1か月前、帝光中学1軍専用体育館。練習後の人気の少なくなった館内に、バッシュとボールの音が響く。すでに中3は引退の時期だが、例の大会に向けてむしろ熱を込めて練習している。それは放課後の自主練でも変わらない。
「やったー!ついに青峰っちに勝ったッス!」
「お前、アレ何なんだよ!すげえじゃねーか!」
青峰っちとは毎日1on1勝負をしているけど、五本先取で勝利したことはない。帝光中学における点取り屋、こと攻撃力に絞れば最強の選手である。初めて青峰っちに勝ったのだ。嬉しさもひとしお。本来ならばまだオレ達の間にわずかだが実力差があり、覆せないものだった。
覆せた理由はひとつ。ついにアレが完成したのだ。思わずはしゃいでしまう。最終決戦に向けたオレの切り札。名付けて――
――『完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)』
拍手の音が耳に届く。
「素晴らしいですね」
「見てたんスか、黒子っち。ついに掴んだッスよ」
存在感の薄い黒子っちが、休憩のタイミングで現れる。珍しく驚きの表情がかすかに浮かんでいた。ただし、予見していなかった訳でもなさそうだ。想定より習得が早かった、くらいのものだろうか。
「見事です。ただ、今後は使用に制限を掛けるべきでしょう」
「何でッスか?」
「身体への負担が重すぎます。おそらく3分、いや成長途上のこの時期なら2分が限界。最後の切り札ですね」
一体、どこまで予見していたのやら。一応これ、本邦初公開なんですけどね。これだから得体が知れないと恐れられるんだろう。しかし、味方であればここまで心強い者はいない。あの世界最強、火神大我にすら匹敵しかねない異常度。
珍しく、彼も次の試合に対する思い入れは強そうだ。『幻の六人目』黒子テツヤの全力を、ついに目にすることができるだろうか。本当に楽しみな試合だ。
第3Q開始直後、切り札を解禁する。ビハインドは6点。オレの使命はこの得点差をひっくり返すことだ。
――『超距離高弾道3Pシュート』
手元に届いたボールをじっくり溜めて上空へと撃ち出した。高く高く、流線型を描く軌道で数秒後にリングを綺麗に通過する。沸き起こる歓声。
「うわあああっ!何だアレ、緑間と同じくとんでもない3Pシュートが決まった!」
「ハーフラインより遠いってどうなってんだよ!」
対戦相手の面々も、オレの変化に気付いたらしい。こちらを見る目が明らかに警戒に満ちたものとなる。
そう、これがオレの切り札――『完全無欠の模倣』。その効果は、自分の実力を超えた技やスタイルすら再現する。『キセキの世代』の超越技能さえも模倣し、組み合わせる埒外の奥義。
全能感にも似た高揚の中でオレは笑った。
さあ、倒せるもんなら倒してみな。
初撃をかまして、続く相手のターン。後半はナッシュが順当にフリーな選手にパスを回す。火神をダブルチームで封じる代償として空いた選手へと。氷室がドリブルで数歩距離を詰め、中距離からジャンプシュートを放つ。全員が一流の実力者。この距離でフリーならほぼ必中。しかし、そこはオレの守備範囲内だ。
「何っ……間に合うのか!?」
――瞬時に距離を潰し、ブロックショット
紫原っちを彷彿とさせる鉄壁のブロック。埒外の広さを誇る守備範囲を模倣する。本来ならば届かない距離からのカバーに氷室の顔が驚愕に固まった。
そのままカウンター。ドリブルで単独速攻に持ち込むオレに追いつく氷室。横並びで疾走する。ちらりと横目で様子を窺い、次の行動を選択。
――最高速→0→最高速のチェンジオブペース。
「あの動きは青峰の……!?」
火神すら一時は翻弄した、青峰っちの激烈なドライブのキレを再現。ついてこれずに相手の体勢が崩れる。
あとはダメ押し。おもむろに左へと跳躍。左手のサイドスローで勢いよくボールをぶん投げる。同じく青峰っちの『型の無い(フォームレス)シュート』を模倣。無造作に放たれながらも、シュート精度は絶対。ボードにぶつかりながら、ボールはリングを通過した。
「マジかよ!『キセキの世代』の技を全部使いこなしてるぜ!」
「信じられない、天才的すぎるだろ……!」
相手チームの選手だけでなく、観客たちのざわめきも会場に満ちている。ただ一人だけ冷静にこちらを見つめる男が、火神大我。彼だけは楽しげに口元を吊り上げ、興奮を隠しきれずに口にする。
「最高だぜ。もう完成してんのかよ――『完全無欠の模倣』」
確信を込めた声音が耳に届く。
何でコイツ、知ってるんだ?
