東方外伝記 the another scarlet   作:そよ風ミキサー

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◆前書き

※東方と吸血鬼の設定について、捏造箇所がありますのでご注意ください。


拙作を読んだ読者諸兄の方々に

「俺たちの東方を穢しやがったな! このヌケサクがぁーッ!!」

と、怒られませんように。

※追記
何回か確認した際に、誤字脱字が大量に確認されたので修正しました。
もしまだあった際にはご指摘の方宜しくお願いいたします。
――――――――――――――――――――――――――――――


第3話

「酷いわサテンちゃん、久し振りに会ったのにあんな事しなくても良いじゃない」

 

 くるみは額に湿布を貼り付けたまま、ジト眼でサテンを恨みがましげに睨みつける。

 頬を膨らませてぷりぷりと怒る姿に怖さは無い。むしろ、可愛げの方が勝る位だ。

 言動や達振る舞いは見た目相応の少女の様だが、実際に生きた年数は人間以上である。

 

「あれは不可抗りょ……いや、私の所為だな。ごめん」

 

 久方ぶりの友人との再会を拳で一方的に済ませてしまったサテンは、ちびちびとくるみが淹れてくれた紅茶を飲んでいた。

 今のサテンはコートをハンガーにかけ、サングラスもコートの胸ポケットに折り畳んで仕舞っており、帽子だけは未だに被ったままであるがそれなりに寛いでいる様だった。その証拠に、町中では決して見せなかった翼も今では平気で外に出している。

 あんな事があったにも関わらずお茶を出してくれている所を見るに、くるみもそこまで怒っていない事はサテンから見ても分かっていた。

 が、まだほんのちょっぴり根に持っているらしい。

 

 現在二人は久し振りの再会を祝して吸血鬼としては変な時間だが、昼間の御茶会をログハウスの中で開いていた。部屋の中は綺麗に手入れがされており、家具のレイアウトや調度品等はどれも女の子らしい物で揃えられている。

 テーブルにはティーセットのほかに、早速サテンが持って来たひよこの饅頭菓子と鳩のクッキーがお茶受けとして用意された。くるみへの反応は上々で、ひよこの饅頭菓子を見て「あ、可愛い」と喜んでくれていたのでサテンは内心安堵していた。

 

 

 

「ねえ、今度はどんな所に行って来たの? また旅のお話を聞かせて」

 

 機嫌を直したくるみが、ひよこの饅頭菓子をぱくつきながらサテンに訊く。

 

 サテンは基本的に一所(ひとところ)に身を置いて暮らす事をしない。風の向くまま、気の向くままに北欧近辺一帯を旅する流れ者、それがこのサテン・カーリーである。

 物心ついた時にはすでに一人。何時何処で生まれたのか、親兄弟がいるのかすら自分自身分からないという不思議な吸血鬼だ。

 真っ当な吸血鬼は基本的に一族として血統を持ち、人と同じように家族を持っているものだ。しかしサテンにはそれが無い、正確には知らないと言った方が良い。

 ならば自分は真っ当な吸血鬼ではないのか? そんな事を考えた時もあったが、本当の真相はサテン自身も今はまだ分からない。

 

 旅を続けている身のため、様々な所を旅しているので話のネタにはそれほど困りはしなかった。

 サテンはカップに未だなみなみと残る紅茶の水面をぼんやりと見ながら、これまでの旅を思い返した。

 

「そうだな、じゃあこの間ルーマニアに行って来た事を話そうか」

 

「ルーマニア?……あ、もしかして」

 

「そう。私達吸血鬼の中で最も有名な、あのドラキュラ伯爵の住んでいた国さ」

 

 本名ヴラド・ツェペシュ、またの名を「吸血鬼ドラキュラ」。それは退魔士から極一般の人間まで、あまりにも多くの人に知られている名だ。今も人と妖怪の世界に広く伝えられ、吸血鬼の代名詞として認知されている。

 吸血鬼(ドラキュラ)と言う名前が世に知れ渡る事となったのは、彼の台頭が起因していると言われている。

 

 彼は生まれついての生粋の吸血鬼では無い。ある時を境にして、何らかの手段を講じて吸血鬼へとなったのだ。

 元人間の吸血鬼としては極めて優秀な力を持っていた事と、その特異な出自から、世に出て数百年程度の歴史しかないと言われていた吸血鬼は、彼の活躍によって人間妖怪問わずして一躍有名な妖怪となる。

 

「住んでいたって事は、本人には会えなかったの?」

 

「ああ、地元の妖怪に訊いてみたらどこかに移り住んだって話さ。今じゃ妖怪たちの間で秘密の観光名所になってたよ」

 

