東方外伝記 the another scarlet 作:そよ風ミキサー
日本の内陸部、そのとある山林の中。
最早そこに人の気配は一切無く、人間の世界から獣たちが住まう領域へと変わっていた。
現在の時間帯は深夜、元から人の気配すらなかったこの地には虫達の鳴き声と、時折聞こえる動物達の出す物音が森に静かな賑わいを与えていた。
落ち葉と小枝を踏みながら山道を遅くも無く、早くも無い速度で歩いていたサテンは。使い古された革製のアタッシュケースの中に新しく入れた荷物の重みを再確認し、ホッと安堵のため息をついた。
あれからくるみへのお土産を取り扱っている店を探していたのだが、時間が時間の為それらしい店は全て閉っていたのだ。
別に明日行くと言う約束をしてるわけでもない為、なんだったら時間をおいて昼食を取った町へ昼間に戻ればいい話なのだがそれもまた面倒。と言う事でサテンは道行く先に見つけた店から適当な物を見繕えれば良いと思っていたのだが、店は閉まっているし進めば進む程店の数は少なくなり、遂には野菜が駕籠に乗せられた無人販売所しかない始末。しかもそこの小屋は夜の為棚の上には何もない。
サテンは甘く見ていた。考えてみれば、くるみが住んでいる所は妖怪の隠れ里的な意味合いも含まれている場所だ。
普通の人間達がおいそれと分かる様な場所にあるとは思えない。近付けば近付くほど都市や町とは縁の遠い風景になって行くのは当然の帰結と言えよう。
しかし困ったサテンに救いの手を差し伸べてくれたのは、道中見つけた高速道路に設けられているパーキングエリア。其処の夜間営業を行っている売店だった。
パーキングエリアと言うものが存在しない北欧にいたサテンは、高速道路の道中に設置されたそれに驚いた。悟られない様に人のいない場所からこっそりと店の裏側へと侵入し、店内をキョロキョロと見回して物色していたらおあつらえ向きの物があった。
サテンが購入したのはひよこの形をした饅頭菓子と鳩の形をしたクッキー。これならお茶の御供にもいける筈だとサテンもひと安心だった
杞憂が晴れたサテンの足取りは見た目こそ静かなものだがとても軽い。今なら空すら飛べそうなくらいだ……飛ぼうと思えばすぐに飛べるのだが。
のんきな事を考えて歩を進めていたら、木の少ないはだけた場所に着いてしまった。夜空を見上げれば、人の町にあった人口の光が無いおかげで星々が良く見える。
夜目に優れた吸血鬼の眼で見渡してもあるのは緑あふれる山だけ、人の住む住居はちっとも見当たらない。吸血鬼の視力を以て遠くまで見通せば送電線の繋がった鉄塔と高速道路位は見えるが、此方には無い。大分遠くまで来たようだ。
そんな事を思いながらサテンは何となしに近くの木に触れてみると、木の形が先程歩いていた林の中のそれとは違う事に気づき、見上げてみればはたとある物が目に付いた。
「おや、柿だ」
星明かりも手伝って良く見えるそれは、たわわに実った柿の木だった。よく見れば辺り一帯はどれもが柿の木で、樹園が開けそうな位に広範囲に渡って広がっている。人気が全くない場所に沢山生えていると言う事は、動物達が食べにくる秘密の場所なのだろうか?
