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「……ん………さん…………お…さん、お嬢さん」
目を開けると、皺くちゃな手が私の手を包んでいた。顔を上げると小さな丸い目が私を覗き込んでいる。周りを見ると倒れていた男性と同じ青い服装の男性達が、ぐったりしたままの男性を運んでいるところだった。
「あっ」
「大丈夫。お嬢さんの魔法で癒えておる。気絶しているだけだよ」
意識の無い男性を見て腰を浮かした私に、皺くちゃの手の主である白髭のおじいさんが宥めるように言った。それを聞いて漸く思考が戻ってきた。
ちょっと本気で焦った。焦り過ぎて周りが見えなくなった程だ。男性達は剣を履いているからエイトさん達の言っていた騎士団の人なのだろう。ぐったりしたまま運ばれていったが血色は悪くは無かったような気がする。大丈夫だと言うのなら本当に良かった。
……で、このおじいさんは誰なんだ? 騎士団の人が周りを囲っているのだが。
「お嬢さん、これを飲みなさい」
騎士団の人から小瓶を受け取ったおじいさんは、それを私に渡してきた。特に色はついていない水のようなものだが……おじいさんはうんうんと頷いていて、周りの騎士団の方と思われる男性達も同様に頷いている。
エイトさん達の話から騎士団の人は融通の利かない人達という印象があったのだが……なんだかえらく心配されているような気がする。
おそるおそるビンの蓋を取って口に入れると、覚えのある味だった。アミダさんのところでまだ身体を動かせないでいた頃、飲ませて貰ったものに似ている。
「全部飲みなさい。それは魔法のせいすいだから」
「え?」
これ魔法のせいすい? って、え? これ魔法のせいすい!? いいの!? というか、何で飲まされてるんだ!?
「お嬢さんはつい今しがたまで、ずっとこの修道院全体に回復魔法をかけ続けていたんだよ。おかげでここに居た者も、宿舎で休んでいた怪我人も立ち寄った巡礼者の軽い怪我も癒えた」
「……は?」
「自覚は無いようだが、随分と魔力を使っている筈だから飲みなさい」
おじいさんの言葉を肯定するように周囲の男性も一様に頷いてきた。というか、一斉に頷かないでくれ。怖い。
まぁ魔力切れの感覚は無いので平気だと思うのだが、ご厚意はありがたく頂戴しよう。手にした小瓶の中身を飲み干して、礼を言っておじいさんに返す。
「ありがとうございます」
「礼は私の方だよ。お嬢さんは先ほど私の部屋に来た者達の連れかい?」
「あ、エイトさん」
また忘れてた。どうもいかんな。目の前の事に必死になりすぎるといろいろ忘れてしまう。
「あの者達ならマルチェロ、聖堂騎士団で少し話を聞いているところだよ。ここまでどうやって来たのか心配しておっての。すまないが話を聞いている間、お嬢さんは私とおしゃべりでもして居てくれるかい?」
あー……確かに。いくら何でも不法侵入は拙い。入るなと制止されたところにどこからともなく見知らぬ者が現れたらそりゃ捕まえる。でもそうなら私も捕まった方がいいと思うのだが。
「あの。私も不法侵入した怪しい輩なので拘束されるべきだと思うのですが」
言外に、エイトさん達のところに連れて行って貰えませんかと言ってみる。
「いやいや、お嬢さんが騎士団の者を助けようとしてくれていたのはマルチェロもわかっておったよ」
のう? と、おじいさんが周りの男性に視線を向けると、男性たちはさっと頭を下げた。
「はい。院長様のおっしゃる通り、団長から丁重にと言付かっております」
おおう。マルチェロさんというのは騎士団の団長さんか。えらい人にエイトさんはとっ捕まったな。でもって、目の前のこのおじいさんが院長さんだったか。
「立てるかい?」
「はい」
頷いて私は足に力を入れ立ち……あがれない。……なるほど。これが腰が抜けた状態か? いや、分析してる場合じゃないだろ。立て、立つんだ。真っ白になったアイツじゃないんだから。
床に手を付いて無理矢理膝立ちになろうとすると、腕を持たれた。
「無理をされないよう」
面長の顔が特徴的な男性が支えてくれて、立ち上がる事が出来た。
「ありがとうございます」
「いや、仲間を救ってくれたのだ。これぐらいの事」
礼を言うと小声でそう返してくれた。なんだか話に聞いていたよりいい人そうだ。支えてもらいながら用意されたテーブルにつくと、向かいにおじいさんが腰かけお茶が出された。
「お前さん達も休んでいいんだよ」
「いえ、騒ぎがあったばかりですので」
「真面目だのー」
ほのぼのと院長さんは笑う。
「あの、取り調べはどのぐらいで終わりますか?」
あんまり長引くようなら先にドニの町に帰った方がいい。納得してもらってはいるが、王があのままじっとしているとは言い切れない。
「直に終わろうて。心配ならこの後確認してあげよう」