 高名な吸血鬼伝説発祥の地と言う売り込みで、地元の妖怪たちがそれを良い事に様々なグッズ商品を販売する店まで開いていたのだ。場所が退魔士達の聖地とも言えるローマに近い事もあって目立つような事は出来なかったが、店はそれなりに繁盛しているらしい。

 しかし、ドラキュラの名を利用して商売を行う事に呆れるべきか、はたまたかのツェペシュの人気は健在だと喜ぶべきなのか。当時その場にいたのサテンは、店先に並ぶグッズ商品を眺めながら複雑な気持ちを抱いていた。

 ただ、今言える事は一つ、商魂の逞しさに人も妖怪もさほど違いは無かったと言う事だ。

 

「まぁ、ヴラド公自身も何だかんだで結構お祭り好きな人だから、案外この話を知って喜んでいるかもしれないけどね」

 

 そんなサテンの呟きにくるみが反応した。

 

「それって変よ? まるで会った事があるみたいじゃないの。さっき会えなかったってサテンちゃん言ってたじゃない」

 

「今回のルーマニアまでの旅の間には会えなかったよ。昔、くるみと出会う前に何度か会った事があるんだ」

 

 サテンが事も無げに答えると、「えーっ」とくるみが驚いた。

 

「……言ってなかったかな?」

 

「言ってない、初めて聞いたわよそんなのーっ」

 

 くるみは話していなかった事が面白くないのか、今度は拗ねてしまった。唇を突き出したまま皿の上に乗せたひよこの饅頭菓子を指で突いている様子に、サテンは子供を宥めるように分かった分かったと苦笑いを返した。

 

「よし、じゃあ其処から話そう。どうせ私達に時間は沢山ある事だし。…………私があの人に会ったのは確か――」

 

 

 サテンとくるみの外見は、傍から見れば歳の離れた姉妹か、もしくはそれ以上の差がある。身に纏う雰囲気にも違いがあり、サテンがその眼つきの鋭さと相まって刃物の様ならば、くるみはほんわかとした綿菓子の様な感じである。

 

 そんな彼女達二人の間に、どういった経緯で友情が芽生えたのか。

 

 

 遡(さかのぼ)る事時代は近代。産業・農業、あらゆる分野において革命が起り、小さな国家であった国々も思想の変化と共に統一がなされ、現代の欧州としての骨格を形成して行った。激動の時代の始まり、そんな混沌とした時代だった。

 同時に機械文明が産声を上げた当時、力の弱い妖怪達がその頃を境に更に弱まり始め、これ幸いにと退魔士達が大規模な掃討を敢行しはじめていた。妖怪たちにとっては、肩身の狭い時代の始まりでもある。

 そんな時期だった。サテンが旅の途中、とある夜の森でくるみと出会ったのは。

 

 初めてサテンが出会った時のくるみは無残なものだった。

 複数の退魔士達に囲まれた彼女は四肢をもがれ、体を八つ裂きにされたまま白木の杭を胸に突き刺して木に磔にされていたのだ。

 顔に精気は無く、色を失った目から血の涙を流すその様は、もはや死を待つばかりの身も同然となっていた。

 

 「幼い同族が目の前で死ぬのは見るに堪えない」と、サテンは退魔士達を“処分”した後、死に瀕していたくるみを蘇生させる事に成功させた。

 

 しかし、服も身体も元通りとなったくるみの心の方まではどうにもならなかった。

 

 息を吹き返してから暫くの間は人間を見ただけで錯乱状態に陥り、サテンの事すら近寄らせず、隅で歯を鳴らしながら身を震わせる事が多々あった。

 酷い目に遭ったであろう事はあのボロボロの状態から見て分かる。家族もいただろうが、それをくるみにそっと訊ねようものならばうわ言を呟きながら更に取り乱すばかり。くるみの家族達の行く末はつまり、そういう事なのだろう。

 サテンは彼女の事を不憫に思い、せめて一人で立ち上がれる位になるまでは傍にいてやる事にした。元々急いでいる身でもない、このまま捨ててはおけないと。

 

 そうしてくるみを旅に連れて行き、気長に付き合って数年経った頃から、くるみも少しずつではあるがサテンに心を開いていった。

 それからだろうか。サテンとくるみの関係が、庇護者と被庇護者の間から次第に友人の間柄へと変わって行ったのは。

 

 

(本当に、よく此処まで元気になってくれた)

 

 既に死んでいる様な吸血鬼に言う言葉では無いかもしれないが、当時死に体だったあの頃を知っているサテンからすれば、今のくるみは大変好ましい。今ではこうして一人暮らしを出来る位にまでなってくれたのだから、その喜びもひとしおだ。

