東方外伝記 the another scarlet   作:そよ風ミキサー

8 / 10
前書き

非ログインユーザーからの感想も受け付けるように設定をしました。(というより、設定変更を初めて知りました。

拙作を読んで思う事がありましたらご感想ください。
――――――――――――――――――――


第8話

「サテンちゃん、これ何だか分かる?」

 

 からりと乾いた晴れやかなある日の午前。

 蒼く広がる空の下、小屋の玄関で作業をしていたサテンにくるみは手に持っていたチラシを見せた。

 問われたサテンはと言うと、数日ぶりに天気が良くなったので、これを機に何時も愛用しているアタッシュケースから中身を全て取り出して、アタッシュケースの蝶番の緩みや革生地に破れが無いか点検をしていた。

 サテンは作業を中断してくるみが持って来たチラシを受け取ると、それにはこう書かれていた。

 

 

【古(いにしえ)の遺跡、夢幻遺跡。本日10時開店。この遺跡に訪れた方には、あなたを幸せにする何かをプレゼントします。皆さんのご来店を心よりお待ちしております】

 

 

 御丁重に地図と遺跡の写真までプリントされており、しかも場所は博麗神社のすぐ隣ときている。博麗の巫女がそれを看過するものなのだろうかと言う疑問が浮かんだ。

 

 

「何処で見つけたの?」

 

「洗濯物を干していた時に拾ったのよ。湖の回りにも何枚か撒かれてたわ。いやだわ沢山あって、あとで掃除しなくちゃいけないのは私なのに」

 

 周囲に設置した罠は、ゴミ掃除までしてくれる様な設計はされていないので、自ずとその場を管理しているくるみが掃除する事となる。そんな面倒な未来を想像してくるみがブチブチと愚痴っていた。

 

 チラシの内容から考えてみるに、ご来店と書いてあるから実は遺跡という名前の雑貨店か何かなのかと思えて来たが、サービス内容や取扱商品が何処にも書かれていないのでそれすら分からない。

 故に、サテンは結論からしてこのチラシから怪しさを感じた。少なくともまともな店ではあるまい。どこぞの妖怪達が企てた悪戯と言われた方が納得がいく。

 魔法使いが自分の開いた店の広告を出す時だって、もっと詳細を書いているのだ。なのにこれはないだろう。

 緋色の目でサングラス越しにチラシを見ていたサテンは、開店時間と言う文字が目にとまり、何となく自分の腕時計を見て確認した。今は9時50分前、今から飛んで行けば余裕で間に合う。一体、何があるのだろう。

 

 サテンは今日のスケジュールを確認する。まあ、今日“も”予定は無い。何時も通り、行き当たりばったりの気の向くまま過ごすのが予定と言えば予定である。

 ちょっとばかし知的好奇心を満たすために暇な時間を潰すのも悪くは無い。一々面倒臭い等と言って怠惰心を持ってしまったら、旅なんてやっていられない。

 空っぽな予定を確認したサテンはよしっとアタッシュケースを片づけ始めた。それを見たくるみが、目を丸くする。

 

 

「そのお店に行くの?」

 

「散歩がてらに冷やかしてみるつもりだけど、何か良い物でもあったら買って来ようかと思ってる。要望があるなら聞くよ」

 

 もっとも、其処が雑貨店の類ならばと言う前提がある事を付け加えるサテン。

 それに、怪しいからと言って放っておくには例の遺跡なる場所は、この湖から近過ぎた。何せその隣にある博麗神社の裏側にこの湖はあるのだから、何か問題があった場合は……そのお隣さんの博麗の巫女が何とかしてくれるのを期待しても良いのだろうか? なんて他力本願な事をサテンはぼんやりと考えながら、外に出していた荷物の数々をアタッシュケースの中へとしまってくるみからの返事を待った。

 

 ちなみにくるみはこの場で留守番と言う名の湖の管理だ。此処最近サテンが来てから湖の外へ出る事が多くなってしまった事が原因で、先日幽香にその件で釘を刺されてしまったのだ。

 

「んーとそれじゃあ……甘いお菓子とか可愛い小物とかあったらその、良いかしら?」

 

 返ってきた内容は予想通りと言うべきか、女の子らしいリクエストだった。サテンは分かった、と頷くと、片づけたアタッシュケースをくるみに預けて七色に輝く翼を広げた。羽ばたいてもいないのに、その身体は重力の枷から外れた様に空へと舞い上がった。

 

 

「そう暗くならない内に戻るよ」

 

「うん、いってらっしゃーい」

 

 

 元気よく笑顔で手を振るくるみへ、サテンも軽く手を挙げて返事をする。

 

 くるみを見るサテンの脳裏には、つい数日前に彼女から伝えられた言葉が思い返された。

 見返りを求めて彼女の面倒を見たわけではないのに、昨日その件で改めてくるみから礼を言われたサテンは口元をヘニャッと歪めて帽子を眼深に被り直した。それを見た彼女は何がおかしいのか、腹を抱えて笑っていたのが今でも鮮明に記憶に残っている。

 

 口元を微かに釣り上げて笑みを作るサテンだが、それと同時にある疑問を抱いた。ならば私は、誰に感謝すれば良いのだろう。

 この身を育んだ大地と大空にか。それとも幼い頃より喰らい、血肉の糧となっていった人妖神魔の者達へか。

 

 微笑みから一転して、サテンは仏調面を作って飛翔する速度を上昇。目的地のある博麗神社の方角へと加速した。

 翼で風を切りながら空をかけるサテンが通った森の木々が、その衝撃で軋みを上げながらもげそうな位大きく揺れていた。

 

 

 

 

 目的地の場所まではそう時間を要する事は無かった。何せ湖のほぼ裏側、文字通りひとっ飛びすれば辿りつける距離だ。

 そこでサテンは飛んでいく最中、此処から離れた所彼処(ところかしこ)で複数の者達が戦う気配を感じた。また暇を持て余した妖怪達が喧嘩でも始めたのだろうか。いつぞやの戦車騒動からそこそこ日が経って、また退屈し始めたのかもしれない。

