「何見てんだ、ツナ」
「あでっ!」
どこからともなく降ってきた強烈な一撃に、沢田綱吉は椅子から転げ落ちた。
先程まで自身の事務室で職務をこなしていた彼は、その衝撃と共に聞こえた馴染みの声に、蹴られた後頭部をさすりながら振り返った。
「リボーン! お前、いつ帰ってきたんだよ!?」
床に膝をつくツナを見下ろしていたのは、彼の家庭教師であるリボーンだった。外出用のコートも脱がず、ブリーフケースを片手に立っていた。
「ちょうど今だぞ。案の定、オレが留守にしてる間にいろいろやらかしたみてーだな。ダメツナ。全くおめーは、家庭教師がいねえと何にも出来ねえ奴だな」
その情報は一体どこから得てきたのやら。
帰ってくるなり飛び蹴りにダメ出しとは、相変わらずスパルタな奴だ。ただ自分を蹴るために真っ先にここへ駆けつけたのなら、ツナは今すぐここで泣ける自信があった。
彼がいない間のことは、ボスである自分に全て任されていたので、今回の結果は自分の判断ミスや監督不行き届きだ。リボーンから責められても全て言い返せない。
しかし、こんな仕打ちはあんまりだと思う。しかも「案の定」とは。今日の飛び蹴りはやけにキレッキレだったが、もしやコイツは、こんなことを見越してスタンバイしていたのだろうか。もう何も考えたくないと思った。
家庭教師に言い返せない悔しさを押し殺して、ツナは立ち上がる。多少フラつくも、椅子の肘掛けを支えに立ち上がり、少年の視線を追う。彼が目を留めていたのは、業務卓の上に置かれた数枚の写真だった。
「何だこれは」
「へへっ。懐かしいよね。引き出しの奥に入ってたんだ。そういえばいつかハルに押し付けられて、忙しくて引き出しに仕舞っておいたけど…… オレらの中学生時代の写真」
時期は、恐らく代理戦争後のものだろう。
雪合戦、お正月、卒業式、お花見、花火大会……。みんなと過ごした楽しい時が、形として一枚一枚に残されている。とても嬉しいことだった。
ツナは、その一枚を手に取る。並盛中学校の校舎がバックに、銀世界と言うにはゴチャゴチャとした風景が広がっている。
ダメダメな中学生の自分は、謎の大雪玉に命中して悲惨な表情をしていた。獄寺は敵陣にも関わらず身を乗り出して心配してくれて、その後ろでハルも顔を真っ青にしている。山本やランボたちには笑われて、途中参加の炎真たちからは驚かれ、そして、想い人の笹川京子とは、お互いに笑い合った。
懐かしい一枚を手に、つい本音が零れる。
「オレ、みんなとする雪合戦、大好きだったんだ。もちろんみんなとの思い出は、どれも楽しくて大切だけど、雪合戦って、友達がいないと出来ないじゃん。オレ、雪合戦一緒にやるような友達は今までいなかったから、メチャクチャだったけど、みんなとバカ騒ぎするこの時間がすごく楽しかったよ。もう大人になって、忙しくなって、そんなこと出来なくなっちゃったけど……」
寂しさが残るが、それが大人になったということかもしれない。楽しいことばかりではない。
でも、それがあるから乗り越えられる。それが自分を強くさせる。だから戦おうと思う。守るために。
思い出に縛られないよう、ここで割り切ろうとしていた。今の自分は、沢山の守りたい人たちがいて、伝統あるボンゴレの後継者なのだ。
しかし、彼の家庭教師は、そうは思っていなかった。
「そんなことねえだろ。あいつらならいつだって揃ってお前のバカに付き合ってくれるぞ。お前のファミリーだからな」
ボルサリーノから覗く瞳は、"ボンゴレ"としての自分ではなく、ただのダメな大人を見守る眼差しだった。
――そうだ。大人になっても、変わらない。
それが、ファミリーという絆だ。
「……うん。またみんなで雪合戦できたらいいよな。アカネちゃんも一緒に……」
少女の名を不意に口にすると、彼は続く言葉もなく押し黙った。
その様子は、胸を締め付けるような感情を押し殺すように。写真を見つめる彼の瞳は、先程とは一変して、どこか悲しげに映る。
「リボーン」
トーンの下がった声に、呼ばれた本人は無言だった。目深に被ったボルサリーノから、じっと彼の姿を捉え、言葉を待つ。
