「おはようございます、10代目!」
朝日が昇る頃、地下アジトの廊下に響き渡る騒音。この時間帯はまだ寝ている者が大半だ。にも関わらず、獄寺隼人は事務用の黒スーツに着替え、向かいの廊下から歩いてくる己のボスに小学生顔負けの元気な挨拶をかける。
「あっ、獄寺君。朝早いね。おはよう」
「10代目こそ、お早いご出勤で、お勤めご苦労さまです! もし何かおありでしたら、この獄寺隼人に何なりとお申し付けください!!」
敬礼ポーズ付きで朝から隣室迷惑もいいところである。獄寺は普段見せることはない笑顔を満面に、朝日の眩しささえ凌ぐほどの晴れやかなスマイルを、唯一己の最も信頼する長には見せてその誠意を示す。
「あっ。本当に? 実はね、ちょうど獄寺君に頼まれてほしいことがあったんだ」
「何ですと!?」
獄寺は思わず自身の目を疑った。
今や他を圧倒する地位と権力を持った巨大マフィア・ボンゴレファミリーの10代目後継者――沢田綱吉の思いの外いい反応にしばし獄寺の目は瞬きを繰り返す。
というのも、彼のそばに10年と長い年月の間仕えてきたが、その10年間にこれといって頼りにされた記憶は獄寺にはなかったのだ。代理戦争後もいろいろあったが、死ぬ気の到達点に到達した彼に拳で敵う者などいなかった。現れる刺客などはもとより10代目後継者の沢田綱吉を標的にしていたが、全てその標的である沢田綱吉が一人で返り討ちにしてしまうのだ。家庭教師・リボーンの調教もとい教育の賜物か、今ではその恩師に匹敵するほどの実力を備えた彼は、それでも信念だけは真っ直ぐで自分と出会った頃と何ら変わらず"誰も仲間を傷つけたくない"と青いことを言っている。
彼の自称右腕と謳う獄寺も、10年前と変わらない彼の甘さに時たま心配にもなるが、他のファミリーの奴らになんと言われようが彼こそ自分が10年も慕ってきたボスなのだ。自分はこれからも彼に忠誠を捧げ、支えていけばそれでいい。馬鹿にする奴らはコケにしてやればいい。
そんな獄寺の中で神化する存在の10代目こと沢田綱吉が、態々腹心の部下の自分に頼む用とは何か。重大任務に獄寺の胸の期待は高鳴る一方だ。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。期待してるよ。獄寺君」
そうふわりと笑った笑顔が微かに含む何かを湛えていたことを、感涙の思いに前が見えない獄寺が知る由もなかったのであった。
チッと舌打ちをするのは、これで何回目だろうか。ついでに溜め息も吐き出す。と、急に煙草を咥えたくなる。
だが…… と、獄寺は周りをチラと確かめてみる。
現在地点は小学校の校舎2階。廊下とはいえ煙草を吸うのは衛生的に大変よろしくない。場所を弁えて、子供たちの前で吸うわけにはいかないだろう。昔の自分だったらところ構わずの姿勢だっただろうが、
しかし、今の自身の立場に獄寺は満足できない。何故、自分が子守りなどしなければならない。己のボスが与えてくれた任務を遂行するのは当然のことであるし、光栄なことだ。別に10代目に不満があるわけではない。
ただ、ただと、獄寺は己の内で苦悶する。
獄寺を悩ますのは、たった一人の少女であった。
「アカネちゃん!?」
ふと担任の女教師が叫ぶ。ハッとして教室に駆け込むと、その少女が教壇の床に倒れていた。うつ伏せの顔は髪に隠されて、その表情は見えない。
またなのか、と獄寺の脳裏には、あの日の忌まわしい記憶が蘇る。
思考が一瞬フリーズすると、獄寺はそれをすぐさま振り払うように少女のもとに駆け寄り、小さな身体を抱き上げて保健室への廊下を進んで行った。
半時間も経ったが、少女の意識は未だに戻らない。ベッドの上に息もないほど静かに眠る少女を見て、獄寺は額に脂汗を浮かべた。
事前に沢田綱吉から少女の身体的問題について一通り聞いていたが、まさかこんな時に倒れるとは、緊張からの急激なストレスだろうか。彼女はもとから過剰な人見知りであったのを獄寺も耳にしている。あんな大人数の前では、少女にかかる
本当に面倒のかかる餓鬼だと、少女から一時も目を離さず獄寺はぼやく。
少女の顔色はどんどん悪化していく一方だ。悪い夢にでも
だが、ふと背中に感じる気配。殺気。
すかさず振り返れば、そこには殺風景な学校の保健室の風景があるだけ。先程背中に突き刺さった違和感は、気のせいだったのか。
と、獄寺が気配を探ろうとする間もなく、少女が悪夢からもがくような唸り声を上げた。
「……ぁ、やめ…… 違う…… わたし、は……っ」
その蚊の鳴くような声に、獄寺の息が止まる。まるでその場の時が止まってしまったかのように、身体が微動だにしない。
ふと脳裏に過ったのは、あの人とピアノの音色に包まれた温かい記憶。
優しいメロディーは、彼女の人柄を表すように獄寺の思い出に奏でられている。
目の前にいるはずの少女の姿が、次第に霞がかって遠のいていくようだ。
