風の聖痕 新たなる人生   作:ネコ

20 / 24
第20話

 そこは、周囲一帯が焼け野原と化していた。

 生えていたであろう、草木は塵となり風に巻き上げられて、上空へと及んでいる。

 これだけの惨状だ、遠くからも分かったのだろう。報道用のヘリがこちらに向かって飛んできていた。

「ものの見事に地形が変わってるな」

 和麻は呟き、懐から羅盤を取り出す。目的の場所について、大まかには聞いてきたが、詳細な場所については地図すらなく、口伝でしか伝えられていない。知っているのは、当主である重悟と厳馬のみ。そのため、和麻は先に出発した厳馬を探すことにしたのである。

 羅盤にて準備をしている最中に爆音が響いてくる。

 そちらへ和麻が顔向けると、煙が盛大に上空へと向かって舞い上がっていた。

「あれだけ分かりやすければこれも必要ないか……」

 羅盤を再び懐に仕舞い込む。

 和麻は煙の吹き上がる場所を視認すると、次の瞬間にはその場に和麻の姿はなかった。

 

 その場の戦闘は、拮抗していた。

 風と炎。純粋に同質量の威力だけであれば、炎の方が強い。

 しかし、決着が着く気配はなかった。

 衰え知らずとはよく言ったもので、厳馬に疲れは見受けられない。そして、それは相対する敵に関しても同様だった。寧ろ、人という枠組みからはみ出し、人外となった敵にしてみれば、この展開は有利と言えるだろう。今のところ厳馬に疲労の色は見えないが、神炎を使える術者と言えど、あくまでも人なのだから。

 その存在に、最初に気付いたのは人外の方だ。

 妖気にまみれた風を集めると、その存在がいる方向へ攻撃を行う。

 その攻撃が自身に向けて放ったものではないことに気付いた厳馬は眉をひそめ、その先を見て顔をしかめた。

 攻撃先にいたのは厳馬のよく知る人物である和麻だった。先程まで離れていた位置にいた和麻は、数瞬後には厳馬たちの元へ辿り着いていたのである。

 人外の者が放つ妖気を纏った薄黒い風は、幾つにも分かれると、それぞれが周囲の風を取り込み更に大きくなっていく。

 和麻はそれを見ても何食わぬ顔で、ふたりのいる方に向けて歩を進める。

 集って大きさを増した風が、和麻へと全方位から襲いかかった。

 それでも和麻の歩みは止まらない。風は歩みを止めなかった和麻へ、襲いかかると共に逃げ場のない球形の牢獄へと閉じ込める。

 妖気の乗った風は、中にいる者を喰い尽くす勢いで荒れ狂うと、役目を終えたとばかりに消え去った。その後には、人が存在した痕跡など塵も残っていない。

 和麻の存在が消えたからといって、厳馬に動揺はない。寧ろ、その時間を自らの集中力を上げるための時間に当てていた。精霊は有限であり、すぐに行使出来るものではない。しかし、時間を掛ければそれも可能となる。

