東方外伝記 the another scarlet   作:そよ風ミキサー

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◆前書き

文字数約23000文字ですので、読む際はお気を付けください。

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第9話

 沈黙の帳が降りた部屋の中で、最初に口を開いたのはこの部屋へ入口を破壊して入って来た魅魔だった。

 

「つまり、なんだ? 先に入っていた奴がいたって事かい?」

 

 今この場の状況を呑み込み始めてきた魅魔が、担いでいた杖で数回肩を叩きながらサテンを怪訝そうに見た。

 入って来た時の掛け声からして、彼女は未だこの船を遺跡と思い込んでいるのだろう。

 服の汚れなどから、おそらく魅魔もあの入り口の看板を見て集まった者達と一戦やらかしたクチなのだろうとサテンは察した。

 そして此処に一人で辿りついたと言う事は、彼女はその争奪戦に勝ち抜いたと言う事だ。そんな彼女からしてみれば、自分の与(あずか)り知らぬ所で先に来ていた者がいるのならば、心中穏やかではないのかもしれない。

 

「大丈夫なのかい。此処って先着一名以外は締め出されるって話らしいが……あんた達が店員なんだろ、そこん所どうなんだい?」

 

 魅魔に声をかけられたのは、この遺跡こと“可能性空間移動船”の開発者にして船長の夢美とその助手をしているちゆりだ。

 夢美は乱入してきた魅魔の姿――特に霊体部分を見て目を輝かせていたが、彼女の言葉に何のことかしら? と本当にワケが分からず目をぱちぱち瞬きさせながら隣に居るちゆりへと顔を向けたら、ちゆりがあっと思いだしたように声を上げた。

 

 ああ、そう言えばそんなものがあったなとサテンも思考の片隅へと追いやっていたチラシの存在を思い出し、コートの内ポケットにしまっていたそれ取り出して夢美に渡した。

 

「チラシ? なになに、遺跡? 開店? ……幸せにするぅ? もしかしてこれ、外に沢山撒かれているの?」

 

 夢美の問いに応じたのはサテン。彼女は頷く事でその質問に答えると、夢美が困った顔でちゆりを見た。

 

「ちゆり、貴女私の知らない所で何変な物ばら撒いてるのよ」

 

「い、いやな? そうすりゃここの奴らが集まって来るし、先着限定にすれば争い出して、そこで強い魔法使いの割り出しも楽になって調査もはかどるんじゃないかなーと思ったんだよ?」

 

 ――ちゆりは言えなかった。先程口述した内容とは別に「面白そうだったから」という理由でこんなチラシを作ったのがばれたら怒られるだけじゃすまなさそうな気がしたから。恐らく主人の夢美だけでなく、そこにいる吸血鬼と幽霊みたいな女達からも魔法でボコボコにされそうな気がしたから――。

 

 

 そんな真相が含まれている事等露知らず、彼女の弁明を傍らで聞いていたサテンは、もし集まった人達がその場で争わずに大挙して入ってきた時はどうするつもりだったのだろうかという疑問を感じた。しかし、それを口にする必要性を感じなかったため、その場を後にして魅魔の方へと足を運んだ。

 

 魅魔は夢美達のやり取りをだるそうに見ていたが、とうとう飽きたのか手に持っていた杖を使って柔軟体操をしていた。腰に添えてぐっと体を捻る姿は幽霊だと言うのに、その仕草は実に溌剌(はつらつ)としている。

 サテンが近付いてきた事に気付くと、体操を止めて不満げに口元を歪め、サテンを睨んだ。

 

「まさか、あんたまで来ていたのはちと予想外だったな」

 

「此処が気になってね。そう言う君は? 外が騒がしかったけど」

 

「集まった連中と仲良く“お話”してたのさ。それで“満場一致で私に決まった”んで来てみれば、あんたが既に中にいるんだから。何だかねえ」

 

 口にする言葉こそ平和的であるが、その実やる事は力ずくの戦いという、全くの真逆であった事はサテンも此処へ向かう前に気付いていた。

 恐らくこの場に集まった者達の大半は人では無く妖魔の類なのだろう。ならば争って怪我をしようが、手足が千切れた所で時間が経てば元に戻るのだから、力によって事の肯否を選択しがちなのは妖魔達ならではのやり方と言うべきか。魅魔なんてまさしく思考がそれだった。

 

 もっとも、その場に人間が混じっている場合はその場限りでは無い。

 そこでサテンはふと博麗の巫女の事を思い出して魅魔に彼女の行方を訊ねてみると、巫女もプレゼントに釣られて集まってしまったクチらしく、この争奪戦に参加していた様だ。この場に居ないと言う事は、今サテンの目の前にいる魅魔にやられてしまった様だ。魅魔曰く、今頃魔理沙と神社で反省会でもしているだろうとの事だ。

 

「それで、奴らは何だい? 店員にしちゃあ態度がなっちゃいないが」

 

 会話の最中に魅魔は夢美達の方へと眼差しを向けた。

 魅魔はまだ此処をチラシの内容を鵜呑みにして遺跡だと勘違いしている様だ。

 丁度いいので、サテンは魅魔に事の経緯を全て話した。この遺跡と、彼女達が何故この様な事をしたのか。

 すると、魅魔は徐々にその眼を鋭くさせて機嫌を悪くし始めた。

 

「ほう、そう言う事かい。私はあいつ等のダシに使われていたって事か。上等じゃ……あれ、いや待てよ。じゃあ、プレゼントは無いの?」

 

 だが、ふとここへ来た事の目的を思い出して怒りを一時的に霧散させた。どうやらこの船で貰える筈のプレゼントの方が重要な様だ。

 

 それについてはサテンもちょっと気になってはいた。だが先程の夢美の態度から考えると、此処の住人達をおびき寄せるための嘘の可能性も高いので、あまり期待はしてもいなかった。

 彼女達に訊いてみたらどうだい? とサテンが言えば、魅魔が霊体を浮かせながら夢美達に詰め寄った。

 

「おいあんた達、さっきからベラベラとくっちゃべってるけど、結局の所どうなんだい」

 

「え、いやその……っ!?」

 

 夢美の隣にいたちゆりが言い淀んだ瞬間、目にもとまらぬ早業で魅魔は肩に担いでいた杖を抜き、彼女の顎下に三日月の杖先をスッと添えて、ちゆりの顎を軽く持ち上げた。隣にいた夢美は魅魔の動きを認識出来ず、突然の行動に驚いて目を見開いた。

 三日月の飾りは金属で出来ているのか、内側の曲線部分はエッジの様に鋭く部屋内の照明が反射してギラリと嫌な光を走らせいた。それが夢美達にはまるで、死神の鎌の様な印象を与えた。

 ちゆりがごくりと息を呑むと、頬を伝って流れる汗がぽたりと三日月の飾りに落ちた。それだけ魅魔の杖先はちゆりの喉元に近いのだ。下手に動けばそれが喉に触れ、娘のやわ肌程度ならば容易く切り裂いてしまえそうな危うい輝きを発していた。

 

「小娘、お返事する時はもっと考えて口を開きな。あたしゃ今少し気が立っているんだ、訳の分からん台詞を辞世の句にしたくなかったら、もう少し色よい返事って奴を聞かせておくれよ」

 

 魅魔の体から濃密な魔力の波動が膨れ上がる。

 その影響を受けて部屋一帯、いや船全体が魅魔の魔力に充てられて地震の様に震え始めた。

 愉快気に話をする魅魔。だがしかし笑みを浮かべているのは口元だけで、目だけは笑っていなかった。

 長く生きて来た事で積み上げられた年季が違うのだろう。魅魔の放つ気迫とプレッシャーは、ちゆりのなけなしの精神力をガリガリと削り落していた。

 

「この魅魔様から美味い汁を吸い上げようとしたんだ。まさかタダで出来るだなんて、そんな都合のいい話が、ねえ?」 

 

 その言葉から端を発した様に、船内に建てられていたガラスのポールにとうとう罅が入り始め、人工物で構成されていた壁や床が軋み出し、一部金属製の内壁が金切声をあげるような音を立てて歪にひしゃげ始めた。

