穏やかな風の吹くどこかの平地で、二つの小さな影が激しく交差していた。
「イカカカーー!」
「はぁっ!」
片や、奇っ怪な姿のモンスター、姿はイカなれど、下半身には人間のものに近い足があり、二足歩行で走り回る。“イカマン”、大陸においては最弱とも言えるモンスター。こなれた冒険者達にとっては、経験値の足しにすらならない雑魚モンスターである。それでも、普通に暮らしている大多数の人間からすれば、相手取るには命にすら関わるほどの危険な敵だ。
しかし、現在そのイカマンと相対しているのは年端もいかぬ少女が一人だった。
防具はお世辞にも十分とはいえずお粗末なもので、武器は辛うじて剣が一本。それを振るう手足はガリガリの骨と皮ばかりで、筋肉も脂肪も伺えないほど。
「てゃっ!」
「イカカカーーーーーーーーッ!」
が、少女はイカマンを押している。事実、少女はイカマンのイカ足による攻撃をかいくぐりながらさっくりと切り飛ばした。さらには、拙いながらも懸命の連撃をイカマンの胴体に叩きこんだ。
「……」
少女、スピアの後ろで黙して立つ男、スピアを保護した冒険者は、外面は無表情ながらも内では舌を巻いていた。
聞けば剣を握ったのはつい最近。盗賊達が来るまでは、ただの一度たりとも触れたことすらないという。その上栄養状態は劣悪、そもそもの歳も若輩な上に、歳相応の身体も持っていないというのに、戦闘能力はそこいらの一般成人を凌駕している。
(これが、天才ってやつか……)
最弱モンスターが相手とはいえ、その戦力差は歴然。それも先程は複数体を相手取って戦ってさえもいた。数日前までスピアがただの村人であったなどと、誰が信じるだろうか。あまつさえ、スピアは現在も常人を遥かに超えるスピードで成長している。会った当初はレベル4などと言っていたが、少し前にレベル神を呼び出したところを見かければ、既に10にまで上がっているという。少なくとも、普通の十歳程度の娘のステータスではない。まだ遭遇こそしていないものの、ハニーやフリーダムあたりのイカマンより幾分か強いモンスターとやりあっても、負けることはないように思われた。
(今でこれなのだから、筋肉がついて順当に成長していったら、一体どれほどになるのか……)
目の前で、見た目だけは貧弱な子供であるはずのスピアがイカマンを倒したのを眺めながら、男は“英雄”の可能性に思いを馳せた。
GI1008――。
年号にその時代の魔王の名を冠する世界、ルドラサウム大陸。それは星々の煌めく虚空にありながら、球体を取らずふわりふわりと漂う一際異質な岩塊である。
その大陸の左側は、魔王を頂点とした魔人達の支配する人外魔境。大陸の主要生物であるはずの人間が迂闊に侵入すれば、命など灯火のようにひとたまりもなく吹き飛んでしまうような完全なる魔の領域だ。人間の力とは、その多様性、のみ。純然たる力量では、魔王・魔人はおろか、モンスターたちにすら及ばない。故にこそ、その時代その時代の世界の色は、この魔王や魔人が染め上げると言っても過言ではない。前代の魔王の時代は、紛れも無く“黒”。人間はただの、家畜だった。
しかし、その史上最悪の魔王から代が変わり、早一千年。時折ちょっかいをかけてくる魔人の存在はともかく、どうしようもない、絶対の存在である魔王の恐怖というものは、人々の記憶から失われつつあった。
ヘルマン帝国、リーザス王国、ゼス王国、ついでにJAPAN。
人々はそれぞれの国に分かれ、平穏、とは言えずとも、人類の規模の絶望とは無縁の生活を送っていたのだ。
さて、そんな大国に属さない都市の乱立する地帯、自由都市地帯の一角で、ある時村が一つ滅んだ。この大陸では珍しいことではなく、ただヘルマン帝国から流れてきた盗賊たちが、たまたま目に付いた村を襲った、というそれだけの話だ。普通ならばほどほどの略奪をされる、という程度なのだが、数だけは肥大化し、さらに餓えてもいた彼らに手加減などというものは出来なかった。
略取、殺戮、蹂躙。世界の真理は弱肉強食。この大陸は、そこに生きる生物達は、創造主にそうあれかしと創られた、神々の玩具、遊技場。村人たちは、なるべくして盗賊たちの餌となった。盗賊たちのその悪行もまた、神意に沿った自然な行いと言える。