 

 目的地上空に到着したサテンが最初に眼にしたものは、博麗神社の横に建つ不可解な巨大構造物。これが“遺跡”なのだろうと懐にしまっていたチラシと見比べる。間違いはなさそうだ。

 しかし、何故か博麗の巫女が見当たらない。自宅(?)の隣だと言うのに。それとも既に動いているのか? だが、それなら此処から離れる理由は無かろう。

 

 遺跡全体は何とも奇怪な形をしていた。

 艶の無い金属なのか、それとも粘土なのか分からない不可思議な材質で構成された全体は流線形のデザイン。その形は何処となく船の様にも見える。

 

 “遺跡”の傍に降り立ったサテンは辺りを見回す。

 一応、遺跡の入口らしき個所を見つけた。全体を一周して行く内に、一か所だけ両開きドアの様な溝があったので、そこが入り口なのだろう。その前には立て看板が用意されていた。

 

 

【夢幻遺跡内、定員1名まで。それ以上は認められません。規定人数以上が入場された場合、この時空での遺跡の存在は保証されていません】

 

 

 あれだけチラシをばら撒いておいて、一人しか入れないとは。

 これは悪戯などでは無く、何者かの意図によって仕組まれた罠のように感じられた。まあ、罠と言うにはかなりお粗末であからさま過ぎるのだが、サテンは其処から先の思考を切り捨てた。

 

 だが、そこでサテンはこの場の状況に合点がいった。

 今この場に居るのは何故かサテン只一人、他には人っ子一人見当たらないのだ。すでに開店時間は過ぎていると言うのに。

 恐らく先に来た者達は、先の看板を読んで我こそはとお互いドンパチをおっ始め、この“遺跡”へ入る資格を手に入れようとでも思っているのだろう。であれば、先の闘志に満ちた気配について説明がつく。暇で力が有り余っている様な輩が跋扈しているこの隠れ里、会話で平和的に解決などするよりも、にっこり笑ってど突き合う方が都合が良いのだろう。サテンも此処に来てからそれがようやく分かったような気がした。

 

 餌に釣られて来た連中をふるいにかけて、果たしてこれを仕掛けた者は何が御望みかな? サテンは自分もそれの中に含まれている事を自覚し、鼻で笑いながら遺跡に近づいて表面に手を置き、目を細めた。

 

 

(中に居るのは二人……若い女か)

 

 

 サテンは吸血鬼の超能力――“透視”で“遺跡”内の把握を試み、その大凡を捉えた。細かい所までは分からないが、少なくともこの隠れ里で知り合った者達ではない事位は分かる。そして、どうやらこの“遺跡”は人の居住区画まで設けられている様だ。

 

 それに、この“遺跡”の中身が看過できない構造である事にサテンは気付き、眉を顰めた。

 “遺跡”内は古びた石造りでは無く、機械で出来ていた。間違いなくこれは人工物、しかもサテンが知る限りでは遥かに高度な科学技術で作られた物だ。

 

 まさか、本当に外から人間が来たのか? 科学の伝搬が難しい事は“戦車騒動”の際に里香から聞かされてはいるが、この“遺跡”の持ち主が何を考えているのか分からない以上、安易な対応は軽率かもしれない。

 

 サテンはこれがどうにも気になった。

 戦車騒動の時と言い、些か科学に過敏に反応しがちなサテンだが、それで消えて行った者たちを何人も見てきたが故に神経がささくれ立たざるを得なかった。

 隠れ里全体の平和のためなどというご大層な使命感など端から持ち合わせてはいないが、くるみに害を及ぼす可能性だけは摘んでおきたい。今のサテンを動かすのは、ただそれだけだった。

 

 中の人数からして、恐らくこれはチラシを撒いた者達で、まだ誰も他に入っていない事が予想出来た。これだけ大きな構造体なのだ、維持するのに1人と言うのは流石に考えにくい。

 ならば、自分が先に入ってしまっても問題はるまい。看板には勝ち抜かなければ入れない等、何処にも書かれてはいなかったのだから。尤も、先に誰か入っていようが中に入る心算でいたのだが。

 

 サテンの体が、触れた手から順にずぶずぶと“遺跡”の中へと“沈んでいく”。

 これぞ吸血鬼の持つ超能力の一つ、“壁抜け”だ。

 尤も、壁抜け自体は吸血鬼だけでなく他の妖怪達も使える為専売特許と言う訳ではない。

 手袋で包まれた手が、コートを着込んだ腕が、体が、彼女の体を構成する何もかもが一切の抵抗もなく沈んでいき、サテンは遺跡の中へと侵入して行った。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 壁を何度か通り抜けていく内に、サテンは“遺跡”内でおよそ専門知識が無ければ取り扱う事など到底無理であろう複雑な機械達を目にした。少なくとも、自分では全く理解出来ない物で辺りが一杯に覆われて目がチカチカする。

 戦車技師の里香ならばこれが分かるのかもしれないが、狂喜乱舞してこの機械を分解して戦車の部品に流用しそうな気もする。ある意味、其方の方が都合が良いのかもしれないなと思いながら進んでいくと、大きな部屋に辿りついた。

 恐らくこの“遺跡”内で最も広い場所なのではないだろうか。ちょっとしたレクリエーション等も出来る位の広さを誇るその部屋内には、ガラスで出来たポールの様な物が何本も均等に設置されている。光源が何処にあるのか分からないが、先程から青白い光が淡く明減している。

 

 

「其処のお前、ちょっと待てぇーっ!」

 

 

