風の聖痕 新たなる人生   作:ネコ

3 / 24
第3話

 年も明けてしばらく経つと、屋敷内の者たちが少しざわめき立っているのが分かった。忙しなく屋敷内を移動していく者もいる。そして、その理由は嫌でも和麻の耳に入ってきた。

「厳馬様の御子様が産まれた。

 今度は、膨大な炎の精霊が祝っていたぞ」

「これで、厳馬様も安心できるというものだな」

「出来損ないが跡継ぎなど、たまったものではなかっただろう」

「深雪様も大層喜ばれておられた。

 誰かの時とはえらい違いだ」

 分家の者たちは、和麻に聞こえるようにして、わざと近くで話しをしていく。酷いときなどは、いつもは無視するなどしているにも関わらず、わざと話し掛けてきて、面と向かって、『出来損ない様ご機嫌いかがかな?』などと言ってくるのだ。無視されていた方が、煩わしくなくてよかっただろう。

(弟か……この様子では、俺に関係なさそうだな)

 分家からの情報(勝手に話し掛けてくる)を元に、新しく産まれる子供が男であることを知る。しかし、この様子では、その子供と会うことはほぼないと言っていいだろう。

 だいぶ後で知ったことだが、包帯に巻かれていた時に食事を持ってきた女性が、和麻の母親───深雪であった。その後も、数回会ったが、会話などはほぼなく、聖凌学園からの家庭訪問で知ったくらいだ。分家と同じような対応をしていたため、母親とは思ってもみなかったのである。これには、父親であると聞いたときの厳馬以上に、驚きを隠せなかった。

 実際には母親も、周囲からの反応により、性格も段々と酷く……分家寄りの考え方へとなってしまっていた。神凪家としては、同情や憐憫などの言葉は、侮辱に近いものであり、その事に苛まされて、心が病み始めたのだ。それを心が防止するために、深雪は和麻を他人の子供として考えるようになったのである。

 そのような母親から、才ある子供が産まれたのだ。今度は紛れもなく神凪の炎を受け継いだ子供が。出来損ないなどと言われている子供に会わせようなどと思うはずもない。

 しかし、同じ屋根の下に住む者同士、ずっと部屋に閉じ籠っているわけもなく、当然として出会うことはあった。その時、母親は、明らかな嫌悪感を表すと共に、近付いた際には、見向きもせずに通りすぎていく。和麻もそれを知ってか、軽く会釈をしながら通りすぎていった。

 それを見て何人が親子と思うか……他人だと言った方がしっくりとくるだろう。

 産まれた子供の名前は既に決まっていた。神凪煉。名前は煉獄の煉だ。意味としては、新しく熱して良質なものへと変えるというもの。詰まるところ、和麻の存在を無かったものとして、新しく産まれた子供が全てであると言っているに等しかった。

 和麻が少しだけ見たところでは、顔は厳馬には似なかったようで、母親に似たのだろうことが分かる程の女顔であった。その見えたこと自体も偶々に過ぎなかったが……。

 新しく煉が産まれた事で変わったこと。周囲の風当たりが更に酷くなったことだろう。大人たちもそうだが、特に子供たちの方が酷かった。大人たちは無視して通りすぎれば、舌打ちなどをしつつも、それ以上はついてこなかったが、子供たちは違う。ところ構わずついてくるのだ。

 そして、この時になって初めて、気が付いた時に、火傷や打撲を負っていた原因が分かった。

 無視していると、炎を顕現させて和麻に向けて放ってきたのである。熱気を感じて、間一髪で避けたからいいものの、直接当たっていれば、大火傷を負っていただろう。しかし、それだけで終わるはずもなかった。

「避けるなんて生意気なんだよ!」

「下手だなー。俺が手本を見せてやるよ」

「次は俺の番だからな」

 子供たちは次々に言い合うと、炎を和麻に向けて放ち始めた。こちらに関しても、ところ構わずである。この考えなしの行動に和麻は飽きれ、その行動を誘導していく。

 そして、炎を避け続けてることで、期待した状態へともっていった。屋敷に炎による放火をしたのである。炎は近くにいた分家の者によって鎮火されたが、それにより放火した子供たちが咎めを受けることはなかった。逆にしっかり狙えと言われるほどだ。

