今から500年程前の日本、いわゆる日本の戦国時代において、三好長慶という「天下人」が京において隆盛を極めていた。
天下人と表現したが、これは日本を統一した者という意味ではない。当時の日本の天下人の定義は、京を中心とする地域を支配する者とされていた。よって、当時の価値観から考えるならば、かの有名な織田信長も天下人と言えるであろう。
しかし、織田信長の前にも天下人は存在した。それが三好長慶である。
以下では、彼の「史実の」偉業を簡単にまとめて説明する。
三好氏は小笠原氏を祖とする清和源氏の庶流で管領(幕府の中では将軍に次ぐ偉い人)・細川氏に仕える有力家臣として畿内にその名を轟かしていた。
三好長慶は時の管領・細川晴元の時に三好氏に隆盛をもたらした三好氏当主である。
その時の三好氏は畿内で圧倒的な勢力をほこるようになり、細川氏を没落させ、足利将軍家すらも凌ぐ権力を保持するようになった。
当時の情勢だけを見るなら武田氏や毛利氏などの大名達の中では一番天下に近かっただろう。
なぜならば、三好氏は最盛期の時、本貫地(大名家の本拠地のようなもの)である阿波に加えて、讃岐、淡路、摂津、和泉、播磨、大和、丹波の八カ国を支配する大勢力で、最大動員兵力数は七万にも及ぶ。
しかも、朝廷との関係も悪くなく堺に代官を置き経済的にも豊かだった。
これほどの大名家は同時期にはいなかった。
しかし、三好氏は次第に没落してゆく。原因は三好四兄弟と呼ばれる兄弟達の死である。
当主である三好長慶
長慶をよく補佐した三好義賢。
水軍を率いていて活躍した安宅冬康。
軍事を司っていた十河一存。
彼らが次々と世を去ると、三好氏は没落した。
家臣達の権力争いが熾烈化し、時代は織田信長の下へと流れていった……
さて、「史実の」三好氏はこのような形で没落していった。
しかし、「この作品は」史実とは違う形の結末を目指す。
「織田信奈の野望」という史実とは異なった世界観を利用して、現代の知識を持った「転生者」が、三好の結末を変える。
これは、三好長慶となった転生者が戦国時代で三好氏滅亡の回避を目指す物語である。
今回に限り、字数調整のため作品紹介のあとがきはこちらに回させていただきます。
この章は、「この物語の主題」を読者の皆様に説明するためのものです。
現在の日本では、三好長慶は、あまり知られていない武将です。
よって、予め三好長慶の史実を知って頂いた方が良いと思い、この章を作成させていただきました。
このような作品ではありますが、どうぞよろしくお願い致します。
ここまで読んでくださりありがとうございます!