風の聖痕 新たなる人生   作:ネコ

11 / 24
第11話

 日曜の朝。外は晴天に恵まれ、秋に近い季節が少し冷たい風を運んできている。

 最近は何かと忙しく、和麻は夏休みを返上して、神凪からの依頼である綾乃の訓練を行っていた。

 訓練はその辺りで行うような生易しいものではない。生き残るためには、常に警戒が必要となるサバイバルだった。

 和麻が綾乃の訓練を行うにあたり、神凪に条件として提示したのが、無人島を用意すること。それに加えて、その無人島に、数週間生きるだけの食糧が自生していることだった。

 そうして用意された島に、和麻と綾乃を残し送り届けた船は引き返していく。

 取り残された綾乃は暫しの間、肩に掛けたポーチの紐を握り締め、茫然と遠退いていく船を見送る。

 そんな綾乃の様子など気にも止めずに、和麻は荷物の中身をチェックし終えると、島の奥へと進んでいった。

「待って!!」

 それに気付き慌てて綾乃は和麻の後を追う。

 綾乃は和麻に置いていかれぬよう必死についていくのだった。

 

 数日前に、綾乃は父親から呼び出しを受けて、あることを告げられた。

「綾乃」

「何ですか?」

「夏休みに家に居てばかりでは暇であろう。丁度いい機会であるし、南の島に行ってみぬか?」

「南の島!?」

 綾乃は、行ったことのない場所に想いを馳せて喜び、ふたつ返事で重悟の言葉に頷く。

「もちろんいくいく!!」

 重悟は、これで全てうまくいくと言わんばかりに、綾乃の返事に満足すると、準備をさせるために続きを話し出す。

「出立は明後日になる。期間は一ヶ月。それなりの準備をしていきなさい。足りなければ買い揃えるので言うように……。

 ―――それと、和麻も一緒だ」

「えっ?」

 重悟の最後の言葉に立ち上がった綾乃は凍りつき、重悟を見据える。

 重悟は、表情を崩さずに言い終えると、夏だと言うのに湯気の立ち上る熱いお茶を啜り始めた。

「じゅ……準備しなくちゃ!」

 綾乃は固まった状態から復活し、慌てたようにして重悟の部屋を後にする。

 部屋から遠ざかる気配に、重悟は我慢していた顔の緩みが解け、これからのことに頬を綻ばせていた。

 

 見知らぬ土地に見知らぬ食べ物。綾乃はそれらの未知なるものに興味を抱きながら準備をしていく。

 足りぬものは何でも言いなさいと言われたが、着替え以外で、何を持っていけばいいのかよく分からない。そこで、綾乃はよく海外に行く親友に、持っていくものを訊ねることにした。

「もしもし、綾乃だけど今大丈夫?」

『もっちろ~ん。いつでもどこでも大丈夫だよ~』

 子機から聞こえてくる能天気な声に、綾乃は頼もしさを感じると共に不安も覚える。

 以前、聞いて実行した内容───服装について、あまりよい結果が得られていない。そのことが不安に感じる要因にあげられる。

 しかし、海外旅行に関して綾乃は無知に等しい。海外旅行の準備など、経験者───それも同い年の子に聞いた方が確実だった。

「今度南の島に行くんだけど、何を持っていけばいいかな?」

『南の島って言っても色々あるよ~。場所によって持っていく物も少し変わってくるし……。

 具体的にはどこに、どれくらいの期間行くの?』

「そう言えば行く場所聞いてない……」

『綾乃ちゃん、詰めが甘いよ~』

 少し呆れたような声で笑いながら話す相手に、綾乃は少しムッとするが、聞いている手前強く言うことはできずに話を先へと進める。

「一般的に持っていくものだけ教えて。数日後に一ヶ月くらい行くことになったから」

『ん~。ちょっと長いね……。

 そう言えば、聞いてなかったけど、誰と行くの?

