灰色の世界に囚われた少女   作:ひばりの

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第3話

 "マフィア"と聞いて、正直不安がないワケではなかった。

 

 周りはみんな黒いスーツにサングラスの厳つい顔した大人たちばかりで、彼らの気迫に私は気圧されっ放しだった。夕食の味なんて、碌に分からなかったと思う。

 

 そんな私の緊張を解きほぐしてくれたのは、やはり彼だった。

 

「ホラ、ナイフとフォークはこうやって持つんだぜ」

 

 慣れない道具の使い方を、隣に座って分かりやすく教えてくれるディーノ。慣れた手つきでビーフを一口サイズに切り、その欠片を私のたまたま開いていた口へと放り込む。

 

「……………自分で食べれる」

 

 私はそう小さく抵抗して、少し強引に彼の手からそれらを奪う。なんだか子供扱いを受けているようで、嫌だったから。私、子供じゃないもん。

 

 ディーノがやれやれと言った感じで、隣で苦笑しているのがなんだか癪で、少しムキになって荒い手つきでビーフを切る。カチャカチャ煩い音が辺りに響くのも気にしないで、切り分けたビーフをフォークに刺したのだけど、なかなか上手く持ち上げることが出来ない。

 

「銀は子供にはちと重すぎるんじゃねえですか、ボス」

「こ、子供じゃないもんッ……!」

 

 また子供扱いされたとムキになって、思わずそう叫んで振り返れば、眼鏡の恐い顔をした髭面のおじさんがすぐ後ろに佇んでいて、彼からはまさにマフィアの器と言えるものを感じた。

 

 真っ青な顔になって私がすっかり怯えきっていると、そこに落ち着いたディーノの声が間に入ってくる。

 

「こいつは部下のロマーリオ。そんなに怖がるな、っていきなりは無理だろうが、慣れてくればどこにでもいるような髭面オヤジだ」

「おいおい、それフォローになってるんですかい?」

 

 彼らの会話にどうしていいか分からず唖然としている私は、同時に彼らの仲の良さに感情が少し揺らいだ。なんだか複雑な心境だった。

 

 私がつまんなそうな顔をしていたのか、気づいたディーノが「しまった!」みたいな顔を浮かべて、咄嗟に言い訳のような言葉を並べたくっている。……なんだか、また子供扱いを受けてしまったように思えるのはただの考えすぎ、なのかな。

 

「うーん、確かに少し重いかもな。そこまでは考えられていなかった。すまん」

 

 別に気にしてないのに、ディーノは私にそう言って謝って、別のものと取り替えようとしている。

 

「いい。平気だから、返して」

「強がるなよ。そのうち落とすぞ?」

 

 落とさないもん、って言いかけた時にタイミング悪く手が滑って、刺していたビーフの欠片ごとフォークが手から離れて絨毯の上に落ちた、というか刺さった。真紅の高そうな絨毯の上に、ビーフのフォークがグッサリ。……やってしまった。

 

 綺麗な絨毯の上に傷と茶色い染みを作ってしまい、この世の終わりを見たかのような顔をする私とは反対にディーノはケラケラと笑っていた。

 

「ほーら見ろ。言わんこっちゃねえ」

「………………」

 

 こればかりは返す言葉がなかった。一目で見て分かるほどの高価な絨毯と床が、私が落としてしまったビーフと銀のフォークによって台無しになってしまったのだ。謝ろうにも、動揺でなかなか言葉が口から出なくて、何も見つからない。

 

 その時、頭にふと感触を覚えて視線を上げると、私の頭にディーノの大きな手があった。

 

「これに懲りたら素直に言うこと聞け、なっ」

 

 その顔は、マフィアらしからぬ温かい微笑みを湛えていて、私をまっすぐに見つめていた。その笑顔から直に伝わる彼の包容力に、私もあっさり頷く他なかった。

 

 

 

 

 

 朝、目が覚めるとベッドから身を起こして、覚めやらない目を腕で大雑把に擦る。

 

 辺りを見渡せば映り込む綺麗な装飾の施された部屋に、一瞬ここがどこなのかと寝ぼけてしまったが、昨日の一端を思い出してもう一度辺りを見回した。今日からここが、自分の部屋になる。私一人の個室にしては広すぎる空間に少したじろぐ。だけど、自分に新たに居場所が出来たことが素直に嬉しかった。

 

 ベッドから降りて部屋を出れば、業務服をピシッと着こなした侍女らしき女の人が扉の前で待っていて、普通に驚いた。この人、一体いつからそこに佇んでいたんだろう……。なんて疑問に思っている間に、彼女に導かれて洗面所へと案内された。彼女から使い方などについて説明を細かに受けながら身支度を整えて、次に向かったのは昨晩夕食時に赴いた大広間の部屋だった。

 

 侍女の人が扉を開ければ、ディナーテーブルに並んだ朝食と、優雅にティーカップの中身を啜って新聞を読むディーノの姿があった。

 

「おはよう、アカネ。昨日はよく眠れたか?」

 