「ありがとうございます。待たせている人も居るのでそうしていただけると助かります」
「おや、そうならあんまり引き止めるわけにもいかんかの。お嬢さんに聞きたい事があったんだが」
「聞きたい事、ですか?」
持っていた茶器をテーブルに置き、院長さんはつぶらな瞳で私を見詰めるとにこりと笑った。
「お嬢さんはどこから来なさったのかと思うてな」
「あぁ、えっと……」
一瞬、王の設定を口にしようか迷った。だがこちらを見上げる小さな目を見ていると設定を口にする必要性を感じなくなった。というのと、嘘がばれた時の影響が大きいと判断して本当のところを一部だけ話す事にした。
「恥ずかしながら私は故郷の場所がわからない迷子でして」
「わからない? 何かあったのかい?」
「私にもよくわからないんですが、気付いたらトロデーンの近くに居まして。それで付近の方に助けて頂いて今に至っています」
「ほう……」
おじいさんは茶器を口元にあて、囁くような声で言った。
「ひょっとして天界ではないか?」
「はい?」
素で聞き返してしまった。そしたら声を落すようにと手で制されて、あぁ護衛の人が居たんだと理解して頷き返す。
「実家は山間の長閑な田舎ですよ。小さい頃は畑仕事とか手伝っていましたから」
当たり障りのない言葉で『天界』などではないと答えると、目を瞬かせて首を傾げられた。
「ふぅむ……そうであっても不思議ではないと思ったのだが」
ほう。院長さんは天界をご存知なのか。すごいなそれは。
「いや私も見たことは無いんだが、ご先祖様の友人は見たことがあるそうでな。ちょーっとだけ私もその話を聞いた事があるんだよ」
「へぇ。それはすごいですねぇ」
「お嬢さん、信じておらんな」
「いえいえ、そんな事はないですよ?」
天界と言われるとピンと来ないが、天空城とか言われるとドラクエ4、5、6だなぁと思う。ここにあっても違和感はそう無い。
「澄んだ空気を纏っておるというのに、興味の欠片もないとは面白いのう」
ほっほっほと笑う院長さんに、私は肩を竦めてすみませんと苦笑する。そんなものを持ち出されても知らないものは知らないし、あんまり関わりたくない部類なので興味もわかない。
「院長様、団長がお見えです。そちらの方にお話を伺いたいと」
傍に居た騎士団の男性が一歩前に出て言う。
「おお、そういえばお嬢さんの名前も聞いておらんかったの。ここで一緒に聞いてもいいかい?」
院長さんに尋ねられたが、それは私ではなく団長さんの判断に委ねられる事ではなかろうか? と、思って騎士団の人に視線を向けると黒髪をオールバックにした男性が入って来た。他の男性が頭を下げているところを見ると彼が団長さんのようだ。
しかし何故オールバックにしているのだろう。生え際が非常に心配な感じなのだが。そり込みが危なくないか? 自らオールバックにするというのは潔いのか何なのか……ひょっとして規則?
「あの、院長さんが一緒に話を聞きたいと言われているのですが、ここでお話ししても問題ないものなのでしょうか?」
とりあえず聞いてみると、眼光するどい団長さんはちらっと院長さんを見てから、ふっと笑った。
「それでは失礼して私も同席させていただきましょうか」
団長さんはそう言って私と院長さんの横手に座った。強面だがちょっと茶目っ気がある人かもしれない。
「私は聖堂騎士団団長を務めるマルチェロと申します。名前を伺っても宜しいですか?」
真面目な質問に私も背筋を正し、一礼。
「失礼致しました。リツと申します。この度の不法侵入、誠に申し訳ありませんでした」
「ほう。不法に侵入した事を認められるのですか?」
面白がる声に顔を上げると、何かを企んでいそうな顔で笑う団長さんが居た。私は背筋を正したまま苦笑。
「責任者である団長さんがご存知ないという事であれば、許可されていない事ですから。状況を理解していなかったとしても事実を見れば不法侵入以外に無いでしょう」
さぁて、どんな罰則があることやら。命取られるのだけは勘弁だ。そうでなくとも厄介ごとは御免こうむりたいので早いところエイトさん達と合流してとんずらしたい。
「貴女は誰に言われてどうやってここまで来たのですか?」
「ええと、どなたかはわからないのですがマイエラ修道院の方に道化師が院長さんに会いに行ったという話を連れが聞きまして、もし私達が追っている相手だと危険だと思ったらしいのですが……その」
「どうぞ、気になさらずおっしゃってください」
ちらっと騎士団の人を見て言いよどんだ私を促す団長さん。
「騎士団の方に話をしても聞いてはもらえなかったようでして……それで、偶然知り合ったマイエラの関係者の方から脱出路のようなものを教えてもらい、逆走してここまでたどり着いたというわけです」
「マイエラの関係者というのは?」
んー……言ったら罰せられないかな? 確かククールさんだっけ?