サテンのいた北欧でも、柿は割とポピュラーな食べ物だった為そう珍しい物ではないのだが、故郷と同じ物が異郷にある事が嬉しかった。形はちょっと違うけれどもそこはお国柄と言う事で。どれ味を確かめてみるかと手を伸ばした所で、声がした。
「もし、そこの女子(おなご)」
この場所で女と言われれば恐らくそれは自分しかいないだろう。野太い声で呼ばれたサテンは声のする方を向いた。少し離れた場所に置かれた一際大きな岩の上から感じた妖気に釣られて見上げてみると、声をかけた張本人がそこにいた。
日本の仏僧姿をした大男が、まるで岩の一部であるかのようにその上にどっかりと座りこんでこちらを見ていたのだ。
まるで岩から削り出したかのような厳つい坊主の顔つきに気難しげな表情が相まって、怒っているかのようにも見える。しかし声の具合からするとそうは感じられない。恐らくはコレが彼の普通の表情なのだろう。
だが、この大男は人間ではない。先程感じた妖気から察するに、サテンと同じ妖怪である。恐らくはこの地元の妖怪なのだろう、サテンは軽く帽子を上げて彼に挨拶をした。
「やあ、こんばんわ」
「うむ、こんばんわ。ここいらじゃ見かけない顔だが、あんた何処の妖怪だね?」
一目でサテンの事を妖怪と看破したがそれもそうだ。サテンは人間のいる所では妖気を完全に消しているが、妖術を度々使って移動している為、今は普通の妖怪でも感じられる位には妖気を漂わせている。
もしかしたらこの大男は、普段感じられない異国の妖気を感じて姿を現したのかもしれない。
「ヨーロッパ、ずっと西の外国から来たのさ」
人差し指で西の方角を指しながら教えると、大男の妖怪はおぉっと目を見開き感心したようにサテンを見た。
「やや、異国の妖怪か! これはあれか、人間の言葉で確かぐろーばるって奴だったかな? 初めて見たぞ」
「古風な姿をしているのに、随分と妙な言葉を知っているんだね」
見たくれとは裏腹に、陽気におどけて話す大男にサテンは少しだけ口元を緩めて微笑んだ。
「ほぉ、友人の住んでいる場所を尋ねてここまで来たのか。名乗るのが遅れたな。ワシの名前はタンタンコロリンと言う柿の妖怪で丹五朗(たんごろう)と申す者よ」
「御丁重にどうも、私はサテン。吸血鬼っていう妖怪なんだけど、知ってる?」
互いが互いを悪い奴ではないと感じた二人は、せっかく出会った異国の妖怪同士と言う事で丹五朗は岩の上から降りて地面に座り、サテンもそれに合わせて腰掛けながら世間話に花を咲かせていた。
サテンが名乗ったら、丹五朗はキョトンとした顔で首を傾げた。何だか熊がやっている様だなとはサテンの感想だ。
「きゅうけつき? なんだねそれは?」
グローバルは知っているのに吸血鬼はご存じでは無いのか。
妙な知識の偏りを持ったこの妖怪の為に、サテンは吸血鬼が何たるかについて説明する事にした。
「そっちの国の文字で見れば分かると思うけど、血を吸う妖怪なんだよ。えっと、確か日本語だと……こう書くんだったかな」
サテンは適当な枝を拾い、土がはだけた地面に吸血鬼の文字を書いた。
前に手紙でくるみから教えてもらった漢字と言うこの国の文字でうろ覚えではあるが書いて行くと、丹五朗が仰天して座っていた場所から立ち上がり、後ろへズドンとずっこけた。
「お、鬼? お前さん、鬼なのか!?」
「字ではそう書くけど、実際はどうなんだろうね。この国ではそんなに凄いのかい?」
噂では聞いた事がある。鬼とは、日本妖怪の中でもトップクラスに数えられる程の恐るべきパワーと妖力を秘めた種族だと。
皆総じて頭に角を生やしているので、広義ではともかく狭義では自分達吸血鬼は同種とは言い切れないだろうとサテンは思う。西欧妖怪で角を生やし、鬼の名を持つ妖怪はオーガ等がそれに該当する。自分達はむしろ、悪魔に分類されている方だ。
サテンが鬼の事について尋ねると、丹五朗はそれはもう大きな体とその両手をぶんぶん振り回してオーバーなリアクションで以て話してくれた。
曰く、ゲンコツ一発で数多の妖怪たちが吹き飛んでしまう程の剛力を備えている。
