ツナから全ての事情を聞いて、ただ愕然とした。
『チェレーネの怪奇事件』という事件の名前を、初めて聞いた。そんな事件があったなんて、初めて知った。
どうして、ディーノは私に何も告げなかったの? どうして何も告げずに、私を見捨てたの……?
ディーノにとって、私はそれだけの存在だったのだろうか。ただの取引の道具、それだけの認識で、上っ面の笑顔をくれたのだろうか――……。
……―――もう、何も考えたくなかった。
「――!? アカネちゃんッ!」
ツナの手を振り解いて、部屋を飛び出した。
何も知らなかった。甘えてた。
マフィアは、噂通りの怖い
どこかも分からない場所で、一人きりで蹲っていた。
薄暗い照明が、嫌に視界に突き刺さる。だから、世界を見ないように闇色に溶け込んだ。膝の上で組んだ両腕に顔を埋めて、世界の全てを拒んでみせた。
胸にわだかまっていたものは、何だったんだろう……。
「Che cosa succede?」
――――どうしたの……?
ふとどこからか、イタリア語が聞こえてきた。
「Tutto bene?」
――――大丈夫……?
――……下手なイタリア語の発音…… 誰だろう、こんな私に声をかけてくる人なんて……。
ずっとしつこいから、ゆっくりと微かに顔を上げて、その人物の顔を確かめてみた。
「――!」
その瞬間、息が詰まった。
女の人が、こちらを窺って立っていた。――ううん、女の人なんかじゃない……。
「……パイナップルの妖精……」
「……えっ?」
そう呟いたら、それを聞いていた彼女からは素っ頓狂な反応を返された。でも、私には気にならない。風も吹いてないのに、ユラユラと揺れるヘタ……。綺麗……。
じっとヘタを見つめられて、妖精さんは照れたのか、よく分からない言語を発している。ごめんなさい。妖精さんの国の言葉は分からないの……。
「え…… あの、えっと…………」
肩にかけていたバックから、ゴソゴソと何かを取り出してみせる。
「あっ…… あった………。食べる……?」
そう勧められたのは、小さな袋のパッケージ。チラリと覗く中には何かがそれなりの数で袋詰めされている。
私が首を傾げていると、少しオロオロした素振りで妖精さんがまた話しかけてくる。
「えっと…… 麦チョコ……」
…………麦チョコ?
妖精さんの世界のチョコレートかなと、興味本位で頷いた。妖精さんの世界にもチョコレートはあるんだなって、新発見だった。そして結構美味しい……。
隣に座って一緒に麦チョコを食べている妖精さんは、私の様子を窺いながら、頑張って慣れないイタリア語で話しかけてくれる。
「私は、クローム髑髏……」
「…………」
「……貴女の、お名前は?」
「…………」
名前を訊かれて、口元が引き結んだ。私に、彼女へ告げられる名前なんてない。あんな…… あんな人がくれた名前なんて、もう名乗る意味も義理もない。全部、偽り…… 嘘で固められた笑顔に騙されて、名前をくれて、愚かにも調子に乗って……。
そう……。私はなんて愚かだったんだろう。身寄りがなくて、気持ちが不安いっぱいで、近くにいた知りもしない相手のことをあっさりと信用して、頼って、全部都合よく解釈して、それで最後にはこんなザマだ。簡単に信じるから、裏切られた。
ディーノに、信じていたのに、裏切られた――……。
その言葉を胸の内で自覚すると、鷲掴みにされたようにすごく胸が苦しい。痛い。辛い……。
もう、このまま消えちゃいたいくらい――……。
「えっ……! ご、ごめんなさいっ」
いきなり、隣にいる彼女から謝られた。どうして…… と、彼女の方へふと顔を上げてみる。
「ご、ごめんなさい。お互い何も知らないのに、いきなり名前を訊いちゃって…… お願いだから、泣かないで……」
「えっ……」
驚いた。彼女の言葉で私は自覚した。私…… 泣いてる……?
