灰色の世界に囚われた少女   作:ひばりの

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第12話

 時は、少し遡る。

 

 風紀財団地下アジトの一室にて、二人の影は酒を交わしながら交渉していた。

 

 影の一人――凛とした居住まいで胡座をかき、(さかずき)に注がれた酒を慣れた手つきで優雅に飲む男、雲雀恭弥は、酒を酌み交わす男からの交渉に少し間を置いて答えた。

 

「嫌だ」

 

 襖は閉ざされ、光のほぼ遮断された薄暗い和の空間で、しばらく沈黙が続く。薄い襖を挟んだ庭園の方から、カコンッと鹿威(ししおど)しの鳴く音色が聞こえてくる。

 

 彼の学生時代の師と自賛するもう一人の男は、慣れない和の正装に肩を凝らしつつ、相手に分かりやすいように溜め息を吐いてみせた。薄暗い和室には不釣り合いな金髪(ブロンド)の髪を掻き上げた男――ディーノは、それでも依然鳶色の瞳に強い意志を宿していた。

 

「頼む。恭弥。どうかっ…… 土下座でもなんでも、オレにできることはやってやる。だから、どうかあいつのことを頼む」

「嫌だ」

 

 今度は空白を置かず、ディーノの必死な頼みにもあっさりと断りを入れた。

 

 少しの同情も情けも懸けない相変わらずな教え子に、ディーノも程々手を焼いた。10年、そんな長い月日を、よくこの男と師弟関係で結んでこれたと、我ながら奇跡に思う。これからも続くと思うと、嬉しいような、泣きたいような……。

 

 それはさてとして、頼みを聞き入れてもらえないのでは困る。ディーノは彼にも、少女のことを頼まれてほしかった。もし少女の身に何かあれば、この男なら必ず守り抜いてくれるだろう。それほど彼の腕を信頼していた。

 

 だが、肝心の雲雀の方は、このように一切請け負う姿勢は見せてくれない。ここまで強情とは、知っていてもさすがに手を患わせてくる。

 

 酒の杯には一切手をつけず説得に思い悩んでいると、盃を戻した雲雀が吐息を漏らして告げる。

 

「貴方の頼みは請け負わないよ。僕も忙しいんだ。子守りに相手をしてやってる暇はない。それに…… 僕自身には何のメリットもない」

 

 メリット…… その単語に、ディーノは咄嗟に答えを見出す。

 

「ある」

「…………」

「お前にメリットならあるぞ。それも、お前が世界中飛び回って探し求めている秘宝もんだぜ。どうする?」

 

 断言してみせた彼に、雲雀の動きが止まった。盃の一点に集中していた視線を、初めてディーノへと向けたのであった。

 

「…………それ、本当かい?」

「根拠はねえが、お前が探っている『この世の七不思議』。そして、アカネが関係する『チェレーネの怪奇事件』……――このふたつに繋がるものは、謎だ」

 

 "謎"―――どちらも、人々が血眼になって答えを探し求めているものだった。

 

「怪奇事件の方は、現在も進行形でイタリア警視庁が捜査にあたっている。未だに事件の生存者は見つからねえどころか、村人一人の死体も見つかってねえ。事件があった農村地域は、あいつだけを残して灰の一帯と化していた。警察は村全体を襲ったテロや村人総勢による心中の線で見ている」

 

 そのくらいの情報は、各国を飛び回っている雲雀の耳にも自然と届いている。それをすでに悟って、ディーノは話を続けた。

 

「この事件で注目点なのが、cenere……――灰だ。なぜ灰が村一帯に残っていたのか。その村は人里離れた山の中腹部にあったんだが、火事があればすぐに分かるはずなんだ。だが、火事の通報はなかった。それどころか着火の痕跡もねえし、建造物の燃え残りも一切ない。全て灰になっていた」

「高温度の火で炙られようが、必ず有機物の残骸は残るはず。だからその点について、その怪奇事件は怪奇と呼ばれる所以なんだろう。けど、それについては僕の専門外だよ」

 

 やはり――…… と、ディーノは確信した。例の情報は、彼にまで渡っていないのだ。自然と喉に潤いが増した。

 

「炎」

 

 微かに呟けば、盃に触れそうな口元がにわかな反応を示してみせた。急なブレーキに、中の酒はたたらを踏んで水面を揺らしている。

 

 炎とは、ただの科学的に燃やす性質を持った炎ではない。血液と同等に人体の中を巡る不可視の生命エネルギー。その存在を知る者はほぼ裏の世界の住人に限られるが、彼らは揃ってその生命エネルギーのことを"死ぬ気の炎"と呼称している。

 

「反応があったんだ。その村が廃滅する前に、強い炎の反応がな」

「――…………」

 

 この事件にも、恐らくは死ぬ気の炎が関係していると、ディーノは証言した。

 

 実はディーノも少女が関わる事件について、少女には悟られないように調査していたのだ。そして、調べるうちに強い炎の反応があったという情報を耳にしたのだ。

 

「……炎には、それぞれの属性があるのを忘れてはいないかい。そして、全ての属性の炎は一村をあんな形で滅ぼすような働きを持ち合わせてはいない。たとえ炎の複合でも不可能だ」

 

 死ぬ気の炎には七つの種類があり、それぞれにひとつの属性を持ち合わせている。しかし、事件に繋がるような性質の炎はどれにも当てはまらない。死ぬ気の炎は人体の活動エネルギーでもあり、一村を滅ぼすような大量の炎の消費は身体にも影響を及ぼし、何かの特殊な機器などを扱わない限りではリスクは非常に大きい。

