12
「エイトさん。着替えたら服を持ってきてもらえます?」
「あ…はい、わかりました」
自分の部屋に戻る手前で気づいてドア越しに声を掛けると間延びした返事が返ってきた。これはかなり疲れてる。明日は起きるのが遅いかもしれないなと思いながら寝る支度をした後、寝かけているエイトさんから服を回収してベッドに入る。
そして目が覚めたらまたしても朝だった。起きた瞬間にベッドを飛び降り日の高さを確認。力が抜けた。二日連続の寝坊は阻止出来たようだ。まだ日は登りかけだ。
アミダさんに貰った櫛で髪をとかし、軽く身支度を整えてから洗濯物を持って宿の外に出る。早朝の空気はひんやりしていてちょっと身震い。裏に回って王と姫様を起こさないよう粉石鹸を取って水場に行く。洗っていると、何をどうしてそうなったのか分からないが袖がざっくり切れているところを見付けた。しばしそれを眺め、そっと破かないように洗う。針と糸はあるから後で縫えるけど人の身はそうはいかない。血はついてなかったが、その可能性に鉛を飲み込んだような心地になる。ホイミがあろうと感じる痛みは無かった事には出来ない。それに魔法で全て癒せるとも限らないだろう。
「怖いな」
一人呟く。それが虚しいというか、空っ風が吹くというか妙に寒く感じる。いつもはおばさん達と話しながら洗っていたせいだろう。昨日は姫様が居てくれたのもある。
何も考えないようにして手早く洗濯を終わらせ宿の裏へ戻ると、洗濯をしている間に姫様は目を覚ましたらしく姿が見えなかった。たぶん花摘みかなと思って干していると、昨日探しておいた人目に触れない茂みから現れた。今日も干し草でいいのか確認して新しいものを運び、残りの洗濯物も干してしまう。
私も朝食にしようかと思って荷台を見ると、王は寝ているようだったので起こさずそのままにしておく。低血圧には見えないが無理に起こす事もない。
「おはようございます」
「あぁおはよう! 今日は早いね!」
宿の厨房を覗くと、顔見知りになったおかみさんが朝ごはんを作っているところだった。パンを焼くいい匂いがする。
「四人分、部屋に持って行くかい?」
「まだ起きてないかも。ちょっと見てきます」
「はいよ」
肝っ玉かあさん風の元気なおかみさんを見て身体の奥に居座る鉛が少し解けるのを感じながらエイトさん達の部屋に行く。ドアの前で声を掛けてみるが反応は無かった。
「やっぱり起きてないです。お昼近くになるかもしれません」
「そうかい。じゃああんたはここで食べるかい?」
「いいですか?」
「いいよいいよ。むさ苦しい男どもより可愛い子の方が華やぐってもんだ」
おかみさんに焼き立てのパンと熱々のスープを貰って、厨房の隅っこで食べる。たぶん十代に見られているのだろうが思い込みに水は差さない。小っちゃい子扱いしてもらった方が今はお得だ。厨房の中から様子を眺めていると一人身っぽい男の人がぱらぱら来て、朝食を食べたりテイクアウトのサンドイッチを持って行ったりしている。昨日私達しか宿に泊まっていない事を聞いたのだが、それにしては作る朝食の量が多いなと思っていたら食堂も兼ねているようだ。いや旅人が少ないのだから、どちらかというと食堂の方が本業なのかもしれない。
食べ終わる頃に王がひょっこり姿を見せたので、おかみさんに言って王の食事も貰い一緒に隅っこで食べてもらった。部屋に戻っても良かったが、王が厨房の方が姫様に近いからと言うので全面的に支援した形だ。王の王様業についての能力は不明だが、父親としては……そういえば母親はどうしたのだろう? 井戸端会議でも王妃についての話は一つも出なかった。
「陛下。姫様は王妃様に似ておられるのですか?」
「ん? そうじゃな……姫は王妃の若い頃にそっくりじゃ。わしの気品も受け継いでおって立派に成長してくれたわい。それなのに……」