咄嗟に下を向くと、ボロボロと透明な、小さな粒の水滴が零れてくる。止め処なく、瞬きの度に両手の掌に落ちて、照明の淡い光を反射して存在を主張する。その雫にふと実感を持って、一気に頭を抱え込んだ。
私の様子の急変に、隣の妖精さんはさらに困り果てているみたい。そんなに気を遣わなくても、妖精さんには関係ないんだから、放っておいてよ……。
「麦チョコ…… もうない……」
パッケージを逆さにして揺すっても、チョコの欠片のひとつも落ちてこないことに妖精さんががっくりと落胆している。いや、お菓子で釣られても……。
そうして泣き止まない私に、妖精さんは恐る恐るという風に、くぐもった声でそっと話しかけてきた。
「あ、あの…… 泣かないで…… 元気出して……」
か細い声で、全然説得力がない。これじゃあどっちが元気がないのか…… それに、そんな言葉で涙が止まるほど心に刻まれた傷は浅くないの……。余計なお節介だよ……。
そう言いたいけど、なかなか言葉にできない。
「あっ、ボス、呼んでくる?」
ハッとしたように、問いかけてくる。私には全然伝わらないけど。ボスって、誰……?
知らない人を呼ばれても困るので、とりあえずブンブンと首を振っておく。
「あなた…… 迷子なの?」
今度は今更な質問をされる。少し調子が狂う。迷子だったら何なの。きっとあいつらに売買されたんだから、もう迷子も何でもないよ。
そうだ――…… 私は、もう何でもない。
世界から見捨てられた存在、いらない存在、意味のない存在。
……――なんで、私ここにいるんだろ………。
溢れたものが、また熱を持って頬を伝った。
「泣か、ないで……」
その時、白くて私より少し大きな彼女の手が、細い人差し指が触れてくる。
「ッ―――触らないでっ!」
「!」
思わず叫んだ。
咄嗟に顔を上げて睨みつけた私を、妖精さんはおっかなびっくりな顔で、氷固まったようにピクリとも動かずに見据えている。
――こんな風に、誰かを傷つけることしかできない。
「――大丈夫」
誰にも迷惑ばかりかけて、私がいたから、ディーノも縛られて、だから最後にはあんな風に捨てられたんだ……。
そう、自分に言い聞かせようとしてたのに――
「あなたは…… 一人じゃないんだよ」
今度は私の肩が竦む。彼女のその言葉が、どうしてか胸に染み込んだ。
どうして、そんなことが言えるんだろう。私は、独りだよ。誰が見たってそう思う。
私は――孤独なんだ。
だから、そんな無責任なことをどうか言わないで――……。
「あなたの瞳…… 昔の私と同じなの。寂しそう……」
「……?」
不思議な感覚――……。
彼女の言葉は、まるで私の心の中を見透かすようで……。
動揺してるのか、胸が苦しい。呼吸が辛いくらい。
そんな時に、彼女の話は私の耳にすんなりと入ってくる。
「――私も、事故に遭って、両親に見捨てられて、病院のベッドの上であなたみたいな瞳をしてた……――絶望したような、悲しい目……」
彼女も、私のような境遇に遭ったという。
おもむろに彼女の顔を見上げる。前を見据えた彼女の右目には、黒の眼帯――……。
思わず、ゴクリと息を呑んだ。
「だけど、骸様が、私を見つけてくれた。だから、私は今もここにいられる。あの人のために――」
生死の堺にいた彼女を、その人が救ってくれた。そうして彼女は今ここにいる。
それは、彼女は運がよかったのかもしれないし、必然だったのかもしれない。その人と彼女が出逢うのは――
じゃあ、私とディーノは……?
「事故で右目と内蔵を失くしてしまったけど、内蔵は骸様が補ってくれる。右目は…… 過去の私を切り捨てるために、新しい私になるためにおいてきた……。私も、ボスたちのように希望を持とうと思った……」
希望……――そう言った彼女の左目には、何かの強い意思を掲げた眼差しをしていた。
「あなたも……」
「…………」
「あなたも、希望を持って。何があったのかは、私には分からないけれど…… 誰かがきっとそばにいるから――……」
いるのかな。私にも、誰かが――……。
前はディーノがそばにいてくれた。私を支えてくれて、安心できた。
ディーノがいてくれたから、私は希望を持てた。
でもそれは、ディーノにばかり頼っていた。
自分のことも、過去も、全部に背を向けて、ディーノに甘えていた。ディーノにばかり押し付けていたかもしれない。
私は、ディーノがどれだけそのことで苦しんでいたか、何も知らない。
責任転嫁をして、彼を苦しめて、謝るのは私の方かもしれないとふと思った。裏切られても、見捨てられても、やはり彼にはたくさん迷惑をかけた。
あの手の温もりを、もう一度信じたいよ……。
ディーノ…… もう一度、貴方の声が聞きたいよ――……。