 和麻の存在が消えたことで、人外の者と厳馬との睨み合いが再び始まったが、和麻が消えて数秒後に変化が訪れる。

 まさに爆音と言っても差し支えない轟音と共に、土埃が厳馬の前に突如として舞ったのである。

 厳馬は周囲への警戒を解かずに、身構えたまま視界が確保されるのを待つ。

 土埃は強風により一気に晴れ、視界が開けたところにいるのは、人外の者を踏み潰し、その身体を地面へと足で縫い止め、不機嫌そうに見下ろしている和麻だった。

「こんなやつに時間を掛けるとは、腕が鈍ってるんじゃないか?」

「貴様に言われる筋合いはない」

 和麻の言葉に気を悪くしたのか、厳馬はそれまでの集中により溜めた力を解放し、和麻を囲むようにして炎を出すと、逃げ出す隙間を埋めるように包み込む。

 包み込んだ先は、先ほどまで戦っていた相手も含めて燃え上がると消滅し、その場に何も残さない。

 厳馬がひと息ついたところで、その顔が引き締まる。

 肝心の和麻が、悠々と何食わぬ顔で厳馬の隣に現れ、何事もなかったかのように言い放ったからだ。

「さっさと元凶を絶ちに行くぞ」

「貴様の指図は受けん……それよりも、なぜここにいる?」

 その言葉はどのようにも捉えることができた。

 国外に居たことを言っているのか───神凪ではない無関係な者として言っているのか───それとも、一緒に燃え尽きていないことを言っているのか……

「そんなことより早く封印している場所とやらへ行かないと面倒なことになると思うが?」

「貴様の目的が知れん以上連れていくわけにはいかん」

 厳馬は油断無く、厳しい表情のまま和麻を睨み付ける。

 厳馬は和麻に対して警戒心を露にしていた。先程の攻撃は、確実に葬ったと思ったにも関わらず何事も無かったかのように、話し掛けてきたからだけではない。警戒心を解かない理由は、和麻の力の底が全くといってよいほど見えないからだった。

 敵味方が不確かな状況。封印解除の阻止。先程まで足留めされ切迫した状況下で、人外の者と共に葬り去るという判断を下さざるを得なかった。そして、実行に移した。

 しかし、その攻撃で死ぬどころか無傷。そのような相手をどうするべきか……厳馬は目の前の男の扱いに迷っていた。

 

 

 

 和麻が出発したあとに、神凪本邸では予想通りというべきか、風牙衆による襲撃があった。

 襲撃事態は簡単に退けることが出来ているが、風牙衆は妖魔を使役し、物量による波状攻撃を仕掛けてきている。そのため、防衛を務めるものたちに休む暇はない。

 そんな中にあって綾乃はストレス発散とばかりに、襲いかかってくる妖魔を消滅させ、風牙衆は全身を火だるまにすることで戦闘力を奪っていった。

「こんなに弱いのに、何故向かってくるのか不思議ね。

 あなたたちもそう思わない?」

 綾乃は、近くにいた神凪の術者に問い掛けるが返事はない。むしろ返事が出来る状態ではなかった。

 術者たちの表情は青ざめており、口を半開きにして尻餅を付き綾乃のことを畏怖を込めて見つめている。

 綾乃の周囲には、朱金の炎が自己主張するように輝き満ちていた。それは神炎と呼ばれ、神凪ではそれを持つ者は力あるものとして尊ばれ、それなりの立場を得ることが出来る。

 それだけならば、新たな神炎使いが現れたとして、歓迎されこそすれ、術者たちに畏怖の眼差しを向けられることはなかっただろう。

 綾乃が畏怖される理由。それはその戦い方にあった。

 綾乃は周囲の炎の精霊を根こそぎ制御下に置き、自らの力を更に高めていたのである。

 そのような中で他の炎術師が炎の精霊を扱うには、綾乃と同程度の技量───意思力が必要になる。

 そのような者が神凪に何人いるか……。

 綾乃の近くにいた術者たちは、綾乃の近くにいるが故に安全ではあるが、それ故に、普段共にいる炎の精霊が全く命令を聞かない状態───早い話が無防備に近い状態になってしまっているのである。

 今まで自分の力を誇示してきた者が、その力を使えなくなったとき、その原因である相手をどうみるか───

 それが今の現状だった。

 綾乃としては、何故他の術者が座り込んでいるのか分かっていなかったが……

 戦闘とも言えない一方的な殲滅がひと区切りついたところに雅人がやってきた。

 雅人は周囲の状況を見て事情を察したのか、綾乃へと声をかける。

「お嬢。そろそろ手加減というものを覚えてください」

「何を言ってるのよ。そういうことは周りを見てから言ってよね。ちゃんと手加減してるわ。家屋にはひと欠片たりとも傷付けてないし」

 そう言って綾乃は自信満々に胸を張り家屋へと目を向ける。そこに術者たちへの配慮などない。

 迎撃に参加したからには、戦うものとしての覚悟を持つのが普通であると考えていたし、神凪の術者は一般人ではないのだ。それこそ余計なお世話だろうと綾乃は思っていた。

「そう言うことではなく……。いえ、やめておきましょう」

「言いたいことははっきり言ったらどうなの」

 綾乃は両手を腰に当てて雅人を睨み付ける。

 雅人には、他の術者たちの気持ちがよくわかった。綾乃が神炎の扱いに目覚めてから数ヶ月は、自分も炎術が使えない状態に陥ったのだ。原因はすぐに分かったため、更なる修行に明け暮れ、やっとの思いで制御できるようになったのは良い思い出になっている。

