていないということに他ならないのだ。

 もう開演予定の四時五分前である。いくら向こうの学校が終わってから来るとはいえ、普通ならもうそろそろ着いていてもおかしくない。

 

「……なにか、あったのかな……」

 不安が鎌首をもたげる。本番前に余計なことを考えてはいけないのに、どうしてもそのことについて考えが及んでしまう。

 

「うぅ~……うぅ……」

「だから、大丈夫だよ海未ちゃん! 凄く似合ってるから!」

 同じ楽屋内にいる穂乃果は先ほどからもうずっと顔を真っ赤にしている海未を説得し続けている。いざ衣装を身につけてみたら、ノースリーブに白タイツ、ミニスカートという組み合わせに、処理速度を超過したのか海未はショートした。

 

 その後、更衣室にこもって私は制服で歌います!! と言い出した時はどうしようかと思ったものだ。

 

 事前に露出は控えめとはお願いされていたが、やはりアイドルということを考えるとどうしてもその願いを聞き届けることは出来なかった。

 色々なアイドルの衣装を研究してみたが、どの女の子たちもやはりこの程度は普通なのだ。それに海未などは、色白でうらやましいぐらい綺麗な肌をしているのだ。それをぜひともみんなに見せないでどうするの、もったいないよとことりは思う。

 

 だから、衣装に関してだけはやりたいようにやらせてもらった。

 

「大丈夫だよ海未ちゃん。私も穂乃果ちゃんもほら、同じ格好だから」

「それは……そうですけど……」

「そうだよ海未ちゃん。それにせっかくことりちゃんが一生懸命作ってくれたんだから!」

 

 それが決め手となったのか、海未は大きく吸って吐くと、ようやく現状を受け入れた。こっそりと穂乃果とことりは目配せし合い、音のならぬようハイタッチを交わす。

 

「はぁ……それでことり。行人くんから連絡はあったんですか?」

「それが……まだみたい」

 依然手の平の中のスマホは沈黙している。

「そうですか……どうしたんでしょう」

 

 この逃げ出したくなるような緊張を、もしもこの場にいてくれたらきっといつもの調子で忘れさせてくれたんじゃないか、そんな想像がよぎる。

「もしかしたら、何か余程の事情で来られなくなってしまったというのも、」

 

 ――来るよ。

 

「来てくれる。ユキちゃんだもん」

 根拠も論理も理屈もなしに、穂乃果は言い切る。

 

「穂乃果……」「穂乃果ちゃん……」

 清々しいまでのその態度に影響されるように、海未もことりも力強く頷いた。

 

 残り三分。

 三人で輪になる。

 

「絶対成功させよう」

 口火を切るのは穂乃果。

「前までだったら絶対起きれなかった時間に起きて朝練をして、放課後も日が暮れるまで振り付けを覚えて、音楽の時間以外であんなに喉を使ったのなんて初めてってくらい真姫ちゃんの作ってくれた曲を、海未ちゃんのつけてくれた詞で、歌って。ことりちゃんがこんなにかわいい衣装を作ってくれて。今日、ライブが出来る」

 

 なんて運がいいのだろう。

 まるで奇跡、のような気がした。

 

 そう思っているのはきっと二人も一緒で。優しげな眼差しで穂乃果の言葉に聞き入っている。

 

「あれだけ頑張ったんだもん。胸を張ってステージに立とう!!」

「はい!」「うん!」

「それに、あんなに手伝ってくれたユキちゃんに、恥ずかしい所は見せられないもんね」

 三人の脳裏に浮かんだ幼なじみの姿に、どこからともなく失笑が漏れる。

 

「三人とも、準備オッケーだよ! ってあれ? どしたの?」「なんか、楽しそうだね~」

 そこにライブを手伝ってくれている三人のクラスメイトである高屋文子(たかやふみこ)天野三香(あまのみか)が顔を出してきた。ガチガチになってるだろうから、少しはリラックスさせようと用意してきたアルパカのお面を後ろ手に隠す三香。これなら大丈夫そうと文子も安心する。

 

「文子ちゃんも三香ちゃんもありがと! 英子ちゃんにも伝えといて!」

 太田英子(おおたひでこ)は演劇部で同様のことを担当しているという事もあり、ステージ音響を引き受けてくれている。そちらの知識はゼロに等しい三人にとって非常に力強い味方の一人だった。

「任せといてー!」

「本当にありがとう。三人が協力してくれなければ、きっとライブは出来なかったかもしれません」

「うん、手伝ってくれるって言ってくれたときはほんとに嬉しかった」

 

 頭を下げる三人に、文子と三香は気恥ずかしそうに互いを見やり、

「あたしたちもこの学校好きだからさ、なくなるの、やだもん。だから、これくらいでよければ、いくらでも手伝うから!」

「だね。μ’sには期待してる、どかーんとやっちゃって!」

 そういって懐から、じゃじゃーんサイリウム用意しちゃった~と二十センチほどの半透明なプラスチックの棒を文子と三香は掲げる。

 

 そんな友人たちに、胸が熱くなるのを感じる。だが、本番の前にアイドルが泣いていては話にならない。唇を大げさに動かしたり、手首をつねったりして、意識をそらすことでどうにか堪えきった。

 

 文子たちと別れ、舞台袖から厚い舞台幕に隔てられたステージへと立つ。

 

 緞帳(どんちょう)の向こう側からは英子のアナウンスが聞こえてくる。

『まもなく我が校のスクールアイドル、μ’sのファーストライブが開演です』

 

 ――いよいよだ。

 穂乃果はゆっくりと肺中の空気を絞り出す。そして今度は出した分を吸い込む途中で、隣の海未の膝が震えていることに気づいた。反対側を見ればことりも両肩が強張っている。

 

「海未ちゃん」

 右手で、海未の左手を掴む。

「ことりちゃん」

 左手で、ことりの右手を繋ぐ。

 

「一緒だから」

 一人だったら、負けてしまったかもしれない。挫けて、諦めて、やめてしまったかもしれない。だけど、隣にはいつも二人がいてくれた。

 だから、きっと大丈夫なのだ。

 

「ねぇねぇ、みんなで番号を順番に言ってこ?」

「点呼取るみたいにですか?」

「うん、そう! ここに、同じ場所に立ってる仲間がいるって、わかるから!」

「面白そう! 私は賛成ー!」

「ふふ、私もです」

 

「よ――し! じゃあ、私からいくよ、1!」

 穂乃果が元気よく叫び、

「2!」

 ことりがにこやかに唄い、

「3!」

 海未が静かに締める。

 

 はたから見れば他愛もないやりとりが、助けてくれる。

 気づけば、足の震えも、肩の強張りも、なくなっていて、

 

「μ’s、ファーストライブ。来てくれたみんなのために、最高のライブにしよう!!」

「うん!」「はい!」

 

 開幕のブザーと共に、緞帳がゆっくりと左右に上がっていく。

 密封されていた扉が開かれるように、こちらの空気が流れ出し、あちらの空気が流れ込んでくる。

 

 ――さぁ、始めよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢に描いたはずのライブは。会場に溢れているはずの期待の眼差しは。静かな熱は。弾ける歓声は。

 

 

 

 そこには、なかった。

 

 

 

 

 

 降り出した雨は静かに講堂を濡らしていく。

 

 




後編パートは本日17:00ごろ投稿予定。→済!
詳しくは活動報告にて

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