 綾乃ちゃんのお父さんって確か足が悪かったよね?』

 旅行の話を聞いて不思議に思ったのか、綾乃の親友が問い返してくる。

「えーっと……それは……」

『あー分かった! この前話してた人でしょ!! 綾乃ちゃんも大人の階段を登るときが来たんだね!!』

「そうだけど……大人の階段って?」

 綾乃はあまり知られたくはなかったのか、話題を疑問へとすり替える。

『それはひと月も一緒に過ごせば、嫌でも分かるから!』

「そうなんだ」

『そうそう』

 綾乃はいいように疑問をかわされたことに納得できずにいたが、次の言葉で慌てて紙と書くものを用意し始めた。

『今から言うものをメモしていって。

 ―――準備はいい?』

「いいよ」

 綾乃は机の上でシャーペン片手に、親友から言われたものをメモ帳に書き写していく。

 そして、ひと通り書き終えたところで、使用法の分からない物について説明を求めた。

「このゴム? は、何に使うの?」

『それは相手の人に聞けば分かるよ! 聞くときは、相手の耳元で「これの使い方を教えて」って囁くように言うのが大事だから!

 それは、綾乃ちゃん宛に送っておくから、コッソリ旅行鞄の中に入れておいてね』

 普段の綾乃であれば、断ったであろう。しかし、物がどういうものか分からない上に、聞けば分かると言う言葉で、実際に物を見て判断しようと、反対の言葉を呑み込む。

「後は何がいるの?」

『暇を潰せるような物を持っていくくらいかな?

 多分最初の一週間くらいでひと通り回ってしまうと思うから、後が暇になるかも』

「なるほど」

 綾乃は、親友の言葉に相槌を打ちながら、足りないものを他のメモ帳に書き写していく。

 普段使わないような物が多く、足りないものが多々あった。それらをひとつにまとめ終えると、別れの挨拶もそこそこに、通話を切る。

「教えてくれてありがとう。またね」

『帰ってきたら、いろんな体験談教えてね』

「いろんなところに行けたら行ってみる」

『……絶対だよ? じゃあまたね~』

 ツーツーという通話の切れた子機を置いて、綾乃は重悟の部屋に向かった。

 必要なものとして、色々書き込んだ紙を持って。

 

 

 

 旅行鞄に積めたものを、綾乃は後悔しながら取り出していた。

 父親の言ったことは間違ってはいない。

 (住んでいる場所より)南国の(無人)島。和麻と一緒(に1ヶ月鍛錬を行う)。

 内容を知っていれば、このような準備はしなかった。まだナイフでも持ってきた方がいいだろう。綾乃は役に立ちそうにない中身を眺めながら、和麻に言われたことを頭の中で復唱していた。

 

「今からここでサバイバルとお前の鍛錬を行う」

「───えっ?」

「この島が無人島と言うのは、船に乗る前に聞いた通りだ。最初の一週間はひと通り教える。次の一週間は自分でやってみろ、残り二週間は鍛錬をメインとした生活してもらう」

「ちょっと待って!」

 話を続けようとした和麻を慌てて止める。綾乃には、和麻の言っている意味が分からなかった。

 そもそも、南の島と聞いて、飛行機で行くと思っていたところが、船になっていたところから、綾乃は理解できていなかった。その後の、船に乗る前の説明で、無人島生活を和麻、ふたりっきりと聞いて心踊らされたが、船に揺られて冷静になるに従い、誰の助けもなく生活できるのかと、不安が押し寄せる。

 旅行鞄の中には、キャンプ用品などほとんどない。いいところで、蚊取り線香くらいだろう。

 太陽のもと水着姿を見せつけようと考えていたが、そんな時間があるかも怪しい。一番大事な食べるものがない。持ってきていないのだ。最悪、食べ物を見つけるだけで一日が終わるかもしれない。

 そういった不安が綾乃を襲っていた。

「サバイバルのやり方なんて知らないし、道具も持ってない」

「…………」

 和麻は、開かれた旅行鞄に目を落とし、綾乃の言葉が嘘でないことを確認すると、ポケットから1本のナイフを取り出し柄の部分を綾乃に向ける。

「用途毎に種類を変えた方がいいんだが、あったところで宝の持ち腐れだろう。

 取り敢えず、今回はこれを使え」

 綾乃は差し出されたナイフを恐々と受け取り、ひと通り見回してから、和麻へ問いかけるように見つめ返す。

「早速だ。自分の食べるものを見つけてこい」

「和麻はどうするの?」

 綾乃の心配など、和麻には通じない。まるでつき離すような言葉が返ってくる。

「人の心配より自分の心配をしたらどうだ? 見つからなければ、飯は無しだぞ」

 和麻の言葉に、綾乃は分かっていたことながら、改めて言われたことで驚愕する。

「何が食べられるかも分からないんだけど……」

「お前は一体今まで何をしてきたんだ?」

 和麻は幼い頃から、厳馬に色々なことを叩き込まれていた。それはひとりで生き抜く術に他ならない。同じとまでは言わないが、神凪の一族であれば、それなりの鍛錬をしているものと考えていた和麻の当ては外れる。