 しかし、雅人のように、欠点───とはいかないまでも弱点となるものを克服しようという者は神凪には少ない。どちらかというと、神凪は短所を無視して長所を伸ばす。力こそ全てだった。

 今の状況は、その思想が招いた結果でもある。

「それよりも、当主がお呼びです」

「こんな時に何の用事かしら?」

「それはご自分でご確認ください」

 最初に決めた配置をずらしてまで必要なことかと疑問に思い訊ねるが、明確な答えは返ってこない。

「分かったわ。ありがとう。ここは任せるわね」

 綾乃は礼を述べると、重悟のいる場所へ去っていく。

 残されたのは、精神的にボロボロになった神凪の術者たちと、肉体的にボロボロな風牙衆。それを見て雅人は思案に暮れるのだった。

 

 綾乃が重悟の元に辿り着くと、そこには地面へ倒れ伏す風牙衆がいた。見た目に傷はなく、胸が上下に動いていることから生きているのはわかる。

 そしてその重悟の近くには、若い女が二人。

 一人は重悟と話をしているため背中を向けており顔は見えない。もう一人は僅かに苦しそうに胸を押さえながらも、話している女の隣に立ち話に耳を傾けていた。

 胸を押さえている女を見て綾乃は顔を綻ばせる。

「あっ! お久し振りー。元気……じゃなさそうね」

「問題ないわよ。これくらい」

 強気に返しているが、その体は妖気に包まれており、少しずつ身体を蝕んでいた。しかし、よく見ればその蝕むほどの妖気を押さえ込んでおり、蝕む進行速度も緩慢なものへと向かっているのがわかる。

 綾乃は重悟がいながら放置している事を考慮して、遠慮気味に柚葉へと声を掛けた。

「柚葉は何しに来たの? 結構危ないと思うんだけど……祓おうか?」

「要らないわ。……もう少しだから」

 柚葉の言葉通り、数分もせずに柚葉は妖気を制御下に置くと、息を整えて綾乃を見た。

「久し振りね、綾乃ちゃん。いろんな場所で貴女たちの噂を聞くけど、そちらこそ大丈夫なの?」

「私たちは大丈夫! 自分の身くらいは自分で守れるから!」

 柚葉は元気に答える綾乃に、苦笑いしながら周囲へと目をやる。

「ところで……和麻は居ないの? 一緒に帰ってきてるって聞いたんだけど……」

「それよ! 全く和麻ったら私が遅いからって理由で置いていったのよ!」

「それはどういう───」

「そこまでにしてもらおうか」

 綾乃たちの会話を遮ったのは重悟だ。

 風牙衆の反乱については、他所に漏れても今更だが、神凪の先祖が封印した神についての情報を渡すわけにはいかない。

 重悟は綾乃の傍に行くと、柚葉を含めて聞かせるように話を始める。

「お互い知り合いのようだが、まずは自己紹介といこう。こちらは警視庁特殊資料整理室の───」

「特殊資料整理室にて室長をさせていただいています。橘霧香と言います。よろしくお願いしますね」

 霧香は片手を出し、綾乃に握手を求める。

「ええ……」

 綾乃はその手を握ること無く、その視線は霧香の胸へと突き刺さっていた。

 自然と自分の胸と比較する。

 相手との戦力差は現時点では歴然。それだけで致命的とは言えないが、どちらを選ぶかと問われた時の、世の男の反応は……

「えーっと……」

 綾乃が凝視して反応しないことに、霧香は差し出した手をどうしたものかと、困ったような表情で重悟へと視線を向ける。

 重悟は溜め息を漏らし、次いで息を吸い込む。

「綾乃!」

 重悟の一括により、綾乃はハッとなり霧香へと挨拶を返した。

「胸だけが全てじゃないから」

(神凪綾乃です。よろしく)