曰く、凄まじい程の妖気を持ち、一睨みしただけでたちまち凡夫な妖怪たちは竦み上がってしまうのだとか。
曰く、鬼は自分達妖怪にとっては畏怖すべきと同時に、憧れの存在でもあったのだとか。かく言う丹五朗はまだ小さい頃に一度西からやって来た鬼に出会い、いつかあんな素晴らしい妖怪になってみたいもんだと子供心に熱い夢を抱いた時期があったらしい。
「それはまた、凄いなぁ……」
鬼の情報は噂とあまり変わらないとして、実際に凄いと感じているのは丹五朗のその熱意であった訳だが。何だかこのまま喋らせていたら朝になってしまうんじゃないのかと思う程の熱弁っぷりだった。
まるでアイドルミュージシャンにお熱なファンを見ているかのような気分で、話を聞いているサテンはもうお腹いっぱいであった。
「そうだろう? でもなぁ……」
突然丹五朗は先程の勢いが嘘の様になりを潜め、はぁっと寂しげな溜息を突いて肩を落とした。
「時代と共に鬼は皆何処かに行ってしまったらしい。鬼だけじゃない、ここらも今じゃ妖怪達がめっきり減ってしまってな、知り合いは皆隠れ里で暮らすようになっちまった。数百年前が懐かしいよ」
言われてみれば、確かに此処に来るまでサテンは妖怪らしい妖怪には出会わず、妖精にすら会っていない。
「貴方は此処に住んで長いの?」
「うむ、これでも人の形を取ってからおよそ400年。何度か戦(いくさ)に見舞われはしたが、無事こうしてこの周りの柿の木達と平穏無事に過ごしているわけよ」
「へぇ、400年も」
400年も妖怪をやっているのならば、そこそこ大したものなのではないだろうか? 自分の歳は棚に上げて、サテンは感心した。
だが、サテンの感心は丹五朗の年齢よりも別の所に向いていた。
「隠れ里を知っているのなら、そこに住もうとは思わなかったの?」
「皆そう言って隠れ里で住むように勧めて来るんだがね。こいつらを見捨ててはいけない、もう少し此処にいようと思っている」
そう言って丹五朗が厳つい顔で見つめる先にあるのは、この柿の木林だった。丹五朗は柿の木の妖怪、そんな彼が柿の木をないがしろにしてしまえば、彼は彼たり得なくなってしまうと言う事か。それが、丹五朗をこの地に留めさせている理由だった。
しかし人間達の手は広く、長い。
彼らの自然への畏敬とサテン達妖怪への認識は、時代の波と一緒に薄れていき、新たに身につけた科学と言う術でこの世界を隅々まで暴き(あばき)立てようとしている。いずれはこの山にも人の手が伸びる可能性はある。
サテンの住んでいる西欧全般だって他人事ではない。今はまだ緩やかではあるが、力の無い妖怪や妖精から少しずつ消えていっている。
しかもそれに追い打ちをかけるかのように、あの国近辺の退魔士達は妖怪を退治するのに精力的だ。
何とももどかしい話ではないか。人がいなければ妖怪は成り立たないと言うのに、彼ら人間達は妖怪がいなくとも生きていける。そして妖怪は忘却の彼方へと追いやられ、その存在は空想の存在と決めつけられ、闇に葬られつつある。
何時からだろうか、人間達がこうなってしまったのは。文明の利器を身につけた頃からか? それとも……――
サテンは妙なやるせなさを感じて、帽子を深く被り直した。
だが、それを回避する為の隠れ里だ。くるみの住んでいる場所もそう言った方針の基に出来あがった場所だとサテンは聞いている。
今の時代、妖怪が暮らしていく方法は大きく分けて二つ。
一つは人になりすまし、人の世に溶け込んで暮らして行く事。
二つ目は、人の世から離れてひっそりと暮らす事だ。
それに適合できない者は、過去に絶滅して来た生物の様に、自然の摂理によって消滅していく。
(自然の摂理か、冗談じゃない)
自分で言っておきながら、サテンはその言葉に酷く腹が立った。誰だって、好きで消えたくは無いのだから。
「……話は変わるんだけどさ、ここら辺にその隠れ里ってないかい? 私は今其処を目指しているんだけど」
暗い雰囲気を切り替える様に、サテンは地図を見せながら隠れ里の事について尋ねた。
丹五朗はそれを手に取り見ていると、困った様に眉をハの字にした。
「こりゃまた随分と大雑把だな」