さらりとシーツの上に流れる銀髪が、その背中が、自分に何も伝えず背中を向けて去る母親の背に、どことなく似ていて。
どうしてか幼い自分には、いつもその背中が悲しそうに見えて。
後悔はしている。全ての事実を義姉から聞かされた、今でも。
あの頃の自分は、何も知らなかった。無垢で純粋で、綺麗なものしか見えていなかった。だから結果的に、彼女の何も解ってやれなかったのだ。
あの微笑みに隠れて、痛む胸をどれだけ苦しめていたか。
そして自分がいたから、彼女を余計に苦しめ、縛った。自分の存在がなければ、彼女は僅かな生涯の中でも惜しみない道を通っていたかもしれないのに、その希望全てを自分という存在が遮っていたのだ。
そう、あの時も自分のせいで――……。
そう思うと、獄寺は過去の思いを未だ振り切れなかった。
だが――
"あなたは両親に祝福されて生まれてきたのよ"
未来の義姉から伝えられた、信じられない言葉。最初はもちろん戸惑った。あの直後に起こったモスカ騒動に、動揺は紛らわせていたが。
だが、今はあの言葉を素直に聞き入れないほど、自分はもう愚かではない。
「っ…… の、こんのチビッ…… クソッ……」
未来の義姉に言われた通り、あれから心当たりのある場所をがむしゃらに探したところ、手紙は見つかった。自分の父親が彼女に送り続けたという
ぼんやりと霞がかかって浮かぶ、母親の笑顔。その表情は確かに、自分と同じ分の幸せを感じてくれていた――
その時、獄寺は悟ったのだ。
過去も経緯もどうあれ、自分は母親に心から愛されていたのだと―――
縛り付けていたとしても、獄寺自身がどう思っていても、彼女は一人の子を身籠った幸福な母親として、その息子を宝物のように大切にしてくれた。
ピアノを弾いていた繊細な指は、きっと幼い自分をそう思って包み込んでくれていただろう。
そうして獄寺はこの10年間、一人きりの場所で散々になるまで脳細胞を使い切り、結局答えを見出せないままここまで来ていた。
それは、今でも己の浅はかさを後悔しているから。
しかし、見切りをつけようがつけられまいが、大事なものが彼の中で変わることはない。儚い記憶の中の思い出は、獄寺の中でこれからも生涯尊く守られ続ける。
自身を奮い立たせ、獄寺は覚悟を強く持った。
「しっかりしやがれよっ……! クソチビッ! オイッ!」
目の前の母親似の少女と、正面からぶつかり合ってやる。
今度こそ、彼は向き合うことにした。かつてのように逃げるのではなく、曲がりなりにでも受け止めてみせると、そう覚悟を決めたのだ。
それはただ、かつての誤解によっての過ちを繰り返さないため。ただ、それだけ。
あの頃は、たまに家にやって来るピアノ好きな人だと、碌に名前も知りはしなかった。
渇く喉が獄寺の意思を邪魔する。でも、ここで伝えなければ自分はいつまで引き摺るつもりだ。声が枯れようが声帯が張り裂けようが、獄寺はもう挫けなかった。
「アカネッ!!」
そう名前を叫べば、少女が一瞬自分に意識を止めてくれたように思えた。
「逃げるんじゃねえッ! 聞けッ! いいかっ、一度見失って逃げたらな、引き返すなんてできねぇんだよ! んなもん、怖すぎて、ハンドルとか利かねえんだ! だから、後悔する前に落とし前ってのはつけるもんなんだよ! てめぇ自身が振り返らねえように! 何もなくなった後じゃ遅せえんだよっ!!」
悪夢に魘される少女の肩を掴んで溜め込んでいた文句をぶち吐けば、少女の瞼が静かに開いていく。その双眸には年頃の少女らしく純粋な眼差しがあった。
獄寺が少し息を落ち着かせたのも束の間、少女が零れ落ちるように呟いた。
「――――誰……」
獄寺視点の回でした~。
難しかった。でも書きたかった。ただ獄寺がアカネ(のストレートロングな銀髪)を見て母親を思い出してグアァッ!とか悶絶しているところを書きたかった。
相変わらず意地悪いな。私。
その他には、獄寺はやっぱり母親のこと振りきれてないだろうな、という部分を。
ちょいマザコンっぽいなという節がありそうななさそうな獄寺氏でありますが(作者の偏見です)、やはり彼の過去の経緯からして手紙と事実を語られて「そうかよ」でもないから…… 10年経ってもこう思ってるかな、かなぁと。
確か獄寺の誕生日に母親は事故死して(ここはあやふや)、誕生日プレゼントを届けようとしていましたよね。
それだけでも結構酷だと思います。自分にプレゼントを届けるために事故死してしまったのは獄寺もずっと引き摺ってそうと、本編の文章でカッコつけて説明不足だった部分を補いました。
作者の説明不足、申し訳ない。
でも、こんな過去があった獄寺には共感できるので私も好きになりました。
じゃなきゃただの爆弾魔じゃないですか(笑)
隠し弾のカルロさん話もめちゃ好きです。カルロさんいい人すぎじゃないですか。正直、あの時の挿絵は彼と獄寺を書いてほしかったですねー。カルロさんみたいぃー。