しかし、その表情からオレも確信する。世界最強に今、火が付いたのだと。
相手の黒人選手アレンがボールを手にした瞬間、オレは洞察力を最大限に発揮して開眼する。帝光中学の主将、赤司征十郎の異能を模倣した。
――手元からボールを弾き飛ばす。
「なっ……これはナッシュの『眼』と同じ…!?」
未来を見通す『天帝の眼』。確かナッシュも同じ眼を持っているらしいが。トリプルスレットに移行する隙を突いた、絶妙なスティールが炸裂。反応すらさせずにボールを奪取する。
誰もオレの眼から逃れられない。
再び単独でのカウンター。ハーフラインを越えた辺りで、チラリと後方を確認。間に合いそうなのは一人。このままオレだけで得点を決める。速度を上げてドリブルで駆ける。ギリギリ間に合い、回り込めたのは火神のみ。
「今のオレなら、アンタ相手だろうと勝てるッスよ」
交錯する視線。ザワリと背筋が粟立つ。気圧された?今のオレが?かすかな逡巡を振り払い、1on1を仕掛けようとして――
――あっという間にボールを奪われた。
「え?」
接敵の瞬間、オレの手からスティールされた。気付いたら相手の姿が消失していた。勝負が終わっていた。目を見張る神速。こちらの反応速度を完全に振り切った。慌てて首を後方へ回す。すでに相手は凄まじい速度で敵陣へと駆け抜けている。
信じられない。今のオレを相手にここまで一方的に……。
「灰崎っ!」
「わかってら」
迎え撃つ、青峰っちと灰崎。二人とも警戒レベルを上げた。明らかに雰囲気の変貌した火神。まっすぐに切り裂くドリブル一閃。日本屈指のダブルチームでこちらも対抗する。
「二人掛かりを、ぶっちぎりやがった!」
「そのままダンク決めたぁ!」
鎧袖一触。まさに神域のドリブル突破。万全の態勢のあの二人を相手に、信じられない。あまりに人間離れしたプレイ。
ダンクを叩き込み、振り返ったその様を目にした瞬間、戦慄した。背筋の凍りつく錯覚。獰猛な獣の発する『野性』の威圧感ではない。無造作に散るエネルギーを凝縮し、濃密に練り上げたような。鋭利で研ぎ澄まされた、極限の集中力。
――『ゾーン』
誰もがその単語を頭に思い浮かべただろう。会場中がたった一目で理解する。
これが『世界最強』
圧倒的なチカラ。それも他の追随を許さないほどの。俗世とは隔絶した神域の住人が、ついに降臨した。
帝光の攻撃。赤司っちからボールを受け取り、洞察力を最大限に発揮して開眼。第2Qまでに、相手の行動の癖やパターンは観察済みだ。疑似的に『天帝の眼』を再現する。
――アンクルブレイク
小刻みなドリブルからレッグスルーで左右に揺さぶることで、相手の足元を崩す。尻餅をついた姿を見下ろし、その場でジャンプシュートを決めた。
「こっちも決めれば一緒ッスよ」
しかし、すぐさま火神も決め返す。反撃の速攻で二人を軽々と抜き去り、連続ダンクを叩き込む。
そして再び帝光のターン。赤司っちがボールを運ぶ。
「……やっぱり、こうなるッスよね」
マッチアップ変更。正面に世界最強が立ち塞がる。直接、オレを抑えに来た。
「しっかり決めていこう」
「赤司っちのハンドサイン……オレでアタックっスね」
合図と同時にメンバーが各々、連動しながら動き回る。このパターンはオレが有利な状況でボールをもらうための連携。ディフェンスを振り回し、紫原っち→灰崎→オレと繋がった。残念ながら火神を翻弄するに至らなかったが、ゴールを向き、パスやシュートの選択肢もちらつかすことのできる最上の位置取りと態勢だ。
