ディーノの視界には、先程とは全く異なる光景が映っていた。
視界が真っ白になった後、広がっていたはずの清々しい草原風景が、雲隠れしたように忽然と消えていた。
そうして、ディーノの視界に映る光景は、一風して悲壮感を漂わせる枯れた土地の姿だった。
一瞬の出来事に、さすがにディーノも平常心など皆無で唖然としていた。
「どうなってんだ……?」
ポツンとつぶやいたその言葉に返すように、遠くから聞き覚えのある声がした。
「そこで何してるの?」
その声は落ち着いているというより、どこか落胆しているトーンだった。
すかさず反応して振り返ると案の定、ディーノの鳶色の瞳には、見慣れた男の姿があった。
「恭弥!」
声で反応すると、視線だけをこちらに向けた雲雀は普段通り男に呆れたように淡々と応える。
「思っていたより随分遅かったね。まあ、いいよ」
独り言のようにつぶやくと、ふとその声音は感情が入るように低くなった。
「ところで、貴方の部下はどうしたの? まさか貴方一人で?」
「いや、お前らを捜すのに手分けしてこの辺りを回ってたんだが」
「何してんの、死にたいのかい?」
自身の体質を理解していないディーノには、彼の怒りの沸点がまるでわからなかった。
そんなことよりも、雲雀に問い詰めなければいけないことがある。この男がここにいるならば、恐らくすぐ近くにいるはずだ。
「アカネはどこだ!?」
猛風が吹き荒れる中、すると雲雀はある方向へと彼の視線を導いた。
そこに、ひとつの小さな影が、灰色の炎の渦の中心に佇んでいる姿をこの目で見た。
信じて疑わなかったそれは、ディーノにはあまりにも衝撃的で、彼の中で保たれていたはずの心は、一点から強烈な攻撃を受けて全体にヒビが広がっていった。
「どうしてだよ……」
この目に映るものが、全て嘘であってほしいと、ディーノは縋るように唇を震わせた。
「アカネッ……!」
世界が残酷であることを知っていた。
だからこそ、この世界を変えたいと、脅える少女に手を差し伸べた。
けれど、自分が変えたかったのは、こんな形だっただろうか――……。
「どういうことだ!? 何があった!?」
受け入れ難い状況に、そして自分自身に苛立ちが隠せず、そんな自分とは対照的に冷静に状況を見つめる雲雀に事の事態を問い詰めていた。
「何って、見ての通りだよ。彼女は恐らく"覚醒"した」
雲雀の目は、それを見て全てを悟ったように、困惑するディーノへと視線を向いた。
「思い出したんだよ。過去を」
それまでのことをこの目で見ていた雲雀は、確信を秘めてその言葉をディーノに告げた。
「過去を…… まさか、記憶が戻ったのか……? だが、どうやって……。それに、あの炎は……」
不安定な気持ちが途切れ途切れに言葉を紡ぎ出す。ディーノは再びその目で真実を見つめた。
鳶色の瞳に窺える感情は、彼が普段少女に見せていた穏やかなものとは一変していた。
守っていたのもが、あっさりとこの手を離れていくような、寂寥と絶望が視界を真っ黒に染めていく。
「あの炎のことは明確にはわかっていないけど、あれだけ強大な性質を持っているなら、本人への負担も相当だろうね」
雲雀の言う通り、炎々と燃え上がる灰色の炎は、一目見てその性質が異常であるとわかる。彼らがいる一帯にとてつもない威力の風を巻き起こし、その炎は収まりを見せるどころか、勢いは増していく一方だ。
「だが、アカネの死ぬ気の炎は……」
その先の言葉が出てこなかった。言葉にすると、改めて少女の存在が儚く思えるから。
「当たり前だよ。こんなイレギュラーな炎、普通の測定器なら見つけられるはずがない」
知れ渡る死ぬ気の炎と性質が全く異なるのか、なんとも言えないが測定器の反応がなかった原因と言えるかもしれない。
「っ…… アカネッ……!」
「やめておいた方がいい」
ディーノがここへ来る前に雲雀がこの目で見たことも踏まえると、不用意に近づくことは出来ないほど危険な炎だった。
そのことをディーノにも諭すように、雲雀は静かな声で告げたのだ。
「あれだけの炎を体内に維持するには、それに伴う代償が必要になる。炎の
雲雀の説明に、ひとまず納得したディーノは、ふと間を置いてから吠えるように言った。
「待て。それはそうなんだが、そこじゃねえだろ! オレが来るまでここで何があったんだよ!? つーか、どうしてアカネを攫うような真似をお前が――」
次々に飛んでくる質問攻めに、雲雀も嫌気がさしながらも淡々と語った。
「貴方に頼まれた後、こっちでも探ってみたんだよ。そうしたら、面白いことがわかった」
風に踊る大粒の炎の粒子を、漆黒の瞳に映し出す。
「どうやら、これだけじゃなかったようだね。赤ん坊から聞いているかもしれないけど、このことは世界各国で前例がある。ただ、小規模で犠牲者もいなかったことから表舞台には出て来なかっただけで、その脅威は年々増していった。その結果が、今回のイタリアでの一端だっただけに過ぎない」
雲雀は過去に起こった事件を洗ってみたが、それでも真相にはたどり着けなかった。ならば、当事者たちに当たってみれば、何かヒントがあるかもしれないと、今回の案件をきっかけに再び少女と接触したのだ。
