無能少女マジだるなのは   作:ポイテーロ

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くさそうなの

―藤見駅―

 

 

 さんさんと輝く太陽が中天に昇るお昼時。

 

 そこそこ人で賑わう駅前の端に、ずらりと並ぶスーツ姿のオッサン達。

 なんとも壮観で悲壮な光景である。

 お揃いの寂れた作業服に身を包むオッサン達はなにを話すわけでもなく、ひたすら無言で煙を吸って吐き続けている……悲しい色した遠い目で……。

 

 

 

 

 ニコチン! カドミウム! アセトアルデヒド! 

 

 

 日本に煙草の種子を伝えた男、宣教師ヒエロニムス・デ・カストロ。

 彼が死に際に放った一言は人々を煙たい空へと駆り立てた。

 

「俺ノ煙草カ? 欲シケリャクレテヤル! ヒャッハアァアアア!!」

 

 受け継がれる意志、時代のうねり、人の夢。これらは止める事のできないものだ。

 人々が自由の答を求める限り、決して留まる事は無い!

 世はまさに大禁煙時代!

 

 

 まあ、そんな所だ。

 要するにこのオッサン共は最近社会に蔓延するアンチ喫煙者の冷たい目線を逃れ、安息の地を求めてこの駅前まで辿り着いたアウトローなのである。

 匂いが付着せぬように、わざわざスーツからお揃いの作業服に着替えるなどして徹底しているのがまた悲しい。

 で、あるので決して怪しい宗教団体などではない。

 何度か職質は受けていたが。 

 

 あとヒエロニムス・デ・カストロさんはそんなこと言ってない。多分。

 

 

 そんなオッサン達の中を右往左往と駆け巡る小さな影が一つ。

 さらさらと肩ほどまで流れる亜麻色の髪。

 コールタールをぶち撒けたような半開きの濁ったお目々。

 いつも不健康に青白い肌は珍しく紅潮し、小さな鼻の穴がひくひくと元気に稼働している。

 恍惚とした表情で害悪な副流煙を吸い込んで回っているなんとも不気味な少女。

 私だ。

 魂の流腐乱ガール。海鳴の生ける屍こと高町なのはだ。

 以後よろしく。

 

「もし、そこのダンディズム」

 

「ん? なんだいお嬢ちゃん」

 

 そんな私が目を付けたのは死んだ目でフラフラと揺れる無精髭を生やした半目のオッサン。

 こいつァ飼い馴らされた社畜の目だ。

 寂れたオッサン達の中でも一際シンパシーを感じるオーラをもわもわと放っている。主に半目のところとか。

 

「一本分けてくださいな♪」

 

 必殺、お手々のシワとシワを合わせてロリボイスからの上目遣い。

 私を子供と侮るな、この世に生まれ落ちてから積もりに積もった魂の叫びを聞け。

 貴様の持ってるポコチンもといニコチンを吸わせろ。さもなくばこのロリボディを使って社会的に抹殺してやる。

 そんな感じで轟き叫ぶ。

 

「……はは、お嬢ちゃんに煙草はまだ早いよ」

 

 しかしそんな私の怨念も届かず、オッサンは萎びた苦笑を私に落とす。

 

「チッ……カスが」

 

「え?」

 

 冗談じゃねぇぞトンチキ野郎、こちとら命が掛かってんでぃ。見やがれ、小さなお手々がぷるぷる震えてやがる。

 酒! ヤニ! 風俗!

 約10年。これだけの禁欲生活を送ったのだ私は。

 どこの修行僧だ。寺の坊主ですら酒池肉林に溺れる時代になんの冗談だこれは。

 未だ身体が幼くとも、薄汚れた魂がホゲーホゲーと疼くのだ、雄叫びをあげるのだ。

 いい加減ヤニの1本や2本ぐらい吸ってもよかろう。

 特に最近はやけに変な事ばかり起こるし寝付きが悪いしでストレスが限界突破寸前なのだ。

 だというのに販売機は変なカードが無ければ使えぬようになってるし、オヤジ殿秘蔵の酒を拝借しようとしたところをオババに見つかり桃子さんに密告されるし。

 翠屋で年甲斐もなくせこせこと働いてるオババのところにいつぞや中丘FCのゴリラ共を召喚して嫌がらせを仕掛けたり、密かな趣味の痛々しいコスプレ画像をネット掲示版にバラ撒いたりした事を、よほど根に持っていたらしい。