 杖を突き付けられたちゆりに至っては、その顔はまるで断頭台に首を乗せた囚人の様だった。顔面蒼白状態となり、絶望感を滲ませている。

 

「ストップ。何か見た事の無い凄いエネルギーが迸ってて素敵だけど、ちょっと待って。約束通りプレゼントは用意するから、話を聞いてちょうだい」

 

 だが、その空気を良しとしなかった夢美が二人の間に割って入った。

 魅魔が視線だけを動かして睨み付けると、夢美もその威圧感に圧迫されたのか口元が僅かに引き攣った。

 プレゼントを渡す、という言葉に反応した魅魔の顔から険がいくつか取れ、顎で話の続きを促した。

 

「……私が知らなかった事とはいえ、元はと言えば此方側が提示した内容で来たのなら、それは此方の落ち度だわ。だったら、筋は通すわ」

 

 これにはその場から離れて事の成り行きを見ていたサテンが少し肩を竦めた。果たしてどこまで本気なのやら、という疑いの込められたものだ。

 

 

「けど、タダでという訳にはいかないわ。私達が魔法を知るために此処に来た事は、恐らくあちらの吸血鬼さんから聞いているのでしょう。……だから、“貴女達のいずれか”が強い魔法使いである事を証明してみせて欲しいの。強い方にプレゼントはあげるわ」

 

 案の定、夢美は魅魔にもサテンの時と同じように魔法を見せてくれる事を要求してきたのだが、内容がさっきとはいくつか違っていた。

 

 内容はこうだ。

 「私達はより高度で強力な魔法を知りたい。しかしそれを証明するにはまずその力を見せて欲しい。ほら、お相手にそこの吸血鬼さんなんてどうだろう? 強い魔法使いなら問題はないでしょ?」という、そのあて馬としてサテンをぶつける気満々の内容へと話が変貌していた。

 当初はちゆりにその役を任せるつもりだったらしいが、現在使い物にならなくなってしまっている様なので、その代役をサテンに押し付けようという魂胆だ。此処まで来たからには、ただでは転ばないつもりらしい。

 

「それに、プレゼントは元々先着1名様限定。どちらかが勝てばその権利を手に入れるの。勝った方には私も可能な範囲で望みの物を用意するわ。どうかしら?」

 

 しばしの沈黙が続いた。

 魅魔は夢美の真意を探ろうとしているのか、彼女の眼をジッと睨みつけたままでいたが、部屋内で起きていた激しい揺れが徐々に止んだ。

 魅魔の答えは、つまりそういう事だった。

 

「……まぁ、良いさ。貰えると言うのなら構わない。要はあの吸血鬼を叩けばいいんだろう?」

 

 魅魔はちゆりの首に添えていた杖を引いて肩に担ぐと、ちゆりが腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。

 

「分かってくれて助かるわ。そこの吸血鬼さん、貴女も協力してくれるわよね?」

 

 夢美が魅魔の背後で静かに佇むサテンへと声をかけた。

 

 既に此方が協力する事を前提に話を続けている夢美に図々しさを感じつつも、しかしサテンは先の話の中で一度たりとも口を差し挟む事はしなかった。

 彼女もまた、自分なりの思惑の下にこの話に乗る事にしていたのだ。

 

「分かった、私もやろう。……望みの物が“君達の許容できる範囲”かは分からないけれど」

 

 意味深な言葉に夢美は怪訝な顔をしてその意味を訊ねようとしたのだろう。

 口を開きかけたが、しかしすぐに閉じた。勝ってすらいない者の願いを訊いても無意味とでも思ったのだろうか。

 

 だが、そこでサテンは更に言葉を紡いだ。

 

「協力する代わりに、これにひとつサインをして欲しい」

 

 おもむろにサテンが右手をかざすと、手袋越しの掌から大量の赤い霧状の物質が噴き出した。

 突然の出来事に夢美達人間はぎょっと驚くが、徐々にその霧は一所に集まり、一枚の紙状の物へと形を変えていく。

 紙状のそれは形を形成し終えると、今度は黒い文字が光を放ちながら独りでにその表面を走っていった。

 文字が止まると、完成したのだろう。血の様に真っ赤な紙状のそれに、北欧の言語が白文字で書かれ、同じ文字を使って幾何学模様の描かれた如何にも魔術的なデザインの物がサテンのかざした手の前に浮かんでいた。

 それを興味深く見ていた夢美がサテンに訊ねた。

 

「これは?」

 

「“悪魔の契約書”」

 

 空中に浮いていたそれを手に取ったサテンが、夢美に差し出した。

 悪魔の契約書、それは西洋における悪魔学と呼ばれる人間と悪魔が取り交わしをする際に用いられた代物だ。過去には有名な宗教の高名な人物までもが用いた事もあるのだ。

 そしてその内容の多くは、契約をした人間側が不履行となった場合無残な待つを辿るものしかない。

 

 その名を聞いた途端、ちゆりが顔面蒼白の状態のまま目を見開き、口をパクパクとしてそれを指差す。

 しかしそれとは逆に、夢美の眼はこれでもかという位に輝いてそれを見ていた。

 

「え、悪魔の契約書? 本物!?」

 

「まぁ即席だけど、効果は問題なく発揮できる。“何らかの事態の所為”で約束が違えてしまうと言う事態も起こるだろうから、一応したためさせてもらった」

 

 契約書に記された内容は概略すると、「サテン・カーリーは岡崎夢美の研究に一時的に協力するけれども、協力者の意に反して強要させたり約束を違えるのなら、その場限りでは無い」という旨が北欧の文字で書かれているのだ。勿論、景品の件も忘れなず書かれている。

 

 サテンは夢美が腹に一物何か抱えている様だったので、変な気を起こさない様に釘を刺す意味で彼女にこの契約書を渡したのだが、当の本人はサテンの思惑などお構いなしに、その契約書を見て感動していた。

 

「凄い……本物の悪魔の契約書……これ何で出来てるのかしら? 紙、でもさっき粒子が物質に転化したのに……何なのこれっ!?」

 

 声を震わせ、鼻息を荒くして契約書を分析している夢美は、まるで秘境の奥で財宝を見つけた探検家の様な顔をしていた。

 紙の質感から厚み、果てには臭いや味まできめ細かく調べまわそうとしている彼女にはサテンもちょっと引いてしまったが、夢美に契約書について注意事項を伝えた。

 

「先に言っておくけど、契約書の確認だけはしておきなよ。この契約書に書かれた約束を違えた場合、契約者は…………ちょっと君、聞いてる?」

 

「ええ、ええ分かってますとも構いませんとも。これってサインは何を使えば良いの? シャチハタ? 手書きのサイン? それとも吸血鬼らしく血印? あ! あとこれ後でコピーさせてもらっても良いかしら?」

 

「……まぁ、手書きで」

 

 この娘、本当に分かっているのだろうか。

 サテンは心配こそ特にしなかったが、あまりにも軽率な夢美に呆れて口を閉じてしまった。

 ペナルティーの内容等、色々と確認するべき所がある筈なのだが興味が先行し過ぎて其処まで夢美の頭が回っていない様なので、まぁ書いてくれるのならば良いかと、サテンは契約書にサインをもらう事にした。ついでに少しばかりいやがらせ程度の小細工も仕込ませてもらった。

 

「ご、ご主人様、それってかなりやばいんじゃ」

 

「はい岡崎夢美……あと白北河ちゆり……っと、これで良いのかしら?」

 

 ちゆりが呼び止めるよりも先に、夢美がぱっぱとサインを書いてサテンに返してしまった。しかもちゆりの名前まで付けて。

 名前を書き込んだ契約書が突然再び霧散して、赤い霧へと姿を変えていく。

 すると赤い霧は夢美とちゆりの体の中へと吸い込まれていき、その影も形も消え失せてしまった。

 夢美は「コピーまだしてないのに……」と心底残念そうに契約書の入って行った自分の体を撫で回していたが、ちゆりはそれ所では無かった。赤い霧が吸いこまれた自分の体をペタペタと触り、しばし呆然。そして奇声交じりに絶叫した。

 

「お、え、え、えげぉぉぉぉぁぁぁぁぁ!? ご主人様何やってんだーっ! ねえ、何やってくれちゃってんだよーっ!?」

 