「貴方もそう思う?」
これから尋ねようとしている友達がくれたんだよ、と告げると丹五朗は腹を抱えて大笑いした。
「そうか、そうか。そう言えばお前さんは友達を尋ねている途中だったんだな。すまんな、湿っぽい話をしてしまって。さて、どれ……」
地図を目を細めて見ていた丹五朗だが、突然あぁっ! と矢印の記された場所を指差して叫んだ。
「此処だ! ワシの知り合いが行った隠れ里は此処だ!!」
「え、本当? 場所は分かる?」
「うむ、前に誘われたときに聞いていたからな。丁度いいからこの地図に書いてやろう、何か書く物は持ってるかね?」
サテンがアタッシュケースの中からインクと羽ペンを渡すと、丹五朗は使い方が分からず困り顔だったが、サテンが教えるとすらすらと書いて見せた。
どうやらこの国でもインクに付けて文字を書く道具はあるらしく、それの応用でやっている様だ。
今度は丹五朗のおかげでしっかりと近場の住所や特徴なども書かれている。これなら確実に目的地へ着けるだろう。
「ありがとう、正直この地図でどうやって行こうか困っていたんだ」
「ははは、お前さんの友達は結構そそっかしいのだな」
「……まぁ否定はしないよ」
インクが乾いた事を確認するとサテンはそれを折り畳み、内ポケットの中へと仕舞い込むと身支度をし始めた。
「おや、行くのかね?」
「ああ、急で悪いけど早速行ってみるよ。……何だか、急に友達に会いたくなってきたんだ」
それは、サテンの偽りの無い本音だった。
永い事生きていると、時折無性に感傷的になる時がある。先の丹五朗の話を聞いた今なんて特に、だ。
サテンの突然の出立に、丹五朗は気を悪くするどころか暖かく見送る気でいた。
「そうだそうだ行ってやれ、会える時に会ってやった方が良いぞ。ワシら妖怪は長く生きれるが、何が起こるか分からないからな。それに、ワシも異国の妖怪から話が聞けて面白かったわい……おっとそうだ」
ちょっと待ってろ、と丹五朗が柿の木へと向かい、その実を二つもいでサテンに渡した。
「餞別だ、友達と一緒に食べると良い」
程良く熟れてて甘いぞー、自慢げに言う丹五朗。柿の木の妖怪からのお墨付きなら、その味は本物なのだろう。
「ありがとう、丹五朗さんもお元気で」
「ああ、友達とは仲良くな」
サテンは手を振りながら丹五朗の元を去って行く。
国は違えど同じ妖怪、世知辛い世の中になったがお互い頑張ろうと言って別れを告げた。
丹五朗と別れたサテンは、貰った柿の一つをコートの端で軽くこすってひと齧りした。
くるみには悪いが先に頂いてしまおう、お土産があるのだから問題は無い。そんな欲の皮が突っ張ってしまった事が災いしたのか、サテンは思いもよらぬ報いを受ける事になる。
「うっ!?」
予想だにしない渋みが口内に広がり、それに驚いて咀嚼していた柿を思わず吐き出してしまった。
口元を裾で拭い、先程の衝撃でズレ落ちたサングラスをかけ直したサテンは渋柿を睨みつけた。
「あの人だって大概そそっかしいじゃないか。何も渋柿を寄越さなくたっていいのに」
文句を吐いた後、ふとあの気の良い柿の木の妖怪を思い出して軽く溜息、そして何を思ったかまた一齧り。
再び顔を顰めて呻くものの、今度は吐き出さず無理やり飲み込んだ。
所変わって、場所は先程丹五郎がいる柿の木林。
西洋妖怪との出会いに気分を良くした丹五郎は、袖の中に入れていた柿を齧った。
そして瞠目する。
「うぉぉ、苦ぇ!?」
ぺっぺっと口に含んだ果肉を唾ごと吐き出し、手に持つ柿を一瞥した所で丹五郎は気付いた。
「ありゃ……渋柿あげてしまったか」
先程の妖怪にあげたものも同じ木から取った柿だ。つまりは渋柿、柿の木の妖怪としては大失敗である。
甘いと言ってあげたものが、実はえらく渋いものだったなら、貰った人は気を悪くするだろう。丹五郎は渋柿を食べたサテンの反応を想像して、悪い事したなぁと申し訳ない気持ちになった。
今度会う時に改めて甘い柿を渡しておけばいいか、そう自分の中で完結して柿の木の手入れをする事にした。
果たして今度彼と彼女が会うのは、何時の事やら。