 あの妖怪いつか討伐してやると桃子さんに叱られながら私は心に誓ったのである。

 

「くそ、この際シケモクでも構わんが……」 

 

 その後も数人のオッサン達にヤニを強請ったが手応えは全くなかった。野郎吸い殻一つ寄越さない。まあ私は外見だけなら幼い少女であるので当然か、犯罪だし。

 このままでは埒が明かんと駅前を離れながら、吸い殻を探してふらりふらりと彷徨い歩く。

 クク、煙草が無いなら作っちまえばいいじゃない。葉っぱ集めて巻き直して死者蘇生。シケモク拾いの少女こと高町なのは、逝きまーす。

 

 しかしあのオッサン共シャレオツな携帯灰皿なんて持ちおって……骨の髄まで嫌煙オークに屈したか社畜騎士共が。

 畜生、吸い殻一つ落ちてやしない。

 

 無駄に綺麗だな海鳴ィ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幽鬼のような足取りで無駄に清潔な藤見町の道ゆく道をギョロリと凝視しながら、私は駅から少し離れた場所にある木々に囲まれた小さな公園へと辿り着いた。 

 さすがに疲れたので少し休憩でもしようかと足を踏み入れた私は異様な光景を目にする。

 

「あれは……」

 

 公園内、木造りのベンチに怠そうに腰掛けて背もたれに肘を乗せながらヤニをぷかぷか吹かす金髪の女。彫りの深い顔立ち、おそらく異国人であろう。 

 ヤニを吸い、鼻からフンガと煙を吹き、缶ビールをグビリと呷る。そして浮かべる悦楽の表情。

 

 平日昼間の公園。

 右手に煙草。

 左手に缶ビール。 

 

 うむ、私が考えうる限り最強の組み合わせである。

 数多の社会的クズが夢想するわりと近き理想郷に、私はパブロフの犬の如く溢れ出るつばを飲み込んでゴクリと喉を鳴らす。

 なんという神秘的な光景か。 

 正しく私が夢見る至高のメニュー。社会という薄汚れた歯車から抜け出した選ばれし人間が辿り着く涅槃(ニルヴァーナ)。  

 

 

――あれがやりたかったんだ私はッッッ!!!!  

 

 両手をグッと握り締め、奥歯をギリギリと擦り鳴らしながら私は叫ぶ、心中にて。

 それにしてもまーた異国人、ここ最近の異国人との遭遇率ったらとんでもない事になっている。

 

 

 オーマイガッ!最高にクールだね。

 

 また海鳴に行かなくてはならない理由が一つ増えたわ!

 

 クソッなんで海鳴はいつもこうクールなんだ! うちの国とは大違いだよ!

 

 何も驚かないね。だって海鳴だもん。

 

 レベル海鳴。

 

 18になったら絶対海鳴に行くの! パパとママに言ったら許可してくれたわ!! とっても楽しみ!

 

 理由は海鳴だから。 これだけで十分さ。

 

 

 こんな寒い台詞を吐きながら異国人が海鳴に殺到しているのであろうか。クール海鳴(笑)

 しかしこれはまたとない好機である。異国人なんて基本的にセンクスだのセックスだの適当に横文字言っとけばなんとでもなる。ソースはこの前の雌ガキ。

 あのアホヅラ晒してる女からヤニ棒や酒を掠め取るのは容易いはずだ。

 だがここで私は足を止める。待て、懸念すべきはあの異国人の背後関係だ。しばし前のパツキン少女や八神ファミリーのデカ乳ドイツ人用心棒。

 私が海鳴で出会った異国人は高い確率でマのつく危ない組織に所属していた。さらにはパツキン少女や八神ファミリーに関わった私を何者かが付け狙っている可能性も未だ捨てきれないのだ。

 いや、そもそもだ。金髪の異人女が平日昼間から公園でヤニと酒に浸っているなど余りにも不可解な光景である。

 公園や繁華街にいる怪しい異国人なんてのは白い粉を捌く密売人と相場が決まっているのだ。ソースはこの前やってた警察24時。

 

 ティンっと嫌な感じがして周囲を見渡してみると不自然なまでにこの公園やその周辺には人がいない。

 怪しい、悪徳業者がニコニコ笑顔で持ちかけてくる個人間融資並に怪しい。

 

 もしや、これは罠か?……いやしかし…………。

 

 冷静になればなるほど噴き出してくる違和感の波と背中の冷や汗に、私はくっ、と二の足を踏む。

 