 突如室内が明るくなる。そして、丁度サテンの背後を取る形で後ろの通路から若い娘の声が聞こえた。

 声のする方へとサテンが背中を向けたまま立っていると、半ズボンの白いセーラー服を着た金髪の少女が慌てて走って来た。ツインテールにしたヘアスタイルの上に被せた水兵帽が、走った拍子で落ちそうになっている。

 威勢のよさそうなボーイッシュな人間の娘だ。外見からして10代半ばと言った所か。やや屈んだ体制のまま肩で息をして、少女は右手に持っていた物をサテンの方へ向けて構えた。大分お疲れのご様子な所からして、この遺跡内を走り回っていたのだろうか。その顔は貧血を起こしたかのように青く、サテンを見る目に好奇と恐怖の感情が乗せられていた様に感じた。

 

「ぜぇ、はぁ、ひぃ……う、動くなよお前。どうやって此処のセキュリティを掻い潜って来た!?」

 

 恐らく武器であろうそれを付きつけられている事を認識しつつも、サテンは特に動じないで少女の方へ振り向いた。

 少女はうっとサテンの姿を見て怖気づいた様に数歩後ずさった。上から下までダークブラウンで統一されたボルサリーノ帽子にスーツ姿の長身の女性が無表情で此方を向いて来るのだ。もしかしたら、サテンがヤクザな家業の人にでも見えたのかもしれない。現代の人間ならば、そう思う者は多い。

 

 壁抜けなぞ、妖怪の能力としては割と珍しくもないなものなので今更隠すものでもないのだが、相手が高度な科学を持った人間ならば話は別だ。何を企んで来たのか分からない輩には特に。サテンは黙して語らず、静かに少女を見据えた。

 

「……おいおい、だんまりじゃ困るんだよ。今流れはこっちにあるんだぜ? あまり非協力的なら、右手のこれが黙っちゃいない」 

 

 少女は先程の様子から気を取り直して、まだ怯えが見え隠れしているも不敵な笑みを浮かべながら右手に構えた物を強調するように前へ突き出した。その形状は、サテンも良く知る物に何となく似ている。

 

 ややL字型に曲がったそれ、人が握る為に設けられたグリップ、そこから横に伸びる引き金を引けば、生き物を殺傷出来る威力を秘めた鉛の玉が飛び出る道具。

 それは、人間がより威力のある武器を追及して生み出した物。近代の人間達の間で利用されている武装の一つだ。此処最近では稀に人間の退魔士と遭遇した時、よく銀の弾を込めて撃ち込んで来るので印象に残っていた。

 

「銃か」

 

「御明答だ。だがこれはそんじょそこいらの代物とは訳が違う。見てくれはコンパクトだが、一発当たればどんな物だって粉々に吹き飛ぶ必殺の銃だ。逆らわない方があんたの身の為だぜ」

 

 しかし、少女の持っている物は先端に弾丸が飛び出す銃口が無く、銃身そのものがの丸く膨らみを持たせた筒状になっており、本来ある筈の銃口部分が針の様に尖っていると言う、人間達の言葉で言うのならば未来的なデザインをしていた。弾丸の代わりに光線でも出るのだろうか。

 あれの威力が如何程の物かはサテンにも想像がつかないが、この武器があるからこそ少女は強気でいられるのだと言う事は理解した。

 

 だがしかし、物質を破壊するだけの代物ならば、それは妖魔にとって脅威たり得ないだろう。

 サテン達妖魔は、肉体では無く精神に重きを置く傾向の強い種族だ。肉体の消滅如きは彼ないし彼女達にとって致命的なダメージにはならないのだ。もし妖魔達にダメージを与えたければ、古くから伝わる霊術、魔術を筆頭とした神秘の力が必要不可欠。もしくは、外の世界で伝播している科学の認識で以て幻想を消し去るしかない。

 そう言う訳なので、今少女が感じている優位性なんてものは、この場ではまさしく幻想に過ぎなかった。

 未知なるものに対して恐怖を抱き、敵意を唸らせ、防衛本能を働かせる事は生物……特に人間にとっては良くある事だとサテンは理解している為、少女が武器を持つ事に疑問を持ちはしなかった。

 

 だが、理解しているのと受け入れるのとでは話は別だ。

 

 

「お嬢さん、一つ気になったのだが」

 

「おい、聞こえなかったのかよ。あんまり――」

 

「ソレの銃床に張り付いている蜘蛛も、銃の一部なのかな?」

 

「――ふざけ、蜘蛛? ……えぇ!?」

 

 

 少女は慌てて自分の得物である銃を見ようとした――が、それは叶わなかった。なぜならば、少女が右手にある筈の銃が別の物に“すり替わっていた”のだから。

 今、少女が握っている物は銃では無い。南国でよく採れ、多くの人に親しまれて不動の人気を誇る果物――バナナをサテンに向けていたのだ。 

 

 馬鹿な、どうして!? さっきまで握っていた感触はあったのに! そもそもどこからバナナが!?

 突然理解できない状況に追いやられて少女は大いに混乱し、手に持ったバナナを取り落した。

 

 訳も分からず取り落したバナナを呆然と見つめていた少女だが、はっと思考の隅に追いやってしまったサテンに視線を向け直して、驚愕する。

 サテンが右手に持っている物は、今しがた行方知れずとなっていた少女の銃だったのだ。それが無造作に握られていた。

 少女の視線を確認すると、銃を握っていた手に力を入れる。すると、まるでクッキーでも砕いているかのように、いとも容易くサテンの手の中で銃は残骸と化して、彼女の脚元へ部品を撒き散らしながら落ちていく。

 

 硬質な床に、大小様々な金属部品が落ちていく音が部屋中に響く。

 床に転がる銃のなれの果てを呆然と見つめていた少女へ、サテンが静かに口を開いた。

 

 

「頭は冷えたか? ならば、少し話をしよう」

 

 

 今この瞬間、少女とサテンの形成は目に見えて逆転していた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 白いセーラー服を着たボーイッシュな少女、北白河ちゆりは心胆寒からしむる思いを抱きながら、如何にしてこの場をやり過ごすべきかと全身から噴き出る脂汗を拭う事も忘れて頭をフルに働かせていた。