「間違ってないかな…… オレ……」
弱音が漏れた。
彼のこんな発言は日頃あることだが、この時は違った。彼の家庭教師も、すぐに注意することはせず、教え子の言葉に耳を傾けた。
「こんなはずじゃなかったんだ。オレは、ただ…… あの日の新聞の一面を見た時、まだ会ったこともなかったあんな小さな子が、これから茨の道を一人で歩いていく姿が、すごく寂しい気がして――……」
事件のたった一人の生還者である少女。しかし彼女の存在は、真実を欲する大人たちにとって、
この先、少女の背後には事件の面影が付きまとう。世間からの様々な目が、未熟な少女の繊細な
少女の心を守るには、少女の側にいてあげること。
そうしてツナは、決意した。
あの子一人がこれから背負うくらいなら、わがままだと言われても構わない。その役目を、自分にまかせてもらいたいと。
誰かが不幸になることを、ツナは誰よりも望まなかった。
隣りで話を聞く少年も、呆れるくらい、そのことを解っていた。
「まあ、ディーノさんの負担にならないなら、無理に日本に来てもらわなくても、アカネちゃんが暮らしやすいイタリアでいいとは思ったんだ。ディーノさんとはもう10年の付き合いだから十分信頼できるし、部下が付いてれば頼れる人だから」
同盟関係であるキャバッローネのボスである彼なら、少女を組織などに利用するような真似は絶対にしないだろう。10年間の関係を経て、ディーノの人柄はよく知っているし、お互いにファミリーを引っ張る者として、信頼し助け合える仲だ。
イタリアにあるボンゴレ本部に直接少女の保護を指示することもできたが、ツナはふと心配になった。
主に組織の裏で暗殺に携わる面々と一般人の少女が共同生活できるのか。
言わずともクレイジーな集団だ。一介の少女相手にどこまで手加減してくれるだろうか。
通常は不機嫌そうな強面で、口を開いたかと思えば肉か酒かドカスで炎をぶっ放してくる暗殺部隊のボスに、いちいち大音量の艶やかキューティクルロン毛隊長やら理解不能な王子理論をお持ちの金髪ティアラやらそいつと仲がいいのか悪いのか微妙なカエルを被ったかのナッポーの弟子や話の最後には結局金だと言う元
ツナはすぐさま首を振り否定した。
ないないないないないない。
キャバッローネのボスも、体質がドジであるという難点があるが、天秤にかけるなら遥かに少女の身は安全だ。部下が付いていれば何ら問題はないので目を瞑ったのだ。
彼女の身を引き渡す吊橋に同盟を選んだのは、そういうことだった。
「――けど、例の誘拐事件で、あの子の身柄をイタリアに置いておくことは、危険だった」
ディーノから聞かされた、誘拐事件。改めてその単語を口にすると、身体が冷え切ったように感じた。
アカネを攫った組織の実態も、その目的も未だ不明なままだ。あれ以来音沙汰はなく、彼女の周囲は大人しい。
しかし、忘れてはならない。
それは、
彼女の存在は、マスコミや警察組織など、あの事件に関わる者が、喉から手が出るほどに手に入れたい人材。
事件の唯一の当事者なのだから。その存在は、十分に貴重価値がある。
その事件に終止符が打たれない限り、少女は常に標的となる。
「オレが最初に頼んだせいで、ディーノさんにも、背追い込ませてしまったし……」
少女の身をイタリアにおくのはリスクがある。少なくとも、イタリアから遠く離れた日本なら、身をくらましやすく、自身も近くで少女のことを見守れると思ったからだった。
そのための橋渡しをディーノに頼んだが、予想外にディーノの母性本能が花開いていてツナも驚いた。彼の人柄の良さはよく知っているが、あそこまでの領域にいかれたらツナもさすがにドン引きだ。
しかし、そんな二人の絆を引き離してしまったようで、ツナは申し訳ない気もした。
少女の安全を考えれば、仕方ないのかもしれない。互いにボスとして活動範囲は決まっている。ディーノがずっと日本にいられるわけはなく、辛い判断だが、これが最善な方法だった。
この親バカめ、と思うところも多々あったが、ここまで重症にしてしまったのも自分が根源で、少女のことで彼を不安にさせてしまっているのも事実だ。
