全国最強を決める試合、全中の決勝戦。圧倒的な力で勝ち進む帝光中学に対するは、無名のダークホース、鎌田西中学。
会場となる東京体育館は立ち見が出るほどの満員状態。月バスの特集に始まり、メディアで多少取り上げられたため、注目度は高い。観客の声援が物理的に肌を震わすほど。だが、帝光の面々は重圧など軽く跳ね除ける。
ざわめく会場に、甲高い笛の音が鳴り響く。帝光中学にとって、想定外の出来事が起きていた。
「オフェンスチャージング!白6番!」
審判の言葉に、青峰君が不本意そうに手を上げる。ぶつかって倒れた鎌田西の選手、双子のひとりが、したり顔で立ち上がった。敵の有するテイクチャージの技法。卓越した合気道の技術を流用した、異端のスキル。それは、『キセキの世代』に通用する。
「またファウル!さっきからずいぶん多くないか!?」
「このペースじゃ、途中で退場になっちゃうぜ」
観客のどよめきが、館内をわずかに揺らす。不穏な空気が漂う。ファウルを奪う専門家、双子の選手がそれぞれ、技術を発揮したのだ。マッチアップした青峰君と黄瀬君。彼らは、第1Qで2つのファウルをすでに取られていた。一般的に、4ファウルになれば、ベンチに下げざるをえない。
ただしそれでも、優勢は帝光。
「いやあ、強すぎだろ」
「ははっ、手も足もでねーよ」
目の当たりにした力の差に、双子は苦笑する。互いに目を合わせ、乾いた笑い声を漏らす。
14-0
帝光の圧倒的リード。だが、相手の瞳に闘志が宿っているのは、勝ち目があるからだ。絶無の可能性ではないからだ。彼らの眼には勝利のビジョンが映っている。
――『キセキの世代』の総入れ替え。
埒外の天才集団を、通常の強豪校に変貌させる荒業。極々低い確率であるが、タイトロープを渡ることで勝利を掴む。これが、鎌田西の戦略であった。
第1Q終了のブザーが鳴り、ベンチへ戻る。赤司君のゲームメイクもあり、これ以上のファウルは避けられた。双子以外からの攻めに切り替えたのだ。得点などどこからでも取れる。見事な判断だった。あと一つでも奪われていれば、チームファウルが5つ目となり、無条件で相手のフリースローになっていた。彼らの目的を考えれば、危ない局面であった。それを阻止するため、全員が一丸となり、集中できたのも要因だろう。
「ふむ……問題はなさそうだな」
白金監督は彼らを見回して、厳かに頷いた。相手は一縷の望みを抱いているようだが、普通にやればまず負けない得点差と実力差。いまだ、1得点も奪われていない。集中を切っているかと思いきや、予想以上に真剣な表情。それは試合前に定めた目標のためだった。
「では、指示を与える。入念に磨り潰してこい」
白金監督は攻略法を伝え、5人を送り出した。
――完全なる蹂躙が始まる。
「合わせられるもんなら、合わせてみな」
青峰君が挑発的に笑った。双子の片割れは、焦りが色濃く滲む顔で呻く。前後左右に大きくボールを振る、ストバス仕込みのドリブル。予測不能のトリッキーなスタイル。変幻自在の揺さ振りに、相手はまるでついて来れない。
「しかも……速すぎだろ」
技術に加え、純粋な速度でも。高速で動き回る影を捉えることはできない。緩急を駆使することで、さらに上がる体感速度。相手は翻弄され、テイクチャージどころではない。足をもつれさせた。床に転がされ、驚きの表情で青峰君を見上げる双子。障害をどけた後、青峰君は悠然とボールを放り投げた。
「ちっとは楽しめるかと思ったけど。期待外れだったな」
失望の籠った視線で、怯えた様子の双子を見下ろした。
同じく、黄瀬君も技術と速度で翻弄する。小刻みなギアチェンジで、容易に相手の態勢を崩す。熟練のボール捌き。見た技をそのまま吸収する彼は、技術面の成長性が最も高い。バスケ歴は1年に満たないが、すでに全国屈指の技量を有していた。
「クソッ!ファウルなんて、取れる気がしないぜ」
「ちなみに、これで終わりじゃないッスよ」
耳元で囁かれた直後、目の前で黄瀬君が吹き飛んだ。ドリブル突破を試みた双子は、背筋を凍らせる。何をされたのかが分かったからだ。ぶつかった感触はない。だが――
「オフェンスチャージング。黒9番」
ブザーの音で試合が中断された。審判が反則を告げる。あまりにも鮮やかなテイクチャージ。双子達は戦慄した。自身の積み重ねてきた鍛錬、身に着けた技法があっさりと再現されたことに――
「ふーん。結構簡単ッスね」
つまらなそうに、黄瀬君は口にした。
「そんな……化け物かよ」
対戦相手に勝ちの目は消えた。それを理解し、彼らの瞳から戦意が失われる。炎が消える。動きに精彩を欠くようになる。完全な消化試合と化してしまった。しかし、帝光中学の面々に、油断の文字は窺えない。
「気を抜くなよ、紫原」
「言われなくても、わかってるよ~」
破れかぶれのシュートを、凄まじい瞬発力と高さで叩き落す。マグレだろうと絶対に決めさせないという強い意志が感じ取れた。珍しいことだが。
そして、試合終了のブザーが鳴るまで、『キセキの世代』の猛攻は続いた。
帝光 111-1 鎌田西
喜びに沸く選手達。しかし、その理由は勝利でも優勝でもなく――