 彼女はとある理由の為にこの隠れ里に侵入して来た二人の人間の内の一人にして、もう一人のパートナーである己の主人を補佐する為に若くして助教授の地位にまで昇りつめた非凡なる少女だ。

 

 そして昨日の晩、この隠れ里へ来た目的を達成する為に油性ペンとコピー機を総動員して即興で作ったチラシをばら撒いてやったら、案の定こちらの思惑のまま朝方ここの原住民達がこの“船”の前に集まり、立て看板を読んで皆それぞれが辺りに散らばって戦い始めたのだ。それが全て1人の人間の術計ともしらずに。

 

 全てはちゆりの計画通りに事が進んでいた。モニター越しに原住民達が未知の力で戦い合うその光景を見ていたちゆりは連中の単純さにほくそ笑み、己の成功を確信した。

 後はそこから勝ち残った奴を船の中までご案内し、上手い事丸めこんで捕獲すれば任務完了だ。既にちゆりの頭の中では自分がこの計画をパーフェクトなまでに成功を収め、主人に褒められる光景まで心に描いてはにししと忍び笑いをしていたのだ。

 

 しかし、計画は途中で狂いが生じた。

 

 朝方集まった原住民達が各所で戦う最中、少し時間が経った頃に新たな人影が空から確認された。

 日の光を浴びて七色に怪しく輝く、およそ己の知る天然自然の生物達の中では確認できない歪な形の翼を大きく広げ、生物力学ではおよそ到達し得ぬ速度を出してそれはこの“船”の位置まで飛翔して来るではないか。

 そのあまりにも幻想的かつどこか恐怖すら沸き起こる光景に、ちゆりは咄嗟の判断で計測させていた機械からはじき出されたデータに驚愕しながら、その飛行物体をモニター越しに凝視した。データで観測された速度が正しければ、あれの飛行速度は音の速さへ踏み込む一歩手前。こんな速度、生物が出せるものではない。

 

 上から下までダークブラウンで統一されたスーツ姿の長身の女性だ。見た感じでは、自分の主人と同年齢の様にも、はたまた年上にも見える。それだけ見れば自分達と同じ人間の様だが、背中から延びる翼と病的なまでに白い肌がそれを否定する。おそらく人間ではないのだろう。

 手袋を身に付け、マフィア御用達のボルサリーノ帽と丸いサングラスの隙間から見える顔は白く、そしてその造形は人間のもつ美しさとはまた別次元の領域におわすのではと錯覚してしまう程に整っていた。

 

 

 空から降り立ち、“船”に近付く女性は入り口に立付けた看板に目を向けた。

 こいつも引っかかるか? と思いきや船体に近づき手を置いて数秒、突如女性の体が船体に沈み始めたのだ。

 

 これにはちゆりもかなり慌てた。まさか、あのような侵入方法があるとは思いもよらなんだ!

 そして侵入先のセクションを慌ててモニター操作で確認して、更なる驚愕に晒される。

 

 勝ち残った原住民をおびき出すブロック以外、特に侵入されたら困る様なセクションは全て厳重なセキュリティを施しており、入る事自体難しく、もし入ろうものならばセキュリティシステムが排除に向かう様に設定されている。

 

 それなのにこれはどう言う事だ。触れた金属が水あめの様に溶ける程の熱量を誇るレーザー装置も、上下左右から飛び出るように現れる筈の戦闘用の小型ドローン達が、まるでVIPを出迎える使用人の様にしんとして機能していない。相手の女も、それが当然だとでも言うかのように船内を悠然と我が物顔で歩いている。

 

 システムをチェックをしても何処にも不具合は見つからない、なのにセキュリティ上あの女性が通った場所は誰も通っていないという結果でセキュリティシステムは侵入者を素通りさせていた。

 此処のセキュリティが反応しない――それ即ち、あの女の形をした何かは熱、重力、赤外線、その他あらゆる力場に干渉されず、認識されていないのだ。

 

 なんだ、こいつは。

 不自然に歪んだ唇が無意識に震え、知らぬ内に生唾を飲み込む音が聞こえたちゆりは、それが自分の物だと自覚出来なかった。

 成程、この様な存在がいるのならば己が尊敬する主人がこの分野に興味をそそられるのも頷ける。まだまだ世界には自分達の学問では及びもつかない未知の領域がある様だ。

 未だ学問の界隈において若輩者のちゆりでさえ、知性への探究から来る熱い情熱に体が燃えて来るのが分かってしまった。

 

 だが感心しているのもつかの間だ。このままあの女性の侵入を許せば、主人のいるメインコントロールルームへ来てしまうかもしれない。そんな事になれば何が起るか分からないし、主人に怒られてしまう。

 今、ちゆりの主人はこの船内のシステムを安定させる作業に付きっきりだ。無理やりこの空間へ割り込むように入って来たのだ、負荷が掛かっていてもおかしくはあるまい。

 ならば今の内に侵入者をとっ捕まえておけば、主人の目的も達成して万々歳だ。

 

 ちゆりは武器を手に取り侵入者の移動ルートを計測し、経路を割り出して次の通過地点へと走った。行き先は奇しくも獲物をおびき寄せるために誂(あつら)えた大部屋だ。

 

(今に見ていろ物体X(仮)! この白北河ちゆり様が、お前をこの世界で最初に捕獲したサンプル第一号にしてやるぜ!)

 

 気分はこの間映画鑑賞で見た、宇宙船内で凶悪な宇宙生命体と戦う女宇宙飛行士のそれ。所々のシーンがあまりにスプラッタなので度々直視出来なくなってしまい、夜中一人でトイレに行けなくなってしまったがそんな事はどうだっていいのだ。

 

 僅かな恐怖と大いなる知的好奇心に突き動かされるがままに、一人の学者が未知なる怪異へ挑まんと駆け出した。

 

 

 

 ――――と、意気揚々と来てみればこの有様である。現実は無常だ。取りあえず、体内に卵を産み付けられなかっただけでも幸運と思うしかあるまい(!?)