(この調子では、誰に言ったところで無駄だな)

 宗主であれば、多少話しは通じるだろうが、根本的に変わりようがない。分家の考え方が変わらない限りは……。

 屋敷に火を着けてからというもの、狙ってくる場所は限られてくる。それは、学園からの帰りで家に入る瞬間だったり、ひとりで訓練を言い渡されたときなどだ。

 道場だけは、しっかりと補強されているようで、子供たちの出した炎が燃え移ることはない。そのことを知ってか、訓練時にはしつこく見張る者まで出てきていた。

 厳馬がいない時を見計らっているのである。そして、その時はきた。

(とうとう来たか)

 ニヤニヤと笑いながら、数人の分家の子供たちが道場内に入ってくる。視線は入った時から、皆和麻のみしか見ていない。その目的は明らかだった。

「おい、和麻遊ぼうぜ」

「久し振りに的当てな」

 一方的に言ってきた言葉に、和麻の返答は素っ気ないものだった。

「断る。

 遊びだったらお前たちだけでやればいい」

 断られるとは思っていなかったのだろう。子供たちは、和麻が言った言葉を理解できずに固まってしまう。

 その間にも和麻は、分家の子供たちになど見向きもせずに、厳馬から与えられた訓練内容の消化を行う。お前たちになど構っていられないと言わんばかりに。

 子供たちの中で一番歳上の子供が正気に戻り、和麻の言った言葉に対して顔を真っ赤に染める。子供たちにとって、和麻に侮られるということは、親に顔見せできないほど恥ずかしいことだった。

「お前の意見なんてどうでもいいんだよ!!」

「そ、そうだ! そうだ!」

「生意気だぞ! 出来損ないの癖に!」

 一人が強気に出たことで、それに続くように他の者も口を揃えて言い始める。一人ではなかなか行動しないが、集団になると強気になる者たちに対して、和麻は冷たい視線を投げ掛ける。

 その視線が気に障ったのか、他の者も怒りを露にし、周囲へと炎を顕現させ始めた。

「泣いて謝れ!」

 炎は子供たちの意思に従い真っ直ぐ和麻目掛けて飛んでいく。それが子供の数よりもやや多く飛んでくるが、和麻は余裕をもって、何でもないことのように回避した。実際厳馬との訓練を考えれば、その炎の速度は緩やかなもので、避けることなど容易い。

 避けられた炎はそのまま直進し、壁に当たって飛散していく。何も燃やすことなく。

 避けられるとは思っていなかったのか、呆然としている子供たちの間を、素早く駆け抜け道場を出る。相手にもされなかったことに、道場から出た子供たちは、罵詈雑言を並べていたが、和麻は気にも止めない。元々気にしてないのだから当然だが。

 ただ、和麻が逃げた、という噂はすぐに広まり、悪口のひとつとして言われるようになった。

 

 

 

 噂というものは意外と馬鹿にできない。そのことを思い知らされたのは、厳馬からの呼び出しで、呼び出された内容を実際に行うことになってからだった。

「次の日曜、試合を行う」

「組手ではなく試合ですか?」

 厳馬はなんの脈絡もなく、突如として簡潔に和麻へ言い放ってきた。そして、これ以上の用件はないとばかりに一言。

「部屋に戻れ」

「……分かりました」

 疑問に答える気がないことは、分かってはいたため、返事をして立ち上がり、小さく溜め息を吐いてから厳馬の部屋を後にする。この神凪家のほとんどの者がそうだが、あまりにも偏った考え方の持ち主が多すぎた。

 神凪家の者は血筋を気にし過ぎて、それ以外にはあまり目を向けようとはしない。その考えが通じるのは、限定される。いつまでも高圧的な態度を取り続けていれば、何らかしらの敵意や恨みをかうことになるだろう。その事にまで頭の回らない、あまりにも短慮な思考回路に和麻は呆れていた。

 

