無能少女マジだるなのは   作:ポイテーロ

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とんでもない外道なの?

 

 

 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 

 要するに「春の明け方は最高ですな全く」といった感じの意味であるのだが私はそうは思わない。

 私は夜が明けると無性に怖くなる。

 前世では生きる辛さを噛み締め、今世では余りにも幸せな今の己に、これは胡蝶の夢、泡沫の幻想ではないのか目覚めればまた深淵の如く昏き現実世界が私を待ち受けているのではないか、と未成熟な体躯を震わせ恐怖する。

 有り体に言えば私にとって明け方など365日どの季節もロクなものではないと言いたいだけであり、特に深い意味はない。

 ただの愚痴だ。

 春はあけぽよ☆

 

「……私は眠れる獅子の如く惰眠を貪っていた筈だ、オヤジ殿。明確な説明を要求する」

 

「ハハハ、まあいいじゃないかなのは。たまの休日ぐらい家族サービスしてくれよ」

 

 未だ覚めやらぬ大脳新皮質が私の正常清廉な思考を阻害し、時間外労働に怒りを示した上眼瞼挙筋はぷるぷると目蓋を震わせ開闢を拒む。窓の外、流水の様に流れる朝の木漏れ日が私の青白き肌を刺激して止まない。日曜の朝、私はいつの間にか高町家御用達のワゴン車助手座席に固定され運搬されていた。さらに言えば今の私は寝間着姿である。西洋式に言えばパジャマである。ピンク色うさ耳フードつきもこもこパジャマである。決してこれは私の趣味ではない、強いられたのだ。

 

「なのは、サッカー好きだろ? よく中継観てるし」

 

「それら全てプロであろう。私は子供の蹴鞠遊びになど興味はない」

 

 高校蹴球界において『屠竜の技』『夏炉冬扇』等と勇名を馳せたこの私が、何故に子を使った代理戦争が如く試合そっちのけで慇懃無礼の応酬に興じるママさん方に混じって、低レベルな球蹴りを観戦せねばならぬのか。

 

 ご存知の通り我が父高町士郎は海鳴が誇る超人気店翠屋のマスターであり、我が母にして傾国の女神高町桃子の武陵桃源に至った益荒男である。

 そんな高町士郎が監督を務める蹴球倶楽部翠屋FCは、創立して日が浅いにも関わらず海鳴中の若奥様方が子を連れて殺到した。なにせ翠屋のマスターといえば男前かつ紳士的、愛妻家で家庭的だと大層な評判であり、客層の半数近くを占める暇と劣情を持て余した奥様方憧れの的なのである。

 そんな綺羅星との爛れたロマンスを夢想し、我が子を足掛かりに、鴨がネギ背負って次々と鍋に飛び込んだという次第だ。

 

 そう謂う訳で意図せず海鳴中から青田という青田の強奪に成功した翠屋FCは、一気に海鳴の強豪倶楽部へと上り詰めた。当然他の倶楽部は良い印象など持たないはずなのだがそんなのは知った事かと憎き翠屋の監督に向かって黄色い声を投げる敵味方の若奥様方に、数多の男達が涙を流したという。

 

「なのはが応援すれば日向君も喜ぶよ」

 

「知らん。しかし随分仲が良いようでよろしい事だなオヤジ殿」

 

 教え子を傀儡として私に送り込むなと、抗議の意味を込めてキリリと睨んでみるがお得意の爽やかスマイルで飄々と受け流された。この柳のような掴み所のない人当たりがあらゆる成功の要因なのであろうか。

 

「しかしなのは、そのオヤジ殿ってのはいい加減どうにかならないものかな? 昔みたいに『お父さん♪』とか。なんなら『パパ☆』でもいいんだけど」

 

「断固として拒否する」

 

 一体全体何が悲しくてオッサンがオッサンを「パパ☆」などと呼ばねばならぬのか。そのような特殊なプレイは受け付けておりません。

 無論娘を持った親からすれば当然の願望であるのだろうが、不幸なことに私は汚濁の様な記憶を有した妖怪変化である。

 日頃口の悪い私ではあるがこれでも最大級にオヤジ殿を敬愛してはいる。(特にオヤジ殿の『殿』の部分に注目して欲しい) だがしかし一介に生きた男として譲れないものもあるのだ。何卒ご理解頂きたい。

 

「兄上に呼ばせてはどうか」

 

「恭也に? ……鳥肌立ったよ」

 

「同じく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――Estamos tocando tiki-taka tiki-taka.