 

 

 ちゆりが改めて目にした女性は、その身なりや静かな佇まいから地元のマフィアが無断で“船”を船舶した自分達に因縁でもつけに来たのかと勘違いしそうになった程に、その雰囲気はヤクザのそれに近かった。

 加えてあの怖い位に美麗な顔立ちが合わさって、有無を言わせぬ威圧的な雰囲気に免疫の無いちゆりは、完全にビビってしまっていた。

 

 大部屋に着いたまではまあ良い、そこは問題では無い。

 だが、知らない間に持って来た銃がバナナにすり替わっていたり、肝心の銃は女性に取り上げられて目の前で握りつぶされてしまったのはどういう事だ。あの銃は、戦車に轢かれても壊れない設計の筈だったのだが……。

 それに銃を移動させ、バナナを出したあの現象。あれは物質の空間転送や量子変換等とは違う、全く理解の及ばない力が働いていると言う事に他ならない。

 それはまさしく、自分の主人が探し求めていた物ではないか。

 

 おかげさまで力関係は逆転し、ちゆりは借りてきた猫の様に大人しく女性の質問に答えるがままになっていた。

 もし答えを間違えようものならば、この女マフィアだかエ○リアンもどき(酷い言い草である)にチャカで頭をハジかれるか、はたまたイン○ーマウスをどてっ腹にぶち込まれるかもしれないので迂闊な発言は出来ない。

 

 嗚呼、本物の鉄火場を知らぬ助教授の小娘如きでは怪物一人もやっつける事が出来ないのか。

 ちゆりは冷酷なる現実を付きつけられ、悟られぬよう溜息をついてほろりと涙を流した。

 

(御主人様……早く助けに来てくれよぉ……)

 

 今この場にはいない主人の名を心の中で弱々しく呟き、ちゆりは女性からの質問に泣く泣く答えて行った。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 目の前の少女が自分にどんな感情を抱いているのか無視を決め込み、サテンはこの一連の出来事について未だ怯えている彼女に問い質した。一々此方が言葉を発するたびにビクビクしているのは、先程銃を握り潰したのが効いているからだろうか?

 

 突然現れた科学の塊とでも言うべき構造体をこの隠れ里に持って来たのだ、現地の者というには余りにも此方の文化から逸脱し過ぎている。魔法の可能性も考えたが、通路内を通る際に調べてみても何処にも魔力の痕跡がない事からその選択肢を否定した。

 だからこそサテンは、この少女ともう一人確認できた人間を外の世界から来た者と仮定してみたのだが、どうやら少し違う様だ。

 

 少女もとい白北河ちゆりはこの構造体――彼女が言うには“船”らしく、純粋な科学で作られたそれに乗って、彼女達はこの隠れ里へ結界を抜けて来たと言うのだ。

 

 ……外の世界は、人間達はもうそこまで科学技術を発展させていたのか?

 そんな、悪夢の様な恐るべき科学の発展速度に背筋が冷やりとなったサテンだったが、ちゆりが否定した。

 

 ちゆりは外の世界からではなく別の可能性世界、いわゆる並行世界のからこの地に来たと言う。

 そしてこの船は海の上に浮かべたり、ましてや空を飛ぶなんて事を目的とした物では無い。これは空間移動を目的として生み出された次元を旅する船なのだ。

 

 人間達の飽くなき探究心は、次元の海をも渡るに至ったか。

 尚更タチが悪いじゃないか。サテンはその事実に複雑な感情と同時に、一抹の寂しさを覚えて人知れず瞠目した。

 超常の技を以て人間達を驚嘆させていた我ら妖魔が、今度は人間達の築き上げて来た英知に驚かされているのだから。

 

 

「人間達は、随分と遠くまで行ける様になった様だな」

 

「……」

 

 サテンの感嘆に、ちゆりが何か言いたげな顔で此方を向いて来る。まるで隣の芝生が青く見えるとでも言うかのように。

 遠い眼をしていたサテンがちゆりに目を向けると、彼女は慌てて顔お俯かせてしまった。

 

 先程からサテンがちゆりと話すとこれである。此方があれこれと質問をするれば答えてくれるのだが、如何せんビクつきながらの応答の為ぽつぽつとして今一つ話が進みにくい。

 かといって此処で優しくすれば、あの武器を持っていた時の態度からして増長しかねないのでちゆりへの接し方は今の所現状のままだ。

 サテンは気を取り直して尋問を再開しようとした所で、ちゆりが現れた通路の方から女性が大きな声を張り上げてやって来た。

 

「ちゆり! まだ生きてるっ!?」

 

「うわぁっご、御主人様~!」

 

 まるで救世主でも見付けたかのようにちゆりの顔に救われた様な笑顔が浮かび、彼女は急いで現れた女性のもとまで駆け出して抱き付いた。

 

「御主人様! あ、あのミュータントが! 私の臓物を! お尻の穴からキャトルミューティレーションしようとしいでぇ!?」

 

 錯乱したちゆりがサテンを指差しながら口にする奇怪な言語に辟易したのか、女性は溜息一つで彼女の頭にゲン骨をお見舞いした。鈍痛に頭を抑えて蹲るちゆりを、女性はまるでお馬鹿な子を見る様な眼差しで見下ろしている。

 

「貴女、頭大丈夫?」

 

「凄ぇ痛い」

 

 二人がみょうちくりんなやり取りをしている中で、サテンは新しく現れた女性をジッと見る。

 歳の頃は十代の終わり頃、と言った所か。ヘアスタイルは一見すると肩まで伸ばした赤髪のショートカットにも見えるが、時折背中から見え隠れする腰まで伸ばした一本の三つ編みが揺れていた。

