灰色の世界に囚われた少女   作:ひばりの

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第5話

 世界が冷酷無情だということを、彼は改めて思い知らされた。

 

 彼が少年の頃から、彼の生きる世界――マフィアとは、血に塗れた不条理で残酷な世の中だった。かつてはそんな世界の下で生きることが憎くて嫌で、仕方なかった頃がある。

 

 だから青年となった彼は、自分のように辛い思いをもう誰にもしてほしくなくて、覚悟して自身がファミリーのボスとなり、理不尽な世界の現状を変えようとした。

 

 だが、青年の努力も希望も、一人の少女には酷なものに過ぎなかった。

 

 何の罪もないまだ幼い少女が、なぜ膨大な悲しみを、その小さな胸に背負っていかなければならないのか。あまりにも非情ではないか。しかし、少女の辛さを自分では解ってあげられない。少女の抱える過去も、苦しみも、傷も、何ひとつこの手には掴んでいない。こんな自分が、知ったかぶったように慰めて、果たして少女のデリケートな心を癒してやれるのだろうか。そのことが、彼にはどうしようもなく歯痒いのであった。

 

 医師から残酷な宣告を告げられ、その時も自分は現実を受け入れたくはなくて、悟っても拒んで、目を背けた。これ以上、あの少女に悲しみを植え付けないでくれ。そう頼むしか、自分には為せることが見つからなかった。

 

 だが、彼が思うより、あの少女は自身の身の上をその幼さに反して理解しているようで、いつも冷静でいた。全てを心の内に締め付けて、世界にも冷淡な瞳を向けているようだった。そして自分にも感情を見せず、一線を引いていただろう。自分が慰めれば、少女は笑いながらも瞳の奥で他人に何かを言われることに鬱陶しそうにしていた。

 

 少女が心を開かないことに、彼は影でそっと溜め息を吐く。どうしたら、ちゃんと心を開いてもらえるのか。

 

 庭で二人でいた時、少女の背中に自分は何も言葉をかけてやれなかった。言葉が見つからなくて、つい素っ気なく返してしまったこともある。ボロボロな彼女の心には、どれほど傷に痛く沁みただろう。せめて何か一言声をかけてやるべきだったと思っても、後悔にしかならない。

 

 あの時、自分が少女に向かってかけるべき言葉は何だったのだろう。名前を呼んで、その後は……?

 

 こんなにも無力で、自分がファミリーに迎え入れたにも拘らず、何がボスだろうか。こんな自分は、ファミリーのボスには不恰好みたいだ。ふと、自嘲が洩れた。

 

 少女と共にいられる時間は限られている。キャバッローネファミリーのボスとして、これからどう少女と接していき、少しでもその傷を癒せてやれるかは、彼自身にかかっている。

 

 そして彼は、少女のあの庭での反応を見て、ある思案を思いついていた。これで少女の心が少しでも軽くなれば…… 仕事に追われながら、少女の笑顔のために早く終わらせようと彼は手を早めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ファミリーの一員となってこのお屋敷に住んで、もう三日が経った。新しい環境にも慣れて、少しずつ知識も増えてきた、そんなある日。

 

 依然記憶については戻らないままだけど、私は今の生活を十分満喫している。一昨日はキャバッローネの人たちが私のためにパーティーを開いてくれて、少し騒然とする空間に気圧されたりもしたけど、ディーノのフォローがあってファミリーにも溶け込めた。あの時の温かい気持ちは、きっと何があっても忘れられないだろう。

 

 この日は私が自室でエンツィオを肩に読書に浸っていると、部屋の扉がノックされて、別室で仕事をしている筈のディーノが顔を出してきた。

 

「……? ディーノ、仕事は?」

 

 私の問いかけに、ディーノは口元をニッと釣り上げて、大人独特の妖艶な笑顔を作って言う。

 

「もう片してきた。それよりアカネ、外に遊びに行かねえか?」

 

 ……一体なんだろうと思っていたら、また外に行こうというお誘いだった。相変わらず過保護なボスである。

 

「……いいよ。それより、帰って休んできたら?」

 

 きっと碌に休んでいないんだろう。彼のことだもの。構ってくれるのは嬉しいけど、無理はしないでほしいから。

 

 そう断れば、ディーノが落胆した様子で、でもどこか感動したみたいに涙ぐんだ。

 

「アカネ…… オレの体調を心配して、そんなもったいねえ言葉……」

「………………」

 

 私が人を労わるのが、そんなに珍しいのか。そんな感涙するほど、私は普段から風当たりが強いとでも言いたいのか。…………否定もしないけど。

 

「アカネと一緒に行きてえところがあるんだ。そうしたら疲れなんかも吹っ飛ぶからさ。なっ、どうだ?」

 

 やけに嬉々として提案してくる様子に、私も観念して潔く頷いた。こんなにも期待している彼の瞳を裏切るのは、さすがにちょっと心が痛む。なんか私じゃないとダメらしいし…… まぁ別にそこはいいんだけどさ……。

 

 かくして、今日の午後はディーノと出かけることになった。

 

 まぁ、彼のことだから、私を気遣って市街地の有名なところとかに連れて行ってくれるんだろうと思っていた。正直あんまり興味があるわけでもないし、ディーノの優しい気遣いに応えるだけで、そこまで期待はしていなかったんだ。