 

 ティキ・タカ、ティキ・タカとプレイしている。

 

 

 

 サイドからの果敢なオーバーラップから鋭いパスが中央に打ち付けられ、選手間で複数のコースを確保しながらピンポン球のような軽快さでワンタッチパスを回し、決定的なゴールへの道筋を作る。

 私が想像していた低レベルな球蹴り遊びの様相はそこには無く、翠屋FCはプロの下部組織も顔負けのパッシングスタイルを持ってして敵方中丘FCを圧倒していた。今、私の眼前で繰り広げられているものは最早試合ではなく一方的な虐殺と言えよう。それ程までに両者のチーム力は隔絶しているのだ。

 今もまた美しい連携からのゴールが決まり、集まった大勢の観客から惜しみ無い賞賛の歓声が上がる。その中でも最も目立つのはやはり日向小太郎。最年少でありながらチーム一番の体格を誇り、技術の高いチームの中でも図抜けたセンスを発揮してゴールを量産している。天才蹴球少年の名は伊達じゃない。もはや地元の蹴球倶楽部に収まる器ではないだろう。これだけ得点しておきながら、心底つまらないとでも言いたげな仏頂面が腹立たしい。

 対する中丘FCもレベルが低いわけではない、むしろ地元に根付く蹴球倶楽部と考えれば充分に高い方と言えよう。体格でも大柄な選手が多く、見た目では翠屋FCを圧倒している。しかしあれはダメだ。既に意欲を手放し試合を放棄してしまっている。圧倒的な実力差の前に意気消沈し、数人を除いて両眼からは光が消失している。

 何故であろうか、まるで前世において若くして何もかもを放棄放逐していた私の姿を彷彿とさせ、沸々と怒りが湧き上がる。そのまま私は怒りに身を任せ保護者の群より抜け出し、敵方中丘FCのベンチに飛び込んだ。

 

「そこなオジサマ。少々よろしいか」

 

 私が声を掛けたのは置物のようにボケーッと突っ立っていた中丘FCの指揮官である。白髪頭にちょび髭を生やした眼鏡デブのオッサンといった風体であるその男は、ボロ雑巾のような有り様に陥ったいたいけな少年達に声を掛けることすらせずただ眺めているだけであった。眺めるだけなら犬猫でもできる、再建修正を放棄して何が指揮官か。

 

「おや? どうしたのかねお嬢ちゃん」

 

「私は高町なのはという所詮しがない風来坊でありますが、今すぐ貴君に代わってこのチームの指揮を執らせて頂きたい」

 

「ほう、お嬢ちゃんが? 高町っていうと翠屋監督の娘さんかな?」

 

「如何にも。高町士郎は私の父であります」

 

「ふむ、なぜその高町さんの娘さんが敵チームの指揮を執りたがるのかな?」

 

「貴君等の有様が気に食わぬ、ただそれだけです」

 

「ふーむ」

 

 試合はハームタイムに突入し、疲労困憊の少年達が一体何事かと次々私の周囲に集まってくる。

 

「安東先生、その子はなんなんです?」

 

 おずおずと声を掛けてきたのは身長180は有に越えているであろう巨大なゴリラ、顔の少年。特徴的なGKのユニフォームと腕に巻かれたキャプテンマークにより、この中丘FCの中心的な選手である事が予想できる。正直に言って怖い。

 

「青木くん。翠屋はどうかね?」

 

「正直……レベルが違い過ぎますね」

 

「勝算は?」

 

「…………今のままではその、無いでしょう」

 

 夢も希望も無いやりとりに、意気消沈していた中丘FCベンチの空気が更に淀んでいく。しかし安東某は両手をパンパンと打ち合わせ選手達に呼び掛けた。

 

「君達、最後まで希望を捨てちゃいかん。私が必勝の策を用意した」

 

「本当ですか!?」

 

 安東なる男のその言葉によって、ゴリラこと青木少年は一転表情を明らめ、暗く落ち込んでいた選手間にざわざわと波紋が広がる。

 