しかし、彼らは知らなかった。この世界が、あまりに理不尽な仕組みで作られていることを。努力だけでは、どうあっても越えられない“壁”が存在すること、天性の才能によって、数十年の経験など砂の城のように呆気なく捻り潰されてしまうことを。その村に、自分達を残らず喰らい尽くす、生まれながらの怪物がいることを。
そして、自分達が、眠っていたその怪物の眼を覚まさせてしまうことを――。
「いいかスピア? 生まれながらに神に定められた才能ってのは、俺達人間がこの世界で生きる上での絶対の規範だ。種族、技能レベル、才能限界、どれほど優れた素質を持とうと、磨かなければ錆びついていくのは必至。お前は幸運にも才能に恵まれているようだが、絶対に驕ったりするなよ。冒険者てのは危険な仕事だが、お調子者もいる。俺は、そんな連中を何人も見てきた。……そして、俺よりも恵まれていたはずの奴らが呆気なく死んでいくのもな」
フリーズと名乗る冒険者の男は、一番初めに俺にそう語った。
フリーズの差し出した手を取り、育った村を出た俺は、すぐにフリーズに教えを乞うた。
フリーズの見た通り、俺は盗賊たちを全員不意打ち騙し打ちで皆殺しにした。それまで剣を握ったことのなかった俺が、剣を振るい人間を殺すことが出来たのはおそらく有している技能レベルのお陰だろう。これで剣戦闘Lv0とかだったら間違いなく俺は死んでいた。
しかし、そんな拙い手が使えるのもあのレベルの連中相手ぐらいだろう。レベルが低く、また意識も低い。襲撃成功で気が抜けていたからこそあれだけ呆気なくことを運べた。今のままでは、技能レベルで勝っていたとしてもモンスターや賞金首クラスの盗賊には逆立ちしても勝てはしない。
だからこその鍛錬だ。
最初、フリーズは俺を鍛えることを渋っていた。いや、正確には早過ぎると判断していた。どうやらしばらくは、俺の成長と身体作りを待ちたかったらしい。何分まだ成人もしていない身、そんな子供に“冒険”を教えこむことに不安を覚えたのだろう。
だが、俺はすぐにでも強くなりたかった。今の俺の強さはこの大陸で底辺も底辺、下から数えたほうが早く、上の者は数えるに暇がないほどにいる。少なくとも、もしも一人になったとしても生きているだけの強さが俺は欲しかった。冒険者とは、強弱はあれども誰もが刹那的に生きる者ばかり。いつフリーズがいなくなるか分からない、そう考えたからこその焦りだった。
かくしてそうした俺の懇願に渋々と頷いたフリーズは、それで腹を据えたのかスパルタ教育を始めたのだった。
フリーズの教えることは、とかく実践的だった。というより、誰かに教えた経験がないので勝手が分からないのだという。とりあえず剣振ってみろと、没収されていた剣を返されて数日。なら次はモンスター狩ってみるかと、フリーズは俺をイカマンの前に放り出したのだった。
「敵から目を離すな! 大丈夫だ、スピアなら問題なく勝てる相手だ」
初の真っ向勝負に浮足立つ俺を、フリーズは後ろから叱咤した。所詮はイカマン、されどイカマン。イカマンの触腕をへっぴり腰でかわし、俺は我武者羅に剣を振るった。そうしてイカマンが倒れる直前、俺は一発だけ、相手の攻撃を食らった。
痛かった。一発だけなのに、骨が折れるかと思った。実際、後で見ると攻撃を受けた肌は青黒く痛々しく腫れていた。
……だが、その怪我を見てふと思い出したのだ。そんなものは、村にいた頃は日常茶飯のことであったことを。奴隷のように言うなりに、ただ理不尽な仕打ちに怯えて、抗うことも出来ず何時死ぬかも知れず、ただ心を凍らせて生きてきた。
なら今、一体何を恐れるというのだろうか? 今の自分ならば、捕食者の側に立つことができる。自分の意志で剣を持ち、強者として一切合切を奪ってしまえ。例え反撃を受けても、それ以上のもので返礼してやればいい。一方的に殴りつけて、殴り返されるのが怖いなんてのは、ただの我侭だ。けれど。唯々諾々と、誰かの食い物でいるのはもう御免だった。
それからは、敵に対して一歩踏み出すことを躊躇うことはなくなった。
「……へふぅ」
イカマン三体を無傷で倒し、俺は溜めていた息を吐いた。