『一生迷ってろ…!そして失い続けるんだ…貴重なチャンスをっ!おまえは100%成功しないタイプっ…!』

 

 躊躇う私の頭上で、やけに顎や鼻の尖った男達がぐにゃぐにゃした顔で一斉に叫ぶ。

 くっ、禁断症状で幻覚まで。遂に私も黄色い救急車の世話になる時が来たか。

 

『堂々といけっ…!やばい時ほど堂々と…』

 

『ピンチだけど…チャンスッ……!』

 

『千載一遇…!空前絶後…!超絶奇絶…!奇蹟っ!』

 

 Fuck You……ぶち殺すぞゴミめらっ……。

 

 ええい黙れ賭博黙示録。アゴを突き刺すなアゴを。

 貴様らに言われずとも今さら私に後退の二文字は無い。この好機を掴んでみせる……神よ…私を祝福しろっ……!

 そんなしょうもない決意を胸に、私は一歩一歩と女に近付いていく。

 そしてぽてぽてと前進する私に気付きキョトンと首を傾げてこちらを見ていた異人の女に、フレンドリーに話し掛けた。

 

「ハローナイチュミーチュチューチュッチュー」

 

「あ、は、ハロー」

 

 まずはエィングリッシュという国際言語的なジャブで牽制、握った拳から中指を立てて睨みつける。海外では基本的な初対面の挨拶、パッキン異人も快く挨拶を返してきた。これで掴みは完璧である。

 そしてすかさず

 

「きるゆぅううううう」  

 

「えぇ!?」

 

 相手が油断したところで私はグレイシー的な一族もビックリな低空タックルを仕掛け、女の生脚にコアラのようにしがみついた。

 ちなみにこれも海外では基本的な物乞いのポーズである。

 ついでに匂いも嗅いでおく。いいにほひじゃあ〜。

 

「ぷりぃずふぁっきんびーっち」

 

「ちょっ、ちょっと」

 

「ぷりぃずふぁぶりーず」

 

「こ、これが欲しいんですか?」

 

「イェア」

 

 獲物を捕食せんとする蛸の如くすべすべの脚にしがみつきブツを催促する私の眼前に、女は両手のソレをチラつかせた。

 これぞまたとない好機である。

 

「ほい」

 

「あっ」

 

 刹那、私は獣の如き敏捷さで女が右手に持つ例のブツをサッと奪い取った。これも海外のスラムでは基本的な挨拶のようなものだ。けして窃盗ではない、笑って許せ。いや、むしろ私に感謝せよ糞ビッチが。

 兎にも角にも遂に私は手に入れたのだ。約10年越しの快挙である。

 私はこの時を持ってして煙臭い天空へと飛び立つのだ。

 最早あまりの達成感と興奮に股間からアンモニア臭が漂ってきた。このプッシーときたら今は亡きジョニーに比べて短いのだ、尿道がっ。

 

「うぅむ、これはこれで何処かに需要が」

 

「な、なんなのこの子……」

 

 スカートを捲り上げ悲惨な有様となった股間の現状を野晒しにしながら確認する私を、異人の女が引き攣った顔でじっくり見ていた。金払え変態めッ!

 

「あ、なんだ日本語喋れるのですか。サンクスセックス」

 

「うぅ……」

 

 どうやらこの異人もジャポニーズスピーカーであるらしい、私の必死な異言語コミュニケーションはなんであったのか。速やかにDOGEZAしろ。

 まあそんなことはどうでもいいとして、今はコレである。

 鼻先をくすぐる甘い匂い……国産とは違ったどこか異国情緒を感じさせるブツである。ありがてぇありがてぇ。

 フィルター部分を軽く咥え、ハミングを刻むように煙を咥内へと溜めていく。フィルターから直接肺まで吸い込んでしまうと熱とアルカリによって喉を痛めるので要注意だ。力任せに腰を振る童貞のようなトーシロの侵しがちな不味い吸い方である。

 フィルター部分から口を放し、小さく口を空けて冷えた大気と共に煙を薄めて肺へ送り込む。いざ、輪廻を跨いだ天上ヘヴンへと上り詰めるのだ。アヘ顔ダブルピース。

 

 しかし予想外の事態にて私の思惑は外された。

 

「ごほっ、げほっ、ぶほっ! う、何故だ…!」

 