「という訳で……私に代わって、新監督の高町なのはちゃんです」

 

「ん?」

 

「へ?」

 

 言葉と同時、肩を捕まれ選手たちの眼前にズイっと押し出される。流石の私もこれには予想外であり呆気にとられていた。

 

「ど、どういう事ですか先生! こんな子が監督なんて正気ですか!?」

 

 はたまた一転、ゴリラ青木は鬼気迫った表情で声を荒らげて安東と私に詰め寄った。やめろ近付くんじゃないゴリ木少年。足が震えて止まらんではないか。

 だが彼等のその反応は正当なものである。正直、言った私も通るとは思っていなかった。この男は一体何を考えているのであろうか。

 

「何を隠そう、なのはちゃんは高町監督の娘でね……」

 

 そこから始まったのはお涙頂戴の悲劇的物語

 

 愛妻紳士高町士郎という男は仮の姿、その真は海鳴中の女という女を喰らい尽くす冷血鬼畜絶倫野郎であり、その娘高町なのはは母子ともに涙を流す日々であった。

 そして遂に冷血鬼畜絶倫野郎高町士郎の魔の手は娘、高町なのはとその友人達に伸びる事になる。

 すけこま紳士は女であれば老婆であろうが幼女であろうが食っちまうのだ。

 純真にして正義感に満ち溢れた高町なのはは死に物狂いでもって憎き父と約束を取り付ける。それが今行われている蹴球倶楽部試合の勝敗である。

 もしこの試合で翠屋FCが勝てば、あわれ高町なのはとその友人達は冷血鬼畜絶倫野郎高町士郎の毒牙に掛かって、『陵辱少女☆マジアヘなのは(R-18)』になってしまうのである。

 

 そんな与太話を安東という男は涙か、はたまた笑いかを堪えるようにスラスラと選手達に語って聞かせた。こんな阿呆な話を誰が信じるかと呆れ返った私だが

 

「うおおおおお! なんてっ、なんてゲスな野郎なんだ高町士郎っ!」

 

「……許せねぇ……許せねぇぜ高町士郎…………ッ」

 

「うぅ……なのはちゃんっ!」

 

「奴は俺が倒す!」

 

 ……件の少年達は捻り捻れた私と違って純真にして正義感に満ち溢れていたらしい。ゴリラこと青木少年を筆頭に、赤毛や眼鏡、刈り上げパンチパーマといった個性豊かな面々が憤りの炎に身をやつしていた。これらいたいけな少年達を炊きつけた黒幕である安東に目をやると眼鏡の下からパチクリ☆とウィンクを寄越してきた。オエェ

 

「喫茶翠屋の客足が減ったらどうしてくれようか」

 

「ハハ、勿論試合が終わればちゃんと説明しますよ」

 

「本当でしょうな?」

 

「――――ええ」

 

 なんなのだその間は

 

 

 

 

 

 

 

 

「……高町、なぜお前が中丘のベンチにいる」

 

 必勝の策を授け選手達を送り出した私の元に駆け寄った日向小太郎が疑問を呈す。予想出来ぬ自体に流石の仏頂面も崩れ掛けているようだな。くくく

 

「ふ……盛者必衰の理を知れ、日向」

 

「…………お前な」

 

「やいやいやいやい!」

 

 私と日向の間に割って入る者がいた。安東の語った与太話に一際憤っていた赤毛の少年。名は確か枕木といったか。ゴリ青木に負けず劣らずの体格を持った持ち主である。日向も体格に優れてはいるが流石に枕木の前では見上げるばかりになってしまう。

 

「聞いたぜ……テメーもあの糞野郎の手下なんだってな?」

 

 そう言って枕木は、戸惑った表情でこちらを見ている我が父高町士郎に指を向ける。こら誰が糞野郎か。この上無きすばらし父であるぞ。

 

「なんの話かは知らんが……監督を侮辱するとは許せんな…………」

 

 遂には日向は仏頂面を崩し怒りの表情を見せる。思った以上にオヤジ殿を慕っているようだ。感心感心。二人は互いを睨みつけたまま闘気を高めて始めている。いかんな、このままでは蹴球どころか殴り愛へと発展しかねない。

 

「これ二人共、決着は試合で付けんか」

 