 あの時和麻の見ていた半年間の内容が、綾乃の行ってきた鍛錬の全てに等しかった。

 つきたくもない溜息を漏らし、和麻は綾乃へと命じる。

「この島中を駆け回って食べられるものをとってこい。日が暮れる前には、ここに戻ってくることが条件だ」

 依頼の内容である、和麻の求めるレベルまで鍛えられるかは不明だったが、手始めに最低でも自分の事は自分でできるように仕向けていく。

 普通であれば、無人島には山菜や魚しかないため、いきなり食料を採ってこいと言われても難しいだろう。しかし、この島は以前人が住んでいた。すなわち、野生化した野菜や果物の木が生っているということだ。

 この島を駆けずり回ればいずれ見つけることができるようになっている。

 今回は、わざと人が住んでいた場所の反対側に上陸したので、時間はかかるかもしれないが……。

「さっさと行って来い」

 不満を隠そうともしない綾乃に、和麻は問答無用とばかりに風で追い立てる。

「わわわ!? ちょっと! すぐにいくから!」

 風に追い立てられながら走り去る綾乃を見送り、和麻は空を見上げる。

(鳥でも捕っておくか)

 和麻は空を飛ぶ鳥を視界に収めながら、その瞳に力を込めた。

 

 風に追い立てられた綾乃は、否応なく走らされる事になる。

「もう! しつこい!」

 和麻から離れるに従い、弱まっていく風に対抗するため、綾乃は己の周囲に炎を展開した。すると、今まで煽っていたのが嘘のように、風は霧散し消えていく。

 炎は綾乃に応えるようにして燃え盛り、それは下の草地へと移っていく。

「あっ……」

 その炎の広がりようはいっそ見事と言う他なかったかもしれない。緑の草原が綾乃を中心に、黒一色へと変貌していったのだ。綾乃は突然の事に見ていることしかできず、呆然と立っているだけだった。

 広範囲に広がっていったところで、綾乃はハッとし、炎へと手を伸ばして意思を伝える。

 その甲斐あって山林火災の被害にはあわなかったが、食料を見つけようと思っていた綾乃にとって、精神的なダメージは大きい。

 自らの炎で、探すべき食料を燃やしてしまったかもしれないのだから。

 炎の扱いには注意しようと決意し、綾乃は違う場所へと移動していく。

(食べられる物があるのは、あそこだけとは限らないし……あそこには何もなかった! うん! そうに違いないわ!)

 綾乃は意識の切り替えを素早く行い、移動速度を徐々に上げて木々の合間を縫っていく。

 途中で、食べられるかどうか分からない物を、泣く泣く肩から掛けたポーチの中に入れて、辿り着いた先には潰れた民家が幾つか視界に入った。

(家……? でも潰れているし……昔は人が住んでいたのかな?)

 恐る恐る民家へと近付き、中を見てみるが、ところどころに穴が開いている上に、いつ崩れてもおかしくないほど壁や柱が傾いていた。

 それらを見て回る内にある場所を綾乃は発見する。

(見つけた!!)