「すみません。詳しくはちょっと。又聞きなので」
「又聞きとは、あの三名ですか? 男性二人、女性一人の」
「はい。旅の連れです」
団長さんは手を組んでテーブルに置いた。
「あの三名との関係は?」
いや、だから旅の連れなんですが。何を聞きたいんだ? と、目を瞬かせると「失礼」と補足された。
「あの三名と貴女とがあまりにも不釣り合いに思いましてね」
「不釣り合い?」
「これこれマルチェロ。不釣り合いとは失礼だろう」
「ですが院長、これ程優秀な回復魔法の使い手は教会でもそう多くは居ません。貴重な使い手があのような旅人につき従っているというのは不自然ではありませんか? 聞けば、こちらへ立ち寄った時も馬車の見張りをさせられ参拝もさせてもらえないようだったと修道士が言っておりました」
「そうなのかい?」
いやいやいやと手を振り首を振る。
「私が自分で馬車に残っていただけですよ。強制ではなく自分の意志ですから。それに回復魔法とかは一応扱えますけど、魔物を前にすればまともに戦えませんから守っていただいています」
対等な関係だよと、何やら誤解している団長さんに言ってみる。
「なるほど。そう言われているのですね」
あらら。この人、猪タイプ? 思い込んだら一直線? どっかの親子みたいだな。となると、否定してもあんまり効果はないだろう。話を変えてさっさと逃げよう。
「エイトさん達はまだ拘束中ですか?」
「一応。侵入経路がはっきりしていなかったものですから」
一応、ね。こりゃ助けに行った方がいい感じか?
「じゃあそれは判明しましたね」
「ええ。後程確認してみます。ところで貴女はこれからも彼らと旅を続けるのですか?」
「はい。探し物がありますので」
「そうですか……残念ですね。それほどの力をお持ちなら、ぜひともこちらに留まっていただきたいものです」
「無理はいかんぞマルチェロよ」
何やら不穏な事を言う団長さんを院長さんが窘めてくれた。ありがたい。
「はい、承知しております。ですから残念だと。
これも何かの縁です。何かお困りの事があればぜひこちらにお越しください。微力ながら騎士団がお力になりましょう」
ははは。この人、何を考えてるのやら。囲いこまれそうで怖いな。
「お心遣いありがとうございます。不法侵入した件はどうしましょう? 何か罰則はありますか?」
「いえ。団員を助けて頂きましたので目を瞑る事と致します。今後は正面からお越しください」
笑って言われたので、こちらも「あはは」と笑いながら頷き返す。
「はい、そうさせて頂きます。お話がこれで終わりという事でしたらこれで失礼させていただいても宜しいでしょうか?」
「大丈夫ですか? 魔力をかなり使われたと思うのですが、少し休まれてから出発されては」
私は立ち上がり足の調子を確認する。うん、問題なし。
「問題ないみたいです。さっきはちょっと気が動転して腰が抜けてただけで」
人生初体験だが、実際腰を抜かすとかなってみると恥ずかしいものだ。誤魔化しまぎれに頬をかく。
「それでは私はこの辺りでお暇――」
さっさとエイトさんを自分で探そうとして、ぞわっと全身に鳥肌が立った。
同時に院長さんが顔を硬くし、団長さんが立ち上がった。
「警備! 誰も中に入れるな! 三名来い!」
「はっ!」
団長さんは騎士団の人に命じると院長さんの手を引き階段を上った。私も院長さんに腕を掴まれてつられて階段を上ったが、鳥肌が納まらない。それにこの全身を覆う纏わりつくような重い空気は覚えがある。
「院長はこちらに。動かないでください」
「私よりも――」
ドンと外で音がしてステンドグラスが赤い光に照らされた。たぶん、火があがったのだと思う。団長さんは舌打ちをして下に行こうとしたが、それよりも早く悲鳴と呻き声が響いてきた。
「お嬢さん、下がっていなさい」
硬直した私を引っ張って壁際に下がる院長さん。私は引っ張られるまま壁に背を付けたが、階段から目が離せなかった。
ゆっくりと階段から姿を現したのは道化師姿の、青白い顔の男。足を地面に付けず宙を漂い昇ってきた。
口の中が乾いて張り付く。重くのしかかる何かが怖くて目を逸らしたいのに逸らせない。殆ど縋りつく様に院長さんの皺だらけの手を握りしめる。
「悲しい……悲しいなぁ……」
ぶつぶつと呟くように暗い声を出す道化師の男はふわりと杖を一振り。その瞬間、見えない衝撃が騎士団の男性三名を襲いその身体を吹き飛ばした。