 同じテーブルにつきながら楽しそうに自分の話を聞いてくれるくるみに、ふとサテンは目を柔らかく細めた。

 

 

「そういえば、くるみは確か此処で働いているって手紙に書いてたけど」

 

「んー? 急にどうしたの?」

 

 2杯目の紅茶のおかわりにサテンが手をつけようとした時、思い出したようにくるみに訊いた。

 くるみはこの隠れ里に移り住んだ際、働き口が見つかったという旨の手紙を昔もらっていたのをサテンは思い出したのだ。訊かれたくるみの方は、藪から棒に質問をされてキョトンとしている。

 

「いやね、詳しい事が手紙に書いてなかったから気になってさ」

 

 基本的にくるみが手紙を送る事は滅多にない、サテンがくるみに送る事もまた然り。サテンが常に欧州中を移動している為中々特定しづらい事が理由に挙がるが、他にもお互い其処まで頻繁に手紙のやり取りをする程マメな気質でもなかった為だ。ふとした時に手紙を送り、忘れた頃にやってくる。

 『便りが無いのは良い便り』と言う言葉もある為、お互いあまりそう言った事を気にしていなかった事が大きな原因か。

 

「あぁ、その事。私、今この湖の番人やってるのよ」

 

「番人? 吸血鬼が、湖の?」

 

 おかしな話だとサテンは思うも、納得していた。

 湖はともかくとして、元来吸血鬼にとって太陽光は避けなくてはならないものだ。吸血鬼の肌が日に晒されればその身を焼け爛らせ、灰に変えてしまう忌むべき物とされている。なのに昼夜問わず湖の番をしなければいけない仕事に、昼間が致命的に苦手な吸血鬼を就かせるのには、くるみの雇い主が彼女の体の秘密を見抜いていたからだろう。

 

 くるみは力こそ吸血鬼の中ではお世辞にも強い方では無い。だがその代わりに、彼女は同族には滅多にない体質を持っている。

 それは、日の光を浴びても平気な事ともう一つ、吸血鬼の苦手な流水を渡り、触れる事だった。同族達にとっては我が身を蝕む猛毒に等しいそれらを彼女が浴びても全く効かないのだ。人間と同じように日光浴が出来るし、水浴びだって可能だ。

 そう言う意味では、くるみは極めて特異な存在である。

 あの時退魔士がこぞってくるみを襲っていたのは、その特異体質を恐れての事だったからかもしれないと、サテンは昔から密かに考えていた。

 

 成程、それで湖のほとりに住居を構えていると言う訳かと納得すると、サテンの脳裏に新たな疑問が浮かび上がる。

 

「番人と言う事は、この湖を守っているのかい?」

 

「そうよ、この湖はあるお屋敷が建っている空間と繋がっているの。私はそこへ侵入しようとする悪い人たちから守っているってわけなのよ」

 

 どう、凄いでしょ? と小さな体で胸を張るくるみ。体が少々幼い為か、子供が背伸びをしている様で、サテンには微笑ましく見えた。

 しかし湖の中に異空間があるとは珍しい。現代の欧州でも見ない事は無いが、規模は極めて小さいものなので比べようもない。そして大抵そこに住む主は名のある妖魔や精霊、魔法使いであったりする。もしかすると、この湖の中にある空間の住人もその口なのだろうかとサテンは思った。

 

「そこにくるみの雇い主が住んでいるというわけか」

 

「えぇ、幽香ちゃんっていう私達と同じ妖怪よ」

 

 幽香? はて何処かで聞いた様な……と思い返してサテンは合点が行った。此処へ最初に来た時にくるみが自分の裏拳をくらって目を回している時に口にした名前だったからだ。

 

「あ、そうだ。後で幽香ちゃんと会ってみない?」

 

 くるみはポンと両の手を合わせながらサテンにそんな提案をしてきた。なんでまたそんな事を持ちかけて来たのかサテンが訊いてみれば、以前その幽香なる者が自分に会ってみたいと言っていた事があるからだそうだ。

 

「別に私はかまやしないけど、先方はどうなんだい? アポイントの一つくらいはしておいた方が良いと思うけど」

 

 屋敷の主程の相手だ。そう言った礼儀は気をつけておかないと相手に失礼だし、雇ってもらっているくるみまで不興を買われかねない。

 そんな懸念をくるみに伝えると、「んー 」と呑気に人差し指を顎に添えながら考え込み「ちょっと聞いてみる」と席を立った。

 向かった先にあるのは、棚の上に設置されたこれまた今の時代ではあまりお目にかかれないダイヤル式の黒電話だった。背が足りないのか、つま先を伸ばして電話に手を伸ばしていた。力んでいる所為で背中の翼も小さめにパタパタと動いている。そんなに手間ならもっと低い場所に置けばいいのにと思いはすれども、見ているサテンからすればちょっと面白いし仕草が可愛いので、黙っている事にした。