村を出て5日、フリーズが拠点としている自由都市へと向かう中途。俺の手に負えないモンスターはフリーズが間引き、俺はイカマンだけを相手取っていた。レベルは、時折レベル神マッハを呼び出して少しずつ上げている。正直いきなり上げすぎても、ステータスの加速度的な上昇に技術の方が追いつかなくなるのだ。技能レベルも万能ではない、高ステータスに溺れる前に、しっかりと磨いておかなければならなかった。
「よくやった」
フリーズが腕を組んで、俺を労う。フリーズの周りには、るろんたやヤンキーといった、イカマンよりいくらか強いモンスターの死体が転がっていた。これで技能レベルを何も持たないというのだから、本当に自分の力で経験を重ねてきたのだろう。
「オレ、どうだった? うまく、戦えてたかな」
「ああ、上出来だ。この分なら、他のモンスターの相手も任せられそうだ」
「! やった!」
フリーズに拵えてもらった鞘に剣を戻し成果をきいた俺は、思いの外高い評価に小さく飛び上がった。何せ、これまでずっとイカマンの相手ばかりしてきたのだ。それより強いものが来ると、俺は後ろから見ているだけ。不謹慎な話だが、それが俺にはどうしても退屈に感じられた。
戦うフリーズを見ていて得るものも確かにある。だが俺は、自分で剣を振るい戦うことこそが自身の本懐に思えたのだ。
「おいおい。イカマンなんて、モンスターの中では最下級だぞ。それを卒業できたからって、調子に乗るなよ?」
「分かってるっ」
「……やれやれ」
拳を握りしめ、力強く頷くと、フリーズは苦笑いしながら頭を振った。
「そんじゃ、早速やってもらうとするか」
「え?」
言いながら、フリーズは手を伸ばして人差し指を俺の後ろに向けた。その方向を振り向くと、茶色の不思議生物が三体ほど、ポヨポヨとこちらに近づいてきていた。
『はにほー。はにほー。あいやー』
『わー、人間だー』
『わーい。やっつけちゃえー。それー』
彼ら独特の高く、どこか空洞に響くような声質。胴体は全体的に角がなく、兎にも角にも丸っこくてつるつるしている。顔に当たる部分には目口を意味する穴があり、その奥は些か不気味に空っぽだ。呑気で、場合によっては人間に近い社会性を持つ、大陸で人間人外問わず誰もが知っている有名モンスター。
ハニーである。
普通は温厚で、比較的人間に友好的なところもあるモンスターなので、今向かってきている彼らはハニーの中ではちょっぴり不良の類らしい。
「うわっ……」
「ハニーだ。ま、イカマン同様ありふれた雑魚モンスターだよな。魔法が効かないが、使えないスピアには関係ないだろ。ただし、口から出してくる衝撃波には気をつけろよ。……というわけで、今回は任せた」
「いきなりすぎぃ……」
素知らぬ顔でまた腕を組んだフリーズに、俺は手助けを期待することを止めた。フリーズが俺一人に出来ると判断したのなら、それを裏切るのは俺の性に合わなかった。
俺は覚悟を決めて、鞘から剣を抜き出してハニーに向かって正眼に構えた。
『人間のくせに生意気だぞー。くらえー』
間近に迫ったハニーの一体が、身体を振りかぶってパンチを放ってきた。手に当たるでっぱりを精一杯に伸ばしてこちらに突き出してくる様は、どこか愛らしさすら覚えるほど。この辺り、親しみやすさの欠片もないイカマンに抱いた感情とはまるで別物だった。
とは言え、ほぼ体当たりに等しいそのパンチを大人しく食らうわけにもいかず、俺は少し身を引いてカウンター気味に上段から剣を振り下ろした。
『キャーッ』
パリーン
ハニーは、悲鳴とともに呆気なく真っ二つに割れてしまった。村で盗賊達を殺した時には全く感じなかった、そこはかとない罪悪感が、そこにはあった。……が、それは俺にとって剣を止めるほどの理由にはならない。
『うわーっ。ハニ三がやられちゃったーっ』
『ひどいー。やめてよー』
とか言いつつなおもポヨポヨと向かってくるハニー達に、俺は剣を向けた。
が。
『くらえー。ハニーフラッシュ!』
「ぐへぇっ!」
片方の口が光った瞬間、ポワワワ~とかいう謎の音ともに、俺は光る何かに吹っ飛ばされた。
「!?!?ゲホゲホ!!」
地面に打ち付けられ、慌てて受け身を取りながら立ち上がった。衝撃にむせながら、俺は手放しそうになった剣を握り直した。
イカマンの時と比べると、痛みはそれほどのものではない。イカマンの攻撃は局所的かつ表面的なものだったが、ハニーのその攻撃は全身に、そして身体の内部までじんじんと響いて、あと二、三発も食らえば動けなくなりそうだった。
