パパはIS搭乗者!   作:駄文書きの道化

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身内達の受難

(お、織斑先生、大丈夫ですかね……随分と苦しそうでしたけど)

 

 

 問題の1年1組の副担任である山田 真耶は教室に向かう道すがら、職員室に置いてきた千冬が心配で仕様がなかった。まだ会議が少し残っていると、胃の部分を抑えながら会議に向かう千冬に思わず休んだ方が良いのでは、と言いかけた程だ。

 これは自分が頑張らなければ、と真耶は小さくガッツポーズして、意を決して教室へと足を踏み入れた。

 

 

「――――」

 

 

 教室の空気がお通夜状態だった。

 新年度が始まったとは思えない程の暗さ。重たい沈黙が教室を支配している。その支配者は、何故そこの席にしたんだと問い詰めたい程にど真ん中。

 篠ノ之 柳韻がただ静かにそこに佇んでいた。真耶は思わず逃げ出しそうになる足を必死に堪えて教卓に立つ。ここで逃げてはダメ、自分は教師なのだから、新年度を迎えた生徒達を笑顔で迎え入れてあげないと。

 

 

(逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメ、逃げちゃダメよ……ッ!)

 

 

 沈痛な空気に震えそうになる足を必死に堪えながら、真耶は必死に空気を払拭しようと笑みを浮かべた。

 

 

「皆さん、おはようございます! 私は副担任の山田まにゃです!」

(か、噛んだ――ッ!?)

 

 

 クラス中の心の声が1つに纏まる。真耶に至っては笑顔のまま、完全に凍り付いている。これはアカン、とクラス中の生徒の心が1つになる。

 何とも皮肉だが、柳韻という異質な存在がここまでのクラスの一体感を生み出しているのは、果たして良い事なのか、悪い事なのか。ただ言えるのは明らかに気は休まらないという事だけだ。

 真耶は復帰する様子を見せないまま、クラスに沈黙が広がっていく。嫌な汗が生徒達に流れる中、静かに動きを見せるものがいた。

 柳韻だった。彼は、静かに手を叩いている。控えめな拍手だ。まるで真耶が噛んだ事など耳にしていない、と言うように叩く手はまるで真耶を歓迎しているように思えた。

 それを見た一夏と箒はつい、席越しに顔を見合わせ、続くように手を叩いた。それを見た生徒が次に、また次にと手を叩いていく。

 あたかも、クラスの皆が真耶を暖かく迎え入れてくれるかのようだ。思考を止めていた真耶は拍手の音にようやく意識を復帰させる。自分の目の前には笑みを浮かべた生徒達がいる。

 

 

(……皆さん。こんな私を、迎えてくれるんですか……? 私は、ここにいても良いんですか? 私は、ここにいても良いんだ――!)

 

 

 そのまま昇天しそうな程の笑みを浮かべて、真耶は全てにありがとうを告げた。生徒に、友達に、親に、IS学園に。――そして世界に、ありがとう、と。

 そして、本当に意識を手放しかけた所で真耶ははっ、と気を取り戻す。こんな所で意識を失っている場合ではない、と。今のは柳韻からのさり気ないフォローだったのだと。気合いを入れ直して真耶は告げた。

 

 

「皆さんとはこれから1年、副担任としてお付き合いさせていただきます。担任の方は会議で少し遅れていますが、先に皆さんの自己紹介をお願いします。では、出席番号の順でお願いします」

 

 

 気を取り戻した真耶はてきぱきとHRを進行する。出席番号順に名前や趣味など、簡単なプロフィールを紹介して席を座っていく。そんな中、遂に教室中の皆から注目を浴びていた一夏の番がやってくる。

 ところで、その一夏なのだが、彼は焦点があっていない瞳で虚空を見ていた。僅かに小刻みに身体が震え、今にも倒れてしまいそうな程だった。何が原因かと言えば緊張からだ。周りは全員女子。その中に1人、かつての恩師。え、この中で自己紹介するの? と一夏は絶望的な表情を浮かべる。

 

 

(な、何を言おう? ま、まずは名前……えと、趣味? 俺の趣味ってなんだ? 家事? いや、それは特技じゃないのか? じゃ、じゃあ特技で良い。あ、あとは誕生日とかか? 部活は帰宅部と言えば……あ、あと、あと何を言えば……?)

「……織斑君?」

(あ、やばい、頭が真っ白になってる。何を、俺は何を言えば良いんだ!?)