 

 受話器を取り、電話の横に張り付けられたメモ帳に書いてある数字に目を通しながら、くるみは電話のダイヤルを回すこと数回。目的の回線に繋がったらしく受話器を顔の横に近付けた。見た目が見た目の為、何だか子供が電話応対をしているように見える。

 

「あ、もしもしエリーちゃん? 今時間大丈夫? 実は後で幽香ちゃんに会わせたい人がいるんだけど、幽香ちゃん起きてる?…………え? 勿論妖怪だけど…………そうそう、前に話した私の同族よ。それでね――」

 

 女の子のお喋りと買い物は長引くと相場は決まっている為、サテンは皿の上にまだ残っている土産のお菓子を食べつつのんびり待っている事にした。会話を盗み聞きするに、どうやら話し相手のエリーなる人物もまた、くるみと同じく幽香という妖怪の住む屋敷近辺の世話をしているらしい。

 世間話も所々で差し挟みながらの長話であったが、ようやく終わりの目途が立ったようだ。

 

「うん、わかったわ。じゃあ後でそっちに行くわね。じゃあねー」

 

 カチャンと音を鳴らして受話器を置いたくるみがサテンに向き直った。

 

「今寝てるみたいだけど、エリーちゃん……同僚の娘が起こすから大丈夫だって」

 

「それって、大丈夫なの?」

 

 仮にも(?)屋敷の主ともあろう妖怪をそう簡単にどうこうして良いのだろうか。

 そもそも幽香とはどんな妖怪なのだと疑問に思ったが、その事を良く知っているのはくるみ達の方だから、サテンはこれ以上口を挟まない事にする。

 

「しかし、妖怪が機械をねえ……」

 

 別にサテンは機械が嫌いな訳ではない。そうであったら、態々日本へ来る時飛行機に乗りはしなかった。ただ、妖怪が追いやられた原因となった物の一端がこの隠れ里、しかも妖怪であるくるみの家にある事に、何となく複雑な気持ちを抱いてつい呟いてしまったのだ。まぁ、自分の事を棚に上げていると言ってしまえばそこで終わる話であるが。

 そんなサテンにくるみは苦笑した。

 

「ああ、あれ中身は別物よ。実際は魔力で動かしてるの」

 

 極めて微量の魔力で動かしているとの事なので、サテンは気付かなかったようだ。

 妖怪も順応していると言う事なのだろうか。まぁもしかしたら便利な構造をしているからそれを利用しようと思い至ったのかもしれないが。

 妖怪も変わったなぁと、サテンは紅茶を一口飲んでは時代の移り変わりをしみじみと感じた。

 

 

 

 数時間後、場所はくるみの住居がある湖の真上。

 未だ沈む事の無い太陽の光が降り注ぎ、水面に照り返されて湖全体が輝いているように見える。

 その水面はるか空の上、本来昼間にいてはならぬ魔性の妖怪が二人揃って寒空を飛んでいた。サテンとくるみだ。

 

 サテンは荷物をログハウスに置き、コートを羽織った状態でくるみの先導を受けて件の屋敷へと向かっていた。

 七色に光る歪な翼を広げ、空をゆっくりと飛びながら真下に広がる湖の風景を眺めていたサテンはふと横からの視線に気づく。

 横に振りむいてみれば、くるみがサテンの横を一緒に翼を広げて飛びながら、ジッとサテンの翼を見ているではないか。

 視線を感じ、気恥ずかしくなったサテンはおもむろに翼をキュッと少し折り畳んだ。多少折り畳む程度では空を飛ぶ事に支障は出ない。

 

「そんなに見ないで欲しいな」

 

「えー? 良いじゃない、サテンちゃんの羽ってとっても綺麗なんだもん。そんな綺麗な羽持ってるのってサテンちゃん意外見た事無いわ」

 

 そう言われてしまうと何だかむず痒い。

 楽しげに話すくるみは、その大きな蝙蝠の翼を羽ばたかせて見せながら、恥ずかしがるサテンの回りを笑いながらくるりと回転して見せた。

 

 

 くるみの笑い声をよそに、サテンは自分の翼をちらりと見やる。

 確かに、自分が過去に西洋諸国を練り歩いた時に会った吸血鬼は、どこを見回しても自分と同じ翼を持った同族はいなかった。皆造形に多少の違いはあれども、くるみの様に蝙蝠の翼を生やしていた。そのおかげで、当時のサテンは同族達からは奇異の眼で見られる事もあった。