「何者だ!」
私達を背に庇い剣を抜き放ち、切っ先を道化師の男に向ける団長さん。一つも怯んだ様子が見られないその姿は頼もしいが、胸の内に生まれた不安は膨らむばかり。
「悲しいなぁ……」
道化師の男は杖を掲げた。今度は団長さんの身体が吹き飛び壁に叩きつけられる。鈍い音がして壁にひびが入り、崩れ落ちる団長さん。
「兄貴!」
階下から赤い服のあの青年が現れ団長さんに駆け寄った。
「……やら…れた……。すべて…あの道化師の……仕業……。奴は…強い…。ゲホッ! だが、あやつの思い通りには……っ!!」
助け起こそうとするククールさんの手を団長さんは払いのけた。
「命令だ! 聖堂騎士団員ククール!! 院長を連れて逃げ――」
三度、道化師の男が杖を振るった。逃げろと指示した団長さんと一緒に、壁に叩きつけられるククールさん。
「……クックック。これで邪魔者はいなくなった」
高いような低いような、不安を煽る落ち着かない声で道化師の男は嗤った。
「くっ……! オディロ院長には指一本触れさせん……!!」
団長さんは確実に肋骨の一本や二本折っている。なのに這ってでも院長さんと道化師の間に入ろうとしていた。
思考する間もなく繰り広げられた光景に身体が硬直していた。だが、呆けている場合ではない。このままだと冗談抜きで全員――。それは駄目だ。
「案ずるなマルチェロよ。私なら大丈夫だ。私は神にすべてを捧げた身。神の御心ならば私はいつでも死のう。……だが、罪深き子よ。それが神の御心に反するならばお前が何をしようと私は死なぬ! 神のご加護が必ずや私とここにいる者達とを悪しき業より守るであろう!」
ロザリオを掲げる院長さんにスカラを重ねがけ。院長さんが狙いである事は先ほどの言葉ではっきりとした。なら、ここから院長さんを逃せば何とかなるかもしれない。負傷した男性五名を抱えて逃れる術など見つからないのだから、そっちに懸けるしかない。
「……ほう。ずいぶんな自信だな。ならば……試してみるか?」
階下から駆け上がってくるエイトさんを視界の端に捉え、これ幸いと魔法を唱える。
「エイトさん受け取って逃げて! バシルーラ!」
申し訳ないが院長さんをバシルーラでエイトさんの方へブッ飛ばす。虚をつくにはこんぐらいの速度が居ると思っての事だが、すみません。後でいくらでも謝るんで。
幸いエイトさんとヤンガスさんが二人がかりで受け止めてくれた。良かった。逃走用にバシルーラを研究していて。
「マホカンタ!」
こちらに向けられた杖にすぐさま次の魔法を放つと、何かが私の前に現れた虹色の鏡に弾かれて道化師に迫った。
「っち」
道化師の男は即座に杖を振って衝撃のようなものを打ち消した。どういう構造か知らないが予想通りマホカンタで弾けたので魔法によるもので間違いないようだ。これならいけるかと思ったが、杖を振りかぶってきたのでヤバいと思ってアストロンを唱える。
ガッと嫌な音を立てて杖先が私の胸にぶつかった。
衝撃は全く無かったが、すごい速度だった。アストロンやってなかったら確実に貫かれていた。アストロンのせいで表情筋は全く動かないが、内心盛大に顔が引き攣った。
「やってくれますね……」
道化師の男は浮かべていた笑みを引っ込めると、手をこちらに伸ばしてきた。やばい。動けない。
「リツさん!」
横合いからエイトさんが見慣れない剣を道化師の男に振り下ろしたが、弾かれて壁に叩きつけられた。
「兄貴!」
「エイト!」
続けて鎌を振りかざしたヤンガスさんも、魔法を唱えようとしたゼシカさんも例にもれず吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。何で逃げないんだという文句は後回しにしてアストロンが解けた瞬間に次の魔法を唱える。
「ヒャド!」
精度無視威力重視のヒャドを至近距離に居た道化師の男の腹に叩きつけると、腹部から氷が生まれ生き物のように成長し氷塊に男を閉ざした。が、杖が光ると同時にあっさりと氷が砕ける。
「アストロン!」
氷解と同時に杖で頭を強打されたが、ギリギリ間に合った。杖は弾かれ道化師の男の顔が歪む。
「貴女は……邪魔ですね……」
言うと男は私の首を掴んだ。アストロン中のため絞められているのかわからないが……詰んだ。院長さんは逃げようとしてないし。神の御心だかなんだかしらないが自分の道は自分で切り開いてくれよ! あぁくそっ! むちゃくちゃ怖いってのに!