 服装は胸元にリボンを付けた長袖のワイシャツの上から丈の短いウェストコートを身に付け、更にその上にケープを羽織っており、下はロングスカートだ。

 ただし、服は上から下までほぼ全てが赤かった。彼女のパーソナルカラーなのだろうか。

 

 彼女の事を観察していると、女性の方も此方の視線に気づいたのか興味深そうに見返して来た。彼女の背後からに警戒心をあらわにしたちゆりとは違い、臆することなく、むしろ強い探究心を秘めた瞳でサテンを見つめている。

 

「……貴女とは、何から話した方が良いのでしょうか?」

 

「君達が別の世界から来た人間だと言う事は、そこのお嬢さんから聞いた」

 

「成程、顔合わせは済んでいますのね。――――申しおくれました。私の名前は岡崎夢美(おかざき ゆめみ)、この船“可能性空間移動船”の船長を務めておりますの」

 

「サテン、吸血鬼だ」

 

 まぁ、吸血鬼! 口元を両手で押さえ、語気を強くしてその名を呼んだ夢美の瞳が、ぎらりと一層きらめいた様に見えた。その代わり、ちゆりの顔色がちょっと悪くなった。

 

「今の聞いたちゆり! 吸血鬼よ! あのブラム・ストーカーの! 道理で顔が色白い訳だわ、変な翼を生やしているけど。――ああ素敵、この世界もさる事ながら、あのドラキュラの同族までいるなんて! ……ちゆり、貴女噛まれなかった?」

 

 両手を組んで、感激のあまりうっとりしていた夢美が、何て事なさそうに後ろに隠れているちゆりに訊ねた。しかしちゆりが「いや、噛まれてないけど……」と答えると「何ですって!」と顔を真っ赤にして怒りだした。普通此処は無事を喜ぶ場面じゃないのだろうか。

 

 

「なんてもったいない! 今からでも遅くは無いわ、サイン代わりに首筋に一発もらって来なさいな」

 

「な、何言ってるんだ御主人様! 私をゾンビにするつもりか!?」

 

「え? いやいや、だって貴女確か“未経験”の筈だから吸血鬼になれる筈――」

 

「う、うわぁぁぁ御主人様の馬鹿ー! 人様(?)の前でなんて事言うんだよぉぉ―!」

 

 男勝りな口調をしていようがちゆりも立派な女の子だったようで、あられもない事実を暴露されてとうとう顔をリンゴの様に赤く染めながら半べそをかき、密告者夢美をポカポカと叩き始めた。

 

 

 

「…………結局、君達は何しに来たの?」

 

 再び漫才みたいなやり取りが繰り広げられたため、これ以上は埒が明かないと判断したサテンは小さく溜息をついて少し肩の力を抜いた。何だかこれ以上無意味に力むのも馬鹿馬鹿しく思ってしまったのだ。とはいえ、いざとなれば容赦はしない。

 サテンの脱力に感化されたのか、夢美の口調もフランクになった。

 

「ちゆりからは何も聞かされていないの?」

 

「あの娘、私を見るなり怯えてまともに話ができないんだ。おかげで、掻い摘んだ程度の事しか分かっちゃいない」

 

「ちゆりぃ、貴女何やっているのよ。全然話が進んでないじゃない」

 

「だ、だってしょうがないじゃんかよ! こいつ無言で銃握り壊すし、何か怖いし!」

 

 ちゆりを咎める様に睨み付けると、当の本人は慌てて弁明した。

 サテンの態度が軟化したからか、それとも夢美がいろいろと茶化したおかげで自棄にでもなったのか、その口調はさっきとは違って饒舌だった。こんな事なら、最初から普段通りの態度で接しておけば良かったとサテンは胸の内で反省する。

 

「……ごめんなさいね。この娘、一度弱気の虫が起きるとてんで駄目なのよ。普段は優秀なんだけど」

 

 まるで出来の悪い妹を弁護する様な夢美の姿に、サテンはちょっとだけ親近感が沸いた様な気がした。

 特にサテンに意図は無いのだが、黙ったままでいた事に夢美が気を悪くしたとでも思ったのか「あぁ、ごめんなさい。私達がここへ来た理由だったわね」と話を戻して来た。

 

「私達の目的はズバリ、統一原理の枠に当てはまらない力を探しに来たの」

 

「……聞かない名前だな」

 

「詳しく知りたい?」

 

「学の無い私でも分かるのならば」

 

 しょうがないわねえと夢美は統一原理について概要を説明した。

 統一原理、それは夢美達の世界で認知されている重力・電磁力・原子力等――要は人間界で確認されたあらゆる力が説明できる理論の事である。

 詳しい理屈は分からないが、何となく感覚で理解したサテンはそう言う物かと一応理解を示した。

 

「その理論以外の力が此処にあるって言う訳か」

 

「そうよ、その名は“魔法”。貴女ならよく知っているんじゃなくて?」

 

 そりゃあ、まあとサテンは一応は頷く。

 魔法なんてものはこの隠れ里、ないしは妖魔にとっては至極当たり前の存在なのだ。人間達にっての科学がそうであるように、サテン達にとっての魔法とは隣人ないしは手足の一部の様なものなのだ。もし妖魔で魔法を知らないとでも言おう者がいるならば、その者は同族に正気を疑われ、専門の病院を紹介されることだろう。

 

 サテンの答えは夢美の望み通りの答えだったらしく、彼女はやっぱり! と声を大にして大喜びだった。

 

「ほらちゆり! 魔法はあるのよ! やっぱり魔法は存在するのよ! やったわ! あはははは…………あぁんの学会のノ―タリンどもがぁッ!!」

 

 突然笑い声から怒号へ変化した夢美の様子にサテンはギョッとした。ちゆりに至ってはああやっちまったと顔に片手で顔を隠して天を仰いでいる。

 知的な雰囲気は吹っ飛んで、悪鬼の如き形相で目を血走らせてその場で地団太を踏み、若き船長は叫び散らしていた。

 