 サテンがまだ名前すら無く、くるみよりも幼い姿をしていた頃。翼を隠す事を知らなかった当時のサテンのそれを見た人間、妖怪たちは口ぐちに彼女の事を「虹色」と呼び。彼女の通り名がいつの間にやら「虹色」で定着してしまっていた。

 それを罵倒の類ととらえなかった当時のサテンは特に気にしていなかったものの、自分が何者であるかを自覚し、確固とした名前を持つ妖怪達に出会う度に「虹色」と言う名前で呼ばれる自分が、酷く惨めに思えてしまった。

 そして彼女は何時しか、自分の事をこう名乗ることにする。

 

 『サテン・カーリー』

 元々は、サテンが幼い頃に住んでいた北欧のとある国で「虹」を意味するその言葉を適当にいじり、自分の名にしたのだ。

 

 

――結局の所、私は何者だったのだろうか。

 

 永く生きている間に何度も抱いた言葉が、再びサテンの脳裏に浮かび上がる。

 「私はサテン・カーリー」、そう言ってしまえばこれは実に下らない問いに過ぎない。だがそれでも、未だ心の奥底で先の言葉が呪いの様に張り付いて消えない。

 

 サテンはその鋭い目に暗い感情を宿らせながら己の今までを顧みた。

 

 元を辿れば、サテンが旅を始めたのは自分にも家族がいるのではないかと考えて始めた事だった。

 彼女の存在が妖怪達の間で囁かれ始めた時、サテンは生まれて間も無い、臍の緒すらまともに処理されていない赤子の姿をしていた。

 それを物心が付いた時にサテンが人妖伝手に知った事で、その思いは幼かった頃の彼女の中で加速する。自分に赤ん坊の頃があったと言うのなら、父や母がいる筈なんだと。

 

 吸血鬼の生まれ方には大別しておよそ3通りある。

 一つは一族の子として生まれる事。

 二つ目は吸血鬼によって眷属にされる事。

 三つ目はそれ以外の何らかの外法を用いて吸血鬼に“なる”事だ。

 

 

 本来吸血鬼とは、人間の様に一族を形成しているものなのだ。

 人間の世に知られて数百年程度しかないがその実、一族の血筋は遥か昔から実在していた。

 一説によれば、遥か大昔の時代に魔界からこの世界にやって来た悪魔の末裔が吸血鬼の大元となったとも言われており、吸血鬼を悪魔と称する事もある為、あながち間違いではないのかもしれない。

 しかし、実際にその真相を知っている者は当人である吸血鬼達でさえいなかった。大抵歳を取った吸血鬼達の極僅かは魔界へ移り住むか、はたまた元来備え持っている血の気の多さが災いして同族同士で潰し合いを行うか、人間達に戦いを挑んで返り討ちに遭ってしまうと言う自滅にも等しい所業によってこの世を去ってしまうからだ。次第に吸血鬼達は自分達の本来の歴史を忘れ、名もなき虚実の名声と血統に驕り高ぶる輩が増えてきてしまっていた。

 吸血鬼の歴史は闘争の歴史。生物の自然界における生存競争にも似た事は言えるのかもしれないが、吸血鬼達のそれはあまりにもおぞましく、血にまみれていた。

 

 そんな事を知ってか知らずか、サテンは自分の血筋を尋ねて旅を始めた。

 何らかの理由でやむを得ず捨てたのか、それとも自分のこの翼を奇形と見なしてゴミの様に捨てたのか。あらゆる可能性が今では思い付くが、当時幼かったサテンはそんな事を気にせず、ただ会ってみたいと言う感情の赴くままに歩き続けた。

 

 しかし5年、10年、そして数百年と経っても全く手掛かりが見つからず、彼女は心身ともに成長して行くにつれて次第に諦めていった。

 

 ヨーロッパは既に回り尽くした。知人の情報を基にアメリカ大陸やアフリカ、日本や一部の地域を除いたアジア諸国にも行き、果てには魔界にすら足を運んだ。

 

 だが、何処にもいない。見つからない。

 

 長い旅によってサテンの心は疲れ果て、彼女の旅は形だけのものとなり、気が付けば幼少の時代に住んでいた北欧を中心とした欧州一帯を、再びあてどもなく旅する吸血鬼へと変えてしまった。

 それでもサテンが旅を続けるのは、もしかしたらまだ家族がどこかにいるのかもしれないという思いを、無意識に引き摺っているからかもしれない。

 

 

「サテンちゃん? サテンちゃん!」

 

 思考の海に沈んでいたサテンは、くるみの呼び声で意識を引き揚げた。見つめるくるみの表情が何処か心配そうだったが、サテンの返事で大いに呆れた。

 