 それは実際に見たことがあり、食べたことがある物だった。

 ポーチの中に入れていた草を取り出し、代わりにキュウリやナスなどを詰めていく。

 それらを手に取り、意気揚々と和麻の居る場所へと戻っていった。

 

 日が暮れるにはまだまだ、時間的余裕があるなかで戻ってきた綾乃は、首や羽のあった部分から、血を流す大きな鳥を見て顔をげんなりとさせる。

 自分に対して敵意や害意を持つ者には、生き物であろうと容赦はしない。それは和麻と共に行ってきた依頼で、嫌というほど思い知らされた結果、根づいてしまった反射のようなものだ。しかし、だからといって、生き物を殺すことに抵抗が無いわけではない。それは他者が行っていても一緒だ。

 食卓を飾る肉を見ても抵抗は無いが、その過程を見ることは、今の綾乃には精神的に辛いものがあった。

 綾乃は極力見ないように、和麻の傍へ移動すると野菜を採ってきたことを告げる。

「野菜採って来たよ」

「……綺麗に泥をとっておけ」

 和麻は、綾乃の持ってきた野菜を見て不審に思いながら言い放つ。それもそのはずで、本来キュウリやナスに泥はつかない。泥がついていた原因は、それの前段階で取っていた草だった。根っこごと引き抜いて入れていた為、ポーチ内が泥だらけになっていたのだ。それを和麻は知らなかったため不審に思う。

「わかった。……川はどこにあるの?」

 少し困ったように、綾乃は和麻へと訊ねた。野菜を洗うための川を探すが、辺りには見当たらない。民家のある辺りに川が流れていたが、そこまで戻っていては、本当に日が暮れてしまう。

「何を言っている。炎で泥だけを燃やしてしまえばいいだろうが。

 最悪皮まで焼いても構わん」

「えっ?」

 父親である重悟に、そのような技術があることを綾乃は知っている。しかし、それは長い経験と修行の賜物だという認識だった。和麻の言葉は、それを打ち砕きすぐにモノにしろと言う理不尽なものでしかない。

「驚いている暇があるならさっさとしろ。それも鍛錬の一環だからな」

 和麻は鳥を解体し終えると、マッチで火を熾し大きな鍋に水を入れて炊き始めた。

 泥を落とせという指示以外何もないことを悟った綾乃は、まず自分の手に着いた泥を炎で焼き尽くすために、掌を見つめる。それは一点に集中していたためか、それとも才能ゆえか―――出現した炎は、綾乃の意思とは異なり、大きなものとなった。

「まずい!」

 またやってしまった……と、綾乃は慌てて炎を収めようとするが後の祭り。綾乃の着ていた服は一般的な店で販売しているものだった為、一瞬にして燃えてしまい、消し炭となってしまった。

 残ったのは下着姿の綾乃のみ。

「キャーーー!!」

 和麻は、そんな綾乃を後目に、テントを組み立てていた。

 綾乃は、手で身体を隠しながら急いで旅行鞄の元に走り寄ると、服を慌てたようにして取り出し、着始める。

(騒がしい奴だ)

 着終えた綾乃は、涙ぐみながら和麻をしばらく見つめ、全く見てもいないことを確認すると、複雑な表情をして再び野菜の置いてある方へと歩いていった。

 テントを組み立て終えた和麻は、沸騰したお湯の中に、風で羽や内臓を取って小さく切断した鳥肉を幾つか放り込む。そして、密かに取っておいた野菜を刻んで、鳥肉の入った鍋の中に入れていく。それを持ってきていた調味料で味付けしながら、石の上に座って調理していた。

 その間、風で周囲の状況を確認することも忘れない。

 

 一方、綾乃の方はと言うと、野菜の泥落としに悪戦苦闘していた。

 まず第一に、自分の服を焼かない火力にすること。次に、野菜の表面をなぞるように野菜を焼くこと。

 そのふたつだけだというのに、綾乃は失敗を重ねていた。

 普段意識せずに使っていたこともあり、炎のコントロールがうまくいっていなかった。火力がうまくいったと思った矢先には、野菜が一瞬で焼けてしまう。

 それでも諦めずに、次の野菜へと手を伸ばしていくが、来るべくして、その時は来てしまう。

 元々それほど大きなポーチではないのだ。野菜が沢山入るわけもなく、全て食べられない物へと変化してしまった。

 泣きそうな顔をして、綾乃は和麻を見る。和麻はある程度予想をしていたのか、綾乃に来るように言ってきた。

「暗くなる前に飯にするぞ」

「……うん」

 和麻の言葉に救われたような表情をして、和麻に駆け寄る。

 また、野菜を取ってこい……と、言われないかと悩んでいたのだ。

 準備をしていた和麻の道具を借りて、鍋をつつく。既に和麻は食べ終えたのか、皿や箸を綾乃に手渡すと、持ってきていたリュックに近づいていった。

(和麻の使った箸……。ご飯を食べるだけだから! 他に目的なんかないから!)