 私の小さな喉と肺は不健康な煙の奔流を要塞城壁の如く拒絶した。未だ未成熟なこの矮小な体が如何ぬのか、待ち受けていた快楽の気配は全く訪れない。

 なんという事だ。

 虎穴に入らずんば虎子を得ずどころか私は喉笛を噛み千切られて返されたのである。  

 

「……あの、大丈夫ですか? これよかったら」

 

「ありがてぇ!」

 

 溺れる者は藁をも掴む。

 咽る私の目の前に異人の女が差し出したアルミの筒が、今は藁どころか光り輝く聖杯に見えたのは言うまでもない。さすがは異国の者、心の広さもワールドワイド級である。

 私は女の手から毟り取るように受け取った缶ビールをグビリと呷り、煙で荒れた喉を洗い流すように黄金の美酒を渇いた胃中へ送り込む。臭いものに蓋というやつだ。

 

「オ゛エ゛エ゛エ゛ェ゛ェ゛」

 

「ああああああ!?」

 

 ところがどっこい、臭いものに蓋どころか蓋をぶち破って臭いものが飛び出した。

 胃の中の朝食、体外を知る。

 ゲロゲロ。

 黄金の液体と混じり合った私の苦くて酸っぱいリビドーは必然、ナイアガラの滝のように眼前の異国人へと降り注いだ。

 これが日本の世界に誇る文化、BUKAKKEや。

 

 

 つまるところ知足不辱、これが愚者の結末である。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ……お気に入りの服だったのに……」 

 

 るんるんと晴れた平日昼間の公園の片隅。

 

 ブロンドのショートヘアを煌めかせる白人女性が、異臭を放つ衣服のようなものを必死な形相でゴシゴシと擦って洗い流していた。  

 蛇口の前に中腰で屈むその身には派手な装飾の黒い下着の他何一つ纏っておらず、天に輝く太陽の下、艶やかで豊満な肉体を恥じること無く晒している。

 正常な性癖の男性ならば歓喜モノの光景であるが、いやに鼻につく酸味溢れる異臭と、目元に涙を溜めながら呻く女の鬼の形相がその全てを台無しにしていた。

 どう見ても警の察を呼ばれてもおかしくない不審人物であるがその周辺に人の姿は無く、さめざめと泣く女の声とアスファルトに打ち付けられる水道水の音だけが公園内に虚しく響いていた。

 

「よ、よし……これだけ洗えばもう大丈夫……よね」

 

「……シャマル」

 

 下着姿のまま皺だらけになった衣服の臭いを必死に嗅ぐ女の背後から、低音で響く男の声が掛けられる。

 女から少しばかり距離を置いて立っていたのは長い影を引き連れた長身の男。

 紺色ノースリーブの上半身から覗く焼け付いた大地のような褐色の肌に、彫刻像の如く隆々と盛り上がる逞しい筋肉。

 極めつけは白髪で覆われた頭部からニョキッと生えた獣耳。

 まさに職質待ったなし筋肉モリモリマッチョマンの変態野郎である。

 

「ザ、ザフィーラ!? まだ来ちゃダメって言ったのに!」

 

 シャマルと呼ばれた女は咄嗟に未だ濡れたままの衣服で白い柔肌を覆い隠す。志を同じくする仲間に無様な失態を見られた恥辱に、涙はおろか鼻水までが垂れてきた。

 

「あー……その、あれだ。どうやらシグナムの心配は杞憂に終わったようだな」

 

 筋肉モリモリマッチョマンの変態野郎ことザフィーラと呼ばれた男は、とりあえず目を逸らして先程の光景を見なかった事にした。ついでに息も止めた。

 結界内に入った時から鼻腔を刺激する何とも言えないかほりを和らげるために嗅覚の鈍い人型に変じておいたのは英断だったようだと、内心で息を吐く。

 

「あの子は魔導師じゃない……とは思うんですけど……」

 

「何か気掛かりな事が?」

 

 木陰に隠れてコソコソと服を乾かすシャマルの要領を得ない曖昧な結論に、ザフィーラは息苦しさも相まって思わず眉を顰める。

 

「強大な魔力を保持する稀少な人間が同じ街で生まれ、異変が起きた時期に偶然知り合う……どうにも都合が良すぎると思いませんか?」

 

「……ふむ、先の事件に加えて現状監視に留めている例の魔導師。関わりが無いと判断するのは早計か」

 

 海鳴どころか世界でも話題になった私立聖祥大学付属小学校消滅事件。

 現場の漂う残滓に残っていたのはザフィーラ達が泳がせている金色の魔導師の物であろう、大量の電荷を帯びた特徴的な魔素。そしてその魔素を覆い尽くすように空間を占める解析不能な質量を秘めた謎の物質。