「あぁ、ごめん。日差しが暖かくてつい……もう着いたの?」

 

「それ、吸血鬼が言う言葉じゃないし、今は秋よー?……正確には入り口にね。ほら、あそこ」

 

 今に始まった事では無いこの感情も、時間が経てばまた気にしなくなる。一時的な発作の様なものだ。サテンは先程の事を出来るだけ早く忘れる様に意思を切り替え、くるみの示した場所を見た。

 

 くるみが指差す方向には、以前見つけた縄が縛られている岩と同じ物が、まるでミステリーサークルの様に陣形を作っていた。

 その中心地点の水面の遥か底に、サテンが目を凝らして見てみると紫色の魔法陣が敷かれているのがぼんやりと見えた。

 

「あそこに飛び込むって、ワケじゃないよね?」

 

「あはは、そりゃそうよー。私泳げないもん」

 

 サテンもあまり泳いだ経験は無いので湖の中へ飛び込むのには抵抗があった。幸いな事にそんな事せずとも大丈夫とくるみが笑いながら補足してくれたからちょっとひと安心。

 くるみが「ちょっと待っててー」とサテンに言って魔法陣の上へ飛んだ。

 

 真上へ着いたくるみが「それっ」と念じると、くるみの足もとから水底の魔法陣とは別の、青白い魔法陣が現れた。

 すると水底の紫色の魔法陣もそれに呼応するかのように水上へと浮かびあがり、くるみの足もとに現れた魔法陣がそれにかぶさる様に下へと沈んでいく。

 二つの魔法陣が一つに重なった時、一際強い光が辺り一帯に迸るとくるみがサテンの元へ近付いてきた。

 

「お待たせー。これで入り口(業務用)の完成よー!」

 

 その大きさは直径5メートルほどの“穴”だった。

 穴はかなり深く、湖の底まで繋がっているんじゃないのかと思えるほど薄暗く、底が見えない。ただしその代わりに、妖気とも魔力とも違う強いエネルギーの様な波動が穴の底から漂い始めて来た事だけはサテンにも感じた。

 

「さぁではサテンちゃん、夢幻の世界へレッツ――」

 

「ちょっと待った」

 

「ごふぇっ!?」

 

 意気揚々とサテンの手を取り入口へと向かおうとしたくるみだが、サテンの引っ張り返されて珍妙な声を出す。

 

「な、なによぉ、急に引っ張らないでよ」

 

「ごめん。でもその前に……」

 

 言うが早いかサテンの体から蜃気楼のように人影がすっと現れ、サテンの横に並んで飛んだ。

 それは顔つきから服装、仕草までもが全てサテンと同じ姿をしたまるで生き写しの様な存在だった。

 しかしその実態は、彼女の持つ吸血鬼としての能力、“分身”によって生み出されたものに過ぎない。

 

「内容は分かってるね?」

 

「二人が帰って来るまで留守番をしていればいいんだろ? のんびり待たせてもらうさ」

 

「……ほえー、何時も思うけどサテンちゃんの分身って見分けがつかないわね」

 

 まるで一人芸でもしている様にサテンと分身が会話をしているのを、くるみが呆けて見ていた。

 吸血鬼とは他の妖怪と違い、数多の超能力を行使する事が出来る。サテンの分身もまたその内の一つだ。

 

 くるみ自身うっかり忘れていた様だが、サテンはくるみが不在の湖を危惧したため代理を立てる事にしたのだ。その為の分身だ。

 

 分身がくるみの小屋へ向かった事を確認したサテンはくるみに再び先導を頼み、入口の中へと潜って行った。勿論戸締りよろしく、潜った後の入り口をしっかり元に戻す作業も忘れない。

 

 

 湖の入り口を潜った先は、例えるのならばまるで宇宙の様な空間だった。

 足場は無く、辺り一面に星々の様な光る点が見える他、結晶に似た物体も宙に浮かんでいる。見る物によっては其処はまた一つの幻想を体現したかのような世界だった。

 ただ難点を上げれば、足場が無い事もあって空の飛べない者には随分と不便な場所である所だろうか。尤も、妖怪が住んでいるのだから人間に対して配慮する様に作る気持なんぞ持ち合わせてはいないのかもしれないが。

 

 飛んでいる間にも、くるみはこの空間がどのような所かを彼女なりにサテンに説明していた。

 くるみ曰く、この場所は夢幻と現実の狭間に作られた世界。何でもそこはさる強力な悪魔が作った空間で、そこの一画を借りて屋敷を建てたのだとか。

 

 

 聞けば聞く程凄い所であった。屋敷の主もそうであるが、その空間を作ったと言う悪魔もそうだ。まさかどこぞの72柱や神話で名の知れた悪魔達ではなかろうなと、サテンは非常に気になった。

