灰色の世界に囚われた少女   作:ひばりの

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第4話

 あれから起きたのがしばらく経ってからで、先にディーノと昼食を済ませて午後から知能の検査へと向かった。

 

 いい歳した熟女の女の人に数枚の用紙を渡されて、書かれている問題に答えろと無難に言われた。最初は学力調査ってところらしい。机を用意されて、一緒に渡された鉛筆を手に取ると紙面に回答を書き込んでいく。

 

 ディーノは少し離れたところで私の背中を見守ってくれて、書き込みが終わるとすぐに近づいてきて声をかけてくれる。

 

「お疲れ、アカネ。出来はどうだ?」

「う〜ん、この子なかなか賢いみたいね」

 

 彼の声に応えたのは、検査を担当してくれる女の人。採点早ッ。

 

 採点済みの解答用紙を覗き込んで、ディーノが大声をあげる。

 

「うおッ! オール100点ッ!」

「すんごいわよねぇ、意地悪して結構難易度高くしておいたのにぃ」

 

 …………今聞こえたのは気のせいにしておこう。

 

「良くやったな、アカネ」

 

 満点を取ったので、ディーノがご褒美にか頭を撫でてくれる。こういう風に撫でられるのは別に嫌いじゃない。

 

「ボス、あんたより頭いいかもしれないねぇ」

「なっ、うるせえなッ」

 

 にわかに頬を赤くして、ディーノが女の人をそう一蹴する。……ボスなのに頭悪いの、この人。

 

 咳払いをしてディーノが女の人を急かすと、女の人はやれやれという風に肩を竦めて、椅子に座る足を組み直す。

 

 私の目の前に座っている女の人は、少し真面目な顔つきになって私の目を鋭利に射抜く。

 

「んじゃ、次は質問に答えてもらうわね。あなたのお名前は?」

「…………アカネ」

 

 私の返答に、女の人はチラとディーノの方を見て、すぐに私の方に向き直ると質問を続ける。

 

「……それは、本来のあなたのお名前かしら?」

「………………」

 

 どう反応していいか分からない。この名前はディーノが私にくれた名前で、たぶん…… 彼女が望んでいる答えではない。

 

 そのことを彼女も早いうちに察してくれたのか、早々にその質問を切り上げ、代わりに別の質問をしてくる。生年月日、血液型、家族のこと、故郷のこと、それから、私自身のこと――……。

 

 だんだん頭が割れるように痛くなるけれど、どうにか堪えてできる限り女の人の質問に答えた。ディーノが心配して何度も声をかけてくれたのは嬉しかった。だけど彼の言葉には頷かず、彼の目を見ることはやめておいた。私の折れない姿勢を見て彼は諦めたように、ゆっくり私のそばを離れてもとの位置に戻っていく。彼は親切でしてくれたのに…… 少し申し訳ないことをしてしまった。

 

 女の人の方は彼とは違い、私の様子に気づいていても気にせず次々に質問を投げてくる。彼女の判断は正しいんだろう。同情なんてしていたら、そんなのどれくらいの時間を浪費するだけだろうか。

 

 たまにクイズのようなとんちんかんな質問が出されて話が脱線するも、一通り作業を終えて女の人は力を抜いて背凭れに深く背中を埋める。

 

 ざっと50問くらい質問されただろうか…… 私も少し疲れた。背凭れのない丸椅子に座っているから力を抜くことはできないけど、枯れた一息を吐いた。――と、ふと力の緩んだ私の背中に何か温かいものが触れる。見ると、ディーノの腕が私の背中を支えてくれていた。

 

 咄嗟に彼を見上げると、彼が微笑んで見つめてくれていた。その表情で、私を労わってくれている。もしかして、お疲れ様という代わりにこうして背凭れになってくれるのかな……。まぁ、少しは助かる。

 

 彼と触れる部分はいつも温かく感じる。記憶のない以前にも、きっと感じたことのない温もりだ……。少しだけ、彼に頼っておくのもいいかなと思った。

 

 恐らく先程の質問がびっしりと書かれた、私の回答が既記させれている紙の紙面にしかめっ面を露骨にする女の人に、ディーノがどうだと尋ねている。女の人はディーノに目線も配らず、じっと紙を睨んだまま応える。

 

「う〜ん、ダメねぇ。自分に関する記憶だけが一切飛んじゃっているわ」

 

 案の定予想通りの女の人の言葉に、私は特に何とも思わなかった。だけど彼の方は違うようで、露骨に歯痒そうな表情を見せて、私の左肩を後ろから強く抱いた。

 

「……大丈夫だ。まだまだこれからだしな。なっ、アカネ」

「…………うん」

 