「あ、食らっちまったな。そいつがハニーフラッシュだ。厄介な攻撃だろ? こういうのは、一発は食らって経験積んどかないとなぁ」
後ろからフリーズの、アドバイスというか講釈が投げかけられる。本当に、実戦的だ。
「こ、これ、どうしたら、いいの?」
横目でハニーを警戒しながら、俺はフリーズの方を振り向いた。
「おいおい、戦闘中に他所を向くなよ。ま、いいか。どうしたらいいかっていや、そりゃヤラれる前にヤレ! しかないだろう。攻撃は最大の防御なり、ってなもんだ」
「フリーズ! 脳筋!」
「おう。そうだが」
「くそぅ」
「女の子がクソとか言うなよ」
「……f○ck」
「遊んでないで前見ろぉ」
フリーズの言葉に慌てて顔を戻すと、ハニーはいつの間にか俺のすぐ目の前まで近づいてきていた。不覚だ、いつの間にか意識もハニーから外してしまっていた。
『ハニ三の仇だー』
『わーい。カタキだカタキだー』
「あぶふっ!」
間延びした声とは裏腹に、強烈なパンチが俺の胴や胸にぼこぼこと入る。今の俺には致命的な攻撃だ。何発も食らっていたら、間違いなく死んでしまう。
(あぁ……また青あざが増えちゃうな……)
そんな打撃を受けながらも、俺は命に危機に怯えるよりも先にそんなことを考えていた。キャパシティ以上のダメージに気が遠くなっていく中、俺は身体が前倒しになっていくことを利用し、足を踏み出しながら剣を真一文字に振るった。
『キャーッ』
『キャーッ』
確かな手応えを二つ、剣身越しに手の平に確かに感じながら、俺は徐々に薄れていく意識を手放した。
『うぅ……ハニ二……』
『ハニ一……もう、ダメぽ』
死に際の一言ともに死んでいく二体のハニーから視線を外し、フリーズは地面に倒れ込んだスピアに駆け寄った。息があり、気絶しているだけであることを確かめ、フリーズは安堵のため息をつく。
「減点だな。モンスターを前にあれほどの隙を晒すとは。いやしかし、無理をさせすぎたか」
細く、小さな身体を抱き起こすと、見た目以上に軽いことに気づく。この、肉もついていないような身体で懸命に剣を振っているのだ。一体何を思ってそこまで必死になるのか、それを想像するだけでその在りように痛ましさすら覚える。
「……それにしても」
フリーズは、あらためてハニーの陶器じみた死体に目を向けた。それらは、最初のハニーとは違って割れてはいなかった。そのどちらもが、上半身と下半身を分かたれた形で、真っ二つになっていたのだ。中級程度の冒険者になら苦もなく出来るようなことだが、フリーズにとっては今のスピアがそれをなしたことが驚きだった。それも、倒れる寸前、二体同時に、である。
「ゆくゆくは、大国の騎士か隊長か。出自なんぞ関係なく、力でもぎ取れそうだ」
将来が楽しみだ、と思いながら、そんなことを考える自分自身にも驚き、フリーズは苦笑を漏らした。
(今は大概、危なっかしいがな)
戦闘経験の未熟さや貧弱な身体もさることながら、スピアの何かを急ぐような様子もフリーズには気にかかっていた。確かに、のんびりマイペースに行こうが、せかせかハイペースに行こうが、それは個人の自由だ。フリーズ達冒険者にとっては、どちらも他人に強制されるものではない。自分勝手に生きることこそが、彼らのルールなのだ。
しかし、スピアの様はフリーズから見て他といくらか剥離していた。どうも自分達とは違うものを見据えているようにも思えるのだ。
そこまで考えて、フリーズは思考を打ち切った。
「うぅ……」
フリーズの腕の中で、スピアが顔をしかめて呻いていることに気付いたためだった。
(考えるのは苦手だ。俺が頭を悩ませたところで、どうせなるようにしかならんか。……あーっと。あったあった)
フリーズは荷物の中から世色癌と水を取り出すと、スピアの小さな口をこじ開けた。
誰かに喉の奥に☓☓☓を突っ込まれて、ぶっ放される夢を見た。もう目が覚めたはずなのにまだ何か口の中が苦い。超苦い。
後に、目を覚ましたスピアは拙い口調で、目の端に涙を滲ませながらフリーズにそう語った。
ところで、修練はまだ積んでいないけど、剣戦闘Lv2である程度の補正はかかっているという設定。