自分を信頼して任せてくれた彼の思いも、少女の気持ちも裏切らないように、ツナは自分にできる配慮は精一杯しようと決めていた。
「オレは、事件のことをアカネちゃんに背負ってほしくない。子供時代の思い出って、大切だから。今を大事にしてほしいんだ。もし記憶が戻ったとしても、事件の真相をあの子が知ってしまったら、そのことをこれからもずっと抱えていくことになる。そんなの…… 残酷だろ」
決意とは裏腹に、人の心は複雑で。
ツナは少女の背中を見る度、自身の中の思いが揺らいでいた。
「オレがやってることは、ただのお節介なのかもしれないって、思う時があるんだ。アカネちゃんの意思は、ここにはなくて、いつも遠くを見つめてる」
時間がかかっても、ツナは少女を巻き込むことを避けたいと思っている。記憶を取り戻すことも、間接的に事件に関わることだから、無理にさせたくはなかった。
けれど、少女が奮闘する姿を見れば、その思いも告げられないまま、心にもない言葉をかけている。
どうしたいのかがわからない。気づけば暗闇を迷走するように、彼女の強く思うものと自分の願いが分岐点となり、次の一歩が踏み出せない。
「……なぁ、リボーン、お前はどう思うんだ?」
最終的にいつも家庭教師に助けを求めてしまう。10年も経って大人になって、情けないなと思う。傍から見れば大人が子供に頼る絵は屈辱的でしかないが。
やはりリボーンがいなければ自身はダメダメなんだと、苦い声が漏れる。
そんな頼りになる少年からの返事は……。
「クドクドしててうぜーな」
「なぁーッ!? クドいって……! こっちは真剣に悩んでるんだぞ!? もっと真面目に考えてくれよ! イタリア帰りで気が抜けてるんじゃないだろうな!?」
「んなわけねーだろ。オレを誰だと思ってる。今日も銃の腕はキレッキレだぞ。なんなら、今ここで披露してやるぞ」
「すいませんでしたごめんなさい」
ツナは潔く腰を折った。10年で彼が学んだことのひとつである。
「お前のいいてーこともわからなくねぇ。だが、事はそう上手くいかねえぞ。お前が一番そのことを解ってんじゃねえのか」
「……うん。何が一番の最善策なのか、オレじゃ見つけられない。だから、リボーン……」
昔のように教えてほしい。また自分を正しく導いてほしい。
かつて、
「ツナ」
名前を呼ばれて、ゴクリと息を飲む。
リボーンはテーブルに目を向け、一輪の花が飾られた花瓶に目を向ける。
それを、さっと掴み――
ツナの顔面に向けてぶん投げる。
「――って、なんでだよッ!! なんでいきなり花瓶投げてくんだよーッ!?」
ビタビタになった格好で、ツナは投げた本人に物申す。
本人は全く悪びれていない様子だが。
こっちは一応マフィア界の重鎮・ボンゴレ
「少しは頭を冷やしやがれ。冷静考えることも出来ねえ奴に教えてやることなんかねーぞ」
リボーンの言うように、たしかにここ最近は必死になりすぎて、周囲の変化に目を向ける余裕のない自分がいたかもしれない。
そのことを自覚して、彼の握り拳に力が加わる。
「リボーン…… お前の言う通りだ。オレ…… 事件のこととか、アカネちゃんを巻き込まないために、自分が出来ることを果たそうと必死で、全然余裕とかなくて……」
「お前は周りを見渡しすぎて、優先するべき順序が見えてねえんだ。ちゃんと見てねえと、失くしちまうぞ」
優先するもの…… それは――――
「迷うな、ツナ。ディーノがどんな思いでお前に託したか、あいつのためにも忘れるな」
彼の脳裏には、一人の男の姿が過る。
ああすることでしか、少女から離れることが出来なかったんだろう――……。
自分が忘れてはいけないんだ。
ツナは強く思った。
彼らの願いを、信じて自分に託してくれたことを。
なら、今からでも遅くないかもしれない。ふりだしから、少女と本当に向き合って行こうと、ツナは顔を上げた。
「リボーン…!」
「だが、焦りは禁物だぞ。オレたちの想像以上にデリケートな問題かもしれねえからな。オレらが目指すべきことは、最善じゃねえ。どれだけの犠牲を出さずに済むかだ」
少年の発言を上手く捉えることが出来ない。