「よくも私の理論を好き勝手に笑ってくれたわね! この理論が完成した暁には、あのボンクラどもの目玉と脳みそ抉り取ってこの世界に放り投げてやるわ!」

 

 そう言うのは止めて欲しい、不法投棄はご遠慮ください。多分、妖怪達が拾って食べるのだろうが。

 あまりにも様子が激変した夢美に不安を覚えたサテンは、激怒した彼女から距離を取っているちゆりに近付いた。

 ちゆりはサテンが近付いた事にビクリと体を震わせたが、先程からサテンがチラチラと夢美の方へと顔を向けているので何となく理由を察して彼女も顔を近付けた。

 

 

「彼女、突然どうしたんだい? 何か様子がおかしいけど」

 

「……う、あー……ちょっと元の世界で、な。色々と鬱憤が溜まってるんだよ御主人様は」

 

 

 聞く所によると、夢美は元いた世界では大学の教授として教鞭を振るっており、同年代、ひいては年上ですら追い付かない程の頭脳を持っているのだと言う。

 そんな彼女は自分達の世界では常識とされている統一原理の法則とは全く別の力――すなわちの魔法の存在を密かに発見し、魔法が存在する旨を“非統一魔法世界論”として学会で発表したらしい。

 だが、夢美がその理論を発表した途端学会は彼女のそれを笑って捨て、その論文を夢想家の戯言と見てまともに読もうとせずに彼女を笑い者にし続けたのだ。

 

 理論を検証してから駄目出しを食らうのならばまだ分かる。だが、読みもせずにあり得ないと切り捨てるのは何事だ。

 夢美はそれが許せなかった。まともに考えようとせず、何故貴方達はあり得ないと一笑に伏せるのだ! と。

 

 何故貴方達は、自分達の理解出来る範囲の理屈だけを大事そうにこねくり回すだけで、新たな分野の開拓をしようとしない!

 貴方達はそれでも学問の徒か! 知の探究者と言えるのか!? 私はこれに断じて否と言おう。今の貴方達は、思考する事を止めている。思考の放棄は、我ら知性ある人間にとっての停滞である。思考の止まった人間など、畜生以下だと言う事を知れ!

 

 全く取り合ってくれない学会に夢美はありったけの罵声を浴びせ、怒りまくった。

 そしてそれが運悪く上の人間達の怒りに触れたらしく、彼女に教授資格の剥奪を警告したのだ。

 

 それが、決定的な原因となった。彼女は助教授のちゆりを引き連れ、独自に作り上げた“可能性空間移動船”に乗り込み魔法の存在をより確実に実証するべく、魔法のある世界へと向かう事となったのだ。

 彼女にとっての不幸とは、その理論が尖端し過ぎて周囲の人間達の理解が追い付けなかった事なのかもしれない。なまじ賢明過ぎるが故に、常人では見えない世界を彼女は見えていたのだろう。

 

 サテンは、この話を聞いてある一人の少女の事を思い浮かべた。

 その少女とは、今もこの隠れ里の某所で己の野望の為に邁進し続けている戦車技師の里香その人の事だ。夢美の姿は、まさしく里香のそれと全く同じにして、真逆の位置に立っている。

 あの戦車技師もまた他者と比べて突き抜けた頭脳を持ちながら、神秘と幻想の法則に満ちたこの世界で戦車と言う科学の力を提唱し、外道と罵られた者だ。

 

 科学と魔法、追い求める物は全くの逆だったがしかし類似しているのは、例え他者から異端と謗(そし)られようとも突き進める夢と情熱を持ち合わせている所だろうか。

 

 

「――そう言う訳でさ、私は御主人の手助けをする為について来たんだ。……な、なあ、あんたに銃を向けた私が言える事じゃないんだけどさ、力を貸してくれないか?」

 

 ちゆりがサテンに協力を申し出た。願わくば、かの少女の提唱した理論が決して夢物語では無い事を証明させたいが為に。

 サテンは聞いて軽く腕を組み、静かに目を瞑った。

 

 銃を向けて来た事について、サテンは既に水に流していた。別段、其処まで根に持つ程のものでもない為。

 それに、そんな事よりも深刻な事態を目の前に置かれている事をサテンは認識せざるを得なかった。人間がこの妖怪達の隠れ里を、あろう事か科学の力で発見してしまったのだ。それがこの地に住む妖怪たちにとって後に大きな災いを呼ばない等と、誰が保証出来る。正確には、この地に住む友人に対して、という所がサテンにとっては大きいのかも入れない。

 

 

「仮に、私が君達に力を貸したとしてだ。君達が魔法を元の世界で発表した後はどうする」

 

 腕を組んだ体制のまま、抑揚の無い声でサテンはちゆりに問いかけた。

 多少柔らかくなったかと思ったのに、これじゃヤクザの尋問だぜ。とちゆりはサテンのその様に慄いていると、彼女の代わりに正気に戻った夢美が答えて来た。

 

「知れた事よ。魔法を更に分析して科学との親和性を確認したら、そこから利用方法を探し出すわ」

 

 そして人類の歴史は、新たな叡智によって夜明けを迎えるのよ!