「え? 一緒にやるんだから、名前は書いておかないといけないじゃない?」

 

「工事現場の作業名簿じゃねえんだぞそいつはよっ!!」

 

「分かってるわよそんな事。何事も実践よ実践。それに本物の悪魔の契約書よ? 自分の名前を書けるだなんて、ちょっとドキドキしない?」

 

「あんたって人は! あんたって人は、全く後先考えないんだからもおぉぉぉ……ッ!」

 

 水兵帽を両の手で思いっきり下まで引っ張る様に被りながら、ちゆりはサテンから見ても可哀そうな位膝が震え、次第にその場に両膝を付いて天を仰ぎながら唸りを上げた。例えるのならば、気付かない内に高額な借金の連帯保証人になってしまったような心境なのだろう。やられた側からすれば堪ったものではない。

 

 とりあえず、慟哭を響かせる彼女の元へサテンが歩み寄ると、ポンと優しく肩をたたいて耳元で語り掛けた。

 

「お互い、良い結果になる様に頑張ろうか」

 

 それがちゆりにとっては致命的なトドメとなった。

 最後に残された希望を踏み潰されたのか、ガンと音を立てて五体投地をした僧の様に、そしてその燃え尽きて灰の様になった無気力な体を床に横たわらせてしまった。

 

 

 

 

 

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 大部屋内でサテンは魅魔と向かい合っている。

 サテンは両手にはめた手袋の具合を確かめ、魅魔は片手に杖を持ったままだらりと腕を下げ、お互い別段気負う事無く自然体のままだ。

 

「態々契約書まで出すなんて、あんたも随分と大げさな事をするね。まぁ、良いけどさ」

 

 魅魔がチラリと夢美達の方を見やると、部屋の壁面へと退避して壁面に設けられた装置を操っていた。もう既にサテン達の計測を始めているのだろう。

 ちゆりも未だ引き摺って入るものの、まっ白になりながら機械群をのろのろと操作していた。一応、自分の役割は全うする気持ちはまだある様だが、時折操作ミスをして夢美に怒られていた。恐らく、この場に居る者の中で一番貧乏くじを引いているのは彼女である事は間違いなさそうだ。

 

「ああいう手合いには、多少念を入れておいた方が良い」

 

「噂に名高い吸血鬼にしては、随分と臆病な事を言うじゃないか」

 

「慎重と言って欲しいな」

 

 ふうんと気の無い返事をする魅魔だが、次に歯が見えるほどの剛胆な笑みを作って杖を構えた。 

 

「まぁ、そんな事はどうだっていいさ。今必要なのは、あんたをどうやって叩いてやるのか。そっちの方が興味がある」

 

「参加する私が言えた事じゃないが、随分とやる気だな。一応、あの人間達の思惑に乗っかっているのに」

 

「なに、これも余興の内さ。そこに“おいた”をする奴がいるのなら、纏めてお星様になってもらうだけさね」

 

 魅魔の体から、夢美達を脅しつけた時に見せ付けた物よりも更に強い魔力が溢れ出していく。

 その余波がより強力な地震を生み出し、とうとうガラスのポールが砕け、金属製の床に亀裂が走り始めた。

 

 夢美が魅魔から放たれた魔力に狂喜乱舞し、ちゆりが設備の破損に慌てている中、彼女の強烈なプレッシャーとそれにあてられ、サテンのこめかみ辺りがチリチリと疼いた。

 

 それは、久しく感じなかった感覚だ。

 これは強い者達が持ち得る、長く濃い戦いの経験の中で鍛えられ、練り上げられ、練磨の果てに身に付けていく目に見えない圧力だ。

 しかも、ここまで身を押し込められるような圧迫感を感じたのは結構久し振りの筈だ。

 

「そして、私は遊びであろうとも全力でいく女だ」

 

 呟き一つ、魅魔の姿が忽然とその場から“消えた”。

 少なくとも、人間の夢美やちゆり達からすればそう言わざるを得ない程の“速度”だった。

 

 来るか、とサテンが思った時には既に魅魔は眼と鼻の先で、大上段に振りかぶっていた杖を振りおろし、その三日月状の飾りがサテンの左肩目がけて叩き込まれようとしている直前だった。

 

 しかし、その一撃はサテンには届かなかった。途中で止められたのだ。

 魅魔の目視する事すら許さぬ一撃は、サテンの手によって受け止められていた。

 

 特に力を込めて構えたものでは無い。例えて言うのならば、知人友人に会った時に軽く手を上げるような、そんな気安いものだった。

 手袋をはめた指の中で、最も天を指していた人差し指とぶつかった魅魔の杖先が鍔迫り合う様にカチカチと音を立てて震えていた。魅魔の口元の笑みは尚も剥がれない。

 

「ただ抜け駆けして来たわけじゃないらしい、なあっ!」

 

 裂帛の勢いと共に、魅魔が杖へ更に力を込めた。

 迸る魔力が彼女の体から間欠泉のように噴き上がると同時に、受け止めていたサテンの体が脛まで床にめり込み、それと同じくらいひしゃげた床の金属板がめくれ上がった。それでも、サテンの態勢は崩れない。 

 

 

 魅魔の攻撃も其処で止まるどころか、更なる駄目出しと言わんばかりにそのまま杖先から魔力で形成された無数の青白い弾丸が辺り一帯に無差別に放たれた。

 

 目と鼻の先、超至近距離からの攻撃だ。無数に飛び出す弾丸の多くがサテンの全身に着弾、小さな爆発をいくつも起こして辺りに激しい爆音と衝撃を響かせた。

 

「うわぁ! 嘘だろ!? 部屋の装甲が吹っ飛びやがった!」

 

「叫んでないで記録よ記録!」

 

 撒き散らされた魔力の弾丸は部屋内の壁を削り、床を吹き飛ばし、一帯に大きな噴煙を吹き上げてその威力を夢美達にも見せ付ける。夢美はその光景に無我夢中でデータの記録に夢中になっているが、ちゆりは顔を青くして悲鳴を上げていた。

 

 魅魔はその爆風の余波を活かして後ろへ大きく飛び、ちゃっかりその場から退避していた。

 

 

 煙の中が立ち昇る爆心地のど真ん中で、サテンは咄嗟に顔を庇っていた腕を降ろして煙の向こうにいる魅魔を見た。体には弾丸を受けて、服ごと小さく抉れた個所が何点か見受けられた。

 

 

 ただ魔法を嗜む悪霊だけだとは思っていなかったが、近距離での戦いも達者な様だ。

 最初の一撃は魔力で身体能力を強化したものだろう。並の妖魔なら、自身の体が真っ二つに泣き別れになっていた事すら気付かなかったであろう鋭い一撃だ。

 そして攻撃しながら逃走経路も確保しているあたり、ちゃっかりしてた女であると魅魔を評した。

 

 先程の一瞬とはいえ、豪雨の様な攻撃が止んでいる所から察するに、此方を様子見しているのだろう。もしくはわざわざ待ってくれているかもしれないが。

 

 未だ煙は晴れておらず、視界は見えないままだ。足元は完全に砕け、タイル状の金属板が吹き飛んで中から機械部品やケーブル火花を散らしながら露出し、近くの壁も同様に壊れてしまっている。それだけ魅魔の放った魔法の威力が如何程の物であるかが伺える。同時に、夢美の嬉しい悲鳴とちゆりの絶望の悲鳴が遠くから聞こえてきた。おそらく後者に関しては船内が破壊されたからだろう。「船の修理誰がすると思ってんだよ!」と泣き声が混じって来る始末。

 

「さあどうしたい吸血鬼様! 突っ立っているだけがあんたの取り得かい? それじゃあお話にならないな!」

 

 煙の向こうで魅魔がこちらを挑発して来るのがサテンの耳に届いた。

 元気な奴。サテンは結構長生きしているであろう彼女の溌剌とした声に、感心とも呆れとも取れる笑いを人知れず漏らし、まるで老婆が揺り椅子から重い腰を上げる様に、彼女も動き始めた。

 体に受けた傷が気がつけば元に戻っており、傷跡が全く見えなくなっていた。

 

 視界が見えないのならば好都合、こちらも少し驚かしてやろう。

 