こそっと聞いたら、ぶつぶつとドルマゲスに対する恨みつらみを零す王。王妃について何も言及が無いところを見ると亡くなられているか、はたまた事情があるのか。どちらにせよそれ以上つっこんで聞く事は難しいと見切りをつけて相槌を打っておく。
朝食を終えてすぐに王は姫様の所へと戻っていき、私は暇なのでおかみさんの手伝いをした。洗いものならまかせてくださいとばかりに腕まくりをして、お昼の仕込みも手伝ったらいい子いい子と頭を撫でられて果物まで貰ってしまった。しかも起きてきたエイトさんに目撃された。
「……リツさんってどこでも生きていけそうですね」
ちょっと待て、さすがに魔物がうようよしているところでは生きていく自信が無い。
「エイトさん、それは違います。人が住めるという大前提が必要です」
カウンター越しに温めなおした朝食を出しながら言えば肩を落とされた。
「そういう回答になる時点でどこでも生きていけると言っているようなものなんですけど……すっかり宿の人みたいになっちゃってるし……」
「二三日泊まるなら人間関係良好な方がいろいろと利便を図ってもらえるでしょう?」
打算ですと明言したら複雑そうな笑みを浮かべられた。
「昨日、ヤンガスに着替えを出したじゃないですか」
「出しましたね。小さかったですか?」
唐突に話を持ち出したエイトさんに首を傾げれば、違うと首を振られた。
「ヤンガスがね、すごく感激していたんです。人間扱いされたって」
「………」
「リツさんにとっては、それも打算ですか?」
真剣な表情のエイトさんに私は少し考えて本音を話す事にした。
「私はヤンガスさんを信用していません。それは今後も、余程の事が無ければ変わる事は無いでしょう。ですがそれと私のヤンガスさんに対する態度は別の話です。ヤンガスさんが私や陛下、姫様に対して直接的な暴力を働く素振りを見せれば対応を考えますが、そうでないのなら普通に世話ぐらい焼きます」
だって気になるじゃないか。匂いとか。それに一緒に動いていて一人だけ宿の軒下とかに居座られてみろ、どんだけ非人道的な人種なんだとこっちが思われてしまうじゃないか。
「そんな事をすれば僕が対応しますから、リツさんがそこまで考えないでください」
リスク管理するなとは、そりゃまた無理な事をおっしゃる。
真面目に言っているようなので反論はせず曖昧に笑っておくが。
「でも良かった。もし打算だったら、ヤンガス落ち込むと思うから」
曖昧に笑っておく。曖昧に。
「そのヤンガスさんは?」
「まだ寝ています。昨日、滝壺で現れた相手がすごく強くて無理をさせてしまいましたから」
「水晶玉を持って行くのは昼過ぎかもしれませんね」
と、言っていたら件のヤンガスさんがあくびをしながらやってきた。
「おはようございます、ヤンガスさん」
「お、おはようでげす」
ヤンガスさんは微妙に言い難そうに言ってエイトさんの横に座る。挨拶をする習慣があんまり無いのだろう。と、思っていたらエイトさんには普通にあいさつしていた。何だ、何が違うんだ。
「嬢ちゃんは何でそこにいるんでげす?」
朝食なのか昼食なのかわからないものを出すと聞かれ、なるほどと納得した。微妙な反応は私が厨房側に居たせいらしい。
「暇だったのでお手伝いしていたんです。昨日は寝坊してしまいましたから」
「あぁ。嬢ちゃんはいい子でげすね、兄貴」
「え? あ、うん」
「きっといい嫁さんになるでげすよ。さすが兄貴のこれでげすね!」
エイトさんは咽た。ヤンガスさんは慌ててエイトさんの背中をさすっているが、私は笑顔で礼を言っておく。
うむ。我ながら見事な防波堤が完成している。
「リ、リツさん……いい加減それ、違うって言ってくださいよ」
涙目で言わなくてもいいじゃないか。多少傷つくぞ。