 自分自身に言い訳をして、躊躇いながら、鍋をつつくのをやめた綾乃は、箸で鍋から皿に乗せ、口へと運ぶ。

(あんまり美味しくない……)

 味はともかく、綾乃がモグモグと口に料理を頬張っていると、和麻がリュックを整理し終えて立ち上がるのが見えた。

 嫌な予感がした綾乃は、食事の手を止めて和麻に問いかける。

「和麻どこにいくの?」

「そのテントはくれてやる。

 明日は朝日と共に訓練開始だ」

 そう言い終えると、和麻はさっさと歩き去っていく。

 このままではまずいと、綾乃は和麻を引き留めた。

「待って! 最初の一週間くらいは一緒にいて!」

 綾乃の切なる願いに対して、和麻も思うところがあったのか、立ち止まり振り返った。

「確かに、最初の一週間は教える手筈だったな」

 和麻は面倒そうに言うと、踵を返して綾乃の元まで戻ってきた。

 綾乃はひと安心すると、旅行鞄を開けて散らばった服を戻していく。その際に一枚の封筒が入っているのを見つけた。

(そう言えば、和麻に訊けば分かるんだっけ?)

 和麻はテントの外に荷を下ろすと、その場に寝床を敷いて横になっていた。

 そんな和麻に、綾乃は近付き封筒の中にある物を取り出して訊ねる。

「ねえ。和麻。これって何に使うの?」

「ん?」

 和麻は綾乃の持っている物を見て、眉を顰めると数瞬考え込み答えを返す。

「それは簡易な水筒になる。破れやすいが、1リットルくらいは入るはずだ」

「へえー。これって水筒だったんだ」

 綾乃は和麻の答えに満足すると、それを封筒の中に直して旅行鞄の中へと戻していく。

 簡単に信じ込んでしまった綾乃に、和麻は溜息を吐くのだった。

 

 それから一週間。この無人島で生活する術を綾乃は教わった。未だに山菜に慣れず、集落まで野菜を採りに向かってはいるが、綾乃にとってそれほど苦にはなっていない。

 しかし、その間にも炎のコントロールを行う訓練は続けられていた。

 食料探しをする手間がほとんどかからないのだから、必然的に訓練に割かれる時間は大きくなる。

 今日も、石の上に積み重ねられた木材だけを燃やす訓練を行っている。

「取り敢えず、この訓練の成否に関わらず、次の段階に移るぞ」

「もうちょっと待って! もう少しでできそうだから!」

 綾乃がムキになるのも仕方が無かった。完全にできていなければ、綾乃もここまで拘ることはなかったかもしれないが、何度か成功はしているのだ。そのコツを掴もうと、今も必死に集中して対象を木材へと固定させている。

「その言葉は何度目だ? どちらにしてもこちらは予定通り進める」

 しかし、和麻の返答は厳しいものだった。和麻の認識としては、偶々成功させたに過ぎない。偶然は必然ではないのだ。早い話が、0か100でしかない。

「絶対成功させて見せるんだから!」

 綾乃のやる気に呼応して、炎は木材を載せた石ごと焼き尽くしてしまう。

「ああ……」

 力なく、失敗してしまった後を確認して、綾乃はまた、木材を近くの石の上に置きにいくのだった。

 

 結局完全に習得するには至らないまま、次の過程へと進んでいく。

 この週から和麻は、予告通り出て行ってしまった。一言を残して。

「生活する上で信じられるのは自分のみだ。他の者を信用するな。例え俺でもだ」

 そう言い残して消えていく。

 テントの中は綾乃の持ち物のみ。

 それまで和麻と一緒に寝ていた綾乃は、残念そうにその後を見送り、次の日に備えた。

 しかし、生活リズムはほとんど変わることはない。変わったとすれば、綾乃が取ってきた食材を和麻の置いていった調味料を基に、自分自身で調理することできるようになったことだろう。