「あのー……織斑君……?」

「……はっ!?」

 

 

 一夏は慌てて顔を上げる。そうすると今にも泣き出しそうな顔で自分を見ている真耶の顔が目に入った。今にも目のハイライトを失い、やっぱり私は要らない教師なんだ、と色んな意味でいってしまいそうだ。

 

 

「す、すいません!」

 

 

 一夏は慌てて立ち上がる。瞬間、クラスからの圧力が一夏へと叩き付けられる。思わず膝を折ってしまいかねない程の圧力に一夏は思わず蹈鞴を踏む。

 一身にクラスからの視線と興味を受ける一夏は、きゅぅっ、と胃が縮むような感覚に眉を寄せた。正直、今すぐ家に帰ってふて寝したい。そして目が覚めたら今度こそ藍越学園の入試試験にいかなきゃ、と現実逃避を始める一夏。だが、一夏の現実逃避を許さないように再び目から光が消えかけた真耶が一夏を呼んだ。

 

 

「……織斑君……?」

「は、はい!」

「その……自己紹介……」

「し、します! しますから!!」

 

 

 だからお願い死なないで! と言わんばかりに一夏は内心叫ぶ。今、ここで真耶が再起不能になったら1組のHRはどうなるの? と。とにかくこの場さえ乗り切れば勝てる! と一夏は己を奮い立たせる。

 

 

「織斑 一夏です。えと……特技は家事が得意です……」

 

 

 ぼそぼそと呟く一夏の声が段々と小さくなっていく。向けられる圧力が次第に強くなっていくからだ。それは一夏の声を聞き漏らさないように、と意識を集中させた結果なのだが、結果としてまったくの逆効果である。

 

 

(……もうダメだ、この状況に打ち勝つ事なんて俺には出来なかったよ)

 

 

 ふっ、と息を吐いて一夏はそのまま膝を折ってしまいそうだった。このままこの疲労感に任せて眠ればどれだけ楽になるのだろうか、と。そうしていると、ふと目に飛び込んできた物がある。

 箒の顔だった。箒は胸の前で僅かに拳を握って熱心に一夏を見守っていた。眉を寄せて、まるで無力を嘆くかのような表情に一夏は飛ばしそうになっていた意識を留める。

 

 

(箒……お前……俺を心配してくれてるのか……?)

 

 

 まるでそうだ、と言わんばかりに箒がジッ、と一夏を見守る。頑張れ、一夏! とまるで幻聴すら聞こえてきそうだった。それに一夏は口元に笑みを浮かべた。

 

 

(答えは見えた。大丈夫だ、箒。俺、今から頑張ってみるから)

 

 

 まるで朝焼けと共に消えてしまいそうな笑みを浮かべ、一夏は背筋を伸ばす。ぴん、と胸を張った姿はまるで覚悟を決めた男のそれ。そして、一夏は息を整えて一息に言い放った。

 

 

「――以上です」

 

 

 一夏が着席するのと同時に全員がズっこけた。あれだけ前振りをしておいてそれは無い、と言わんばかりの非難の視線が一夏に飛ぶも、一夏は正面を向いて我関せずと、ハイライトを失った瞳で虚空を見つめていた。

 

 

「……お前は何をやっているんだ」

 

 

 まるで地獄の底から響くような、背後から聞こえた声。一夏は瞳に光を取り戻して、勢いよく振り返る。そこには何故か自分の姉である千冬の姿があったからだ。

 

 

「千冬姉!? 何でここに!? ……まさか俺も身内に辱められる罰ゲーム行き!? そんなのあんまりだぁっ!!」

「私はここの教師で、1組の担任だ。あと、織斑先生と呼びなさい」

 

 

 ひくっ、と千冬の口元が引き攣ったのを一夏は見逃さなかった。千冬の手に握られていた出席簿がゆらり、と揺れているのが嫌に恐ろしかった。自分が選択肢を間違えば、あれは出席簿という名の凶器と成り果てる事が目に見えてわかったからだ。

 余り無様を晒せば殺ス、と目が語っている。むしろ手が早い方の千冬が手を出さない方が珍しい。それがどうしてかなんて、一夏は察している。ここに恩師の柳韻がいるからだ。実際に、今もちらちらと柳韻の様子を窺っている。

 

 

「“ブリュンヒルデ”の千冬様!?」

「こんな一寸先の闇の中に光明が!?」

「千冬様なら……それでも千冬様なら、きっとやってくれる……!」

 

 

 ざわざわと騒ぎ立つ生徒達、それは通夜のような雰囲気を少しだけ払拭する事が出来た。一身に自分に向けられる視線に千冬ははぁ、と悩ましげに息を吐く。そのまま教卓へと向かい、真耶に一言お礼を告げてから生徒達を見渡す。

 

 

「諸君。私がこのクラスの担任を務める織斑 千冬だ。分不相応な世界最強という称号を背負わせて貰っている。これから君達に指導する立場だが、私を含め、この学園の教師に教えを受けたいと言うのであれば、教師達には節度と敬意を以て接するように。

 私も諸君等には誠意を持って応じよう。そうすれば、これから1年で君達を優秀なIS搭乗者として育てる事を“ブリュンヒルデ”の名に約束しよう。……では、1年よろしく頼む」

