全国有数の強豪校、帝光中の練習に夏休みは無い。中学入学からの激動の4ヶ月が過ぎ、新体制に移行したバスケ部が始動する。主将は2年の虹村先輩、副主将には歴史通りに赤司君が就任した。2、3年と1年とで別個にスタメンを作り、時々で交代していた関係で、新体制の移行についてはスムーズに進んでいる。
8月の初めの夏休み中盤。強い日差しが建物を空気を照りつける。地獄のような熱気の中、連日のハードワーク。体力作りを主にしていたボクでさえ、だいぶ疲労が溜まっていた。
午後の練習が終わった後、ボクは第二体育館に立ち寄った。2軍の専用体育館である。こちらも同じ時間に終わったようで、居残りで練習している生徒が、数人ほどいるのみだ。1軍の数倍の人数がいるにもかかわらず、部活後に練習しているのが数えるほどというのは情けない。いや、3軍ではひとりもいないことを考えれば、いるだけマシだろうか。
「そんなことより、……ええと、黄瀬君はどこでしょうか?」
入り口の扉から覗き込み、体育館の隅から隅まで見渡してみる。左右に視線を動かすが、どこにも彼の姿は無い。すぐに得心した。
ああ、そうか。今の彼はそうだった。
「居残り練習なんて殊勝なこと、するはずありませんでした」
何をやってもできてしまう。その天才性ゆえに、本気になれていない時期だった。ボクは溜息を吐いて、その場をあとにする。
翌日、1軍の午前練の開始前の更衣室。バッシュのヒモを縛っていると、青峰君が隣に座った。首をこちらに向ける。
「さつきに聞いたんだけどよ。最近、2軍の練習を見に行ってるらしいじゃねーか」
同じくバッシュを履きながら、こちらに問い掛ける。
「はい。ちょっと気になることがありまして」
「へえ、何だよ。今更2軍に何かあんのかよ?」
「近いうちに上に来る選手です。様子を見ておきたかったんですよ」
ボクの返答を聞いて、青峰君は楽しげに口笛を吹いた。
「テツがそう言うなら期待できそうだな。そういや、無名だった灰崎を探してきたのもオマエだったし。赤司が不思議がってたぜ。どこから見つけてきたんだって」
「偶然ですよ」
そう言って、ボクは肩を竦めて見せる。灰崎君のことも黄瀬君のことも、ただ未来を知っていただけで、赤司君のような才能を見抜く眼など持っていない。過大評価されていることに謙遜した。
「で、どのくらい強いんだよ」
ニヤニヤしながら問う彼に、自然に答えを返す。
「将来的には、キミ達に匹敵するくらいです」
「……マジか。今のオレらに?」
ボクは頷いた。青峰君の顔色が変わる。真剣さを帯びた様子でこちらを見返した。
初の全中を経験して、彼は全国のレベルを知った。その上で、自分自身と仲間達の才能が桁外れであることを理解した。覚醒した彼らの才能は中学生、いや高校生という枠ですら測りきれない。それは全国の猛者共ですら子供扱いできるほどだった。
「そうかよ。そりゃ楽しみだ。最近、灰崎ぐらいしか、マジで1on1できる相手いなくなってたからな」
瞳をギラつかせ、獰猛な笑みを浮かべる。開花した彼の才能は、戦える相手を探し求めていた。自分では意識していなかったかもしれないが、強くなりすぎたがゆえの不満は溜まり始めていたのだろう。かつての歴史で崩壊したチーム状況が思い返される。今回もそれを繰り返すつもりはない。今のところは、灰崎君がライバルになれているので大丈夫だろうが。
「早めに才能を開花させたいところですね。現時点の実力はまだまだでしょうが……」
つぶやいてボクと青峰君は立ち上がる。ロッカールームから出ようとした寸前、背後から声が掛けられた。
「興味深い話だね、黒子」
「赤司君」
振り向くと、彼も準備を終えて体育館に向かうところだった。部屋から出てコートへと並んで歩き出す。