 早急に二人の間へと体を割り込ませ、試合に戻るように促す。勿論誤解は解かない。両名には申し訳ないのだが今更引けないのだ。今世に生まれ落ちてから初めてとも言える、私の滾りに滾った血肉を鎮めるためにも、どんな手を使ってでも勝たせて貰おう。

 

 

 

 ワイドな布陣を敷き、連携と速攻を駆使する翠屋FCはまさしく現代サッカーの縮図といえよう。だがしかし私に言わせれば所詮まだまだ見せ掛けのチームである。若いチームである翠屋FCには5、6年生が合わせて三人しかおらず、後は殺到した低学年の生徒で構成されているために体格や基礎的な体力という点で必然的に他のチームに劣ってしまう。それを補う為の高度な連携戦術であり、さらにはフィニッシュという部分で唯一飛び抜けた日向小太郎という男児に集約してしまう。言うなれば翠屋FCは此方と違って換えの効かない高級品である。だが要するにそんな物は壊してしまえばいいのである。換えが効かないのだから。

 

「おらああああああ!」

 

「くっ……!」

 

 枕木を始めとした体格に優れた三人のマークが日向小太郎に集約する。前半の様な腑抜けた守備ではない相手の怪我を厭わない悪質なタックルの応酬である。外野からは次々とヤジが飛ぶが審判は笛を吹かない、否、吹けない。

 安全公正を最上とするであろう審判殿の眼前にも私は抜け目無くマークを配置した。此方に向かって親指を立てながらニヤリとキザな笑みを見せるのはボランチの四井というロン毛の少年である。彼の特徴は一際優れたポジショニング能力であり、機を見計らい死角から飛び出し、審判の視覚を奪うという高度で矮小な悪事を先程から抜群のタイミングで行なって見せている。

 これでは日向には通らないと見た翠屋の選手が自陣にボールを戻すと、韋駄天の如く一人の選手が突っ込んだかと思えば直前で『とても自然に』蹴躓き、翠屋のCBを巻き込んで激しく転倒する。直ぐに笛が鳴らされ怪我をしていないかと審判が駆け寄って確認するが、幸運にも二人に怪我はないようだ。ふふ、それで良い完璧だ。

 勢い良く転倒し突っ込んでしまった中丘の小柄なWF仙台は、「スンマセン」とペコペコ選手と審判に謝罪した。そのお陰かカードは出ずに注意で済んだのは僥倖である。

 後半開始からネチネチと続く激しいタックルと細かな嫌がらせの連続に、翠屋の確固たる連携は徐々に揺らぎ精彩を欠き始める。技術が高かろうが所詮は小学生、更に大半は10歳前後の毛も生えてない餓鬼の集まりである。最年長と体格に優れたメンバーで構成され、殺さんばかりにボールに殺到する野人の如き中丘FCの面々に彼等は恐怖を抱き始めたのだ。その時、抜群のタイミングで笛が鳴らされ、中丘がCKのチャンスを得た。時は来た、これが決まれば勝つる。

 

「じゅーりんせよ♪」

 

 語るもおぞましい私のキュートな喉奥から発せられた小うさぎの如く愛らしき咆哮に呼応し、ゴリラの群れがウホウホと雄叫びを上げる。狩りの時間じゃ!狩りの時間じゃ!

 雄叫びを響かせながらゴール前へと集結する中丘FCイレブンの姿に、翠屋FCの面々と観客達はただひたすら唖然としていた。

 なにせCKを蹴る仙台を除いた10匹のゴリラがゴール前で一列に壁を成し、眼前のDF達を射殺さんばかりに威嚇しているのである。私がこんなもんやられてみろ。確実に小便をちびるであろう。見よ、翠屋の少年達も足が震えているではないか、可哀想に。

 

「くっ……臆するな! 優位にあるのは俺たちだ!」

 

 聡明な頭脳で以ってして私の策略を悟ったであろう日向が必死に鼓舞するが時すでにおすし。

 

「ウホオオオオ!!!」と雄叫び地響きを上げながら突進するゴリラもといキングコング青木を阻める者など翠屋FCに居るはずもなく、ヘディング一閃、ゴールは勢い良くネットへと突き刺さった。