 咄嗟のためか、実際にしようとした挨拶と内心とがひっくり返る。

「───個性的なお嬢さんですね」

「綾乃ちゃん……口調と表情が合ってないよ……。───私は同じく特殊資料整理室に勤務している平井と言います。階級は巡査です。よろしくお願いします」

 霧香はそんな綾乃を見て無難な返答をすると、柚葉が挨拶をしてから重悟へと目配せした。

 重悟はその視線を受け、頷くと説明を始める。

「こちらの特殊資料整理室の方には、この辺り一帯に結界を張ってもらった。風牙衆では破るのに時間がかかるだろう。

 これからのことだが、現状を把握した後───風牙衆の殲滅に当たる」

 言い辛そうに話す重悟に対して、綾乃は特に何の感慨も湧かないため、話し半分で聞き流していた。

「ここを襲撃してきた風牙衆には、これから尋問し仲間の居場所を吐かせる」

「そんな簡単に吐くかしら。こういうことは、和麻がいればすぐなのに……」

「自分で出来ることを和麻にばかり頼っているのではあるまいな?」

「効率の問題よ。和麻だったら数分の作業で済むんだけど、私だったら最悪情報を得る前に潰しちゃうわ。

 他の人はそれよりも早く出来るの?」

「───先ほども言ったように、効率ではないのだ。やはり、教育は必要だな……」

 小声で今後のことを決めた重悟は、脱線した話の流れを戻す。

「我々のすることは、ここの守りと風牙衆の殲滅の2つだ」

「分かりやすくて良いわね」

 綾乃は重悟の話を聞いてやる気を見せたところで、霧香が話に加わる。

「先程の話に戻りますが、厳馬殿はどちらにいらっしゃるのでしょう?」

「厳馬は既に派遣した。和麻もその後を追わせている」

 和麻の事についても先じて言い含める。

 しかし、それが切っ掛けとなって柚葉に疑問が生まれる。

「失礼ですが……」

 言いにくいのか、恐縮するようにおずおずと片手を上げて柚葉が発言の許可を求めた。

「何かな? 本件に関わることであれば遠慮無く言ってくれて構わん」

「確か記憶では、お二人の仲はそれほどではなかったと思うのですが……お二人を組ませて大丈夫なのでしょうか?」

「「…………」」

 それを聞いて重悟と綾乃は黙ってしまう。

 重悟は厳馬の性格をよく知っている。そして、綾乃は和麻の性格をよく知っている。

 二人はそれぞれが、この状況下でどのような対応を取るのか大体の想像ができた。

「このままでは、出会った場の数キロ四方が更地になるな……」

「そこがもし町中だったら……」

 青醒めた親子の発言を聞いて、霧香と柚葉も流石にそこまでは……といった思いはあったが、内容が内容だけに他人事ではすまない。

「すぐに連絡を!」

 戦力的には問題ないかもしれないが、その関係性だけはどうにもならない。

 重悟は厳馬へ。

 綾乃は和麻へ連絡をする。

「間に合ってくれればいいけど……」

 

 

 