犠牲、とは。
彼の超直感が警鐘を鳴らし始める。
リボーンはぶらさげていた革の
「土産だ」
それだけを告げられ、目を通す。
数枚の書類と参考資料の内容に、ツナは衝撃を受ける。それは彼の超直感を持ってしても、想像もしないことだった。
事は、終結を迎えたあの頃から動き出していたのかもしれない。
誰の目にも記憶にも残らず、そして今、終わりを迎えようとしている。
そのことに、彼らは気づくのが遅すぎた。
かつて自分たちの目を巧妙に欺いた、あの男の存在を。
最早、マフィア間の問題でも、世界的事件でもないことに、彼らはまだ気づかない。
ツナの脳内に、警報が鳴り響く。
その音が、次第に彼の冷静さを失わせた。
「どういうことなんだよ……?」
彼の視線が凝視する先、資料の中に広がる背景。
見覚えがある。枯れ果てた土地。とても人が住めるような環境ではない。
「イタリアじゃない…… 7年前の怪奇事件……?」
「ああ、オーストラリアの西部で起きた事件だ。
その後の環境の変化が、あまりにも異常だった。そして全く同じような事例が、ここ近年では世界の各国で起きていた。どれも規模は小さかったが、テロの可能性が出てくると国家への注目が高まり、いつしか機密事項として扱われ、また国家組織で内偵されるようになった。
しかし、チェネーレの怪奇が世に広まると世界中のメディアが注目したのをきっかけに、国家機密情報も次第に筒抜けとなった。札束を前に、黙々と情報取引が行われていたのだ。
そうして巡り巡って、イタリアに滞在していたリボーンにも情報は伝わった。彼の場合は、自身のコネや殺し屋としての看板の影響が大きかったが。
「アカネが関わる事件と共通点もある。ここ10年で、似たようなことが、州を問わず世界のあちこちで起きてるみてーだ。中でも、行方不明者を出したのは今回が初めてだ。この事件の裏には、何かの大きな陰謀で繋がってる」
話に耳を傾けるが、ツナは身震いを覚える。自分には到底想像出来ない、恐ろしい野望が背景に立っているようで、その衝撃は受け止めきれないものだ。
しかし、自分が怖気づいてはいられない。
事件の重大な局面に立たされているのは、年端もない少女なのだから。
その闇から、自分が少女を守らなければ――
「アカネちゃん……」
また、胸がざわつく。
「失礼しますッ、10代目ッ!!」
そこに、タイミングを見計らったように扉が叩かれる。余程急いでいたらしい。中からの返事も待たず、部屋に現れた獄寺にツナは驚きの反応を返した。
「獄寺君!?」
「どうした。獄寺。つーか、アカネの監視に付いてるはずのお前が、どうしてここにいるんだ?」
「い゛っ!? リリリボーンさんッ!? いつお戻られに……!?」
「そそそその、獄寺君は朝からビアンキの顔を見て体調崩しちゃって、代わりにヒバリさんに……」
さすがに保護者役が問題を起こして、騒動の後学校側から追放されたことは、口が裂けても言えなかった。
すると、リボーンの目つきが変わった。
「ヒバリだと?」
「10代目! そのことですが、先程学校側から連絡がありまして、ヒバリとアカネの姿が見当たらないとのことです」
獄寺の報せに、彼の超直感が告げていたのはこのことかと、ツナは自分の判断が愚かだったことに気づく。
彼の家庭教師は、もっとも早くこのことを感づいていたようだが。
「おい、ツナ。ヒバリからアカネの面倒を見るっつって、任せたのか?」
「う、うん。たまたま人がいなかったから、ヒバリさんに…… 珍しく自分から引き受けてくれたから、つい」
「つい、じゃねーよ」
ズガン!
「ヒィィィッ!!? うぅ撃つことないだろおおぉぉぉ!?」
「リリリリボーンさん…… ご冗談キツいッスよ……」
彼らが恐怖を刻まれている間にも、事態は動いている。
ボルサリーノの縁で大人しくしている相棒のカメレオンを通信端末に変化させ、リボーンはある人物に連絡を図ろうとする。
「ヒバリにアカネを渡しちまったら、どうなるかわかんねーぞ」
その言葉を吐き捨て、彼は一人部屋を後にする。
ふと空を見上げれば、雨雲が差し掛かるところだった。