 この頃には、綾乃も狩りができるようになっていた。炎を操り、鳥を仕留め、ナイフを棒に括り付けて槍として使い、魚を取る。他に関しては自生している野菜で十分だった。

 それらを終えた後に、和麻との模擬戦である。

 これが綾乃にとっては、この島に来て初めてかなりの疲労を感じさせるものだった。

 ひたすら和麻は綾乃を攻め立てていく。余裕のない綾乃は、それをただ受けるだけで精一杯だった。

 そして、疲労で身体が動かなくなるまでやってからその日は終えるのである。

 それが一週間も続けば身体は次第に慣れてきていた。

 今では炎雷覇片手に和麻と闘っている。闘っていると言えば聞こえはいいが、実際には和麻が綾乃に攻撃する機会ができる程度に力を抑えているだけだった。

 綾乃は炎雷覇を構えて和麻に襲い掛かるも、簡単に躱された上に、その際にできた隙を突かれて、風の一撃を受けてしまう。

 それならば―――と、炎によりフェイントを仕掛けていっても、その炎は風で進路を変えられて在らぬ方向へと突き進んでいく。それならばまだいいが、他の時には、その炎を目眩ましに使われて、痛い目にあっていた。

 そのため、基本的には、炎雷覇と己の肉体のみで和麻に対抗している。

 一度も勝てた例はないが……。

 その日も夕暮れに差し掛かり、訓練が終わると、和麻はいつも通り姿を消してしまった。

 綾乃はドラム缶の周りに炎を通して、水を温めると、服を脱いでドラム缶へと身を浸す。

(大分この生活にも慣れて来たなあ……)

 この島には、綾乃と和麻しかいない。他は鳥や獣などだ。

 恥ずかしいという考えも、この無人島で生活していると次第に薄れていっていた。

 綾乃は空を見上げながら、今までできたことを復習するべく、炎で辺りを明るくし、近くに燃えるものを探すと、それに火を着ける。

 その場に炎が現れると、その炎に包まれた物は燃え尽き灰も残さずに消滅する。

 そして、消え去った後には燃えた痕跡など残さない、以前の状態のままだった。

(バッチリね。残り一週間頑張ろう!)

 その結果に満足し、綾乃はドラム缶から上がると、テント内へと入っていった。

 

 残りの一週間。普通に生活している間も油断などできない状況だった。野菜を採りに行っている最中でも、攻撃を仕掛けられるのだ。ある時には、枝が飛んできたり、上空ばかりに気をやっていれば、足元に落とし穴が設置されていたりと、移動するだけでも油断できない。

 それは寝ている間にも適用される。

 寝ているテントにイノシシが突進してきたり―――と、心休まる時が無かった。それでも、戦う者の末裔か。綾乃はその状況にも対応していく。

 二日目には、周囲の状況をよく観察し、罠に掛かることはなくなった。

 三日目には、夜間の襲撃にも対応できるようになった。近づく者全てを焼き尽くす炎を、テント前に張り巡らせるといったことをできるようになったのだ。

 全て、和麻の思惑通り順調にいっていた。

 最後にあれさえなければ。

 

 綾乃は、毛布に包まれて集落内のある一軒家で寝ている。

 ここにきて、綾乃は風邪を引いて寝込んでいた。

 環境が変わり、食事も変わり、日々神経を張り巡らせる生活。

 普通の者であれば、直ぐには順応できず、身体を壊していただろう。今まで鍛えてきていたといっても、綾乃は初等部である。十歳を超えたばかり。よくここまでもった方だと言えるだろう。

 和麻は、綾乃の横でその看病をしつつ、風で部屋の中の空気を入れ替えていた。

(まさか、ここにきて倒れるとはな……)

 船が来るまで残り二日。残りの計画を破棄して、和麻は綾乃の世話をすることになった。

 

 船が来る頃には綾乃の容態もよくなっていた。ただ、和麻として誤算があったとすれば、それまで以上に綾乃が和麻に懐いてしまったことだろう。

 再度和麻は突き放すように伝える。

「誰も信用するなと言ったはずだ」

「私が誰を信用するかは私が決めること。

 それで裏切られても、それは私の見る目が無かっただけだから気にしないで」

 綾乃は一切に気にせずに、和麻にピタリと身を寄せて離れぬまま、神凪邸へと戻ってきた。

「それじゃ。またね」

 返事を聞かぬまま、綾乃は屋敷の門を潜り中へと入っていく。

 和麻はタクシーの運転手に行先を告げて帰っていった。

 