 シャマルによれば科学の発達した管理世界ですら未だ解明されない魔力素とは異なった暗黒物質。

 恐らくは古代ベルカでも使われていた、儀式的な干渉によって魔法とは異なった法則から未知なる力を引き寄せるロストテクノロジーに近いモノ。

 そも、管理外世界には魔法とは異なった別法則の力を扱う者の例は珍しくない。だがしかしあの規模の校舎を消滅させる力となれば余りにも度が過ぎる。

 単独でロストロギアを回収する未だ背後関係の見えない魔導師と強大な力を持った現地の異能者、そして二つの力によって消滅した校舎。それらから考えられる可能性は対立か連携か。

 

――どちらにしろ主にとっての危険分子である事に変わりはない。

 

 例え何者であろうと我等と主の平穏を脅かすのならば、ヴォルケンリッターが一柱、盾の守護獣ザフィーラとして全身全霊を掛けて主を守り確実に敵を排除するまで。

 音が鳴るほど力強く握りしめた拳は危機感故か、はたまた戦士としての疼き故か。

 

「そうですね……あの子の監視はまだ継続させるべきだと思います。正直あまり気は乗りませんが」

 

 そう言うとシャマルは普段温厚な彼女にしては珍しい、怒りやら怖気やらを含んだような心底嫌だというような表情を見せた。

 

「そうか……」

 

「そういえばザフィーラ、なんでそんな離れた所にいるんです?」

 

「いや……」

 

 乾かし終えた服を着用したシャマルが、少しばかり遠い位置に立って瞑目するザフィーラの元へと数歩近付く。

 

 それに合わせてザフィーラは数歩下がる。

 

「な、なんで下がるんですか? そういえば珍しく人型形態だし……」

 

「いや……」

 

 盾の守護獣ザフィーラは黙して下がる。仲間(とも)の矜持を守護(まも)るために。

 

「おーいシャマルー」

 

「ヴィータちゃん!」

 

 そんな二人の緊迫した空気を切り裂く明るい呼び声と共に、赤い髪を三つ編みにした青い瞳の少女、ヴィータが笑顔で駆け寄ってきた。

 

「終わったのかシャマル……ってくせぇっ! なんだよこの臭い!」

 

「え」

 

 しかしヴィータがシャマルの元に辿り着くと一転、その笑顔がくしゃりと歪む。

 

「……ヴィータ、やめておけ」

 

「いやだってなんか酸っぱい……オェッ吐き気が……」

 

 例えるならば真夏の公衆便所の中、和式の便器から元気よくはみ出したアレを至近距離から嗅いだようなそういうレベルの、吐き気を催す邪悪がプンプンとヴィータの脳髄に突き刺さった。

 

「ザフィーラ……私、臭いんですか……?」

 

「いや……」

 

「てめっ、息止めてんじゃねーかザフィーラ! オ゛エ゛ェ゛」

 

 ヴィータは吐いた。

 

「ぴゃああああああああああああああ」

 

 シャマルは泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月村すずかは本が好きだ。

 一人で居る時は大抵本を読んでいる。

 当初は家族が心配するほど現実逃避的に活字に没頭していたすずかであるが、アリサ・バニングスという朋友を学舎で得た事でそれも徐々に改善しつつあった。

 しかして書が好きな事に変わりはなく、こうして時より市の図書館にも足を運ぶ。

 通っていた小学校の校舎が消し飛ぶという怪事件で突然の振替休業となり、尚更すずかの時間は有り余っていた。

 月村重工やバニングス財閥と言った大企業を中心とした支援もありハイペースで再建が行なわれているが流石に一夜城とは行かないらしく、その事が両親や姉の日頃の多忙ぶりをさらに加速させてここ最近は家族が揃うこともない。仕方がない事とはいえせっかくの休日なのにと寂しくもあった。

 

「あっ、ゲリー・プッシャーと便所の石……入荷したんだ」

 

 すずかが手に取ったのは『ゲリー・プッシャーシリーズ』というエゲレスの作家が書いた児童文学書。

 

 現代のエゲレスを舞台に魔法使いのアラサー男性ことゲリー・プッシャーの派遣社員生活や、ゲリーの両親を過労死させた闇の派遣会社バローヴォークソ社長ブリュリュボットンとの因縁と戦いを描いた壮大なファンタジー小説である。