「彼女と接触すれば、漏れなく潜入してた彼らも付いてくるから、こうしておびき出したんだけど、ハズレだったよ。組織の母体も、炙り出す前に邪魔されたし」
「彼ら……?」
近くに部下がいないことで思考機能が回らないマフィアに、雲雀はかける言葉もない。
「はぁ……。彼らっていうのは、以前に沢田茜を攫った組織の奴らのこと。ちょうど貴方の足元辺りにいるだろう」
そう言われ、ディーノは視線を足元に下げる。
言われて気づいたが、手にある感触を不思議に思い、それをそっとかきあげる。
「これは…… 灰……?」
「文字通り土に還ってしまってるけど」
「なっ……」
自分の解釈が本当に正しいのか、ディーノは困惑気に目線を、雲雀と自身の手に向ける。
雲雀が見た光景とは、少女の身体がいきなり炎に包まれると、自分を除く火の粉に触れた男たちが、次々と奇声を上げあとも残さない灰へと朽ちていった。
その光景は、まるで事件の背景そのもの。
雲雀は、少女と炎がこの事件に密接に関係することが証明され、満足気に口の端を緩めた。
「人種を灰化する特性に、事件後の背景も気になるけど、あれをどうにかしないとね」
炎を放出し続ける少女に外からの声は届かず、下手に触れることも出来ない。
「だからって、こんな横暴なやり方で、もしアカネに何かあればッ……」
「最初から鴨の予定だったけど、手段としてまだ見捨てるつもりはないさ。奴らに持って行かれた後は、彼に位置を頼む予定だったからね」
雲雀につられ上空に目をやると、彼の頭上をグルグルと飛び回る小さな鳥が黄色い翼を広げていた。
なんだか話を逸らされた感が否めないディーノは、噛みつく勢いで雲雀に言い返す。
「お前のやり方はアカネが傷つくだけじゃねえかッ!」
「そもそも、彼女を見捨てた貴方が言えることなの。本当に勝手だね。僕の手で、彼女を消してもいいと許可したのは貴方だろ」
「ッ…… そんなことを許可した覚えはねえ! 何かあれば、それはボスであるオレの責任だ。オレを殺して構わなかった……!」
この状況下で、部下がいないコイツと話しても無駄だと判断した雲雀は、再び目の前で起こる出来事の情報収集に集中する。風が吹き荒れる中で、視覚でわかることは限られるが、僅かなヒントの中でどれだけその先を読めるか。
「大丈夫だよ」
いつにもない、穏やかなトーンでそう告げた。その声色に、ディーノは開いた口を塞ぐのも忘れて雲雀に振り向く。
「きっと近くで見ているさ」
ふと影がかかる顔に、不穏な笑みが零れる。
「僕なら、捕まえた獲物を野放しにはしない」
猛獣の一面を露わにした男は、不意に空を見上げた。この風の影響か、天候にも雲行きの変化が見え始めていた。
そろそろこの場を離れなければ、この使えない男を連れている現状も厳しい。再び何が起こるかもしれない今、目の前の少女を手放すかは究極の選択肢だ。
――――と、その直後だった。
「見事だよ」
不意に聞こえた男の声は、この風の中で不思議とすんなり耳に入ってくる。そして、以前に聞き覚えのある声であった。
「ボンゴレ雲の守護者、雲雀恭弥君。代理戦争で戦っていた頃は、強敵だろうと正面から突っ込んでいく軽率な戦い方をしていたが、君たちに授けたVGも有効に使いこなしてくれているようじゃないか」
鉄の帽子に、マスクの男は、ふと彼らの前に現れた。
男のこの場に合わない格好に、ディーノの脳裏に過去の戦闘の記憶がふつふつと蘇る。
「お前は、まさか……」
「誰」
間髪入れず雲雀の口が疑問を投げつけたことに、ディーノは言葉が詰まる。信じられないと言うように、真顔で立つ男を見やる。この男の性格上、碌に人の顔など覚えなさそうだ。
一方で、湧き上がる炎の火柱を背に二人の眼前に佇む男は、雲雀からの問いにピエロのような感情のない声で笑った。
「おやおや、すっかり自己紹介を忘れていた。すまないね。では、改めて」
ひとつ軽い咳払いをして、男は告げた。
「私の名は、チェッカーフェイス」
「以後、宜しく」と、その後に付け足す。
その名を聞いて、確信を得る。一変して彼らの顔つきが変わった。
チェッカーフェイスとは、10年前に勃発した戦闘において、元凶と言える男の名だった。
あれから忽然と姿を消し、何の音沙汰もなかったが、何故10年後に再びこうして現れたのか。この男が今度は何を企んでいるのか。何にしても、この男と敵対することになれば、一筋縄ではいかないだろう。
ディーノたちが警戒を張る中でも、男は気にかけない様子で淡々と話を続けている。
「こうして表に顔を出したのは何年ぶりだろうか。あの日のことが、まるで昨日のことのように鮮明に思い出されるよ。君たちも、元気そうだね」
代理戦争の出来事を思い出したのか、喋る口が一方通行する男に、雲雀はイライラを隠さず男の話を遮る。
「ねえ。君と話したいのは、そこじゃないんだけど」
「アカネの身体から出るあの炎は、一体なんだ。あれも死ぬ気の炎の亜種なのか」
男たちから投げられる問いに、杖をついた男はやれやれと言う風だった。全て自分の予想通りだ、とでも言いたげに、鉄の帽子の男は態とらしい態度で、一言こう告げたのだった。
「この星を守る為に生まれた炎だよ」
代理戦争では二人とチェッカーさんは顔合わせしてないはず。。合わせてても雲雀さんなら忘れていそうだけどね!