(地図の通りなら此処の先に……)
日付が変わり、新しい朝を迎えた日本の空の下。
何度も地図に書いてある補足と見比べているサテンの現在の場所は、山奥に設けられている古びた石階段。長い事人の手入れがされていなかったためか、石階段の隙間から雑草が茫々に生えており大分荒れている。サテンはその階段をメモを片手に、記された地図を頼りにのぼり始めた。
長い階段をのぼっていくと、良く言えば年季の入った、悪く言えば随分とくたびれた神社が見えてきた。
博麗神社、それが今サテンの目指していた場所の名前である。何時から、何の神を祭っているのかも分からない神社。これがサテンの一応の目的地だった。
鳥居に近付き、くぐろうと一歩踏み込んだ所でサテンは何かに気付いた。
目に見えない何かを探る様に、サテンは何もない個所を傍から見ればパントマイムでもしているかのように手を翳して動かした。
(成程、ここが『境目』って奴か)
人間のいる世界と、人間ではない者達のいる世界の境目、ここがくるみ達の住んでいる隠れ里への入り口なのだろう。
誰が作ったのかは知らないが、極めて特殊な結界が張られている事にサテンは何となく分かった。
それに納得すると、サテンは躊躇なくその鳥居を潜った。
抵抗力は感じない。サテンはてっきり入る際に何らかの圧力でも掛かって来るかもと予想していたが取り越し苦労だったらしい。
代わりにサテンの視界が白い靄で覆われていく。足元に広がる石畳だけを頼りに歩いて行くが、中々距離がある。
数分位歩いていると、靄が晴れて視界が元に戻って行く。そして辿りついた先には、先程見たボロい神社より大分マシな神社がサテンの目の前に建っていた。それなりに手入れの行き届いた、人の住んでいる雰囲気が感じられる。
日本独特の美的感覚と宗教概念に基づいて作られたこの神社は、欧州にある教会なんかよりは親しみを感じるのは自分が吸血鬼だからだろうか? そんな事を考えながら神社を眺めていると、サテンに声をかけてくる者がいた。
「うちの神社に何か用?」
それはサテンの後ろから聞こえた。
サテンが振り向いた場所にいたのは、紫がかった黒髪を腰まで伸ばし、赤いリボンを頭に結んだ十代半ば程度の少女だ。白い着物に赤い袴と言うこの国独自の巫女装束を着込んだこの娘が、この神社の主なのだろうか。箒を持っている所からこの神社内に散らばる落ち葉を掃いている最中なのだろうが、今は胡散臭そうにサテンの事を見ている。
サテンの今の姿は、日本に来た時と変わらずダークブラウンのパンツスーツとロングコート、それにボルサリーノ調の帽子に丸いサングラス。普通の人間だったら警戒するなと言う方が難しい様な格好だ。
「友達を尋ねに来ただけだよ」
「御生憎だけど、この神社には私しか住んでいないわよ」
「いや、神社じゃなくてこの里に友達が住んでいるって聞いたから来たんだけど」
「……もしかしてあんた、外から来たの?」
怪訝そうに訊ねる巫女の少女の言いぶりからして、サテンは自分が隠れ里の中に入れた事は確実であると確信した。
「そうだよ、手紙で此処の事を教えてもらって外国から来たんだ」
「ふぅん、外国の妖怪がわざわざご苦労な事ね」
サラリと言ってのける巫女の発言に、サテンは僅かながらに目を丸くした。
「分かるのかい?」
「そりゃあなんたって私、巫女だもの。妖怪の気配が分からないと此処じゃやってられないわよ」
妙に妖気が抑えられている様な気がするんだけどね、と言う巫女にサテンは感心した。
成程、この娘は退魔士の類だったのか。
巫女の発言からするとつまり、此処はけっこう物騒な所なのだろうか。妖怪にとってか、人間にとってかは知らないが。
それにしては今すぐに襲いかかろうとしている訳でもないので、サテンにとってこの少女は西欧にいる輩どもよりは大分まともに見えた。今の所は。
「それで、どんな奴なの?」
巫女の言葉の意図をくみ取れずにサテンは首を傾げていると、巫女が鈍いわねと眉を顰めて答えた。
「あんたの尋ね人よ。この場合、妖怪なんでしょうけどね」
意外にも親切だった。