 私はそう、頷くだけにしておいた。彼には申し訳ないけど、根拠のない希望を告げられてもお節介でしかなかった。

 

 内緒にしているけど、私は過去にはこだわっていない。記憶探しなんて、本当はどうでもいいの…… だた、居場所があれば、私にはそれでもう十分なの。

 

 そう伝えたら、貴方は私に失望してしまうのかな――……。

 

 

 

 

 

 

 

 私とディーノはキャバッローネ邸の庭園に来ていた。身体と知能の検査を共に終えて、結構暇していたからディーノがここに連れて来てくれた。暇を潰せるならまぁいいかと思って、私は彼について来たんだけど、庭園にまでキャバッローネの権力とお金の力が凝縮されていてちょっと引いた。……ここはすごいっていうところなのか。

 

 とても手入れの行き届いた屋敷の庭園、草や樹々の葉が青々と生い茂っている。専門の庭師でもいそうな芸術品のようにキラキラした花壇や植木。キャバッローネっていうのは大きな馬って意味だから、それにかけているのか彫刻みたいに大きな馬の形をした観葉植物。屋敷内さながら、外見や庭も見劣りしないスケールだった。

 

 記憶を失くしてから初めて出た外界だったけど、自然豊かなところで思いの外安堵した。少々派手だけど。あんまり期待していなかった分、予想以上の外の景色に少しだけ見惚れてしまっていた。

 

 そこに、用意されていた真っ白なテーブルの方へと近づいてディーノが手招きする。

 

「アカネ、菓子もあるからここで一旦ティータイムにでもしようぜって……」

 

 彼の声が妙なところで詰まったのに気づかず、私は彼の存在をすっかり忘れて花壇の黄色い花に留まる白い羽の蝶に釘付けになる。

 

 目の奥を期待に膨らませる私を見てディーノが「餓鬼だせ」なんて呟いたことにも気づかず、私の視線は花と蝶に奪われていた。

 

「……蝶、好きなのか?」

 

 背後で問いかけられたことでようやく我に返り、その言葉に軽く頷き返す。蝶というよりは、自然に囲まれている環境が好き…… なんだと思う。そんな感覚があるんだ。拒絶するかしないかの極端な感覚。これはたぶん、以前の私がそうだったんだと思う。

 

 そう彼に伝えれば、特に感情もなく「そうか」とだけ返された。彼にしては素っ気ない返事だったけど、こういうのが普通の反応なんだって思って誤魔化した。

 

 白い羽が本体の呼吸に合わせて微かに揺れる。花の蜜を吸っているみたいだった。閉ざされた羽の模様にぼんやり視線を向けていた。だけど、急に頭が重くなる。

 

「……………」

「アカネ……」

 

 私の名前を呼んで、それだけだった。私の頭に自身の手を被せて、私の丸くなった背中を見つめているだろうディーノはそのまま押し黙った。彼が何をそんなに迷っているのかは私には分からないけど、恐らくは私絡みのことではないかと逡巡する。さっきの変な発言が、もしかしたら同情好きな彼に変な勘ぐりをさせてしまったのかもしれない。

 

 ここで私は何を彼に言ってあげるべきなんだろう……。私はそれほど器用な人間でもない。どう彼を安心させられるなんて、私には分からないんだよ。

 

 風がどこからか吹いてきたので、花が揺れて蝶が舞う。その時を見計らって、蝶に習うように私は立ち上がるとディーノの手中から離れた。

 

 いきなり立ち上がった私にディーノが少し驚いているけど、気づかないフリをしてまたうわべを繕ってみせる。

 

「私は…… 大丈夫だから。心配しなくていいよ」

 

 何に対しての言葉なのかは、私にも分からなかった。ただ、今を切り抜いておきたくて、うわべで取り繕ったの。

 

 飛んでいった蝶を追いかけるフリをして、今のディーノから距離を取る。

 

 ディーノの態度が、昨日とはまるで違うようにそばにいて感じた。柔らかい雰囲気の裏に細い釣糸を固く張って、慎重に窺うように彼は私に接してくる。何なんだろう、昨日は彼といてこんな変な違和感はなかった筈なのに……。

 

 そんな思考に気を取られていたから、私は油断していて、草の上の何かに思いっきり躓く。

 

「ッ!?」

「アカネッ!? 大丈夫かッ?」

 

 転んだ私に気づいて、すぐにディーノがそばまで駆け寄って来てくれる。柔らかく茂った草のおかげで傷を作ることはなかったけど、転んで痛くないことはない。

 

 一体何に足を取られたのかと足元を見れば、私が躓いたせいでひっくり返って手足をジタバタとさせていた。

 

「…………亀?」

 