 それに伴いベンチ含めた中丘FCイレブンから雄々しき咆哮が響き、翠屋FCの選達は恐怖と屈辱に次々と頭を垂れる。

やったぜ。これで奴等の心を折った。見よ、あの天才蹴球少年日向小太郎の恥辱に歪む表情を。く、くくく……だ…駄目だ……まだ笑うな…こらえるんだ…し…しかし…

 内から湧き上がる甘露の如き快感に、私の愛らしき相貌がぐにゃぐにゃと痙攣する。見たか天才日向小太郎、これが凡人の戦略だ、戦術だ、闘争だ。貴様は既に網の中の呂布と同じよ。英雄が一騎当千戦と戦場を掛け回る時代は終わったのだ。

 

「……ようやく俺の出番か。ほれ、さっさとしろ」

 

 私の背後よりヌッと姿を現したのは、整った顔立ちの美少年。日本刀を思わせる切れ長の双眸が私を捉え交代を促す。確か流山といったかこの少年、試合開始からずっとベンチで惰眠を貪っていたなんともマイペースな奴である。安東や青木曰く海鳴では日向よりも有名な中丘FCきっての天才だとか。

 じゃあ最初から出しておけよという話だが、来年にはジュニアユースへの入団が確定しているため試合に出ることを拒否しているらしい。なんとも舐めた奴である、これだから天才というやつは困るのだ。そしてその天才がなんの気まぐれかここにきて出場意欲を見せている。眠れる獅子が目を覚ましたのだ、これを使わない手はない。

 

「やるからには手は抜くなよ? 徹底的に潰せ」

 

「どあほう。誰に言っている」

 

 

 そこから先の展開は単純明快、狩るものが狩られるものになっただけの話しである。方向性の間違った正義の炎を瞳に宿らせ蹂躙を始めた中丘FCを、心の折れた翠屋FCに止める術はなく、さらに日向を超える天才流山の投入である。まるで前半の焼き直し、いや、前半よりさらに一方的な展開となった。南無阿弥陀仏。

 

 そしてこの時の試合が切欠となって翠屋FCと中丘FCの激しい対立が始まり、藤見町と中丘町の長年に渡る確執が生まれる事になるのは、まだ誰も知らない未来である。

 

 

 

 

 

 

 

 そして私であるが今現在は地獄の釜と化しているであろう海鳴第二グラウンドをこそこそと離れ、軽快な足取りで商店街を歩いてた。なにせアレだけ外道をやらかしたのである。試合終了と共に荒れるのは必死であり、その中心となった私はさながらオルレアンの聖処女の如く火刑に処されることは予想がついた。まあオヤジ殿や日向、中丘FCの面々に合わせる顔がないので、ほとぼり冷めるまでぶらぶら散歩でもしようかなという下衆な魂胆なのであるが。

 しかし何をするにも物種は必要である。うさ耳フード付きもふもふパジャマのまま連れ出された私は当然無一文であり、ガラスケースに収められた洋菓子を眺めながら涎を垂らしぬぼーっと妄想に浸っていた。

 

「うーむ……これを金に変えられないだろうか」

 

 そうして私が空に向け翳したるは太陽光を反射させ青く輝く美しい結晶体。先程道端で拾ったものだが、拾ったのだから私のものだ。何人足りとも文句は言わせない。

 宝石だろうか、少なくともガラスではあるまい。中にはXXという文字が薄っすらと見える。これは……ローマ数字か? シリアルナンバー付きの宝石ならば高値が付く可能性もある。今日の私はいやにツイているではないか。これも日頃の行いが良いからであろうなぁ。

 瞑目し、大金を手にした自分を夢想する。まずは久々の競馬であろうか、これを元手に大穴を当て一財産築けば将来安泰家内安全は確実である。しかし私はしがない幼女、これでは馬券を買うのもままならない。そこらの大人を雇い代行させるか? いや、世の中そこまで甘くはなかろう。私のようにありとあらゆる能力を母の子宮に置き忘れた底辺少女に防衛手段は皆無であり、儲けはおろか全財産奪われるのがオチだ。そもそもどうやって換金するというのか、あの清廉潔白な両親に頼めども警察に遺失物として届けられるのは確実である。結局は取らぬ狸の皮算用であったか。糞め、やはり成人を迎えるその日までどうにか保管する他あるまいか。

 