 和麻が厳馬と全く進展のない、沈黙の見つめ合いにしびれを切らし始めた頃。

 二人の懐から同時に携帯の音が流れ出る。

「携帯が鳴っているようだが?」

「そちらも同じだろう」

 厳馬の警戒に、和麻は溜め息を漏らして携帯に出る。

 それを見届けてから、厳馬も和麻から視線を外さずに携帯に出た。

『和麻!』

「なんだ? 騒々しい」

『おじさまは無事!?』

 綾乃は和麻の実力を知っているが故に、和麻が負ける事など有り得ないという思いから、厳馬の心配をするが、和麻には綾乃の思いなど分かりようもない。

「意味が分からないが……お前の言うおじさまとやらは目の前で置物のように突っ立ってるな」

『───遅かったみたい……。お仕事中ごめんなさい』

 綾乃からの通話が切れ、和麻は改めて厳馬を見る。

 厳馬は通話しており、こちらへの警戒心以外に不審なところはない。

 しかし、先程の電話内容から察するに、目の前の厳馬は、厳馬であって厳馬ではない可能性が出てきた。

 和麻の中で利用価値のあるもの、という位置付けから障害物、という位置付けに変わるのにそれほど時間はかからない。

 しかし、代わって厳馬の方は、重悟からの電話により警戒心を解きつつあった。

 しかし、その電話が終わる前に和麻から風による一撃が入る。

 風による一撃を厳馬は回避したはいいが、完全とはいかずに携帯を真っ二つにされてしまった。

「何のつもりだ? 目的は一緒のはずではないのか?」

「お前に言う必要性を感じないな」

 その言葉を境に二人は動く。

 和麻は厳馬の背後へ瞬時に回り込むと同時に蹴りを放ち、厳馬はそれを見越したかのように自らを神炎で包み込んだ。

 和麻は蹴り足の軌道を変えて大地を踏みしめ拳を突き出す。

 神炎で防いでいる以上、その炎に触れればただではすまない。しかも、和麻の拳は厳馬に届くような距離ではなかった。

「っ!?」

 厳馬は呻き声を上げると、胸を押さえて和麻から距離をとる。

「貴様……」

「仕留めるつもりだったが……しかし、ある程度の距離感は掴んだ」

 和麻がしたことは浸透勁の一種だった。通常とは違い空間を介在し、厳馬へ攻撃を通すという離れ業をやってのけたが……。

 和麻の行動に厳馬は焦りを見せる。和麻の攻撃は、厳馬に軽く触れる程度であり、特にダメージは受けていない。しかし、それは肉体的に───というだけであり、精神的なダメージは計り知れないものがあった。

 しかも、先程までは説得される側だったが、今ではその関係が逆転している。

 宗主から双方協力する旨は伝えられているはずだったが、それが意味を成していない。

 厳馬は先程の事象を踏まえた対策を高速で組み立てていく。

 厳馬が行うことは、戦闘を早期に終わらせて風牙衆の企みを阻止すること。その他の検討は必要ない。

 厳馬が戦闘のために切り替え、次の行動を起こそうとしたところで、再び和麻の携帯が鳴る。

「何だ? もう少しで終わるところなんだが」

『うぅ……おじさまと戦わずに共闘してほしいんだけど……まだ間に合う?』

 綾乃は、何か痛みを堪えるような声を出すが、和麻はそのことには触れない。

「内容については確り伝えてもらわないと困るんだがな」

『ごめんなさい……』

 苛立ちを含んだ声に、綾乃は弱々しく謝った。

「まあいい。用件は……早い話が俺の目の前にいるやつを使えってことだな?」

『取り敢えず敵じゃないってことを言いたかったの。二人が戦ったら、最悪その周辺が荒れ地になっちゃうから』

「懸念は理解した。切るぞ」

 和麻は携帯を切って仕舞うと、厳馬に向き直る。

「さて、お互いの実力がある程度分かったことだし急ぐぞ」

「馬鹿者が……」

 今までの事は単なる運動であったと嘯く和麻に、厳馬は苦虫を噛み潰したように悪態をついた。

 

 厳馬の案内により和麻たちが向かった先。

 人が容易に立ち入らない鍾乳洞の奥。

 祠のある部屋では、数人の風牙衆がすでに神を復活させるための準備を終えて儀式を執り行っていた。

 風牙衆は、その筆頭である兵衛が煉の傍らに立ち、その他の者は、煉たちを取り囲むようにして座して、侵入者が入ってくることが出来ないように結界を張っている。

 取り囲まれている煉は、なんの束縛も受けていないにも関わらず、呆然と何をするでもなく、ただそこに立っていた。

 その目は虚ろで、全くと言っていいほど意志を感じることができない。

「我ら風の神よ! 風の神の眷属たる我ら風牙衆が、その束縛を討ち破り現世への招来を願わん! これより、神を捉えし三昧真火。それを作りし末裔により解放せん!」

 兵衛は文言をひと通り言い終えると、横に立つ煉へ指示を出す。

「さあ、行くのだ! 進みて祠の戸を開けよ!」

 兵衛の言葉に従い、煉は真っ直ぐに祠へと向かう。

 祠に煉が近付くと、突如として炎が溢れだし行く手を阻む。

 これが三昧真火。

 触れたもの全てを焼き払う炎。

 しかし、煉がその炎に近付いていくが、焼かれるような事はなかった。

 煉が祠に手を伸ばそうとしたところで、風牙衆の1人が声を上げる。

「何者かがここに近付いています! 入り口に張った結界の1つが破られました!」

 その声に合わせるように轟音が響き渡り、祠のある洞窟が揺れる。

 洞窟内の祠へ辿り着くまでに、幾重にも結界を施してはいるが、相手は神凪である。結界など足止めにはならないだろう。しかし、どれほどまで近付いてきたかという鈴の役割くらいにはなる。