『完全無欠の模倣』により、普段以上の性能を発揮しているので、体力消費や身体への負担がキツイ。万全で仕掛けられるのは最初で最後かもしれない。
「黄瀬に渡った。この雰囲気、仕掛けるぞ」
いざ、攻め手として対峙すると、プレッシャーが凄まじい。中途半端な仕掛けでは通用しない。オレの知る最高の連携で勝負。
『チェンジオブペース』+『天帝の眼』
「『キセキの世代』の合わせ技、すげえ!」
「どうだ、崩せるか?」
わずかに火神の重心がズレるが、即座に立て直しに動く。渾身の仕掛けでもこれか。しかし、唯一の好機に賭けるしかない。ズレた重心と反対方向にさらに切り返し、大幅なサイドステップ。横っ飛びから右手を振りかぶり、勢いよくボールを放り投げる。
+『型の無い(フォームレス)シュート』
1on1における最強の組み合わせ。必中の覚悟で放たれたボールだが、上空に突如出現した神域の怪物に止められてしまう。あまりに堅固な天空要塞に跳ね返される。
「なっ……これを止めるッスか」
高すぎる、速すぎる。本当に同じ人類なのか。神のごとき、圧倒的に隔絶した性能差。ここに至り、ついに実感する彼我の実力差。――これが世界最強。
――天からの雷霆『流星のダンク(メテオジャム)』
神罰が下される。
帝光側からリスタート。カウンターを狙うために自陣に戻ろうとして気付く。手足の震えと息苦しさに。時間制限によるガス欠か。全速力でコートを横断するチカラが残っていない。
「なら、せめて最後は得点で終えないとッスね」
青峰っちと灰崎は速攻に向けて駆け出している。オレは赤司っちに合図を出し、パスを要求。こちらへ放たれたボールに掌で触れ、その場で身体を捻り、一回転。遠心力を加えた一矢を射放った。練習で見た衝撃の一閃を再現する。
――黒子っちの『長距離回転(サイクロン)パス』
このパスは、カウンターの速攻で最大限の効果を発揮する。コートを縦に切り裂き、瞬時に敵陣にボールを通す高速の一射。全身全霊の力を込めた逆転の一撃。しかしそれは――
「いっけえええ!」
「このコート上で、いつまでも好き勝手させるかよ」
――ナッシュの『悪魔の眼』に阻まれる。
しまった。敵のコートにはこの男がいた。赤司っちと同じく『眼』を有する選手が。
コート全域を見通すことで、パスコースを事前に読まれてしまったか。逆転の一射も、予測されればただの直線的なパスに過ぎない。迂闊な使い方をしてしまった。改めて感じる。黒子っちの技だけは、独自進化を遂げているだけに使いこなすのが難しい。
カウンター返し。逆に無防備な自陣でナッシュが牙を剥く。もう一人戻ってきたアレンを赤司っちがカバー。2on2の戦い。オレがナッシュを止める。
「正直驚いたぜ。模造品とはいえ、オレの眼と同じモノを持つのが二人もいるなんてな」
今のオレに対して、臆せずドリブルで制空圏内に侵入してきた。互いに未来を見通す『眼』を持つ者同士。両者同時に開眼。
「だが、オレの『眼』はお前のソレとは格が違うぞ」
――『天帝の眼』
――『悪魔の眼』
前半戦からナッシュの動作は分析してきた。さらに他人の技を模倣するほど極まったオレの観察眼。これらを活用し、赤司っちと同じく未来を予測する。
ナッシュと条件は五分。
「もらった!」
パスフェイクから、バックチェンジで左。未来予測を基に最速のスティールを狙う。だが、オレの手は寸前で空を切った。
ロッカーモーションで右……!?