 翌週。明日の試合を目前に控えても、変わらず和麻は訓練を課せられていた。厳馬に、休みを与えるという選択肢はない。また、和麻としても休む気など毛頭なかった。

 噂が立ってからというもの、和麻に直接手を出してくる者はいない。その事を不思議に思いつつも、夕暮れ近く、暗くなるまで訓練を行い、時間になったところで部屋へと戻るために道場を後にする。

(道場が遠いのがネックだな)

 この時、決して和麻は油断はしていなかった。常に周囲を警戒しろ。その言葉は住んでいる屋敷内でも言えること。むしろ、屋敷内こそ注意すべき場所だった。ただ、かなり綿密に立てられたそれは、予測していても回避できたかは分からない。

 廊下を曲がると、炎が目前へと迫っていたのだ。身を捩って避けるが、それで体勢が崩れたところを、何者かに棒状の物で殴りつけられる。

(っ!? 誰だ!?)

 その後は、和麻が体勢を崩してそのまま倒れたのをいいことに、一方的に攻撃を加えていった。相手は何も言わず、ただ滅多打ちにしてきた。

 和麻も、ただやられていた訳ではない。攻撃してきた相手の位置から素早く離れ、反撃をするため、身体を起こしたところへ、他の廊下を誰かが通りかかる。

「そこに誰かいるのか?」

 その言葉で相手が一瞬固まった気配が伝わる。和麻はその隙をついて、渾身の気の籠った一撃を相手に与えた。薄暗く顔は見えなかったが、体格は完全に和麻よりも大きいことは分かる。そんな相手に確かな手応えを与えると、唸り声を出しながら、その場を逃げ去っていった。

 その足音の後、炎による灯りが照らされ、和麻のいる廊下は一気に明るくなる。その先に居たのは、和麻が見たことのない相手だった。宗家の顔については見知っているため、必然的に分家の者ということになる。その者は、和麻の状態を見て慌てたように近付いてきた。

「大変じゃないか! 頭から血が出ているぞ!?」

 頭から額へと伝わる血を見て相手は血相を変える。その事に和麻は不審に思い、咄嗟に距離をとった。この屋敷内で信じられるのは基本的に己のみ。見ず知らずの相手……しかも分家の者を迂闊に接近させる気はなかった。

「何をしている! 早く手当てをせねば!」

「近付くな」

 和麻からの拒絶の意思はハッキリと相手を捉えて立ち止めさせる。それは、大きな声を出したわけではなかったが、有無を言わせぬ迫力があった。

「部屋に戻りますので失礼します」

 相手が固まっている合間に、言いたいことだけ伝えてその場を去る。相手の男は追っては来なかったが、その時に和麻の後方から、声だけが後を追ってきた。

「これだけは覚えておいてくれ!

 ここの者全てが、君に悪意を持っている訳ではない!」

(白々しい)

 その言葉は、今の和麻には何の引き留めにもならず、素通りしていく。既に宗主以外の宗家にも言えることだが、分家の者の言葉は、全て信じるに値していなかった。

 痛む身体に鞭打ちながら部屋へと戻り、簡易的にではあるが治療を施す。襲われて怪我を理由にしようと、試合は行われるだろう。厳馬とはそういう男だった。少しでも身体を癒すため、この日は早めの就寝をすることになる。明日の試合に備えて……。

 

 試合当日。午前中に行われる試合場所である道場に向かう。昨日受けた傷は痛むものの、動くことにそこまでの支障はない。

 道場内入ると、壁の周囲に、いつも言い掛かりをつけてくる子供たちと、大人数名が待ち構えていた。子供たちはいつも通りの嘲笑を。大人たちは侮蔑の表情をして、少し身体を引きずっている和麻を迎え入れる。そんな大人(体格的に)の一人だけは、明らかに苦笑いで時々脇腹を押さえているのが見受けられた。その様子から、昨日の襲撃者が誰であったのかが分かる。そして、この試合の相手も。

(自分の親族のためなら闇討ちすらするとはね)

 襲撃者の親族であろう子供が、和麻が入ってきたところで、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、道場の真ん中へと歩いてきたのだ。これで、この試合の相手が誰であるのか理解させられた。