 

 午後になって、ディーノが車を走らせてとある場所に着いた。

 

「ッ…………」

 

 だけど、ディーノの気遣いは私の予想を遥かに上回って、空っぽだった胸の奥を熱く踊らせた。

 

「ここはな、自然公園っていって、いろんな花や植物が見られるスポットなんだ。お前、こういうのが好きなんだろ?」

 

 密かに背中がうずうずしている私の隣で、ディーノが確信をもったようにそう声をかけてくる。小癪なそのしたり顔に返すように、彼の足を思いっきり踏んでやった。少し心配だったことと言えば、私の身長はディーノの腰の少し上辺りまでしかなく、そんなチビな私の力では彼にちゃんとお返しできるのか、ちょっと心配だったけどいらないようだった。踵に重心を置いたら、ある程度は痛がってくれた。ざまーみろ。

 

 ディーノがすぐに謝ってきたので、それでもう許すとして、さっさと公園の中に入って行こうとした。

 

「あっ、ちょっと待ってくれ」

 

 ゴソゴソしだしたディーノに待ったをかけられ、肩のエンツィオと訝しげに懐を探る彼を眺める。懐からそれを取り出した彼は私に近づくと屈んで、少し慣れていない手つきでそれを私の手首にかけてくれる。

 

「…………ブレスレット?」

 

 薄桃色の生地に白い花のワンポイントがついた、好みのブレスレットだった。

 

 デザインとして規則的に空いた小穴から吊るされたチェーンが、鈴の音のように涼やかに鳴る。

 

 目をぱちくりとさせて、これは一体何なのかと、こちらを見て微笑んでいる当事者の彼に視線で問う。

 

「へへっ、ちょっとな。さっきたまたま見た雑貨店でアカネに似合いそうだなぁって思って、買って来たんだ。お揃いだぜっ」

 

 そうにこやかに言って、自身の腕にもつけてあった黒地のブレスレットを私に見せびらかしてきた。花の代わりに、ドクロのワンポイントでキメてある。……君も大概餓鬼だな。

 

 彼の陽気さにはほとほと呆れさせられて、少し気分を害されながらも彼の手にエスコートされて、二人で自然公園の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「疲れただろ? なんか買ってくるから、そこのベンチで座って待ってろ」

 

 あれから二時間半が経って、大規模な公園内の半分を回ったところでついに私の足が限界に達した頃、ディーノが近くのベンチに半ば強制で私を座らせて、一人そう言って駆け出していってしまった。

 

 彼も疲れていないわけはないのに、彼一人で行かせてしまうのはさすがに申し訳なくて、一声かけようとしたらふと彼がこちらを振り返ってきて、

 

「寂しいなら、エンツィオに相手してもらえよ?」

 

 なんて余計なことを言うから、やっぱり知らんぷりしておいた。クソッ、いつまでも人を子供扱いして……ッ。

 

 ベンチの背凭れに背を預けながら、エンツィオを抱いてディーノが帰ってくるまでの暇を潰す。……別に彼に言われたからこうしているわけじゃないけどさ…… この辺りは植物も少ないし、人通りだってあんまりないから、飽きたんだ。

 

 誰に向かっての言い訳なのか、きっと疲れからの溜め息を吐き出して、私は時間の経過を待った。

 

 ディーノが戻ってくるまで、どこからか吹いてくる風に服の裾や髪を靡かせてエンツィオと一緒に涼んでいた。植物の葉っぱもサワサワと揺れて、静かな合唱を奏でている。しばらくはそれに耳を傾けていた。

 

 ……それにしても、ディーノ遅いような……。もう二十分も待ってる筈なのに、どこまで買いに行ってるのか………… まさか、この広い公園内で迷子には…… な、ないか。さすがに。彼だってああでも立派な一人の大人なんだし、それにファミリーのボスなんだし、問題ないよね……。

 

「………………」

 

 ベンチから、腰を浮かせてみる。……だってエンツィオが、そうしてほしそうに目で訴えてきたから…… ついでに散歩でもしてこようかな。ばったりディーノと会うかもしれないし……。

 

 その時―――― いきなり後ろからバッと手と口元を塞がれる。

 

 ハンカチを強引に口元と鼻に押し付けられて、次第に意識がぼんやりしてくる。睡眠薬か何か、ハンカチに染み込んであるのか……。

 

「ッ―――……」

 

 もう、ダメ………… 誰かは知らないけど、この力の強さではきっと振り解けないし…… それにもう意識がッ……。

 

 

 

 ディーノ――――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ア、カネ…………?」

 

 ループしていた迷子からようやく抜け出し、少女が自分を待っている筈のベンチへと戻ってきた。溶けて地面にポタポタと落ち始めているアイスを両手に、ディーノはその光景を目の当たりにして、言葉を失くした。

 

 大人しく待っている筈の少女の姿は忽然と消え、ベンチの真下には甲羅が裏返っている相棒のエンツィオが転がっている。

 

 しばらく事の事態が受け入れられず、我を失くして呆然と佇んでいたが、ハッとなって血が滲むほどディーノは歯を食いしばった。

 

「ッ……………!」

 

 アイスも投げ捨て、ディーノは後先構わず、ただひたすら少女の無事を祈って駆け出した。

 

 

 


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