 この一戦での目的は魔法を見せる事。ならばサテン自身の“普段のスタイル”は恐らく好まれないだろう。それならこちらも出来るだけ“吸血鬼なりの技”ってやつで応戦しよう。

 

 サテンが反撃に移る意思に呼応するように、背中と両肩がもぞりと蠢いた。服の下で、無数の何かがひっきりなしに動いている。そんな異様な光景だった。

 

 日本の魔法使いを知るのも、まぁ悪くはない。

 煙に紛れた中で、サテンが怪しく光るサングラスのフレームに軽く指をかけた。

 

 

 

 

 

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 魅魔はもうもうと立ち上る煙の先を睨みつけながら愛用の杖を油断なく構えた。

 あの時先制攻撃でサテン目がけて挨拶代わりにお見舞いしたのだが、どうにも効いた感触がしなかったのだ。例えるのなら、岩の壁に泥団子を投げ付けている様な心境に近い。

 

 しかも、試しも含んでいたとはいえ魔力で威力を上乗せした杖の一撃を指で受け止めたのだ。鋼もカチ割れると自負出来る渾身の一撃だった。

 過去の経験上、只の吸血鬼でも捉えられずに挽肉にしてやった事があったのに、それをああも簡単に見切ってしまう辺り、やはり噂の通り他の吸血鬼とは違うらしい。大昔の北欧で名の知られた怪物の名は伊達じゃないかと魅魔も取りあえず納得する。

 

 その一撃を受け止める程の筋力もさることながら、あの反射速度も侮れない。自分が先手を打った筈なのに、何故か後手に回っていたかの様な錯覚すら覚えてしまう程の速度で止められてしまうと、予知でもしていたかと疑ってしまう。

 魅魔は余裕を気取っている反面、内心では背筋にうすら寒いものを感じていた。

 

 だが、それと同時に“あの吸血鬼に目にモノ見せてやる”と意気込み、猛る自分を自覚せざるを得なかった

 

 

 

 

 自信過剰と言えるほどに自身を持つ魅魔だが、しかし彼女の歩んできた道は華やかな物では無く、常に泥と血にまみれた挑戦の連続だった。

 

 

 生前の記憶を殆ど忘れてしまって、幽霊になってようやっと自我を確立した頃、まだろくすっぽ力の無かった魅魔の体は極めて脆弱だった。それこそ凡夫な妖魔達が吹けば飛ぶような砂の様で、何時消滅させられてもおかしくはない程に。

 

 魅魔は、そんな虚ろな自己の存在が消滅しうる危うさを知り、幽霊になってから初めて恐怖という感情を生前の頃より思い出した。

 自己の消滅を素直に受け入れる者はいないだろう。魅魔だってそうだった。

 消えたくない。ただその一心で始めは右も左も分からない状態でもがき続けた。

 そして、魅魔は生き残る(幽霊にこの表現もおかしな話ではあるが)為に力を求め始めた。

 

 その状況を打開する為に、彷徨っている最中に知り得た魔法の知識を基に、幽霊でありながら魔法使いとしての道を選び、鍛錬を欠かさずあらゆる方法を試した。

 

 魔法については、何となく“過去に経験した事がある”様な既視感があるものの、それでも理解できないと言う気味の悪い感覚があった。もしかしたら、生前の記憶と関係するのかもしれないが、どんなに頭を捻っても思い出す事はなかったので実質ゼロからの習得であり、最初は初歩の魔法を使うのさえ酷く難儀した。

 

 

 最初はそれこそ文字通り自身の存在が懸かった命(魂?)がけだった。

 魔法の研究を続けていく最中で、「引き籠もってばかりじゃ解るワケが無い」と断じて魔界や地獄へフィールドワークに出かけ、経験と技術の練磨の為の実践と称して、色んな妖魔に喧嘩を売っては戦いに明け暮れる日々を過ごし、魔界でとある天使にぶつかり――返り討ちに遭って惨敗。霊体をズタズタに引き千切られた状態でも辛うじて生き延び、元の状態に安定するまで何度も消滅の危機に晒された。

 

 しかし何度酷い目に遭い、立ち止まったとしても、最終的に魅魔は更に前へ進もうと愚直なまでに走り続けた。

 泥にまみれ、ボロボロになった体で地べたを這いずり何度も挫折しそうになった時、何時も彼女の脳裏にはおぼろげに一人の“女性”の背中が見えていた。

 何時から見え始めたのだろうか、その“紅白の衣装を身に付けた黒髪の女性”は後ろ姿しかいつも見えないのに、何故か不思議と魅魔の心をかき乱す。

 それを見るたびに、魅魔本人ですら理解できない執念の炎が灯り、金剛石すら柔と思えるほどの恐るべき反骨精神が顔を出すのだ。

 

 

――……こんなものでは、だめだ……

 

 

 傷付き、至る所がほつれた霊体に力を込めて地面に指を喰い込ませ。

 

 

――あの女……○麗を、あいつを○○すには……

 

 

 どんな生者よりも力強く響かせているのは怨嗟の声の筈なのに。

 

 

――これではまだ、まだ足りないぃぃっ!………

 

 

 そして、魅魔は悪霊へと変じた。頭に浮かぶ博麗という名へ計りしれぬ執着心を抱いて。

 だが無意識の内に漏れ出す感情は、果たして憎しみだけだったのだろうか。

 最早、その真実を知る術は魅魔自身持ち得る事はなかった。

 

 

 更に幾多の歳月と修練の果てに、いつしか並ぶ者無き魔法の使い手とまで呼ばれる様になった今では、魔理沙や博麗靈夢達との邂逅によって徐々に悪霊としての怨念は無くなってはいるものの、魅魔はまだ見ぬ高みを目指す為に人知れず鍛錬を続けていた。ある人物の後ろ姿を脳裏に浮かべながら。

 これは、一緒に居る事の多い魔理沙や靈夢も知らない事だった。

 

 

 

 

 

 

 煙は未だ止む気配は無し。あれだけ派手に部屋を巻き込んで攻撃した事と、密室空間という環境が相まって、時間が経っても晴視界はれるどころかより悪くなっていた。

 この煙を目晦ましに、あの吸血鬼は絶対に仕掛けてくるだろう。魅魔の経験と勘がそう告げていた。それに、自分だったらそうする。

 

 油断なく身構えていたその矢先、煙の中から突き破る様に無数の影が飛び出してきたのを魅魔は見た。

 

 その正体は、大きさが人間の頭部程の蝙蝠だ。翼を広げれば、寄り大きく見える。

 飛び出して来た蝙蝠のその数は優に30を超える。目は赤く輝き、皆それぞれが違う色の怪しげな光を灯しながら宙を飛んでいる。口を閉じた状態でも其処からはみ出た鋭く大きな牙が見え隠れしており、その蝙蝠の異様さに滑車をかけていた。

 

 僅かな羽ばたきで風を切る程の速度を出す蝙蝠の群れが、各々が身に纏う光の尾を引きながら飛翔する。無造作に跳び回っていたそれらが一つの意思の基に統一された編隊飛行を組み、魅魔目掛けて殺到したのだ。

 

 魅魔が魔力の弾を放って迎撃に出る。幅の広い小さな壁の様な魔力の弾を面で以て連射した。

 更に弾速が早く、それでいて当てる事を主眼に放たれた魔力の弾は蝙蝠達の群れを徐々に削り落して全体の4割は撃ち落とす事に成功したが、残りの蝙蝠達は魔法の弾幕の中を網目の隙間を縫うように避けて突撃してくる。

 

(存外に動きの良い蝙蝠だな)

 

 軽く手を翳した魅魔の回りに赤・青・緑・紫と4色の光玉が現れ、高速で魅魔の周りを円を描くように回転し始めた。

 惑星の周囲を公転する衛星の様に回る光玉は、瞬時に魅魔の周囲に光る壁を作りだし、彼女を守るバリアの様に広がった。

 

 