 しばらくすると、昨日廊下で出会った男と、厳馬が道場へと入ってくる。厳馬の表情はいつもと変わりなく無愛想で、その後ろを付き従うようにして分家の男が入ってくる。その男は道場に入ってくるなり、和麻を見て心配そうな顔をしている。

「揃っているな。

 大神、始めろ」

 厳馬はそれだけ言うと、分家とは反対側の壁の方───和麻のいる方へと寄っていく。そして、和麻に対して顎を動かし、道場の中央へ行くよう促した。

 和麻はそれに頷き、道場の中央へと足を進める。少し身体を引きずるような格好をしながら。

 相手の子供と対面する位置まで来たところで、両者の間に厳馬と一緒に入ってきた男が立つ。そして懐から出した紙を拡げて読み始めた。

「これより、神凪和麻と久我透の試合を執り行う。

 降参若しくは戦闘不能によって決着をつけるものとする。

 立会人は私、大神雅人が執り仕切る。両者共に以降、この試合の遺恨を残さぬようにすること。これを破りし者は、宗主の名において裁定を下す」

 降参を口に出したとき、あからさまに雅人は和麻へと視線を向けた。他の者はそれを聞いて、失笑を漏らす。和麻が降参すると思っているのだろう。

(あの噂が原因でこの試合が組まれたのか)

 長々と注意事項を聞き流し、和麻は相手を観察する。透と呼ばれた子供は、明らかに和麻よりも体格は大きく、その顔は愉悦で歪んでいた。

 堂々と和麻を痛め付けることができると確信している顔だった。

 そして、試合は開始される。

 

 それは一瞬の出来事だった。

 笑みを浮かべていた周囲の顔は強張って固まり、動きを見せない。試合の立会人である雅人ですら、固まってしまっていた。

 止めるものがない以上、動きを止めることはない。その道場内で一人だけが動き続けている。相手が倒れそうになれば蹴り上げ、棒立ちになったところへ執拗に攻撃を加えていく。そこに手加減という言葉は微塵も存在しない。

 相手が倒れてから、やっと周囲の時間が動き出す。立会人の雅人が両者の間に入り、手を止めさせようとするが、その時には既に終わっていた。和麻は元の位置に戻り、倒れた相手を見下したような目で見つめる。その目は父親である厳馬に酷似していた。

「この勝負、神凪和麻の勝利とする!」

 分家の者は、誰もが和麻が負けると思ったのだろう。透の勝利は揺るぎないと思ったのだろう。

 事前に負傷を負っていたことは、雅人から厳馬と分家の者へ伝えられていた。負傷した者を試合に出すわけにはいかないと、説得していたのである。結局、厳馬が試合をやめるはずがなく、分家の方はそれを聞いて、尚更やめる気はなかった。しかし、蓋を開けてみれば結果は真逆。和麻の完勝だった。身体能力に歴然とした差が有りすぎたのだ。

(いつも、避けられてるのに……こいつらには学習能力がないのか?)

 分家の者は唖然とし、厳馬は当然の結果と捉えているのか、その表情は入って来たときと変わりはない。しかし、和麻は元の位置に戻る際に見ていた。厳馬の口許が微かに吊り上がるのを。

「透!!」

 倒れた相手───透は、雅人に介抱されていたが、すぐさま脇腹を押さえていた男に、それを奪うようにして連れていかれる。その様子を周りの者は黙って見送ることしかできなかった。

 和麻がやったことは、自分が酷い負傷をしていると相手に思わせることで油断させ、先手必勝の一撃を透の顔に向けて放っただけである。

 後は意識が飛んだところへ追撃を繰り出しただけだった。

 利用できるものは何でも利用する。それは、己自信も含まれる。道場に来て、見回したときに襲撃者が誰なのかを察したことで、実行に移した。試合の開始が言い渡される前から、和麻の中では始まっていたのである。頭への負傷は想定外であったが、他の場所については、常日頃より厳馬に打たれているのだ。少しの間、棒で打たれた程度では、和麻の動きを阻害するには至らない。