「何をしている! 早く戸を開けよ!」

 その轟音と揺れのせいだろう、煉がたたらを踏んで止まっているのを目にした兵衛は、煉を急かすように大声を出す。

 追跡者が来たとしても、封印さえ解いてしまえば目的は達せられる。封印が解かれた後など容易に想像できる兵衛としては、是が非でも解かせたい。

 だからこその叫びだった。

「もうすぐ。もうすぐなのだ……」

 風牙衆の悲願まであとわずか。

 祠へ近付けない身のもどかしさを感じながら、兵衛は煉を凝視する。

「炎術師という輩は、やはり隠密に向かないな」

 その存在に誰が気付くことができたか。

 その声に兵衛が振り向くと、祠を祀る部屋の入り口に和麻が佇んでいた。

「お前達は何をしている! 入り口に立っている奴を殺せ!」

「無駄だ」

 和麻の言葉を肯定するかのように、座していた風牙衆の首はゆっくりと前へ傾く。

 そして、次の瞬間には地面へとその首が転がり、頭のない首からは血が吹き出した。

 その光景に呆気に取られるかと思われたが、兵衛は焦るだけで、パニックを起こすことはない。

「こうなれば致し方ない……むっ!? 貴様は早く戸を開けんか!!」

 兵衛の声を全て聞き入れてしまう弊害か。

 煉は兵衛の命令に沿って、和麻へ炎を繰り出した。

 流石は神凪の直系と言うべきだろう。意思が希薄であろうとも、その炎に翳りは無く、黄金の炎が顕現し和麻へと一直線に向かう。

「煉か……言葉は分かるか?」

 和麻は煉から放たれた炎を虫でも払うように、手で炎の横を叩き軌道を逸らすと煉へ問いかける。逸らされた炎は和麻の脇を通り、その奥にある壁を溶かした。

 煉の反応が無いと見るや、和麻は意思を込めた風を煉に飛ばす。

 ここが洞窟内であると思えないほどの風の精霊が、煉へ向けて殺到するが、意思ある壁があるかのように、三昧神火がその行く手を遮った。

「はっはっはっ! 無駄よ! その程度の攻撃が効くはずもない! ぐはっ!?」

「お前への攻撃は通るようだな」

 和麻は兵衛へ一瞬にして詰め寄り、蹴り飛ばす。兵衛は壁に背中から衝突するが、意識ははっきりしており、片膝を地に着きながらも顔を上げて和麻を見据えた。

「儂を殺せば奴の手綱を握るものが居なくなるぞ!」

 兵衛の言った通りなのだろう。煉は和麻を見て反応するどころか兵衛の言葉しか聞こえていないようで、再び祠へと近付いていく。

「お前は止める気があるのか?」

「それこそ愚問よ。我らが悲願の成就! 止めるなど有り得ぬ!」

 その言葉を聞き終えた和麻は、周囲の空気密度を操作する。

 三昧真火で攻撃が遮られようとも、生物───人である限り呼吸をせねば動くことはできない。

 しかし、その行為も意味のある事ではなかった。

 煉の周囲は既に別空間になっているようで、この世の理が通じない。変化があったとすれば、兵衛があらゆる箇所から血を出して気絶していることくらいだろう。

「三昧神火がこれほど厄介とは……。あの野郎何処で道草食ってやがる……。

 ───居たな」

 和麻は空気密度を元に戻し、懐から札を数枚取り出すと地面へ撒いた。

 撒かれた札は自らの意思があるように動き、五芒星の形を取る。

 その中央へ小さな香炉を置くと、五芒星は光り輝き、香炉からは大量の黒い煙が立ち上った。

 その煙は五芒星から出ることはなく、その場に留まる。その煙に向かって和麻は声を掛けた。

「さっさとその煙の中に入れ。間に合わなくなるぞ」

「和麻か」

 煙の中から聞こえてきた声は厳馬の声。

 その上半身が見えてきたところで、和麻は身を乗り出し、片手で厳馬の胸元を掴むと、煉へ向けて投げた。

 一瞬厳馬は抵抗したが、和麻とその視線の先を見て判断を先送りにする。