「……あの」

 

「ん?」

 

 もはや無用の長物と化した青い宝石を掌に乗せ思案に耽る私を呼んだのは、金の髪を二つ結びにした異人の風貌を持った儚げな少女である。高級感漂う黒のワンピースと清楚な雰囲気、そしてバニングス嬢と同じ煌めく金髪から、私は猟犬の如く金の匂いを嗅ぎ取った。件の少女といえば私の掌でころころ転がる青い宝石を穴が開くほど注目している。

 

「私に何か? ふぁっくゆー? ざびえーる? うぉーあいにー?」

 

「その石、渡してください」

 

 日本語喋れるんかい

 

「この石は君の物なんです?」

 

「…………そう……です」

 

 どうやらこの少女は嘘をつけない体質らしい。しかしこの青い宝石に異常な執着を示している事から全く知らぬ物では無いのだろう。

 だからと言ってホイホイと渡すほど私の人間性はできていない。どうにかしてこの石を金へと変えるのだ。

 イッツビジネスチャンス。

 

「君の物ではない……が、どうしても欲しい理由があるという事ですかな?」

 

「……はい」

 

「はは、私も鬼では無いのですよ。これを譲ってもいいと思っていましてね」

 

「じゃあください」

 

 即答である。どれだけこの宝石が欲しいのかこのパツキン少女は。金持ちはみんな宝石が好きなのだろうか。

 ふん、そちらがその気なら私にも考えがある。いや、決して悪事では無い。

 これは教育にして教訓、少女にして宝石狂いと化したこの子を正しき道へと導くプロセスなのだ。

 

「あー、ところで、日本には遺失物独占法という厳格な法律がありましてな。法律、分かります? わっちょわねーむ?」

 

「えっと、はい……法律は分かります」

 

「この遺失物独占法によれば、拾った物はその時点でその人の物となるわけですな」

 

「そんな……!」

 

「まあ落ち着いて、実はこの法律にも救いはありましてな。拾った者から取り戻す方法があるのです」

 

「……それは何?」

 

「金ですな」

「金?」

「金はお持ちですかな? できれば円が良いですな」

 

「持ってるけど……」

 

 そう言ってこのパツキン幼女はポケットより札束を取り出した。そう、札束である。さすがの私も開いた口が塞がらない。

 そも少女の分際で札束を持ち歩くとは、なんたる世の不条理か、せめてカードにしなさい、ここまで無防備だとおぢさんは心配です。

 まさかとは思うがヤの付く職業の娘さんではあるまいな。いや、異国だとマの付く職業であるか。

 

「えっと、これでいいのかな」

 

 金髪の少女はペラっと一枚を抜き出し私へと突き出した。おいおい冗談はよすのだ、こんな紙切れ一枚で私の腹が満たされるものか。ぎぶみーまねー。

 

「……君、君にとってこの青い宝石はその程度の価値なの?なのなの?」

 

「え……違う、けど」

 

「で、あるならば……わかりますね?」

 

 私は聖母を思わせるかのような微笑みでもって少女の心を促した。もはや止まらぬ、身ぐるみ全部剥いでやるぜぇ……

 それも全てこの娘さんのためである。今のうちに無情な社会の現実を叩き込み、健やかに精神を加速させるのだ。

 その為ならば私は悪にもなろう。いや、そもそも悪いのは経済的格差を生み出す社会構造である。私は悪くねぇ。

 

「……じゃあ、これ全部で」

 

「ベネ!」

 

 差し出された札の束をスパッと奪い取り、即座に生前レジのアルバイトで鍛えあげた技術で札を縦読みしていく。10…20…30……む、99.9か一枚使ったな?