「2軍に、キミがそれほど評価する選手がいたとはね。以前、オレも確認したはずだが……」
「先月、入部したばかりですから。知らなくても仕方ありませんよ」
「先月というと……彼か。噂だけは聞いていたが」
あごに手を当てて、赤司君はつぶやいた。
「とはいえ、まだ実際のプレイを見たわけではないのですが」
「見てもねーのに、何でそんな自信あんだよ……」
呆れた風に青峰君が首を振った。まったくもってその通りである。だが、赤司君はちょうどいいと、肩を竦めた。
「ならば見てくればいいさ。先ほど監督から指示を受けてきた。明後日は2軍の練習試合。同伴は黒子、キミだ」
「……なるほど。願っても無いタイミングです」
そう言って、ボクは微笑した。黄瀬涼太という選手の完成度を、間近で観察できる。またとない機会である。
「でも赤司。たしか明後日って、オレらも試合あったよな?」
「そうだね。だから、その日は黒子抜きになる」
「へえ、珍しいな。相手はどこだよ……?」
青峰君の言葉に、赤司君はわずかに逡巡したのちに口を開く。その中学は、全中で僕達を散々に苦しめた相手だった。『無冠の五将』がひとり、花宮真を擁する中学である。
「……あそこか。大丈夫かよ、赤司」
即座に青峰君の顔色が変わった。数週間前の激闘を思い出す。あの試合、帝光中は蜘蛛の巣に絡め取られた。赤司君のパスコースは予測され、連続スティールによって、連携がズタズタに分断される。花宮真の支配領域に引きずりこまれたのだ。
途中から試合に出たので、結果として勝利にはなったが、それはボクの個人技で圧倒しただけのこと。チームとして、帝光中は敗北していたと言える。その相手に今度は切り札たる『幻の六人目』抜きで挑もうというのだ。それも勝利が義務付けられた帝光中学が。青峰君でなくとも驚くだろう。もちろん、ボクにとっても予想外の出来事である。
「保険というか、切り札である黒子をベンチにも入れないというのは、オレも不安ではあるが……。しかし、それが監督の指示だ。従わぬわけにはいかないだろう」
――オレは敗北を知らない
そのように緑間君に話したという赤司君だが、しかし現時点では、他の皆のような超常の能力を有しているわけではない。最近封殺されたがゆえに、わずかに言葉に歯切れの悪さが残っていた。やはり不安を覚えているであろう。
だが、ボクは監督の判断を賞賛していた。覚醒まで遠かった以前ならばともかく。現在の『キセキの世代』の天才性ならば、危機や苦難などあればあるほど無尽蔵に呑み込んで糧とできるはず。
特に今回の試合では、赤司君の覚醒を期待したいですね――。
2軍の練習試合当日。ウォーミングアップをしつつ、2軍専用体育館で相手チーム待つ。このコートに立つのは久しぶりである。次々とユニフォームに着替えた仲間たちが入ってくる。
そこでボクは、ようやく『キセキの世代』最後のひとりに出会うことができた。黄金色の髪に端整な顔立ち。身長も中1にしては大きく、姿勢や身のこなしも無駄がない。これでも観察眼は鍛えている方だ。他の部員と比べると、肉体的素質は隔絶しているだろう。もちろん、昔のボクが知り合った頃よりもさらに過去であるがゆえに、幼さは隠しきれないが。
「こんにちは。黄瀬涼太君、ですね?」
「うおおっ!?びっくりしたぁ……え?どこいたの?」
目の前で挨拶すると、彼は驚いた風にのけぞった。
「というか、ええと……誰ッスか?タメっぽいけどキミ、2軍じゃないよね」
初心者でありながら、3軍から2軍へとスピード昇格してきた黄瀬君である。そのどちらでも見覚えがないことに気付いたのだろう。訝しげな表情で尋ねる。
「おい、馬鹿。知らねぇのかよ。1軍レギュラーの黒子だ。ウチの切り札だよ」
コソコソと隣にいた仲間が耳打ちする。
「ええっ!?これがッスか?……大したことなさそう」