「よっしゃー!目標達成!」
「数値ピッタリッスね」
「ふぅ~。相手の得点を1にするってのが、結構メンドウだったね~」
他の者が聞けば、意味が分からない会話。だが、すぐに鎌田西の選手達は意図に気付く。全てのスコアが1。偶然ではない。遊ばれていたのだ。数合わせのゲームにつき合わされた。
「そん…な……。オレ達なんて、眼中にもなかったのか……?」
鎌田西の選手達の顔が絶望に染まる。青ざめた表情で、か細い声を漏らす。その問いの答えは、目の前の残酷な光景だった。
誰もこちらを見ず、スコアの映し出された電光掲示板を指さし、はしゃぐ黄瀬君達。赤司君は興味なさげに嘆息し、緑間君はやれやれと首を左右に振る。整列の際も、まるで空気であるかのように、誰ひとり視線が合うことはなかった。涙すら流れない。胸に去来するのは、諦念と無力感。呆然と立ち竦む、焦点の合わない眼をした選手達。来年もバスケを続けているかどうか……。
こうして、2年目の全中は幕を閉じるのだった。
夕焼けに赤く染まる帰り道。みんなの誘いを断り、ただ独りで帰途についていた。近くのストバスのコートに足を運ぶ。自然と寄り道をしていた。視界を照らすオレンジが、寂寥感を覚えさせる。
かつて、ボクの経験した2年目の全中優勝。それは、これほどつまらないものだっただろうか。胸の空虚さを確かに感じながら、無人のコートに足を踏み入れ、立ち止まる。
強くなりすぎた。
その一言に尽きる。もはや『キセキの世代』に対抗できる者は存在しない。現在の彼らのチカラは、かつての歴史における高校入学時に匹敵する。空前絶後の、無尽蔵の才覚。対等に戦える選手を探すのは困難。社会人、プロまで含めて、どれだけ互角に戦える選手がいるか。いつまでも余興のゲームでは釣れないだろう。敵のいない勝負など、いずれ飽きる。それは近い将来の話だ。
かつての歴史では、進学することでお互いをライバルにできた。だが、その手は使えない。内部分裂するだけだ。もはや切磋琢磨というレベルでは収まらない。チームの崩壊に繋がってしまう。それに同じ部活では、本当の意味で雌雄を決することはできない。所詮は1on1での強さ比べ程度だ。
「本格的に敵を探さなければならないようですね」
口元に手を当て、思案しながら独りごちた。想像した以上に深刻な響きだった。どうやら、自分でも気付かないうちに悩んでいたらしい。煮詰まっている、と自覚する。大きく息を吐き、頭を切り替えた。
ひとりで打開策を見つけるのは難しい。白金監督に相談した方が良さそうだ。とりあえず、そう結論する。
「なあ。コート使わないなら、場所空けてくれよ」
唐突に、後ろから声が届いた。ずいぶんと長い間、思い悩んでいたらしい。他人の迷惑にならないよう、振り返らずにすぐに外側へと足を踏み出した。
「ああ……すみません」
横にズレた直後、後方から漆黒の塊が通り過ぎる。ドリブルをつき、まっすぐリングへと疾走する。一泊遅れて、それが学ランを着た男子生徒だと理解した。全中の参加者だろうか?
疾駆する後ろ姿。そして、信じられない光景を目の当たりにする。彼は右足で踏み込み、跳躍した。
あろうことか、フリースローラインから――
――レーンアップ
痺れるような衝撃が、全身を走り抜ける。一枚の絵画を前にしたかのような非現実感。神域の光景に、ボクの目が奪われた。一切の動きを忘れさせられる。
「た、高い……!」
驚きを隠せず、思わず声を上げてしまった。宙を舞う黒の人影。常識を遥かに超える、埒外の跳躍力。抜群の身体能力を誇る『キセキの世代』の面々と比べてさえ、圧倒する超跳躍(スーパージャンプ)。
まるで世界から切り取られたように。重力から解放されたかのように。大空を飛ぶ鳥のように。軽やかに宙を舞う。夕焼けの赤に照らし出され、ボールを片手に遥かな高みを飛ぶ、黒ずくめの学生の背中。そこにボクは、かつての相棒を幻視した。
ガツン、と豪快なダンクが叩き込まれる。
地面に降り立ち、学生は軽く息を吐いた。リングに捻じ込まれたボールは、弾みながらコートを転がっていく。ボクはまばたきながら、立ち尽くす。短めの黒髪、身長は180cm前後。間違いない。ある人物の名が、口をついて出る。
「火神君……?」
こちらのつぶやきに応え、男は振り向く。顔立ちには記憶よりも幼さが残るが、ボクのよく知るものだった。『キセキの世代』と同等の才能を持つ怪物。
火神大我
誠凛高校で出会った相棒。高校時代のボクの光。だが、こちらの歴史では初対面。向こうからすれば面識はないはずであるが……。
「うおっ!黒子じゃねーか……!?」
こちらを認識すると、彼は驚きの声を上げた。目を見開き、嬉しそうに右手を上げる。だが、すぐにその顔が困惑に染まる。
「あれ?でも、何でオレのことを知ってんだ?」
――こっちじゃ初対面のはずだよな
続いて口にする言葉で、ボクは事情を理解した。自然と口元に笑みが浮かぶ。氷室さんが『キセキの世代』という名称を知っていたときに、薄い可能性として考えていたが。
やはり、存在したのか。ボクと同じく、未来を知る人間が――