 新聞から顔を上げてこちらを見てにっこりと微笑む彼に、私も軽く挨拶の言葉を返して、朝食を取るため席に着く。そこはちょうど新聞を読んでいる彼の隣…… 恐らく意図してのことなんだろう。パンを手に取り食べていると、新聞に目を通しながらディーノが言った。

 

「今日はこの屋敷内を見て回るついでに、軽い知能と身体検査を受けてもらうからな」

「検査…?」

「ああ、ファミリー加入時には、お前の個人情報やら諸々が必要なんでな」

 

 ディーノは言って、新聞のページをまたひとつ捲った。

 

 彼の言葉に、私は返事をすぐには返せなかった。私の情報(データ)を集めたいとはいっても、私には生前の記憶が一切ない。情けないことだけど、こればっかりはどうしても思い出せなかった。――というのは言い訳で、本当は思い出したくないのかもしれない。知りたくないのかもしれない。自分の過去。

 

 正直あまり気も乗らなかった。検査という名目で強引に私の情報を漁られることが、内臓をグチャグチャにえぐられるような気分で不快だった。そんな私の心中を見通してか、ディーノが私の頭に手をポンポンと置く。手から伝わる彼の体温が、程よくてふっと安心が湧いた。

 

「誰も無理にとは言ってねえだろ? 辛くなったらすぐにオレに言ってくれて構わねえからさ」

 

 彼は私に甘すぎると思う。私が知らないだけで、私をファミリーに入れるということは簡単なことではないんだろう。それなのに辛くなればやめてくれてもいいなんて、自分が後に辛くなるというのにこの人は他人に優しすぎる。きっとマフィアの中でも、彼のような馬鹿なお人好しは他にいないんだろう。

 

 それでも、私が記憶を失くして尚挫けないでいられるのは、きっと彼のおかげなんだろう。甘いその言葉が、私をいつも元気づけてくれる。

 

「まぁ、検査といってそんなに深く考え込む必要はない。身体検査や質問に軽く答えてもらうだけだ。ところで、アカネはジャッポーネは知ってるか?」

 

 彼が心配ないというのなら、心配いらないんだろう。私があれこれ考えたところで彼が考えていることなど到底知れない。だからそのことは一旦保留にした。そして打って変わって彼の口から出た話題に、私ははてと首を傾げた。

 

 聞いたことくらいならある。東洋の国のひとつ、ここからは飛行機で何時間もかかる遠い島国。

 

 どうして彼が今、その国のことについて私に確認してくるのか、私は訝しんだ。それが顔に思わず出てしまっていたのか、ディーノがパッと手を離してこう言った。

 

「ジャッポーネの寿司は美味いぞ。いつかアカネにも食べさせてやりてーな」

 

 新聞の記事を適当に漁りながら言った言葉は、遠回しに私に何かを告げていたような気がした。いつか私は、彼といられなくなるのだろうか――…。

 

 そんな馬鹿みたいな疑問が、頭を掠めた。

 

 

 

 

 

 

 キャバッローネファミリーとは、かなり巨大なマフィアのひとつであるらしいと分かった。

 

 朝食を済ませて、今はディーノと約束していた通り屋敷内を二人で歩いて回っているんだけど…… 回廊を歩いていて、私は彼に右手を取られている状態。……どうして、手を繋いでいるんだろう。

 

「ん? そりゃあもちろん、アカネが迷子にならねえように、こうやって手ぐらいちゃんと繋いでねえと」

 

 …………気のせい、かな。何の後ろめたさもなく彼がそう言ってのけて、普段の調子に笑いかけてくるのがなんだかムカつく……。

 

 余計なお世話だと言うように彼の手から無理矢理自分の手を離すと、私はそのまま一人で先に進んで行く。

 

 私に置いて行かれて、その場にポツンと佇んで行き場のない手を彷徨わせていたディーノは、私のそんな後姿を見て苦笑を洩らしていたらしい。

 

「フッ…… 強がりな姫ってわけか」

 

 ディーノがそんなことを呟いていたなんて知ることもなく、その後追いかけようとした彼が部下に引き止められていたなんてことも、この時の私が知る筈もなかった。

 

 

 

 

 

 

「…………迷った……」

 

 まさかの言ったそばから迷子になってしまった。左右に永遠と続く廊下を見て、絶望に似た思いに苛まれる。

 

 内面で暴走していた気持ちがだいぶ落ち着いてきたところでディーノのいるだろう後方をふとチラ見してみたら、案の定これだ。ディーノに見捨てられた………… 私が置いてきたのか。

 

 こんな迷路みたいなところに一人なんて、パニックと不安でどうにかなりそうだ。ここはディーノの所有する屋敷の中だから安全ではあるんだろうけど、さっきから人一人も通らないし、仮に誰かが通ったとしても、話しかける勇気なんてとてもない……。

 

 途方に暮れていると、遠くにある突き当たりから誰か…… 複雑の人の声が聞こえてきた。男の人たちがボソボソと何かを話し合いながらこちらに向かってくるのが分かる。

 

 その低いトーンの声に、足音に、胸が圧迫されて息苦しくなる。心臓がバクバクと耳元で鳴るようにうるさい。

 