 

 そんな空間をサテンとくるみが飛んでいると、大きな屋敷が建っている大地が空間上にポツンと浮かんでいるのが見えてきた。

 

「サテンちゃんあそこよ、あそこが幽香ちゃんの住んでいる夢幻館。私がお世話になっている所よ」

 

 くるみが指をさして自分達の目的地を告げる。近付いてみれば空間もさることながら、建物自体も外の世界の建造物とは一線を画した外観をしている。

 日本の土地でありながらその屋敷の作りは西洋のものであり、屋敷と言うよりは城に近かった。

 そして建物全てが全体的に青い。屋敷を表面を構成している材質が水晶なのか、それとも大理石の様な物なのかすら分からない。

 正面もまた大きな青い門が構えてあり、その前に誰かが立っていた。

 

 赤を基調に白いラインやフリルがあしらわれたドレスを身につけ、頭に赤いリボンの巻かれた白い帽子を被った金髪の少女だ。見てくれはくるみよりも年上に見える。

 それだけなら一見すると普通の少女の様に見えるのだが、彼女の持っている物が異彩を放っていた。

 何せ彼女の持っている物は、死神が持っているかのような大鎌だったのだ。これまた珍妙な事に刃が外側に付いており、普通の鎌の様に刈り取ると言う機能が無い変わったデザインをしている。

 大鎌を持っていた少女がサテンとくるみが近付いて来るのに気付き、くるみがいる事に気付くと笑顔で手を振って出迎えてくれた。

 

「エリーちゃーん」

 

 くるみも嬉しそうに手を振りながら門の前に降りると、大鎌の少女、エリーの元へ駆けよって行った。

 どうやらこの地に来て、くるみにも良い友人が出来た様だ。それがサテンには何よりであった。

 

「紹介するわ。私がヨーロッパにいた時一緒にいたお友達のサテンちゃんよ」

 

 くるみに紹介されて、サテンも二人の元へ近付き帽子を軽く上げた。

 

「はじめまして、サテン・カーリーです。くるみが何時も世話になっているみたいだね」

 

「此処の門番をやっているエリ―よ、宜しくね。それにしても、貴女がくるみが言ってたねぇ……」

 

 へぇー、ふーんとエリーがサテンをまじまじと見る。サテンにとっては、まるで品定めされている様な気分だ。

 

「あの、何か?」

 

「え? あぁごめんなさい。くるみが随分と貴女の事をよく話してたものだから気になっちゃって」

 

「あ、あーあーエリーちゃん?」

 

 突然くるみが慌てだした。それを見たエリーはこれ見よがしに、口元を片手で隠しながらにんまりといやらしい笑みを作った。

 

「そりゃあ、仲の良い同族とは言えアレだけべた褒めだったら? 女の人だと知らなかったら恋人かと思っちゃうくらいな訳だし?」

 

「うわぁぁエリ―ちゃーん! そのお口をチャァーック!!」

 

 くるみがサテンから見て、未だかつてない勢いで顔を真っ赤にしてエリーに飛びかかった。が、それをエリーはするりとかわして高笑いを上げる。その仕草はさながらサテンが昔スペインで見た牛とマタドールの様なやり取りに見えた。

 

「おほほほほ! まるで夢見る乙女の様なあの仕草! あの時ゃ口から砂糖が出ちゃいそうだったわ!」

 

「うわー! うわー! それ以上言ったら血を吸ってやるんだからー!」

 

 何だろう、非常に気になる。くるみは私の事を何て話していたんだろう。

 聞きたい様な、くるみの反応からすると恥ずかしくて聞きたくない様な。サテンは二人を止めあぐねながらもそんな事を思っていた。

 

 結局このやり取りの結末は、くるみが目尻に涙を浮かべながらやけくそ気味にエリーの頭に齧り付いた所でサテンが待ったをかけ、ようやっと終いとなった。

 流石に其処までくるみが取り乱すとは思っていなかったのか、エリーも若干くるみの気迫に冷や汗をかいていた。

 

 

「あぁー……悪かったわよくるみ。だから機嫌を直して。ね?」

 

「うぅー、知らない! もうエリーちゃんなんて知らないもん!」

 

 流石にやり過ぎたと思ったエリーは帽子にくっきりと歯形を残したままくるみに謝るが、くるみはふくれっ面のままそっぽを向いて拗ねてしまった。

 それでも一緒に行動している所を見るに、実は其処まで怒っている訳ではないのかもしれない。後は時間が彼女達の仲を解決させてくれるだろう。

 