 光玉が作りだすエネルギーの壁に最初の一匹がぶつかると、蝙蝠の肉体が弾け、中から膨大なエネルギーの塊が炸裂して大気を震わせる程の大爆発を起こした。

 正面からだけでは無い。背後上下に回り込み、あらゆる方角から蝙蝠達は突撃を仕掛けてきた。

 同様に他の蝙蝠達もその壁目がけて次々に特攻まがいの体当たりを仕掛け度重なる爆発で、部屋内の視界はその殆どが煙とエネルギーの炸裂光で覆われてしまった。

 一発一発が爆裂するたびに部屋の一部が瓦礫と化する程の破壊力だ。休む暇も無く連続して魅魔に殺到してその猛威を振るう光景は、まさに圧倒的な破壊エネルギーの込められた暴風雨だ。

 

 

 だが、激しい爆音と衝撃をまき散らしながらも、魅魔の障壁はそれを全て耐えきって見せた。

 蝙蝠達による強力な自爆攻撃をまともに受けた障壁は、罅も綻びも無く未だ健在だ。

 

 激しい閃光が止むと、光玉の結界に守られた魅魔が姿を現し、腕を組んだまま目を細めて神経を鋭く研ぎ澄ませるようにその場に佇んでいた。

 

 煙が徐々に晴れていく。蝙蝠達の自爆攻撃による余波で更に破壊された部屋は天井が照明機材ごと壊れ、パラパラと部品が落ちてきている。

 

 そして、さっきまで其処に居た筈の吸血鬼の姿が消えているのだ。

 おそらく蝙蝠を飛ばした時に紛れて体を霧か蝙蝠にでも変えて移動したのだろう。

 

 だが、姿は消えども気配までは魅魔の眼を欺く事は出来なかった。

 

(ふふ、いるいる。隠しても隠しきれない程のこの妖気。わざわざ隠れる必要など無いだろうに)

 

 魅魔が感じたのは身震いする程の強い妖気だった。

 初めて会った時とは比べ物にならない。これぞ紛う事無き西欧諸国のトップに君臨する種族の気配だった。

 しかし、強い妖魔程身を隠したがる傾向が多いのも事実だ。“それだけ知恵が働く”が故に、なのだろうが。

 

「……で、こそこそ隠れるのはお終いかい?」

 

 魅魔が視線を横にずらせば、いつの間にか件の吸血鬼の女が七色の翼を広げて宙に浮いていた。

 壊れた照明が火花を散らしながらチカチカと明減すると、それに照らされて彼女の背中の翼もステンドグラスの様に不規則な七色模様を映し出す。

 

「小手先だけじゃ勝てそうにないからね」

 

「正攻法でも勝てるかねぇ?」

 

 鼻で笑い、肩を竦ませた魅魔だが、次には目を鋭くとがらせ、杖を両の手で槍の様に構えた。

 彼女の回りを回転し続けている光玉も強く光が灯り出す。

 

「どうやら、私の同族と戦った事がある様だな。動きが“手慣れている”」

 

「魔界で“帰還組”の連中と、だがね。どいつもこいつも気の良い奴らだったよ」

 

 吸血鬼達の始祖は、遥か太古の時代に地上へやって来た魔族の末裔と言われている。

 そして、そんな彼らの中で極めて長い歳月を生き延びた内の僅かな者達は、魔界へと旅立つ事がある。

 地上での暮らしに飽きた者、一種の帰巣本能が働いた者等事情は様々だが、ほぼ共通している事がある。

 魔界へ戻ってきた者達、その大半が今地上で吸血鬼伝説ともてはやされる前から人間社会の裏で強(したた)かに生き、時には種族の本能に駆られて闘争の中を生き抜いた古兵(ふるつわもの)達ばかり、それ故に大なり小なり強大な者達が大半を占めているのだ。

 現代の地上の先進国並みに知的な文明社会を築いているとはいえ、魔窟である事に変わりの無い魔界の中でも彼らの実力は上位に食い込んでいた。

 ただ違うのは、粗野なゴロツキの様に辺り構わず暴れ散らす様なマネはせずに魔界社会のルールに従って大人しく暮らしている所だろうか。

 

 魅魔は彼らが吸血鬼と呼ばれる前の時代に、腕試しの一環として戦いを挑んだ事があった。

 怖いもの知らずで最初に挑んだ時は、ダンスの稽古でも受けていたかのように容易くあしらわれ、まるでお話にならないと言わんばかりに全く相手にされなかった。それほどまでに隔絶とした力量差が彼らと魅魔の間にはあったのだ。

 今なら手こずりはするが、勝てない相手では無くなった。それでも油断は出来ないが。

 

 夜の貴族、不死なる者、血を啜る暴君。

 数多の名で呼ばれてきたあの怪物どもの中でも、更に突き抜けた奴がいると実(まこと)しやかに囁かれていた時は只の与太話と切って捨てていた。

 

 しかしそれが、実在した。目の前の彼女がそれなのだ。

 当時の彼女を知る古い妖魔にその名を口にすれば、それだけで発狂し、身を掻き毟りながら部屋の隅で涙を流して許しを請い続ける物狂いへと変えてしまう程とは、如何程の力を持つのだろうか。初対面の時よりも更に強まる興味心が魅魔の中でふつふつと沸き上がる。

 

「一つだけ訊きたい」

 

 サテンが突然問い掛け、臨戦態勢を取っていた魅魔は出鼻をくじかれて少しだけ不機嫌そうに顔を顰めたが、彼女の問いに少し興味を持った。

 

「何だよ、言ってみな」

 

「君が今まで会って来た吸血鬼の中で、私の様な翼を持った者はいたのか?」

 

 いやに真剣に問い掛けるサテンの言葉に、魅魔はその問いの意図を測りかね、ちらりと彼女の翼を見た。

 鉱物にも似た輝く翼膜はステンドグラスの様で、それを支える翼の骨格は歪に折れ曲がった枝にも見える。

 つくづく変わった見てくれをしていると魅魔は思う。吸血鬼はおろか、他の悪魔や妖魔達ですらあそこまで奇妙な形の翼を持った者はいまい。

 

 

「いや、ない。そんな翼を持った奴なんて、あんた位だろうさ。地元じゃさぞかし人気者だっただろうね」

 

 

 言外に皮肉を口にした魅魔にサテンは、表情を変えずに「そうか」とだけ短く答えると、体から膨大な妖気と共に大量の蝙蝠達がマグマの様に噴き出して、彼女を護衛するように周りを飛びはじめた。

 その数は先程の比では無かった。サテンの周囲を取り巻くだけに留まらず、天井一面にまで広がるその数はもう数えきれない。

 大量の蝙蝠と、その蝙蝠達一匹一匹の体から灯る光でボロボロの部屋の中が怪しく照らされていた。

 

 その中心に、あの吸血鬼がいる。

 全ての蝙蝠達を統率し、静かに佇むサテンの体から放たれる妖気の圧力は未だ止まる事を知らない。

 そして彼女の放つ妖気はあらゆる色が混じり合い、虹の様な色彩を作りだしていた。彼の吸血鬼が噂通り大昔北欧で呼ばれていた名前からすれば成程と納得出来てしまう。これこそが過去に“虹色”と呼ばれていた吸血鬼の放つ妖気なのだ。

 

 近くでそれを感じている魅魔も自身の放つ魔力でそれに抗っているが、己の幽体を刺すような強烈な力を感じて久方ぶりに震えるほどの怖気が走り、ジワリと汗が滴った。

 

 力の無い者ならば逃げる事すら忘れ、今すぐにでもその場に平伏して、訳も分からず命乞いをしてしまいたくなる様なプレッシャーだ。

 吹き荒れる妖気の奔流は、ハリケーンを小規模にしつつ威力をそのままにしたかのようなものだ。その激しさが既に一種の防御層を作り上げている程の濃密さ。

 部屋中に散らばった部屋の残骸達が妖気の暴風によってゴミの様に舞い上がり、天井や壁にぶつかり更なる被害を部屋に与えていた。

 

 一瞬、この場に自分達以外にも人間の娘が二人いる事を思い出したが、魅魔はそこまで気を配ってやれるほどの余裕が無い。目の前の化生の一挙手一投足を見逃すまいと神経を尖らせるのに精一杯だった。

 

 まるで自然災害を相手にしているかの如き様相だった。

 腰まで伸びた緑色の長髪や服は妖気に煽られて激しくたなびく。オ―レリーズの結界が無ければ、眼を開けているのも一苦労だったのかもしれない。

 