 

 

 和麻の生活は、神凪を出たからと言ってそう大きくは変わらなかった。

 和麻から見て変わったことと言えば、住む場所と食事を作る人が変わったくらいの感覚しかない。普段の生活が変わるはずもなく、いつも通りの生活を送っていた。

 送っているつもりだった―――と言った方がいいだろう。

 和麻は目の前の状況に、今日何度目になるのか分からない溜め息を漏らす。

「あんたは和麻の何なの?」

「えっと。私はその……」

 綾乃の言葉に気圧されて、柚葉は躊躇いながら視線で和麻に助けを求める。

 しかし、同じ説明を何度もする気がないのか、煩い中で呆れながらも和麻は読書をしていた。

 綾乃が訪れた際に一度説明をしたが、それで綾乃は納得せずに、今度は柚葉へ訊ね始めたのだ。無駄なことを嫌った和麻は、そんな綾乃を無視して本の続きを読み始めたのである。

「はっきり言いなさいよ!」

「それは……神凪君の言った通りで……」

「そんな嘘が罷り通ると思ったら大間違い! 次に私を騙そうと「煩いぞ」いっ!?」

 綾乃が全てを言い終える前に、和麻は綾乃に素早く近づくと、足払いをかけて転ばせる。いい加減静かに過ごしたかった。

 綾乃は持ち前の反射神経で、その足払いに対応すると、無様にこけたりなどせず、手をついて受け身をして一旦距離をとる。

「酷いよ和麻」

「酷いのはお前の頭の中だ。それ以前に何をしに来た」

 和麻は綾乃の後ろにある荷物に視線を向けて訊ねる。

「もちろんここに住むために来たの」

「住まわせる気など無い。帰れ」

「一ケ月一緒に暮らしたんだから、今更恥ずかしがらなくても大丈夫!」

「一ケ月も……一緒に……」

 綾乃の言葉に柚葉はショックを受けたようにして、顔を変化させる。

 しかし、和麻の対応が変わることはない。

「同じことを何度も言う気は無い」

「───えっ!?」

 言葉途中で、和麻は綾乃に向けて手を突き出すと、綾乃の周囲に風が巻き起こり、荷物と一緒に宙に浮き始める。そして、手を一閃させた直後、綾乃は荷物と共に飛んで行ってしまった。

 その光景を一瞥し、振り返ると、真剣な表情で和麻を見つめる柚葉と目が合う。

「神凪君……さっきの話は……本当なの?」

「何の話だ?」

「えっと……一ケ月一緒に……その……何でもない!」

 柚葉は迷いを振り切って、エプロンを外すと、足早に準備を始めた。

「ご飯の準備はできたから、あとは食べる時に温め直して食べて。……お邪魔しました」

 柚葉は慌てたように、和麻の家を後にした。

 和麻は静かになった空間に満足し、読書の続きへと戻っていく。

 

 風によって飛ばされた綾乃は神凪邸まで戻らされていた。

(まさかあんな奴が先に和麻の家にいたなんて……)

 綾乃は自室へと戻り、子機に手をやると友人の番号を押し始める。

「もしもし。…………綾乃だけど今いい?」

『いつでも準備は万端だよ~』

「聞きたいことがあって」

『綾乃ちゃんが聞きたいことと言えば、ズバリ恋人さんのことだね! 応援するから、南国のことも詳しく教えて!』

 

 和麻の家を後にした柚葉も、綾乃と同様自分の家に戻ってから、友人に携帯から電話を掛ける。

(うう……あんなに可愛い子が来るなんて思ってもみなかったよ……。あれって絶対神凪君のこと好きだよね……神凪君は彼女のことをどう思ってるんだろう?)

 不安を払拭するためにも、他の人の声が聞きたい柚葉は、早く出てくれることを願っていた。

『もしもし? どうかしたの?』

「相談があって……」

『何々? 柚葉の事だから、あいつ絡みでしょ? 詳しくじっくり聞くよ!』

 

 2人はそれぞれの相手からアドバイスを貰うのだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。