 両手を天高く広げて語る彼女はさながら天啓を得た賢者の如し。もしくはいかがわしい電波を受信したトンチキのどれかである。

 後者であった方が此方としては都合が良かったがしかし、夢美は前者にしていささか賢すぎた。それと同時に、人間たらしめる業と欲も持ち合わせていた様だ。

 

「でもね、その為には礎が必要なの」

 

 夢美の笑みがより一層深まった。

 もしもこの場に普通の人間がいたのならば、今も尚笑顔を絶やさぬ彼女の薄皮の下で何かが蠢いている様なおぞましいものを感じていたかもしれない。

 

 サテンはこの只ならぬ様子に憶えがあった。

 

 何時だったか、まだくるみと出会わずに一人で旅を続けていた頃の事だ。

 人間と妖魔は対立関係にあるのが大半であるが、中には妖魔に対して積極的に特殊なアプローチをかけてくる人間達がいた。

 彼らの目的は様々だ。不老長寿の究明、敵の生態の解明、妖魔の身に秘められた超常の力の解析……その為に彼ら人間達は妖魔を捕獲し、あらん限りの知恵を絞ってその謎を解き明かさんと髪の毛の一本から爪の一かけらすら残さず隅々まで調べ上げていく。

 そんな人間に捕まった妖魔達の末路は程度こそあるが、その大半は悲惨なものだった。その研究から辛くも生き延びた妖魔をして“狂っている“とまで泣きながら言わしめるほどの仕打ちの果てに、彼ら彼女達は無念の最期を迎えるのだ。

 

 今の夢美は、そんな人間達に近い感じがした。

 彼女は自分を最初に見た時から何か腹に一物抱えてそうな顔をしていた事はサテンも察していた。まるで宇宙人でも見つけた生物学者の様にその眼はギラギラとしているのだ。夢美がこの世界に着た経緯と自分の過去の経験則から、サテンは彼女が此処で何をしようとしているのか大体予想が出来てしまったのだ。

 

 異様な空気が漂い始めた中、夢美は更に言葉を紡いでいく。

 

「決して崩れない位に頑強で、盤石な礎って奴をね。それを是非とも貴女にしてもらいたいと思ったの」

 

 最後にこぼした笑いを端に、いよいよ夢美の笑顔が歪み始める。

 先程まで見せていた理知的な皮が剥がれ、飽くなき知識への飢えに突き動かされている探究者の顔が現れた。

 それは目の前に御馳走を並べられた子供の様に無邪気で、目的の為ならば倫理をかなぐり捨て、他者すら踏み潰せる様な無残な顔だった。

 隣のちゆりはそれほどでもないらしく、夢美の様相に顔を引き攣らせていた。

 どうやら助手の方は割とまともな感性を持っている様だが、それがある意味不幸なのかもしれない。

 

「……具体的には?」

 

「手始めに、このちゆりと戦ってもらいたいの」

 

「ふぇ…………げぇぇぇぇっ!?」

 

 突然振られたちゆりは一瞬何を言われたのか分からずぽかんと呆けた顔をしていたが、夢美の言葉の意味を理解して来ると顔から血の気が失せ、悲鳴に近い声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと御主人様? ほんとに、本当に私がやるのか? あ、あいつと?」

 

「当り前じゃない、此処に来る前に打ち合わせしたでしょ?」

 

「そりゃ魔法使いが相手の話だよ! あいつは吸血鬼だ! 私達を食料にしている奴らだぞ!?」

 

「……って言っているけど? そこん所どうなの?」

 

「そりゃあ、吸いたくなったら吸うけど」

 

「ほら見ろ―! こんな事なら紫外線放射装置作っておきゃ良かった!」

 

 頭を両手で掻きむしりながらうなだれるちゆりを夢美は大きな溜息を付いた後、むんずとちゆりの首根っこを捕まえてサテンの前まで引き摺りだした。

 

「えぇい情けない! それでも貴女は学者か!」

 

「学者はここまでやらないっての!」

 

「私の助手ならやるの! それに安心しなさい、貴女にもし何かあったら骨は拾って“有効活用”するから」

 

「え、活用? 何に?」

 

「……今度はフラスコの中で会いましょう?」

 

「ち、畜生! 誰か私を助けてくれぇー!」

 

「……」

 

 邪悪なんだか無邪気なんだかよく分からないなぁ、と無表情の顔の下で彼女達の対処を考えあぐねていた時、いきなり部屋内が爆発音と共に激しく揺れた。

 突然の揺れに夢美とちゆりもやり取りを止めて辺りを見回すと、彼女達が来た所とは別の大きな通路に設けられたドア部が煙を上げて吹き飛ばされていた。其処は、本来ならば外の立て看板が取り付けられていた入口があった場所だった。

 

 

 

 

 

 

「……おやおや、お行儀よくノックしたつもりだったんだがね」

 

 煙の中から聞こえるのは威勢の良い女の声だ。

 ブンッと人影が長い何かを振るって煙をかき消し、その姿を露わにした。

 

 腰まで伸ばした緑色の髪を揺らしながら進んできたその姿、星と月と太陽が描かれた蒼い服、腰のスカートから白い幽体が伸びている妙齢の女性が浮いていた。

 

 現れたのは、いつぞやくるみの小屋の近くで出会った悪霊の魅魔だった。

 服の所々がすすけていたり破れていたりするが、彼女自身の状態は極めて元気そうであった。

 

 先端に三日月状の飾りが付いた長い杖を肩に担ぎながら、魅魔は大胆不敵な笑みを携えて声を張り上げた。

 

「さあさあ、お客様のご来店だよ! 接客の一つも無いの……うん?」

 

 元気よく中に入り、辺りを見回していた魅魔の視線がサテンと合った。

 サテンの方は、とりあえずやあと言わんばかりに片手を軽く挙げた。

 

「…………おやぁ?」

 

 空いた片手で頬を掻き、おかしいなぁとぼやく魅魔を見ながら、サテンは頭の中で描いていたこの状況への打開策に修正を加え始めた。

 

 

 今ここに、人間の学者、悪霊、吸血鬼という混沌とした様相が呈された。

 

 科学と魔法の邂逅は、まだ始まったばかりである。




――――――――――――――――――――
後書き

大した知識も深い理由もある訳ではありませんが、科学も魔法も行きつく所は実は同じだったりして、なんて思った事があります。


次回はこの作品初の戦闘シーン登場です。

皆さま、温かい拍手でお出迎えください!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。