 その場に居たものに、再び雅人は宗主の言葉を申し伝えるが、それをまともに聞き入れている者はいなかった。

 雅人の口上が終わったところで、厳馬は道場を出ていき、和麻もそれに続く。厳馬にとって、この結果の分かりきっていた試合は、茶番に等しかった。

 日頃より鍛えているにも関わらず、逃げ出したという噂は、到底許されるものではない。それに加えて、子供たちの力量については、ある程度察していたのだ。いつまでも、その噂を聞かされて良い気がするわけがない。そのため、一族の集会の場で、逃げられないよう言いくるめて試合を行わせたのである。これに、喜んで食いついてきた分家を、厳馬は、愚か者を見る目で見つめていた。

 早い話が、あの試合の場で、和麻が負けることなどあり得ないと、厳馬だけが思っていたのだ。

 部屋へと戻る傍ら、別れ際に厳馬は和麻へと言伝てる。

「今日の訓練はこれで終わりだ」

 それだけ言うと、厳馬は自室の方へと歩いていく。一切和麻を見ようともせずに。

(結局訓練だったのか……)

 他のことは何も言わないが、いつもの態度を見ている和麻には、ゆっくり休めと言っているように、その言葉は聞こえた。

 

 

 

 試合が終わり、周囲の和麻への対応は変わった。いや、元に戻ったと言っていいだろう。無視という形に。

 子供たちについても、率先して和麻にちょっかいをかけていた者が、試合の場であっさりとやられてしまったのである。次は自分の番では……と、和麻を避けていた。

 和麻の側から試合を申し込まれては、逃げるに逃げられない。これは、いつも馬鹿にしていた相手から自分たちが逃げ出したことになるからだ。

 正式な場で逃げ出したとあれば、神凪家としての居場所などなくなってしまう。自分も同じ目に遇うのではないか……その事に子供たちは怯えていた。

(集団じゃないと何もできないのか、あいつらは)

 和麻としては、結果として無視されるという平和がきたことに内心呆れると同時に喜んでいた。常日頃から煩わしく思っていたのだ。それがなくなったとなれば、喜ばずにはいられない。但し、更に厳馬の訓練が厳しくなったのには、正直参っていた。今までは、慣れたこともあり、少し余裕を残して終わっていたものが、体力の限界近くまで疲労させられるのである。

 祓いの仕事に関しても、徐々に強いものへと変わっていった。時には勝てない相手に挑まされるのである。少し上程度なら未だしも、完全に格上相手を……。

 あらゆる手段を用いても、圧倒的な力の前には無力である。結局最後には、気絶するか、動けなくなるまで相手をさせられ、気が付くと自室……という経験を積まされた。それは和麻が中等部に入るまで続いた。

 何故そこから、訓練が減ったのか。理由は単純だった。弟である煉の方の訓練へと移ったのである。

(三歳から訓練とはね……)

 この年齢から始めるのは、神凪としても早い。しかし、始めねばならない理由もあった。母親である深雪の存在である。新しく産まれた子よりも、和麻に割く時間の方が圧倒的に多いのだ。母親にとってはその時間こそが愛情の差だと考えた。そのために不満を覚えないはずがなかったのである。

 厳馬が子供と戯れる―――。そんな姿が思い浮かぶはずもなく、また、厳馬自身も子供と一緒に遊ぶ……といったことはしなかった。できないといった方がいいだろう。厳馬は幼少期から、自分の力を高めることに時間を費やしてきたのだ。子供をあやしたり、遊んだりといったことが、できようはずもなかった。それが神凪という家系。

 それ故に、子供との触れ合いが、訓練になってしまっているというのが実状である。それでも、深雪としては、煉に時間を使うことで満足したのだろう。一時期は、和麻を親の仇のように見ていたが、今では他人に接する、最初に近い形に納まっていた。

 元々和麻も深雪を母親とは思っておらず、現状に対して特に不満もない。むしろ、学費や毎月の小遣いが貰えるだけ、ありがたいと思っていたくらいだ。

 少しだけ、和麻の元にゆっくりとした時間が流れ始めた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。