「紛い物と一緒にするなよ。オレの視る未来こそが絶対だ」
重心の崩れた隙を突いて、ナッシュがドリブルで一歩抜き去る。
認めるよ、確かに『眼』の精度ではそちらが上だ。だが、『完全無欠の模倣』の本領は特性を掛け合わせること。
上半身を捻り、相手の死角となる後方からボールを狙う。青峰っちの敏捷性を模倣したバックチップ。
――『天帝の眼』+『敏捷性(アジリティ)』
「もらっ……何?」
「甘えよ。オレの眼には映っているぜ」
直前で手首を返し、オレのスティールを外す。そうか、視認範囲も広いんだった。今度こそ体勢を完全に崩され、フリーでシュートを決められる。
火神が目立っているが、やはりこの男の強さも別格。
「一つひとつの技はともかく、使い方が全然なってねえ。オレとやるには経験不足だったな」
集中力の糸が切れ、膝から崩れ落ちる。制限時間が過ぎた。身体の負担が限界を超えた。悔しさに歯噛みする。
くそっ、最後は得点で決めたかったのに。
選手交代のブザーが鳴る。交替で投入されるのは、帝光中学の秘密兵器。不甲斐なさに俯きながら、黒子っちとタッチする。
「すまないッス。点差を詰めるはずが、逆に広がっちゃいました」
「いえ、よくやりましたよ。火神君にゾーンを使わせたこと、ボクがゾーンを見れたこと。その成果は大きい。あとはボクが流れを引き戻すだけ」
試合再開。得点差は広がり、49-56。火神はすでに体力消費が激しい『ゾーン』状態を解除している。しかし、まだまだ体力に余裕はありそうだ。引き換え、オレの疲労は極限に達しており、この試合中に回復する見込みは薄い。あとは皆に任せるしかない。
しかし、勝てるのか?あの神域の存在に……。
その後、互いに得点を決め、エンドラインからリスタート。
「残念だったな。さっきのヤツは切り札だったんだろうが、結果はこの通りだ」
「……確かに想定外だよ。だが、ひとつ勘違いをしているな」
「あん?」
赤司っちとナッシュが言葉を交わしている。青峰っちと灰崎は速攻のために前線へとダッシュ。赤司っちは、おもむろにボールを右に放り投げる。
「どこに投げて……」
「切り札は一枚ではない。なぜなら、――こちらには『幻の六人目』がいる」
突如出現する帝光の秘密兵器。黒子っちが上体を捻り、回転しながら遠心力を利用してボールを発射する。先ほどオレが失敗した技。しかし、ナッシュの眼に彼は映っていない。どうやったのか、広大な視野を有するナッシュからも、彼は姿を焼失させる。
カゲの薄さと視線誘導(ミスディレクション)を融合した固有のスタイル。これはオレにすら模倣不可能なものだ。
――『長距離回転(サイクロン)パス』
コートを縦に切り裂く一閃。会場中の全員の虚を突いた、致命の一矢。ほんの一息で前線の灰崎にボールが届き、そのまま単独でレイアップを仕掛ける。
「させっか!」
いや、火神の戻りが早い。凄まじい高さと速度でブロックを敢行。しかし、予想外の出来事だったのだろう。体勢は悪い。冷静に灰崎はパスを選択。青峰っちが得点を決めた。再び盛り上がる会場と帝光ベンチ。
「心配はいらなかったッスかね」
黒子っちが多彩なバリエーションを解禁し始めた。火神が天上の怪物ならば、彼は暗く深い海に棲息する深海魚だ。
強さを求めた正攻法ではなく、特異な生態系で育まれた変異種を思わせる未知の恐怖。夢幻のごとく、一切見せなかった底を、ついに見極められるかもしれない。満足な結果を残せなかった悔しさはある。しかし、これからの試合への興奮でオレの口元が自然と緩んだ。