 怖いッ――――……。

 

 今の私にはその感情が頭いっぱいに侵略していて、竦んだ足はもう立っていることもままならない。

 

「ディーノ…………」

 

 

 

 

 

 

 ディーノは屋敷中を駆け回り、少しの間に忽然といなくなってしまった少女を捜していた。

 

 言った矢先にこれだとなんとも言えない表情をして、ディーノは廊下を駆け回っているのだが、これがなかなか見つからない。ここがどこなのかも、ディーノ自身よく分かっていなかった。そして自身の長年頼りにならない勘を使って、とりあえずディーノは一人で先を進んでいた。

 

 そこに救世主の如く、たまたま部下の三人とディーノは廊下ですれ違った。

 

「よー、ボス。どうしたんだい、そんな切羽詰まった感じで」

「人を捜してんだ。お前ら、こんくれーの銀髪の小さい奴を見なかったか?」

「はぁ…… どうだったかなぁ」

「ああ、そういやぁ、そんくれぇの見たことねえ女の子が向こうの廊下の隅で蹲ってたぜ」

 

 最後の奴が言った言葉に、ディーノは一も二もなく少女のもとへ駆け出して行く。

 

「アカネッ」

 

 突き当たりを曲がって、少し距離のある廊下の隅に蹲って両耳を押さえている少女の姿に、ディーノは思わず息が詰まる。

 

 震えて、か細い声で自分の名前を呼ぶ少女は脆く、儚い存在であることをディーノは改めて認知した。

 

 少女にそっと近づいて、慎重な手でその頭を撫でてやる。

 

「ディーノ……?」

 

 俯いていた少女が、自分の手の感触におずおずと顔を上げ、半分涙目で自分を見上げる。その顔はどこか安心しているようで、ディーノにはそのことが少し嬉しく、切なかった。

 

 膝を折って屈むと、ディーノは少女の目を見て謝る。

 

「ごめんな。もう絶対、お前をひとりにはさせねえから」

 

 強い意志の籠った眼差しを向けると、少女は彼に小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 形だけでもいい。誰かにそばにいてほしい……。

 

 どんな理由がそこにあろうと、今の私にはそれだけで十分なの。

 

「もう絶対、お前をひとりにはさせねえから」

 

 私の目をまっすぐに射抜いて、ディーノはそう言ってくれた。

 

 私にはもったいないくらいまっすぐなその言葉は、きっと彼の決意。私に向かってではなく、自分に対しての、何かの強い思い。

 

 それでもいいよ。貴方がそれで私のそばにいてくれるなら、私は見なかったことにしよう。誤魔化そう。そうして、形だけの笑顔を貴方に返した。

 

 二人で手を繋いで、検査をする医務室に連れられて来た。

 

 いろんな設備が充実している中、私はベッドに寝かせられる。

 

「大丈夫だ、アカネ。ずっとそばにいてやるからな」

 

 私を安心させるように、手を握ったままディーノが言葉をかけてくれる。

 

 鳶色の、切ない瞳がこちらを見つめていた。

 

 彼の声援に応えてあげることもできずに、医師から麻酔を打たれて、私の意識はそこで堕ちた――……。

 

 

 

 

 

 

 身体検査を終えて、未だにベッドの上で眠っているアカネの姿を微笑ましく眺め、愛おしく寝顔を眺めているところに中年の医師に呼ばれ、名護惜しくも隣の部屋まで移動する。

 

 扉を閉めて、浮かない顔をする医師に、ディーノは訝しく思いその医師に尋ねる。

 

「どうした? アカネの体に何か問題があったのか?」

 

 ディーノが緊迫した面持ちで医師に問うと、首を振って医師は答える。

 

「いいえ、体には支障はありません。しかし、予備に測ってみた炎の測定値がですね……」

 

 医師が言うには、炎の属性、炎圧量、純度の三つの点で専用の機器で測定してみたらしい。

 

「しかし、どれも測定不能と出たのですよ……」

「!?」

 

 医師の言葉に、ディーノは耳を疑った。掴みかかる勢いで、ディーノは医師に何度も訊き返す。

 

「おいッ、それは本当なのかッ!?」

 

 しかし、医師もどうしようもないという風に首を振るだけである。

 

 死ぬ気の炎とは、生命エネルギーを超圧縮して可視することが可能な炎である。大体の者はリングを通して炎を灯し、一般人のような炎圧の微弱な者でも必ずしも体内に持っている生体のエネルギーなのである。

 

 しかし、それが機械を通してみても測定出来ないとなると、それはどういうことなのか。

 

「アカネ様は…… 恐らくは短命かもしれません」

 

 医師の言葉に、ディーノは自分の考えていたことが正しいのであると知り、絶望した。

 

「そんな………… 嘘だろ…… ッ、クソッ!」

 

 収まりようのない憤りに、強く拳を握り締める。

 

 何故だろうか。居場所も記憶も失くしてしまった少女に、不幸はどうして彼女を取り込もうとするのか。

 

 暗がりの部屋に、二人の男の影はその後もしばらく話し合っていた。

 

 

 


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