「……ははっ」

 

 しかし、魅魔は笑っていた。自暴自棄になったわけではない。恐怖を自覚しながら、それ以上の勇(いさ)む気持ちに満ちた笑みだったのだ。

 

 彼女は今この瞬間、確かな高揚感が胸の内から溢れていた。

 強者であると自負してきた自分が、挑戦者であり続けられる。それを知れた事が嬉しかったのかもしれない。 

 遥かなる頂から地を見下ろすよりも、上を見続けて昇り続けていく事こそを彼女は美徳としていたが故の感性だった。

 

 あちらさんはもう攻撃態勢が整った様だ。

 魅魔は自分の回りで結界を張りながら回り続ける光玉――オ―レリーズを維持させたままサテンと蝙蝠達を注視する。

 

 全ての蝙蝠達が揃った所でサテンが口を開いた。 

 

「どうやら、その結界はえらく硬い様だ。なら、徹底的に火力で攻め落とすしかない」

 

 サテンの口にしたある言葉に魅魔がピクリと反応した。

 濁流に流しこまれる様な妖気とプレッシャーに耐えながらも、臆するどころか静かな気迫を滲ませながら突然無表情へと変わった。

 

「……面白い事を言う。私に対して、火力押しか」

 

 その問いに、サテンは攻撃で以て示した。

 中空で待機していた一部の蝙蝠達が編隊を組み、風の音すら追い越す速度で魅魔に襲いかかった。

 巨大なパイプから膨大な水量が一気に流れ込んで来るような、指向性を持った凄まじく勢いのある突撃体制。激流という名が相応しいだろう。

 

「寝言を垂れるんじゃない! そんな“花火”で私を墜とせると思ってるのか!?」

 

 魅魔はオ―レリーズの結界の守りだけに頼らずその場から飛び上がり、自ら迎撃に打って出た。

 幽霊という言葉からは想像もつかない程の速度で飛び回り、自身の周りを回転するオ―レリーズが自動で強大なレーザーを機関銃の如き連射力で全方位へと放つ。

 オ―レリーズが蝙蝠達の軌道を正確に読み取り、一発一発が確実に蝙蝠達の編隊を崩して行く。

 蝙蝠達だけでは無い、オ―レリーズのレーザー放射の標的にはサテンも含まれている。

 

 しかし迫る光線がサテンは着弾する前に、彼女の発する妖気の激流に飲まれて霧散してしまった。 

 元より牽制で放ったものなので大して期待はしていなかったが、ただ息を吸うように妖気を垂れ流しているだけで消されてしまった事に魅魔はカチンと来た。

 

(私の魔法はあいつの呼吸以下かいこん畜生)

 

 一部の強力な妖魔の中には呼吸一つ、雄叫び一つが攻撃現象となる輩もいるのだが、何だかコケにされた様な気がして腹立たしくなる。

 しかし向こうも状況は此方と同じだ。サテンが放った蝙蝠の大群の殆どはオ―レリーズによるレーザー弾幕の餌食となって消し飛び、辛うじて近づけてもそのオ―レリーズ自体が形成した結界によって懐への侵入を許さない。

 

 瞬きしている間に蜂の巣どころか焦げかすしか残しちゃくれないだろうレーザーの連続攻撃で、蝙蝠達の数も大分数を減らして来た。

 とはいえ、あれしきの数で打ち止めなどという事はないだろう。過去の経験で、吸血鬼はほぼ無尽蔵に蝙蝠を生み出せる事が分かっている。故にエネルギー切れなど考慮していない。蝙蝠達を仮に全滅させた所で、再び充填を始めてくるだろう。

 

 

 こうなれば細々と攻撃するのはやめだ。埒が明かない。

 

 魅魔は迎撃する最中で更に6つの光玉を出現させると、自身の周囲をサークル状に配置してそれらに魔力を流し込む。

 長い年月によって膨大な量の魔力を練り上げる事を可能とした魅魔の力が注ぎ込まれ、光玉が青い電流を迸らせていく。

 荒れ狂う魔力の流れを、針穴を通す様に繊細なコントロールで素早く練り上げる。

 一歩間違えれば自爆するような危険性をはらんだこの魔法だが、魅魔の技量はそれをいとも容易くこなしてみせる。

 

 未だこの場で見せなかった程の魔力の激流がこの辺り一帯を激しく揺らし始めた。

 

「おい人間ども!」

 

 魅魔は声を張り上げて、自分達を観測している人間の娘二人に声をかける。爆音響くこの空間で、ちゃんと聞こえているのかは分からない。蝙蝠達との攻防で生じる爆発と吹き飛ぶがれきや煙で、彼女達の姿は目視出来ない。

 

「死にたくなかったら逃げな! じゃなきゃ後は知らん!」

 

 返事は来ないが、何かが動く気配がした。おそらく彼女達だろう。

 一応、この戦いで勝てばプレゼントが貰える約束を取り付けているので、彼女達自身に何かあったら此方が困るが故の忠告だ。

 

 そのやり取りの間に光玉は電流と共に直視できない程の激しい光を放ち、臨界寸前のエネルギーの塊の如き様相を呈していた。

 

 

 蝙蝠の群れを突撃させていたサテンも異様な様子に何か感付き、右手の握りこぶしを軽く前に出して掌が上になる様に翳した。

 魅魔の魔力にも負けない程の妖気を込めた拳の中から虹色の鮮やかな怪の光が輝きを放ち出す。

 

 

 指の隙間から毒々しい光を漏らしていたサテンの右手が開くと、そこには一匹の蝙蝠がいた。

 他の蝙蝠とは違い、こちらはサテンの掌に収まる程度の小さなものだ。

 だがその身体は七色に光るエネルギーで形成されており、内包された妖気の量は、感じる者がそれを見れば逃げたくなるほどに充満させていた。

 まだ形成され切っておらず、蝙蝠の所々の部位がまだ出来ていないのは幸いと思うべきなのか、それともこれからまだ妖気が込められて行く事を考えると不幸と思うべきか。

 

 

 魅魔もそれを見て、理解して、霊体である自分の体が逆立った。。

 あれの直撃は不味い。今の状態であれだ、完成した時はどうなるか。

 当たったらどうなるかなど、考えたくは無いし、そんな事を考える暇があるのならば奴に思考を働かせろ。

 

 ならばどうする?

 簡単な話だ。先手必勝、奴のあれよりも早くこの魔法を叩き込む。それこそが勝利への最短コース。

 拙速では足りない、ましてや巧遅なぞ持っての他。

 ならばそう、“巧速”だ、ぶちかましてやる。

 

 攻撃態勢が先に整ったのは魅魔。両手に持ち替えた杖を天に掲げる様に構ると、相手に攻撃の機会を与えてやる気など毛頭なく、即座に魔法を発動させた。

 光玉から放たれる激しい魔力による放電現象が、突然ピタリと止まる。

 不発ではない。これこそまさしく嵐の前の静けさという言葉を体現とした事象だった。

 

 この現象には今まで無表情を保っていたサテンが苦虫を噛みしめた顔をした。

 完成まで間に合わないと形成しきっていない蝙蝠を飛ばすが、もう遅い。

 

 

 次の瞬間、魅魔とその周囲に浮かぶ光玉を中心に溜めこんだ魔力が破壊エネルギーへと変換され、周囲へ圧倒的な威力で以て解き放たれた。

 

 そのエネルギーにサテンの飛ばした蝙蝠が接触、魅魔の放った魔法にも負けない程のパワーを秘められた妖気が大爆発を引き起こし、魅魔の魔法と拮抗状態を作った。

 

 膨大なエネルギー同士の衝突で辺りの視界はとてつもない光で照らされ、互いのいる場所は既に部屋の体を成しておらず、天井や壁は吹き飛んで吹きさらし状態になってしまっていた。

 

「うぉ!? ぬ、ぐ……!」

 

 魅魔は両手に相手の威力に押し負けないよう魔力を込め続けながら、サテンが放った蝙蝠の爆発力に抗った。

 予想通り、いやそれ以上の威力に魅魔の持つ杖が激しくぶれ、周囲に展開していた光玉が軋みを上げ、とうとう亀裂が走り始めて来た。

 

 しかし、それがどうした。私の魔法は、そんな半端な技に負けてやるほど甘っちょろくはいないんだよ!