 昨年にはハリウッドで映画化されて世界的に大ヒット、今や日本でも老若男女に大流行の超人気作であり、勿論無類の本好きであるすずかもこのシリーズを最新刊までしっかり揃えていた。

 

「魔法……」

 

 すずかは本の表面に印刷された魔法という2文字を指でなぞり、先日目の当たりにした不可思議な光景を思い出す。

 

『その石…ジュエルシードを渡して』 

 

 あの日、自宅の森で出会った不思議な少女。

 

 露出度高めなコスプレっぽい衣装を身に纏った金髪の少女は、すずかの猫が拾ってきてた綺麗な青い石を受け取ると、まるでアニメに出てくる魔法少女のように颯爽と空を舞って消えていった。

 あれはもしや夢幻だったのではないかとすずかは自分の記憶を何度も疑った。しかし今もすずかの部屋の小物入れに隠された数枚の万札が、あの日の光景が夢ではないと物語っていた。

 

『私は月村すずかって言うんだけどあなたのお名前は?』

 

 なんとかコミュニケーションを図ろうと咄嗟に出したすずかの名前に少女は目に見えて顔色を変え、手に持つ杖のようなものにブツブツと話し掛け出した。

 

『あの、今手持ちはこれしか……』

 

 すると突然、何処からか取り出した数枚の万札を押し付けるようにすずかに渡すと、まるで逃げるように飛び去っていったのだ。

 もしかして何処かであの子と会った事があるのだろうかとすずかは記憶を探ってみたが、やはりその姿に見に覚えはなかった。

 天真爛漫な友人を彷彿とさせるようなさらさらと流れ輝く黄金色の髪にワインレッドの鮮やかな瞳、人形のように整った綺麗な顔立ち。これ程目立つ容貌を記憶能力に優れたすずかが忘れるはずもない。

 日本でも有数の財閥に数えられ、必然、敵も多い月村家の事情を考えれば、件の少女の事を家族に報告するべきだったのだろう。しかしすずかは少女との出会いを家族の誰にも話さなかった。

 それは寝る間も惜しんで心を踊らせながら読み耽ったファンタジー小説のように、奇妙かつ幻想的な少女との出会いを自分一人の心覚えとして独占したかったのかもしれない。

 しかし月村家邸宅の厳戒な警備網に何一つ掛かる事無く侵入を果たした少女の存在は余りにも異様であり、巡り巡ってそれが家族を危険に晒す可能性もある。最近のすずかはその事ばかりを思い悩んでいた。

 

「あのー」

 

「えっ?」

 

 突然背後から掛けられた声に、本を持ったまま深く思い耽っていたすずかはハッとなって振り返る。

 

「それ……ゲリー・ブッチャーの一巻ですよね?」

 

 振り返ったすずかのやや下げられた目線の先、そこに居たのは車椅子に乗った一人の少女であった。

 

 

 

「そっか同い年なんだ」

 

「実は時々見かけてたんよ。あ、同い年くらいの子やって」

 

「私も、同じ事思ってた」

 

 二人の少女は顔を合わせてクスリと笑い合う。

 

 あの後、すずかの持っていたゲリー・ブッチャーを切っ掛けにすっかり打ち解けた二人は、図書館の片隅で時が経つのも忘れて話に花を咲かせていた。

 

「あ、そや名前。私、八神はやて言います。平仮名ではやてや」

 

「はやてちゃん。綺麗な名前だね」

 

「ホンマに? ありがとう!」

 

 嬉しさが全面に伝わってくる大輪の花のようなはやての笑顔に、すずかもなんだか嬉しくなった。

 早くに両親を失い、両足の麻痺で学校にも殆ど通った事のないはやてにとってすずかは同年代で初めての、それも共通の趣味を持った友達であり、すずかとの出会いを心の底から喜んだ。

 

「私は月村すずか。平仮名ですずかだよ」

 

「へぇ〜すずかちゃんかぁ……って、ん? 月村すずかってどっかで聞いたような……」

 

 月村すずか。どこか記憶に引っ掛かるその名前に、はやては頭を抱えて記憶の海に意識を巡らせる。

 前回の空飛ぶ少女に続いてまたもや不発気味の名乗りに終わった既視感に、すずかもこてりと首を傾げた。

 

「あっ、思い出した! 病院におった……おっぱいマニア、いや、おっぱいソムリエの子や!」

 

「おっぱい……?」

 

 マニ……ソムリエ……?

 

 


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