 

 ディーノも長く裏の世界にいて、そのことは熟知している。そして、彼はひとつの可能性に気づいたのだ。

 

「だが、死ぬ気の炎以外の特性を持つ炎も、裏の世界では認知されているものがある。XANXUSの憤怒の炎、シモンの大地の七属性の炎、復讐者の扱う夜の炎……――そして、灰を操る炎を持つ者、または研究しているファミリーの奴らが密かにいるのかもしれねえ」

 

 そう考えれば、以前にあった誘拐事件もディーノには説明がつく。事件の当事者である少女を狙う目的も…… 故に、彼女の立場は相当危険なのだ。彼女を守ってくれる人間は一人でも多い方がいい。

 

「――……ねぇ」

「なんだ」

「……彼女は、炎を扱えるのかい」

「アカネは…… 無理だ。あいつの炎は……」

 

 専門の炎分析装置でも反応がないほど、微量な炎しかない。そして、少女の辿る運命は――……。

 

「……そう。なら、あとふたつ聞きたいんだけど」

 

 盃を盃台に戻し、雲雀が尋ねる姿勢を見せた。それは、彼の気を少しでも引けたという証拠。上手く言い聞かせれば、少女の力となってくれるかもしれないのだ。ディーノの気も引き締まる。

 

「どうしてあの()のことを、そこまで執拗に気遣うの。貴方は沢田綱吉に担がされただけなんだろ。彼女をさっさと沢田綱吉に引き渡せば、別に貴方には関係ない。自らあの少女のために動いて、貴方自身に利益は?」

 

 価値もない働きに時間を割くほどこの男も暇ではないことは、雲雀にも分かる。雲雀には到底理解に苦しむ。この男が、なぜ一介の少女のためにその身を削って働くのか。

 

「……利益なんて、考えてねえよ。ファミリーのボスとして、あいつの親代わりみたいなもんだ。もうあいつが独りで苦しむ姿は見たくねえ。だから、オレは……」

 

 少女にも、事件の前には家庭があった。両親がいた。今は、彼らの安否も分からず、少女は記憶がないながらも親のいない孤独を感じているだろう。自分はせめて、その胸に空いた孤独の穴を埋められる親代わりとして、少女の心を支えたかった。

 

「なら、どうして貴方で面倒を見ないの」

 

 雲雀からの二つ目の質問。ディーノのわだかまる胸の中核を突いた問いに、膝の上で作った拳がにわかに震える。ディーノが未だに未婚であることが問題でも、この問題に中立的な立場にいるからでもない。

 

「オレじゃきっと、アカネを守りきれねぇ……」

 

 心からの挫折の言葉。

 

 情けないことだが、自身では少女の心を救えそうにないと、ディーノは己の掌を見つめて何度も思い知らされた。裏の社会で生きる者として、幾人もの数え切れない尊いものを奪ってきた彼には――……。

 

「ふうん…… 自分じゃ賄いきれないから、草食動物たちに押し付けってわけか」

「押し付けっつーか…… まぁ、そうなるよな。ツナたちには申し訳ねえよ。でもさ、デリケートな問題はオレには向かねえっつーか、やっぱ不器用なんだよ。オレ」

「そうだね」

「なんかフォローくれよ……」

 

 ガクリと肩を落としたディーノだったが、教え子の口から続いて出た言葉に安心が湧いた。

 

「まぁ、考えておくよ」

 

 新種の希少な炎の情報であれば、雲雀の耳にも入れておきたい。それだけ炎にまつわる情報は、裏社会にて相当な価値がある。匣開発にまつわる一束の謎のヒントにもなれば、これ以上都合のいい話はない。

 

 だが、それだけで安々と踏み込むにも、雲雀には不満に思うことがある。

 

「――仮に、僕が欲するものとそぐわなかった場合、どう責任は取ってくれるの?」

 

 立ち上がり、雲雀は己の師を見下ろす形でその言葉を投げた。雲雀にも時間の余裕はないのだ。これだという決定的物証がなければ、動くことは拒まれるのだ。

 

 ディーノはそこに座ったまま立ち上がった彼に目もくれず、その瞳に覚悟の意思を灯して告げた。

 

「その時は………――殺してもらっても構わねえ」

「ワォ、太っ腹」

 

 ディーノのその返答に満足したのか、そんな調子のいい言葉を返して、雲雀は室内を後にしようとする。

 

 出て行こうとする雲雀に、しかしディーノは最後に鋭い眼差しを投げたのだった。

 

「だが、アカネを泣かせることがあれば、恭弥でも容赦はしねえからな」

 

 鳶色の瞳は、10年の間でも見せたことのなかった殺意を潜めて、雲雀を真っ向から見据えた。

 

「……へぇ、面白くなってきたな」

 

 さらに満足するように黒檀の猛獣のような眼を細め、雲雀は襖を閉めていった。

 

 一人きりの静まり返った空間で、ディーノはしばらく動かなかった。正しくは、動けなかった。用意された座布団の上で、慣れない正座という居住まいの正し方に、両足の痺れは絶頂だった。

 

 近くに部下がいないと何も為せない男は、薄暗がりの室内にて届かない謝罪を漏らすことしかできなかった。

 

「――ごめんな、アカネ」

 

 




ただ10話後の彼らの絡みを書きたかったのに、予想以上にシリアス……! ディーノさん重っ……!
事件の全貌を語るのはまだまだ先ですかね。
それより原作っぽいクール雲雀さんが新鮮で楽しいです。狂気、最高w

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