 ここにきて魅魔は魔力を流し込む事で、魔法が更なる威力を弾き出してサテンの攻撃を完全に押し返した。

 

 激しい魔力の光で完全には見えないが、向こう側にいるサテンの口元が驚愕で開かれていたのを魅魔は身落とさなかった。

 僅かに口を開けたサテンだが、腕を十字に交差してわが身を守る様に防御体制へと移る。

 

 そして魅魔の魔法が蝙蝠の爆発エネルギーを撒き込みながら彼女の体を飲み込んだ。

 凄まじき破壊エネルギー。それらの前では多くのものは、大津波に飲み込まれる小さな砂の城に等しかった。

 

 ドーム状に広がって行ったそれだが、内包された力に耐えきれず、まるで卵の殻を突き破る様に極大の光の柱となって天高く伸びて行く。 

 光は雲を突き抜け、遥か空の彼方まで飛んで一際強く輝いたのを最後に消えてしまった。

 

 後に残ったのは瓦礫すら残さず吹き飛んで、肌蹴た地面が露出した“部屋だった”場所。上を見上げれば光射す鮮やかな青空、視界には緑豊かな森と山の景色がほぼ7割を占めている。

 

 魅魔達が戦っていた場所は先程の力の衝突の余波で吹き飛んで、無くなってしまったのだ。

 とはいえ遺跡――もとい船自体はまだ残っている。その船体の3~4割を破壊されて失ってしまったが。

 

 

 サテンの姿は見えない。

 先の魔法で吹き飛んだか、などという可能性が頭に浮かぶが、魅魔はそれで勝ったなどとは思わなかった。

 勝利の匂いを漂わせたときこそが最大の敗因に繋がりかねないのだ。念には念を入れても罰は当たるまい。

 

 密かに探知魔法を展開、範囲を広げてサテンの気配を探った。

 

 地面に倒れては……いない。

 

 森や瓦礫の中に隠れたわけでも……ない。

 

 ならば空に…………いた。

 

 

 気配を辿って見上げた先の、上空には一つの影。

 身に付けていた帽子とサングラスは無く、陽光の日差しがさんさんと降り注ぐ空の下で彼女の素顔が晒されている。

 

 冷たく吹く秋風にたなびく薄黄色の髪。

 日差しが当たる事でよりハッキリと分かる程に病的な白い肌。

 此方を見据える、鋭く細められた緋色の瞳。

 それら全てを内包したその顔は、無愛想な表情をしていてさえ異性を無条件で虜にする魔性の美貌に輝いていた。

 

 北欧神話よりも遥か昔の時代から生きて来た妖魔“虹色”。今は吸血鬼サテン・カーリーと名乗っている者が、其処に居る。

 

 だが、吸血鬼を名乗る者ならば本来この“時間帯”に“あんな場所”に居てはならない。

 

 彼女はあろうことか。そう、あろうことか!

 

 吸血鬼であるにもかかわらず、太陽の光を浴びても何の影響を受けていない! 肉の爛れ一つ、灰の一欠片すら出ていないのだ!

 魔界に住みつく帰還組の吸血鬼でさえ成し遂げられなかった事。

 それは太陽を克服する事、打ち勝つ事だ。

 

 それを成せたのならば、とても恐ろしい事だ。悪夢という言葉が現実にあるのならば、まさしくこの状況こそがそれだ。吸血鬼の恐ろしさを知る人間が聞けば、残りの余生が全て地獄に思えてしまう程の絶望を感じてしまうであろう。

 吸血鬼が太陽を克服するというのは、それほどの意味を持つのだ。

 

(あの吸血鬼、まさか効いていないのか?)

 

 帽子とサングラスを失い、はためくコートの端は破れているが、肉体自体にはいささかの損傷も見当たらない。今、サテン・カーリーはあの暴力的なエネルギーの渦に呑まれても尚無傷なのだ。

 

 何らかの手段を講じて避けていたのか? まさか地力が違いすぎるだなんて言うのは無しにしたい。

 

 

 こちらも魔力を費やしたとはいえまだまだ余裕の範囲内、このまま戦いを継続する事は可能だ。だが、闇雲に力押しで倒すのにはあの吸血鬼は一筋縄ではいかなさそうだと先程の一戦で魅魔は判断した。

 

 

 当のサテンに動きがあった。

 何て事は無い、手袋をはめた人差し指でちょいちょいと招く仕草をしたのだ。

 

 

――掛かってこい――

 

 

 そう彼女がそう言っている様に聞こえた。要は挑発しているのだ、あの女吸血鬼が!

 

(あ、あんの蝙蝠女ぁ。コケにしてくれやがる

 

 魅魔は口元を引き攣らせ、細めた眼のすぐ横のこめかみに血管がミキリと浮かび上がった。

 彼女は相手をコケにする事は結構好きだが、自分がコケにされると倍にして仕返しをする様な、負けん気の強い性質の女だ。

 

 そんな彼女がこのままでいるかと問われれば、否と答えよう。

 

 ならばどうする?

 

 答えは至ってシンプルだ。何て事は無い。

 

 我が魔導を以て、平伏させてやるだけの事よ。

 

「――吼え面かかせてやる!」

 

 此処に来て、魅魔が生来持っていたと思われる反骨心が大爆発した。

 

 それに呼応するように、突如彼女の背中から背中から翼が飛び出した。

 悪魔の持つ蝙蝠の様な形の、しかし濡れ鴉の様に艶のある羽毛を生やした大きな翼だ。

 

 再び魔力を噴き出し、秋風とは違う風の流れを生み出しながら浮かぶその姿は異様であった。

 既にただの悪霊等と一言で片づけるには、彼女の有様はあまりにも異質過ぎた。

 霊魂となって幾星霜の時を刻み続けてきた彼女身に付けてきた魔法が彼女をそうさせたのだろうか。

 

 翼を大きく羽ばたかせ、魅魔はサテンの待つ空へと駆け出した。

 室内を飛び回った時の速度よりも更に早く、さながら疾風の様に飛んでいく。

 

(行くぜ吸血鬼、そのすかした態度を崩してやる)

 

 魔法使いと吸血鬼の戦いは、大空へと場所を変えた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 先程まで二人が戦っていた場所は惨憺たる状態であった。

 人工的かつ清潔感のあった部屋は見る影もなく破壊されて残骸と化し、壁と天井はきれいさっぱり吹き飛ばされて部屋としての体を成して居なしていないのだ。

 

 そんな中、瓦礫の影から姿を露わす影が二つ。

 この部屋で繰り広げられていた神秘なる戦いを観測していた人間にして学者の少女、ちゆりだ。

 魅魔とサテンが空へ飛んで行ったタイミングを見計らって姿を現したのだ。

 

「畜生、あいつら無茶苦茶やりがる。何て事するんだよ。本当に、何て事……あぁ」

 

 砕けた壁面に手をかけ、埃と破けでボロボロになった服を気にすることなく廃墟と化した元部屋を見回した。

 元々此処は魔法使い達を連れて来た時に、攻撃性の強い魔法を使われても耐えられるように想定して取り分け装甲板を厚く設計した場所なのだ。

 

 それがどうだ、この有様は。魔法使いと吸血鬼のたった二人にここまでしてやられてしまったのだ。今この船は傍から見れば、まるで脇腹を食い破られた魚の様な有様であった。

 何てパワーだ、無茶苦茶過ぎる。これでは重火器の塊が辺り構わず火力をぶちまけている様ではないか。

 

 携帯端末を操作してこの“可能性空間移動船”の損傷確認をした時、ちゆりはとりあえず安堵した。

 見た目こそ派手に壊されはしたが、幸い此処の部屋は他のブロックから極力独立させている為船全体からしてみれば、壊滅的な損害とまではいっていないのだ。

 とは言え、流石に此処まで壊されてしまっては修理をしないと船を動かすのは危険だ。

 

 

 もっと穏便に事が済むかと思っていた予想が大きく外れ、こちらも大きな被害を被ってしまった。しかもそれは現在進行形だ。

 