 サテン達はエリーを新たに加えて現在夢幻館の通路を歩いていた。

 外側の青い外観とは違い、中は床一面が真っ赤なカーペットが敷かれていてまさに高価な洋館と言った様子を醸し出していた。

 

 それに、この夢幻館に住んでいるのは主人だけでは無かった。

 屋敷の内部はかなり広い事もあって、ちゃんと屋敷専門の使用人もいる。

 とは言っても人間では無い。妖怪を主にもつ屋敷に働く者もまた人にあらざる者だ。メイド服の格好をした少女姿の妖怪かはたまた妖精達が、突如空間から滲み出て来るように現れて移動しては館内の掃除や手入れをしているのだ。御丁重にくるみやエリー、そしてサテンを見かけると、お辞儀までしてくれる。

 

「この屋敷の主……幽香さんってどんな妖怪なの?」

 

 くるみがちゃん付けをするあたり、おそらく女の妖怪なのだろう。しかし性格の方がサテンには分からなかった。

 通路を歩いている途中、サテンの問いにエリ―が頬を掻きながら答えた。 

 

「うーん……あの娘の事を説明するのは難しいわねぇ」

 

「結構気難しいのかい?」

 

「まぁ会ってみれば分か……」

 

 その時だった、エリーが話している最中、突然ギョッと顔を引き攣らせたまま凍りついた様に動きが止まってしまった。

 先程からむくれていたくるみもエリーの挙動に不審を抱き、エリーの視線の先を見て「げっ」と何やら不味いものを見てしまったかのような声を上げた。

 

 次いでサテンも二人の視線を辿って通路の向こう側を見てみると、その先には西洋の建築様式ならではの大階段があり、サテン達よりも上の階から誰かが来るのが見えた。

 ナイトキャップを被り、緑色の髪を腰まで伸ばした寝間着姿の女性が大きな枕を抱きながら歩いて来るのだ。目は未だ眠いのかショボショボしており、欠伸をしながらゆらゆらと体を大きく揺らしている。外見はサテンと同じか、もしくは僅かに若いと言った所だろうか。

 

 周りでは複数のメイド達が慌てて彼女を引き止めようとしているが、当の本人はそんな事お構いなしによたよたとおぼつかない足取りで歩き、階段に足をかけてしまった。

 

「むあ? あぅ! きゃあ!?」

 

 危なげな足取りで階段を降りようとした当然の結果として、寝間着姿の女性は階段を踏み外し、悲鳴を上げながら顔面から転げ落ちてしまった。長い大階段だった事が災いしたのか、転がり落ちる寝間着姿の女性は途中で止まる気配を見せず、数回ほど階段の角に脳天をぶつけ、最期もまた顔面で着地する事でようやくサテン達の階に到着した。後からメイド達が血相を変えて階段を下り、うつ伏せに倒れたままの女性を起こそうと必死いなっている。

 

 突然の出来ごとに一瞬呆気にとられていたサテン達だが、彼女達も慌てて女性の元へ駆け寄った。

 女性の元まで行くと、エリーが女性の回りにいるメイド達に道を開ける様に言いながら女性に近づき、両肩を掴んで無理やり上体を起こさせた。

 

「ちょっと幽香! なんでパジャマ着たままなのよ!? お客が来るって言ったじゃない!」

 

 階段から落ちた事に関しては心配していないのか、エリーは寝間着姿の女性の肩をがくがく揺らしており、それに合わせて女性の口から苦悶の声が漏れだした。

 

「うぅ~何よさっきから煩いわね。お客さんを待たせちゃ失礼でしょ~?」

 

「失礼なのは今の幽香の格好よ! あぁもう! 数時間前に分かったって言ってたのは何だったのよー!」

 

「まだ私が寝足りない事だけが分かったわ~」

 

「寝言言ってないで早く部屋に戻って着替える! ほら、貴方達も手伝って!」

 

 

 まるで寝起きの悪い子と、それを起こそうとしている母親の様な光景だった。エリーはサテンに「ごめん、ちょっと待ってて」と言った後、他のメイド達を引き連れて寝間着姿の女性を上の階まで運んで行ってしまった。

 

 まるで嵐の様な一連のやり取りに目を白黒させていたサテンだが、おや? っとある事に気付いた。

 視線を隣で静観しているくるみに移すと、困った様に苦笑しながらサテンを見ていた。

 

「くるみ? その、なんだ。さっきの彼女が……」 

 

「えーっと……うん、あの人が幽香ちゃん。このお屋敷の主人なの」

 

 先程の寝ぼけた女性が、よもやくるみ達の主であったとはサテンには予想外であった。

 少なくとも、サテンの頭の中で密かに描いていたこの屋敷の主人のイメージ像が音を立てて崩れていったのは間違いない。


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