話しぶりからすると妖怪と戦っているみたいだから、てっきり邪険にして来るものかと思えばとサテンが感心していた。しかし、巫女が勘違いしないでとにべもなく付け加えてきた。
「あんたがこのまま此処にうろついてちゃ碌に掃除が出来ないんですもの。それとも、あんたも一緒に掃除されたい?」
言い方は随分と乱暴であるが、此処は一つ彼女なりの優しさだと前向きにとらえておこう。
まぁ妖怪と戦う事もあるのだから、これ位の気概がある方が却って丁度いいのかもしれない。敵である妖怪の自分がそんな事を考えるのもおかしな話だがとサテンは思うが。
取りあえず巫女に言われた通り、サテンはくるみの詳細を伝える事にした。
詳細を伝え終わった後、巫女は箒を片手でくるくると器用に回しながら記憶を手繰り寄せるも、思い当たる節は無い様だった。気難しげに眉をひそめるだけで何も答えが返って来ないのは、そう言う事なのだろう。
「じゃあ、ここ等辺で大きな湖を知らない?」
くるみが住んでいる場所の近くの特徴に、大きな湖があると手紙に書いてあった。それを聞いた巫女は、あぁそれなら知っていると答えてくれた。
「多分、神社の裏の方にある湖の事だと思うわ。でもあんな所に妖怪が住んでいたなんてね」
思いの外目的地はすぐそこにあった。良い事を教えてくれた巫女にサテンはありがとう、と軽く帽子を取って会釈をしながら礼を告げた。
「妖怪に言われる礼なんて不要よ、早く行きなさい」
私は今掃除の途中なのと、巫女は手でシッシと追い払うそぶりを見せる。
サテンもこれ以上彼女の邪魔をする気もないし、すぐ近くにあるなら飛んでしまおうと思った。
サテンは空を飛ぶ事ができ、その為の翼も持っている。吸血鬼は皆空を飛ぶための翼を持っているので珍しいものではない。普段使わないのには、その姿形が目立つと言うものがあった為だ。
しかし、目の前の巫女には既に自分が妖怪だと気づかれているのだ。これ以上隠す必要はない。
コートの上を透き通る様に、サテンの背中から2対の羽が伸びた。
それを近くで見ていた巫女は軽く目を見開く。
それの骨格は歪に折れ曲がった黒い枯木の様な形をしており、そこから広がる翼膜は薄い鉱物の様なもので構成されている。被膜が太陽の光に照らされるとステンドグラスの様に不規則な七色に妖しく輝き、およそ古今東西に存在するどんな生物や伝承に聞く者達でも見た事も聞いた事も無い、おぞましくも幻想的な翼だった。
サテンが翼を広げるとそれに合わせて七色の被膜が広がり、怪光が増す。するとふわりとサテンの体が重力から解き放たれ、空へと浮かんで行く。
「それじゃあお嬢さん、教えてくれてありがとう。私はこれで」
「ああ、うん。じゃあ」
サテンが手を軽く振ると、巫女も思わず釣られて手を振り返してしまった。
それを最後にサテンは翼を羽ばたかせる事無く風の様に飛んでいき、あっと言う間に見えなくなってしまった。
飛んでいくサテンを見送った巫女ははぁっと溜息をつき、再び箒で石畳に散らばる落ち葉の掃き掃除を再開した。
「あいつって、何の妖怪だったのかしらね……?」
それに名前も聞いてなかったし。
巫女――博麗靈夢はこの神社にやって来た名も知らぬ異国の妖怪について考えるが、すぐに興味を無くした様に掃除に集中しだした。
サテンにとって空を飛ぶ事は楽しいが、この翼が目立ち過ぎて夜でも星の光があればそれに反射して光るため、昔は退魔士達から狙われっぱなしの時期があった。その為翼を隠し、飛ぶに飛べない窮屈な日々を過ごしてきたわけだが此処ではそう言った懸念はなさそうだ。辺りを見回していると、妖怪と思しき人影が空を飛んでいる所も見えたので文字通り羽を伸ばす事が出来る。
青空と太陽の下を飛ぶサテンの体に照りつく陽の光は、吸血鬼にとっては猛毒にも等しいのだが、サテンはそれを浴びても何ら異常が見られない。
サテンはそんな事を気にせず飛んでいると、巫女の言った通り大きな湖が見えて来た。
中央には縄で結ばれた岩が点々と置かれており、なにやら不思議な光景だった。巫女のいた神社にも似た様な縄があった為、もしかしてあの巫女が付けたのだろうか?