「メ――」
アストロンが解けた瞬間次の魔法を唱えようとしたが、やはり首を絞められていた。息が出来なくて苦しいというより、喉が潰される痛みで生理的な涙が浮かぶ。
「これで貴女もお終いです」
首を掴まれたままぶん投げられて壁に叩きつけられた。背骨が軋み衝撃で息が詰まった。頭は辛うじて庇ったもののすぐに動けない。
「お嬢さん!」
声に顔を上げると院長さんの背があった。その背から……杖が生えていた。
咄嗟に手を伸ばすと、ずるりと杖が引き抜かれて小柄な身体が傾いだ。
「っベホ……げほっ ベホマ!」
院長さんの胸に手を当て魔力の栓を外し回復魔法を施す。
「……悲しいなあ。お前たちの神も運命もどうやら私の味方をして下さるようだ……。キヒャヒャ! ……悲しいなあ。オディロ院長よ」
耳障りな嗤いの中、パキンと何かが壊れる音がした。
「そうだ、このチカラだ! ……クックック。これでここにはもう用はない」
硝子が割れる音がした。だが構ってられない。
「……さらば、みなさま。ごきげんよう」
せき込みながら魔力供給を続けるが、傷が塞がらない。背中に冷たいものが落ちる。這い寄って来る団長さんの顔色は蒼白だ。ククールさんも強張った顔でこちらににじり寄る。
私は迷いを振り切り、魔法を切り替えた。
「ザオリク」
心臓が嫌な音を立てているのを無視して、魔力を注ぐ。青白い魔力光が院長さんを包んだ。けれど、傷は塞がらない。
魂を呼び戻す魔法。最上位の蘇生魔法。それが意味を成さない。
何故傷が塞がらない? ベホマでも塞がらなかったら、それはつまり蘇生じゃないと無理という事ではないのか? それとも院長さんが言うように、これが神の意志だとでも言うのか?
「止めなさい」
院長さんの胸に当てていた手を掴まれた。団長さんだった。
「もう、止めなさい」
「………」
「もういい」
私は血に濡れた手から力を抜き……魔力の供給を…止めた。
「ベホイミ」
床を張ったままの団長さんが私の喉に手を伸ばして回復魔法を唱えた。喉から胸にかけての痛みが消えていく。
私も団長さんに回復魔法を掛けようとすると首を横に振られた。
「他の団員を」
団長さんの言葉に頷いて、ベホマズンを唱える。
魔力を供給しながら腕に抱いた院長さんを団長さんに任せ、エイトさん達や倒れている男性達の様子を見て息がある事を確認し、階下に降りる。下で倒れていた団員さん達の息も確認し無事であることを見てから外に出る。燃え落ちた橋の向こうには騒ぎに集まる修道院の人の姿が見えたが、けが人は見えなかった。
膝から力が抜け、その場にへたり込んだ。自分が何を考えているのかよくわからない。ただ、魔力の供給だけは止めないようにした。これ以上、亡くなる人がないように。
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予想していたよりも多くの方に読んでいただき恐縮するばかりです。
今後も更新頻度は遅いものの続けて参りますのでよろしくお願い致します。