まぁ、ぶっちゃけヤンガスさんがエイトさんにくっついている狙いも判ってきているので誤解を解いてもいいかなとは思っている。
ヤンガスさんの狙いはおそらく
でもなぁ……そうだと動機まで私と被るんだよなぁ。片や安全狙いで、片や食狙い。そして向こうの方が魔物と戦えるというこの世界においては多大なアドバンテージを持っている。
「リツさん?」
「なんでもないです。ちょっと保持資格を羅列して満足しかけた自分が情けなくなっただけです」
ここで役に立たないあちらの資格を持ち出したって意味が無い。そりゃ頑張って資格取ったが、だからといって意味ないものを思い返して満足していては話にならない。
「スライムとかで慣れるべきか?」
でも実物スライムがどっろどろしていたらどうしよう。どう殴ったらいいのかわからない。あのデフォルメされた姿でもそれはそれで殴りにくい。
「ちょ、リツさん? 何を考えてるんです?」
「そうでがす。嬢ちゃんは後ろにいれば兄貴が守ってくれやすよ」
エイトさんはそういう人だからいいとして。この男、自分の優位性を自覚してやがる。そして私の立場の弱さを巧みについて来やがった。守ってくれるだと? 即ちお荷物だと?
頭では私がエイトさんの女と誤解されるように言った事も、お荷物だという事もわかっている。だがしかし、故に、断固として、ここで負けてはならぬとカンが告げている。女は愛嬌? ふっ笑わせる。古来より女の方が生き残る力が強いと言われているのだ。いいだろう。その喧嘩買ってやる。
と、己を鼓舞してみたものの洗濯物の惨状が頭から離れない。
まずはスライムから行こう。そこから行こう。いきなり大物はやめよう。
「こうやっていろいろしてくれてますし、それに回復魔法があるじゃないですか。その時はお願いします」
エイトさんの言葉に、雷に打たれたような衝撃を受けた。
魔法……忘れてた。いや、忘れていたわけではないがメラは火種という頭になっていて、ヒャドも粗熱を取る材料という括りで魔物に対して使うものという認識が薄かった。
遠距離から魔法をぶっ放して接近される前にやってしまえば何とかなりそうな気がしてきた。
「……何を考えているんですか」
「え?」
「何もしなくていいですから。怪我されたら僕が陛下に怒られますから」
「はい?」
何で王が?
「リツさんはトロデーンの人ですから」
「あぁ、陛下にはトロデーン出身ではない事は話しましたよ。だから大丈夫です」
「大丈夫って……そうだとしても、ほんとに止めてくださいね?」
重ねて言われ、とりあえずは頷いておく。わかりましたとも、わかりませんとも言わずに。
迷惑を掛けない範囲であれば自己責任の範疇だろう。ちょっと怖いが夜中にでも頑張ってみればいい。が、エイトさんが微妙な視線を送って来ているので計画実行の際は要注意だ。いっそラリホーでも覚えて眠らせてやろうかとか思ったが、さすがにそこまでやったら何かあった時が問題か。
うやむやの内に二人の食事が終わり、ヤンガスさんが部屋から一抱えありそうな袋を持ってきた。中を見せてもらうと見事にでかい水晶玉だった。
王に一声掛けて三人で少女の家へと向かうが、少女の家は階段上の密集した区画にあり、しかも判り難いところだった。よく見つけたなと思って聞いたら、二回程家を間違えたらしい。
「そろそろ戻る頃と思っていたぞ。どうやら……ユリマに頼まれた品を見つけてきたようだな。くさってもこのルイネロ、そのぐらいのことはわかるわい。この玉がただのガラス玉でもな……」
ドアを開けるなりそう言い放ったのはもじゃもじゃ頭の男だった。少女はどこ行った。
目が腫れたため休養していました。
また、これから仕事が佳境に入るため不定期更新となる可能性が非常に高いです。
申し訳ありません。