 ちゆりは付近に人の眼が無い事を確認するとセーラー服をそっとめくり、自分の腹部を見下ろした。

 その柔らかなる女体の下腹部近くに、血の様な色で簡略的な魔法陣が浮かび上がっている。

 これに気付いたのは先の戦闘の際に吹き飛ばされた時、床を転がって偶然めくれた腹を見た時だ。

 指で擦っても消える気配は無い。まるで刺青の様にちゆりの体に付いてしまっている。

 

 原因はちゆりも分かっている。彼女のご主人様である夢美が、迂闊にも吸血鬼の提示した悪魔の契約書にホイホイとサインをしてしまったせいでこうなってしまったのだ。おそらく夢美にも同じモノが浮かび上がっているだろう。

 

 

 悪魔の契約書によってこの模様は浮かび上がったのだ。

 契約された当初はその事実に頭が真っ白になってしまったが、もし契約を違えてしまった時は何が起るのだろう。

 その場所が下腹部である。その意味する所をちょっと想像しただけでちゆりは悪夢の様な可能性を思い付いてしまった。

 

(もしかして、約束を破った時は怪物が腹を食い破って出てくるんじゃ……)

 

 これもまたいつぞや見た映画の影響が多分に含まれているのだが、契約した相手は悪魔――吸血鬼だ。ちゆりにとっては否定は出来ない事だった。

 ちゆりは青褪めた顔で歯をカチカチと鳴らし、実はとんでもない状況下におかれているんじゃなかろうかと下腹部を両手で押さえながら、絶望のどん底に落とされた様な気分に陥った。

 

 未地の世界で体内に爆弾(?)を埋め込まれ、船はボロボロ。ちゆりは無性に泣きたくなってしまい、目からぼろぼろと涙をこぼし鼻をすすり出した。

 

(……そうだ。船が壊れたのは仕方が無いとして、悪魔と契約なんてしたのはご主人様の所為じゃないか!)

 

 自分の散々な状況を顧みて、ある意味事の発端たる夢美に対して心底罵倒してやりたい衝動に駆られてちゆりだが、そこではっと気がついた。

 その肝心の夢美はどこにもいない。さっきまで一緒に居た筈なのに。

 

 ちゆりは慌てて夢美の名を叫んだ。 

 何度も繰り返して呼ぶが、返事が返って来ない。

 

 まさか、あの戦いの余波に巻き込まれて瓦礫に押しつぶされたのか?

 

 そ、そんなの嫌だ! ご主人様、私を一人にしないで!

 

 焦燥感が募りに募って、ちゆりの思考が混乱の極みに達しかけたその時だった。

 

「…………ぃ」

 

「う゛え゛?」

 

 まるで親とはぐれ、泣きじゃくった幼子の様に涙でぬれた顔に不安げな表情を浮かべていたちゆりは、突如足元がもぞもぞ動いている事に気がついた。

 

 慌ててその場から離れると、足元の瓦礫が勢いよくせり上がってきた。

 

「重いって、言ってんでしょーがぁぁ―!!」

 

 瓦礫の下からはい出て来たのは夢美だった。

 大して筋肉の無い、女の細身の何処から出てくるのかと言わんばかりの膂力を発揮して、自分と同じくらいの大きさの瓦礫を押し退けたのだ。

 今のは渾身の力を振り絞ったのだろう。瓦礫を除かした夢美はその場で両膝に手を置いて呼吸を荒げていた。服はちゆりと同様ボロボロで、髪もぼさぼさの有様だ。

 夢美が現れた事に、ちゆりは慌てて駆け寄った。

 

「ご主人様、無事だったのか!」

 

「に、人間の英知は不滅よ!」

 

 言っている意味は分からないが、取りあえず無事そうなのでちゆりは安堵した。

 

 夢美が瓦礫と化した部屋の中を見回し、空を見上げた所で再び口を開いた。

 

「ちゆり、現状報告をお願い」

 

「あいつら此処で暴れるだけじゃ飽き足らず、空へ飛んで行っちまったよ……おかげで資材も船内もめちゃくちゃだよ」

 

 肩を落としながら伝えるちゆりの内容を聞きながら、息が整ってきた夢美がゆらりと蒼い空を見上げた。

 その視線の先には、もう誰もいない。

 

「……どうやら戦う場所を空に移したみたいね。ちゆり、観測用のポッドをありったけ用意して飛ばしてちょうだい」

 

「えぇ! まだ続けるのかよ!? もう止そうぜ、これ以上首突っ込んだら悪魔の契約書だけじゃすまなくなっちまうぞ!」

 

 まだ観測を続ける夢美にちゆりは仰天して説得にかかるが、彼女の意思は尚も硬かった。

 

「これから起こる事象の全てを記録するのよ。……それにねちゆり、今あそこでは、私達の世界では決して見れなかった世界が広がっているのよ」

 

 たかが船の一部が吹き飛び、悪魔の契約で体に何か仕組まれた所で今更足踏みなどするものか。車と学者は急には止まれないのだ。

 

 これこそが岡崎夢美が追い求めていたもの、恋焦がれて止まなかったもの、そして彼女が夢見てきたものなのだ。それを目の前にして沸き上がる歓喜を前にすればこの程度、夢美にとっては安いリスクに過ぎなかった。

 

 

 夢美は静かに深呼吸を行い、目をつぶったした。

 今、私は間違いなく幸福の只中に居る。自分について来てくれたちゆりには悪いとは思うが、この魔法に囲まれた世界を体感して沸き上がる感情を、どうして押さえ切れようか。

 幼い頃から、魔法が存在すればと思っていた。そして成長するにつれ、決して空想の産物ではない事が独自の理論で実証出来始めた時は、淡い願いから渇望へと姿を変えた。

 

(……学会を追いだされた事は腹立たしいけど、かえって身軽になって良かったわね)

 

 夢美は口元に小さく笑みを作ると、船内へ通じる道へ向けて踵(きびす)を返した。

 

「修理用のドローンも使えるのが残っていたら準備しておいて。それが済んだらこの場は貴女に任せるわ。私は部屋に戻って用意して来るから」

 

「部屋?……おいご主人様、まさか!?」

 

 ちゆりは理解してしまった。彼女がこれから何をしようというのか。

 夢美は戦おうとしているのだ。あの魔法使いか吸血鬼か、そのいずれかと。

 

「ふふ、どんなに優れた情報も事象も、観測だけでは分からない事がたくさんあるわ。――そう、最後は“この身で実感”しなくちゃ、ね。大丈夫、まだ“契約書”のルールに抵触していないわ」

 

「……結局こうなっちまうのかよ」

 

 帽子を脱ぎ、肩を落とすちゆりに苦笑して、夢美が彼女の肩を軽く叩いた。

 

「まだ怖いのなら貴女はこのまま船内に戻って観測に徹していなさいな、彼女達とのやり取りは私がやるから」

 

 元々勢いに任せて訳も分からず引き摺りこんだという所もあるため、夢美もこれ以上ちゆりをどうこう責めはしなかった。

 後は発端者である自分がうまく纏めれば良いか。そう考えていた矢先にちゆりが腕で顔をぬぐい、帽子をきつく被り直した。

 

「ああもうっ! 分かった、分かったよ! やるよ、やってやろうじゃねえか! 魔法使いと吸血鬼が何だってんだ! こちとら人間様なんだよっ!」

 

 腹を括ったのちゆりを見て、夢美は知らずハハッと笑った。

 

「そうそう、その意気よ。そう言うのが大事なの。――――気張りなさいなちゆり、そうやって踏み出した数だけ私達(人間)は此処まで来たのだから」

 

 これから行うのは自身が開発した技術と、向こう側の魔法の対決。

 恐らく自分の作った“紛い物”では本物には及ぶまい。

 だが、その果てに何か掴めるのならば、敢えてその暴挙に挑もうではないか。

 

 無人の荒野を突き進み、見果てぬ開拓地を見つけるのは、いつの世だって先駆者の仕事なのだから。

 

 今、岡崎夢美は真の意味で魔法という存在に戦いを挑まんとしていた。




――――――――――――――――――――――――――――――
◆後書き

今作初の戦闘回でした。

しつこくなってやしないかと思いながら書きました。

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