 

「君、ジャンプしてください」

 

「え?」

 

「ジャンプ。これは重要な事なのですよ法律的に」

 

「は、はい」

 

 金髪の少女がその場でジャンプを始める、そして予想通り私の敏い耳がジャラジャラと硬貨の擦れ合う音を拾い上げた。

 

「ほらぁ……まだあるじゃないですか。いけませんね誤魔化すのは」

 

「あっ……ごめんなさい」

 

 羞恥に顔を赤らめた少女がふんぞり返る私へと残りの硬貨を上納する。可哀想ではあるがこれも全てはこの子の光差す未来のためである。断じて言うが私利私欲では決してない。

 

「では私も」

 

「ん」

 

 ほい、と青い宝石を差し出さすと。少女はそれを慎重に手に取り、胸元に下げられた逆三角形のアクセサリに光と共にそれを収めた。ん、今不可思議なものを目にしたような気がするが……おそらく私は疲れているのだろう。今日は色々あったからな。

 

「今日は善い取り引きをさせて貰いました。記念に名を伺っても良いですかな?」

 

「……フェイト・テスタロッサ。私も戦わずにすんでよかった」

 

「ほう、良い名でありますな。はは……」

 

 戦うとはまた物騒な。まさかその筋のものに依頼してころしてでもうばいとる気であったのか。

 

「君のご家族は……その、マのつく職業の方で?」

 

 瞬間、私の言葉に少女が反応し、後方に飛び下がって警戒の姿勢を取る。目が完全に据わっている。不味い、やはり蛙の子は蛙であったか。

 

「っ、なぜそれを……やっぱり魔導師……!」 

 

 マドゥシ? 対立組織であろうか。勘弁して欲しい、私は至って普通のいたいけな少女なのだ。

 

「いやいやいや、しばし待て。私はマドゥシなるものでは断じて無い。そういった職業の方に理解のあるだけです」

 

「けど、魔力もある。この管理外世界に魔法は存在しないはず……!」

 

「マホゥ? なんの事か分かりませぬが、そういった職業は日本にもありますよ、この国ではヤの付く名称ではありますがね。些か情報が古いのでは?」

 

 この少女は日頃から対立組織にタマを狙われているのだろうか。それならばこの異常な警戒にも納得がいく。

 

「そもそも私が敵ならば君の命は既にあるまい筈、宝石も渡すまい。どうか落ち着いてくだされ、なんならば先程の硬貨を返してもいい所存」

 

「……そう…………だね。ごめんなさい。管理局の魔導師だと思って……」

 

 私の必死な言葉に納得したのか少女は徐々に警戒レベルを下げ落ち着きを取り戻した。しかし管理局……入国管理局であるか。まさかそんなところまでマドゥシなる極道が紛れ込んでいるとは……存外この国も危険であるらしい。

 

「はは、いや良いのです。私の様な一般人には予想も付かぬ苦労があるのでしょう」

 

「……母さんの………ためだから」

 

 なる程、やはり苛烈な世界であるためか母親も苦労をしをているらしい。なんとも健気な少女ではないか。いつの日か救われて欲しいものである。しかし日頃から億万長者を夢想する私であるが、この様な危険が伴うのならば御免被りたい。同情はするが金を手にした今、この少女の側にいるのは危険である。早急に撤退を図るとしよう。

 

「はは…いやはや、では私はこの辺で――」

 

「――あなたの……名前、聞いてない」

 

「名前ですか? たかま――」

 

 いや待て、名前を聞いてどうしようと言うのか。まさか個人情報を割り出して徹底的に私の身元を洗う気であろうか。別に後ろめたい情報など……あった。そういえば我が父高町士郎は要人警護時代に世界中でその手の組織と幾度もヤり合ったらしいのだ。引退後に怪我を負ったのもそれが原因である。

 つまり、情報を洗って高町士郎に行き当たれば私の抹殺対象ブラックリスト入りは確実。まずは喫茶翠屋への嫌がらせから始まり、行き着く先は一家全員37564であることは間違いない。ここで己の情報を開示するは愚行なのである。

 

「す、すずか。私は月村すずかと申します」

 

 

 

 

 

 その後、異人の少女と円満に別れた私は重い足取りで帰路についていた。

 いやとにかく今日は濃厚な一日であった。しかしあの時、咄嗟に月村すずかの名を騙ってしまったのは痛恨であった。

 だが前向きに考えればあの月村重工である。武器開発や政府、ヤの付く方々との繋がりなど黒い噂の絶えない月村重工である。なにかあってもどうにかするだろう。私は知らない。知らないったら知らない。

 それよりも目下の懸念といえばこの大金。思わずあるだけ剥いでしまったが、社会的地位の無い私にはどうにも使い用が無いがまあ少なくとも遊ぶ金には苦労しないであろう。

 

全く、人生ままならないものである。

 

 


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