驚愕の声を上げた後に、黄瀬君はボソリとつぶやいた。
「聞こえてますよ」
「ああっ!ゴメンゴメン!いやあ、全然結び付かなくて。3軍で2軍を圧倒したとか、1年にして影のエースだとか、見えない選手だとか。メチャクチャな噂ばっか聞いてたからさ」
全部本当だけどな、と隣のチームメイトがつぶやく。その言葉は黄瀬君の耳を素通りしたようだ。近くに転がるボールを拾い、ボクを1on1に誘う。
「どうッスか?1軍最強エースの実力、見せてくださいよ」
それに対するボクの答えは決まっている。
「こちらこそ。君の才能(チカラ)、見せてもらいます」
声の調子は平坦に、彼の目を一度だけ見返すと、静かにコート内へと足を踏み入れる。意気揚々と黄瀬君も続く。
「弱っ!これで1軍って、嘘ッスよねぇええええええ!」
数分後、黄瀬君の絶叫が館内に響き渡る。恒例行事であった。
練習試合は帝光中の優位に進んでいた。2軍といえども、県大会上位クラスの実力はある。保険としてベンチ入りしたものの、今回はボクの出番はなさそうだ。そう判断して、試合全体ではなく、黄瀬君の観察に注力する。
彼はバスケを始めて1か月程度だが、彼はすでに2軍のレギュラーの座を奪っていた。ポジションはSF。1軍では灰崎君と同じ位置である。将来的にはポジション争いが予想される。現在の能力を比較すれば、当然ながら灰崎君が圧倒的に優位だが……。
「おおっ!黄瀬が抜いた!」
ベンチから歓声が上がった。キレのあるドライブで突破する。予想以上の速度に、相手選手も反応が追いつかなかったという顔だ。周りから囲まれないうちに、黄瀬君はストップからのジャンプシュートに移行する。
「あっ……やべっ」
迫ってくる相手Cに集中を乱されたようだ。焦りと共に放たれたボールは、リングに当たって弾かれてしまう。幸い味方がオフェンスリバウンドを取ったので、再び帝光ボール。他の選手が得点を決めた。
「ふむ……だいぶ見えてきましたね」
小声でボクはつぶやいた。
最終学年での黄瀬君の性能を10とするならば、現在時点では3~4あたりだろうか。分かりやすく『心・技・体』の3項目で考えてみよう。
『体』にあたる身体能力は6。年齢的なこともあるし、これまで本格的にスポーツをやっていたわけでもない。全盛期とは程遠い。それでさえ、2軍においてはレギュラーの中でも頭一つ抜けている。将来的な素質は比類ない。
『心』、つまり精神力や駆け引きは3。明らかに経験不足。抜いた後、カバーに来た相手に焦って平常心を乱すなど、本来の彼には考えられない失態だ。見たところ、ディフェンスも反射神経に頼り切り。読み合いの段階にすら及んでいない。
最後に『技』。テクニックについては稚拙のひと言。シュートを外したのも、平静を失ったからだけではないはずだ。評価点は0。攻めのパターンがドライブとクロスオーバーしかないなんてありえない。葉山さんと違って、そのパターンを突き詰めた訳でもない。というか、葉山さんはやらなかっただけで、ドリブルパターンは相当の数を持っているはずだ。
そこまでの分析を終え、ボクは内心の興奮を抑えきれなかった。自然と口元が緩む。不完全な身体能力によるゴリ押しで、すでにこのレベルなのだ。その将来性は格段である。
本来なら彼は、2年の夏まで入部しなかったのだ。かつてより長いキャリアに加え、覚醒をさらに早めることで、高校時代の性能に高めることすら不可能ではない。そんな極大才能の原石を前に、垂涎せざるを得なかった。
練習試合は帝光中の勝利で幕を閉じた。
仲間達の顔には、喜びや安堵の表情が浮かぶ。黄瀬君も同じく2軍のメンバー同士で楽しげに笑い合っている。しかし、そんな些末事は眼中になく――
――ただボクは才能の原石を、期待と共に眺めていた。