 少し意外で、私は咄嗟に自分の足を引っ込める。なんでこんなところに亀が……。

 

 すると、ディーノが苦笑して、軽く怯える私にポンポンと肩を叩いてくる。

 

「大丈夫だ。いきなり驚かせたようで悪かったな。こいつはオレが飼ってるんだよ。名前はエンツィオ」

 

 ディーノの亀だというらしいそれは、主人の手に救われて無事に甲羅を元に返される。そのままディーノが亀をこちらへと差し出してきた。

 

「ん、ほらっ、お互いに自己紹介だ」

 

 ほらと言われても、また唐突でどうしていいか分からない。体は小さいけど、亀って思いの外迫力がある。

 

「ハハッ、そんな肩に力入れなくても大丈夫だぜ。ちゃんと躾けてあるからさ。それに、小せえ時は噛んでも痛くねえしな」

 

 その微妙な言い方はどう捉えたらいいんだろう……。それって結局は噛まれるかもしれないってことじゃない……。清々しい笑顔でそう言ってのけた彼に、正直引いてしまった。

 

 ディーノの押しに負けて、恐る恐る亀を両手に持ってみる。私の手の中に収まった亀は品定めでもするように、黄色いつぶらな瞳を私に向ける。

 

「えっと…… 私は、アカネ。……よろしく」

 

 こんな感じでよかったのかな……。亀の目に気圧されて思わず名前を言ったけど、この亀はイタリア語を理解できるのかがまず怪しい。

 

 そして少しして、亀がグェッみたいな奇妙な声を上げた。隣から急にディーノが頭を撫でてくる。

 

「おしっ、エンツィオとも仲良くなれたようだな。よかったな、アカネ」

「……………」

 

 …………過保護だ。彼のせいで、私の存在がイタイように思える。というか、今のどこに彼のいう要素があったのかとても知りたい。……もしかして、さっきのグェッとかいうアレ……?

 

 不可解な謎を私に残して、ディーノが先に立ち上がる。そして気遣うように、私へと手を差し伸べてくれる。

 

「立てるか? 転んだとこ、一応診に行くか?」

 

 見たところ怪我はないので、そう確認したんだろう。私はそれに首を振って、エンツィオを再び地面に下ろした。

 

「でも…… せっかくのお庭、滅茶苦茶にしちゃた…………」

 

 私が転んだから、擦れて千切れてしまった草や、ぺしゃんこに潰れてしまった白い花……。

 

 枯れた植物のように萎んだ顔をする私に、ディーノは屈んでそっと耳元で囁く。

 

「花はな、こう見えても強い。潰されたり光を遮られたって、自分の今ある力で、こうして何度でも立ち直ってみせる。生き残るために」

 

 ディーノの視線を送る先に目を向けると、潰れた筈の白い花が太陽に向かって必死に光を浴びていた。その姿が、私とはかけ離れていて素敵に思える。

 

 ……このひたむきな花のように、私も前に進めたら――……。

 

「だから、頑張るんだぜ。お前も。お前には支えてくれるファミリーの仲間がいるからな」

 

 ニカッと微笑んで、私の肩にそっとエンツィオを乗せた。この短い時間に随分私も慣れたようで、黄色いその瞳に小さな温もりを覚えた。

 

 彼らが背中を押してくれるなら、頑張ってみるのも悪くはないと思った。

 

「うん………――あっ」

 

 顔を上げたところに、私はそれを偶然見つけた。

 

 緑の草に埋もれる中、クローバーの群れにそっと目を細めた。

 

 私の様子に、目を追ってそれを見つけたディーノが柔らかな微笑みを零す。

 

「四つ葉のクローバーか……」

「うん」

「取ろうか?」

「……いい」

 

 手を伸ばそうとする彼を制止する声をかけて、私は瞼をそっと閉じる。

 

 次に目を開けた時には、ディーノがこちらを不思議そうに覗き込んでいた。

 

「…………何」

「ん、いいや。何かお願い事でもしたか?」

「まあ、ね」

 

 そう答えると、案の定訊かれる。ちなみに教えてあげる気は毛頭ない。

 

 少し不貞腐れたようにディーノが残念そうにして、私はそれを無視して肩のエンツィオを撫でる。亀の甲羅は冷たくて気持ちいいな。

 

「…………取らなくてよかったのか?」

 

 今更またなんの確認か、ディーノが立ち上がって訊いてくる。差し出された彼の手をこの時は素直に取りながら、彼に頷いた。

 

「うん。だってクローバーも、太陽を浴びて強くなれるから」

「そうか」

 

 そう言うと、貴方は私に太陽のような笑顔をくれた。

 

 

 


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