 既に煉は祠の戸に手を取り、戸に施された封印を解いたところだった。

「こういうことは先に言え。馬鹿者が……」

「間に合わなかったら責任を取れ」

 厳馬は煉へと手を伸ばし掴もうとするが、その努力が実ることはなかった。嘲笑うかのように、僅かに開かれた隙間から莫大な力の奔流が流れ出す。

 厳馬は神炎を纏い煉を掴むと、出てくるなといわんばかりに足で祠の戸を蹴りつけ、その反動で距離をとった。

 祠からの圧力は強く、その程度で閉じることはないが、三昧真火の圧力も相当なものなのか、封印を解いただけでは簡単に出てくることはない。そのため、戸が開く速度は微々たるものだ。

「少々分の悪い流れになったな」

 独り言を漏らしながら、和麻は準備を進める。

 厳馬は一旦煉を入り口へ放ると、再び戸に向けて駆け出した。

 和麻は札を部屋の至るところに撒き散らしながら、もう片方の手で折り畳まれた宝具である大きな扇子を開く。

「気休めだな……」

 札は三昧真火のある空間との境界線を明示し、そこに壁を作るものだった。

 その境界に向けて和麻は力を込め、両手で扇子を振るう。扇子からは放たれた風は、その境界を戸の方へ押し込む。和麻はそれを休むこと無く続けた。

 三昧真火のある空間自体へ圧力を掛けることで、戸を押し戻そうとしているのだ。

 厳馬の方は、神炎を纏い両手で戸を押していた。

 二人の力を合わせることで、少しずつではあるが閉まっていく。

 既に封印は解かれているため、ただ戸を閉じるだけでは駄目なのだが、それでも次の事を考える時間稼ぎにはなる。

「さっさと目を覚ませ!」

 額に汗を滴ながら、壁際にて気絶している兵衛の脇腹を蹴りあげた。

「くっ!」

 和麻は蹴った衝撃で目を覚ました兵を射殺すように見る。

「中の奴の制御方法を吐け」

「吐けと……言われて……吐く奴など……居らぬわ」

 予想通りと言うべきか、肋骨が折れたのだろう兵衛の返答に、和麻は顔をしかめながら、厳馬へと叫ぶ。

「暫くの間支援が途切れるが我慢しろ!」

「何を……くっ……」

 言うと同時に和麻は扇子を腰に下げ、黒い手袋を取り出して右手に装着した。

 もがき苦しむ兵衛に近付き首を押さえると、手袋を着けた手で兵衛の頭を触った。

「あ……がが……」

 手袋を着けた手はゆっくりと兵衛の頭の中に沈んでいく。

 和麻は目を閉じ、手をゆっくりと動かしていく。

「制御と言っても、煉の制御か……神の制御方くらい調べていると思ったのは楽観過ぎたな」

 苦々しげに顔を歪めて手を一気に引き抜き、手袋を外すと、再び扇子を手に取ったところで、その動きが固まる。

「やはり保たないか……」

 そこには、両手で必死に戸が開くのを抑える厳馬の姿があった。しかし、抑えることが出来ず、徐々に開いている。そればかりか開く速度が少しずつ上がっていた。

「今更閉じた所でどうにもならん! 一旦出るぞ!」

 和麻は封印することに見切りをつけると、煉を抱えて移動した。

 

 洞窟を抜けて外に出ると、明るかった空は既に暗くなっていた。

 少々離れた位置に煉を放り、再び洞窟の近くまで来て準備をしながら、息を整える。

「こんな姿を見られたら、何を言われるか分からないな」

 和麻を鍛えた師に今の姿を見られたならば、修練が足りないと言って更なる修業を課すだろう事が目に見えている。

 相手が神とはいえ、今のところ何も出来ていないに等しい。

「過去の俺とは違う。何も出来ないと思うなよ」

 和麻は過去を振り払うように呟いた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。