大きな湖の為少し時間が掛かるかと思いきや、呆気なく見つかった。湖のほとりにログハウスが建てられていたのだ。
建物としては立派なものだ。見た感じでは、数人くらい入っても問題なく暮らせる位の大きさがある。
木製の壁面には釣り竿や小さなボートやらが適当に立てかけられており、ベランダの方には洗濯物が紐で吊るして干されている。そこは、確かに誰かが住んでいるという生活感に満ちていた。
よく見ると洗濯物には明らかに少女が着そうな服や下着までも干されている辺り、サテンは不用心だなと思いつつも確信した。あれは間違いなくあの娘だ。
音もなく玄関の前へと降り立ったサテンは、こほんと一息整える。
サテンは何故か自分が少し緊張している事に気付いた。
昔はよく一緒にいた相手なのに、百年位経ってから会おうとすると妙に気後れしてしまう。何故だろう?
これから恐ろしい妖怪に会う訳でもないのに、サテンはほんの僅かに自分の呼吸が乱れているのを恥じた。
――会ったら最初に何て言おうか。いきなり土産を渡すのなんて、味気ないしなぁ。
そこでサテンはハッとする。これではまるで恋する乙女じゃないか。
幾つになったと思っているんだ私は。自分を内心罵りながら、サテンは神妙な面持ちで扉にノックをしようとした。
しかし此処で不幸な事故が発生する。
要因として、まずサテンがノックしようとした時のその拳の威力は、緊張による力みでコンクリートブロック位なら軽く砕ける位にまで高まってしまっていた事。
次に、ドアの向こうから人が来ている事に迂闊にも気づいていなかった事だろうか。
「ふんふふーんほあたぁ!?」
あるいはこれを、人は笑いの神が舞い降りたと言うのだろうか。
結果、突然扉が開き、中から陽気に鼻歌を口ずさみながら出て来た少女の額にサテンの裏拳と言う名のノックがヒットした。硬い物が、骨にぶつかる嫌な音が少女の額から鳴る。
奇妙な声を上げながら少女はのけ反る――だけに留まらず、その場で低空のムーンサルトを披露して見せた。
床に後頭部をしたたかに打ちつけた少女は「ふんぎゃ!?」と尻尾を踏まれた猫の様な悲鳴と共に目を回してその場で撃沈。
木製のキャンバスに最後まで立っていたのは、勝利者では無い。サテンと言う名の愚か者だった。少女の奇声がゴング代わりだ。
一瞬何が起こったのか分からず呆けたサテンだが、自分がしでかした事に顔を青ざめさせ、倒れている少女を抱き起こした。
肩にフリルのついたブラウスに黒いスカートを履き、金髪を腰まで伸ばした見てくれ10代前半の少女。
背丈はサテンより頭一つ~二つ程小さいが、普通の人間とは違い、背中から大きな蝙蝠の翼を生やしている。
彼女こそがサテンの目的の人物である吸血鬼の少女、くるみその人だった。
「く、くるみ!?」
「うー、何何? 何なの? もしかして幽香ちゃん?」
幸いにもくるみも吸血鬼の端くれだった為か、見た感じ額が赤く腫れている以外に異常は無い。
サテンの腕の中で頭をフラフラさせながら、くるみは錯乱しているのか見知らぬ名前を口にする。だが、徐々に意識がはっきりとしてくると、サテンの事に気が付いて目を丸くしていた。
「あれ? サテンちゃん?」
「……久し振り、くるみ」
……とりあえず元気そうで何より、なのかな?
微妙な雰囲気の中ではあるが、サテンは故郷から遠い東の地で、再び友人と再会する事が出来た。