 

 

 小さく頭を下げ、静かに顔を上げた千冬の姿を見て一夏は思う。その凜とした姿はまさに理想の教師として在るべき姿であった。思わず感嘆の息が零れそうであった。

 実際、生徒の幾人かは憧れのブリュンヒルデが立派な教師として目の前に立っている事に感涙する者までいる始末だ。

 

 

(……だからさ、先生をチラ見するのやめろよ、千冬姉)

 

 

 生徒達を見渡しているように見せかけて、柳韻の様子を窺っている事をばっちりと目撃した一夏は思わず溜息を吐いた。

 それから千冬の先導で自己紹介が再開される。次々と自己紹介を終えて、遂に順番は箒の番となった。一夏は息を飲んで箒の姿を見守った。名を呼ばれてゆっくりと立つ箒。凜とした佇まいは思わず目を奪われそうになる程だった。これなら大丈夫か、と一夏は思わず胸を撫で下ろす。

 

 

「篠ノ之の箒です」

(のが1つ多くなってるぞ箒! めっちゃ動揺してるんじゃねぇか!?)

 

 

 あまりに早口だった為に、聞き咎める者が他にいなかったのか、それとも皆、空気を察して敢えて突っ込まなかったのか。恐らく両者なのだろうが、箒は表情を微動だにさせないまま、自己紹介を続ける。

 

 

「部活動は剣道に入って入部してました。よろしくお願いします」

(箒、箒! 入ってと入部で被ってるぞ!?)

 

 

 すっ、と何事も無かったかのように着席する箒。逆に一夏は称賛の念を送った。動揺しててもまったく表情を動かさなかった点においては見事と称するしかない。

 ちなみに、この箒の無表情が過去、箒が込んでいた神楽舞の際、どんなに緊張してても表情を崩さないようにした訓練の賜だ。一夏は知る由もないが。

 

 

「では次、せんせ……いえ、篠ノ之 柳韻さん」

 

 

 千冬が次の出席番号を読み上げる。それは件の柳韻の番を示していた。クラス中に緊張が走る。一夏の時よりも張り詰めた緊張に、一夏は己の自己紹介でもないのに胃が詰まる思いでいっぱいだった。

 そんな中で、静かに席を立つ柳韻。堂々と立つ姿はまるで巨木を思わせるようで揺らぐ事がないように思えた。思わず一夏は息を飲む。

 

 

「篠ノ之 柳韻と申します。この度、縁あってこのIS学園に入学する運びとなりました。しかし我が身の事情故、クラスの皆様には多くの戸惑いを与えてしまっているようで、大変恐縮であります。このような見目麗しく、可憐な華たる女子達の中では卑しく目立つ無骨な男ではありますが、何卒、一生徒として共に研鑽させて頂ければ幸いにございます。どうかこれから1年、よろしくお願い致します」

 

 

 僅かに表情を緩めるように笑みを浮かべ、静かに頭を下げた柳韻に誰もが言葉を失った。先ほどの緊張感とはまったく別の沈黙が教室中を包み込んでいく。

 一夏はぽかん、と口を開けていた。あの口数の少ない恩師から飛び出した言葉は何だ? 見目麗しい? 可憐な華? するりと当然のように口にしてましたけど、と一夏は思わず身震いした。

 ちらり、と箒を見れば目を見開いて口をぽかん、と開けていた。一夏と視線を合わせると、箒は縋るような目で一夏を見てきた。

 

 

 ――あれは、父さんなのか? 一夏。

 ――いや、間違いなくお前のお父さんだろ。

 ――あの寡黙で、普段は「あぁ」ぐらいしか返さない父さんがあれだけ喋って、しかも歯の浮くような台詞をさらりと言ってのけたんだぞ!? こ、これは夢か? 悪夢なのか!?

 

 

 今にも奇妙な踊りを踊りそうな程に動揺してしまっている箒は顔面を蒼白にさせて、がくがくと震えている。正直、一夏も面食らっているのは事実だ。

 ふと、気になってちらり、と教壇の千冬へと視線を向けてみる。そこには教師としてあるまじき目を見開き、顎が外れんばかりにまで口を開けている千冬の姿がある。

 一番、前の席であり、教卓から近かった一夏はこれ幸い、と軽く教卓を叩いて千冬に自分へと意識を向けさせる。

 

 

 ――千冬姉、呆然としてると不味いって! 早く次にいけって!

 ――……お、おぉ! そ、そうだな! さ、先に進もう! よくやったぞ、一夏!

 

 

 一夏はなんとかアイコンタクトを交わし、千冬を再起動させる。こうして混沌とした柳韻の自己紹介が終わり、後に続く自己紹介も恙なく終わりを迎える事が出来たのであった。  


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